西部邁「日本人とは、そも何ものぞ」その12 最後

 福田恒存さんが最晩年、文章も残っていると思いますが、「日本はもう一度戦争をして、負けなければならない」と書きました。その真意は恐らく「せっかく負けたからには、72年前に、日本人の弱点と長所は何なのか歴史的に考察して、自らを知る絶好のチャンスだった」それなのに「そうした努力をしないまま、ただひたすら、アメリカという勝馬に我身を預けてしまった」と。

「汝自身を知れ」とはソクラテスも重視した有名な格言で、古典時代からヨーロッパ人の根源的な問いだったのです。「己自身を知らずして、他者や状況について語るなかれ」です。日本もそれがやれたかもしれないけれど、そのせっかくのチャンスを逃がしたまま、日本はアメリカその他の外部へ適応してきた。

ホセ・オルテガの言葉「外部に適応するのをもっぱらにするのは、その文明にとって命取りになる」本当に、自分自身をなくしてしまう事です。日本人は命取りどころか、自分自身を捨ててしまうことを、戦後70年以上も続けてきました。ですから日本人はもういません。だって己を捨ててしまったから。

大東亜開戦に至る経緯を振り返って見れば、もちろんあの時の軍人も為政者も馬鹿じゃないので、アメリカと戦争始めたら、とんでもないことになると分かっていた。だから、やるか、やめるか、ぎりぎりまで迷いました。アメリカは日本に対して、強烈な経済制裁を科し、石油や資源を輸入させない。のみならず、日本の移民はカリフォルニアから排斥する。こうした政策を始めたのは1920年代ぁらです。あれは一種の宣戦布告でした。実質的に戦線布告されて、「日本は立ち上がるか」「いや大敗するからやめよう」と逡巡し、「やるか、やめるか」で悩んで、最後に。ワーっと一斉に行ったわけです。

自分達の歴史を冷静に振り返ると、世界は恐らくそれと同じ局面にある。「やるか、やめるか」なら多分やるだろう、という恐ろしい地点まで来ていることに、世界中の人々が気づいている。日本人だけが吞気に暮らしています。

そうした努力をしないまま・・・しようとしても、冷戦のせいで日本を属国にしておきたかったアメリカが許してくれなかった。今更ながら改めて自らを知る努力をするしかなかろう。

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