與那覇潤、分からない
26年8月9日付け文藝春秋の”「保守」と「リベラル」のための教科書”に與那覇潤が以下: (前略) イスラエル建国の当初は、アメリカもそれなりに中立性を意識していた。あまりに一面的な肩入れをすれば、アラブ諸国をソ連の側に追いやるリスクがある。1956年のスエズ動乱でアイゼンハワーは、イスラエルおよび英仏軍に撤退を勧告し、エジプトの主権を守った。 転機は60年代だった。ケネディはイスラエルが核開発に走るのを抑える目的とはいえ、通常兵器の供給を大きく強化する。そして68年に同国が秘密裏に核保有したとき、後継のジョンソンはCIAの報告を握りつぶし、黙認した。 ベトナム戦争の泥沼に国力を割かれる中で、中東の秩序を公平に維持する余裕を米国は失っていた。その中で67年の「六日戦争」にイスラエルが完勝したことが、後戻りをできなくする。 亡国の民と呼ばれ辛酸を嘗めたユダヤ人にとって、勝利が与えた安堵と誇りは決定的だった。以降、イスラエル政府の「行動を批判しないこと」を絶対の規範とする支援団体が続出し、ロビイングを通じてアメリカの政策を縛り始める。 70年代から中東和平が進んでも、軍事行動を起こしては「抑える代償として支援を」と求めるイスラエルの癖は変わらない。それは同じ米国の同盟国でも、戦後に日本が来た道の鏡像である。 破滅的な敗戦の体験から、私たちは自らの国家を容易に信じないが、彼らは逆に自国の軍事力しか信じない。アメリカの戦争に「巻き込まれない平和」ではなく、 むしろ米国をどう巻き込んで、武力で目的を達成するか だけを考える。 冷戦が終わりソ連が滅ぶと、イスラエルは代わりに「イランの核の脅威」を持ち出し、米国を説得する口実に据えてきた。近隣の政権がいかに問題であれ、爆撃して転覆を謀る発想は、戦後の日本では憲法が許さない。しかし彼らにとっては、それがずっと国防の原則なのだ。 地政学的に遥かに過酷な環境を課された国に対して、私たちのあり方を誇るのは安易にすぎる。しかし彼らとアメリカのような関係へと、日米同盟を作り変えることは誰も幸福にするまい。 現政権はその道を行きつつある。 >> 最後の「 現政権はその道を行きつつある。」は理解不能だ。 日本ごときがどう逆立ちしたってイスラエルみたいに アメリカ様を 巻き込んで、武力で目的を達成する なんてこと考えること...