西部邁「日本人とは、そも何ものぞ」その6 日本人はなぜ戦争を嫌いになったのか
「時の流れ」を、無常のなかに、いくぶんかの諦観をもって、ありのままに受け入れる。そういった態度なり志向は、日本人に一貫している。日本列島はアジアモンスーン気候の中にある。そのため時にして台風も襲って来て、大変な災害をもたらす。営々と培ったものが。全部なくなってしまう。それから、江戸時代の江戸の町は、大体数年に一度大火があった。ここでも全てが失われる。だから江戸人は家具をあまり持たなかったという話もある。そういう世界では、やはり無常が出て来る。「悟り」のような日本的霊性は、言ってみれば、いま、目の前にある意味だけが絶対ではないとする態度、目の前にある制度に囚われず、それを相対化するための距離を自覚する姿勢としてあります。西洋ならその距離は神によって担保されていました。つまり、いま、目の前の経験的な世界から超越している神を媒介にすることで、現実から自由になれる。でも日本人の場合、超越神はいない。そこで見出されたのが、この果てしない出来事の連鎖の中で全てははかないんだという認識、盛者必滅であり、諸行無常だというその自然観だった。この、自然を媒介とすることによって、ようやく、いまこの意味から自由になることができる。これが日本人にとってどこか救いになっているところがあったのではないか。
日本人は現世の無常を言い、常なるものは何もなく、刻々と移り変わって行くという。でもいつまでたっても、移り変わっていくだけなら、もうそそろ生きるのをやめようかと思い至るかというと、そうでもない。方丈記にしても徒然草にしても「ずっと無常と付き合っていこう」と、こうなっている。まあいつかは死ぬのですが、自分から死ぬことはない。武士はあすにも死ぬけれども、無常を言う人々は武士の身を捨てていますから、なかなか死は選ばない。
無常とか諦観は、「生きる事は苦しみである」という仏教的な発想に多くを負っているにょうですが、日本人の精神性はそれだけでもない。例えば神道はどうか。例えば、イザナギ、イザナミの話で、イザナギが死んだイザナミに会いに黄泉の国に行く。そこにあったのは、ウジがたかった死体であったと。つまり、古い日本では、死、あるいは死後についての思想がなっかたのではないか。ウジがたかった死体ですから、生きるイメージしかない。これが日本の仏教伝来以前の状態だったとすると、それを受けた神道思想には「生」はあっても「死」はない、ということになる。我々は、子供が生まれた時にはお宮参りのため神社へ行きます。七五三のさいにも神社に行く。結婚式も神前が多い。誕生、育成、結婚と「生」に関わる儀式のときが神社であり神道です。一方、葬式とか三回忌とかお盆とか「死」に関する儀式のときは仏教へ行く。となると、無常とか死とかいうけれど、仏教由来ではないか。「死」は穢れであり、ひたすら遠ざけておきたいといわんがばかりの神道的な世界を、日本人の古来の姿と仮定すると、「死」の意識は、ある時点から普及して来たと考えられなくもない。それが日本人の身の丈に合って、貴族から庶民まで広まった。無常観の誕生となりますが、もちろん、日本人の本質に通じて受容しやすかったというのはある。「死」への傾斜と、それを柔らかく避ける態度と。
生きることも死ぬことも実のところ、自然が与えている運命です。自然に逆らうのではなく、自然に身を任せる態度。それが日本人の美意識みたいなものを支えているのだとすれば、恐らく積極的に死を選ぼうとしない態度というか、死を引き受けつつも、それを「柔らかく避ける態度」というのは、そういう自然観の問題と交差してくるところなのかも知れません。
「人間、わざわざ死んでもしようがない。死ぬまで生きていようぜ」といったあたりかな。生きている限り自分の能力いっぱいで、競馬を見たり、木に登ったり、酒を食らったり、あるいはまた俳句を詠んでみたりして、楽しむというか、時間をやり過ごすというか、いろいろあるじゃないか。そうやって、生への執着というのも表現してきた。これは凄いことだ。
さらに言えば、いま、与えられた生を精一杯楽しむ、その「生き方」は日本人の美意識にも直結しています。無常だと分かっておきながら、無理にでも完璧な「美」を追い求めるなど野暮の骨頂です。けばけばしい飾りなど必要もない。完全に作り上げられたものだとしたら、「美しさ」など不自然だ。
本来の悟りはすでに実現しているから、修行を通じて悟りを開く必要はない、となり、しだいに本来悟っているなら、世俗的な存在の方が偉い、となってくるわけです。日本的な神と言うものは世俗的なものだから、こちらの方が偉いという見方につながっていく。かくして仏教の神と日本の神が逆転していった。中世において、そういった思想のドラマが展開され、神道思想が形成される。
本来悟っている、という本覚思想から、法然や親鸞は在家信者を相手に山を下りるということにもなる。さらに本来悟っているなら、なぜ修行しないといけないのか、という疑問にもつながり、道元の「只管打坐」の思想を導いていく。
「賢(さか)しら」を捨てよ、ただひたすら座れですね。
俗世で生きる、と開き直ってしまうと、生きるか死ぬかの覚悟は出て来なくなる。南無阿弥陀仏とでも言っておこうかな、で済んでしまう。ある意味、相当なまでに消極的なニヒリズムです。(修行のために)山林で暮らす前に、街へ降りて病気の人を助けてもいいし、療養施設を作って治療をしてもいいいはずです。己の生と死を懸ける実践の行はいくらでもある。俗世に開き直ると、そうした積極性にどんどんシラケて行くところがないか。安逸にながれる。厳しい実戦を避け、修行も要らない、となる。そして、時にして。面倒くさくなって、今度はふっと山へ隠れてしまう。ここには日本人の消極的なニヒリズムーすなわち状況から退いて行き、生きるか死ぬかの死活の選択なんてなるべくしないでおこうーがある。これを継承しているから、とりわけ戦後の日本人は「戦争なんて嫌いだ」で済ますようになったんじゃないか。
「世俗主義」への開き直りは、そのまま戦後日本人の「生命至上主義」であり、「平和主義」につながる。
我々の根元に、良かれ悪しかれだけれども、どうも超越に行かないで、現世の中に紛れ込んで、しかもそこで巧みに生ききろう、あるいは死に切ろうという消極的ニヒリズムがある。
閑話休題:
「死」への傾斜と、それを柔らかく避ける態度・・・俺の場合、「死んだらそれでおしまい、死後などない=生しかない」ということか?・・・「柔らかいニヒリズム」
自然観の問題と交差・・・日本人にとって自然は人間を生かすもの。殺すこともあるが生かす=恵みの方が大きい。
俗世で生きる、と開き直ってしまうと、生きるか死ぬかの覚悟は出て来なくなる・・・「既に悟っているから修行は要らない」が、「生死や悟りことなど忘れ、楽だから修行しない」に変わって行く。鎌倉時代に生まれ、古い仏教を壊した本覚思想が、戦後、生命・平和至上主義に堕ちる。
「生きることに意味はない」と”悟り”つつも、俗世に生き、できれば楽したい、金も欲しい・・・正しく俺の消極的ニヒリズム。生きることに意味を見出せないなら死ねばいいのに。
俗世に生き、できれば戦争はしたくない、平和も欲しい・・・俺のニヒリズムと根っこは一緒。生命・平和至上主義だから「平和になるなら死ぬ」という訳にはいかない。
消極的ニヒリズム=生死のことは置いといて・・・=ごっこ=業?
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