東條英機の最期は格好悪すぎた
ポツダム宣言受諾時の陸相、阿南惟幾は短刀で割腹自殺し、その1年前に首相を首になった東條英機は自殺もせず、占領軍に逮捕される直前になってピストルで胸を撃ったが、すぐ見つかって占領軍の治療を受けて死に損なった。東條自身が作った戦陣訓の「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」を土壇場で実行できなかったのだ。
阿南さんは武士だ、日本男児だ、と言われたが、片や東條さんは「死にぞこない」と言われ、占領軍の思惑通り、東京裁判で一身に戦争責任者を演じて(天皇責任論を封じて)死刑になった。阿南さんに比べて格好悪いこと甚だしい。
俺の雑駁な印象は「阿南は軍人だった」「東條は能吏だった」だ。ポツダム宣言を受諾したらクーデターをやって日本を乗っ取って本土決戦しようという陸軍の若手を中心とする一部勢力をどうやって抑え込むか?に腐心した点では二人とも共通だ。結果的に、阿南は自分が死ぬことでいたって日本流の、言葉・ロゴスでなく行為・姿勢で軍人の心をコントロールしクーデターを抑止した。東條は話し合うとか、憲兵を使う、という官僚的発想だったように思う。
天皇自身は、天皇機関説論者で、天皇は国民のためにある、と思っていた節がある。東條のように「神様」と崇めたてるのは有難迷惑、片腹痛いと思っていたのではないか?海軍の米内光政などは天皇自身と同じく「天皇は国民のためにある(国民のために死ぬことだってある)」といたってクールに考えていた。天皇のポツダム宣言受諾のご聖断も、米内のように考える人もいる、ということが天皇の背中を押したのだと思う。
さて、阿南は天皇のことを神様と思っていたか?神様とは思っていなかったように思う。個人的には大好きで尊崇していたかも知れぬが、軍人そして陸相としては「単なる君主・上司」と思っていたんではないか?ただし、儒教流の「君主に対する忠」を非常に重く考えた。天皇を親のように思ってしまった東條とはここが違う。
クーデター派の考えも分かる、一方で君主の「戦争終わりにしよう」にも逆らえない・・・阿南は自死することで、「ポツダム宣言受諾」と「クーデターを起こさせない」という矛盾した陸相としての責務を全うした・・・神業と言ってもいいかも知れない。あるいは奇跡か。
閑話休題:
さて、阿南を陸相にしたのは誰か?Wikiると、俺好みの、次のエピソード:
①阿南のかつての部下、額田陸軍人事局長は、大臣になりたがらない阿南に「かねてより心中反対であった特攻隊を次々と送り出されている心情はよくわかります」「しかし、自ら飛行機に乗って来攻する敵機の中に突入されるよりも、この重大局面に際し身を挺して大臣をお受けするのが真の忠節ではありませんか」と説得した。
②首相となる鈴木貫太郎は、信頼する阿南を陸相にしたかったが、前陸相の杉山元・元帥から「本土決戦をすること」を条件に阿南を陸相に出す、と言われ、即決でこの条件を飲んだ。
一方の東條さん。占領軍のシナリオに沿って一人で悪役を演じきった。親とも神様とも思う天皇を守れて満足だったかもしれない。
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