学校では習えない事
磯田道史さんが文藝春秋「AI時代に読むべき司馬遼太郎」で、日露戦争に勝って「雲の上」に上った日本がのぼせ上がって夜郎自大になった、と以下: 司馬さんは、このリアリズムの精神を失ったことが、「異胎の時代」を招いたと言います。武家の家庭教育で育った人々が指導層からいなくなった日露戦争後、日本は戦争に勝っていない事実を重く受け止めるべきです。明治政府が作った陸軍士官学校、海軍兵学校、東京大学は結局、勝てるエリートを育てることはできなかったのです。生活上の家庭教育が変化の時代には大切だという教訓です。 >>さて、歴代 陸軍大臣を羅列していつまで武家の家庭教育を受けたものかチェック: 初代 大山巌 1842年生まれ 薩摩出身。戊辰戦争に参加 5代目 桂太郎 1848年生まれ 初の長州出身陸相。戊辰戦争に参加。日露戦争時首相 9代目 上原勇作 1856年生まれ 薩摩出身。 14代目 田中義一 1864年生まれ 長州閥最後の大物。1925年政友会に入り首相。1928年張作霖爆殺事件の真相究明を巡って天皇の怒りを買って辞任。 17代目 宇垣一成 1868年生まれ アンチ長州。1925年軍縮実行。1931年、陸軍・桜会が右翼・左翼を巻き込んで3月事件を計画、宇垣を首相にしようとしたが、土壇場で反対した。1937年、首相候補となったが、石原莞爾の画策によって陸相を引き受ける者がなくなって首相になれなかった。 21代目 荒木貞夫 1877年生まれ 一夕会・皇道派に担がれた。1931年、陸軍・桜会の企んだ10月事件に反対した後、陸相に。父親は一橋家臣から小学校長。 桂太郎までは家庭で武士の教育を受けた、と言える。強いて言えば田中義一までか?宇垣は農家に生まれ、直後に江戸時代が明治に改まった。しかし、田中は、1920年代の自由あるいは儒教道徳の破壊の影響をもろに受けて政党政治家に成り下がった。 また、1859年に死んだ吉田松陰に私淑して勤王の志士となった下級武士生まれの者どもは、生年は1840年以前であったろう・・・山縣有朋1938年、伊藤博文1841年生まれ・・・彼らは家庭でなく、松下村塾で武士の教えを受けた。 ※3月事件、10月事件を企んだ橋本欣五郎は 1890年生まれ、1911年陸士卒、1920年陸大卒、1922年関東軍、1927年トルコ駐在、1936年予備役、1940...