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吉本新喜劇を彷彿と・・・

かねてより、吉本新喜劇の警官の描き方は反権力なのかな?と感じている。ともかく極端だ。つまり、頼りない(事件が起こると「警察呼んできます」といって下手に逃げる)こともあれば、浅香あき恵さんあたりに向かって銃を乱射したりする。吉本新喜劇においては、かなりの頻度で悪いヤツが人質を取るのだが、人質の恋人や父親の活躍でその悪いヤツをやっつけて人質を助け出す。そうやって悪いヤツがやっつけられた後、警官が下手から現れて手錠をかけて現行犯逮捕する・・・のだが、罪名をいい加減に言ったり、うまく手錠を掛けられなかったり・・・などなど。 面白いんだけれど、警察権力に対するからかい、あてこすりにとどまらず、底に反感があるんじゃあないか?と思わせる微妙な描き方だ。 これって、大阪だから成り立つギャグじゃあないか?ここまでやっても警察は怒らないという吉本側の忖度と、お笑いのためならそこまでなら許すという警察側の「腹」の間で成り立っているのではないか? 東京では警官をこういう風にいじるということは成り立ちにくい雰囲気が。つまり、東京では権力に向かう時は迎合・忖度するか、正面から反発するかの両極端で、吉本新喜劇のようにハスからからかったり皮肉ったりしない。大阪に比べると政治的な緊張が走りやすい。 ここで思い出すのは赤塚不二夫の「天才バカボン」に登場する銃を乱射する警官だが、天才バカボンが生まれた1960年代後半は毛沢東の文化大革命(造反有理)が世界的に流行して日本でも左翼の皆さんが造反(反権力、反体制)を自己目的化していた時期だ。赤塚の描くこの警官も、警官が造反する、というシュールな感覚で、警察権力を笑うというのとはちょっと違っていたように思う。 吉本新喜劇の警官を思い出したのは読売の以下の記事を読んだからだ。    4日午後7時頃、大阪府河内長野市木戸西町のスーパーの出入り口付近で、男性から「包丁を持った血だらけの男が暴れている」と110番があった。駆けつけた府警河内長野署員が近くの路上で男を発見し、刃物を向けられたため警告後に上空に威嚇射撃した。そのまま迫られたため男に向けて発砲し、銃弾が左胸に命中した。男は公務執行妨害と銃刀法違反の両容疑で現行犯逮捕され、搬送先の病院で死亡が確認された。 (略)柴田延明・警務部参事官は「容疑者が亡くなったことは残念だ。発砲要件は満たしていると判断され...

かなり、生きててよかった

 YouTubeで山下達郎・竹内まりや夫妻がよもやま話してるラジオ放送を復元してる。これが「大瀧詠一を語る」というタイトルだったので聞いた。実に良かった。旦那のことを「達郎」と呼ぶまりや。(時々「タッチャン」かな?)これがいい。完全にため口、対等。リスペクトし合ってる感じが伝わってくる。聞いてて癒されるというか、嬉しい気分になる。いい音楽を聴いてるみたい。夫婦と言うだけじゃあなく、一緒に仕事する相手・同業者でもあるからか。 さて、この夫婦の会話で大瀧詠一最後のレコーディングは竹内まりやとのデュエットだったことが明らかにされる。それは2003年のSomething stupidという歌だったと。 早速これを聞く。大瀧詠一ってこんなに歌うまかったの?っていうくらいうまい。もちろん、まりやも。ずっとハモるんだけど、すばらしいハーモニー。オリジナルのFrank & Nancy Sinatra親子のも聞く。聞く順番が逆だったけど、大瀧・竹内のデュエットは、Frank & Nancy Sinatra親子のコピーだった。伴奏が最初はギターで最後はストリングスになるところまで完コピに近い。この歌、聞いたことは何回かあったけど、タイトルは知らなかった。しかし、早口言葉みたいに忙しい歌だ。 「もっと気の利いたことを言おうと思うのに、いつも”I love you"しか言えない」という自虐を装うあま~い歌。 こういう幸運に恵まれると、生きててよかった!と思う。しあわせだ。 閑話休題: 1977年、シリア・ポールとThe very thought of youをテレまくって歌ってた田舎の兄ちゃんの大瀧詠一が26年たつと照れないでこんな大人の歌がうまく歌えるようになるんだ。このことも嬉しい。And I’m alone with youという歌詞のaloneの低音がすごくいい。すくなくともこの部分は本家Sinatraなんかよりずっとよい。

どうして朝日は次から次へと・・・(羊頭狗肉記事)

  国家とは何か、問い続けた半生 98歳、元広島市長からのメッセージ と題して朝日に 平岡敬さんへのインタビュー記事: (前略) ――「国家とは何か、どうあるべきか」という問いに、その後の歩みを通じて答えは出ましたか。  「国家とは本来、国民の命と暮らしを守る装置です。それらを犠牲にするのが戦争です」  「今の日本は、庶民や民衆のための国なのか。本当の意味での民主国家なのか、と思わずにはいられません。国民がいま、一番求めているのは物価高への対応や生活を良くするための政策ですが、生活と関係ない法律にばかり力を入れている」 >>「国家とは何か」と大上段に振りかぶったからこの記事を読んだんだが、全く期待外れ。羊頭狗肉。国家とは国民の命と暮らしを守る装置、そう定義しておいてなぜ、その装置たる国家は民主主義国家でなければならないか?の説明がない。つまり、国家には民主国家以外にも様々な形態があり、また、先哲には民主主義国家はいずれ独裁国家になる、と言って人もあることを無視していきなり国家=民主国家と来る。だから、その後の論の展開には全く意味がない.。言い方を変えると、国民の命を守るには敵国から攻められたらどうするのか?が第一だが、それを論じない。(後段のこの人の主張から考えるに、都合が悪いからだろう)この人は純粋なリベラルだ。つまり、「民主国家」が最終目的地なのだ。民主国家なんて単なる見果てぬ夢に過ぎないということを隠してひたすら現政権を民主的でない、と非難、批判するだけだ。もう、リベラルも民主主義もオワコンなんだけど、それをこの100歳近い老人を引っ張り出してきて言わせるって・・・こんな年寄が「こう言ってます」じゃあなく、どうして「俺はこう思う」と言わないか?!バッカだ。  ――世界を見渡すと、核兵器がまた使われてしまうかもしれないという危機的な状況です。  「核兵器を持てば敵も攻撃できない、という核抑止論には何の保証もありません。無限の核競争になって、人類の滅亡につながりかねない」 >>核兵器を待たないとどうなるのか?通常兵器を有する自衛隊なら何が保証されるのか?自衛隊だって軍隊なんだから、敵国は攻めてくるぜ。無限の通常兵器競争ならOKか?この人はなぜ、平和憲法に殉じて自衛隊も在日米軍もやめて丸裸になれ、そうすれば無限の競争から離脱できると言わないのか?  ――ただ...

無理な横断て?

 踏切の遮断機が下りている。カンカンカンカンとうるさい。ようやく電車が来るのが見える。その電車が通り過ぎた後も、まだカンカンカン言って遮断機が上がらない。どうやら逆の方から電車が来るらしいが、姿も形も見えない。イラッとして遮断機の棒を見ると「無理な横断はおやめください」と書いた札が。電車の姿も形も見えないんだから、今横断しても別に無理な横断じゃあねえなあ、と思う。そこで「この札には『遮断機が下りている間は渡らないでください』と書くべきだな」などと屁理屈が浮かぶ。 それでもまだ電車が来ない。下りたままの遮断機を見つめつつ待つ間に別の屁理屈が。 遮断機が下りた状態で横断しようとすると、①遮断機の棒を無理やり折る②遮断機の棒の上を超える③遮断機の棒の下をくぐるという行動のいずれかが必要だ。これ、筋力が落ち、また体の柔軟性を失った老人にはかなり”無理”だ。つまり、遮断機が下りた状態で横断しようとすることそのものが老人にとっては無理なことなのだ。つまり、いくら時間的余裕があっても老人にとっては「無理な横断」なのだ。 やっぱり無理な横断はやめとこう。

フェミニズムを勉強する

  朝日新聞SDGs ACTION!記載の 社会保険労務士・キャリアコンサルタント 村井真子 ( むらい ・まさこ )の フェミニズムとは? 意味や歴史、事例、課題をわかりやすく解説 と題した記事を読む。 まず、 フェミニズムとは、あらゆる性 差別 からの解放を目的とした運動のことをいいます。狭義では女性人権運動、 権利拡張 ・尊重主義をさしますが、その本質は、社会活動家でありフェミニストでもあったベル・フックスのいう「性差別をなくし、性差別的な搾取や抑圧をなくす」ことです。 とある。 どうも、フェミニストは、権利に差(差別)があるからこれをなくして平等にしなければならないと考え、差別をなくそうとする人のことらしい。まず俺は、権利というものがピンとこない。 権利とは何か?について村井さんは説明しない。Wikiると: ある行為における 正当性 の根拠となる 能力 、または 資格 のことである [ 1 ] 。法律上は一定の利益を主張または享受する事を 法 により認められた地位、或いは他人に対し一定の行為や不作為を求めることができる地位のことを指す、とある。頭に入らない。COPILOTに  権利の4つの基本構造(ホーフェルドの分析) 権利は1つの概念ではなく、4つの異なる性質をもつ構造の総称。 請求権 — 他者に「〜せよ」と要求できる権利 例:代金支払いを請求する権利。 自由 — 他者に妨害されずに行動できる状態 例:表現の自由。 権能 — 法的地位を変更できる力 例:契約を結ぶ、遺言を書く。 免除 — 他者から義務を課されない保障 例:不当な拘束を受けない権利。 ・・・とあって、これなら、少し頭に入る。そして、 請求権:他人にいくら請求してもそれが実現するかどうかは別。 自由:他人から邪魔される、止められることは多い。 権能:契約や遺言が実現するかどうかは別。 免除:不当な制約・拘束は受けずには済まされない。 などという考えが頭に浮かんでくる。 そうなんだ、俺は、「権利なんてものは、単なる能書だ。どうせ完全には実現されない。能書きじゃアなくてどれだけ実現するかが問題だ。」と権利を軽視して考える。 権利なんて不平等で結構、実際にどれだけ自分がやりたいことができるか、他人にして欲しくないことをやめ させるか、なんだ。となれば、実力、パワーだ。運もあ...

検察改革・司法独立案

元特捜検事の不適切交際「あり得ない」 相次ぐ問題に検察の一手は と題して朝日に以下:  (略)  ジャーナリストの江川紹子さんの話 2010年に発覚した大阪地検特捜部の証拠改ざん事件 を受けて法務省が設置した「検察の在り方検討会議」で委員を務めた。「より高い倫理と品性を身につけ、謙虚な姿勢を保つべきである」などと提言し、検察が少しはよい方向へ向かうと期待していた。しかし、ほかにも不祥事が相次いでおり、国民の信頼は失墜した。私自身も失望している。  今回は西田将仁検事の資質に問題があるのは言うまでもないが、それを許した組織に問題はなかったか。発表内容が問題行為のすべてなのか。事件の捜査は本当に適切だったか。弁護士ら「外の目」を入れて検証する必要がある。この際すべてのうみを出し切らなければ、未来はない。 >>江川さんも朝日の記者も指摘しないが、俺はかねてから法務省(検察庁)は、首相の指揮命令の下から独立させろ、と思っている。今のままで 司法の独立が確保できるとは思えない。まず、法務省を内閣から独立させ、司法専門の組織を作ることだ。(警察と刑務所は内閣に属する)裁判所は検察との癒着を回避するため、この組織とは別組織とする。検察には自浄能力はないと、分かったんだから、検察・弁護士・裁判所の3者が互いに監視・牽制し合うような仕組みにする。その一環として、 検察官・弁護士・裁判官が交換人事で互いの仕事をやり合うようにする。(一定年齢までの間に3つの仕事を一定期間以上やることを義務付ける) 「検討会議」や 「外の目」では不足だ。 ※「別組織」とは給料と人事を自分で決められる、という意味だ、

大瀧詠一のおかげで落語「短命」を聞く

大瀧詠一の「夢で逢えたら」をWikiる。あの、白々しいというか、照れくさい「語り」は・・・ 都都逸 の「ひとり寝るのは 寝るのじゃないヨ 枕抱えて 横に立つ」から着想を得た ・・・ と紹介されている。 更にこの都都逸のセリフをネットで調べると、談志の演じた落語「短命」に出てくると。大瀧さんも都都逸そのものではなく、「短命」で聞いたのかもしれない。 そこでYouTubeで「短命」の聞き比べ: 談志、小三治、小さん、一之輔、円楽・・・面白くない。 三遊亭兼好と円楽。終盤、植木屋の八っぁんが家で飯を食うシーン。  猫の茶碗で飯を食えという女房に、八っぁん、「こりゃあ猫の茶碗じゃねえか」 女房、「大丈夫だよ、お前さんが使った後、ちゃんと洗っときゃあ、猫は文句言わない」 古今亭菊之丞(まくらで) 皇太子が料理中、何の具合か、塩の入れ物から塩が出なくなった。おつきのもの「私が代わりましょうか?」皇太子「うん、 交代してんか? 」 結局、 「ひとり寝るのは 寝るのじゃないヨ 枕抱えて 横に立つ」を使ったのは、談志だけだった。 しかし、大瀧詠一って、面白いネ。 短命で一番面白かったのは、兼好だった。結局、誰が演じてもはあんまり面白くない。 いくつかの演者が「後家さんはきれいだねえ。俺の女房も早く後家さんになんねえかなぁ」というギャグをやっていた。このギャグ、好きだ。