西部邁「日本人とは、そも何ものぞ」その9 近代化
そもそもモダンを日本語で「近代」と訳したのが間違いなんです。オルテガ・イ・ガセットというスペインの哲学者が指摘しているのは、モダンの類義語として、「モデルmodel」があるということ。これは女性のモデルみたいな意味よりも、模型の意です。どんどん新しい模型を作っていくわけ。さらに類義語として「モードmode」がある。様式という意味もありますが、普通の使い方では「流行」となります。「流行」に通じるのだから、要するにモダンとは「近しい時代」の近代ではなく、「最近」みたいな意味ですよ。味も素っ気もない。カレンダーをめくればそこにある「最近」なんだと。また別の意味合いとして、モダンとは新しいモデル、模型が、先ほどいった大衆。マスmass、塊(かたまり)という大量の人々の間に流行するという時代のことです。その中で個人が一層個人化されて、よって立つところを失い不安心理が高まっていく。そういう怪しげな時代が「近代」なんだ。日本が明治維新で近代を受け入れたのは、恐らくはやむを得ない事でした。およその必然として、新しい社会に入らざるを得なかったんでしょうけれど、それを文明開化などと言って肯定的に持ち上げたわけです。戦後日本にしたって同じですよ。あの戦争に負けた理由は「日本人が近代化に後れを取っていたからだ」というのが、いまでも一応定説となっている。となると「遅れた日本なんぞは否定して、さらなる近代化へ向かわなければならない」となるわけですね。戦後民主派は一斉にそう言い放ったのです。新しい模型に次々と飛びつく。しかもそれをモード、流行にしてしまう。それを前へ前へと進めることに疑問は生じないのか?「だったら、ワシはむしろ”後れを取りたい”方だ」と言いたい。「勝手に流行に乗りなさい。ワシは降りる」と。
「ここでちょっと降りてみるか」とはやらなかった。近代化にプラスの価値を置いてひたすら突っ走ったのが、維新後、150年の日本の問題ですね。鹿鳴館から近年の構造改革までずっとですから。
閑話休題:
正しくおっしゃる通り。俺も就職以来30年間は日本の「近代化」に加担し、それから十数年間は「おかしいな?」と首を傾げつつも、近代化に邁進する会社に所属していた。明治以降、儒教も武士道もあらゆる宗教と言うか形而上の頼り・基準を失った日本人は漂泊している。それを代償に、物質的には恵まれ、戦争に巻き込まれずに済んで来たが・・・。
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