富岡幸一郎「天皇論 江藤淳と三島由紀夫」
富岡幸一郎「天皇論 江藤淳と三島由紀夫」より: 文學界(昭和64年2月号)で柄谷行人との対談で浅田彰は 「実を言うと、ぼくは昭和について語りたいとは全く思わない。昨年の9月この方、連日ニュースで皇居前で土下座する連中を見せられて、自分はなんという『土人』の国にいるんだろうと思ってゾッとするばかりです。」と言う。 日本人が日本人であることを恥じる・・・それは西洋啓蒙思想やマルクス主義に心酔した(実存主義でも構造主義でも新自由主義でもよい)一部の「日本人」の問題ではなく、昭和と言う時代そのものの問題、つまり全ての日本人にとっての難問として現れ、今も現前しているといってよい。江藤淳がいうように、昭和天皇自身も、「お若い頃に非常に強い離脱の願望を持たれていのではないか」という問題なのである。「離脱」すなわち明治以降に西洋の文物や思想が入ってくることで、知識人が「洋学者流」に変身して、古い日本式伝統や教養を捨て去ろうとした願望は、インタビューで江藤淳が指摘する満州事変(昭和6年)以降の世界情勢の中で「回帰」・・・すなわち日本主義や民族的なナショナリズムへと雪崩を打って行く。 中野重治「五勺の酒」・・・五勺の酒とは、日本国憲法が公布された時の「憲法特配の酒」の残りの「五勺」のことである。<<僕は午後の祭りをみていたのだ。(略)新聞には十万とあったが、記事そのままで嘘はなかった。僕はおのぼりだからリュックをかついでうしろにいた。天皇が来て、帽子を取らぬ者もいたが、僕は帽子を取った。天皇が台へ上って帽を取った。万歳が起こった。仕かけ鳩が飛んだ。天皇はかえっていった。僕の時計で出てきたのが3時35分、おかえりになったのが36分、正味1分で、全てが終わった。そして終わった時始まったことが僕をおどろかした。(略)散って行く十万人、その姿、足並み、連れとする会話、僕の耳のかぎり誰一人憲法のケンの字も口にはしていなかった。あらゆることがあってそれがなかった。>>日本人が70年間「平和憲法」として守ってきた、その憲法の公布された時の情景を、中野重治はこのように描いている。このような事実はこの瞬間を実際に体験しなかった後世の人々に、一体どのように伝えられてきたか。「平和憲法」という美辞麗句のなかで、この現実は消え去り、「自由」と「民主」と「平和」主義というコトバだけ伝わって来たのではな...