統帥権を勉強した

 これまで、薄らぼんやりと「統帥権=軍隊の指揮命令権は天皇に直属するから政治家は軍に口出しできない」と考えて来た。

俺なりに研究したところでは:

陸海軍には軍政と軍令があり、軍政とは「軍の編成・人事・組織などに関わる、言ってみれば会社の人事部」であり、軍令とは「戦争遂行に関わる、言ってみれば現場」である。陸軍においては軍政は陸軍大臣がトップ、軍令は参謀総長がトップで、海軍においては軍政は海軍大臣、軍令は軍令部総長がトップである。一括りに「軍部」などと言うが、実は、この陸軍大臣、参謀総長、海軍大臣、軍令総長の4人が天皇の下に並列に並び、それぞれくっつきあったり反発・牽制し合ったりして、大東亜戦争を始め、敗戦に至る。

1939年「三国同盟を締結し日独伊と英仏米ソ間で戦争となった場合、海軍として見通しはどうか」と質問され「勝てる見込みはありません」と答えて日独伊三国同盟に反対した米内光政海軍大臣。この米内が総理大臣になった1940年、ドイツがフランスを降伏させたのを受け、陸軍は三国同盟締結を目指し、米内が反対すると、陸軍大臣を辞任させて内閣総辞職に追い込み、次の近衛内閣の時に同盟は締結される。この一連の経過によって、米内は天皇の信頼を勝ち取ることになる。

1941年大東亜戦争が始まるが1944年には敗色濃厚となり、東條英機総理大臣兼陸軍大臣は、参謀本部・軍令部が統帥権を盾に自分の言うことを聞かないので、天皇の心配を押し切って参謀総長を兼務することとした。(同時に海軍でも嶋田繁太郎海軍大臣が軍令総長を兼務)その後、マリアナ・サイパンで大敗した日本の負けは決定的になる。この戦いは海軍軍令部が仕切る陸海両軍の共同作戦であったが、サイパンでは陸軍兵士を中心に3万人が玉砕した。

事ここに至っても戦争を続けようとする東條英機内閣の総辞職を画策する岡田啓介、近衛文麿、木戸幸一などの「重臣グループ」は、東條に内閣改造する条件として重臣の入閣その他を提示。東條はマリアナ大敗以来、戦争続行に反対した岸伸介無任所国務大臣を辞任させて米内光政を入閣させようとしたが岸には辞任を拒否され、米内からも入閣を拒否される。こうして1944年7月総辞職に追い込まれる。

陸軍は陸軍大臣を辞任させ米内内閣を総辞職に追い込み、海軍出身の岡田啓介や米内光政はその意趣返しで東條英機内閣を総辞職に追い込む。

米内光政は戦犯になることを免れ、1948年、68歳で死ぬ。アメリカは日本の指導者の誰が戦争推進派だったのかまでかなり詳しく知っていたようだ。そんな、日本国民が知らないようなことまで知っている相手に勝てるわきゃあねえか。

そういう意味では、岸伸介も最後の最後に反戦に回ったから、まあ、あとで総理大臣になってもいいか??



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