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坪内祐三「一九七二」を読む

2000年から「諸君!」に連載され、 2003年に単行本化された坪内祐三「一九七二」を読む。1972年は俺にとって、受験勉強が終わり親元を離れ東京に出てきて一人暮らしを始めた年。解放感で一杯の記念すべき年だった。それが今振り返ったらどんなことがあった年で、何が終わり、何が始まった年なのか?また1971年や1973年とはどこが違うのか?知りたかったし、自分にとってどんな年だったのか?などということを書き残しておきたいという欲求は前からあった。でも、なにをどう書き出し、どう納めるか?全くアイデアがまとまらない。大体何があったのかすら記憶が定かでない。 1972年で俺がはっきり覚えていることは: ①大学の受験の直前にあさま山荘事件というのがあった。詳しくは知らないし、受験に忙しくて知ろうともしなかった。ただ、人質を救おうと、大きな鉄の玉をクレーンで吊って山荘の壁にぶつけてるのをTVで見た・・・インパクトがあった。その後、この事件は過激派と呼ばれる学生運動だか左翼運動をする輩たちが身内のものを「総括」と称して殺し、そのことが知れ渡って左翼運動が急激に勢いを失うきっかけになった、という風に理解した。②受験する大学を”下見”に行ったが、「荒廃」を感じた。俺の入った大学はまだ「荒廃」の度合いが小さかった。(荒廃は学生運動の結果だったと想像はついた)③夏以降、ジャズ喫茶では"return to forever"というグループによる、俺の知ってる、俺の好きな”ジャズ”とは全く違う理解不能な音楽がよくかかっていた。”エレキ”だったし、リズムもロックぽかった。Miles Davisが始めた、”ロックとの融合=フュージョン”てやつで、Milesのグループにいた、Chick Corea以下がやっていた。これが流行って、俺は俺の好きな音楽はビートルズとボサノバで終わった、と感じた。つまり、俺が好きな音楽は1960年代まで、ということだ。④吉田拓郎がブレイクした。春は「結婚しようよ」夏は「旅の宿」が流行っていた。この2曲は俺も好きになった。何というか、当時の気分に合っていた。⑤映画「小さな恋のメロディー」を見た。大人や親や常識に反抗する子供の映画だ。 これくらいだ。 そんな自分の代わりに1972年を書いてくれた人がいたのだ。気が向くまま要旨を以下: ポルノや性風俗が解禁された...

山極寿一「老いの思考法」

 2025年発刊の「老いの思考法」は刺激的な本だ。面白くもあるが、イライラもさせられる。欧米主導の現代文明・資本主義をマルクス張りに鋭く批判するが、かといってマルクスのように、革命でひっくり返せ、と煽るわけではない。どっちかって言うと、文部省的というか、厚労省的な結論・・・「人生百年」的な・・・に持っていく。読み終わって「ああ、こうすればいいんだ」とスッキリする読み物ではない。でも動物と比べたり歴史をたどって現代文明・資本主義を批判するから面白くもある。俺は「鎖国時代に戻れ」と言うが、山極さんは「動物を見習え」と言う。そう言われたって都合のいいところだけ動物を見習え、とはいかないだろう、と思ってしまう。つまり、動物を見ならうリスク、ディメリットに触れないで「いいとこどりしろ」とおっしゃるんだが、釈然としないのだ。 以下、抜粋+ 俺の感想 : おばあちゃん仮説:難産(頭の大きい赤ちゃんを産むの)は人類だけのもの。お産を助け、産後も幼児の成長をみんなで助けるのは人類だけ。女は閉経を前倒しにし、次世代の出産を助け、孫たちの世話をすることで生存価値を高めた。一方で、これは人類を多産(発情期なし=いつも発情期)にした。人類は長らく多子高齢だったが、老人が子育てに参加する機会を失い、時間を持て余すようになる一方となって少子高齢という”異常事態”になった。 本来、人は効率、生産性、コスト、ベネフィット、時間などという功利から一歩脱して自他の境界がゆるやかな「ともに在る」時間を大切にして来た。「私がある」より「ともに在る」方が豊かだ、と。 ゴリラの赤ちゃんは泣かない・・・母親が赤ちゃんと一体化しているから。人間は自他の別を意識するから赤ちゃんが注意を引くために盛大に泣く。本来、子育ては「ともに在る」楽しい時間であったが、子育ては「コスト」になった。親は自分の時間を削られている、と思う。 社会のあらゆる「時間」や「労力」には対価を払うという感覚が育児を「仕事」にしてしまった。高齢者は効率という呪縛に風穴を開けることができる。 >>マルクス流。老人は対価とは無縁な存在だ。老人が革命を起こせるかなあ?また、老人が育児に手を染めるのは今のところ、事実上不可能。子供が怪我したたらどうする?なんて・・・これには解消法があって、子供を全て強制的に国が引き取って育てる・・・金を払って国が子...

朝日・編集委員・岡崎明子の「自分事」への疑問

 朝日・多事奏論に 編集委員・岡崎明子が ICC赤根所長と初日の出見た私 トランプ制裁「自分事化」する功罪 と題して以下 : 国際刑事裁判所(ICC)所長の赤根智子さんの記事を、食い入るように読んでいる。国際司法に強い関心があるわけではない。  36年前の年末年始、私は赤根さんと米フロリダ州の小さな街にいた。  当時、大学の交換留学生だった私は現地で友人と落ち合った。詳しい経緯は忘れたが、赤根さんもそこにいて、数日間を一緒に過ごすことになったのだ。  赤根さんは検察の仕事を休職し、アラバマ州の大学院に留学していた。10歳以上年上で、シャイな方だった。大学生と検察官とでは共通の話題もなく、それほど会話を交わした記憶もない。  ただ、人の気持ちに敏感な人だと感じた。私は友人との久しぶりのおしゃべりを楽しみにしていたのに、友人のルームメートも一緒で、会話はずっと英語だった。不満げな私に「日本語で話したかったのよね」と声をかけてくれた。  帰国後、しばらくは連絡を取っていたが、いつしか音信も途絶えた。それだけに2年前、ICC所長に就いたというニュースに心底驚いた。変わらぬたたずまいを目にした瞬間、フロリダで共に初日の出を見たあの朝がよみがえった。 以来、動向を気にしてきたが、トランプ政権の制裁にはショックを受けた。改めて昨年出版された著書を読み直した。  留学時代について「社会のいろんな側面を目の当たりにした結果、『アメリカ万歳!』と叫ぶ気持ちにはなれませんでしたが、それでも私はこの懐の深い国のことが好きになりました」「アメリカの制裁と対峙(たいじ)する現在でも、その気持ちは変わりません」とつづっている。  米国への留学がICCへのキャリアにつながった人が、米国から制裁を受けている。何とも皮肉な巡り合わせだ。  そしてふと思った。もし赤根さんを知らなかったら、私はこれほど関心を持ってICC関連の記事を読んだだろうか。  たぶん、読まなかった。  「またトランプがとんでもないことをしている」と、見出しだけ読んでスルーしていたに違いない。  だが、考えてみれば、私たちはたいてい、そうやって世の中を見ている。  友人ががんになれば医療の記事が気になる。わが子が不登校になれば教育の記事を探す。遠い場所で起きた災害も、そこで知人が巻き込まれていると知った瞬間、ニュースの見え方...

シウマイかシューマイか?

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 朝日に ギョーザ県で「シューマイの乱」が熱い 西、北、南から宇都宮包囲網 と題して 岡本智が 以下。記事の内容もさることながら、この写真のシウマイのうまそうなこと。俺が今まで見た朝日の記事の中で断トツ最高の出来。 栃木県鹿沼市の100年以上続く老舗ラーメン店、安喜亭本店の「シュウマイ」。まちおこしの前から提供されている ギョーザ県として知られる栃木で今、「シューマイの乱」が熱い。ギョーザのまち・宇都宮市と隣り合う鹿沼市は、崎陽軒(横浜市)の協力のもと売り出し中の「かぬまシウマイ」が知られはじめ、「ラーメンのお供はシューマイ、を当たり前に」と鼻息が荒い。白いシューマイやワインに合うシューマイで攻める市町もあり、虎視眈々(こしたんたん)と「領地奪還」を狙う。  「どうして鹿沼でシューマイなの?」  県西部の鹿沼で2020年に持ち帰り専門「笑福(えふ)シウマイ」を立ち上げた福田勇紀さん(44)は、昨年のイベントで受けた県外客のこんな質問に、思わずにんまり。2年ほど前までは反応が乏しく「鹿沼ってどこ?」と言われ続けたが、「ようやく知られてきた」と心が躍った。 20年に、偶然にも地元の商工会議所が主体となってシューマイによるまちおこしが始まった。飲食店だけでなく、洋菓子店やゴルフ場までオリジナル商品を開発。食べ歩きマップには、80以上の店舗が掲載されている。  なぜギョーザ県でシューマイなのか。担当者が目を付けたのは、横浜名物「シウマイ」を開発した崎陽軒初代社長の野並茂吉さんが、鹿沼出身だったことだ。 打診すると、技術を伝授する講座や講演、横浜のラジオ番組でのPRなどが次々実現した。崎陽軒側にも「シューマイの地位を向上させたい」という悩みがあったといい、惜しむことなく後方支援してくれた。  当初はコロナ禍の影響で鳴かず飛ばずだったそうだが、栃木出身のお笑いタレントのU字工事が配信動画で紹介してくれたり、テレビ局が特集を組んでくれたりして、徐々に知られるように。 笑福では今夏のお中元受注が前年比64%増となり、福田さんは「異常値。有名になったからこそ贈ってくれる」とうれしい悲鳴を上げる。  「幼い頃、ラーメンと言えばシューマイだった。いつのまにかギョーザの攻勢が始まった」と振り返るのは、鹿沼商工会議所の仕掛け人、水越啓悟さん(54)。市内の様々なシューマイを集めた売り...

こりゃ、あかんやろ!

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 音楽ナタリーに 薬師丸ひろ子が初のオーケストラベスト盤発表、歌手活動45周年を記念して と題して記事が出てるが、記事に何が書いてあるかには興味ない。ただ、ひろ子のお写真が・・・ 俺はひろ子は「見た目おばさんで歌がすぐ上手い」存在だと思う。この写真はAIで修正したのかと疑われる。言われればそうかな??だけど言われなければひろ子には見えない。 それともしばらく見ないうちにこんなにお綺麗になった???

ニクソン大統領のアメリカ

坪内祐三「一九七二」のおかげで日本の1972年を思い出した。しからば当時のアメリカは?・・・ Wiki「アメリカ合衆国の歴史 (1964-1980)」より: 1968年の大統領選: ジョンソンが指名選挙戦から離脱するという機会を捉えて、 ロバート・ケネディ がやはり反戦という綱領に立って指名選挙戦に出馬した。ジョンソンの副大統領である ヒューバート・H・ハンフリー も指名を求めて出馬し、南ベトナム政府の支援を続けると約束した。 その夏、ロバート・ケネディが暗殺され、マッカーシーは党内特権階級の中にあったハンフリー支持を敗れなかった。ハンフリーが民主党の指名を獲得し、一般選挙では共和党の リチャード・ニクソン と戦った。ニクソンは、「ヒッピー」のカウンターカルチャーを毛嫌いする中道アメリカ人、通称「 物言わぬ多数派 」と呼ばれる人々に訴えた。またその「秘密の計画」で「名誉ある和平」によってベトナム戦争を終わらせると約束もした。「ベトナム化」と呼んだ戦争をベトナム人の手に任せてしまう戦略を確立する ニクソン・ドクトリン を提案した。民主党が割れる中でニクソンは 大統領選挙に当選 した。 >>ベトナム戦争、ヒッピー、ドラッグ、暗殺の1960年代 ベトナム戦争: ニクソンは、ベトナムから撤退することについて、それで人気を取れたとしても安請け合いしてしまったことが分かった。南ベトナムが単独で自国を防衛できるかという心配と、 議会 から軍隊引き上げの圧力が高まってきたこと、さらには一方的に戦費を削減して最終的に切ってしまうという方向に議会が傾いていったこととのバランスを取ろうとして、ニクソンは莫大な努力と政治的材料を使うことを強いられた。 これと同時にニクソンはベトナムでの戦争に関する大衆の敵意の正面に立つようになった。戦争の道徳性が問題であり続け、 ソンミ村虐殺事件 のような事件で戦争に対する支持が失われ、ベトナム化の労力を増した。 ウォーターゲート事件 が問題になり始めたことがニクソンにとって大きな障害となり、さらに議会が提供していた南ベトナムに対するなけなしの財政支援も、南ベトナム政府と軍人との汚職によって雲散霧消していた。 1973年の パリ休戦合意 に基づいてアメリカ合衆国は遂にベトナムから軍隊を撤退させた。しかし幾らかの支援部隊は2年後まで残り、 サイゴン 政権の崩...

ニューリベラルの星?②

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 朝日に リベラルな慶大生が「WiLL」を買ってみたら 批判の嵐に思う未来 に対するコメントプラスとして 千葉商科大学教授・働き方評論家、常見陽平 が以下: ■なぜ、リベラルは嫌われているのか?そして「隠れリベラル」増加中  『WiLL』を読むことがニュースになるより、『WiLL』を読んだだけで仲間から怒られることの方がニュースではないか。読むことと賛同することは違う。理解することと同意することもだ。異論に触れ、「なぜ、この人はこう考えるのか」と考えることこそ、自由と寛容を重んじる態度ではないか。  もちろん、 差別や排外主義、事実に反する言説は批判しなくてはならない 。だが、批判と分析は違う。 「嫌い」「間違っている」で思考を止めれば 、その言葉がなぜ誰かに届いたのか、その背後にある孤独、不安、雇用や生活の問題も見えなくなる。  いま一部のリベラルの言論空間が、 SNS上の「毎日裁判」 になってはいないか。誰かが失言すると、即座に断罪され、思想や人格まで採点される。少し違うことを言えば「転向」「裏切り」と認定される。これでは「正義の押し売り」である。正しさが、人を守る言葉ではなく、人を裁く刃になってしまう。私もその犠牲者の一人だ。リベラルでありつつも、その界隈からは切り捨てられ、自分の存在が何なのかさえ、わからず震えている52歳の昼である。(後略) >> まず、顔写真がよくない。格好悪い。みっともない、というべきか。もっとできのいいのに取り換えてくれないか? 「差別や排外主義、事実に反する言説は批判しなくてはならない」 は、リベラルだからか?それともリベラルか否かを問わず、か?でも、この言い回しはこの人はリベラルなんだろうなあ、と感じさせる。 「嫌い」「間違っている」で思考を止めれば・・・ はリベラルの考えか?「 何故嫌いなの?」と聞かれても「嫌いだから嫌い」としか答えられない。そんなことを時間かけて考えたり話し合っても無駄だろう。俺はそう思うがそう思わずに、「考えれば解決する、話し合えば理解し合える」・・・というのがリベラルの建前なんだろう。そして、それだから、リベラルは馬鹿にされ、嫌われるのだ。SNS上の SNS上の「毎日裁判」は どうすべきなのか?嘆くだけ、震えるだけなのもリベラルの典型だ。だから 馬鹿にされ、嫌われるのだ。 SNSのない昔に帰れ、が...