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4月, 2024の投稿を表示しています

東條英機の最期は格好悪すぎた

 ポツダム宣言受諾時の陸相、阿南惟幾は短刀で割腹自殺し、その1年前に首相を首になった東條英機は自殺もせず、占領軍に逮捕される直前になってピストルで胸を撃ったが、すぐ見つかって占領軍の治療を受けて死に損なった。東條自身が作った戦陣訓の 「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」を土壇場で実行できなかったのだ。 阿南さんは武士だ、日本男児だ、と言われたが、片や東條さんは「死にぞこない」と言われ、占領軍の思惑通り、東京裁判で一身に戦争責任者を演じて(天皇責任論を封じて)死刑になった。阿南さんに比べて格好悪いこと甚だしい。 俺の雑駁な印象は「阿南は軍人だった」「東條は能吏だった」だ。ポツダム宣言を受諾したらクーデターをやって日本を乗っ取って本土決戦しようという陸軍の若手を中心とする一部勢力をどうやって抑え込むか?に腐心した点では二人とも共通だ。結果的に、阿南は自分が死ぬことでいたって日本流の、言葉・ロゴスでなく行為・姿勢で軍人の心をコントロールしクーデターを抑止した。東條は話し合うとか、憲兵を使う、という官僚的発想だったように思う。 天皇自身は、天皇機関説論者で、天皇は国民のためにある、と思っていた節がある。東條のように「神様」と崇めたてるのは有難迷惑、片腹痛いと思っていたのではないか?海軍の米内光政などは天皇自身と同じく「天皇は国民のためにある(国民のために死ぬことだってある)」といたってクールに考えていた。天皇のポツダム宣言受諾のご聖断も、米内のように考える人もいる、ということが天皇の背中を押したのだと思う。 さて、阿南は天皇のことを神様と思っていたか?神様とは思っていなかったように思う。個人的には大好きで尊崇していたかも知れぬが、軍人そして陸相としては「単なる君主・上司」と思っていたんではないか?ただし、儒教流の「君主に対する忠」を非常に重く考えた。天皇を親のように思ってしまった東條とはここが違う。 クーデター派の考えも分かる、一方で君主の「戦争終わりにしよう」にも逆らえない・・・阿南は自死することで、「ポツダム宣言受諾」と「クーデターを起こさせない」という矛盾した陸相としての責務を全うした・・・神業と言ってもいいかも知れない。あるいは奇跡か。 閑話休題: さて、阿南を陸相にしたのは誰か?Wikiると、俺好みの、次のエピソード: ①阿南のかつての部...

統帥権を勉強した

 これまで、薄らぼんやりと「統帥権=軍隊の指揮命令権は天皇に直属するから政治家は軍に口出しできない」と考えて来た。 俺なりに研究したところでは: 陸海軍には軍政と軍令があり、軍政とは「軍の編成・人事・組織などに関わる、言ってみれば会社の人事部」であり、軍令とは「戦争遂行に関わる、言ってみれば現場」である。陸軍においては軍政は陸軍大臣がトップ、軍令は参謀総長がトップで、海軍においては軍政は海軍大臣、軍令は軍令部総長がトップである。一括りに「軍部」などと言うが、実は、この陸軍大臣、参謀総長、海軍大臣、軍令総長の4人が天皇の下に並列に並び、それぞれくっつきあったり反発・牽制し合ったりして、大東亜戦争を始め、敗戦に至る。 1939年「三国同盟を締結し日独伊と英仏米ソ間で戦争となった場合、海軍として見通しはどうか」と質問され「勝てる見込みはありません」と答えて 日独伊三国同盟に反対した米内光政海軍大臣。この米内が総理大臣になった1940年、ドイツがフランスを降伏させたのを受け、陸軍は三国同盟締結を目指し、米内が反対すると、陸軍大臣を辞任させて内閣総辞職に追い込み、次の近衛内閣の時に同盟は締結される。この一連の経過によって、米内は天皇の信頼を勝ち取ることになる。 1941年大東亜戦争が始まるが1944年には敗色濃厚となり、東條英機総理大臣兼陸軍大臣は、参謀本部・軍令部が統帥権を盾に自分の言うことを聞かないので、天皇の心配を押し切って参謀総長を兼務することとした。(同時に海軍でも嶋田繁太郎海軍大臣が軍令総長を兼務)その後、マリアナ・サイパンで大敗した日本の負けは決定的になる。この戦いは海軍軍令部が仕切る陸海両軍の共同作戦であったが、サイパンでは陸軍兵士を中心に3万人が玉砕した。 事ここに至っても戦争を続けようとする東條英機内閣の総辞職を画策する岡田啓介、近衛文麿、木戸幸一などの「重臣グループ」は、東條に内閣改造する条件として重臣の入閣その他を提示。東條はマリアナ大敗以来、戦争続行に反対した岸伸介無任所国務大臣を辞任させて米内光政を入閣させようとしたが岸には辞任を拒否され、米内からも入閣を拒否される。こうして1944年7月総辞職に追い込まれる。 陸軍は陸軍大臣を辞任させ米内内閣を総辞職に追い込み、海軍出身の岡田啓介や米内光政はその意趣返しで東條英機内閣を総辞職に追い込む。 ...

さっき思い出そうとして思い出せなかったことが思い出せない

 思い出そうとして思い出せないことは非常に多い。今年に入ってからは、思い出せないことの方が多い。(7,8割?)。 今朝は、今、日産スタジアムと呼ばれている横浜にあるサッカー場のことを昔、何と呼んでいたかが思い出せなかった。 次に午後、プリプリのボーカルの旦那がTVコマーシャルに出てるのを見たが、彼の名前が出て来ない。 彼の名前を思い出そうとしているうちに、今朝思い出せなかったことが何だったのかが思い出せなくなった。上さんに聞いて横浜のサッカー場だ、と思い出した。そしてたった今、ネットで正解を知った上さんに「四音」で最後が「ざわ」であることを確認し、ようやく「三ツ沢」にたどりついたところ。 さて、プリプリの旦那の名前・・・「と」「か」がついていたような・・・?

何十年間もtrampとtrumpを間違えていた

 チャップリンの「ゴルフ狂時代」(「のらくろ」)を見る。 実におもしろい「くすぐり」が随所に出て来る。天才的だ。一番感心したのは、フルフェイスのヘルメットがついたarmour(中世風の甲冑)を使って一人二役を可能にしたアイデア。チャップリン演じる金持ちのアル中男が仮面舞踏会に出るため、armourを着る。ところが、フルフェイスのヘルメットのフタが締まってしまい、外から顔が見えない状態に。そこへ、この男とそっくりな放浪者(チャップリンの2役)が現れてドタバタが始まる・・・これならアル中男と放浪者が絡むことができる。びっくりさせられたのは、最後に放浪者がこのヘルメットのフタを開けるのだが、その時現れたアル中男の顔が放浪者そっくりだったこと。ずっと二人の顔が出るシーンを避けていたのに、最後になってそっくりな二人の顔を映すなんて・・・ この映画サイレントで、場面が変わったりすると”説明書き”が画面に現れる。これを見て放浪者のことをtrampと言うことを知った。The lady is a trampという歌があるが、俺は何十年間も、このtrampをtrumpだと勘違いして来た。trump=切り札で、「色々問題があっても、一刀両断に片づける女」だ、と思い込んで来た。そうではなくて、tramp=気まぐれ女、色々な男を渡り歩く尻軽女って感じかな? ということでThe lady is a trampをYouTubeで聞き較べる。 元祖というべきかこの歌をヒットさせたFrank SinatraからLadyGaga&TonnyBennett,Anita O'Day,Ella Fitzgerald・・・ Sinatraのはいい。しっとり、という感じ。あまり、気まぐれ女っていう感じではないが。 Ellaのもいい。ベルリンのライブでピアノカルテットの伴奏で歌う(1960年)。ノリに乗ってる感じ。別の、オーケストラ伴奏のスタジオ録音も悪くないが・・・ SinatraとEllaが二人で歌ったのもあるが、イマイチ。ノリノリのEllaにSinatraが喰われてしまっている感じ。 Lady Gagaも素晴らしい。「歌がうまい!」と感心する。美空ひばりと一脈通じるところがあるかな?思いつくまま気の向くまま声や歌い方を変え、フェイクを入れる。映像では青緑色の髪の毛。これも似合う。悪くない。そ...

鳩が豆食って・・・

 東條英機大将言行録(廣橋メモ)によると、東條英機は、 「石油がない、油がない、と言っているが、鳩は豆食って空を飛んでるじゃアないか、石油なんてなくても空は飛べる」と言ったとか。SDGsの先取りだ。今や、豆を絞って作った油のかすを再利用してジェット燃料にする時代だ。

元横綱・曙の「54歳で死去」はまったく不思議ではない…(プレジデント オン ライン)に反論

4月27日のプレジデントオンラインに以下: 大相撲史上初の外国出身横綱だった曙太郎さんが、今年4月に死去した。54歳だった。ライターの広尾晃さんは「力士の平均寿命は他のスポーツ選手よりかなり短い。相撲界の将来のために、日本相撲協会はこの状態を放置してはならない。現役だけでなく親方衆など元力士の健康管理をすべきだ」という――。 <<全くつまんねえ記事だ。俺は相撲はドーピングが許されている数少ない競技だ、と思っている。つまり、「強くなりたければ寿命を縮めても飯をたくさん食え」だ。改めて言われなくたって、相撲取りの寿命が短いなんてことはみんな知ってるだろう。知らなきゃ馬鹿だ。そもそもあんなに太って格好悪いし。それでも相撲取りになろうってんだからそれなりの覚悟があるんだろう。合法的なドーピングと言ってもよい。 「100mを9秒で走りたいからドーピングする。9秒で走れたら死んでもいい」というヤツがドーピングしてどこが悪いのか?公正公平な争いを旨とするオリンピックだからいけないのか?いや、公正公平を旨とするなら「ドーピングやり放題」というクラスを作ってそこで争わせれば公平公正だ。本人が分っていて望んでドーピングするのを止める権利は誰にもない。多様性を否定する暴挙だ!!!!!

(天声人語)指揮権密約 4月27日朝日新聞デジタル

4月27日付け朝日新聞デジタル記載の天声人語:   戦争の危機が迫ったらどうするか。1951年、米国は占領を終えるにあたり、こんな約束をするよう日本に求めてきた。軍事的な能力をもつ日本の組織は「合衆国が指名する最高司令官の統一指揮権の下におかれる」▼日本はうろたえた。世に広まれば民心が動揺する。受け入れるが、明文化はしないでほしい。そして翌年、吉田茂首相はクラーク極東米軍司令官に、口頭で同意を伝えた――。日米の公文書に刻まれた、いわゆる「指揮権密約」の一幕だ▼外交とは祖国のために偽りを言う愛国的な技術だ、とビアス著『悪魔の辞典』にある。言う相手は外国だろう。しかし わが国は時々、偽りやごまかしの煙で、国民の目を覆うことがある ▼03年からの自衛隊イラク派遣。政府は、憲法の制約で、多国籍軍司令官の指揮下には入らないと説明した。だが防衛省は密(ひそ)かに、司令官の意見に「合致するよう配意」して行動せよと命じていた。忖度(そんたく)しろということだろう▼指揮権はしっかり己の手のうちにあるのか。戦後の歩みの中で、たびたび俎上(そじょう)にのぼってきた問いである。岸田首相が米国で指揮統制の連携強化を約束してきたことに、野党などが「自衛隊が事実上、米軍の指揮下に置かれる」と懸念している▼杞憂(きゆう)であることを願う。ただ、どうだろう。歴史をふまえると、 政府はいざという時に「指揮下ではないが監督下に入る」とか「指揮と指図は違う」とか言い出し て、煙(けむ)にまくのでは。そんな思いがどうにもぬぐいきれない。 <<プーチンやトランプは虚実取り混ぜた情報操作によって、国民に何が正しいのか分からなくして自分の有利な方向に世論を誘導しようとする。中国や韓国は政権に批判が高まると 、日本を悪者にして国民の目をそらす。 偽りやごまかしの煙で、国民の目を覆う のはどの国の政権でもやっている。そんなに自虐するこたぁない。 << 指揮下ではないが監督下 ・・・その前に「自衛隊は違憲だ」から始めるべきだろう。 米国は(そして多分他の多くの国も)①日本が再軍備すると何するか分からないから憲法9条は変えさせたくない②米国がアジアの安定化のため日本に軍隊を置くことは認める と考えている、ということだろう。 日本に自衛隊があること、そして米軍が駐留することは戦争放棄をうたい...

理念なき政権維持、問われる自民党保守本流 再生は政治改革徹底から<朝日新聞デジタル>

4月26日朝日新聞デジタルより 編集委員・藤田直央さんの記事。 さんざん、自民党の保守本流なるものが堕落した、と書く。そして結びは:  「 自民党は、政権を運営する統治責任を果たせるところまで立ち直れるのか。まずこの国会で野党と合意して法改正を実現し、党内で順守を徹底すべきだ。それすらできないようでは、保守本流の担い手としての再生はない・・・」と。 これ、立憲民主党の泉代表と全く同じ。(藤田・泉のお二人は陰で談合してるのか?)「自民党頑張れ!しっかりしてくれ!」だ。自民党がダメになったから、次の新しい政党、とか、そもそも民主主義なんて日本には無理、とか、何故言わない?自民党なんか見捨てればいいじゃあないか。かつて、朝日新聞は民主党政権を実現するために世論を誘導した。でも全くダメだった・・・それがトラウマになって、自民党以外には政権は任せられない、と考えているのか?そして立憲民主党自身も政権を取る気はない。これが、自民党を慢心させ、ますますダメにしている一番の原因ではないか?

東條英機大将言行録(廣橋メモ)より

 昭和40年、東條の元秘書官廣橋眞光が発表した東條英機言行録: 昭和16年10月18日 秘書官たちから内相兼務の理由を聞かれた東條は「お上より日米交渉を白紙にもどしてやり直すこと、なるべく戦争にならぬように考慮すべきこと等、仰せ出され、これが実行に当たり、このまま戦争をせずアメリカの申し出に屈した場合には、2.26事件以上の暴動も起こるやも知れず、その際には断乎涙をふるってこれを弾圧する必要あり、これがためには、陸相と警察権を有する内相とを兼務する必要があったからだ」と。 昭和17年元旦 庭の芝生でお嬢さんたちと羽根を突いたとき、お嬢さんたちが中央にラインを引いて羽根をついているのを見て、「ラインを引いて羽根を突くことは既に勝負という事に捉われている。欧米式のマッチになっている。日本のは相手の受けやすいように羽根を突いてやる。」と。 昭和18年12罪28日 陸大・古賀大尉に対する言葉: 戦争を遂行している現在、現在の法令に不満があるのは分かり切ったことだ。理想としてかくあるべし、という事も分かっている。これを直に直すこと、これは革命であって私は身命を賭して我が国体に反する革命は絶対にさせぬ。現在の法令、これには明治以来の歴史があることを忘れてはならぬ。諸外国と対等の条約を結ばんとした当時の先覚は事情は百も承知の上で欧米に習って欧米式の法制を整えたのである。帝国大学ではこの欧米流の法律を教えて来た。しかし古来の日本の法制は三条をもって足りる。人は善人なりと言う前提で出来ているのが日本の特色である。これに反し、欧米の法制は人は悪人なり、この悪人は排除しなければならぬという立前から法制が出来ている。それゆえ、日本の法令ではこれを運用する裁判官に良き人を得なければならぬ。 <<東條は『米英は小乗的』と何回か批判している。 大乗仏教が「『南無阿弥陀仏』と唱えて身を投げ出せば万人誰でも救われる」という教え、つまり、「みんなを一緒に救おうという集団主義」なのに対し、小乗仏教は「仏陀の教えをロゴスとし、修業を通じてそれを究めた人だけが救われる」という「個人主義」である、と。日本は集団主義の大乗仏教、一人一人が個別に神様と契約する米英のキリスト教は個人主義、という観点からの批判だ。 ラインを引いて敵味方の陣地を切り分けて勝ち負けを決めようとする欧米式のマッチは日本...

予想以上に・・・合同製鐵 株

 昨日、合同製鐵の決算発表が今日行われると知った。同社株価は1月前、6000円だったが昨日の株価は始値が5360円で終値が5290円。最近は、決算発表がよかったところで「期待以下」と評価され、株価が下落する会社が多い。そこで決算発表したら100円は下がるだろうと、1株5180円で指値。 今日決算発表されたが、始値5280円で一時5060円まで下げ、終値5150円。見事?5180円で買えた。 決算発表をチェックすると、23年度は22年度より減収増益。ただし、24年度減益予想で280円の配当を240円に減配と発表(利回り4.6%)。 これが株価を100円以上下げた理由だ。23年度がたまたまよくって24年度は22年度並みの利益に落ちる、という予想・・・配当性向30%が目安ということだから、今期並みの利益になれば280円(利回り5.4%)の配当も期待できる・・・ さて、鉄関係は今年は儲かると俺は思う。増配を信じて1年保有し続けるのかな??? 株価は大体予想通り下げた。配当が40円も下がるのは予想しなかった。決算発表よく見てから株買うべきか?大体、今どき減配する会社って珍しい。クソ!

Nat King ColeのTea for twoを聞いていたら浅葉裕文に出会った

 YouTubeでNat King ColeのTea for twoを聞く(TV番組の白黒映像だから”見る”か?)素晴らしい。クラシックなEarl Hines風な演奏からモダンな演奏まで「やりたい放題・気の向くまま」だ。アイデアが次から次に湧き出て来る感じ。こんなTV眼組をみることができたアメリカ人がうらやましい。 感心して聞き終わると、なぜか、HIROFUMI ASABAというギタリストの”Sweet Lorraine"が始まる。これがまた実にいい。全く知らなかった。調べると、浅葉裕文という人。Barney Kesselが好き(アイドル?)らしく、Barney Kessel生誕100年記念アルバムを出した。ホームページに「世界一のファーストコールギタリストを目指す」とあるが、ファーストコールの意味がよく分からない。調べると、どうも「ギタリストといえば浅葉の名前が一番最初に想い浮かぶ」存在になりたい、というようなことらしい。確かにBarney Kesselに似てるといえばそうかも知れないが、もっと洗練されてる感じだ。コードワークはDjango Reinhardtのように聞こえる時もある。

鴻上 尚史さん Xで(日刊スポーツ 4月25日) 

日刊スポーツに以下:  鴻上氏は 「選挙が終わると、テレビは『投票率が低い』『30%台なんて信じられない』なんていうのだけれど、今日もずっとテレビのワイドショーは、大谷さんを特集している」と、ドジャース大谷翔平投手についてワイドショーなどが多くの時間を割いている現状について説明。「それで、視聴者に『政治への関心が薄い』とか『社会参加の意識がない』とか、選挙後に言っても、それは当たり前だろうと思う」と、“矛盾”を指摘した。 その上で「この状態が嫌な人はテレビから着実に離れていく。テレビは、ゆっくりと自殺していると思う」と持論を述べた。 <<やや異論が>> 自殺しているのはTVではなく、日本国民自身だと思う。日本国民を、自分の頭で考えるようにし、自身がゆっくり自殺している、と気づかせるのは別の方法で、だろう。TVを含む既存のメディアでは難しいように思う・・・日本国民と共に自殺している。 TVには投票率UPなど期待せず、ただ面白ければいい、と思う。 小学校で憲法をみんなで読んで、何が書いてあるのか自分なりに考えてそれを発表し合う、なんてところから始めるなんてどうか?そうしたら大谷ばかり取り上げるTV(でも他のメディアでも)を直ちに見捨てる国民になりはしないか?これを実行するにはまともな人間が政治家や役人になるようにする、という気の長い取り組みが必要だ。 俺は、日本国民の自殺が完了するのとまともな人間が政治家・役人になるのと、どちらが早いのか競争だと思っている。何十年とかかる、勝負だ。だって、戦後男十年もかけて政治家・役人がおかしくなり、日本国民はゆっくり自殺しているんだから。 「ゆっくりと自殺」というフレーズ・・・20年前に俺は自分の会社について「ゆっくり死んでいる」と表現したことがある。俺のいた会社は、日本の法律あるいは慣習上はまだ「死んでない」。20年来様々な会社とくっつき、成長しそうな会社を買い、また成長が望めない事業を売って名前も変わったが・・・これを進化(生き残るための変化)と言うのか、「とっくに死んでいる」と言うべきか???

たけのこ うまい!

 八百屋でたけのこの中型4本を480円で購入。実にうまかった。たけのこ臭さ(香り)が強く、いい感じだ。 たけのこを買ったらすぐ煮るのが肝心だ。付属の米ぬかと一味唐辛子を加え、圧力鍋で15分。そのまま一晩おいて皮をむき、根元の小豆色のポツポツがついている所を取り除く。 土佐煮: 根元に近い硬そうな部分はたけのこご飯に回す。柔らかそうな部分を1センチくらいにスライスし、一口大にカットして麺つゆと水で煮る。煮ている上からかつお節をパラパラと。10分も煮れば完成。 たけのこご飯: 土佐煮にならなかったのが200グラム。米は2合。みりん、しょうゆ、酒、砂糖少々とカツオだしを加えて炊く。(油揚げがあったらもっと良かったが・・・) いずれも柔らかく、また香りもよくて最高! 気温はもう初夏だが、口の中は春真っ盛りだ。

The Five Penniesに泣く

The Five Penniesは1959年パラマウントが作製したコルネット奏者、Red Nicholsの伝記映画。Redは楽団、The Five Penniesを率いたコルネット奏者。1920年代、Louis ArmstrongやBix Beiderbecketといった名プレーヤーと並び称せられたが、仕事で忙しく全国を飛び回り、家庭を顧みなかった。一人娘が小児麻痺に罹り、歩けなくなってしまうが、その責任は自分にある、と思い込んでコルネットを捨て、造船所で作業者をしながら、娘が再び歩けるようになるよう、娘のリハビリを手伝う。 娘の誕生日パーティーで、娘が昔のレコードをかける。Redはコルネットを吹こうとするが、昔のようには吹けない。奥さんから、もう娘のためでなく自分のために生きろ、と言われるが自信を失ったRedはコルネットを吹こうとしない。娘は辛いリハビリを嫌がった時、Redから泣き虫になるなと叱責・激励された。彼女はコルネットから逃げるRed対して泣き虫になるな、と叱責・激励する。 Redは練習を重ね、復活することになるが、その再デビューの日、娘も車椅子から立ち上がって歩く・・・ 泣け、という持って行き方。その製作意図に素直に従って泣く。

立民・泉代表は・・・

 去年死んだ細田さんの補欠選挙が行われる島根1区。立民の立候補者・亀井亜紀子の応援に駆け付けた泉代表の応援演説を聞いて思わず「馬鹿だな~」と叫ぶ。「この選挙で亀井さんが当選すると、自民党は目が覚める」とか言った。 彼は自民党を応援してるのだ。自民党にしっかりして欲しいのだ。自分で政治をする気はないのだ。あくまで、ずっと野党でいるつもりだ。与党になって主役になろうという気はゼロだ。その方が応援者が減らないのか?立民内部で受けるのか?野党でいる方が気楽で居心地がいいのか?これじゃあ、自民党は安心して馬鹿なことをやり続けることができる。 もうちょっとお利口さんが政治家になるようにするには、どうしたらいいんだろう。

Stars fell on Alabama を聞き較べる

 よく散歩する道の途中に花屋があって、そこでジャズを流している。この店、入り口側の壁が一切なく、全部開いているから店に入らなくても音がよく聞こえる。どういう仕組みで音を出しているのか分からないが、多分店主の女性の選曲だろう、店の前を歩くたびに俺好みのヤツがかかっているので嬉しい。 今日はElla FitzgeraldのStars fell on Alabamaが流れていた。いいなあ、思ったのでElla FitzgeraldのStars fell on Alabamaで検索すると、YouTubeにはElla & Louisのものしか見つからない。一応これを聞いてみるが、あまりいいとは思わない。Ella & Louisのアルバムは好きだから何十回も聞いたが、Stars fell on Alabamaはいいと思ったことはなかった。Ellaのソロはなかったのかなあ、俺の聞いたのはEllaが一人で歌ってたような気がするけど聞き間違えかな? ということでYouTubeで、Stars fell on Alabamaを聞き較べる。 定番のBillie Holiday(1957年、Verve)を聞く。晩年だが、Billieの声の調子はよい。つづいてPatti Page。あま~い。次はDoris Day。まあまあ。Frank Sinatraも歌っているが、イマイチ。最後にDinah Shore。Andre Previnの伴奏。これ、最高。彼女の歌声、歌い方にこの歌が合っている。 Stan GetzがStan Getz plays(1955年、Verve)というアルバムでテナーで奏でているヤツが上記の歌モノよりいいと思った。リラックスの極致。気の向くままに吹く。一歩間違えるとグズグズのグダグダになるのを寸前でとどめている感じ。 閑話休題: Dinah Shoreって美人だし、TV番組も持ってたし、彼女の名前を冠したプロのゴルフ大会もあった。要するに白人美女の大スター・セレブだ。ところが、彼女は黒人の血が流れていた。このことを親から知らされずに白人の男と結婚して子供を生んだら真っ黒だった、という悲劇があったとか。そして彼女はこの子を殺したんだか施設に入れて会おうとしなかった、と言われている。にわかには信じられない話。

「男と女」 を見る

 1966年のフランス映画。格好いい。男の子がいる男(父親)と女の子がいる女(母親)が子供を預けている寄宿舎で知り合って、という筋書き。二人がそれぞれ子供と遊ぶ場面から入る。しゃれてる。 有名な「男と女」がオルガンで流れるのも格好いい。 互いに配偶者を失っていて、配偶者を失った経緯を明かし合う。 女の横顔は見ようによっては京唄子に見えなくもない。鼻の線が似てる。きれいではないが、声や話し方が色っぽい。”アンニュイ”という言い方がピッタリか。 二人ともよく喫煙する。 男はカーレーサー。なぜか、フォードの車に乗っている。ひとしきり爆音を上げて車が疾走するシーンが続く。SDGsじゃあないね。 男が職業を聞かれ、「風変わりで儲かる仕事」と言ってジゴロだ、と冗談を言う。男が娼婦と思しき女から金を巻き上げるシーン、気が利いてる。 男の子が語る消防士になったら、という話も面白い。アドリブではないか?男が本当に面白そうに笑う。男の子、レストランで男に言われてスペイン語や英語でボーイにコカ・コーラやトマトを注文する。 女の家まで迎えに行った男、車を降りて女のためにドアを開ける。日本人がこれをやったらキザだ。不思議な感じ。 女の回想シーン。旦那の髪を洗う。バックにはサンバ(ボサノヴァ?)が。これもいい。 子供たちを連れて海に行く。船に乗って風が強いので、子供たちを二人一緒に一枚の毛布でくるむ。かわいい子供の顔が毛布から二つ並んで見える・・・気が利いてる。浜辺で子供たちが遊んでいる間にジャコメッティーのことを話す・・・この映画を若い時に見て、ジャコメッティのことも知らなかったが、「俺もいつか、このシーンみたいに、女と浜辺でジャコメッティーについて語り合ったら格好いいな」、と思った。このジャコメッティを語るシーンが一番印象深かった。 男の手のアップ。女を求め触ろうとしているかのようだ。そして車の中でとうとう男の手が女の手を握る。女から「奥さんは?」と聞かれると、いきなりル・マン24時間耐久レースの回想シーン。レーサーたちが車に向かって一斉に走って行くところからレースは始まる。男は事故を起こして病院へ。もともとレーサーは危ないから辞めてくれ、と言っていた奥さんは病院に駆けつけて男が重体だ、と聞かされ、気が狂って自殺したのだ。 男はモンテカルロのレースで勝つ。女はモンテカルロに「愛して...

鎖国

 894年、遣唐大使に任じられた菅原道真は、唐はすでに衰え、乱れていて見習うべきところがなくなっていると、遣唐使の廃止を提案した。実際、唐は907年に滅び、遣唐使は自然消滅した。 一方で、古今和歌集が905年に出来る。選者の一人、紀貫之は仮名表現にこだわり、後年女性として仮名で土佐日記を書くくらい、漢字から仮名へ、(中国から日本へ)という人間だった。 古今和歌集は枕草子や源氏物語にも引用され、紀貫之による「 やまとうたは人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」で始まる仮名序は、漢意(からごころ)からの脱皮の象徴であった。 また10世紀には軍事力の弱い宋が覇権を握り、大陸からの襲来も少なくなった。 10世紀初頭~13世紀後半の元寇までの3世紀半の間は鎖国状態だったと言える。さらに言えば、元寇は鎌倉幕府から室町幕府への交代という変化はもたらしたが、武士による支配は変わらなかった。もっと言えば、16世紀に鉄砲やキリスト教が伝来しても武士の支配は変わらなかった。 江戸時代は17世紀初頭から19世紀前半まで2世紀半の間、鎖国が続いた。「外圧で大きな変化がもたらされることがなかった」ことを「鎖国」と言うならば、10世紀から19世紀は鎖国だった、と言えないこともない。 この鎖国が続いた9世紀半の間に特筆すべき「大きな変化」は12世紀に貴族の支配(古代)から武士の支配(中世)への変化だが、これが不思議なことに、元寇も鉄砲も黒船もなしに起こった。外圧なしに日本の政治(支配層)が代わったというのは非常に珍しいのではないか?逆に言えば、外圧なしに変革が起こせない日本人が例外的・自発的に変革を行った、ということだ。なぜこんなことができたのか? 天皇という切り口で見れば、12世紀までは一応名誉職にとどまっていたのが、武士の時代になってパワーを失って単なるお飾りとなり、19世紀に明治維新で復権する。 この、「貴族から武士への政権交代がなぜ外圧なしに(自力で)実現したのか?」と 「パワーを失った天皇がなぜ消滅しなかったのか?」は 日本史の2大ミステリーではないか?そしてその答えは日本人の本質ではないか? 特に、外圧なしに、自力で変革がなぜできたのか?は今の日本の変革のヒントにならないか?

訳も分からずに投資信託を積み立て

 60万円残っている投信のNISA積み立て枠を使おうと、松井証券の投信のランキングなるものを見る。資金流入ランキング、トータルリターンランキング、値上がり率ランキング・・・更には資金流出ランキングから値下がり率ランキングまであるが、さて、資金流出とか、値下がり率とかのランキング上位は「買うな」、ということか? 過去4か月の実績でインド株への投資がよかったから、調子に乗ってインド物を1銘柄、当てずっぽうにベトナム、トルコも1銘柄ずつ、それからアメリカも1銘柄買うことにする。(株は日本株オンリーなので、投信は外国中心にする) 結果、 SBI・UTIインドインフラ関連株式ファンド ベトナム株ファンド トルコ株式オープン アライアンス・バーンスタイン・米国成長株投信Bコース(為替ヘッジなし) の4銘柄を毎月1万円づつ積み立てることに。(これで積み立てNISA枠余力は12万円に) 必ず似たようなものがあるので、信託報酬の少ないヤツを選んだ。 毎月1万だからある意味気楽で、途中でおかしくなったらそこで解約しよう、という腹。

いつか死んでいくすべての人が避けられない大問題…私たちが「この世」からいなくなるとはどういうことか

4月21日付けで藤田正勝さんが現代ビジネスに以下: 「自己をふり返る」というのは私たちにとってとても大切なことである。しかしそれは簡単なことではない。そのときに紹介したパスカルのことばを借りて言えば、自己を見つめることは、自己の死、悲惨、無知を見つめることにつながるからである。そのために私たちはむしろ自己から目を逸らそうとする。むしろ「気晴らし」に生きようとする。しかし、いくら目を逸らしても、私たちは私たちの生に死がまとわりついていること、あるいは、私たちの知には限界があることを意識せざるをえない。「生と死」、これは私たちが生きていく上でもっとも根本的な、そして切実な問題であると言うこと ができるであろう。本書をしめくくるにあたって、この問題を取りあげることにしたい。 人間がこのような状況のなかにあるということ、つまり、 死や有限性を免れないという人間が置かれている根本的な状況を、三木清は「虚無」ということばを使って言い表した。 三木は多方面にわたる仕事をした人である。さまざまな側面をもつ哲学者であったと言ってもよい。一時はもっぱらマルクス主義に関する論文を発表し、そのような立場から日本の思想界に非常に大きな影響を与えた。しかし三木がヨーロッパ留学から帰国し、一九二六年にはじめて出版した著作はそれまでと一転、『パスカルに於ける人間の研究』と題されたものであった。また三木は一九四五年に治安維持法違反の容疑者をかくまい、逃亡させたという嫌疑で検挙され、敗戦後も釈放されることなく、九月二十六日に獄中で亡くなった。そのときに残した遺稿は『親鸞』と題するものであった。 三木は一九四一年に『人生論ノート』という本を出版している。これは雑誌『文学界』に発表されたエッセーを集めた随想集であるが、戦中、戦後を通じて多くの版を重ね、非常に多くの読者を見いだした。おそらくそういったものが求められていた時代であったのであろう。そこで三木は幸福や孤独や偽善など、さまざまなテーマについて書いているが、「人間の条件について」と題したエッセーがそのなかにある。そこで三木は、「自己を集中しようとすればするほど、私は自己が何かの上に浮いているように感じる。 いったい何の上にであろうか。虚無の上にというのほかない。自己は虚無の中の一つの点である 」と記している。 人間は巨大な虚無に取り囲まれている、虚無...

昨年10月以降の投資成績

昨年10月以降の投資実績以下: 2月以降、決算発表が多く、そうすると最近は好決算でも株価が下がる。加えてイランとイスラエルが戦争を始めて円安になり、日本の株価も下がる。4月はそういうことで4万円の株価が4千円ほど下げた。おかげで値下がり期待で指値していた株がいくつか買えた。一方ですでに持っている株は値下がりする。まあ、株価は2の次、配当が下がらなければ、と言い聞かせる。以下、昨年10月以降の投資実績。 取得した株(予想配当利回り)・・・特記なければ購入数100株 タマホーム 建設業  3,150円で購入(5.9%)別に3年保有で優待Quoカード1,000円 アイティメディア ITメディア 1,830円で購入(6%) ゲンダイエージェンシー パチンコ広告 353円で購入(5.1%) ユナイテッド IT投資 850円で購入(5.65%) エスコンジャパンリート 商業施設投資 115,000円で2株購入(5.5%) ケイアイスター不動産 分譲住宅 3,050円で購入(5.9%) 別に優待でQuoカード1,000円 ダイキョーニシカワ 自動車樹脂部品 720円で購入(4.17%) 別に優待で買物券1,000円 藤倉コンポ ゴム加工、ゴルフクラブシャフト 1,321円で購入(5.3%)  タチエス 自動車シート 1,744円で購入(5.3%) アールビバン アート展示販売 1,100円で購入(5.5%) VT HD 自動車ディーラー 520円で購入(4.6%)  New Art HD. 結婚指輪・ダイヤ 1,894円で購入(5.3%) スクロール ネット通販 950円で購入(4.4%) 別に優待でポイント1,000円 丸三証券 証券会社 1,030円で購入(5.8%) ノバレーゼ ブライダル 280円で購入(無配)優待で2,000円のギフト(洋菓子?) ベネッセ 1,800円で購入後、一株2,600円でのMBO発表・・・10月頃2,600円で買い取り? ベルーナ ファッション通販 665円で購入(3.1%) 別に優待で2,000円のクーポン、割引 以下指値発注したが未成約(配当利回り) 明光ネットワーク 塾 指値670円 (5.1%) 別に優待でQuoカード1,500円 アドバンスクリエイト 保険代理店 指値930円(3.8%) 別に優待でQuoカード2,500円 アルコニッ...

”頂き女子りりちゃん”事件

 3人の男から1億何千万円を騙し取ったという「りりちゃん」事件について: ①りりちゃんの男を騙す技術は素晴らしくないか? ②騙された男どもの氏名を公開して、辱めを与えるべきだ。 ③騙す技術を拡散した罪は重いか?・・・しかし騙される方が馬鹿で悪いように思う。 日本人は最近騙されやすくなっているように思う。もしくは自分を守ろうという意識・用心が弱くなって無防備になっているように思う。 個人情報を教え・渡して闇バイトせざるを得なくなる、出会い系サイトで知り合った全くの他人のところにノコノコ出掛ける・・・オレオレ詐欺もそういうことが原因の一つか?子供の時に、嘘をつかれて騙されるなんていう経験がないからか? 日本の過保護教育の弊害だろう。「こういうことをしたらケガをしたり、下手すると死ぬ」「人は嘘をついて騙すことがある」「親はときには理不尽になる」こういう経験をした上で、稀には不幸にも肉体的もしくは精神的に死んだり致命傷を負う人も出るけれど、多くの人は生き残って大人になる・・・そのくらいでいいのではないか?子供の方だって24時間「危ないことはしてないか?」「嘘はついちゃだめ」なんて監視されたらおかしくなっちゃう。親の方もたまには腹を立てたり理不尽にならないとおかしくなっちゃう。

東條内閣総理大臣機密記録(東条英機大将言行録) を読む

 東京大学出版会1990年刊。東条英機の昭和16年12月の開戦から昭和19年7月解任までの首相としての言動の公式記録。 ①「大日本草刈選手権」なるものが開催された、とある。冗談みたいで、まず笑ってしまう。この選手権に対し、実直で知られた東條が、訓辞だか祝辞を述べるところが実に面白い。Wikiってみると、何故か岩淵水門という記事に"(荒川と隅田川を仕切る旧岩淵水門の跡地にある) 水門公園には「草刈の碑」と呼ばれる大きな石碑がある。これは 1938年 (昭和13年)から 1944年 (昭和19年)にかけて付近の荒川土手で行われた「全日本草刈選手権大会」を記念して作られたもので、「農民魂は先づ草刈から」という碑文が記されている"・・・とある。当時は畜産そして人間の食糧としても草が重要視されていたらしい。 ②川南造船所所長が頻繁に面会・報告に来ている。こんな造船会社初耳。Wikiると1902年生まれの川南豊作という人物が1931年朝鮮で「いわしのトマト煮缶詰」を売り出して財を成し、1936年に長崎にあった 松尾造船鉄工所を買収して、1942年海軍管理工場に指定され戦時標準船を作って一時は三菱重工長崎造船所並みの建造量になった、とある。俺は全く知らなかったが、大陸で成功して成金・国策会社になる・・・戦前のJapanese Dreamを体現したような話だ。川南豊作は40そこそこで日本を代表する造船会社に成り上がったのだ。彼は戦後一旦は公職から追放されるが、1951年川南 工業株式会社の代表取締役に復帰。しかし経営は失敗、1961年破産。破産後、”三無事件”というクーデターの首謀者として逮捕される。 ③三無事件をWikiると九州出身の元陸海軍人、右翼が中心となって 国会を襲撃、政府要人を殺害して、「 三無主義 」に基づく新政権を樹立するというクーデターを計画したが未遂に終わり、 破壊活動防止法違反で22人が逮捕された、とある。”三無”とは 「無税・無失業・無戦争」の意。背景には 既存の政治家では 共産主義革命を押さえることはできない、という危機感があったとされる。こんなことを画策するなんて荒唐無稽とも言えるが、戦後民主主義にすっかり洗脳され縮こまった発想しかできない俺たちの世代から見れば、気宇壮大にも見える。5・15、2・26事件の焼き直しのようでもある。三島...

金継ぎ

割れた陶磁器を漆で接着して修復し、漆の上に金粉をつける・・・金継ぎという技術が日本には古くからある。思い出の詰まった陶磁器割が割れてしまってもこの金継ぎで蘇る。もちろん、全く同じように元には戻らない。紛失してしまった部分は漆+金粉で埋めるし、割れた跡には金色の線が入ってしまう。それでもフォルムは復元し、それを見て喜ぶ人がたくさんいる。 父親の新婚旅行の記念の茶碗が割れてしまい、それを知った娘が親に黙って金継ぎで茶碗を直してもらう。父親は喜ぶ。なんとなくしっくりいっていなかった父娘の間柄がよくなるきっかけになるかも知れない・・・ 結婚祝いに父親から水差しを送ってもらうが、数年後、子供がそれを割ってしまい、父親は亡くなってしまう・・・それを金継ぎで直すと亡くなった父親の思い出が蘇る。 あるTV番組で、爆笑問題の太田が尊敬する向田邦子からもらった茶碗が割れて金継ぎで修復してもらって大変喜ぶというくだりがあった。  こんな技術は過去の思い出を宝あるいは神と考え大事にする日本にしかないのではないか?死んだ人の骨に対する思い入れも日本人独特だ、と山本七平さんは書いた。古跡調査で骨を運ぶ作業をすると、日本人だけが気持ち悪くなると。日本人は骨の持ち主が生きていた時の遺恨なり恨みが骨に残ると信じるから・・・ユダヤ人なんか、「骨は骨」と割り切るらしい・・・骨にしろ、陶磁器にしろ、過去の思い出や遺恨が残っている・・・金継ぎの技術が日本だけで発達した、と考える所以だ。

美とは大きい羊だ

 「美とは大きい羊だ」ということを下掛宝生流の能楽師、安田登さんが言った。(彼のオリジナルかどうかは分からない。)つまり、「いけにえにするのに完璧な羊」だ、ということだと。 いけにえ羊の大小が美の基準・・・面白いというか虚を突かれた感じ。 だから何だ?だけど。 「美人」て「いけにえとして完璧な人」か。。。 「いけにえ」の「贄」は神への捧げもの、犠牲の意。確かに捧げものは汚らしくてはまずい。犠牲も醜くはないだろう。 分ったような分からないような・・・

マンデリンが実にうまい

 マンデリンの生豆を買って焙煎したものを飲んでいる。実にうまい。豆を挽く前からいい匂い。マンデリンは味よりは香りだと思っていたが、深く焙煎しなかったこともあるのか、酸っぱく過ぎず苦過ぎずバランスの取れた味。香りも味もコーヒーらしいコーヒーとでも言うべきか。 マンデリンに限らず、コーヒーの香りは、豆を挽いている時が一番いいと思う。お湯で加熱すると香りには悪影響があるのだろう。

本田宗一郎1906年生まれ、井深大1908年生まれ(会社とは何か)

 本田宗一郎と交流があった井深大が語るNHK「我が友 本田宗一郎」を見る。 本田語録: ・若い社員が夢中で夜中まで挑戦している。 ・子供に社長を継がせるような会社では若い人が厭になる。 ・日本一じゃあだめ。世界一じゃなければ。 井深語録: ・仕事が好きで好きで食べるものも食べないでやる、という人を、学校で何をしてきたのかなんて関係なく採用した。 ・アメリカでトランジスタというものが開発されていると聞き、トランジスタというものはよくわからないが、難しいものに違いない、大量に取った技術屋に役職に関係なく一生懸命にやってもらえるんじゃないか、と思って挑戦することにした。 ・トランジスタラジオはアメリカのメーカーと開発競争してわずかの差で負けた。それから世界初にこだわった。 ・組織でモノができるんじゃなしに「これを作ろう」「面白いな、命を賭けよう」というヤツを集めた方が能率もいいし何より面白い。 ※二人の世代は戦争に行くには年取り過ぎだが、戦争が終わった時に新しい会社・製品を作り出すにはまだ十分若いという世代だった。戦争に負け、うるさい年寄もいなくなり自由になって、抑圧されていたものが解放されてはじけた、という感じ。この二人の会社は幸運にも挑戦に成功し世界に認められたということだろう。同じ世代の人達は結果的に成功したかどうかは別にして志向するものは共通していたのではないか?1970年代入社の俺たちはほとんどこの世代の薫陶・影響を直接受けていない。ただ救いだったのはこの世代の薫陶・影響を直接受けた世代が身近な先輩・上司でいたということだ。彼らは自分たちが新しいモノに挑戦させられ、夢中になり、寝食を忘れたという経験をし、俺たちにもそういう経験をさせて育てようとした。(最近は”ホットジョブ”っていうんだって?) 働き方改革も、パワハラも、コンプライアンスも男女差別もなかった。会社は、キャリアや成長なんてこたぁ考えてなかった。(口先では言い出していたが・・・そう言われても、俺にはこれ以外の若手育成法は思いつかなかった。)会社とはただ、面白い経験が出来て夢中になれるモノを与えてくれるべき場所だった。だから、この番組を見て、違和感は全くなく、「どうして日本は本田・井深を忘れてしまったんだろう」と思う。そして、それは俺たちの世代で途切れてしまった、とも思う。 本田は1991年死亡...

朝日新聞、何を言いたい???国民に見捨てられるぞ!!

 朝日新聞デジタル4月16日、 岸田首相が高揚した訪米 「蜜月」演出に漂う「日米一体化」のリスク  という記事。一体、朝日新聞は何を言いたいのか?  首相が「日本は米国と共にある」と前のめりと言えるほど米国との共同歩調を強調したのは、トランプ前大統領の復権とともに「内向き」志向が米国内で強まることを警戒し、先手を打って日本が米国の負担の肩代わりをする決意を示し、米国を東アジアに引き留める狙いがあった。  しかし、首相の「日本は米国のグローバル・パートナー」だという約束は極めて重い。米国内で支持率が伸び悩むバイデン政権は今、最重要課題とする中国との競争に加え、ロシアのウクライナ侵攻、緊張の高まる中東情勢への対応に追われる。武器の在庫逼迫(ひっぱく)という問題も抱える米国にとって、米国の指導力発揮に日本も貢献したいという首相の提案は大歓迎だ。同盟国の軍事力を結集する「統合抑止」を安保政策の柱に据える米国は、日本に幅広い軍事協力を求めるとみられる。  特に米国が日本に期待しているのが台湾有事への対応だ。台湾有事では在日米軍基地を拠点に、米軍が自衛隊と連携し対処することが欠かせないという見方がワシントンの安保コミュニティーでは強まる。こうした米側の危機感が突き動かしたのが、日米首脳会談で合意された米軍と自衛隊の「指揮統制」の連携強化だ。バイデン氏は「日米同盟発足以来、最も重要な改善」と高く評価。 日本政府は「自衛隊が米軍の指揮統制下に入ることはない」(林芳正官房長官)と強調するが、軍事作戦に必要な装備や情報は自衛隊に比べて米軍が圧倒的に多く持ち、米国の影響力が強まる懸念はぬぐえない。 岸田文雄首相は一連の訪米で「日本は米国のグローバル・パートナー」だと訴え、「日本は米国と共にある」と強調した。首相には「内向き」志向が懸念される米国を東アジアに引き留める狙いがあったが、 日米の一体化が限りなく深化する中、日本は米国の対中抑止戦略にさらに強固に組み入れられるという側面も否定できない。  米国滞在中、首相の表情は、国内では見られないような笑顔に満ちていた。会談前日、首相はバイデン米大統領夫婦に夕食会に招待され、「ビースト(野獣)」と呼ばれる大統領専用リムジンに同乗。「フミオ」「ジョー」と呼び合う両氏はX(旧ツイッター)で満面の笑みで顔を寄せ合う写真をそれぞれ投稿。首相は米...

久しぶりに外食した

上さんと買い物に出掛け、帰りに中華屋に入った。席についたらメニューがなく、代わりに卓上にQRコードが掲示されている。それをスマホで読み取って、その店(チェーン店)のサイトに入るとメニューがあるから、客はそこから希望の料理を選んで注文するという仕組みだ。焼きそば定食とレタスチャーハン定食を頼む。タブレットでオーダーするのは焼き肉屋とか回転ずしにはあるが、QRコードでメニューにアクセスするのは初めてだ。 店員は全員(といっても二人だけだったように記憶するが)中国人と思われる。初めてだから、これで注文できたのかな?と半分心配しつつ料理が来るのを待っていると、気づいたことがある。注文を受けるという業務をしなくていいならば、店員は日本語ができなくてもいい、ということだ。店員に求められる能力は: ①「いらっしゃいませ~」と「ありがとうございました」といった2,3の日本語の定型句を覚える。 ②自動的に発行される伝票記載の金額と支払金額が一致するかどうか、数字をチェックをする・・・だけだろう。 実際、店員とはほとんど会話しなかった。この仕組みで店員の数を減らし、注文の聞き違えといったトラブルを削減できるのはもちろんだが、一番大きい効果は、日本語がままならない外国人労働者を受け入れやすくなる・・・ 閑話休題: 料理はあまりうまくなかった。「これなら自分で作った方が・・・」と思った。(上さんの評価は「こんなもんでしょう」だった) 次の課題は、製造や物流や建設といったいわゆる「現場」で、日本語がままならない外国人を使えるようにするにはどうしたらいいか?だ。 日本語がままならぬ外国人が日本にたくさん住み着くようになると、日本も変わるだろう。こういう人たちに帰化してもらうべきか?それとも帰化するなら日本語をしっかり勉強しないと・・・ということか? アメリカのグリーンカードみたいに、永住権は与えるけど帰化はまだ、という手もあるか?

嗚呼、香港

 2003年にNHKでOAされた香港の海鮮料理の歴史物語を見る。ちょうど2003年頃(2005年前後)に1回だけ香港に行ったことがある。香港は1997年にイギリスから中国に返還されたが、当時まだ中国共産党支配の影響はほとんど感じられなかった。俺は、中国は2001年の天津を皮切りに15,6年間で北京、浙江省、江蘇省、上海、広州などに行った。(海沿いばかり。四川省ほか山の中には足を踏み入れなかった。一時期、天津には毎月のように行っていた。) 外国の空港に行くと、匂い・空気の変化を感じたことがあった。よく、韓国の空港に着く(飛行機に乗ると)とキムチの匂いがする、と言うが、俺は韓国に行ってもそんな匂いは感じなかった。しかしアメリカでは東海岸のニューヨークやワシントンの空港に着くと緊張感・冷たい空気を感じ、消毒液のような或いはインクのような匂いを感じた。アングロサクソン支配の匂いだったか?ヒスパニックや黄色い肌の人の多い西海岸では緊張感のない、温かい空気を感じた。中国でも北京は緊張感、冷たさ、「誰かに見られてる感」を感じた。北京は共産党支配の圧を感じるのか?これが上海に行くと、商売の町、生き馬の目を抜いて稼ごう、という感じに。(北京では下手すると命取られる、という緊張感。上海では命までは取られないという安心感)。更に南に行って広州になるとdullという言葉がぴったりの、一歩裏路地に入ればアヘンを吸ってる人がいそうな、ゆるい、怪しい感じになる。 さて、2003年から20年経って香港は中国共産党支配が露骨に現れて来た。俺は中国に返したんだから当たり前だ、と思う。中国共産党は、1997年からよく10、20年間我慢した、と思う。もっと言えば、イギリス、アメリカが20世紀に入って「植民地は悪だ」って言い始めて日本の満州支配などは「悪」とされた。同時に一方でイギリスは一片の条約を根拠に香港を手放さなかった。アングロサクソンの図々しさ・傲慢と中国のお行儀の良さ・懐の深さを感じる。第2次世界大戦後、すぐに「香港を返せ」と言っても良かった。イギリス人が中国共産党の香港支配を非難しても習近平から言わせれば「昔、イギリスが中国に対してやったことを考えれば、いま中国が香港に対してやってることなんてかわいいもんだ」だろう。中国人が偉い・懐が深いと思うのはそう思ってもプーチンみたいにそれを言わな...

沈香も焚かず屁もひらず

 会社に入ってすぐ、上司の部長が「沈香もたかず屁もひらず」という言葉を吐くのを聞いた。即座に意味は解らなかったが、「最近の新入社員は覇気がなく悪さすらしない。良くも悪くも会社に残るような何かをしでかせ。」といった意味だったようだ。「屁もひらず」もおかしかったが、「じんこう」も意味不明だった。 沈香とは「水に沈むほど重い木」つまり、「何らかの理由で樹脂が沁み込んで水に沈むくらい重くなった木の一部分」といった意味だ、ということを今日知った。その樹脂に、いい香を放つものがあって、そういう樹脂の沁み込んだ木片を沈香と言うのだ。 沈香は日本では取れないのだから、沈香を加熱して香を楽しむというのも外来のモノだろう。(仏教と一緒に伝わって来たとか…)だが、香道と称して加熱道具やら沈香の切り端の形状・サイズ、香りの嗅ぎ方(聞き方)・・・を昔ながらかつ几帳面に形式を決めてそれを律儀に守るなんてことを長年にわたり続けているのは日本人だけではないか?

マッシュポテトがうまい

 町田に住んでいたので町田発祥の富澤商店との付き合いは古い。何故か知らないが、町田の目抜き通りに2,3軒乾物屋が並んでいて、その一つが富澤商店だった。21世紀に入って東京どころか、かなり広範囲に店舗を拡大した。トミーズとか言って・・・。俺が富澤商店で買い物したのはやっぱり安いから。業務用と言うか、一袋の量が結構多いが、単価は安かった。うどん用、ピザ用小麦粉、そしてイースト菌(確かフランス製の、コックの絵が袋に描かれているヤツ)それからマッシュポテトフレーク、寒天やゼラチン、ココア、大豆、小豆などなど。また、よそでは見かけない珍しいものもあった。例えば豆かん用の赤えんどう豆やら丸いコインみたいな形の製菓用チョコレートなんて20世紀には売ってる店は珍しかった。買わなくても、店に入って無闇に豊富な種類の小麦粉・大豆・小豆なんかを見てるだけでも楽しくなった。 コロナやなんやらで富澤商店に行かなくなって乾物や製菓材料はネット通販か業スーで購入することが増えた。コロナ明け、赤えんどう豆とマッシュポテト用フレークを富澤商店で買った。東京牛乳と四つ葉の発酵バターをボウルに入れ、レンチンして温めてマッシュポテトフレークと塩少々を入れてスプーンでよ~く混ぜると実にうまいマッシュポテトができる。 今日の夕飯は舌平目のムニエル(塩コショウして小麦粉をまぶしてバター焼きする)マッシュポテト添えだった。実に簡単だ。あとはレタス、トマト、きゅうり、アルファルファをフレンチドレッシングで和えたサラダ。そして近所のうまいパン屋で買った食パン。みんなうまかった。 閑話休題: 舌平目は昔はあまり売ってなかったが、去年くらいから売場によく並ぶようになり価格も安くなったように思う。我が家では期限切れ間近で安くなったヤツを食う。ムニエル以外の食い方は知らない。レモンを絞りかけると絶品だ。今のところ、飽きずにおいしくいただいている。小麦粉をまぶした皮が焼けたのがおいしい。 そろそろ豆かんの季節だ。色川武大さんの言う通り、そら豆の茹でたのと豆かんは初夏のものだ。 町田発祥では、富澤商店の他に「カメラのキタムラ」も全国展開した。

よしもと新喜劇「アキ助のコーヒーとスパッツはいかがですか?」の五十嵐サキに笑う

 よしもと新喜劇にはMr.オクレのように出てくるだけで笑える芸人がいる。五十嵐サキもその系譜の役者だ。肌色のボディコンワンピースを着て、ふくよかな体の線を丸見えにして登場するだけで笑ってしまう。思惑通りなんだけど笑ってしまう。五十嵐サキも昔はそんなに変じゃなかったんだけど。 ストーリーはマンネリ。清水けんじはえなり君だし、山田花子はバカボンだし、多和田上人はコブダイで岡田直子は仲本工事だ。松浦真也はギター弾いて歌う。逃走した銀行強盗が現れて一人が人質に取られて「アキ助が怒ったぞー」で大イカが現れて、アキ助のスパッツパワーで銀行強盗がブリーフ一丁になって捕まって・・・ この決まりきった形式というか縛りの中で一人一人が個性を発揮する。何故だか笑いのスイッチが入ってしまう。形式に縛られつつも自由にアドリブを交えて自分の決め技を出す。それが笑いを誘うのか?それが真の自由だろう。

”福島第一原発事故の「真実」”を読む 続

  NHKメルトダウン取材班による講談社・2021年刊、”福島第一原発事故の「真実」”を読む。 NHKの取材に協力的でない人もいるし、また協力的な人でも記憶が曖昧・交錯しているから、NHK取材班は、生データであるTV会議を文字起こしして記録に残そうとする。文字にして、IBMワトソンで解析すれば、誰が何を言ったのかの記録になるのはもちろん、発言者の言い淀みや同じ言葉の繰り返しなどによって、発言者の疲労や心理状態、その時何がキーワードだったのか等が分る。どれだけのコスト・時間がかかるか分からないまま、取材班はIBMワトソン解析のため、TV会議の文字起こしを始めようとする。 まず、プライバシーを盾にTV会議を公開しようとしない東電に公開を迫り、一旦は東電に拒否されるも、NHK以外のメディアも公開を要求し、最後は経産大臣の押しで、2012年8月からTV会議の録画を視聴させてもらう。以降東電社員の監視のもと、2017年年明けに文字起こしが完了。 これを解析することによって「吉田所長疲れてるなあ」という雑駁な印象が定量的エビデンスを伴った”断定”になる。また、東電はどういう意志決定の仕組みだったかも分る。(つまり、縦割で本社に情報を集め、情報が集中する本社にお伺いを立てないと意思決定できない、ということが明確になる) 面白かったのは、①記録が残っている62時間中、吉田所長の発言が途絶えるのは5時間のみ・・・不眠不休だったことが分る。②現場確認ができないこともあって吉田所長の質問に「○○のはずです」という答えが頻発する。それで、吉田所長が「『はず』はやめて確認しよう」と言った。ところが、一番「はず」を言っていたのは吉田所長自身だった・・・いずれもワトソン本来の使用目的ではないが・・・ <<「はず」を連発する現場・技術屋・・・俺のいた会社も同じだった。「規則・ルールの通りやってるはず・・・」腐った組織の決まり文句。その通りになっている自信・確信はない。でもそれを認めない・・・>> <<津波高さの既定の想定値5.7mを変更できない顛末も原子力村の腐った体質を表していて面白かった>> 東電社内で地震や津波対策を検討する土木グループがシミュレーションすると7.7mという津波高さが想定されるということに。それを社長の出席する「御前会議...

”福島第一原発事故の「真実」”を読む

 NHKメルトダウン取材班による講談社・2021年刊、”福島第一原発事故の「真実」”を読む。素晴らしい構成だ。技術的なことも網羅し、図面や写真も使い、そして何より現場の運転員たちの心意気を描く。単純に時系列に沿って事実を並べるのではなく、必要に応じ、参考になる情報・事象・心理描写などを折り混ぜる。 老いも若きも全員が(厳密に全員かどうか分からないが)我身を投げ捨てて放射線量の多い現場作業に出て行こうとする。これは何だろうか?日本のためか?福島のためか?町のためか?東電のためか?家族のためか?そうじゃあないような気がする。強いて言えば菅首相に代表される、政府や本社にいる偉いさんに対する現場・運転員の意地か?また、「俺一人だけ逃げるわけにもいかない」という気持ちもあったか。「○○のため」という事を忘れてしまう日本人の特徴がよく表れていると、思う。素晴らしい日本人論になっている。 電源を喪失し、計器が作動せず(あるいは信用できず)真っ暗な中で車を運転するようなものだったと思うが、理屈や言葉ではなく、運転員たちの意地、気持ちが頼り・最後の砦になった。様々な「文明の利器」を日本人は取り入れてきた。通常時は理論が勝つが、非常時になると意地、気持ちが勝る。俺はゼロ戦に乗る特攻隊員のことを思った。自分の命・死は将来の日本のため・・・と言葉にすればそうなるが。。。 事故後、交代して社長になった廣瀬が運転員を選んで表彰しようとしたら、進んで危険な現場に向かった若手社員が「みんなが平等に表彰されないなら自分は辞退する」と言い出した、というのも日本人らしい。廣瀬は反対意見もある中、表彰を強行し、表彰式の挨拶の途中で泣いた。その涙は、部下に危険な現場に行けと命じた班長の負い目を少し軽くしたとも。 俺も製造会社にいたから、現場のことは少しは分かる。運転管理や、設備の設計・メンテが悪くても、運転員が何とかカバーしてくれる、という感じはあった。例え経営者が馬鹿で、日本で作ったんではコスト競争力のない製品を作れ、と言われれば爪の先に火を灯すようにして少しでも安くして作った。大馬鹿野郎だが、今思えば日本人らしくて美しかった・・・理屈では、コストで敵わない製品を作るなんてバカバカしくてやってらんねぇんだが・・・特攻隊とおんなじだ。

BYDのコマーシャル!

 TVでBYDのCMを初めて見た。驚愕し、感慨を覚えた。衝撃だった。だって、中国の車屋だぜ。中国の車が日本で売れるとは思っても見なかった。ハイアールの洗濯機だって中々買おうとは思わないぜ。いわんや車においておや。 CMに長澤まさみというビッグネームがが出てるのも驚きだった。ギャラクシー、現代など先輩筋の韓国メーカーはコマーシャルで日本の有名芸能人は使っていない。 閑話休題: アメリカでトヨタが車の宣伝をした時には、アメリカ人は同じようなことを感じたのか?「だってあの、俺たちに滅茶苦茶にやられた、日本だぜ」

東京都、指名停止中の博報堂・電通と随意契約 計約13億円

4月12日付け 朝日新聞デジタルより:  東京五輪・パラリンピックを巡る談合事件を受けて入札指名停止とした広告大手・博報堂と電通に対し、東京都がその後、入札のない随意契約で計約13億3千万円の事業を発注していた。都は「他社に代替できない事業で 法令上問題ない 」と説明する。しかし、信用失墜行為を理由に入札から除外した企業と、入札を経ずに契約した点について、指名停止の実効性を疑問視する意見がある。   両社は、東京大会の運営業務を巡って談合したとして独占禁止法違反(不当な取引制限)の容疑で元幹部が逮捕されたり、法人が同罪で起訴されたりした。これを受け、都は2023年2月、要綱に基づき、社会的信用失墜行為にあたるとして他の4社とともに指名停止とした。期間は24年8月まで。  一方、都入札情報サービスの公開情報によると、都は博報堂に対し、以前から放送している都提供の民放3番組の制作・放送事業を、23年3月、同9月、24年3月と計3回発注した。事業費は合計12億1千万円。番組ごとの内訳は、「東京サイト」(テレビ朝日)が1契約あたり約2億円、「東京GOOD!」「東京交差点」(いずれもテレビ東京)が合わせて同約2億円だった。  都政策企画局によると、いずれの番組も都の魅力などを紹介する内容で、放送は週1~5回、1回3分ほど。視聴率は3%台。番組枠の買い付けやタレント契約、撮影、編集などを委託した。  また、都は同社が開発した新型コロナワクチン接種記録システムの運用事業など3件も、23年3月に計約7千万円で発注(一部の期間短縮で計約5千万円に減額)。電通には、23年9月に、起業活性化を目的とした民放番組「TOKYO STARTUP DEGAWA」(テレビ東京、年2回、各1時間15分)の企画・制作を約5千万円で発注した。いずれも、特定の1社と結ぶ特命随意契約だった。 東京都は「代替できない調達に当たると判断した」と説明  番組事業の発注について、都は取材に対し、関係する一部の著作権が両社に帰属している点や継続性などを理由に挙げ、国の政令で随意契約可能とされる「代替できない調達」に当たると判断したと説明。博報堂からは、事前に「 この時間帯に提供番組を流すのは博報堂しかできない 」と言われたとも説明した。番組放送は啓発などの点で有効と判断し、指名停止を受けた番組中止の検討や、他...

TEACに日本の会社の縮図を見る

 40年来使って来たカセットテープデッキがとうとう壊れた。(再生開始直後に止まってしまう) ネットで検索すると、TEACブランドで新品がまだ売られているらしい。通販サイトのレビュー欄を見ると、俺のように何百本もカセットテープを持ってるヤツが「まだ、カセットテープデッキを作ってくれる会社があってありがたい」とコメントしている。 TEACと言えば1970~1980年代テープデッキにおいては「値段も高いが音もいい」という最高級ブランドだった。かつては俺なんかとても手が出なかったが、5万円弱で新品が買えるとあって、買おうかな、と思う。アナログレコードプレーヤーもまだやってる。 なんでいまだにこんな化石みたいなものを作ってるんだろう、と気になって調べてみると、1970年に東証に上場して以来、上場を維持していることにまず驚く。(最近の株価100円前後!配当は2022年までゼロ。2023年から1円。)会社のホームページで沿革をみると、日本の企業の盛衰を見事にあらわしている。 1953年創業 1961年IBMの技術で磁気テープ記憶装置製造開始 1967年アメリカ、1974年ドイツに販売子会社 1974年台湾に製造子会社 1980年代カナダ、イギリス、フランスに進出 1990年~1994年マレーシア、オランダ、ベルギー、シンガポール、イタリア、スペイン、インドネシアに進出 1995年国内生産停止→香港に製造拠点→中国に移動 2000年代は世界中で事業の変更・切り売り、組織の統廃合 2013年アメリカのギターメーカー、Gibsonの子会社に。その後ファンド会社に買われる 2024年現在の筆頭株主は楽天証券(5.88%) 2008年600億あった売り上げが2024年3月決算予算では170億円。(多分最盛期の1980年代の売上は1000億円超だったろう) Gibsonに買われて以降(2013年~2017年)5年間赤字。その後は一応黒字キープ。(当期利益:数千万円~4億) 非情に面白いのはデータレコーダー事業と称するもの。自動車、電車、飛行機、発電機その他回るものの音を記録・解析して故障の予知、解析をする技術。 医療用の映像記憶再生装置なんかもやってる。 なんとなく「どうせ一旦は死んだ会社というだから・・・」という開き直りが感じられる。また、「カセットテープ・アナログレコードの灯を消...

町山智弘「改憲したら俺と一緒に兵隊になろう」

 2006年毎日新聞社刊「9条どうでしょう」に寄稿された 町山智弘「改憲したら俺と一緒に兵隊になろう」より: そもそもどんな集団にも、「一人前」になるための試練がある。たとえばマサイ族のライオン狩りや南太平洋のバンジージャンプなど、親に保護されていた子供時代から引き離し、死に近い体験によって、儀礼的にいったん死んで「大人」として生まれ変わる。この一種の「通過儀礼」を経て初めて人は結婚するなど集団の一員としての資格を得る。近代以前は欧米では村や教会で徒弟制度がそれぞれに「通過儀礼」を行っていたが、国民国家では学校や軍隊がそれを代行した。戦後社会では就職がそれを補った。だから髪を切り、背広という軍服を着る。「リクルート」とは本来、「新兵徴収」という意味だ。 人は放って置いたら大人になるわけではない。子供時代と決定的に切断する儀式を体験する必要がある。学校も会社も「通過儀礼」の意義を忘れた日本で、ニートやひきこもりが増えるのは当然である。 ≪そうか、俺が大学の入学式ならまだしも、会社の入社式に親が出るのに大きな違和感を感じていたのは、「親離れしようという通過儀礼にどうして親がでてくるんだ」ということだったんだ。今の日本では大人にしようと事改めて何かをしない。「放っておけば大人になる」だ。俺たちの世代では、会社に入ったら有無を言わさず会社の飲み会運動会その他の行事を強制され、職場ではマニュアルなしの教育=徒弟制度だったが、これも「通過儀礼」だったんだ。通過儀礼はそれに耐えれば会社を辞めにくくする効果はあった。通過儀礼に耐えられないような奴は一人前に扱われないのは当然だし、たまには耐えかねて死ぬ奴も出るが、そんな奴は不運か、馬鹿だ。≫ ≪町山によると2006年当時アメリカでは右も左も白人も黒人も「アメリカは駄目だ」とは言わなかったそう。みんな星条旗振って「アメリカ万歳」だったと。それは自由と平等を歌った憲法があるから、だと。さて、オバマ、トランプ登場後もそうだったのか?オバマが大統領になり、その反動でトランプが大統領になっても、まだアメリカ人は「アメリカ万歳」だったのか?そうであれば、トランプが"Make America great again"なんていう必要はなかったんじゃないか??? ≫

エマニュエル・トッド「自由貿易は、民主主義を滅ぼす」

 エマニュエル・トッド「自由貿易は、民主主義を滅ぼす」 2010年、藤原書店 より: オバマが大統領になった背景: トッドさんによると、アメリカはインディアンや黒人を差別した。その代りヨーロッパからの移民は一括りに白人とし、白人だけを人間扱いして白人だけの民主主義を行った。この頃は、白人には差別・格差がないというフィクションが成り立った。これが、教育格差、グローバリズム・自由貿易進展の結果、白人のブルーカラーが貧しくなり、白人層が富裕層と貧困層に分かれ、白人間の平等が崩れた。白人の”被差別人種”が現れたことによって黒人やインディアンやヒスパニック、黄色人種といった旧来の被差別人種への差別意識が弱まり、黒人が大統領になることに対するハードルが低くなった。 ≪グローバリゼーションやらダイバーシティー、社会保障など民主党的なきれいごとを並べるオバマでは暮らしがよくならなかった白人貧困層は自由貿易を否定するトランプ支持に回り、トランプ信者になった。 黒人のオバマが大統領に選ばれたということは、アメリカの(白人だけの)民主主義が潰れたということである。伝統的・正統な白人だけの民主主義を守ろうとすれば、被差別人種の黒人に投票させないか、または、普通選挙をやめるしかない、というのがトッドさんの見立て。 実際、トランプは再選を目指した選挙で黒人に投票をさせまいとし、それでも負けたら、「この選挙はインチキだ(盗まれた)」と言って選挙を否定しようとした。白人貧困層には、Greatとは白人だけの民主主義復活のこと。また、人種差別反対などと理想・きれいごとを並べるけれど一向に差別が止まない民主党の政策に愛想をつかした黒人もトランプ支持に回る。≫ トッドさんと対談した佐伯啓思の発言: ニヒリズムの最先端を走っているのがアメリカです。アメリカの重要な価値観は、リベラルデモクラシーと科学主義の二つですが、どちらも価値というものの意味を問わない。アメリカのリベラリズムの大きな特徴は、どのように生きるか、何が大切かと考えるかについては一切問わない。それは個人の趣味の領域に割り当て、個人の権利だけを保証する。こういう非常に形式的な議論をアメリカのリベラリズムはしています。そしてそうしたリベラリズムが、アメリカを支配し、日本にも浸透している。 科学主義も同様です。市場競争は、効率を達成すると言う...

西部邁「日本人とは、そも何ものぞ」その12 最後

 福田恒存さんが最晩年、文章も残っていると思いますが、「日本はもう一度戦争をして、負けなければならない」と書きました。その真意は恐らく「せっかく負けたからには、72年前に、日本人の弱点と長所は何なのか歴史的に考察して、自らを知る絶好のチャンスだった」それなのに「 そうした努力をしないまま 、ただひたすら、アメリカという勝馬に我身を預けてしまった」と。 「汝自身を知れ」とはソクラテスも重視した有名な格言で、古典時代からヨーロッパ人の根源的な問いだったのです。「己自身を知らずして、他者や状況について語るなかれ」です。日本もそれがやれたかもしれないけれど、そのせっかくのチャンスを逃がしたまま、日本はアメリカその他の外部へ適応してきた。 ホセ・オルテガの言葉「外部に適応するのをもっぱらにするのは、その文明にとって命取りになる」本当に、自分自身をなくしてしまう事です。日本人は命取りどころか、自分自身を捨ててしまうことを、戦後70年以上も続けてきました。ですから日本人はもういません。だって己を捨ててしまったから。 大東亜開戦に至る経緯を振り返って見れば、もちろんあの時の軍人も為政者も馬鹿じゃないので、アメリカと戦争始めたら、とんでもないことになると分かっていた。だから、やるか、やめるか、ぎりぎりまで迷いました。アメリカは日本に対して、強烈な経済制裁を科し、石油や資源を輸入させない。のみならず、日本の移民はカリフォルニアから排斥する。こうした政策を始めたのは1920年代ぁらです。あれは一種の宣戦布告でした。実質的に戦線布告されて、「日本は立ち上がるか」「いや大敗するからやめよう」と逡巡し、「やるか、やめるか」で悩んで、最後に。ワーっと一斉に行ったわけです。 自分達の歴史を冷静に振り返ると、世界は恐らくそれと同じ局面にある。「やるか、やめるか」なら多分やるだろう、という恐ろしい地点まで来ていることに、世界中の人々が気づいている。日本人だけが吞気に暮らしています。 そうした努力をしないまま ・・・しようとしても、冷戦のせいで日本を属国にしておきたかったアメリカが許してくれなかった。今更ながら改めて自らを知る努力をするしかなかろう。

西部邁「日本人とは、そも何ものぞ」その10 大東亜戦争

 日本という国はたまたまレイトカマー、遅れてきた帝国主義者として20世紀の世界史に登場した。帝国主義勢力としての実力は、当時、米英のアングロサクソン勢より劣る。だからといって、あの当時、逆に「分かりました。アメリカ様もイギリス様もお強うございますから、僕らは屈服します」となったかと言えば・・・白人たちがインドネシアもビルマもマレーもみんな植民地として支配している時代にあって、「満州も返します。僕らが植民地を持つのは悪い事ですから。みんな手放して日本本土だけにします」となれるはずがない。そういうことを考えて行けば、僕は、歴史というものを眺めた場合、ある是非もない、運命的なものがあったと言わざるを得ないのです。小林秀雄もそれを言いたかったんでしょう。(「頭のいい奴はたんと反省するがいい。僕は馬鹿だから反省しない」という辛辣な言葉) 戦後の価値激変への違和感については、折口信夫が興味深い指摘をしています。「朕はタラフク食っているぞ。ナンジ人民飢えて死ね。ギョメイギョジ(御名御璽)」という左翼のプラカードを、皇居前広場のデモ隊が掲げた事件がありました。1946年5月19日の食糧メーデーです。折口は、本来戦争と言うものは、自分達の生活圏につながるもの、かけがえのないものを守るためにやるものだ。ただし、実際に戦争をするとき、「さあやろうぜ」というレベルではできない。国民の心の集中が必要です。20世紀の大国同士の戦争は必然的に国民各層を巻き込んだ総力戦となるのですから、戦争目的の遂行に一体感の醸成は不可欠だと言える。そこに天皇が一つの役割を果たしたことは紛れもない事実です。天皇は本来人間ですけれど、人間である自由を抑えて現人神として振舞った。それによって国民の一体感を生み出し、大戦争をひとまず戦うことができた。・・・自分達のために戦うという本来性を忘れて、戦争中は「天皇のために戦う」といって責任を天子に持って行き、敗戦となったとたん、今度は責任を天皇に押付ける。自らの国土、生活圏を守るために戦うという意識が希薄で、きわめて依存的だと。こうしたありようが典型的に出たのが例のプラカードだと。 かくも 没主体的で依存的 だったからこそ、戦中の天皇への依存が、戦後民主主義の「空気の支配」の中で、アメリカへの依存にたやすく転化できた。責任をお上に押付けて、結局は依存的であることには...

西部邁「日本人とは、そも何ものぞ」その11 戦後

 日本の非武装・不交戦憲法は、日本側が「もう武器を待ちたくもありません。戦火を交えるのはこりごりです」と思ったのは本当だけれども、同時にある期間、マッカーサー自身がそう思っていたからできた。その意味では、ある短い期間の極東米軍と敗戦属国・日本の合作みたいなものです。ところが、すざまじい冷戦が始まっていることを、マッカーサーも遅ればせに知ることになる。朝鮮戦争が5年後に起こり、その前後になるとマッカーサーのGHQは、「あんな憲法を作ってみたけど、国際情勢は変わった。やはり日本を戦争に巻き込みたいし、再軍備させたい」となってきた。そこで、時の宰相・吉田茂に「お前の憲法なんだから、変えてもいいんだぞ」とアドバイスする。吉田茂はずるいから、それをやれば、日本中が国論を二分する争いとなり、保守と革新のケンカになる。第一、日本人は食うのに精いっぱいだから、軍備にカネを回している暇がない、と拒否して、経済優先に傾いた。 吉田は社会党に激しいデモをするよう暗に仕向ける。そうしておいて、GHQが強引なことを言ってきたら、パっとカーテンを開けて、「分かりました。だったら、我々を追い詰めて退陣させたらどうですか。窓の向こうの彼らが政権を取りますよ」と言う。 日米安保があるし、しかも憲法には戦争放棄と書いてある。もう冷戦があろうと、アジアが不安定になろうと我が国は大丈夫である、戦争反対だ、反対だ、と言っていれば関わらなくて済む、という奇妙な態度が、平然とまかり通るようになった。 田中美知太郎が皮肉なことを言っています。平和を願うのはいい。私だって平和な方がいい。だからと言って「憲法に戦争放棄と書けば、戦争をしなくて済むのなら、憲法に我々は台風を放棄します、と書けば、台風は来襲しないのか」と。 閑話休題: 西部さんも、「平和憲法は変えられませんよ」と言う。俺も同感。日本人は憲法が政治・軍事の大元だ、という風には思わないから。ただし、憲法にしろ他の法律にしろ、書いてあることにあまりこだわらないから、今の自民党みたいにじりじりと平和憲法破りを続け、既成事実化して行けば、実質上平和憲法を捨てることはできるのではないか。 田中美知太郎さんの言うことは「戦争ってこちらから突っかけるばかりじゃあないよ、向こうから攻め込まれたらどうするの?」である。これに対して上岡龍太郎は「攻め込まれて滅ぼされて...

西部邁「日本人とは、そも何ものぞ」その9 近代化

そもそもモダンを日本語で「近代」と訳したのが間違いなんです。オルテガ・イ・ガセットというスペインの哲学者が指摘しているのは、モダンの類義語として、「モデルmodel」があるということ。これは女性のモデルみたいな意味よりも、模型の意です。どんどん新しい模型を作っていくわけ。さらに類義語として「モードmode」がある。様式という意味もありますが、普通の使い方では「流行」となります。「流行」に通じるのだから、要するにモダンとは「近しい時代」の近代ではなく、「最近」みたいな意味ですよ。味も素っ気もない。カレンダーをめくればそこにある「最近」なんだと。また別の意味合いとして、モダンとは新しいモデル、模型が、先ほどいった大衆。マスmass、塊(かたまり)という大量の人々の間に流行するという時代のことです。その中で個人が一層個人化されて、よって立つところを失い不安心理が高まっていく。そういう怪しげな時代が「近代」なんだ。日本が明治維新で近代を受け入れたのは、恐らくはやむを得ない事でした。およその必然として、新しい社会に入らざるを得なかったんでしょうけれど、それを文明開化などと言って肯定的に持ち上げたわけです。戦後日本にしたって同じですよ。あの戦争に負けた理由は「日本人が近代化に後れを取っていたからだ」というのが、いまでも一応定説となっている。となると「遅れた日本なんぞは否定して、さらなる近代化へ向かわなければならない」となるわけですね。戦後民主派は一斉にそう言い放ったのです。新しい模型に次々と飛びつく。しかもそれをモード、流行にしてしまう。それを前へ前へと進めることに疑問は生じないのか?「だったら、ワシはむしろ”後れを取りたい”方だ」と言いたい。「勝手に流行に乗りなさい。ワシは降りる」と。 「ここでちょっと降りてみるか」とはやらなかった。近代化にプラスの価値を置いてひたすら突っ走ったのが、維新後、150年の日本の問題ですね。鹿鳴館から近年の構造改革までずっとですから。 閑話休題: 正しくおっしゃる通り。俺も就職以来30年間は日本の「近代化」に加担し、それから十数年間は「おかしいな?」と首を傾げつつも、近代化に邁進する会社に所属していた。明治以降、儒教も武士道もあらゆる宗教と言うか形而上の頼り・基準を失った日本人は漂泊している。それを代償に、物質的には恵まれ、戦争に巻き込まれずに済...

西部邁「日本人とは、そも何ものぞ」その8 日本人の楽観論

 日清日露の戦争に連勝したという成功体験は、奇妙な楽観論を生んだ。日本人は危機の時は自身をうまく客観的に眺めてうまく対処できるが、いざ、危機を乗り越えると、「大丈夫、これで万事うまくいく」と、楽観主義に陥るところがある。例えば「和魂洋才」という言葉がある。伝統的な日本人らしさをもとに、近代の技術を取り込み、近代的な制度なり、生活様式をうまく運営できると。しかし、伝統的な「魂」を産業社会へ統合させるというのは、近代国家の先輩格だった西欧でも成功していない。それどころか、フランス革命と産業革命から数えて100年以上やってきた欧州では、当時、「魂」と「才」の深刻な適合不全が自覚され、近代を超克するかたちとして、コミュニズムやファシズムが出てきた。近代化の大先輩でもうまくいってないのに、新参者であるにもかかわらず、「我々ならうまくいく」と根拠なき自信を持った。戦後にしてもそうでしょう。世界に冠たる平和憲法があるから、もう大丈夫だと「あとは経済重視でうまくいく。実際成功してるじゃないか。ジャパンアズナンバーワンだぜ」という戦後的思考と「和魂洋才で万事うまくいく」という発想は安易かつうかつな点で精神構造がよく似ている。 「和魂」と「洋才」が異質なものだとすれば、戦争に勝てば勝つほど、つまり「洋才」に適応すればするほど、 内なる「和魂」がそれに疼きを感じていく 。新渡戸稲造や内村鑑三などの例を見ても分かる通り、その「和魂」が救いを求めて向かって行った先がキリスト教だった。しかし、明治の中頃から、そのキリスト教にも満たされないくなっていった若い世代が、文明開化の論理から決定的に零れ落ちていくことになる。 閑話休題: 不安だらけの明治維新から50年後のシベリア出兵まで日本は戦争に勝ち続け、「和魂洋才」で坂の上に上り詰め、そこから坂の下に落ち、20数年後、戦争に負けた。 不安だらけの独立から40年後のバブル崩壊までは日本は「日本的経営」で坂の上に上り詰めた。そこから30年以上坂の下に落ち続けていまだ坂の底まで落ちたのか分からない。負けたかどうかも判然としない。敗北感と言うより絶望は強く感じる。戦争に負ける方が分かりやすい。戦争に負けるよりたちが悪い。 内なる「和魂」 はまだ健在か? 疼いて いるか?(将来に)絶望する若者はこの「疼き」を体現しているのだろう。

西部邁「日本人とは、そも何ものぞ」その7  「道」

 仏教には「往還」という発想があります。学問を究めるために高い峰に登るように学習する。しかしそこにあるのは、自問自答の、孤独な世界です。これを極めたあと、今度は衆生(しゅじょう)世界に還っていく。民衆と触れ合い、その苦しみを理解しながら、救いの道を実践する。鎌倉時代の仏教者たちがそういった往還の果てに宗教家として成熟した。これなどは、孤独な個人の思索者から他者性の獲得へという、仁斎的なドラマといえないか。 それで」思い出すのは勝海舟です。勝は言います「世間は生きている、理屈は死んでいる」と。「世間」と言うのは仁斎によれば、「もって往来するところ」です。「往来するところ」とは何かといえば、要するに「道」です。すると「道」を究めるということは、つまり人との「往来」を極めるということになる。コミュニケーションを極めるということです。こんな「道」の概念は、朱子学のような理念的な道徳観からは出て来ない。人付き合いのなかで他者感覚を養うこと、他者との適切な距離感覚のなかで礼儀作法を見につける事。それが仁斎の言う「道」、つまり本当のコミュニケーションではないか。 閑話休題: 道とは往来。なるほど。修行と言うと山にこもって一人で・・・というイメージだが、それだけでは「道」は究められない。相手がいないと道は究められない。ライバル、仲間、師、先輩後輩・・・道を究めるにも、道を究めた後も道を実践する相手が必要だ。道を究めるために道を究めるというのは間違っている、あるいは単なる自己満足。

Stan Getz "Prezervation"を聞く

 1949~1950年録音、Prestige。GetzはもちろんJimmy Raneyが素晴らしい。 1949~1950年、Miles DavisはBirth of the coolというアルバムを録音しているが、このPreservationというアルバムはGetzの考えるcoolという感じか? 第二次世界大戦が終わった、勝った、と浮かれてばBopみたいなHotで騒がしい音楽に浸ってきたが、冷戦も始まりそうだし、新しい静かでCoolな音楽を・・・ってなところか。 Stan GetzはLester Youngみたいに吹くことで、Coolを体現した。 興味深いのは、Raney作曲の "Be Still, TV"  と "Short P, Not LP"だ。まず曲名がシュールだ。最初のは「TVうるさい、静かにしろ」か?次のは全く意味不明。WikiるとLPレコードが1948年に市場に出回り始めたということは分かるが・・・曲名もさることながら、イントロでBlossaom DearieとJimmy RaneyがJackie and Royみたいな歌い方でを歌うのもおかしい。(ただし、この二人の歌も何の意味があるのかは不明) TVもアメリカでは戦後普及した。当時出て来たTVやLPやらの新しいテクノロジーに対する驚きが彼らにインスピレイションを与えたのか? 更に興味深いのは、(というか、意味不明なのは)アルバム全12曲のうち、GetzやRaneyたち作曲のオリジナル曲が7曲1949年に、Stardustといったガチガチのスタンダードが5曲1950年に録音されていること。それぞれ全く違うスタイルで演奏される。つまり、本来なら別々のアルバムすすべきところを「尺」が足りないから一緒にして1枚のアルバムにした、という疑惑が・・・。 閑話休題: Lester Youngの全盛期は彼が戦争に取られる前の1944年までだと言われる。1950年以降は録音技術も発達したが、Lesterの全盛期の演奏を1950年以降の新しい技術で録音出来たらどんな音だったんだろう、と思う。(その音とGetzの音を聞き較べたいものだ)戦争から復員して来たLesterの録音も多く残っているが、「全盛期はこんなんじゃないかった」と知っていると悔しい思いが・・・ GetzをWikiった...

西部邁「日本人とは、そも何ものぞ」その6 日本人はなぜ戦争を嫌いになったのか

 「時の流れ」を、無常のなかに、いくぶんかの諦観をもって、ありのままに受け入れる。そういった態度なり志向は、日本人に一貫している。日本列島はアジアモンスーン気候の中にある。そのため時にして台風も襲って来て、大変な災害をもたらす。営々と培ったものが。全部なくなってしまう。それから、江戸時代の江戸の町は、大体数年に一度大火があった。ここでも全てが失われる。だから江戸人は家具をあまり持たなかったという話もある。そういう世界では、やはり無常が出て来る。「悟り」のような日本的霊性は、言ってみれば、いま、目の前にある意味だけが絶対ではないとする態度、目の前にある制度に囚われず、それを相対化するための距離を自覚する姿勢としてあります。西洋ならその距離は神によって担保されていました。つまり、いま、目の前の経験的な世界から超越している神を媒介にすることで、現実から自由になれる。でも日本人の場合、超越神はいない。そこで見出されたのが、この果てしない出来事の連鎖の中で全てははかないんだという認識、盛者必滅であり、諸行無常だというその自然観だった。この、自然を媒介とすることによって、ようやく、いまこの意味から自由になることができる。これが日本人にとってどこか救いになっているところがあったのではないか。 日本人は現世の無常を言い、常なるものは何もなく、刻々と移り変わって行くという。でもいつまでたっても、移り変わっていくだけなら、もうそそろ生きるのをやめようかと思い至るかというと、そうでもない。方丈記にしても徒然草にしても「ずっと無常と付き合っていこう」と、こうなっている。まあいつかは死ぬのですが、自分から死ぬことはない。武士はあすにも死ぬけれども、無常を言う人々は武士の身を捨てていますから、なかなか死は選ばない。 無常とか諦観は、「生きる事は苦しみである」という仏教的な発想に多くを負っているにょうですが、日本人の精神性はそれだけでもない。例えば神道はどうか。例えば、イザナギ、イザナミの話で、イザナギが死んだイザナミに会いに黄泉の国に行く。そこにあったのは、ウジがたかった死体であったと。つまり、古い日本では、死、あるいは死後についての思想がなっかたのではないか。ウジがたかった死体ですから、生きるイメージしかない。これが日本の仏教伝来以前の状態だったとすると、それを受けた神道思想には「生...

西部邁「日本人とは、そも何ものぞ」その5 日本の中世の特異性

 7世紀とか19世紀に外圧が原因で日本に大きな変化が起きた。16世紀後半、戦国時代が終わったときも、鉄砲やキリスト教の伝来など外国からの影響があった。ところが、11世紀から12世紀の、平安時代の終わりから源平による武士の時代(つまり日本の中世)が始まったときには、外国からの影響はなく、武士が自身の独創的な価値観を生んだ。 武士の独創性・特異性は豊臣秀吉で頂点を極めた。外圧を受けるのではなく、逆に外国に打って出た。天皇を北京に置き、自分は寧波で東アジアの皇帝になろうとした。日本人がこんなに好戦的になり、また戦争が上手で外国に向かってアグレッシブになったことはない。

西部邁「日本人とは、そも何ものぞ」その4 はかなし

 唐木順三の言葉を借りれば、「はかなし」という言葉が、中世では「墓なし」になった。繊細な「はかない」という叙情から、戦場で死ぬ武士のドラマとして、俺達には墓がない、戦いに死んだら、遺体はそのまま野山に放っておかれるという捉え方です。この醒めた リアリズム 。 あの世があるとか、形而上に絶対の真理があるというのは嘘で、形而下しかない。肉体だけではなく、精神も含めてー精神にしたって、所詮、俺の頭蓋骨の中で起きる動きではないかという把握を踏まえてー日本人というのは、恐ろしいほどのレベルで形而下にとどまる。とどまりながら、 そこの地点で、ギリギリの極限を追究 するという、凄いところがありますね。 墓なんて要らない …日本人のリアリズム ・・・これは形而下にとどまる俺が共感するところ。救いがないネ。寂しい。一方で ギリギリの極限 で神様による救い、極楽浄土や成仏を願う多くの日本人は、ご利益を求めて南無阿弥陀仏その他の「呪文」を唱えたり、神社に参拝してご利益をお願いしたりするが、救いがない、ご利益がないとなれば他の神様にもちょっかいを出す。形而上の絶対は信じないが、形而下の救いを求め、元気を出し、自分を励ます。

近くのリサイクルショップ/古道具屋で

 近くのリサイクルショップ/古道具屋を1月か2月に1回は覗く。この店はチェーン店だが、店長が変わったのか、置く品物の選択、置き方が変わった。たくさんのモノを置いて前より狭苦しい感じ。ぶつかって壊さないよう気を付ける。中古DVD、レコード、CDなどが見やすく展示されている。ジャズのCDもあるので嬉しくなって以下を買う。・・・ルパン三世のテーマ曲のEPレコード(ドーナツ盤)もあったが、これは買わなかった。でもこれを発見してますます嬉しくなった。 ①Modern Jazz Quartet ”For Elligton” 550円 ②Dave Brubeck ”The essential Dave Brubeck" 2枚組で880円 1枚なら550円、2枚組なら880円、という中身を問わない即物的な価格設定がいかにもリサイクルショップという感じでよろしい。こういう誰でも査定が出来、値付けができるという普遍的システムを開発し、大々的に展開したのはブックオフではなかったか?だから好事家にとっては「こんな代物にこんな値段が?」とある時は大変うれしく、また、ある時は非常に悲しいことになる。俺にとっては好きなプレーヤーのCDやレコードが1枚数百円で売っていると、すでにコレクションにあるものかどうか頼りにならない記憶を頼りに「持ってない」と判断すれば”記念に”買う。この店が模様替えしてよくなったからご祝儀に、みないな気味もある。 早速聞いた。まず、この①は持っていなかった。②の一部はアルバムの性質上、数曲はコレクションとWるが想定の範囲内。 さて、①は全く駄作。買った後、中に入っているパンフレット(CDの場合、こういうのもライナーって言うのか?LPレコードの裏ジャケットに書いてある解説文をかつては”ライナー”と言っていた。)を見ると、1974年解散したMJQが1981年に再結成し、1988年録音したものだった。ドラムスのConnie Kayがダサい。往年のリズム感・茶目っ気・覇気が失われてしまっている。1927年生まれだから、録音当時、まだ耄碌するには早かったと思うんだが、往時からこんなにダサかったのか?と1964年TV局でライブをやったMJQをYouTubeで聞く(見る)。司会者の英語、観客の硬さ・お行儀の良さからアメリカではない、多分イギリスのTV局だろうと推測。白黒だ。そ...

西部邁「日本人とは、そも何ものぞ」その3 もののあはれ

 「もののあはれ」の「もの」とは、自分という一個人の力ではどうしようもないけれど、歴然とある事実。運命、人間関係の有為転変、自然のめぐり、オノレから生じるけれどオノレですらどうすることもできないもの。そんな「もの」を「あはれ」と思う。 俺は平家で、お前は源氏だとか、お前は総理大臣で、俺はどん百姓だとか、そういう一種の宿命、運命があって、もちろんそこから逃れようと努力するけれども、結局は、そういう「もの」としてあるしかなく、しかも有限の50年や70年の人生で死んで行くわけです。もし 人の寿命が1000年もあれば、「もの」は無限に変化する 、ということでおしまいになるわけですけが、現実の生は死を意識せざるを得ない、有限の時間のなかで、「もの」としてしか始まらざるを得ず、「もの」としてしか終わらざるを得ないから、運命を感じる力が生まれる。 平家物語に、平知盛の最期の有名な台詞があります。「見るべきほどのことは見つ、今はただ自害せん。」清盛の子に生まれてきてしまったら、平家の総大将になるしかない。そういう宿命を背負って、攻め寄せる源氏という現実と戦って敗れていく。その時に「見るべきものは見つ」と言った。 閑話休題: 人の寿命が1000年もあれば、「もの」は無限に変化する ・・・そうなんだ、何十年しか生きられないから「もの」を受け入れざるを得ない・・・その点みんな一緒で平等なんだ。 俺も見るべきものは見たように思う。(これ以上生きても今までより幸せな目には会わないだろう)かと言って自害するチャンスも巡ってこない。自害せずとも、残った者にいい死に様を見せるにはどうしたらいいのか?。最も迷惑を掛けずに自害する方法を見つけて実践する、というのはいい死に様かも知れない。

西部邁「日本人とは、そも何ものぞ」その2 鎌倉仏教(親鸞)

 親鸞の教えは「絶対他力」と言われるが、一切何もしないでいたら、おせっかいな阿弥陀様が救ってくれるというわけではない。「身を捨てて阿弥陀様におすがりしますから、あとはよろしくお取り計らいください」という意味を込めて「南無阿弥陀仏」と唱える必要がある。阿弥陀様に気付いてもらいさえすればあとは人間は「はからう」ことをせず、自然に身を任せれば成仏させてもらえる。 自然=自ずから然らしめる、自力を使わない 日本人においては、自分の意志や考えで何かをするのはあまりいい結果をもたらさない、とされる。自然は阿弥陀様と言われたり、神様とも言われる。自然に身を任せ「はからい」がなければ救われる。(日本人にとって自然は恵みを与えてくれるもの、身を任せるべきもの) 親鸞はルターと似ていると言われる。それまで寺と僧の力に頼り、それなりの寄進なり修行をしないと成仏できなかったのが、親鸞は寺も僧も否定し、寄進や修行は要らない、阿弥陀様に身を預け、南無阿弥陀仏と唱えれば誰でも成仏できる、とした。 ルターも、聖書に書いてあることを守り、神様に認めらるよう直接訴えろ、(ただしそれでも救われるかどうかは神様次第なのでやるべきことをしたらあとは、俎板の鯉で、救ってもらえるのを待て)と言ってカトリックの教会や神父を否定した。 閑話休題: イスラム神秘主義には大麻(ハシシ)の力でテロを行う一派がある。ハシシ(hashish)がassassin=暗殺の語源と言われる。

上岡龍太郎・立川談志の対談より

上岡龍太郎が引退する前だから1990年代末だと思うが、談志師匠とフジTVで対談していた。それをYouTubeで見た。二人は 市川歌右衛門、エルビス・プレスリー、石原裕次郎、栃錦、藤村富美男、 チャップリン、力道山、美空ひばり、ニール・セダカ、(ヒトラー、東条英機)・・・ などと自分が憧れ、愛し、影響を受けた人達の名前を上げ、こんな時代に生まれて幸せだった、と言う。 加えて、上岡は「こういう人たちはほとんどあの世に行ってしまった。この世に残った人で面白いのは談志、米朝だけ。あの世の方が面白い。」と言う。 談志は65歳になったら死ぬ準備(今で言う”終活”)を始める、と言う。肉体から(”もうやめろ”という)サインが出て来たから・・・ これに対し、龍太郎は「サインが出てから4倍はもつそうですよ」と言う。 閑話休題: ①さて、俺も、憧れ・愛した人、真似しよう、巡り合えてよかったと思う人の名前を思いつくまま列挙してみよう: チャプリン、美空ひばり、向田邦子、塩野七生、西部邁、色川武大、山本七平、山本夏彦、志ん生、コナン・ドイル、フレッド・アステア、デューク・エリントン、アール・ハインズ、ルイ・アームストロング、カウント・ベイシー、ビリー・ワイルダー、レスター・ヤング、ジョニー・ホッジス、バーニー・ビガード、チャーリー・パーカー、アート・ペッパー、バリー・ガルブレイス、ジョー・マーサラそして会社で巡り合った数少ない尊敬できる先輩後輩、最後に上さん・・・まだ死んでないのは塩野七生さん、会社の先輩後輩の一部、上さんだけか・・・ 二人とも「もう満腹」「これ以上生きてても今まで以上の幸せは感じない」と言いたかったのか? 龍太郎さんいわく「裕次郎、プレスリーなんてあんなに太る前に死ねばよかったし、自分の中では太った時には死んでた。」と また、引退したら①妻②ゴルフ③マラソン 三昧をするんだ、と。 談志師匠が龍太郎さんと、ひばりを語った別の番組で西部邁さんの言葉を紹介・・・「死んだっていい。わずかでも他人に影響を残せば・・・」また、「これから他人に影響を与えることができるのは、いい”死に様”を見せることだけだ」とも。 ②最後の龍太郎の」「4倍もつ」発言は秀逸。芸を感じる。「そんなこと言わないで」「まだお若い」などという陳腐な励ましは言わない。へそ曲がりの談志にへそ曲がりの龍太郎が贈る励ましの...

西部邁「日本人とは、そも何ものぞ」その1

西部邁「日本人とは、そも何ものぞ」(2018年飛鳥新社)に、7世紀の日本と19世紀の日本は似ているとある。以下、それに影響された俺の意見。 7世紀19世紀の日本の類似点は: ・外圧というか、進んだ外国文明にやられてしまうという恐怖があったが、この恐怖を逆手に取り、進んだ外国文明=合理主義を取り入れて真似することによって日本を守ろうとした ・進んだ外国文明に反対する保守勢力と賛成する改革派勢力に二分された ・それまで地方分権だったのが天皇を中心とする中央集権となった ・天皇には政治的実力はあまりなく、取り巻きに政治的に利用された。天皇は、一方で、進んだ外国文明=合理性からこぼれ落ちた日本人の感情・精神性の中心としても祀り上げられた 7世紀の日本: 仏教を取り入れるべきとする蘇我一族が優勢となり、天皇を殺すなど政治を私したので天皇と藤原氏が手を組み、645年蘇我氏を滅ぼした。それまでは天皇の後継指名に豪族が口を出していたが、以降、藤原氏と天皇だけで後継を決めるようになった。海外では朝鮮の新羅が唐と組んで、660年百済組を滅ぼした。逃げて来た百済の残党と日本は663年新羅・唐連合軍と戦って惨敗した。日本は百済の次は自分だと思って国防に力を入れたが、唐と新羅は仲間割れして670年に戦った。同時期、唐はチベットその他と紛争を抱え、朝鮮から手を引いた。日本は唐の律令政治を真似し、仏教による天皇中心の中央集権国家とした。7世紀に始まり、8世紀に完成した万葉集や古事記は合理的な海外文明に染まる前の日本人古来の情緒、神話が描かれている。 19世紀の日本: 政治的には尊王・佐幕、外国文明に対しては攘夷・開国と二派に分かれた。尊王攘夷派が勝て1867年、徳川幕府は滅び、それまで藩が地方自治していた政治体制が天皇中心の中央集権国家となった。佐幕派にはフランスがつき、尊皇派にはイギリスがついて外国勢が互いにけん制し合ったこともあって日本は独立を保った。尊王攘夷派の中心で明治政府を支配した薩長は明治維新前にイギリスなどと戦争し惨敗して攘夷を捨て、外国文明を取り入れることにした。1890年年施行された明治憲法が合理的に政治の仕組みを書き表したものであるのに対し、同年出された教育勅語は、自由民権思想や外国文明に反発し日本古来の徳を教育の基本にして「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以って天壌無窮の皇運を扶...

トップバリュ・グリーンビ-ンズ で買う

 上さんが、ネットだかTVだかで見たんだそうだが、オリーブオイル価格が8割値上がりするとか。1年前?、お歳暮だかお中元セールで売れ残ったサラダ油とオリーブオイルそれぞれ何本かのセット一箱を6割引きなんかで買ったからまだ残っているだろうと思っていたが、改めて在庫をチェックするとあと一瓶しかない。この1年でなんでこんなにオリーブオイルを消費したのかの詮索をしても詮無いこと。買いだめしようと、スーパーで価格調査。1年間以上オリーブオイルを買ってないが、すでに俺の知ってるオリーブオイルの値段ではない。 ということで普段使っているネット通販を2,3当たるがこれも高い。そこでMicrosoft Edgeで「オリーブオイル」と検索。するとトップバリュ・グリーンビ-ンズというネットスーパーでオリーブオイルを俺の知ってる値段に近い値段で売っている。(ただし、イオンブランド)上さんが何故かこのネットスーパーで6000円以上買うと1500円安くなるというクーポンを持っている。上さんにメンバー登録してもらって、さてオリーブオイルだけじゃあ6000円にはならないから他に何を買うのか、上さんと相談というか口論しながら選ぶ。 結局、オリーブオイル3本、それからこれも値上げのうわさがあるトイレットペーパー、更にイオン製品を買ったことがあるとろけるチーズ、栄養ドリンクを買い物かごに入れる。これだと6000円をはるかにオーバーするので栄養ドリンクをやめてトマト缶にする。これで6000円ギリオーバーになる。トイレットペーパーなんか、2×12ロール=24ロールだ。とても自分じゃあ持って帰ってこれない。まあ、いい買い物ということにしよう。 閑話休題: このネットスーパー、何故か、まず配達日時を決めないと買い物に進めない。ネットスーパーというものが初めてなのでよくわからないが、何故だろうか???普通のネット通販みたいに、買い物に進んで決裁の時に売り手の都合の良い配送スケジュールが表示され、それでよければそれでよし、不都合なら変更ではまずいのか?

天使の耳~交通警察の夜(NHKドラマ)を見る

 東野圭吾の原作をNHKがドラマ化。面白かった。 ①念願の交通課に配属されてはりきっている若い警官(小芝風花)とその指導員のベテラン警官(安田顕)の組み合わせが絶妙。 ②やはり原作のストーリ―が素晴らしい。 ストーリーは: ある晩交差点で衝突事故が起こる。片や盲の妹を乗せた兄が運転する軽自動車。片や女連れの金持ちのボンボンが運転する外車。ボンボンも女も軽症で「自分たちは信号を守っていた、軽自動車が信号無視で突っ込んで来た」と言い張る。一方、軽自動車の方の兄は死ぬ。奇跡的にケガ一つしなかった妹の方は「お兄ちゃんは信号無視なんてする人じゃあない。あの時も、『青だ、行こう』と言って交差点に入ったら事故に会った」と言うが盲の妹の証言は弱い。若い警官は金持ちのボンボンが嘘をついている、と決めつけ、目撃者を探す。また、妹から「お兄ちゃんが『青だ』と言ったのはラジオでユーミンの歌がかかって、その歌の○○という歌詞の時だった」という証言も得る。 一生懸命目撃者を探して歩き回る若い警官を見かねて、先輩警官が美人の盲の妹の写真をSNSにアップしてを目撃者を募集する。すると妹に会わせてもらえるかも知れないと誤解したオタク男が現れる。 オタク男は事故直後現場に行って動画を取っていたのだ。その動画に、信号が映っており、合せて時刻も秒単位で映像に残っていた。信号の赤青黄はあらかじめ決められた時刻に秒単位で合わせて変わるようにセットされているので、事故が起こった時刻に信号がどうだったのか分かることに気づく・・・調べた結果、ラジオでユーミンの歌の歌詞が何時何分何秒に〇〇となるかが分り、その時お兄ちゃんの言う通り青信号だったことも分る。 喜ぶ若い警官だが、さて、盲の妹の証言が信じられるのか?そこで上司の提案で妹を署に呼び、所長以下がそろう前で妹の聴力、判断力その他をテストして合格なら妹の証言を信じようということに。 ドラマはその警察署で行われるテストの日に妹が署に現れ、若い警官と再会するところで終わる。もちろん、妹の証言が証拠に採用され、金持ちのボンボンは交通事故で人を殺したい上に嘘までついた、ということになるだろう・・・ 閑話休題: 事故の撮影がどこで行われたのかGoogleストリートビューを駆使して静岡県御殿場市の某所と突き止めた人がいる。この人、映像に映った店舗の看板に書かれた眼鏡屋と...

上さんの指が・・・

 上さんのスマホを機種変した。新しいスマホで写真が取れないトラブルが。上さんがシャッターを切ろうとするが切れない。どれどれ、と俺がやれば切れる。上さんの指が触ってもスマホのシャッターが切れないのだ。 さて、原因は何か?何故タッチパネルを触ると操作ができるのか?ネットで調べてみると: 多くのスマホで使われているのが、静電容量方式。こちらは 「電気」に反応するタッチパネル 。簡単に言うと、スマホの画面が静電気で覆われており、指でタッチすることでセンサーでタッチ場所を読み取っているのです。画面に触れるというよりも、画面を覆っている静電気に触れているというしくみ・・・ だそうだ。 原因は:手が乾燥している、画面が汚れている、保護シートが膨らんでる、アプリで負荷かけすぎてる・・・手を濡らしたがダメ、新品だから画面は綺麗だし保護シートもOK、スマホのメモリーが大きくなったからアプリの負荷もOKだろう・・・「それでもだめなら再起動」とあるから、再起動。なんと上さんがシャッターを切れた。 やっぱり指が乾いてるのかなあ・・・それにしても「再起動、ヤバイねー!!!」

静岡県知事辞職(ホントか?)

 川勝知事が新入職員に対する訓辞でお百姓さんたちを馬鹿にする発言をしたとかで6月に辞職する由。何故辞職するのか、なぜ今じゃあないのか理由はわからない。今までも給料返上と言ってしてなかったなど、嘘をついているから本当に6月に辞職するかも分からない。 かねがね、リニアに対する妨害・意地悪はする、嘘をつく、御殿場を馬鹿にした「こしひかり発言」をするなど、よく言って心の病、虚言癖、悪く言えば気違いではないか?と思って来た。そんな知事をどうして再選させるのか?4回も選ぶ静岡県民は大馬鹿だ、と思っていた。 知事の辞職の意向公表を受けてNHKで静岡県民にインタビューしていたが、呆れた。本当に静岡県民は大馬鹿だ。インタビューされて誰も「あんな知事を再選させて恥ずかしい」とは言わない。まず、知事を情けなくも再選させた点を恥じる旨の発言をすべきだろう。民主主義の根幹をなす「馬鹿・気違いを当選させない」という基本動作ができないくせに「いつかこんなことになると思っていた」「上から目線だから・・・」などと言う。(それともNHKが「恥ずかしい発言」をカットしたのかも。そうならNHKが大馬鹿で民主主義の本質を理解した報道はできない) 先の大戦で負けた時も日本人はよくて「天皇陛下に済まない」悪ければ「自分は被害者だった」と言った。開戦の時は気持ちがすっとすると喜んでいたんだから、自分達で始めた戦争だ。軍隊に日本を乗っ取らせたのも自分達だ。 要は、日本国民は自分で自国を治めているという意識がないということだ。つまり、日本国民には主権はない。だから民主主義もない・・・俺はそれでいいと思う。問題なのは日本に存在しない民主主義を、あたかも存在するかのように言うバカな人(川勝知事のような嘘つき)がいる、ということだ。それだけならまだ許すが民主主義が大切だなどと、先の大戦で負けた直後の非現実的理想主義を振りかざすことだ。日本人には民主主義なんて向いてないから独裁なのか権威主義なのか、日本人向きの政治を開発すべきだ・・・ 閑話休題: 「きちがい」と入れると「基地外」と出る。

男女の賃金格差はなぜ生まれる 高評価の「ホットジョブ」男性に偏り(朝日新聞デジタル)

以下朝日新聞デジタルより抜粋:   先進国の中でも大きい日本の男女の賃金格差について、朝日新聞が産業ごとに年代別の賃金格差を分析したところ、女性の年収は20代後半から50代まで、正社員に限ってもすべての産業で男性を下回った。産業別では金融・保険業界で最も大きな格差があった。企業の女性登用に詳しい三菱UFJリサーチ&コンサルティングの矢島洋子主席研究員に、格差が生まれる背景について聞いた。 「女性管理職の割合でみれば、金融業界は近年、積極的に女性管理職を増やしていて、製造業などほかの産業に比較して女性管理職比率は高い。正社員にもともと女性が多いから、それができています。それなのに賃金格差では、他産業よりも大きな差があります」 女性管理職比率はそこそこ高い金融業界、賃金格差が大きい理由  「なぜかというと、金融業は、男性が多い『総合職』と、ほぼ女性のみの『一般職』といったコース別雇用管理をしてきたことが背景にあります。職域が限られ、相対的に賃金が低い一般職を廃止する企業も増えていますが、転勤の有無によるコースの違いや、男性は法人営業・女性は個人営業といった性別による仕事の領域の違いが色濃く残っており、それが賃金の格差につながっています」 高い評価につながる「ホットジョブ」の機会、男性に多く  「もう一つ、最近問題になっているのが、高い評価がつくような仕事のチャンスを女性は与えられていないということです。こうした仕事は欧米では『ホットジョブ』とも呼ばれます。男性の場合は 先輩から『出世したいなら若いうちにあそこの部署に行った方がよい』とか『この仕事を経験しておけ』といったアドバイス を受ける機会がありますが、女性にはそうした機会がなく、ホットジョブがあることにすら気づかない」  「少し古いですが、金融業界で2011年に取ったデータがあります。例えば入社10年目の配置で、 法人営業 に男性は5割がついているけれど女性は3%だった。こうやって新人時点と10年目ぐらいの配置を男女で調べていくと、色々な業界にこうした傾向があると思います。これらをきちんと数値化し、年代ごとの男女の平均賃金の差異や職域、働き方の違いなどによる差異と突き合わせて見ていくと、問題のありかがわかる。20代のわずかな差を見過ごすと、30代、40代でもう追いつけない差になっていくので、そこを見過ごすな...

Tea for two cha cha

 美空ひばりのTea for twoチャチャチャバージョンを聞いてこれがオリジナルのアレンジなのか気になって調べたら、Tommy Doseyオーケストラが1958年にTea for two cha chaという曲をレコーディングしていたことが判明。 (Tommy Dorsey自身は1956年に死んだが、楽団の名前だけが残った形。これも聞いたが、大して面白くない。やはりTommy Dosey楽団の全盛期は   Bunny Beriganがいた1936~1937年だろう。) Tea for twoをチャチャチャで、というアイデアは美空ひばりの1984年の歌が最初ではなかった。でも上記Tommy Doseyオーケストラのは歌なしだ。ボーカルアレンジは美空ひばりオリジナルかも。 Tea for twを練習しようとしてYouTubeを見たら、この美空ひばりと郷ひろみの歌を聞いて(見て)感動し、何回見ても体が震えると、大絶賛しているブロガーがいた。俺も全く同感。世の中には同じようなヤツがいる。チャチャチャのリズムに乗ってひばりが腰を振るのがとっても可愛い。 閑話休題: リーダーの名前を冠した楽団の名前はリーダーが死んでも残る。アメリカでもこれはよく行われるようだ。Glenn Miller楽団もリーダーの死後、バンドの名前が継承された。Duke Ellington,Count Basieも同様だ。日本だと、個人の芸名が継承される。この場合、芸名は「家」と同様に扱われる。○○家という家の名前同様、芸名も引き継がれる。面白いことに、落語家だと○○亭とか△家といった、家を連想させる名前で芸名が始まるし、歌舞伎俳優も「○○屋」と、家を連想させる別名で呼ばれる。

Tea for twを聞き較べる

 Doris DayのTea for twoを聞きたくなってYouTubeで聞く。本当にYouTubeって有難い。江利チエミのTea for twoあり、Ella FitgeraldがCout Basieの伴奏で歌うのあり・・・びっくりしたのは郷ひろみと美空ひばりの共演。どこかのTV局の映像らしい。昭和59年7月29日の放送と出る。昭和59年と言うと、郷ひろみ29歳、ひばり47歳。まず、この二人の共演動画がが残ってることに驚くが、ひろみの格好の良さにも驚く。タキシードを着て蝶ネクタイ締めて。若くて格好いいひろみと共演して嬉しかったのか、ひばりも絶好調っていう感じ。後述のように、母親を失って元気のなくなったひばりが昭和60年に重病になる前に輝いた一瞬だったかもしれない。このタイミングでこの二人を共演させたプロデューサーも偉い。 まず、ひろみがピアノの伴奏でスローテンポで歌い出す。バラード調。悪くない。これがひと段落すると、一転、チャチャチャのリズムに切り替わってフルバンドの伴奏でひばりの歌が始まる。最後は二人で歌うんだが、それまでのひばりのソロが素晴らしい。歌い始めからノリ、グルーブ感が凄い。この、バラードから入っていきなりチャチャチャに変わるアレンジは誰のアイデアか?誰かがこんな歌い方をしたのをモデルにしたのか?貫禄も可愛らしさも、低音も高音も、ひばりの色んな魅力が現れる。感心するのは英語の発音だ。決して日本語っぽっくない。英語指導者がいたのか?それとも天才と言われた耳の良さゆえか?初めて気づいたが、ひろみの声とひばりの声は似ていてよく合う。 Wikiるとひばりは昭和56年に母親を亡くし、それから続けざまに家族、親友を亡くし、酒とたばこに溺れたと。そして昭和60年にゴルフプレー中に腰をひねり、それから平成元年に死ぬまで病気がちだったと。 我が島津亜矢にこの動画を見てもらい、郷ひろみと共演させたらどうなるか?見てみたい。

愛子さまの神武天皇陵参拝

 愛子さまは、伊勢神宮で卒業や就職について報告し、奈良県にある神武天皇陵も参拝されたようだ。さて、神武天皇は実在していない、ということは半ば常識であると思われるが、その架空の先祖の墓に参拝って、何だろう? キリストの墓は、キリストの実在を信じているキリスト教徒なら参拝してもいいだろう。愛子様にかぎらず、天皇一族(皇族)の皆さんは、神武天皇の実在を信じているのか?そうじゃあないと、天皇家の正統性に傷がつくのか? 初代と言われる天皇が、よく言えば神話上の架空の人、悪く言えばありもしない偽物、では確かに「日本国の象徴」とは言い難い感じがする。 どの天皇から実在するのか?判然としない。エビデンスって奴がない。エビデンスって言ったってなんてことはない、文字記録のこと。(仮に文字記録があったってそれが本当のことかは分からないのだが、日本の場合はそれすらないから、もっともらしいことが全然言えないということ)逆に言えば、「文字(などという下世話なもの)が使われるようになるずっと前から天皇家は始まっていた、それくらい昔から天皇家はあるんだ。」という事。(それを信じるか?いう事。) 俺は愛子様に免じて、「実在が確認できないくらい昔から天皇家は始まってる」でいいように思う。天皇家の人々って「それってウソじゃん」と言わせない品格、オーラ、威厳、神性・・・があるから天皇家だ、と思う。 次の天皇は秋篠宮家から、と決まっているようだが、この点で、秋篠宮家で大丈夫か?品格、オーラ、威厳、神性・・・なんてものを否定(少なくとも軽視)する皆さんではないか?この点に限れば愛子様を天皇に、と願う。 愛子様はどうお考えか????「私の方が・・・」なんて思うか?思わないから天皇にふさわしい、とも言えるが・・・。先祖の天皇達には跡継ぎを巡って殺し合いをした方々もいた、と、これは文字記録にも残っているようだが・・・ 閑話休題: 愛子様が赤十字に就職したのは名誉総裁である母親・雅子皇后のコネではないか?親のコネで就職・・・これは国民・臣民が見習うべき美しい慣習か?それともご皇族の皆さまだけに許された特別な慣習の一つで卑しい国民・臣民は見習ってはいけないことか?