西部邁「日本人とは、そも何ものぞ」その8 日本人の楽観論
日清日露の戦争に連勝したという成功体験は、奇妙な楽観論を生んだ。日本人は危機の時は自身をうまく客観的に眺めてうまく対処できるが、いざ、危機を乗り越えると、「大丈夫、これで万事うまくいく」と、楽観主義に陥るところがある。例えば「和魂洋才」という言葉がある。伝統的な日本人らしさをもとに、近代の技術を取り込み、近代的な制度なり、生活様式をうまく運営できると。しかし、伝統的な「魂」を産業社会へ統合させるというのは、近代国家の先輩格だった西欧でも成功していない。それどころか、フランス革命と産業革命から数えて100年以上やってきた欧州では、当時、「魂」と「才」の深刻な適合不全が自覚され、近代を超克するかたちとして、コミュニズムやファシズムが出てきた。近代化の大先輩でもうまくいってないのに、新参者であるにもかかわらず、「我々ならうまくいく」と根拠なき自信を持った。戦後にしてもそうでしょう。世界に冠たる平和憲法があるから、もう大丈夫だと「あとは経済重視でうまくいく。実際成功してるじゃないか。ジャパンアズナンバーワンだぜ」という戦後的思考と「和魂洋才で万事うまくいく」という発想は安易かつうかつな点で精神構造がよく似ている。
「和魂」と「洋才」が異質なものだとすれば、戦争に勝てば勝つほど、つまり「洋才」に適応すればするほど、内なる「和魂」がそれに疼きを感じていく。新渡戸稲造や内村鑑三などの例を見ても分かる通り、その「和魂」が救いを求めて向かって行った先がキリスト教だった。しかし、明治の中頃から、そのキリスト教にも満たされないくなっていった若い世代が、文明開化の論理から決定的に零れ落ちていくことになる。
閑話休題:
不安だらけの明治維新から50年後のシベリア出兵まで日本は戦争に勝ち続け、「和魂洋才」で坂の上に上り詰め、そこから坂の下に落ち、20数年後、戦争に負けた。
不安だらけの独立から40年後のバブル崩壊までは日本は「日本的経営」で坂の上に上り詰めた。そこから30年以上坂の下に落ち続けていまだ坂の底まで落ちたのか分からない。負けたかどうかも判然としない。敗北感と言うより絶望は強く感じる。戦争に負ける方が分かりやすい。戦争に負けるよりたちが悪い。
内なる「和魂」はまだ健在か?疼いているか?(将来に)絶望する若者はこの「疼き」を体現しているのだろう。
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