「戦後の正体」第3回”「九条」と「平和」をめぐって” に以下(抜粋) そもそも、GHQはなぜこのような態度で憲法草案の受け入れを迫ったのだろうか。じつのところ、マッカーサーは早くより天皇制を存続させ、みずからの占領統治に活用する方針を固めていた。 少数の支配者で多数の被支配者を統治する場合、力による一方的な抑圧では反発を招いてうまくいかない。米国の植民地だったフィリピンでの勤務が長かったマッカーサーも、現地の制度や文化を利用すべきだという点をよく理解していた。 ただし、「青い目の大君」と呼ばれたマッカーサーも、現実には自由に振る舞えたわけではない。マッカーサーは米軍人なので米本国からの指示は無視できず、また連合国軍の最高司令官として赴任している以上、英国やソ連などの意向にも配慮しなければならなかった。 とりわけ同年2月後半に初会合を控えていた極東委員会の動向が重くのしかかっていた。極東委員会は連合国の日本占領政策決定機関であり、そこで天皇制の廃止が決定されれば、マッカーサーもそれに従わざるをえなかった。 この極東委員会の介入を避けるためには、新憲法の草案を急いで整え、 日本がすでに民主化を進め、軍国主義と決別していることを示す 必要があった。そうすれば、天皇制の存続も既成事実化してしまうことができる。 しかるに、日本側の憲法草案はあまりに保守色が強かった。その試案の一部が「毎日新聞」によって報道されると、マッカーサーは2月3日、腹心のホイットニーに新たな憲法草案の作成を命じた。このとき指針となったのが、いわゆる「マッカーサー三原則」、すなわち(1)天皇制は維持するが、国民主権に基づくこと、(2)戦争の放棄、(3)封建制の廃止だった。こうして、わずか9日間でGHQ草案がまとめられた。 以上の経緯を踏まえると、ホイットニーの「脅迫」とされることばも「天皇を守るためのものなのだから受け入れよ」という意味合いを帯びていたと理解できる。 やがて日本側もマッカーサーの意図を読み取った。日本のエリート層にとって最優先すべきは、国体の護持=天皇制の存続だった。終戦交渉でも最大の争点はそこにあった。そのため、天皇制が保たれるのであれば、一定の譲歩は現実的な選択となる。こうして、のちの九条にあたる内容はさしたる抵抗もなく受け入れられ、日本政府の「憲法改正草案要綱...