日教組の凋落と真の平和教育を研究する
47NEWSという知らなかったサイトで以下: 平和教育はなぜ「偏向」と批判されるようになったか?「教え子を再び戦場に送るな」かつてスローガンを掲げた日教組の加入率は低迷、新たな取り組みは生まれるのか 沖縄県名護市辺野古沖で3月、修学旅行中の女子高校生と船長の2人が死亡した抗議船転覆事故を機に、「平和教育」が注目を集めた。 平和教育が本格化したきっかけは戦後、小中高の教職員が加入する日本教職員組合(日教組)が打ち立てた、あるスローガンだった。 それから75年。時代に翻弄されつつも脈々と続いてきた平和教育は今、岐路に立たされている。平和教育はいつ始まり、どのように発展したのか。 なぜ「偏向」と批判されるようになったのか。 (共同通信=力丸将之) >> この出だしは、日教組擁護論と思わせる出だし。身構えて読み始める。そもそも47NEWSという見慣れないサイトはどんな傾向のものか?COPILOTで調べたら、共同通信と地方紙の共同運営してるサイトということ。偏りはないらしい。この記事の最終段では東京女子大の 竹内久顕准教授(平和教育学)の言う「反戦=反政府・反米オンリーではダメ、戦争がしたくてもできない平和社会を構築する道を示せ」で終わる・・・こんなこと、日教組にもリベラルにも不可能だ。 >> ▽原点は教員の“後悔と反省” 戦後日本の平和教育の源流は、日教組の平和運動にさかのぼる。1951年、日教組がスローガン「 教え子を再び戦場に送るな 」を採択した。 教え子を戦場へ送り出し帰らぬ人にしてしまったこと、あるいは、その後の人生を大きく狂わせてしまったことへの後悔と反省が込められている。 1958年には統計の残る限りで、 日教組の加入率は最高で約86% を記録。平和教育は、運動方針に組み込んだ日教組がけん引役となった。順調な滑り出しのように見えたが、当初から思わぬ批判がつきまとうことになる。 >> 占領軍のご指導よろしく日教組が作られ、その後逆コースとなり、1954年にはリベラルを封じられたが、1950年代に加入率最高を記録した。 << ▽70年以上前からあった「偏向」批判 明治大の富山仁貴准教授(日本現代史)によると、1950年代は、平和運動と平和教育の境界があいまいで、分けて考えていた教員もいれば、同一視して取り組んでいた教員もいた。 当時、 平和教育は...