何故、陸軍のガバナンスがなくなったの?
保坂正康「秩父宮と昭和天皇」を読んで一番腹立たしく、分からなかったのは、何故陸軍人があんなに傍若無人になり、天皇を馬鹿にしたのか?・・・だ。 権力や差別をけしからんと言うリベラルが権威主義であり、差別的なのと同様で、陸軍が国民には「天皇は神様」と押し付けながら自身は天皇を馬鹿にし、邪魔者扱いした。 明治維新を実行した第一世代は1904年の日露戦争まで戦争に勝った。1938年生まれの山縣有朋は1904年時点で66歳だった。(まだまだしっかりしていて、1922年まで生きた) 1918年、シベリア出兵したときの 首相は1852年生まれの寺内正毅で山縣有朋もシベリア出兵に賛成した。この頃までは陸軍のガバナンスがかろうじて生きていた。 1922年の山縣の死亡は陸軍の曲がり角だ。1920年代、世界中で軍縮ムードとなり、軍人が嫌われ馬鹿にされ、陸軍に入ってくる若者の質・量の劣化が懸念されるようになった。1925年、 宇垣一成が陸軍予算を大幅にカットした。1868年生まれの宇垣は山縣より1世代下で明治維新には直接は関わっていない。 226事件を支援していた林銑十郎、荒木貞夫、真崎甚三郎の生年はそれぞれ1876年または1877年生まれ、東条英機は1884年だった。 簡単に言えば、第一世代が苦労して作り上げた「負けない戦争をしない」陸軍が山縣有朋の死を境に日本の国益のためではなく、軍縮に反発して陸軍の「軍益」のために存在するようになった。陸軍のガバナンスが致命的に弱まって下剋上が盛んになったのは、1920年代前半に山縣が後継を作れ(ら)なかったこと、軍縮ムードで陸軍が存続に危機感を覚え、また入ってくる新人が質・量ともに劣化したのを見た陸軍上層部が若手に迎合したことによる。 日本の組織は個人に頼る。理屈でも理想でもない。理(ことわり)が支配しない。ガバナンスは「俺とお前」という人間関係依存だ。会社法なんていう代物ではガバナンスなんてできない。 天皇が馬鹿にされたのはある意味リベラルな大正天皇が、身体・脳力の弱さから山縣有朋・伊藤博文などに馬鹿にされ、邪魔にされたのが始まりか?明治時代の日本国のガバナンスは明治天皇や元勲一人ひとりのカリスマ性でバランスが取られていたが、次の大正天皇はカリスマ性はゼロ、というかマイナスだった。彼らは、自分たちがいなくなった後、日本を誰がどうガバナン...