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映画・「卒業」

卒業は 1963年に書かれた小説をもとに1967年公開された映画だ。 俺はこの映画を通しで見たことはない。一番有名な結婚式に乗り込んで行って花嫁を掠奪するラストシーンにもあまり興味はない。ただ、映画の冒頭、大学を卒業して実家に帰って来た主人公の卒業記念パーティーで、主人公におじさんが近づいてきて「プラスチック」と、ひとこと言うシーンだけは印象深く覚えている。おじさんは、就職先の決まっていない主人公に、「これからはプラスチックの時代だから、プラスチック方面の仕事につけ」とアドバイスしたのだ。 その後、主人公は就職どころでなく、ミセス・ロビンソンとその娘の二人に二股かけて・・・というグダグダな人生を歩むことになる。 さて、「プラスチック」のシーンを思い出すのと同時にピーター・ティールを思い出したのだ。1960年代までは生命のありようや生活を一変させるような大発明が陸続と出たのだ。それをティールは、Greatだった、と懐かしがるのだ。 70年代以降のアメリカ、90年代以降の日本・・・停滞というか、沈滞か。この状態が何十年も続いて絶望する者が溢れている。 ティールはまだ絶望していない。が、中国に抜かれることを怖れ、怯えている。中国に勝つために技術の暴走のリスクを恐れず、民主主義を捨て、中国と同じように国民を監視して余計なことをさせなければ、効率的に大発明が生まれるようになる、と言う。 閑話休題: さて、プラスチックは我々を幸福にしただろうか?俺のGreat・反理知主義は、プラスチックが世に出る以前に戻ることだ。民主主義も帝国主義もない、江戸時代に戻って鎖国することだ。山本夏彦さんに言わせれば、プラスチックのない昔には戻れないんだが・・・  

反理知・反民主主義

 戦略、アカウンタビリティー・・・俺が現役時代にうるさく使われた流行語だ。これを理知主義と言うのか?めんどくせえなあ、と思っていた。 トランプも反理知だ。イランを攻めるについて、最高指導者以下を殺すことが自己目的化して、その後の戦略も無ければ攻撃の理由も説明しない。

嗚呼、ピーター・ティール!

イーロン・マスクやヴァンス副大統領を使ってトランプを「操作」しているとも言われ、また彼の会社、パランティールがアメリカ政府・軍の仕事を請け負っていることから最近何かと話題のピーター・ティールについてまとめてみた。トランプ現象の背景を知りたいからだ。 原子力、飛行機、ロケット、プラスチック・・・1960年代までのアメリカは便利で画期的だけど、使って見たら環境汚染や大量虐殺といった問題を引き起こすものを次々と生み出した。規制も統制もなく「早いもの勝ち」だった。これがピーター・ティールにとってのGreatなアメリカだ。その後、規制のために法律が作られ、1970年以降、大した発明は現れなくなった。インターネットは生命維持に関わるようなものではない。 様々な規制はこのまま自由に技術を進歩させると破滅に至るから進歩を抑制するという理知主義=反キリストだ。(政府の職員はこれで凝り固まっているから大胆に入れ替える必要がある。)アメリカの企業は「競争の土俵」で競争するようになったが、ここでいう「競争」とは、既存の技術の改良改善にとどまり、生活そのものを大きく変えるような大発明は想定されていない。本当の大発明は、今までなかった新しい技術だ。こういう技術は危険だ、と避けられがちだが、今までなかった新しい技術なら競争の土俵でなく、独占の土俵で大きく稼ぐことができる。 競争の最大の問題点は「競争に勝つことが自己目的化する」こと。本来は技術開発・技術改良を巡って競争してるはずだが、競争に勝てばそこで満足して停滞してしまう。 今までなかった新しい技術ならコストは問われないが、既存の技術はコスト競争力が最大の問題となる。ここに、グローバリゼーションが出て来る。既存の技術で限られた利益しか期待できないとなると、その限られたパイを奪い合う「競争」が行われ、国民は少数の勝者と多くの敗者に分断される。逆に言えば、いくら高くたっていいから売ってくれと、客が言うような新技術がどんどん出て来る状況ならコストの安い中国で・・・なんて考える必要はないし、勝者から敗者への再分配ができる可能性もある。 1950年代までのアメリカは日本や韓国という新しいフロンティアを手に入れ、様々な大発明のおかげでパイも大きくなっていたが、1960年代以降、新しいフロンティアは獲得していない。 理知主義・民主主義の二つ目の欠陥は遅いとい...