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嗚呼、アジア大会水泳!

 TBSでアジア大会の水泳を放送する。上さんが見ると言うからTVはつけておくが熱心には見ない。歴代の金メダリストが解説している。 まず、TBSについて; 短時間に同じレースを何回も流すのはなぜ?中国が勝ったレースを繰り返し流すのは、中国の国威発揚のため?日本人が勝ったとか、感動的なことが起こったとかいうのなら何回か繰り返し放送してもいいだろうが。水泳以外でも日本人が勝った試合を優先的に放送するわけにはいかないか? 次に解説の金メダリストの皆さんについて; 呑気に解説してる場合じゃねえだろう。皆さんは若い世代を育成しなくちゃあいけない立場・年齢だ。あなたたちが若者をちゃんと育てていないから、中国に負けてるんだろう。せめて、日本人が負けるたびに「私たちの責任です」と言って謝罪したらどうか? しかし、なぜ急に日本の水泳は弱くなったんだ?中国が強くなった?俺の印象は「日本が弱くなったんじゃあないか?」だ。

東洋経済、お前もか!?

明治から令和まで「教育をケチる国」日本…教員不足の原因は150年続く政府の「やりがい搾取」体質か? という記事を 濱田 浩一郎が東洋経済オンラインに。 濱田 浩一郎は冒頭から最後まで「教師なんてなるもんじゃあねえ、ずっと冷遇されてきた」、ということを一貫して述べる。彼は教師不足をますます加速させ、できれば教師がいなくなれば良い、というつもりか?「問題だ、問題だ」とだけ言って解決法を示さない。末尾には 教育は、そして教員はなぜ長きにわたって軽視されてきたのか。その根本を見直し、職業としての魅力を回復させないことには、現代にも横たわる教育に関するさまざまな課題を解決することはできないだろう・・・ と。100%リベラルだ。高橋純子だ。 これを読んだ学生の子供を持つ親が子供が教師になることに賛成するか?万が一若い学生がこれを読んだとして「さあ教師になろう」と思うか?バッカじゃねえか。日本の教育をぶっ潰したい中国の手先か?俺は東洋経済ってリベラルじゃあない、と思ってきたが、がっかりだ。 以下、記事; 現在の教育界は、給特法や働き方改革の議論が絶えない。今や「過酷なサービス業」とすら称される教員だが、かつて「聖職者」とされていた時代は、本当にいい待遇だったのだろうか。そんなイメージがあるかもしれないが、実態はまったく違う。 日本政府は明治から令和に至るまで教育への投資を“ケチり”続け、現場に負担を丸投げしてきたのだ。150年以上も連綿と続く、教員の待遇の歴史と闇を振り返ってみよう。 「定額働かせ放題」の小手先改革? 2025年6月、公立学校に勤務する教員の給与や勤務条件の根幹を定めた法律(給特法)が改正され、26年から施行されている。 改正前の給特法では残業代を支給しない代わりに給与月額の4%を一律で支給する「教職調整額」という仕組みを採用していたが、それが教員の長時間労働の温床となっているということで改正された。 「教職調整額」は4%から10%へと段階的に引き上げられることになった。「義務教育等教員特別手当」(学級担任などの業務が困難な校務を担う教員に支給)も校務類型に応じて支給されるようになる。こうした施策により、教員の労働環境を改善しようというわけだ。 しかし具体的な改善内容は自治体ごとの取り組みに委ねられることになっているため、地域により、教員の働き方にバラツキが生じる...

アジア大会の不始末の原因

上さんが「アジア大会の開会式ガラガラだったんだよ」と言う。そう言えば韓国国歌をかけるべきところで北朝鮮国家をかけちゃったとか色々問題があるらしい。ハッとひらめいて、「アジア大会2026に電通は絡んでるの?」とCOPILOTに聞く。やっぱり電通は絡んでいない。東京五輪でもそうだったが、これほどの規模の国際イベントは電通しかできないのだ。(確か、大阪万博は無理矢理、電通に仕切らせたんじゃあなかったか?これはこれで、俺は「電通に任せていいのかい?」と思ったことを覚えている。) 答え;   結論からいうと、 現在の2026年アジア競技大会(愛知・名古屋2026)の公式な企画・運営体制の中で、電通は中心的な受託事業者にはなっていません。 [prtimes.jp] , [jtbcom.co.jp] 経緯を整理すると、 当初、スポンサー獲得などを担当するマーケティング代理店として、電通が内定していました。 [shikoku-np.co.jp] , [sanspo.com] しかし東京五輪・パラリンピックを巡る汚職・談合事件の影響を受け、2023年2月に電通が辞退しました。組織委員会は代理店を再選定することになりました。 [shikoku-np.co.jp] , [sanspo.com] その後、スポンサー営業やライセンシングなどのマーケティング業務は、 新東通信 JTBコミュニケーションデザイン TOPPAN 楽天グループ の4社共同事業体が受託しています。 [prtimes.jp] , [jtbcom.co.jp] したがって、 当初は電通が関与する予定だった 途中で辞退した 現在は別の4社連合がマーケティング業務を担当している というのが正確な状況です。 [shikoku-np.co.jp] , [prtimes.jp] ただし、「電通グループ各社が個別の下請けや協力会社として一切関わっていない」とまでは、公表資料からは確認できません。確認できるのは、少なくとも 公式マーケティング代理店の立場には就いていない という点です。 次いで「電通が絡んでいないから運営がうまく行っていないの?」と聞く。答え: 「電通が絡んでいないから運営がうまく行っていない」と断定する根拠は、私が確認した資料からは見当たりません。 事実として確認できるのは、 当初は電通がスポンサー獲...

嗚呼、フェミニスト!(日本国の性被害)

沖縄県知事選に思う 「誰のせいにもしない」敵を名づけない闘いは「弱い人」を犠牲にはしないか と題して北原みのりがAERAに以下: (前略)古謝氏は、「誰かのせいにしない沖縄」を掲げて選挙を戦った。 「国を悪者にして、あるいは大企業、県外の資本、こうしたところを悪者にして、沖縄の暮らしが良くならないと嘆くのは簡単だが、それでは沖縄は変わらない。誰かのせいにして、今を諦めるのはもうやめましょう」  これはとても今的な発想だ。というか、私も同じようなことを最近よく言われる。「男を悪者にして嘆くのは簡単だが、それでは社会は変わらない」と。女だからといっていつまでも被害者でいてはいけない、 男に敵対しないほうがいい ……そんなふうにたしなめるのが今どきのフェミニズムだったりするのだ。そう、フェミニズムも「誰かのせい」にはせず、社会にほほ笑む時代。古謝氏の言うことは時代に合っているのかもしれない。 >>男に敵対しないほうがいい・・・これは確かに「今的」で、ちっとも正しくなくて馬鹿で浅はかな考えだ。俺はフェミニストではないが、男だろうが女だろうが敵対すべき相手には敵対すべきだと思う。ただし、「敵を作って闘う」ことを自己目的化するのはバッカだ。  でも、あえて時代に反論するならば、「自分を苦しめる誰か」を見定めなきゃ、闘えないんだよ。「誰かが」がわからないと、闘い方を間違えるんだよ。声を上げるということは、「誰か」の名前を明らかにすることなんだよ。なにより、そうやって、女は、沖縄は、闘ってきたんだよ。つまり「誰のせいにもしない沖縄」とは、沖縄が「敵は特定しません、闘いません」と宣言したようなものなのだろう。 >>せっかく古謝氏がいいこと言ってんのに、 北原みのりは どうしてもオールド・フェミニストでい続けたいらしい。どうしてわざわざ敵を作って「闘いたい」のか理解できぬ。保守的(=オールド)フェミニストだ。バッカとしか言いようがない。古謝氏は「今的」ではない。ごくごく普通のことを言っている。北原みのりはリベラルやフェミニズムがオワコンになったことを認めたくないらしい。女子高生を殺したヘリ基地反対協議会は全共闘世代の亡霊だ。彼女もオールドを通り越して亡霊フェミニストを目指すのか?  私が沖縄の基地問題に関心を持つようになったのは、1995年、小学生の女の子が米兵3人に性暴力を受けた事件...

ミスコンて微妙

テレ朝NEWSに 「2026ミス・ジャパン 日本大会」が開催され、「2026ミス・ジャパン・プレミアム」グランプリは、福岡県の公務員・大場雪乃さん、「2026ミス・ジャパン」グランプリは、神奈川県の会社員・中村彩乃さんに決定した、と。 大場さんは二人の子持ちだって。 もっと詳しく調べると; 項目 ミス・ジャパン ミス・ジャパン・プレミアム 対象 18歳以上の女性 30歳以上の女性 婚姻歴・出産歴 不問(独身であることが条件) 婚姻の有無を問わない 創設 2019年開始の本部門 30歳以上向け部門として新設 選考 都道府県大会→日本大会 都道府県大会→日本大会 だって。なんだか微妙。年齢も婚姻歴・子持ちかどうかも問わず。単純に「女性」という条件だけでやらないのか?まあ、生まれつき女とそうでない人とは区別した方がいいかな? ジェンダー平等好きな人たちにはミスコンなんて不評だろうなあ。でも逆に言えばミスコンがまだ生き残ってるってすごいことだ。応募する女性がいるんだから。

福田和也・「江藤淳という人」③

「江藤淳先生と私」より: 戦後フランス文学史でナショナリストの文学者たちが抹殺された理由の根本は、ドイツの占領下における彼らの対独協力と、そしてフランスが現実には敗戦国であるのにもかかわらず、 「レジスタンス」という神話を作り上げて戦勝国の一陣に滑り込んだ、ほとんど天才的ともいえるドゴールの、その手腕故の欺瞞であった。対独協力者たちは、敗戦を「現実」として認め、ドゴールのようにロンドンに逃げることのできない数千万の国民を守るために、宿敵ドイツとの交渉の場に付いたが、単身ロンドンで祖国の不敗を訴えたドゴールは彼らを裏切り者と呼び、フランスの抵抗(それは本当に些細なものだった)とは関係なく、米ソの力でドイツは倒れ、ドゴールはフランスが無力であるからこそ、その勝利、精神の勝利を声高に叫ばれなければならなかった。フランスが勝利した、フランスの知的伝統としてのヒューマニズムがファシズムに対して勝利したという虚構を守るために、ナショナリストたちは文学史から抹殺され、知識人の間では、きわめて強い否定のニュアンスを帯びなければ、その名前を発するのは憚られるようになった。戦後フランスの知的枠組みがもっていた欺瞞のあり方と、当時江藤先生が進めておられた占領下検閲での言論統制の問題は、緊密な関係を持っていた。先生は「閉ざされた言論空間」等において、占領下にGHQが推進した検閲の指針、つまり戦争の意義を認めることや戦死者を賛美することの禁止、憲法成立の実態とその内容への批判の禁止などの基準が占領解除後も日本の言論空間を規制していることを詳しく検証されている。いわば無意識な政治規範と化したイデオロギーを批判する先生のお仕事は、戦後フランス思想を見えない形で規定している占領下の記憶とその抹殺という私のテーマと、第二次大戦後今日まで続いている言論の世界的な衰退傾向として一括し得るものだった。 「いくら工夫を凝らしてみたところで、他人から与えられた物語を生きるふりをしてみせている文学者に、人の心を打つことのできる物語が書けるわけもない。その一方で、誰に気兼ねをしてか、自己の物語を発見しようとするいかなる努力に対しても、嘲笑し続けるのだとすれば、文学の荒廃は自然の帰結で、並大抵のことでは書く喜びを取り戻すことすら覚束ないと言うべきではないか。」という江藤淳の「他人から与えられた物語を生きるふりをする...

福田和也・「江藤淳という人」②

 「江藤淳氏を悼む」より: 批評の代表作「成熟と喪失」のなかで、江藤氏は喪失を凝視し、喪失を嘆くのではなく、喪失を宿命として受けとめ、浸食されつつある現実を少しでも持ちたえるべく、絶望的な努力を倦まず続ける治者となる成熟の経路を示している。 江藤氏は、自らを甘やかすこと、甘やかされることを唾棄した。保護されることを拒否して保護を与えるものになろうとした。 このような江藤氏の姿勢が、誰もが庇護を求め、些細な傷も他人に責任を転嫁し、慰めを求める戦後の日本において、異様に映ったのは仕方がないかもしれない。だが江藤氏は大勢に媚びることなく、この小児だらけの国で、治者たり続けることを貫いたのである。「閉ざされた言語空間」などで氏が、占領期以来継続している日本人の言語の歪みを訴え続けたのも、江藤氏が誰に課されたのでもない責任感のためであった。(略) 氏が自殺をされた。それは氏が死者たちとの約束をもう守る気力がなくなったと言う事だろうか、「弱さ」を前に甘えを断念することを止めてその誘惑に応じたと言う事なのか、あるいは自ら進んで治者であることを放棄したのか。 >> 悪いのは自分以外の誰かでその誰かに搾取差別されている、と言って泣きわめく小児。リベラルの別称だ。悪いモノを正すためにはどうしたらいいのか、考えて提案するのが治者。