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本郷和人「天皇はなぜ万世一系なのか」より 平和の代償

 本郷和人「天皇はなぜ万世一系なのか」より 以下: 平和を維持する代償として、身分的な拘束を天与のものとして受け入れなくてはならなかった時代。武士・農民・職人・商人の別に拘わらず、社会全体が世襲に疑問を持つことを許されなかった時代。それが江戸時代ということになりましょう。 >>これって日本人向きではないか?自由・平等・民主主義より、身分の固定に基づく安定の方が日本人に向いていないか?法治を実現するには、暴力による強制力が必須。法治より徳治・徳政の方が日本人向きではないか? 

本郷和人「天皇はなぜ生き残ったか」②

 本郷によると、「徳」とは、鎌倉時代「元に戻す」という意味を含んでいたという。 徳政とは、後世、「借金の棒引き」つまり、借金がなかったことにするの意にも使われた。 乱暴な武士の暴力でひどい目に遭って恨みを残して天皇が死ぬと、「徳」という字を入れた名前を贈った。(つまり、恨みのない昔に戻れれば・・・という含意) 中国では徳治と言う。これは「為政者に徳があれば、下々のものはおのずと為政者の特に感化されて犯罪など起こらない」の意。この徳治に対比されるのが法治で、「法を定めれば、民は礼に従わず法を拠り所とし、為政者を畏れなくなる。法文の解釈を巡って様々な説が生まれ、それを利用しての犯罪が起きる。これでは国は治まらない。亡国の際には法が多くなる。」と批判された。 >>コンプライアンスなんて言うのは亡国が近いからに違いない。徳治・徳政の方が日本人向きだと思うが・・・

安倍さん銃撃犯への判決について江川紹子さんが語る

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朝日に なぜ安倍氏か未解明、「迷い」ない判決、弁護側が不十分 3者の見方 と題して  結論は、検察側の求刑通り「無期懲役」だった。安倍晋三元首相銃撃事件で殺人罪などに問われた山上徹也被告(45)に奈良地裁が言い渡した判決を、識者はどう受け止めたか。と前置きして  江川紹子さんが以下:    あまりに「迷い」のない判決だ。結論に驚きはなく、犯行自体も確かに強い非難をすべきだ。しかし、その判断に至る中で、一番大事な部分が漏れていないか。  判決は「合法的な解決を模索することなく、反社会性の大きい殺人を選択した」「その点に生い立ちが大きな影響を及ぼしたとは認められない」などとする。  しかし「模索」とは、どうすればよかったのか。何ができたのか。  当時、政治権力と旧統一教会は密着していた。宗教2世の窮状に社会やメディアの目も向いていなかった。被告の孤独と絶望感が遠景に追いやられている。  模索などせず、狭い視野のまま、決めたことに突き進んでしまう姿は、生い立ちと関係があるように思う。オウム真理教の事件でもみられた、カルト宗教的な思考パターンだ。被告は信者ではないが、証人の宗教社会学者の指摘通り、信者の母の影響ではないか。  なぜ安倍氏の殺害に至ったのか。被告自身が整理できておらず、なんとか整理をして他人にわかってもらおうという気力も感じられない。生きる希望を失い、教団に「一矢報いる」目的をある程度達した以上、どうでもいいのかもしれない。  こうした被告の心理状態について、専門家を証人に呼ぶなどして、審理を尽くしてほしかった。公判前に、弁護側の情状鑑定の請求が地裁に退けられたというが、するべきだった。  絶望と孤独が、どんなふうに人間を偏らせ、狭い視野に陥らせるのか。そうした観点がないと、くみ取るべき教訓も十分得られないのではないか。 >> なぜ安倍氏の殺害に至ったのか。被告自身が整理できておらず、なんとか整理をして他人にわかってもらおうという気力も感じられない。生きる希望を失い、教団に「一矢報いる」目的をある程度達した以上、どうでもいいのかもしれない。 俺は山上君の気持ちは理解できる。やけのやんぱちの自暴自棄のテロだったから、どうでもいい、自分でもわからない、じゃあないのかね?江川さんだって、自暴自棄になって説明のつかないこともするでしょう。江川さんに限らず、裁判...

本郷和人「天皇はなぜ生き残ったか」

 本郷和人「天皇はなぜ生き残ったか」(2009年)を読む。 この時、本郷和人、50歳前。ここ数年TVなどで見かける本郷と違ってまだ「とんがって」いた。ともかく、他の歴史研究者をめった切りに非難・否定する。これから、本郷は様々な経験・軋轢を経て「大人」になり、丸くなってしまった。しゃしゃり出て天皇を語るなんてことを自粛するようになってしまった。天皇そのものについて語らなくていいから、天皇について考えるにはどういう手順、学びが必要か?を語って欲しい。特に彼が忌み嫌う「皇国史観」に至らないためにどうしたらいいのか?語ってもらいたい。 さて、11世紀ころから頻発した「強訴」(僧兵などによる朝廷や幕府に対するデモ)について以下: 強訴は理不尽であり、理を尽くさない。道理に則るか道理に悖るかは、初めから問題ではない。人智を超えた神仏の意向に従うのだから、たかだか人間が定める理か非かの判断に拘泥しなくても構わない。この論理の元に自らの行いを正当化し、顧みて恥じない。 ・・・これって反理知だ。トランプは、本来は政府に異議申し立てすべき反体制派が大統領になって、「強訴」してるってこと。確かに革命的だ。ただし、トランプは「顧みる」こともせず恥じない。 Wikipedia「強訴」に以下: 強訴の理由は寺社の 荘園 を 国司 が侵害したり、競合する寺社が今までより優遇措置を得ることなどである。朝廷は強訴を押さえるため、 武士 の武力を重用した。これにより、武士が中央政界での発言権を徐々に持つようになる。これ以降の日本では朝廷、 武家 、寺社勢力が権力を三分することになる。・・・「俺たちが割を食ってる」という不満を糧にする。これもトランプと同じ。さて、トランプに対抗するのは社会主義だって?民主主義のあとに来るのはトランプ流強権・独裁政治か、社会主義か?アメリカの大きな曲がり角だ。これを見届けることを人生最後の目的、愉しみにしよう。

「ガルシア・ガルシア 日本を行く」を見る

  「ガルシア・ガルシア 日本を行く」(2025年2月15日OA)の再放送を見る。NHK、BSの「街角ピアノ」のスピンアウト企画で、マルティン・ガルシア・ガルシアが日本の様々な地方を巡り、街角ピアノを弾くという番組。俺は全く知らなかったが、ガルシア・ガルシアは、世界的に有名なクラシックピアニストらしい。(Wikiったら奥さんが日本人)たまたま途中から見たのだが、国立駅の古い駅舎が壊されずに保存されていて、その中にピアノがある。そこにJAか、信金の職員みいな、背広を着てネクタイをした60歳くらいのおじさんが現れて「ミスティ」を弾いたのに驚いた。もっと驚いたのはその演奏が実によかったことだ。(ピアノは独学で学んだという)これを聞いたガルシアも驚いて連弾を申し入れた。更に驚いたことに、このおじさん、連弾の曲に「トルコ行進曲」を指定して見事に連弾したことだ。彼のジャンルにこだわらないレパートリーの広さにびっくり。 閑話休題: ガルシア・ガルシアは、名前からも顔つきからもスペイン人だと思った。彼は日本語は片言で、大事なことは英語でしゃべる。スペイン訛りの英語は聞いてて分かりやすい。日本語同様、子音で終わる言葉がない(少ない?)からだろう。

嗚呼、ジェンダー!

朝日に 体育で「男女一緒に着替え」なぜいまだに? 保護者の声で改善の例も と題して以下:    小学校のプール授業などの体育授業で、男女で着替えるスペースを分けていない学校が多数あることが、朝日新聞の調査で判明した。国は配慮を求めるが、なぜいまだに、男女一緒に着替えをせざるをえないのか。  (略) 埼玉大の田代美江子教授(ジェンダー教育学)は、「男女で分けることだけに着目すると、そこから性別違和の子や、女子同士、男子同士でも一緒に着替えたくない子どもがとりこぼされてしまう」と指摘する。「自分の体を大切に思い、不快なことを訴える権利や、一人一人のプライベートな空間が大切にされなければいけない」 >> 俺は、男女同じ部屋で着替えさせるのは、ジェンダー教育者の「男女差はない」という屁理屈からだ、と考えて来た。それはともかく、上述の教授の言いたいことは理解できない。もっと正確に言えば、こんなことで大学教授のご意見を聞きに行き、それを記事にする朝日の神経がわからない。どうして「俺はこう思う」と言わぬか? たかが水着に着替えるくらいのことで大騒ぎだね。子供に そんな気を使う必要があるんだろうか? 不快なことを訴える権利って何?我慢するな、ということ?「不快だ」、と感じればどんどん訴える”権利”がある、ということ???これ、ハラスメントと同じで「不快だ、と感じたもん勝ち」だ。 一人一人のプライベートな空間って何?水着に着替えるという状況下で具体的に何なんだろうか?何秒だか、何十秒の話だぜ。

トウモロコシは、今が旬だって?!

 テレ朝で昼間、ダイゴの料理番組をやっている。この番組で「トウモロコシは、今が旬」という。びっくり。今日は七夕だぜ。俺の感覚ではトウモロコシを食い始めるのは夏休みに入ってからで、本格的に食うのは8月に入ってからだ。一月くらい”旬”の時期が早まっている。温暖化のせいか?加えて品種改良だか育て方も変わっているのか? さまざまなものが時期を問わず出回るようになる。これでもまだ「旬」という言葉を使う意味があるんだろうか?