”福島第一原発事故の「真実」”を読む 続

  NHKメルトダウン取材班による講談社・2021年刊、”福島第一原発事故の「真実」”を読む。

NHKの取材に協力的でない人もいるし、また協力的な人でも記憶が曖昧・交錯しているから、NHK取材班は、生データであるTV会議を文字起こしして記録に残そうとする。文字にして、IBMワトソンで解析すれば、誰が何を言ったのかの記録になるのはもちろん、発言者の言い淀みや同じ言葉の繰り返しなどによって、発言者の疲労や心理状態、その時何がキーワードだったのか等が分る。どれだけのコスト・時間がかかるか分からないまま、取材班はIBMワトソン解析のため、TV会議の文字起こしを始めようとする。

まず、プライバシーを盾にTV会議を公開しようとしない東電に公開を迫り、一旦は東電に拒否されるも、NHK以外のメディアも公開を要求し、最後は経産大臣の押しで、2012年8月からTV会議の録画を視聴させてもらう。以降東電社員の監視のもと、2017年年明けに文字起こしが完了。

これを解析することによって「吉田所長疲れてるなあ」という雑駁な印象が定量的エビデンスを伴った”断定”になる。また、東電はどういう意志決定の仕組みだったかも分る。(つまり、縦割で本社に情報を集め、情報が集中する本社にお伺いを立てないと意思決定できない、ということが明確になる)

面白かったのは、①記録が残っている62時間中、吉田所長の発言が途絶えるのは5時間のみ・・・不眠不休だったことが分る。②現場確認ができないこともあって吉田所長の質問に「○○のはずです」という答えが頻発する。それで、吉田所長が「『はず』はやめて確認しよう」と言った。ところが、一番「はず」を言っていたのは吉田所長自身だった・・・いずれもワトソン本来の使用目的ではないが・・・

<<「はず」を連発する現場・技術屋・・・俺のいた会社も同じだった。「規則・ルールの通りやってるはず・・・」腐った組織の決まり文句。その通りになっている自信・確信はない。でもそれを認めない・・・>>

<<津波高さの既定の想定値5.7mを変更できない顛末も原子力村の腐った体質を表していて面白かった>>

東電社内で地震や津波対策を検討する土木グループがシミュレーションすると7.7mという津波高さが想定されるということに。それを社長の出席する「御前会議」で報告した”はず”だが、事故後当時の社長に聞いても「報告を受けた記憶がない」と。説明資料が会議に提出されたことは確認できるが、何が報告され、決められたかについては他に重要な議題が多かったこともあり一切記録が残っていない。土木グループメンバーは、必死で行ったシミュレーション結果を発表しても何も起こらず力が抜けた、と。

一方、東海第二原発では、茨城県の原子力安全対策課の課長だった山田広次が足しげく現場に通い、個人の判断で、津波高さの想定を高くするよう「口頭要請」し、原発側もこれに応じてに海水ポンプ周りの防潮堤の高さを上げた。ただし、これはあくまで非公式のことだった。公式になると、まず、住民にその理由を説明しなければならないが、津波の想定高さを上げる根拠、エビデンスがなかった。だから山田も県としてではなく個人として要請し、原発側も非公式に対策を講じた。その結果かどうかは断定できないが、東海第二原発は重大な事故には至らなかった。<<日本ではぎりぎりの決断はこのように、”超法規的”に個人の判断で非公式に行われることがある。当然文書記録は残らない。建前と本音か?日本人はそもそも公式規則なんか軽視する。吉田所長のように首相・本社の命令を聞くフリをして逆らうなんてことをして「美談」と」言われたり・・・)>>

一旦5.7mと公表してしまった津波想定高さを高くしようとすれば、それまで積み上げて来た「安全神話」=「国や電力会社や保安院が言ってきたことは100%正しいから原発も100%安全だ」が崩れる事への恐怖、ためらい。原発を進めたい国の意向とそれに従う電力会社の思惑、なるべく安全に金を掛けたくない電力会社、経産省と東電が一緒になって先頭を走り、その他大勢の電力会社はおとなしくそれに追随するというムラの仕組み。This is Japanだ。

<<政(まつりごと)をする国は神様。原発は安全だ、と言う電力会社・保安院も神様。神様は訂正・修正を許されない。神様は、絶対間違えないという神話を守るべく、民に金を渡して不都合な真実を口封じすることもある。これが安全神話。日本人は神様がやれ、と言えば戦争もするし、特攻もする。>>

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