IQ188という記録で注目を浴びた太田三砂貴(おおた・みさき)さん
現代ビジネスに、太田三砂貴さん(30)インタビュー記事:
彼はどうやって次にどこで何をやるのか決めるのだろうか?そのための情報収集
の仕方に興味がわく。いずれにしても、彼が気持ちいいと感じる環境で、やりたいことをやりたい放題やらせてあげたい。
work life balanceなんていう下司なものは忘れましょう。
(前略)
高校時代も、中学の頃と同じように、自分の興味に対して正直で、型にとらわれない生徒だった。授業中にふと抜け出しては、大学範囲の専門的な内容を独学で学んでいたという。その自由奔放な学び方は、時に教師を驚かせ、時に理解されなかったが、彼にとってはそれが最も自然な学習のかたちだった。
結局、高校は出席日数ぎりぎりで卒業することになる。その後、大学には進まず、プログラミングの専門学校へ進学した。しかし、四年間で学ぶ内容を一年でほぼ習得してしまい、次第に授業に意味を見いだせなくなって、最終的には退学することになった。
「独学でも学べる内容に、なぜお金を払う必要があるのか――そう感じたときには、もう続けることができなくなっていました。そこで学校を辞め、プログラミングの力を活かせる仕事を探し始めたのです。
当時の私はまだ若く、実力さえあれば評価してもらえると本気で信じていました。しかし現実はそう甘くはなく、学歴がないという理由で門前払いを受けることがほとんどでした。そうした経緯から、最終的にスマートフォンのトラブル対応を行うコールセンターで働くことになりました。
最初はあくまで一時的な仕事のつもりでしたが、次第に例のごとく熱中しはじめていきました。興味を引かれたのは、スマートフォンのエラーやバグの原因でした。同じ症状でも原因が一つとは限らず、毎回異なその非自明さが面白くて、気づけば自分で複数の機種を購入し、わざとバグを起こしては修復する――そんな実験を繰り返していました。
そうした姿勢が評価され、いつの間にか職場で“問題解決率が最も高いオペレーター”として認められるようになっていました。一年ほど働いて資金が貯まったところで、自分を試す意味も込めてアメリカへの渡航を決心しました。十分な資金があったわけではありませんが、観光ビザという最小限の条件でどこまでやれるか、自分自身を実験してみたかったのです」
しかし太田さんは続けて、こうも話す。
「しかしながら『実力主義の国』といわれるアメリカでも、やはり最低限の条件として学歴の壁があり、結局のところ日本と同じ問題に突き当たりました。それなら、いま自分にできることから始めようと思い、現地で活動を始めました。
地域でボランティア的に開かれていた無料の英語教室に毎日通ったり、近くにあったミシガン大学の講義に勝手に参加してみたりと、可能な限りできる努力をする方法を模索し始めたのです」
転機は24歳。一念発起した太田さんは、高校時代の友人から参考書を借り、夏頃から受験勉強を再開した。勉学から離れていた年月を埋めるように知識を吸収し、翌年、24歳で琉球大学理学部物質地球科学科に合格。ようやく、自らの知的関心を真正面から追究できる環境を手にした。
「琉球大学を選んだ理由は二つあります。第一に、前野昌弘先生と小田一郎先生のもとで直接学びたかったこと。第二に、沖縄には沖縄科学技術大学院大学(OIST)があり、最前線の研究に触れられると考えたからです。
当時の私は宇宙の起源や素粒子、数理物理に強い関心があり、授業後は頻繁に研究室を訪ねて疑問を整理し、先生方と議論を重ねました。その積み重ねの結果、学部一年から共同研究に参加させていただくことになりました。小学生のころから抑えていた好奇心が一気に解き放たれたように、矢継ぎ早に質問を投げました。
何より驚いたのは、問いに正面から答えが返ってくること、そして分からないものは『分からない』と率直に認めてくださることでした。ああ、ここが自分の求めていた場所なのだと、そのときに漠然と、しかし強く、実感しました。
興奮が収まらず、気づけば毎週のように教授と焼肉に行き、数学や物理の話で夜更けまで議論していました。あの時間は、研究者としての自分にとって決定的な転機だったと思います」
卒業論文のテーマは「光子の電子・陽電子対の複素解析を用いた崩壊確率」であった。エネルギーを帯びた光子が電子と陽電子へと崩壊する確率を、複素解析の手法によって理論的に導出したものである。研究の完成度は高く、学長賞の対象にも選ばれていた。しかし当日、太田さんは家で絵画の制作に没頭しており、卒業式を欠席。後日、大学側から注意を受けたという。
「琉球大学を卒業したあと、まずは沖縄科学技術大学院大学(OIST)で量子重力のインターンを3カ月ほど経験しました。その後、ポーランドのグロツワフにある理論物理の大学院へ留学しています。ポーランドを選んだのは、学びたい分野がしっかりあり、学費も現実的だったからです。
留学中は、ほとんどの時間を数式と過ごしていました。観光にも出ず、食事さえ後回しになることがあるほど、思考に沈み込んでいました。ポーランドにいたことさえ、実はよく覚えていないのです」
学生はカナダやインドをはじめ、さまざまな国から集まっていた。互いの専門や背景を越えて、重力や物理の根本的な問題について議論を交わすことが日常となっていた。
「研究テーマは量子コンピュータです。量子コンピュータには、古典的な計算機には存在しない“量子マジック”と呼ばれる独自の資源があります。これまでその本質は十分に理解されておらず、抽象的に語られることが多かったのですが、私はそれを高次元幾何の枠組みで図形的かつ直観的に捉え直す試みを行いました。
数式を超えて、構造として可視化することで、量子マジックの性質がより明確に浮かび上がるのではないか――そう考えたのです。このアプローチは専門家の方々にも新鮮に受け止められ、現在は論文として査読を受けている段階です」
この視点が定着すれば、量子計算の高速化に寄与するだけでなく、AIの能力に関する議論――いわゆるシンギュラリティ――にも理論的手がかりを与えうる。テレビでは「ノーベル賞候補」と紹介されたが、彼の語りは控えめだ。
「テレビで話したときのあの発言は、正直、少し演出の意図もあったんですが……ただ、自分には確かに“他の人には見えないものが見える瞬間”があると思っています。構造の中に潜む秩序やパターンを見抜くような感覚です。だから、目標を問われれば、やはりノーベル物理学賞は意識しています。
ただ、それは最終的には“過程”の評価にすぎない。賞そのものが目的ではなく、自分という存在の可能性をどこまで発揮できるか――そこにこそ、本当の目標があると思っています」
量子計算分野で注目を集める太田さんの研究は、反響の輪を着実に世界へ広げている。国際会議QOART2025では、Alexander Yurievich Vlasov博士が“Quantum Information Processing and E8 Lattice: From Contextuality to ‘Magic’”と題して論文内容を紹介し、国際的な関心の高まりを裏付けた。
自らの知性と才能を生かせる場所を見つけるまでに、太田さんは決して平坦ではない道のりを歩んできた。日本の教育や社会には、突出した才能が必ずしも正当に評価されず、能力を十分に発揮しにくい側面があるのではないだろうか。太田さんはこう語る。
「日本とは、いわゆる“ギフテッド”――特別な才能を持つ子どもの力を見いだし、伸ばしていくことが難しい社会だと思います。そうした子が、必ずしも学問に理解のある家庭に生まれるわけではなく、また受験制度の中では、やりたいことに集中する時間を確保するのも容易ではありません。
結果として、自分を正しく評価してくれる場所を見つけられないまま、潰れてしまうギフテッドは少なくないでしょう。私自身はかなり回り道をしましたが、最終的に“ここだ”と思える場所に辿り着けた。そういう意味では、運の良い方だったと思っています」
最後に、太田さんに、日本人最高のIQを持つ者として生きる中で、幸福を感じたことと、苦しみを感じたことについて伺った。
「これまでを通して苦しく、現在でも辛いと感じることは、自分が社会の仕組みの中でうまく位置づけられないということでした。周囲が解けない問題を自分だけが解けても、“すごい”と言われはするけれど、その力をどこで活かせばいいのか、簡単には見つけることができません。現に、いまもなお、その居場所を探し続けている道半の状態なのです。
一方で、幸福を感じる瞬間というのは――問題を早く解けたときではなく、この世界の構造や芸術を、人より少し高い解像度で見られると感じたときです。世界の複雑さや美しさを、そのままの形で理解できるというのは、私にとって何よりの喜びなのだと思います」
今年も日本人のノーベル賞受賞が話題になった。では、次の芽はどこにあるのか。太田三砂貴さんの歩みは、偶然に依存しない教育設計の重要性を示している。必要なのは、選抜の強化ではなく、問いに没頭できる環境と適切に評価が循環する回路だ。個人の善意に頼らない仕組みを、社会全体で整える時期に来ている。
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