嗚呼、保坂正康!
皇室典範改正は象徴天皇制を揺るがす と題して保坂正康さんが文春8月号に以下: (前略) 憲法一条「天皇」と憲法九条「戦争の放棄」を密接不可分の対として捉え、江戸期の一種の象徴天皇制下の平和を戦後日本の先行形態として見据え、そのありようを日本人が「無意識」に内面化していると看破した柄谷行人は、日本史に通底する「非戦」の作法を思想化した哲学者として改めて注目されるのではないか。柄谷は言う。 《戦後憲法一条の「象徴天皇」制は、徳川時代にあった制度と類似するといっていいでしょう。では九条の先行形態に関してはどうでしょうか。これは、パリ不戦条約(一九二八年)、さらに遡ればカントの『永遠平和のために』(一七九五年)の理念にもとづいています。(中略)しかし、九条は日本人にとって、まったく外来のものというわけではありません。ある意味でそれは「徳川の平和」にあったものです》(柄谷『憲法の無意識』、岩波新書、2016年) これまで私は、江戸期265年間、明治維新から敗戦までの近代史77年間、敗戦から現在までの現代史81年間のなかの「戦争に憑(つ)かれた近代後期50年間」を検証すること、そして、江戸期と現代史に恒常化した「非戦」の知恵を探り、それを受け継ぐことを主張してきた。柄谷が説くことは、私の問題意識への一つのあざやかな回答であった。象徴天皇制に「戦争をしない流儀」が潜んでいるという発見である。 徳川家康は、建武の中興によって天皇が政治化して以降の戦乱の世に終止符を打ち、「尊王」を幕藩体制のなかにシステム化した象徴天皇制を基盤に265年にわたる平和を築いた。 近代末期、軍事指導者は天皇を政治的に利用して無謀な戦争を遂行した。まさに坂口安吾が「しかもその軍人たるや、かくの如くに天皇をないがしろにし、根柢的に天皇を冒涜しながら、盲目的に天皇を崇拝しているのである」(『続堕落論』、『文学季刊』第二号、1946年)と喝破した通りなのである。そのことへの反省が戦後日本の出発点であった。昭和ファシズムの構造を克服して成立した戦後の象徴天皇制は、昭和天皇を経て平成の天皇が完成させ、国民の「無意識」がその「非戦」の流儀を支持する。それが令和の天皇に受け継がれていることへの共感が、6000万回の再生のなかに内包されていると思うのだ。(略) 天皇自身の行動と発言が皇室典範改正を実現したこ...