先崎彰容「国家の尊厳」
2021年刊 先崎彰容「国家の尊厳」より抜粋: 確かに令和の日本人は、かつての1960年代に比べ圧倒的に豊かになっています。医療や公共インフラの充実はもちろん、ワンルームアパートの作り一つとっても、以前よりは恵まれた環境になった。にもかかわらず、所得が上がらず貧困世帯が増えている。「貧しい」という実感を持つ者が増えている。 要因はいくつもあるでしょう。しかし一因として、私たちがあらゆる人間関係の間にカネを介在させるようになったことは大きい。介護に典型的なように、家庭内の人間関係に基づいて行ってきた行為を、カネを媒介にして他者に委託するようになった。金銭ではカウントできない 人間関係の厚み で維持されてきた社会を、すべてカネで置き換えてきたわけです。その結果、社会インフラは整い、住宅も整備された一方で、あらゆるサービスをカネで求めねばならなくなった。人と人とのふれあいを、カネで買うようになったのです。わずか2,300円でできる朝食を、ファストフード店で食べるのと、 家族や友人と 食べるのでは味が違う。同じ卵焼きだったとしてもです。ここには、人間とは 文化を食べる 生き物だということ、栄養摂取という合理性以外の何かを味わっていることが象徴されている。他者との会話やぬくもり、プラスチック容器ではなく、 茶わん で食べることは文化であり、「貧しい」という実感は、この文化喪失に一因があるのです。 >> 人間関係の厚み/家族や友人・・・日本では「家」が人間関係の基本だった。家が日本人を戦争に向かわせた根っこの原因だ、と考えた占領軍は日本から家を抹消し、核家族を作った。家とはキリスト教徒における「神」であったが、これを失った日本人は家の代わりに会社を神とし、占領軍の狙い通り「カネ儲けに夢中の腑抜け」になった。同時に人間関係の基であった天皇も家の元締めの地位から滑り落ち、政治の具として国家の象徴になった。 確かに、プラスチックや紙でできた食器で取る食事は「貧しい」。俺は老人用にワタミ他が宅食と称して供給する食事がプラスチックの食器に盛られるのを見て嫌悪を感じるが、この嫌悪感は、食事を”カネで買える単なる栄養摂取”ととらえ、「文化を食べる」ことを否定することに対する反感だったのだ、と気づかされた・・・そりゃあ、コスト的には瀬戸物よりプラスチック食器の方が優れている。つまり、...