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16歳少女ルナさん餓死事件

元捜査一課と自称する佐藤誠氏が投稿。よくある「けしからんおじさん」になってしまっている。それなりに読まれるかもしれないが、「再発防止」という観点では寂しい内容だ。 郷原信郎弁護士が”司法の劣化”と言うように、個別の事案で司法機関が悪い、非人間的、と責め立てたって事態は改善しない、どころか、非難された司法機関側が身構え、ますます自己防衛的、官僚的になる恐れ大。 宮台真司さんの言う通り、一つの解決法は政治問題化すること。これを改善する姿勢を見せれば当選する、という流れを作ること…政治家による司法チェック。 メディアが取り上げるのも可能性としてはあり得るが、メディアは検査を情報源としているから、検察を叩けないらしい…記者クラブの致命的欠陥。記者クラブをやめちゃうという手があるか?そうしてメディアが自前で勝手自由に嗅ぎまわってニュースを探す=55年体制の打破。 俺のアイデア:司法関係者強制転職制…弁護士、検事、裁判官はその道一筋ではダメで弁護士を〇年間やったら次は検事を〇年やって、それから裁判官を〇年やらないと資格を失う、としてしまう…組織を守ろうという意識はなくなるし、従来闇から闇だった不祥事を公開するようになる可能性はある。 以下投稿記事: 16歳少女ルナさん餓死事件・司法機関の大罪 母親が県と国に損害賠償を求めた裁判を巡り、兵庫県警は11月2日の県議会警察常任委員会で「国家賠償法上の違法はない」との見解を示しました。 今日は、元捜査一課の視点から、この事件に潜む警察、検察、裁判所の問題を解説したい。 1、兵庫県警「違法はない」の恐るべき違和感 警察は誰を守っているのか? 母親は警察と検察の捜査が違法だったとして、国と兵庫県を訴えている。 ところが11月2日、兵庫県警は県議会でこう述べた。 「国家賠償法上の違法はない」 この言葉には、強烈な違和感を覚える。 16歳の少女が命を失った。 その事実を前に、警察がまず語るべきことは何なのか? 自分たちの責任を否定することなのか? それとも、少女に何が起きたのかを徹底的に解明することなのか? 2、なぜ16歳の少女を18日間も拘束したのか まず、ここが捜査の核心だ。 逮捕は刑罰ではない。 取調べをするためなら、誰でも自由に拘束できるという制度でもない。 逮捕や勾留には法律上の要件があり、逃亡や証拠隠滅のおそれなどを具体的に検討しな...

嗚呼、多様性!(第2次南北戦争の予感)

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 朝日に紹介されたアメリカ・民主党の国会議員候補となった 「アメリカ民主社会主義者(DSA)」の皆さん。 他人事ながら、アメリカの白人至上主義者・WASPの皆さんはさぞかし悔しい、あるいは嘆かわしい、と痛感していることだろう。 思えば、”クロンボ”のオバマが大統領になって以来の慨嘆ではないか?このうち誰が中間選挙で当選したのかは知らないが、白人至上主義者・WASPの皆さんにとってはアンチWASPの連中が大きな顔して国会議員候補になるだけで嫌だろう。そして自分たちの子供の時代には白人はマイノリティーになる…「自分の子供は自分より豊かになる」というアメリカンドリームは破れた、と絶望することだろう。 遠く離れた日本の”黄色い生き物”の一員である俺から見ても「俺の愛した(1950年代までの)ハリウッド、ミュージカル、ジャズ…を生んだものは完全消滅した」、と痛感する。振り返れば、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパからアメリカに移住した(またはその頃アメリカに生まれた)白人と迫害から逃げたユダヤ人がアメリカの軍事、経済、を世界一にしたのだ。そして差別されたイタリア人、黒人が軍事や経済には関わることができなかった代わりにエンタテインメントを世界一にしたのだ。ユダヤ人は金融、エンタテインメント、メディア、そして政治も牛耳った。(ユダヤ人て、イスラエルの外では大人しいというか目立たない。目立つと叩かれるから自分は表に出ないで陰で操る側に回る) それがGreatなアメリカだったんだ、と思う。俺はこれを多様性とは呼ばない。それぞれの人種が得意不得意をわきまえて棲み分けしたのだ。 トランプに代表されるGreatなアメリカに郷愁を感じる連中は、 「アメリカ民主社会主義者(DSA)」の連中とは同じ空気を吸いたくないだろう。つまり、アメリカの分断はもっと激しくなるだろう。自分たちはいずれマイノリティーになる…そう思ったら「DSAの連中がいる国とは違う国」を目指すのではないか?第2次南北戦争… そうなると、アメリカの時代は完璧に終わって、中国だかインドだかが覇権を握ることになる…日本はどう振る舞えばいいんだろう?・・・ま、いいか、そん時は俺は死んでらあ・・・ 閑話休題: Greatなアメリカのエンタテインメントと言えば、談志師匠も敬愛したFred Astaireを思い出す。以下、...

今日が今年最後の買い場?

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日本時間11月6日朝6時の米国株式市況 6日になってから急落。  ダウ:3.4%ダウン(対今年の最高値約5%ダウン)  SOX指数:12.3%ダウン(対今年の最高値40%ダウン)  日経先物:6.5%ダウン(対今年の最高値20%ダウン)  さて、今年最後の買い場(株価の底)と見ましょう…もっと下がらないことを祈る。 ただ今、午後11時。上さん名義のNISAで50万円弱ほど株を買った。

嗚呼、Bob Dylan !

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 Bob Dylanのレコードジャケットと言えばこれを思い浮かべる。俺にとって「これぞ冬!」という写真だ。寒そうなDylanがいい。女のくっつき方もよい。今から60年以上前だ。 これは、今年の11月、ローマ法王を訪ねたBob Dylan。Dylanはユダヤ人だから当然ユダヤ教徒だと思っていたが、ユダヤ教徒として生まれた後、敬虔なクリスチャンになったらしい。若い時には目立たなかった鼻が立派な「鉤鼻」だ。ユダヤ人らしい。 閑話休題: ユダヤ教徒でもイスラム教徒でも、バチカンのローマ法王に会いに行けるんだろうか?

寺田寅彦「日本人の自然観」

落合陽一さんから、寺田寅彦に「日本人の自然観」という文章があると教えられ、検索したら 「青空文庫」というサイトに全文が。1935年に書かれたこの文章、実にいい文章だと思う。すごく理屈っぽいんだけど、愛嬌がある。そう、偉そうでない、上から目線でないんだ。 以下、青空文庫より: >>青く塗りつぶした部分俺のコメント 日本人の自然観 寺田寅彦      緒言 「日本人の自然観」という私に与えられた課題の意味は一見はなはだ平明なようで、よく考えてみると実は存外あいまいなもののように思われる。筆を取る前にあらかじめ一応の検討と分析とを必要とするもののようである。  これは、日本人がその環境「日本の自然」をいかに見ていかに反応するか、ということ、またそれが日本人以外の外国人がそれぞれの外国の自然に対する見方とそれに対する反応しかたと比べていかなる特色をもつかということを主として意味するように思われる。そうして第二次的には外国人が日本の自然に対する見方が日本人とどうちがうかということも問題になりうるわけである。  もしも自然というものが地球上どこでも同じ 相貌( そうぼう) を呈しているものとしたら、日本の自然も外国の自然も同じであるはずであって、従って上記のごとき問題の内容吟味は不必要であるが、しかし実際には自然の相貌が至るところむしろ驚くべき多様多彩の変化を示していて、ひと口に自然と言ってしまうにはあまりに複雑な変化を見せているのである。こういう意味からすると、同じように、「日本の自然」という言葉ですらも実はあまりに 漠然 ばくぜん とし過ぎた言葉である。北海道や 朝鮮 台湾 は除外するとしても、たとえば南海道九州の自然と東北地方の自然とを一つに見て論ずることは、問題の種類によっては決して妥当であろうとは思われない。  こう考えて来ると、今度はまた「日本人」という言葉の内容がかなり空疎な散漫なものに思われて来る。九州人と東北人と比べると各個人の個性を超越するとしてもその上にそれぞれの地方的特性の支配が歴然と認められる。それで九州人の自然観や東北人の自然観といったようなものもそれぞれ立派に存立しうるわけである。しかし、ここでは、それらの地方的特性を総括しまた要約した「一般的日本人」の「要約した日本」の自然観を考察せよというのが私に与えられた問題であろうと思われる。そうだとすると...