「逆立ち日本論」養老孟子・内田樹(2007年)
アメリカが覇権を握った理由 ①お粗末な大統領が出ても州知事がしっかりしていて、次の大統領になる準備をしている…という仕組みがあった。 ②大統領がお粗末でも新たなフロンティアから得られる豊かな資源がカバー してくれた この2つの理由がトランプで途絶えてしまったから、お粗末なトランプはお粗末なままだ。 アメリカはガキ(大将)を卒業し、州も豊かな資源もない先輩諸国の進化とか成熟を学んで「普通の国」になることができるか? 以下抜粋: ユダヤ人は国民でもなく、人種でもなく、ユダヤ教徒のことでもない。「確かな実態的基礎を持たないのにもかかわらず、ユダヤ人は2千年にわたってそれを排除しようという強烈な淘汰圧にさらされながら、生き延びて来た。この事実から私たちが漠然と推理できる結論は、危ういものであれど、一つしかない。それは、ユダヤ人は「ユダヤ人を否定しようとするもの」に媒介されて存在し続けて来たということである。言い換えれば、私たちがユダヤ人と名付けるものは、「端的に私ならざるざる者」に冠された名だ、ということである。 昼と夜のあわいは限りなく曖昧ですから、一義的に「昼」を定義することも、「夜」を定義することもできません。でも、ぼくたちはもうそのような対概念を以て区切っているから、その言葉を使ってしか一日の区切りをつけることができない。 >>国家というものも同様だ。1国では成り立たない。争ったり手を組んだりする他国があって国家となる。 ユダヤ人は、諸国民より多くの「債務」を負わされている、「あまりに責任が重いので、人間として十分な成熟が必要な仕事は私たちユダヤ人がやりますから、みなさんはもっと楽な仕事をしてください。」というのがユダヤ人の選民意識なんです。これは「自分たちは楽な仕事をする。おまえたちは難しい仕事をしろ」という利己的な人種差別よりもあるいは周りの人を傷つけるかもしれません。サルトルは「ユダヤ人とは人々が『ユダヤ人』だと思っている人間」だと定義しました。一方、レヴィナスは「ユダヤ人とは他の諸国民よりも多くの背に任を負うために神に選ばれた人間だ」と定義します。この二つの定義に共通点がある。それはどちらもユダヤ人は誰かに名指しされたその後に、名指しの結果として出現したということです。自分が自主的に「ユダヤ人である」と名乗ったことでユダヤ人は出現したわけではない。反ユダヤ主...