西部邁「日本人とは、そも何ものぞ」その10 大東亜戦争
日本という国はたまたまレイトカマー、遅れてきた帝国主義者として20世紀の世界史に登場した。帝国主義勢力としての実力は、当時、米英のアングロサクソン勢より劣る。だからといって、あの当時、逆に「分かりました。アメリカ様もイギリス様もお強うございますから、僕らは屈服します」となったかと言えば・・・白人たちがインドネシアもビルマもマレーもみんな植民地として支配している時代にあって、「満州も返します。僕らが植民地を持つのは悪い事ですから。みんな手放して日本本土だけにします」となれるはずがない。そういうことを考えて行けば、僕は、歴史というものを眺めた場合、ある是非もない、運命的なものがあったと言わざるを得ないのです。小林秀雄もそれを言いたかったんでしょう。(「頭のいい奴はたんと反省するがいい。僕は馬鹿だから反省しない」という辛辣な言葉)
戦後の価値激変への違和感については、折口信夫が興味深い指摘をしています。「朕はタラフク食っているぞ。ナンジ人民飢えて死ね。ギョメイギョジ(御名御璽)」という左翼のプラカードを、皇居前広場のデモ隊が掲げた事件がありました。1946年5月19日の食糧メーデーです。折口は、本来戦争と言うものは、自分達の生活圏につながるもの、かけがえのないものを守るためにやるものだ。ただし、実際に戦争をするとき、「さあやろうぜ」というレベルではできない。国民の心の集中が必要です。20世紀の大国同士の戦争は必然的に国民各層を巻き込んだ総力戦となるのですから、戦争目的の遂行に一体感の醸成は不可欠だと言える。そこに天皇が一つの役割を果たしたことは紛れもない事実です。天皇は本来人間ですけれど、人間である自由を抑えて現人神として振舞った。それによって国民の一体感を生み出し、大戦争をひとまず戦うことができた。・・・自分達のために戦うという本来性を忘れて、戦争中は「天皇のために戦う」といって責任を天子に持って行き、敗戦となったとたん、今度は責任を天皇に押付ける。自らの国土、生活圏を守るために戦うという意識が希薄で、きわめて依存的だと。こうしたありようが典型的に出たのが例のプラカードだと。
かくも没主体的で依存的だったからこそ、戦中の天皇への依存が、戦後民主主義の「空気の支配」の中で、アメリカへの依存にたやすく転化できた。責任をお上に押付けて、結局は依存的であることには変わらない。水俣病は、一企業が地域に被害を与えたものだが、なぜ国が被告になるのか?もし国が問題だというなら、国は企業の活動や地域の状況に細かく関与して、絶えず管理しないといけなくなる。そちらの方は反対で、何かあったら「お上が悪い」となる。何かあったら政治が悪い、国が悪いと言えばいい。
大東亜開戦で、とうとう日本が決起して、自分達よりはるかに強いアングロサクソン、欧米に対して攻撃を仕掛けた、その時、本当に感動して震えて来た、気分がスッキリしたという心情は多くの国民の間に共通したものではなかったか。これで攘夷が果たせた、という考え方もあった。軍部にもっとやれ、戦争しろ、と煽ったのは、民衆の気分であり、それを後押ししたのが当時のマスメディアだった。新聞が煽ったんです。軍隊なんてかわいそうなものですよ。国民が「空気の支配」で、もっとやれと言う。それを反映して軍隊の中でも、国民の気分を受けて過激化する分子が出て来る。そこまで行ったらやらざるを得ないのです。そうしておいて、後になって軍が悪かった、とこうなる。
没主体的で依存的・・・民主主義も無理だろう。
国とは何か?国防・食料・エネルギー、情報などのセキュリティ、所得の再分配(税制)だ。「何かあったら国が悪い」は国を神様と思っているのだ。
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