西部邁「日本人とは、そも何ものぞ」その4 はかなし
唐木順三の言葉を借りれば、「はかなし」という言葉が、中世では「墓なし」になった。繊細な「はかない」という叙情から、戦場で死ぬ武士のドラマとして、俺達には墓がない、戦いに死んだら、遺体はそのまま野山に放っておかれるという捉え方です。この醒めたリアリズム。
あの世があるとか、形而上に絶対の真理があるというのは嘘で、形而下しかない。肉体だけではなく、精神も含めてー精神にしたって、所詮、俺の頭蓋骨の中で起きる動きではないかという把握を踏まえてー日本人というのは、恐ろしいほどのレベルで形而下にとどまる。とどまりながら、そこの地点で、ギリギリの極限を追究するという、凄いところがありますね。
墓なんて要らない…日本人のリアリズム・・・これは形而下にとどまる俺が共感するところ。救いがないネ。寂しい。一方でギリギリの極限で神様による救い、極楽浄土や成仏を願う多くの日本人は、ご利益を求めて南無阿弥陀仏その他の「呪文」を唱えたり、神社に参拝してご利益をお願いしたりするが、救いがない、ご利益がないとなれば他の神様にもちょっかいを出す。形而上の絶対は信じないが、形而下の救いを求め、元気を出し、自分を励ます。
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