著者の小木さんは、明治22年頃を境に江戸が東京に代わった、江戸から東京に変わるまでは「東京」ではなく、「 東亰」と呼びたい、と言う。ちなみに、明治22年(1889年)の出来事: 天皇、赤坂離宮より皇居に引っ越し 大日本帝国憲法発布 東京市特別市制施行 木挽町に歌舞伎座開場 ※日本最初の経済恐慌始まる だそうだ。以下、本書より抜粋: (前略)船遊びや釣魚が楽しめる水の都、 東亰は、同時に品川沖から洲崎にかけての、いわゆる江戸前の鮮魚を賞味したり、佃島の白魚に舌鼓を打つ、ゆとりの町であった。そのゆとりは、経済的ゆとりというより、心のゆとりであった。だが一方で、そのゆとりのなかに明日の暮らしの見通しよりも、その日の楽しさを満喫するような刹那的な心情を多分に内包していたことも忘れるわけにはゆくまい。 東亰住民の多くは袖触れあって生活せざるを得ない低所得者層の多かった事実も注意していいことである。それゆえに、彼らは何よりもまず、”世間様”を生活の規範として生きる人々であった。しかし、常に他者を意識する生活規範を信条としながらも、臆病な人間の集団でもなければ、ねたみやそねみをもった集団でもなかった。むしろ都市民として必要な社会的マナーを、殊更に自覚することなく生きていたのである。従って、それは個性を殺して共同体に奉仕するような、”世間様”ではなかった。むしろ気ままに生きながら、道義に外れたことだけは、という律儀な一面があったのである。それでいながら、”いき”や”つう”を気取る江戸ッ子肌の、つやがあって清潔な精神に生きることを誇りにしていたのである。 >>この本、山本夏彦さん好み。古い資料・史料を見つけては丁寧に読み込んで、「 東亰」の食べ物や演芸その他、様々なモノの値段や関係する人・モノの数を羅列し、 東亰を彷彿させる。上述に描写された 東亰は、 落語をはぐくんだ世間だ。ただし、落語では道義はしばしば無視され、臆病やねたみやそねみ満載の人物が登場するが。 閑話休題: 1889年生まれの有名人は、石原莞爾だ。翌1890年生まれに古今亭志ん生。