高松宮日記 第八巻(昭和20年)
高松宮日記 第八巻は、昭和20年以降のもの。 なお、日記に登場する、朝鮮の李王家の 李垠・方子夫妻 は戦時中日本にいた。Wikiると、二人は戦後(韓国独立後)、韓国への帰国を望んだが、反日的な李承晩大統領は親日的な 李垠・方子夫妻の帰国を認めず、韓国に残していた財産も没収された。1963年に朴正熙が大統領になって帰国した。東京の邸宅は赤坂プリンスホテルになったのだが、邸宅を買い取った国土計画興行(堤康次郎)は、他にも戦後経済的に困った皇族の不動産を買い取ってはプリンスホテルを作った。 国土計画興行は、堤康次郎と妾?の間にできた息子、堤義明が証券取引法違反で2005年に逮捕されるまで存続した。妾がいるような”甲斐性のある”男達が戦後のどさくさにGHQや軍や復員兵や皇族を取り込んで新たな政治やビジネスを作った。堤康次郎が衆院議長になったように、政治とビジネスは表裏だった。この裏表関係は洗練され、外から見て分かりにくくなり、2代目の時、バブルが弾けるまで続いた。息の長いものでは、岸信介から孫の安倍晋三に引き継がれたように、3代目に 引き継がれ、21世紀まで続くこともあった。 昭和20年1月19日 海軍軍令部総長が天皇に状況判断を上奏。天皇から「計画は立てるが、従来実行が伴わない」と皮肉?を言われる。 2月1日 陸軍の徒らなる「サーベル」振り回しと、軍政・戒厳の発令を警戒の要切なり。何とかもっと陸軍が作戦に熱中して、行政を手に入れたらよくなるという妄想を止め、戦争をよりよくやりとげたいものだ。 4月5日天皇と口論? 「官吏が高級飲食店閉鎖後も酒や魚を手に入れて飲んだりするのは責任を感じぬことである」と言えば、そんな小さことはどうでもうよい、要するに戦争がうまくいかぬ、国際関係がよくいかぬ、内政上も面白くないことがある、と漠としたこと、そして今後戦局がよくなるようにいうだけでよいと。「 神様 にはそれでよいでしょうが、私には飲み込めぬ」といえば、それ以上は考えが違えば辞めてもらうより仕方なしと。 >>高松宮は天皇が一人でなんでもかんでも抱え込んでしまう、と批判した。また、神頼み、精神論では勝てない、とも。 7月3日 特攻兵器に技術院として乗り出す様な話があったから、それはよいが、人が乗って行くから安物の兵器でよいというような考えがあるようだが、全く技術者としてはけ...