東條内閣総理大臣機密記録(東条英機大将言行録) を読む

 東京大学出版会1990年刊。東条英機の昭和16年12月の開戦から昭和19年7月解任までの首相としての言動の公式記録。

①「大日本草刈選手権」なるものが開催された、とある。冗談みたいで、まず笑ってしまう。この選手権に対し、実直で知られた東條が、訓辞だか祝辞を述べるところが実に面白い。Wikiってみると、何故か岩淵水門という記事に"(荒川と隅田川を仕切る旧岩淵水門の跡地にある)水門公園には「草刈の碑」と呼ばれる大きな石碑がある。これは1938年(昭和13年)から1944年(昭和19年)にかけて付近の荒川土手で行われた「全日本草刈選手権大会」を記念して作られたもので、「農民魂は先づ草刈から」という碑文が記されている"・・・とある。当時は畜産そして人間の食糧としても草が重要視されていたらしい。

②川南造船所所長が頻繁に面会・報告に来ている。こんな造船会社初耳。Wikiると1902年生まれの川南豊作という人物が1931年朝鮮で「いわしのトマト煮缶詰」を売り出して財を成し、1936年に長崎にあった松尾造船鉄工所を買収して、1942年海軍管理工場に指定され戦時標準船を作って一時は三菱重工長崎造船所並みの建造量になった、とある。俺は全く知らなかったが、大陸で成功して成金・国策会社になる・・・戦前のJapanese Dreamを体現したような話だ。川南豊作は40そこそこで日本を代表する造船会社に成り上がったのだ。彼は戦後一旦は公職から追放されるが、1951年川南工業株式会社の代表取締役に復帰。しかし経営は失敗、1961年破産。破産後、”三無事件”というクーデターの首謀者として逮捕される。

③三無事件をWikiると九州出身の元陸海軍人、右翼が中心となって国会を襲撃、政府要人を殺害して、「三無主義」に基づく新政権を樹立するというクーデターを計画したが未遂に終わり、破壊活動防止法違反で22人が逮捕された、とある。”三無”とは「無税・無失業・無戦争」の意。背景には既存の政治家では共産主義革命を押さえることはできない、という危機感があったとされる。こんなことを画策するなんて荒唐無稽とも言えるが、戦後民主主義にすっかり洗脳され縮こまった発想しかできない俺たちの世代から見れば、気宇壮大にも見える。5・15、2・26事件の焼き直しのようでもある。三島由紀夫もこれに影響されて自衛隊突入割腹事件を起こしたとか。ちょっと揚げ足を取ると「無税・無失業」って、共産主義のうたい文句だ・・・結局、共産主義革命阻止を狙ったこのクーデターも共産主義革命の一種だ。

④昭和17年石原莞爾が面会に来る。当時、東條の画策で石原はすでに予備役になり、陸軍の実務からは遠ざけられていたはず。石原は何しに来たのか?また、東條側から見ても、嫌って左遷した石原と会って何を話したのか?

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