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9月, 2024の投稿を表示しています

メディア コントロール

live door NEWSに以下:   経済学者の高橋洋一氏が28日、出演番組の〝報道規制〟について語った。 27日に行われた自民党総裁選は決選投票の末に石破茂氏が高市早苗氏を破り、新総裁となった。10月1日にも102代首相に指名される。 一連の動きに株式市場は敏感に反応。金融緩和維持の高市氏が破れたことで、日経平均株価の先物は28日午後10時半現在、2000円を超える下げ幅となっている。 高橋氏はこうした話を番組に盛り込もうと思ったそうだが…。 28日に更新したXによると「早速報道『規制』。今日『先物』が2000円下がったというよと本番前にスタッフに伝えたら、報道から株価は必ず下がるとは言わないでほしいと言われている。断定的判断になるから」と返されたという。 その上で「先物が下がっているというのは、市場は将来下がるとみているんだから、きちんと先物が下がっているというよと伝えた」という。  高橋氏は同日夜のユーチューブライブでもこの件に言及。「月曜朝に(株価は)ドンと下がる。でも今日『テレビの視聴者をアオらないで下さい』とテレビ局からご指導を受けましたよ」と切り出した。  これにカメラを回す男性スタッフが「そんなこと言われたんですか?」と反応。  高橋氏は「だってさあ、株価の話わかりやすいから。(総裁選)1回目の投票まで高市さんで(日経平均は)ずっと上がってて。石破さんとわかった途端、(先物が)ドーンと落っこった。マーケットというのは正直なんだよな。世界中で取引が行われている。それで(テレビ局に)これは事実だから、と言ったら『断定的な判断をしないで下さい』って。これ、判断じゃないんだよ。実際に起こっていることなんだよ。誰でも見れる話。参っちゃったよ…」と苦笑いを浮かべた。  さらに「ようは〝石破ショック〟と言ってパニックにならないようにして下さいっていうのが、まぁ、テレビ局のほかのところに(お達しが)来たみたいだな」と暴露。テレビ業界も手探り状態であることを明かした。 >>さて、月曜日、円高株安が隠しようのない現実になると、今度は「円高株安は一時的」などと言わされるんだろうね。しかし、事実をありのままに述べることを「断定的判断」と言わせる・・・TVは終わってる。 メディアが発信する情報を、俺の世代なら「TVはおかしい」「割り引いて受け止めよう」と考える。そ...

高市早苗じゃないと日本は終わります

2024年9月24日付け 週刊現代 「高市早苗じゃないと日本は終わります」石丸伸二応援団長・ドトールコーヒー鳥羽会長が、自民党総裁選で「保守のプリンセス」を応援する理由 より:   「 国家は一人の優れた指導者により繫栄し、また一人の指導者によって滅びます 。では、今回の総裁選の候補者を見比べたとき、最も政策がしっかりしていて、かつ『知識』『見識』『胆識』の3つが揃っているのは誰か。 私はダントツで高市さんだと考えております。高市さんには政策を断行できる実行力もあります。この方が総理になれば日本は立ちどころに変わるのではないか。そんな期待を込めて応援しております。 日本のGDP(国内総生産)はドイツに抜かれて世界4位に落ちました。一人当たりGDPに至っては世界38位です。 国力の低下は明らか ですが、残念ながら危機を訴えているだけの政治家が多いのが現実です。 石丸さんは安芸高田市長時代、市議に対して『恥を知れ! 恥を!』と言い放った。一種のパフォーマンスですが、これで バズッた。そこまで計算していて演技 をしていたわけです。これはたいしたものだと思います。 >>全く分からない。ただし、鳥羽会長の政治家を応援しよう、インキュベーターになろう、という志は素晴らしいと思う。問題は人選だ。出来上がった人でなく、適切なマネージャー・教育者を確保して、松下政経塾のように、政治家を作る、産む、ということをなさったらどうか?鳥羽会長の好きな高市早苗も松下政経塾の出身だ。 日本の歴史を振り返って、 一人の優れた指導者により繫栄し、また一人の指導者によって滅びた ことはない。幸か不幸か、日本という国には、”指導者”は生まれない。国の”指導者”とは国民全体を自分の意のままに動かす意志と力のある個人を指す。首相一人が代わるっても、官僚組織・人事は大きくは変わらない。首相に忖度はするが、官僚個人の価値観や好みは変わらない。日本人は上司や親や先生・・・の言う事を表面上聞くフリはしてもそれは、損得を計算してのことだ。得すると思えば(言う事を聞かないと損すると思えば)、言う事を聞くだけだ。言うことを聞いて得している限りは言うことを聞くが、言うことを聞いていたら損する、と判断すれば手のひらを返す。損得の判断根拠はあいまいで変わりやすい。言い方を変えれば「空気」「みんながそうする」からそうする...

脳梗塞?

 この1週間でなんと3回、飲み物をいれた容器を床に落として床に飲み物をぶちまけた。 1回目は:机の上にコップを乗せるつもりで、よく見ないでコップを置いたら机がなかった。 2回目は:机の上のパソコンを押して移動したら、パソコンがコップを押し、コップが机から落ちた 3回目は:コップを持って歩いていたら落とした さてさて、1,2回目は距離とか場所を認識する神経あるいは脳の劣化か? 3回目は脳梗塞で意志に反してコップを握る力が弱まった? 偶然とは思えない。何らかの脳・神経の劣化老化だ。自分はそういう人間だ、とあきらめて注意しよう。 ちなみに、いくつかある脳梗塞の初期症状のうち、俺に当てはまるのは: 言葉が理解できない 言葉が出ない 字が出てこない 飲み込みにくい    と言ったところか? 

恥ずかしいほど元気

 今年は猛暑が続いたが、「恥ずかしいほど」元気だった。何歳か若返った感じ。歩くスピードも少し早くなったように感じる。主には山茱萸のおかげだと思うが、薬、サプリと1週間の運動サイクルを記録しておく。 薬:医者に商法されたコレステロールの薬(ピタバスタチンカルシウム1mg)と降圧剤(アムロジビン2.5mg)を朝食後に1粒ずつ服用する。 サプリ:マルチミネラル(DHC製、カルシウム、マグネシウム、亜鉛、銅、マンンガン・・・)1粒 鉄+葉酸(オリヒロ製、鉄、銅、葉酸、ビタミンB6,B12・・・)2粒、カワイ肝油ドロップ(ビタミンA,ビタミンD2)1粒を朝食後に服用する。  サプリ摂取量は1日分の半分程度。過剰摂取を心配して。 山茱萸粉末:3グラムを水と混ぜペースト状にしたものを夕食前に舐める 就寝前:アレルギーの薬(ロラタジン10mg)を1粒服用する 運動:  ①ゴルフ週1回  ②筋トレ週1回2時間  ③ゴルフ打ちっぱなし週1回50球  ④毎日散歩(時速4㎞くらいのスピードで2~3km)  ※筋トレをする日は、プロテイン1日分を3回くらいに分けて飲む この運動は2020年から習慣として続いている。筋トレはゴルフの最中に手足がつらないようにするためと、認知能力維持、がん予防の効果を期待。 暑さが続いたせいか、飽きたのか、はたまた株価が急落したせいか、8月は上記の運動が嫌になり、だいぶさぼった。(ゴルフだけは仲間のある話なので予定通り行った)ゴルフの調子は悪くなったが、体調は悪くならなかった。ゴルフの調子を上げるべく、9月は再び元に戻そうとしている。 その他、タンパク補給のため。ヨーグルト100cc、きな粉50cc、はちみつ、オリゴ糖をまぜたものを週2回程度食す。 また、厚揚げ、豆腐が値引きされている場合は積極的に買って大豆たんぱくの摂取を行う。

「使いやすい」という切り口(認知科学)

 他人に理解されない(あるいは誤解される)ことを恐れるということが日本人は少ない。同じような環境で育ち、同じ言語をしゃべり、同じような人種の日本人はそもそも理解されない・誤解されるということが少なかった。 役人の作文、法律がその典型で「下々の者には分からんだろう。分からなくて結構。」という代物だ。また平安時代以降の和歌も様々な語句をわざと省き、読んだ人に理解されにくくし、それを忖度・想像力で理解(したふりを)するものだった。 情報発信する側は分かりやすくしようと言うことはあまり考えず、情報の受け手側に理解する能力を要求する。発信者が「みなまで言う」前に察してあげるのが聞き手の能力だった。聞き手の能力は評価されるが、情報発信者の「分かりやすさ」情報の「使いやすさ」は評価されることがなかった。 そういう伝統があるから情報を理解されやすくしよう、道具を使いやすくしよう、ということを考える「認知科学」が弱い。 この点、日本と真逆なのがアメリカだ。昨日まで外国人だった人が世界中から移民で入ってくる。言葉もちがう、生活習慣も違う、情報発信者は誤解される、理解されないのが当たり前と考えて情報発信する。 店の開店時間なども広い意味で「使いやすさ」の範疇に含まれる。店は開店時刻の何分か前に開くべきだろう。開店時刻の何分か前から店頭で待つ客に「使いやすく」するという観点が必要だ。今朝、9時開店の調剤薬局に9時前に着いたらシャッターが閉まっていた。シャッターには開店9時と書いてある。「休みか?」と思ったが、同じように開店を待つおじさんがあと一人いたから数分待つと9時1分にシャッターがあいた。この一件で嫌になる客もいるのではないか?広い意味での開店時刻の情報発信が悪くて使いにくい店になっている。 昨日はクレジットカードの利用限度額を一時的に増額することを依頼する電話をかけた。増額の審査に1週間かかるということで、結果を連絡してもらうことにして用件は済んだが、電話に出た女の情報発信に違和感を覚えた。つまり、第一に「カードを出して、カードにかいてある12桁の数字を4桁づつ読んでください」と言われる。これは問題ない。次いで「お名前をフルネームで」と来た。おれはその直前にカードを凝視して12桁の数字を読み終わったばかりだ。俺の目はカードにローマ字で書いてある名前を見る。その名前は英語風に、...

日韓基本条約

  ちくま新書 筒井清忠編「昭和史講義」(戦後篇 下)より 木村幹 日韓基本条約 韓国政府が日韓両政府の関係に持ち込んだ「特殊な主張」とは、大きく三つ存在した。第一は、これが、第二次世界大戦に勝利した「戦勝国」韓国と「敗戦国」日本の間での講和会議だ、という主張である。1948年に成立した大韓民国の初代大統領李承晩と彼の政権は、自らの国家すなわち大韓民国は、1919年に起こった三一運動を受けて上海に樹立された大韓民国臨時政府の法統を引き継ぐものだと位置づけていた。そして、この大韓民国臨時政府は日本による真珠湾攻撃の翌日、日本への宣戦を布告しており、故に韓国は連合国の一員であり、「戦勝国」である、としたのである。二つ目は「植民地支配違法論」である。朝鮮半島の民族運動勢力の間では、長らく日本による韓国併合は時の大韓帝国に対して軍事力を用いての脅迫をもって押し付けられたものであり、それゆえそこには大韓帝国側の有効な意志の表示はなく、国際法的に無効である、という主張が行われており、韓国政府もまた、今日までこの主張を継承することになっている。併合が違法である以上、日本による植民地支配そのもの違法であり、故にその支配下に行われたいかなる法的行為も違法かつ無効である、と主張する。だからこそ、韓国の政府や国民は、この日本政府の違法な支配により生じた損害や慰謝料を、日本側に請求する法的な権利がある、とした。 第三に、韓国併合が無効である以上、大韓帝国は国家として「法的には」消滅しておらず、その後も存在し続けた、とするものである。 韓国政府がこのような複雑な論理を以て臨んだ理由は大きく二つあった。一つは通常の脱植民地化の過程では、単にかつての植民地政府の資産が新たな独立国家にそのまま引き継がれるだけであり、そこに何らかの「賠償金」の請求権は発生しない。つまり、韓国政府はこの論理を持ち出すことで、植民地政府の継承により得られる範囲を超えて更なる追加的な資産を得ようとしたことになる。だからこそ、そのためには、韓国の立場は、インドやベトナムといった他の列強の植民地支配から独立した国々とは異なるものである必要があった。 第二の理由は、韓国が北朝鮮との体制間競争にさらされていたことである。韓国政府にとって、大韓帝国から大韓民国臨時政府へと引き継がれた「法統」の存在を主張することは、自らが北...

全共闘・三島事件・連合赤軍事件

 ちくま新書 筒井清忠著篇「昭和史講義」(戦後篇 下)より 西山伸 全共闘・三島事件・連合赤軍事件 全共闘の運動は突き詰めれば自己の内面に向かっていくものだった。当時雑誌により実施された東大生を対象としたアンケートで、全共闘支持者が闘争の主要目標としてあげたのは「現行大学制度の解体」「体制への拒否表明」「自己変革」「自己主体の確立」といった抽象性の高い項目で、「大学民主化」「機構の合理化」といった項目に対する彼らの評価は極端に低かった(「世界」1969年9月号)。 全共闘運動は、大学の問題性は鋭く指摘し攻撃したものの、具体的な改革のプログラムは持っていなかった。というよりそもそも持つような運動ではなかった と言えよう。(略) いずれにしろ、当時連合赤軍事件に最も衝撃を受けたのは、1960年代後半以来何らかの形で左翼運動や全共闘運動に加わってきた者たちであった。全共闘による「 自己否定」 の直接の延長線上に連合赤軍事件があった、と軽々には言えないが、当時の学生運動一般のなかに、運動から離脱したり、それに 否定的な態度を示したりする者を激しく糾弾する 面があったことは事実で、そのため彼らにとって連合赤軍事件は他人事ではないと受け止めざるを得なかった。この事件以降、全共闘運動によって盛り上がった若者たちの運動は沈滞していくことになる。 >>翼の会・ジョーカー議員、石丸伸二らは、今の政治はオワコンだ、と絶望し、攻撃はするものの、具体的な改革プログラムは持ってない。上述の全共闘と同じく、単なる自己否定の変形か?また、自分たちに否定的な態度を示すと激しく糾弾する点も全共闘と似ている。とすれば、何年か流行った後は、雲散霧消する運命だ。

歴史認識問題

 ちくま新書 筒井清忠編「昭和史講義」(戦後篇 下)より 奈良岡聴智 歴史認識問題 戦後日本人の間では、平和憲法を守り、不戦を誓うことをもって、過去の戦争の問題は解決済みと見なす向きが強かった。歴史学会や論壇では、日本の起こした戦争を「侵略戦争」であったとする見方が多数派であったが、少数派の戦争肯定論も並存しており、戦争をどう総括するかについての国民的合意は形成されなかった。アジア諸国に対する経済協力は、事実上の賠償としての意味を持ったが、日本がどのような責任を、だれに対して、どのように償うのかという本質的な議論は十分になされず、政府の見解を表明する機会もなかった。 また、戦後処理の方針を決定する過程から、戦争被害者が排除されていた。 >>俺の世代は先の戦争、とりわけ日本人が朝鮮や中国や東南アジアで何をしでかしたのか、詳しくは教わっていない。教える側もあえて教えなかった。敗戦を語りたくなかったというのもあったろうし、そもそも侵略戦争だったのかどうか、国民的なコンセンサスを得られず、従い、迷惑をかけた国々に対する謝罪や賠償が曖昧に行われたということもあったのだろう。 俺は勝手に先の戦争を「みんながそう言うから引っ込みがつかずに勝てもしない戦争を始め、止めることができずズルズル引きずるどころか、負けそうになったら『お国のために死ぬ』という、本来個人の美徳であるべきものを国民全員に強制した無粋なもの」と考えた。そしてその無粋の根源は日本人の「赤信号みんなで渡れば怖くない」に行きつく、と考えた。 朝鮮における創氏改名も「朝鮮人も日本人と同じがいい」という無邪気な思い込みによる無粋なものだった。八紘一宇という日本軍の植民地政策はみな同根のもので、相手がどんなに嫌なのか、想像しようともせず、「日本人(みんな)と同じになれ」と強制した無粋なものだった。(だから、日本人はかつての植民地から恨まれ、嫌われるのか?これに対し、イギリスやスペインやポルトガルのかつての植民地は言葉もそのまま残ったし、愛着もあるように感じる) そんな日本人が「多様性」「違っていてよい」なんて気持ち悪いことを言う。俺は、本来は白ワインは魚に合う、赤ワインは肉に合う、と使い分けるべきところを、日本人の「多様性」は、白ワインと赤ワインを混ぜて「同じ」にして飲む、と思っている。

おしんドローム

 ちくま新書 筒井清忠編「昭和史講義」(戦後篇 下)より 村田晃嗣 バブル時代の政治 1983年4月4日、NHKの朝の連続小説「おしん」が始まった。「おしん」はわずか1月で視聴率50%に達し、11月には62.9%を記録するまでに至った。この番組は83年最大の社会現象となり、「おしんドローム」とさえ呼ばれた。多くの発展途上国でも「おしん」は大ヒットした。国際政治学者の高坂正尭は「おしんドローム」の逆説を鋭く突いている。「個人の美徳は常に公共の必要とは合致しない。勤勉は高い生産性と多額の貯蓄を生む。それらが現在の内需の不振と輸出の増大を招くのであり、その結果、膨大な貿易収支の黒字が生み出される」「現在の日本人が『おしん』とちがって、もう少し働かないか、あるいは浪費してくれる方が公共の必要に合致すると言えよう」 >>朝の連続テレビ小説、なかんずく「おしん」など辛気臭くて嫌いだった。ところが「おしん」精神が日本の外貨独り占めの淵源だ、とは…。たしかに80年代のバブルと呼ばれた浮ついた世相は反「おしん」だった。

公害・環境問題の展開

ちくま新書 筒井清忠著「昭和史講義」(戦後篇 下)より 小堀聡  公害・環境問題の展開 1963年12月~64年10月に静岡県三島・沼津・清水の二市一町で展開され、勝利した、石油コンビナート阻止市民運動があった。広い土地、地下水、良港という三条件を兼ね備える一帯は重化学工業地帯に最適であり、1963年10月、富士石油、住友化学、東京電力の三社はコンビナート計画を整えた。政府や静岡県もこれを熱心に支援する。だが、住民による反対運動が広範に展開された結果、64年5月に三島市長が、9月に沼津市長が計画撤回を要求。三社は進出断念に追い込まれた。成功の理由は第一に、保守も含めた多様な階層がコンビナート進出反対の1点で共闘したことである。運動の参加者は漁業業者、主婦、自治会代表、医師会、労働者など広範囲であり、革新政党の活動家は裏方に徹した。第二に、学習を重視した運動が展開されたことである。市民運動は四日市の見学や実態調査を行ったほか、学習会を繰り返し実施した。これには理科系の高校教師や三島市の国立遺伝学研究所が大きな役割を果たした。学習によって培われた洞察が、企業・政府への反論や運動の持続を可能にした。(略) 飛鳥田横浜革新市長下で、東電は公害対策として液化天然ガスを火力発電燃料に世界で始めて本格導入した。これを考案したのは東京ガスである。東京ガスが東電に液化天然ガスの購入を持ち掛けたのは、東京ガスが進めていた、アラスカからの液化天然ガス輸入というプロジェクトの採算ラインを確保するためであった。 >>俺は静岡県人、三重県人、和歌山県人、茨城県人は「ゆるい」と思っている。厳しい自然環境にさらされないせいか、「揉め事嫌い」「みんな仲良く」「固いこと抜きで」という県民性。「石にかじりついてでも」なんて言わない。意志は弱く我も弱い。その静岡県人がお上と大企業に逆らって公害反対なんてよくできたものだ。全く知らなかった。天然ガス燃やして発電も、こんな経緯があったなんて。実に面白い。

やっぱり進次郎に決めた!

集英社オンラインに  犬飼淳という人が以下: 犬飼氏は、演説を聞いて、進次郎の良さを ①声質の聞き取りやすさ ②聴衆が理解できない言葉は使わない ③小難しい話はしない ④ネガティブな感情は見せない と言う。 最後に、 進次郎氏は「血筋と容姿に恵まれただけで中身を伴わない世襲議員」ではなかった。正しくは、「中身は全く伴わないものの、演説や人心掌握術だけには非常に長けた政治家」と筆者は考える。 その一方、今回の出馬会見では突如として公約として憲法改正や解雇規制見直しも宣言した。一見すると爽やかで人気は高いが、場合によっては日本を壊しかねない政策を平気で採り入れてしまう恐れがあるという点で、一般国民にとっては非常に危険な人物ともいえるのではないか。 >>おバカなだけでなく、危険かも、、、って。ところで、憲法改正や解雇規制見直しのどこが危険なのか?自衛隊は違憲だ。憲法を変えて合憲にするのも結構。逆に違憲だから米軍ごと撤廃も結構。労働市場の流動性を高めるには解雇規制を見直すべきだ、大いに結構。逆にそんな新自由主義は止めていったん雇ったら何が何でも会社側からは首にできない、それも結構。 相手は中身のない進次郎だぜ。そんな進次郎が爽やかにおかしなことをしようとしたって、阻止できるでしょう。それとも進次郎に輪をかけて中身のなかった純一郎がさんざん日本を壊すことをしたけど、人気があったから止められなかったという経験がトラウマになってるのかな?

大谷の51号ホームランをリアルタイムで見た(50号で止めておいた方が・・・)

相手チームは野手に投手をさせていた。つまり試合を投げていた。そんな相手・投手からホームランを打つのは大人げない。この試合ですでに2本ホームランを打っていて50号に達していた。やめといた方がよかった、と思った。彼は幸運を呼び、維持するために行動や心持を整えていると聞いたことがあるが、この51本目のホームランは幸運を使い果たし、絶頂から転落するきっかけになりはしないか? 大リーグでは試合の帰趨が決まった後、盗塁するのはいけないこととされている、と聞いたが、それは大リーグの粋であり、意気だ。俺にも理解できる。大谷のこのホームランはこの粋、意気に障るのではないか? 実際、この大谷のホームランの後、試合はがぜん緊張感がなくなった。シラケた笑いが充満した。そういう意味では試合をぶち壊したとも言える。中継するNHKアナウンサーも緊張感がなくなった。 俺は「大谷さん、大谷さん」のメディアは大っ嫌いだ。そのメディアは相変わらず無粋に「大谷さん、前人未到の大記録」とやるのだろうか?報道もそろそろやめといた方がいいように思う。

国鉄等の民営化と新自由主義のはじまり

 ちくま新書 筒井清忠編「昭和史講義」(戦後篇 下)より 飯尾潤 国鉄等の民営化と新自由主義の始まり (略)中曽根が行政管理庁長官に就任すると、行官庁の官僚は長らく封印してきた大規模行政改革の機会が訪れたと考え、中曽根や鈴木首相も賛同して、1981年3月に第二次臨時行政改革調査会が発足した。財界を代表して元経団連会長の土光敏夫が会長に就任し、会長代理に財界から瀬島龍三がついたほか、官界・学界・労働界・報道界など、多様な背景を持つ委員をそろえて、行政改革の審議が展開した。1982年7月の基本答申が山場であった。この答申では、「日本型福祉国家」の理念の提示や、総務庁の設置なども提起されたが、注目されたのは、国鉄などの民営化の方針を明確に打ち出したことであった。その後1983年3月に臨調は解散した。中曽根内閣は、答申の最大限尊重を閣議決定して、その方針の実現を約束する。こうした臨調の活動は、省庁官僚制やその背後にある諸利益集団あるいは族議員との 調整 を必要としており、通常は根回しに動く官僚が当事者であることもあって、瀬島などが「裏臨調」と呼ばれた場を使って政治的調整を行っていた。また土光や瀬島に対して田中派の政治家がそろって協力を誓ったと言うエピソードに見られるように、政治家が自ら処理できない課題処理を有識者に委ねた形となった。強力な審議会が成立して、改革案の作成が通常の政治・行政における調整過程から切りはなされたことは通常との別の政策過程を展開させる空間を確保することを意図したものであったが、その活動を支えたのは、第二次臨調に対する国民各層からの幅広い支持であった。これは、聖域とされていた官僚機構にメスを入れることを喜ぶ庶民感情に、第二臨調を率いる土光敏夫の廉直な人柄が、テレビ放送などで広く知られるようになったことから「土光ブーム」が起こったことが加わったものである。これには関係者がメディア戦略を積極的に展開して、世論を誘導していったという側面もあった。(略) 当時の体制では各省庁の自律性は高く、外から行政全体に切り込むのは難しく、多くの課題において各省庁横並びの「一律削減方式」が基本となった。ただ国鉄など公共企業体については省庁自体の改革ではないので、監督官庁の協力が得られれば、改革が可能だという事情があった。(略)第4部会では、改革の対象となる国鉄や電電公...

非正規雇用に満ちた学校 子どもの未来信じられるか 東畑開人さん

朝日新聞デジタルより;  消えつつあるのは未来を育てる人の未来だ。そう思ったのには、二つの年度末的な理由がある。一つは東京都の全公立小中高校にいるスクールカウンセラー(以下SC)の、大量雇い止め報道だ。SCは元来1年契約の非正規公務員ではあったが、それでも業務実績に応じてそれなりに順当に再任用されてきた。しかし、2020年度から導入された会計年度任用職員という新たな人事制度の結果、今年度末に異例の数の雇い止めが生じていて、その中には現場からの評価がよかった熟練のSCも多く含まれているという。  もう一つは、私立学校の教師たちの研修会に呼ばれて、若手中堅の教師たちと話をしたことだ。聞けば、彼らの少なくない数が1年任期で働いていて、「先のことはわからない、目の前のことを一生懸命やるだけ」と切実に語っていた。休日に研修会に参加するような熱心な教師たちが、未来が見えないまま、現在だけに視野を限定して働いている。もちろん、公立学校でも同じような問題が起きている。  教育現場が非正規雇用で満ち満ちている。年度末より先に、誰が学校にいるのかわからない。問題となっているのは1年後、つまり「近未来」だ。SCにせよ、教師にせよ、未来を育てる大人たちの近未来が失われている。 >>学校の先生…思い出されるのは日教組のトラウマ。子どもなんて無視して国に抵抗し、国と戦う日教組だった。日教組が安心して戦えたのは、失職の心配がなかったから。そんな教師と言う職業は。長年「でも・しか」だった。他に仕事が見つからないから「教師でもやるか」「教師しかできない」といった塩梅。上述の通り、多分日教組のトラウマ、つまり「何しても首にならない」という無責任・安心感をぶっ壊す新自由主義的な非正規雇用。一方で新自由主義は「競争」をもたらし、人気のある学校(教師)と人気のない学校(教師)の格差をもたらす。教師という職業は、キャリアのひとつにカウントされるのだろうか?あまり、教師出身ってキャリア上「売り」になる印象がない。逆に他の職業から教師になるという転職はあるのだろうか? 「評価もされず、競争にもさらされず安心して一生教師ができる」という極端と 「評価され、いつ首になるか分からない」という極端。 教育は基本だ。にもかかわらず、絶望的に解が分からない。

政治家・官僚関係の新展開 

 ちくま新書 筒井清忠編「昭和史講義」(戦後篇 下)より 牧原出 政治家・官僚関係の新展開  1948年に成立した第二次吉田内閣は、GHQの占領改革派の支持を受けた片山哲・芦田均の中道内閣の路線から、経済復興の路線へと転換するため、官僚出身の候補者を大量に選挙で当選させ、佐藤栄作官房長官や池田勇人大蔵大臣など、官僚出身の議員を側近に据えた。吉田自身は「Yパージ」と呼ばれる更迭と登用を繰り返した。特に標的となったのは。出身の外務省であった。こうした人事介入は、鳩山内閣以降も続く。首相側近の河野一郎農林大臣は、官房長に安田善一郎を抜擢し、省内で戦中期に内閣に出向していた「物動派」と呼ばれる官僚集団を登用し、合理的な農政を展開した。保守合同後、河野は岸に接近し、岸内閣では経済企画庁長官に就任すると、通産省からの出向者を更迭して新しい人材を得るといった措置をとっている。岸首相も、自らのイニシアティブで盟友の長沼弘毅を公正取引委員長へと就任させている。 1960年7月に成立した池田勇人内閣は、大蔵官僚でもありエコノミストでもあった下村治の構想に基づき、日本経済の「成長力」を発揮する国民所得倍増計画を策定し、高度経済成長を内閣の一大施策とした。この池田を支えたもう一人の大蔵官僚が池田内閣時代に主計局長・事務次官を歴任した石野信一である。石野は戦中期の内閣官僚であり、吉田内閣の池田大蔵大臣を大臣官房調整部長として支えていた。 >>吉田茂自身もそうであったが、官僚が政治家に転身する…これが戦後日本の政治家の育成法だった。今も官僚から政治家になる者はいる。ただしかつては政治家がスカウト(一本釣り)した。今は官僚が自ら政治家を目指す。この方が世襲よりはましだろう。しかし、有為の若者が政治家を目指すようにする、もしくは有為の若者が官僚になり、それを政治家にスカウトする、というのはもうダメなのか?

安保闘争と新左翼運動の形成

ちくま新書 筒井清忠編「昭和史講義」(戦後篇 下)より 駄場裕司 安保闘争と新左翼運動の形成: (略)全学連は小選挙区反対運動、1956年夏の原水爆禁止運動、秋の第二次砂川闘争、1957年の原水爆実験反対運動、1958年秋の警職法反対運動など立て続けに大衆運動を組織した。これらを指導したのは、学生運動家離れした政治力を持つ全学連中央執行委員長・平和部長の森田実である。特に第二次砂川闘争は、米軍立川基地拡張のための測量を中止させて勝利し、森田は「砂川の英雄」としてマスコミの脚光を浴びた。しかしそれが逆に森田ら現地組と。書記長に残った高野秀夫書記長や牧衷副委員長の間に亀裂を生じさせ、全学連の主流派と反主流派への分裂につながっていく。(略)第二次砂川闘争から生じた全学連主流派と反主流派の対立は激化し、日本共産党中央は反主流派を支持して全学連に干渉しようとした。(略)1958年初冬の共産党東大細胞解散を経て、12月10日に文京区黒門町の医歯薬ビルで、ブント創立大会が開かれ、約45人が出席した。ブントは島成郎、青木昌彦、片山道夫らの東大・早大連合、トロッキストの革命的共産主義者同盟グループ、森田実、香山健一らの旧全学連主流派の3グループの寄り合い所帯で、三派が三つ巴で争っていた。書記長には島が選ばれたが、その三日後の全学連第13回大会では、人事争いの末、革共同の塩川喜信が委員長、土屋源太郎が書記長になった。  (略)通説では、全学連主流派が田中清玄に接近したのは、1960年1月16日の岸信介首相訪米阻止闘争で逮捕された唐牛委員長以下指導部77人の保釈金調達のためとされる。しかし、全学連反主流派側は、島書記長が1959年4月頃から田中をパトロン兼武装面の援助者にしたとする。そして全学連書記次長として財政面を担当した東原吉伸によれば、島成郎はブント結成前から田中清玄を相談相手としていた。田中は 政財界有力者や司法関係者、言論人や報道関係者、宗教人、盟友の山口組三代目組長田岡一雄、汎ヨーロッパ運動のオットー・フォン・ハプスブルク、後にノーベル経済学賞を受賞するフリードリヒ・ハイエク を引き合わせて自己の行動哲学や人脈を継承させようとし、全学連委員長となった唐牛健太郎にも同様だった。武装共産党委員長時代と長い獄中生活、コミンテルンとの死闘の経験を踏まえた田中清玄の実践論と、共...

自民党員は劣等以下の民族だ

日刊スポーツに 青木理さんの発言に関する 以下の記事: 12日に配信された政治メディアのYouTubeチャンネル「ポリタスTV」で津田大介氏と対談。冒頭で津田氏が「人々はなぜ自民党に入れ続けるのか?」という講演を予定していることを告げると、青木氏が「よくこんなテーマで…。一言で終わりそうじゃない。『劣等民族』だからって」と感想をもらし、津田氏も笑って応じた上で、「単純な話ではなくて、いろいろなのがあるんじゃないか」と深堀りする趣旨を説明していた。 >>>さてさて、これから自民党総裁選に党員票を投じようとしている俺は劣等以下だ。自民党員は最悪民族?西部邁 さんが自虐的に、「度し難いね、日本人は。。。」という意を込めて自分を含む日本人全体を「れっとう人」と呼んでいたことを想起させる。西部さんは自分にそして日本人に絶望して自殺したが … おととい、(9月17日)、自由民主党総裁選挙投票用紙が郵送されてきた。2回(2年分)党費を払った俺は、自民党総裁公選規程にある「前2年以上党費をおさめた者」に該当したようだ。 さてさてさて、今のところ進次郎にするか、高市早苗にするか悩んでいるが、99%進次郎に投票するだろう。だって、連日「進次郎はおバカだ、劣等だ、」のオンパレードなんだもの。多様性の観点から、最も劣等な進次郎が総裁になるべき?だろう。 閑話休題: 青木さんは自分のことを劣等と思っているのだろうか?それとも日本人には少しだけ優等民族がいて、自分もその優等民族の一員だ、と思ってるのか?劣等民族を賢くしようとは思わないのか?もっとも、劣等がいなくなるとマウントとれなくなるし、商売のネタがなくなっちまうから皆を賢くしようとは絶対思わないだろう。自分だけが賢い・正しいというのは蓮舫様に通じる。 アメリカには、劣等民族に投票してもらい、当選したら賄賂を前払いしてくれたイーロンマスクを政府の重要なポジションにつかせると公言する大統領候補もいる。民主主義って劣等民族に投票してもらってナンボだ。 青木さんも民主主義を守れ、と言うだろう。それは劣等民族を守れ、と同義だ。

エミン・ユルマズさん面白い

現代ビジネスに載ったユルマズさん記事 より: 19世紀のアメリカにおいて、カリフォルニアで金鉱脈が見つかったことで、いわゆる「ゴールドラッシュ」の時代が訪れましたが、その際に儲かったのは、「つるはし」を売る会社でした。 >>今、生成AIで儲かってる会社はない。儲けてるのは「つるはし」を作ってる エヌビディアだけだ。その エヌビディアですら株価は高すぎる・・・と。

1970年代の東京

1972年に俺は東京の中央線沿線にある大学に入り、中央線沿線に住んだ。ともかく「砂を噛むよな味気ない」受験生活を終えて、親元を離れて東京で自由を満喫しよう、と思ってた。  1964年の東京オリンピックの準備のため、表参道を中心に、北は国立競技場、西は代々木公園、南は恵比寿、東は六本木に至る半径2.5kmくらいのエリアは”モダン”な街並みになった。この界隈がオリンピックの中心地だった。 ワシントンハイツと呼ばれたアメリカ軍居住地が日本に返還され、代々木公園となり、選手村や放送センター、国立代々木競技場(体育館)が建設され、放送センターはオリンピック後、NHKになった。ワシントンハイツなんて存在は、日本が占領されていた遺跡であり、日本人にとって早く忘れ去りたいものだった。(アメリカにとっても、「米軍基地は本土から出ていけ」という反米・反戦思想が日本人の間に盛り上がっていたから、遺跡を早く消したかった)俺も代々木公園には何回も行ったが、そこに以前何があったのかなんてあまり詮索しようとは思わなかった。多分、詮索しようという人は少なかったろう。 赤坂~青山~表参道と続く国道246号線沿線はオリンピックで訪れる外国人に日本の復興を見せるため、また、日本の文化・民度の高さを示すために整備され、古い町並みは一掃されて新しいビルが立ち並んだ。 1972年と言うと、1960年代に始まった上述のような戦後復興・再開発の波が高度成長のおかげでますます大きくなっていた時だった。まだ全国どこにでもある大型店舗チェーンは少なく、東京にしかない、オシャレな店が多かった。一つはスーパーの紀伊国屋だった。確かにダイエー、西友といった全国チェーンのスーパーはすでにあったが、そういったスーパーとは全く違う高級食材が並んでいた。輸入食材も多かったし、自家製のパンもヤマザキパンとは次元の違う洋風な代物だった。広島出身のパン屋のアンデルセンも東京に出店したばかりだったが、それまでは見かけたことのない、フランスパンやデニッシュなどというパンが店頭に並び、また、それを客が選び取る、などという売り方は全く新鮮で格好良かった。アンデルセンは青山か表参道の店の2階にレストランがあって、そこで初めて食ったオニオングラタンスープとフランスパンはおいしくて、オシャレで忘れ難かった。50年以上たったが、いまだにオニオング...

息子の嫁の話で気づかされたこと

 息子の嫁が保険会社を辞め、別の保険会社に転職した。結果的には転職だが、嫁は前の会社では逆マタハラにあって渋々辞めたのだ。 さて、前の会社では数少ない女子管理職になった嫁は子供を産んでから「とても管理職なんて責任のある仕事はつとまらない。管理職自ら『子供が熱出した』などと言って早引けするのは忍び難い」と考え、降格して欲しいと上司に頼んだが「子どもを産んだことを理由に降格するのはマタハラになるからできない」と、断られ、育児を優先してやむなく退社した。 退職後、子供の様子を見ながら自宅から通えるS保険に再就職した。(もっとも、S保険の近くには元の会社の支店もあるらしいが)S保険では、早引け自由、育児優先、管理職でないから気楽・・・なのだそう。嫁に聞いたら「前の会社で一人でやってた仕事を3人でやってる」由。一言で言えば「ゆるい」のだ。 さて、効率的で多分大いに儲かっているA保険会社とそうでもないB保険会社について架空の比較を試みる。売り上げと売上高粗利益率は両社同じでそれぞれ1000億円、20%とする。社員数は効率の良いA1000人、Bは倍の2000人とする。一人当たり労務費はA1500万円、B1000万円とする。 A:社員1000人で売り上げ1000億円。粗利は200億円。一人当たり労務費1500万円×1000人=150億円。利益50億円。 B:社員2000人で売り上げ1000億円。粗利は200億円。一人当たり労務費1000万円×2000人=200億円。利益ゼロ。 さて、俺たちに染みついていた「効率を上げ、より少ない人間でより大きな売り上げをあげ、より大きな利益を…」という強迫観念から見れば、A社が圧倒的にいい会社だ。競争力がある。給料も50%高い。しかし、雇用吸収力はBの半分だ。B社は効率が悪い分利益も少なく給料も安い。一方で余分な能力・人が存在するから育児する親にもやさしくする余裕がある。 今、会社に求められているモノは何か?Bのように、給料は安い、効率が悪く人も多い、でもより多くの人を雇用し、余力が多いから突如早引けする人が出ても何とかカバーできる・・・ことではないか??それが昔の日本の会社だった。

究極の???

 トランプがゴルフ場で殺されそこなった。犯人は、殺人の様子をライブ配信するつもりだったとか。 無名の人が捕まる様子を撮影してYouTubeに流すということはすでに実現している。 次は有名人、セレブを殺すところを撮影して配信する…俺の想像力が及ぶ範囲では究極の配信だ。何万、何十万のYouTuberがこれを試みてるだろう。近い将来、この試みは必ず成功するだろう。殺される人によっては秒で何億回の再生だ。 次はどんな究極が待っているんだろうか? >> もっとも、このトランプ襲撃未遂事件も、人気回復を狙ったトランプの狂言だという可能性もある。本当にややこしい。 偽のトランプを殺すという動画をAIに作らせるのも面白そうだ。 「なんでもあり」Anything goesだ。

小泉進次郎も頑張れ・応援するぞ!

 小泉進次郎の評判が悪い。誰か褒めてやってくれ。奥さん、頼むよ! カナダの首相と「首相になった年齢つながり」で仲良くやる、結構。 北朝鮮の親分とも世代が同じだし、「親同士が会って話した」大いに結構…他の候補より対北朝鮮外交に有利。 典型的な日本人の交際術。「学校が同じ」「故郷が同じ」「ああ、あの人なら俺も知ってる」「血液型が…」「親父がお世話になりました」・・・いまだに、それで日本人のビジネスは動いているんじゃないのか?首相になったからって、それを忘れちゃあいけねえ。 何より、「質問されてもそれには答えないで訳の分からないことを言い募って平気」、というのは政治家にとって非常に大切な資質だ。親父の純一郎もそうだった。郵政改革はアメリカ様に言われてアメリカ様のためにするんだけど、いつのまにやら郵政改革に反対する者を”抵抗勢力”にしてしまった。「何故、何を目的に郵政改革するのか?」に答えず、ただ、「変えることはいいことだ。ぶっ壊す!」とかなんとか意味不明なことを叫び、ブッシュ大統領に媚を売って仲良くさせてもらった。これで純一郎は人気絶大だったんだぜ。 もしトラになったら、相手のトラも意味不明を通り越して嘘八百を平気で言い募るやつだから、進次郎のような資質・神経の持ち主でないとまともに付き合えない。もしトラを想定するなら進次郎が一番首相にふさわしい。進次郎なら、きっと、トラが大喜びするようなパフィーマンス(純一郎が臆面もなくプレスリーのマネをしたような)を編み出すに違いない。 世は多様性だ。こんな「おバカ」に国のかじ取りを任すのも一興だ。その代わり、こんな「おバカ」じゃあだめだ、と分かったら、多様性も引っ込めたらどうか??? 逆に言えば、多様性と言わないと夜も日も明けぬコメンテーターやメディアの皆さんは「おバカ」に国を任せてはいけない、と言って多様性を否定するのか?体の不自由な人に国を任すのも多様性・大いに結構。進次郎のように頭が不自由な人に国を任すのも多様性・ますます結構。 憲法10条として「多様性」を追加して、その象徴として進次郎を首相にする…イイネ!

斎藤知事、辞めるな/紀州のドンファンの元嫁、頑張れ

 「斉藤知事、辞めるな」 の理由: ①なんといってもみんなが辞めろ、辞めろの大合唱だから ②百条委が無用なハラスメントだから 「紀州のドンファンの元嫁、頑張れ」 の理由 ①なんといっても、みんなが怪しい、夫殺害の犯人だ、の大合唱だから ②確たる物的証拠がないから >>みんなが口をそろえて同じことを言うのは危険だ。(特に日本人には大東亜戦争という前科がある)危険と言うか嫌いだ。気持ち悪い。 ハラスメントかどうかは、百条委で審議決定するものではない。ハラスメントはそう言われたらハラスメントだ。(その点、殺人と違って証拠なんてなくてよい)一回も会ったことがない人が明らかな嘘を言ってるのならハラスメントではないかも知れないが、現実に1回でも会ってれば一目見ただけでも片一方が「不快だと感じた」と言い張れば言われた側はハラアスメントしたことになる。(極端な話、直接会ってなくてもTVで見たら不快だった、というのもハラスメントだ、となったら、あまりにバカバカしくて笑っちゃう…でも近い将来そうなるんではないか?)にもかかわらず、知事をわざわざ公開の場に引きずり出して「お前、ハラスメントしただろう」って無用なことを言って吊るし上げるのは明らかに知事に対するハラスメントだ。 紀州のドンファン事件の捜査は悪名高き「人質司法」ではないのか?どのくらい容疑者を拘束して「拷問」してるのか?検察の取り調べはハラスメントだ。(取り調べられる容疑者は100%不快感を感じてるはずだから)仮にドンファンの財産目当ての結婚だったとして、それだけでドンファン殺害の証拠にはならない。これだけで有罪としたら、「疑わしきは有罪」となる。 警察だろうが、なんだろうが、人の自由を奪って不快にすればハラスメントだ。つまり、人間同士が接触すれば必ず不快感を感じる一瞬がある。それはハラスメントだ。バッカだ。

日本は終わった!?

 5年前に退職した会社のゴルフコンペに参加させてもらう。俺が最年長だ。 俺より15歳くらい年下(55歳前後)の後輩と話したが、「可愛そうに…」という同情と「俺たちがそうならないようにしてあげられなくてご免ね」という気持ちでいっぱいになる。 ①今、俺がいた部署にいる社員は20歳代(30,40歳代がほとんど転職で辞めて)50歳以上なのだそうだ。ちなみに俺より5歳年下の男(ゴルフコンペには不参加)について、まだ会社にいるのか聞いたら、彼がいなければ仕事が回らないキーマンだそうで、65歳になっても辞めてもらっては困るのだそうだ。 ②新入社員の歩留まりは50%。上述の20歳代の社員とは新入社員と、まだ転職してない人。 ③社内規則で社員には転勤を拒否する権利が与えられた。転勤を言われて「それなら辞めます」というケースも多々ある。俺は自分が転勤を命じられた時「嫌だな」と思っても何も言わずに受けた。それは、先輩がみんなそういう目に遭ってるから「そろそろ自分も…」と身構えていたこと、転勤して行ってみたら以外にいい経験ができるかもしれないと一縷の希望をもったことが理由だった。(そしてそれは正しくて転勤して会社のことを良く知ったり、誰も経験できない経験をしたりすることができた。)長じて俺が部下の人事異動を考え、命ずる立場になると、「そうか、あの時の俺の上司は俺の成長を期待して転勤させたんだな」とか「人のやりくりが苦しかったんだな」とか思うようになった。 俺が現役時代に実際に経験したことだが、15歳年下の後輩に「転勤拒否したら首にされても文句言えないんですよね」と言われたことがある。このくらいの世代はそういう感覚を持っていたのだ。 ④数年前、社外から人事の専門家が登用されて、JOB型雇用とか社内公募で社員が好き勝手に仕事を変えられるような人事制度を導入させた。その人は首になったが、JOB型雇用も公募もまだ残っている。俺のいた部署は人気がなくて公募で出て行く人が圧倒的に多い。こんな明らかに日本企業に不向きな制度を導入し、どうしていつまでもやめないのか?俺の時代の成果主義しかりだが、昔からバカなことをし続けている。 ⑤次回コンペの幹事を決めるのにあみだくじを引いていた。昔から、ゴルフコンペの次回幹事は優勝者とビリから二番目(ブービー)と相場が決まっていたものだが、若手社員から「いつも大...

TVが面白かった頃

 NHK おとなのEテレタイムマシンで1981年放送の陳建民の「きょうの料理」を放送。麻婆豆腐ともう一品「むきエビ豆腐の煮込み」。 なんといっても素晴らしいのは広瀬久美子さんという女子アナだ。彼女のフォローというか、巧まずして陳さんと広瀬アナの会話がボケと突っ込みみたいな素晴らしい呼吸の掛け合いになる。 例えば陳さんが「愛心(アイシン)」というと数秒後に広瀬アナが「愛の心ですね?料理には愛が大切ですものね」とフォローする。すると、すかさず、陳さんが「そうそうアナタ素晴らしい!」と広瀬さんを褒持ち上げる。陳さんは頭で日本語にする前に口から言葉がほとばしり出る。それを広瀬アナがフォローしたり、ときどき、「それは、こう言います」などと修正したり。 しかし、広瀬アナはよく陳さんの言いたいことが瞬時に理解できるものだ。 最後に陳さんの名言。「(レシピに書かれた)量ばかり気にして作る料理は他人の料理」。これも陳さんが口走った意味の通らない日本語を広瀬アナが翻訳?したものだ。 陳さんが言いたかったのは、最初はレシピ通り作るのも結構だが、2度目3度目には自分で色々試しなさい、そうして味見してうまければそれが自分の料理になる、ということ。全くその通り。結局同じものを2度3度作れ、というのだが、これって料理好きじゃなきゃあ、できないこと…守破離にも通じる。 しかし、1980年代TV全盛期にはNHKだって訳の分からないことを口走る中国人も出演させ、その訳の分からない言葉を構わずそのまま放送した。PCだ、コンプライアンスだ、差別だ、まだゆるくてよかった。バカバカしくていい時代だった。 閑話休題: 広瀬アナ、いかにもNHKっていう感じの女子アナ。年の頃なら30過ぎか?決して美人ではない。姿かたちがザキヤマ?みたいか。ザキヤマはともかく、お笑い芸人の誰かに似ている。 しかし、NHKきょうの料理は今でも平野レミという、あらぬことを口走るスターを抱えている。このレミさんに生放送で変なことを言わせようってんだからNHKを簡単にぶっ潰すわけにはいかない。アナウンサーも後藤アナ、広瀬アナ、原大策アナ…いい味を発揮。

嗚呼、Carl Perkins !

今は亡き偉大な友の残してくれたコレクションからCarl Perkinsを聞く。アルバム名 ”Intorducing Carl Perkins"。1956年Dootoneというマイナーレーベルに吹きこまれた唯一のリーダーアルバム(ということをWikipediaで知った。寡作ではあったが、リーダーアルバムが1枚しかなかったとは知らなかった)。 Wikipediaその他ネット情報は同姓同名で年齢も近いロカビリーギタリストの記事ばかり… 以下、ようやくたどり着いたジャズピアニストのCarl Perkinsに関するWikipedia記事: 左腕が小児麻痺で動かなかったので肘も使った。(これも知らなかった)なにより悔しいと言うのか悲しいのは彼もまた麻薬で早死にしたことだ。何と享年29歳。このアルバムは死ぬ2年前の録音だ。不自由な左腕のせいか、独特のリズムというか遅れ気味のノリ。それがすごくいい。ブルーだ。ベース、ドラムスとのピアノトリオ。 彼の録音はウェストコースト・ジャズばかり。勝手に白人だと思い込んでいたら、黒人だった。

日米失恋比較

 伊勢物語に登場する、在原業平の歌: 月やあらぬ 春やむかしの 春ならぬ わが身一つは もとの身にして ・・・男は女の家に通っていた。しかし、女は突然他の男のところに行ってしまった。男は捨てられたのだ。その後、1月10日の梅が咲く頃、その思い出の女の家を訪ねた男の歌、とされる。 男は「月や春は女に捨てられる前の月や春とは違う。新しくなった」、と言う。周りは変わったのに、自分だけは捨てられる前の(心)のままだ・・・ さて、この歌を見て(聞いて)思い出したのが、The end of the worldだ。捨てられたアメリカの女の嘆きは: 捨てられて自分は幸せの絶頂から突き落とされて、哀れな女になってしまった、もう生きたくない。にもかかわらず、日はまた昇り、波は打ちつけ、鳥は泣き、星は輝く… Why everything is the same as it was...と続く。 日本の男が女に捨てられると「周りは変わるけれど、自分だけが変わらない」と言い、 アメリカの女が男に捨てられると「自分だけが変わって、周りは何も変わらない」と言う 男女の差か、日米の差か??? 両方とも未練たっぷりで失恋を受け入れられないという点では共通。 日本の男の歌は未練がましいままで終わる。 アメリカの女は、最後にWhy does my herat go on beatingと言う。 俺は、ここに至って、彼女は「心臓がまだ動いてるから、死ぬに死ねないわ。別の男を探そう」と思ったのではないか?と空想する。 実際は、日本の男だって在原業平という希代のプレイボーイだから次から次へと女をとっかえひっかえするし、問題のこの女の時だって二股、三股だったかもしれない。それでも「もう女はこりごり」みたいなセリフを吐く。これが日本人の見栄か? 結論: この違いは男女の差でなくて日米の差だ。日本人は口では「もうこりごり」なんて言うが…

官僚どうする?

BSフジ  ブラマヨ弾話室 「水道料金値狩り」を語る回。 長妻 元 厚労大臣がゲスト出演。民主党政権時代に彼が厚労大臣だったとき、役所の事務次官はみんな東大法学部卒ばかりで、京大出身者を事務次官にしたら、周囲から「アイツは東大法学部じゃあないけど大丈夫か?」と言われ、違和感を覚えたと。また、当時は東大法学部卒の事務次官たちが「事務次官村(部落)」を作っていて、事務次官同士が学生時代のクラブ活動など学生時代の思い出話をしていたとか… この話を聞いて感じたこと: ①今は、東大法学部卒の事務次官は減っただろう…東大法学部を含む若者で官僚になる人間の数が激減してる…質が落ちてる…質の低下と色んな大学出身者の多様性はどちらがいいか? ②学生時代の思い出話…これは俺も大嫌い…事務次官でなくったって、俺たち同級生が集まるとクラブ活動などの昔話か、最近同窓会に行ってどうしたこうした、といった話をしたがる。同窓会など大嫌いな俺は大きな違和感を感じる。どうして同じ出身地、同じ出身校…が好きなんだろう?そこへ行くと会社の同期会はいい。昔話は少ない。病気の話か孫の話。東大法学部に限らず、自分の出た学校にブランド意識というか、プライドと郷愁を持っているのか?東大法学部村の閉鎖性、排他性を感じる。「昔どうだった」「昔一緒にこんなことした」にこだわり、それを語り合って盛り上がろうというのは日本教の特徴。俺たちのようにリタイアした身分なら「ご愛敬」かもしれないが、現役の事務次官が昔ばなしで盛り上がっていては、未来はない。現状維持どころか、昔に戻っちまう。事務次官の排他性・村意識が下っ端の役人にも伝わって「お前ら民草には分からんだろうが…」的な態度に出るのか? ③長妻さんによると、民主党時代「参与」と言って外部から役所に人材登用する仕組みがあったと。これをもっと大胆に実行してるのがアメリカだ。イーロンマスクから多額(巨額)の献金をしてもらったトランプは、大統領になったらイーロンマスクを官僚組織の親分にすると公言する…これほど極端に賤しくなくても、従来、アメリカ大統領はゴールドマンサックスその他、大企業のトップを官僚組織のトップに据えてきた。そしてその企業あるいはその企業が属する産業の利益のための政策・戦争がなされてきた。アメリカ人はこの「賤しさ」を目の当たりにして何も感じないのか?確かにアメリカは政...

和田秀樹 上流を「売国奴」にする教育、下流を「奴隷」にする教育

 2006年 イースト・プレス刊「アメリカの日本改造計画」より: 今はカネを稼げた人の方が偉いという倫理観が広がっています。だから優秀な日本人はみんなアメリカに引き抜かれてしまう。本当のエリートはカネでは動かない、という事を叩き込むのが本来の愛国教育なんです。日本の右翼や保守論者たちは、みんな増税に反対するでしょう。あれは不思議で仕方がない。私有財産と国を天秤にかければ、国の方が大事だと考えるのが、本来のエリートや金持ちのあるべき姿です。所得税率を高くした瞬間に外国に逃げるヤツが増えるのであれば、「上等じゃないか、そんなヤツは二度と日本に入れてやらないそ」と言ってやったほうがいい。「ハリー・ポッター」を翻訳した松岡佑子氏のように、国の税金を払うのが嫌だからといってスイスに移住するような者もいます。そんな人間には二度とビザを発給せず、日本には入れてやらないというくらいの気概が必要です。カネを持ってるヤツが偉いという社会は危ない。日本の優秀な技術者が平気で海外に引き抜かれてしまうからです。簡単にカネで引き抜かれてしまうようなヤツらは「売国奴だ」と後ろ指を差されなければならない。逆に言えば、日本に残って日本のために頑張る連中を褒めたたえる世の中でなければならない。日本の学歴社会は、カネで人の価値に差をつけはしませんでした。カネがなくても官僚は銀座のクラブでモテたり、貧乏な学者でも京都の芸者さんにモテるという風潮はあったわけですよ。そのことを庶民が僻んではいけないと思う。彼らは私腹を肥やさずに国のために働いているのだから、銀座のクラブで官僚がモテようが、京都の祇園で学者がモテようが、当たり前なのです。ところがいまは官僚や学者であってもモテず、カネのあるヤツのほうがモテるようになってしまった。そんな社会では、官僚が私腹を肥やすか外資に引き抜かれるかして銀座でモテようとするわけです。祇園でもカネがないとモテないとなれば、学者がベンチャーのようなことを始めてカネを作り、モテようとする。その方が、健全な資本主義だ、とアメリカは言うわけです。(略) 差別反対の世論が広まる中で、日本の教育では「賤しい」ということについて教えなくなりました。八木秀次さんは「昔は賤業という職業があった」と言ってましたよ。「賤業」というのは嫌な言葉ですが、しかし昔の人は賤業から脱却したいと思って勉強...

シカゴ・カブス偉い!

 今永、鈴木のカブスが山本、大谷のドジャースズに勝った。 なんといっても素晴らしかったのはカブスのセンター・アームストロングの守備だ。9回の裏の3アウト目はフェンス超えのホームランボールを取ろうと観客が帽子を出したものを取ったものだった。その前にもフライを2回フィンプレーで取った。最大の勝因だ。これと並んでよかったのは今永の投球だ。失点はソロホームラン3本だけだった。他には走者をためないでピンチらしいピンチなく、味方の守備のリズムを崩さなかった。7回の裏まで抑え、8回表にチームが逆転して勝利が転がり込んできた。 鈴木もコンパクトな軽打で3安打。8回の逆転につながるタイムリーヒットもあった。先発した山本に対しては2三振だったが、そのあと3本ヒットだ。芸術品のようなヒットだ。 逆にドジャーズの敗因はへたくそな守備だ。セカンド、ショートが大事なところでエラーして逆転を呼び込んだ。(ショートは外野からの返球をカットしなかったのでボールがダックアウトに飛び込んだ。記録は投げた外野のエラーだったが、俺はショートのエラーだと思う。このエラーで同点に追いつかれた) ドジャーズは負けるべくして負け、カブスは勝つべくして勝った。 「こうやっちゃ負けるよ、こうすれば勝つよ」が端的に出た試合だった。

森田草平 「共産党に入るの弁」

 1948年5月「前衛」に発表された「共産党に入るの弁」より以下抜粋: 我が国の民主革命による諸変革は全て他から与えられたものだ。国民が自ら要求して奪い取った物ではない。それだけに、国民のそれに対する関心は極めて薄い。まるで他人事のように考えている。例えば「主権在民」というような重大事に関してすら、本当にその意識をつかんで、それを活かそうとしているものは、私の周囲に殆どないと言っても、敢えて過言ではない。この国民の虚脱状態こそは、いやしくも国を憂い、日本の再建を念ずる者にとって、最も寒心すべきことではあるまいか。 それに付け加えて、もう一つ、私をじっとしていられないようにさせたものは、近頃の去勢された日本の報道機関の態度だ。彼らはもはや自分の言いたいことも言わなければ、我々読者の知りたいようなことも聞かせてはくれない。どこから指令でも受けているように統一され、すっかり自主性を失くしてしまった。だから、全ての記事が一色になり、平板になる。読んでも退屈なばかりでなく、嘘ばかり聞かされているような気さえする。一体、この 虚脱状態に陥ている国民と自主性を失った報道機関 と、二つのものが相寄り、相援けて、どこへ日本を連れて行くつもりであろうか。そう思うと、私はイライラして、すぐにも何かせずにはいられないような気持に追い込まれた。もしこの二つの圧迫さえなかったら、私もこの年齢をして共産党入りというような、多少でもセンセーションをけしかける嫌いのある挙には出なかったろうとさえ思うのである。 前にも言ったように、私の近所のお百姓は天皇から、統治権をはく奪してこれを人民に与えるといったような一大変革も、全くの無関心を以て見送った。がとにかくこれで制度の上では、天皇制は一応廃棄されたものと見ていい。私はそう思っている。しかし、高倉テル氏も言っておられるように、「 天皇制 は二重橋の中にあるのではない、私たち全国民生活の中にある。上は天皇から下は村役場、農業会に至るまで、一切の官僚的な仕組みを通じて、全人民に封建的な、また資本主義的な、二重の圧迫を加え、これを極端な貧困に陥れ政治的な、経済的な、あらゆる自由を奪って無理矢理に戦争に駆り立て、とうとうこんな悲惨な有様に突き落とした。世界のどこにもない、野蛮極まる絶対専制政治の形」である。さればただ軍閥の廃止や、一部財閥の解体、戦犯官...

西部先生、「保守思想」でいかに日本を守りますか?

  2006年 イースト・プレス刊「アメリカの日本改造計画」より: (略)アメリカですら「アイツはパシフィストだね」なんておよそ悪い言いなんです。何が起ころうとも、どんな場面になろうとも、一切武器は手にせず、まして戦いを交えるなんてしませんと宣言するのがパシフィストなんです。これはもう、だれがどう見たって卑怯者、あるいは臆病者という意味なんです。実は、日本という国家は戦後61年、そういう意味での臆病者国家、卑怯者国家で、それに道徳的正義を感じるなどと言う、ほとんどある種の病理にかかってきたんです。(略)しっかり思考して、日本は堂々と核武装へ歩を進めるべきだ、進めざるを得ない、と考える日本人は1万人に一人くらいはいるはずです。最低限、スウェーデンを見習うべきで、核武装の一歩手前まで進めたと宣言している。(2001年3月20日)日本もプルサーマル発電計画をもってますから、知識や技術として言えば一歩、いや、十歩手前までは来てるんです。あとは核を撃ち込むためのミサイルや潜水艦も必要だし、そういうことも含めて、文字通り一歩手前まで進めるという事ですよ。レットウ人はすぐ、軍隊は信じられないから核を持つのは危険だと自国の軍隊を疑う。日本の軍隊を疑うんなら、他国の軍隊を疑ったっていいわけです。ましてや北朝鮮、中国となれば大いに疑ってしかるべきです。軍隊なるもの一般を疑うことも必要だが、それ以上に必要なのは、他国の、ましてや怪しげな政治体制を持っている国々の軍隊が、いつなんどき混乱なり暴走なりに陥らないとも限らない、その混乱なり暴走の果てに、核の脅威が日本列島をめぐって具体化せんとも限らないと考えるべきであって、それならどうするかと考えると、「俺たちだって持ってるんだぜ」という、相手に対する威嚇による抑止力を持つことの意味が確認されるわけです。(略)結局のところはアングロサクソンと言いながら、アメリカがアングロサクソンの中の一種の精神的奇形児であるという事が分からないまま、日本人はGHQ方式というものになびいたということです。だから、安倍晋三君が憲法改正と教育基本法改正とかを謳って総理総裁になった、そのこと自体は結構なことだけれども、あの連中たちも改正問題の神髄と言うものを少しも理解していないだろうと僕は思うんです。もちろん、憲法9条第2項、例の非武装・非交戦を改正するのは当...

ハリス、やるじゃん。(ABC TVのおかげ)

トランプとハリスのTV討論を見る。 相変わらず互いに攻撃し合うだけで聞くに堪えない場面が多い。二人の顔だけ見る。 トランプ発言中のハリスの顔、表情がいい。余裕があるような、バカにしたような。時々顔を横に振って「また嘘ついてる」といった母親のような表情。この顔、表情を長時間練習したのではないか?事前の予想ではハリス大丈夫か?といったものが多かったが、ハリスの圧勝だと思う。 ABC TVのMCはトランプの脱線を細かくチェック・指摘し、トランプはそれに半分は従うふりをし、次いで関係ないことを言う。ABC TVのMCはそれをあまり追求せず、次の話題に進めるが、それはトランプにダメ出ししてるという印象を与える。時々、「質問に答えて」というABC MCとトランプの討論になる。しまいには「トランプは大統領選で勝ったと言い張るけど実際には負けた」「移民がペットを喰っているというのは事実ではない」などと決めつける。 トランプはオバマケアの代替案もあると言うものの、具体案はない、ということまで判明してしまった。 トランプは事前にABCが自分をこういう風に扱う、と分かっていたのではないか?なぜ、ノコノコ出てきたのか? 民主党にせよ、ABC TVにしてもトランプの扱い方が分かった感じ。その結果、トランプは賤しい、品がない、誠意がない、中身がない、という印象を残した。 また、トランプは誰に言われたか、ハリスへの個人攻撃を抑えた。意外と言うか、がっかりした。元気がない印象。年齢のせいもあるのか??? ハリスは「昔を振り返らないでページをめくりましょう」、という前向きな印象を与えるキャッチフレーズも、また、「攻撃し合わないで話し合いましょう」といった母親みたいな態度も悪くなかった。 閑話休題: 中東問題についての質問に対し、トランプはまず、「俺が大統領だったらロシアはウクライナに攻め込まなかった」と質問に答えない手口。俺はトランプがイスラエルの見方か敵かをぜひ知りたかったが、トランプはイスラエルとハマスの紛争については何も言わなかった。ここでイスラエルの味方をするのはまずい、という判断か? アメリカの国益としてウクライナに勝って欲しいか?という質問にもトランプは「戦争を終わらせることが最大の国益だ」と答える。徹底的して質問に答えない。質問に答えなくて不誠実だ、という印象を残す。トランプは事前にA...

東谷暁 金融占領

  2006年 イースト・プレス刊「アメリカの日本改造計画」より: 1980年代以降、シリコンバレーは投資銀行と投資ファンドの支配するところとなり、まだ未成熟な新興企業を無理やり上場させてキャピタルゲインを獲得し、上場させた実体のない企業にM&Aを展開させて手数料と成功報酬を稼ぐ仕組みが成立した。これを「シリコンバレー精神」と呼んで、シリコンバレーの仕組みとは「仮の成功」でも資金が得られる素晴らしいものであるかのように称賛するコンサルタントもいる。しかし、現実は「仮の成功」が「失敗」に転じたとき所有する株式が紙切れになるのは膨大な数に膨らんだ一般投資家たちであり、「成功」に転じた時に利益の大半を手にするのはインサイダーたち、すなわち実体のない企業、投資銀行、ファンド、コンサルタント、法律事務所、会計事務所なのである。この縮図を日本の「証券化」に当てはめれば、いまの日本経済が置かれている位置がみえてくるだろう。 >>シリコンバレー精神に関する記述は正しそうだ。確かに素人投資家は大損し、インサイダーは大もうけする。それはそうだが、一方で「証券化」によってシリコンバレーでは突拍子もない、革命的な世界を席巻するようなものが生まれるのも事実だ。「仮の成功」でもよしとして励ます投資家がインキュベーターになっている。 -

副島隆彦 世界覇権国家・アメリカから見透かされる日本

 2006年 イースト・プレス刊「アメリカの日本改造計画」より: (前略) 2008年の大統領選挙は、共和党から民主党に政権交代が起きます。民主党内の動きを概観すると、ヒラリー・クリントンが本命で最有力なのですが、もしかしたら出ないと言う説や、無理だろうという説もある。2004年の大統領選挙で民主党ケリー陣営の副大統領候補だったジョン・エドワーズが出て来るかもしれない。ジェイ・ロックフェラー民主党上院議員が彼を応援しているので、かなり有力ですよ。バラク・オバマという若い黒人の上院議員が急浮上しています。こっちは”ドン”のテディビッド・ロックフェラーが彼を仕掛けているようです。アメリカの大統領選挙は、大きくは、ジェイ・ロックフェラーとデイビッド・ロックフェラー、ふたりのロックフェラー家の代理戦争だと、私はとらえています。デイビッドにすれば、共和党を操ろうが、民主党を操ろうが、どっちでも構わないのです。そもそも、デイビッドがクリントンもブッシュも大統領にしたわけですから。 ー 副島先生が翻訳されたビクター・ソーンの「次の超大国は中国とロオクフェラーが決めた」の中に、VNS(Voter News Service)という選挙報道会社の話が出てきますね。これは、CBS,NBC,ABC,CNN,FOX,APの大手マスメディア6社が共同出資した純然たる民間企業なのに、選挙の投票結果の集計作業を独占していて、誰もそれをチェックしていない。アメリカの選挙結果は本当に集計が公正になされているのか、というより、そもそも集計作業自体が行われているかどうかも疑わしい、という恐ろしい内容です。 アメリカはそこまで腐敗しているということです。デモクラシーの基本のところが奪い取られている。結局は、現在、高齢で91歳のディビッド・ロックフェラーがいつ死ぬか、その跡目はどうなるか、という問題です。ウェスト。バージニア州選出の民主党上院議員ジェイ・ロックフェラーが事実上のオーナーであるゴールドマン・サックスから親中派のポールソンが財務長官として入閣しました。ホワイトハウスの国家安全保障会議(NSC)の東アジア担当のシニア・ダイレクターも中国寄りの人になりました。中国とは穏やかにやれ、中国を叩くなという方針にシフトしています。(略) 中国の極東覇権に対する牽制球として日本の政権を育ててきたつもりが...

丸山真男「軍国支配者の精神形態」より

 1949年雑誌「潮流」5月号記載の「軍国支配者の精神形態」より以下抜粋: 抑圧委譲原理の行われている世界では ヒエラルヒーの最下位 に位置する民衆の不満はもはや委譲すべき場所がないから必然に外に向けられる。 非民主主義国の民衆 が熱狂的な排外主義のとりこになりやすい所以であえる。日常の生活的な不満までが、あげて排外主義と戦争待望の気分のなかに注ぎ込まれる。かくして支配層は不満の逆流を防止するために自らそうした傾向を煽りながら、 却って危機的段階において、そうした無責任の「世論」に屈従 して政策決定の自主性を失ってしまうのである。日本において軍内部の「下剋上」的傾向、これと結びついた無法者の跋扈が軍的問題と満州問題という国際的な契機から激化していったことは偶然ではないのである。F.マイネッケはかつて、機械文明の生み出した大衆の登場と軍事技術の発達によって、 本来政治の手段であるべき軍備機構がデモーニッシュな力として自己運動を開始 するようになったこと、他方 大衆の動向を政治家がコントロールできなくなった こと、を指摘し、19世紀後半から明晰な「国家の必要」が模糊とした「国民の必要」に取って代わられた旨を論じて、これを国家理性の「危機」と呼んだ。 ここでは彼は第一次世界大戦におけるドイツの例を念頭に置いているのであるが、果たして彼の断定は、そのように一般化できるだろうか。少なくも軍事機構のそうした政治をはなれての自己運動、ないしは国民の間の無責任な強硬論など、第一次世界大戦直前のドイツと今度の日本との間に見出される著しい類似性は、両帝国が国家および社会体制においてともに 権威的=階層的な 構成を持ち、しかもそこでの政治的指導者がそろって矮小だったという事実と切り離し得ないように思われるのである。 >> 一読後の俺の第一印象は「これはかつて暴走して戦争に飛び込んだ日独のことではなく、今のアメリカに当てはまるのでないか?」ということだ。 トランプの相手にしているのはアメリカの”民主主義”に絶望し、自分たちはヒエラルヒーの最下位(に落ちそうだ)と思っている白人労働者だ。最初はそんな支持者たちの世論を無責任に煽っていたトランプも段々世論をコントロールできなくなって「下剋上」になり、武装した支持者たちがが暴走し始める… 俺はアメリカは南北に分断する、と思っている。上述の...

ジジハラ

上さんに友達から電話がかかって来た。最近この人からよく電話がかかってきて長電話になるから「この電話も1~2時間にはなる」と判断し、一人で散歩に出た。 といっても酢豚につかうパプリカを求めて、時々特大のパプリカ2個200円で売っているコンビニに行くのだ。残念ながらパプリカはないがピーマン4個100円を買う。これでパプリカの代わりにしよう。引き続き今春、レジを全てセルフレジにしたスーパーに行った。普段は上さんに支払いを任すのだが、一人で行ってニラが安いので購入。さて、セルフレジでの支払いだ。セルフレジ置き場を見ると「現金払い」と書いてある看板と「キャッシュレス」と書いてある看板がある。現金しかないから俺は「現金払い」のレジに進む。さて、ニラについてるバーコードをスキャンし、千円札を突っ込むが、いつまでたっても千円札は吸い込まれない。千円札に欠陥があるか、入れ方が悪いのか?千円札を前後左右をひっくり返してもダメだ。 セルフレジコーナーの近くには監視?する店員が必ずいるが、その店員(おばさん)が見るに見かねてだろう、俺の後ろから画面を指さし「『現金払い』と書いてあるところをタッチしてください。現金以外にもカード払いやポイント払いも選べます」と言う。なんとなく「このじじい、うまく操作できなかったら画面くらい見ろよ」という侮蔑のニュアンスを感じる。 俺は思わず、看板を指さし「ここに現金て書いてあるじゃあねえか。現金て書いてあるのに、『現金払い』をわざわざ選ばせるのはおかしいだろ。素直なジジイには理解不能だ」と捨て台詞。おばさんは「グフフ」だか「ブフフ」だか訳の分らぬ笑い声。 この話を上さんにしたら、結構俺の「正しい操作ができずに馬鹿にされるのはまあ許す。しかし、わざわざ『現金払い』と表示しておきながら、現金払いでもカード払いでもできる、というのは詐欺だ。そんなんで人を騙しておいてバカにされるのは頭にくる」という主張には理解を示してくれた。 「なぜカード払いもできるレジをわざわざ『現金払い』と書いた看板の下に配置するのか?そんなおかしなことをするなら、おばさんは、第一声でまず、『すみません。看板には『現金払い』って書いてあるけどカードでもポイントでも払えるんです。』と断ってくれればよしとする。」という俺の考えも上さんは分かってくれたようだ。 今度この店に行ったら、「現金払い」のレ...

バールのような…

 強盗に入らた建設会社社員が警察に通報して「強盗のような人が入ってきて…」と言ったとか。 強盗のような人が入ってきて、バールのようなもので、金庫のようなものを壊す…

「元」の字は名前に使わない方がよい・・・

 斉藤元彦兵庫県知事 と表記されると「元兵庫県知事」に見える。 ところで、誰か味方をする人はいないか? フワちゃん騒動も同じ。 逆に大谷絶賛も気に入らない。 息苦しい。 安心して非難できる奴を見つけてみんなで一緒に非難する…いじめだ。 いじめはいけない。というか、嫌いだ。

こむら返りの矛盾

 こむら返りを止める素晴らしい薬がある。漢方だが、飲めば「秒」で効く。どういう原理なのか、理由はよく分からない。(あの”小林製薬”も出しているが高いからうちではロート製薬かなんかのを常備している。ゴルフにも必ず持っていく) この薬、服用手順が結構難しい。というのは、常時身の回りに置いておくわけにはいかないので、いざ、こむら返りが起こると薬が置いてある場所まで取りに行かなくてはならない。つまり、こむら返りが起こる→こむら返りを起こしてる足を無理やり動かして/あるいは こむら返りがおさまるまで待って→薬がある場所まで移動する(ついでに水もないと飲めない)という手順で服用に至るのだ。 この手順、起きている時なら無理矢理移動もできるが、寝てる間にこむら返りになると起きて薬や水のある所にいくことは俺にはできない。つまり、寝てる間にこむら返りをおこすと、おさまるまでじっと待つしかないのだ。俺の経験だと、こむら返りって、移動できるくらいにおさまればそのまま治ることが多い。一応、再発が嫌だから薬を飲むんだけど… マルクス様の言う矛盾より大問題だ。

米狂騒曲

 ようやく米が出回りだした。ただし新米は高い。バカバカしいから米を買わないでいたら、娘からイオン(グリーンビーンズ)の古米が安いという情報。(と言っても値上がりしてないだけみたいなんだが) 米にこだわる上さんに聞くと古米でいいと。 グリーンビーンズの通販サイトで古米を買おうとするが、在庫切れのものもある。 税抜き合計価格5000円だと1000円の割引になるというクーポンを使うべく、米の他にアイスクリームだ、栄養ドリンクだ、ラップだ、トイレットペーパーだと、そこそこの品質・価格のものを選んで税抜き5000円以上にし、配送代が250円と安い配送日時を選んで発注。カートのトータル価格表示が税込なので上さんが計算機片手に税抜き価格合計を計算する。いじわるされている感じ。 ああだこうだと上さんと話しながら無事発注完了。 しかし、今回のプチ米騒動、米生産者あるいは米流通者の陰謀ではないか?わざと品薄にして値上げを通そうという…俺はそれでいいとも思う。米も値上げしないと。米を値上して欲しい、と、秋田のJAかなんかのおじさんも泣いて訴えていたし。 しかし、日本の農業もどうすべきか、答えは出てるんだろうか?農業って工業化、大規模化すべきなのか?そっちの方向に行き過ぎると土地は荒れ、治水は乱れ…とならないのか?都会の田畑はどんどん宅地として売られている、という話も聞いた。まさしく政治のなすべき仕事だ。大切だけど票にならないからどの政治家もあまり取り上げないのか???アッと気が付いたら、農地が中国人に買い占められてたなんてね…民主主義って素晴らしい。

牛丼屋

 近くの「すき屋」(だと思う)が閉店した、と思ったら数日後、吉野家になった。 牛丼屋に限らず、同業他社に店舗を譲る、というのは珍しくないか。合理的と言えば合理的だが… 何の拍子か、松屋のカレーを食ったらうまくて冷凍物を何十袋とまとめ買いしたことがあるが、牛丼はもう何十年も食ってない。(豚丼は食う) 松屋のカレーは結構辛い。辛い物が苦手な上さんは1回に1/3袋くらいしか食えない。一袋で二人前だ。冷凍庫に保存していたカレーがいつまでもなくならなかった。

住友化学株式会社 第3回利払繰延条項・期限前償還条項付無担保社債 (劣後特約付)

9月6日住友化学ホームページで公表された社債。 当初利率: 年 3.300% (注1) 払込期日:2024年9月12日 償還期限:2059年9月12日 利払い日:毎年3月12日および9月12日 (注1) 2024年9月12日の翌日から2029年9月12日までは固定利率、2029年9月12日の翌日以降は変動利率(2029年9月12日の翌日に金利のステップアップが発生)。 >> 住友化学は昨年の大幅赤字で信用を失ったから3%以上という異常?な高率の社債を出した。社債を買ったことはないが、利回り3%超なら下手な株より魅力的だ。上さんによると、利回りその他の条件が確定する前に、〇%~△%といった形で利率の幅の発表を発表して募集があって指定された証券会社に予約する、その後に上述のように詳細条件を確定して発表するのだそうだ。

無断で自宅に連れ込む・・・?

 テレ朝のニュースで26歳の男が女子高校生を「無断で自宅に連れ込んだ」と。 理解不能。 「無理矢理連れ込む」なら分かる。 女子高校生相手に「断りなく自宅に連れ込む」って不可能だろう。 黙って自宅に連れ込んで女子高生も何も聞かなかったってことか? どうやったら「無断で連れ込む」ことができるだろうか?

嗚呼、ボッチャ

 夜を徹してパリ・パラリンピックのボッチャを見る。団体戦の準々決勝対ブラジル戦で第6エンドの最終投球まで3点差で負けていたのを杉村がジャックボールに当てて動かして奇跡的に同点に追いつき、タイブレークで逆転勝利した。野球で言えば、9回裏にスリーランホームランで同点で追いつき、延長戦に持ち込んでサヨナラ勝ちしたようなもんだ。 ただし、これが最高のプレーで、明け方に放送された準決勝の対インドネシア戦では日本チームに冴えたプレーは見られず、9:0で完敗。日本は3位決定戦に。手も足も出ません、という負け方。 個人戦では杉村はメダルを取れなかった由。 3年前の東京パラリンピックのときは、たまたま日本チームや杉村の調子が良かったのか?それとも他国が強くなったのか? 「なあ~んだこんなもんか」というのが正直なところ。そして「これじゃあ、ボッチャ人気は盛り上がらないなあ」と思う。残念だ。メディアの扱いも少なくなるだろう。 せめて団体の3位決定戦で派手なミラクルプレイで勝たないと・・・それから、解説者は、東京の時の方が断然よかった。捨身と言うか、「ボッチャ人気を煽ってやろう」という覚悟が感じられた。 >> 団体戦3位決定戦(対韓国戦)で杉村は絶好調に戻った。解説も「ビッタビタ」が出て良くなった。杉村のアイデア・指揮で広瀬、遠藤がルートを空け、杉村が決める。声掛けや言葉でのコミュニケーションはもちろんだが、俺は三人がそれぞれの能力、長所弱点、くせを熟知していて何も言わなくても状況変化に応じて「次に何をすべきか」という自分の役割が分かることが日本を”チーム”にしていた、と思う。 握力が4キロしかなくて握りを繰り返し確認し、素振りも多い杉村。残り4秒でも素振りなしですぐ投げる遠藤。持ち味が存分に発揮された。 チームプレイの素晴らしさはミラクルだった。ボッチャ人気も首の皮一枚でつながった。

何故、若者は闇バイトで強盗する?

 闇バイトで強盗して”素人”の若者が捕まるという事件が後を絶たない。 本当のところは分からないが、とても割のいい”仕事”とは思えない。 メディアに取り上げられる事件は氷山の一角で、実際はめったに捕まることはなく、結構割のいい仕事なのか?…少なくとも元締めにとっては割がいいのか?…この「素人の若者にろくな訓練もせず、行き当たりばったり強盗をさすせる」という”ビジネスモデル”は誰が得するのか? どうして若者は経験も(多分訓練も受けていないだろう)したことのない強盗なんてするのか?全く理解できぬ。個人情報を握られて”元締め”から言われた通り強盗せざるを得ないのか?割の悪い仕事をせざるを得ないのも「自己責任」とあきらめてるのか?捕まったら一生を棒に振る、というリスクもさることながら、「悪いこと」「賤しいこと」「恥ずかしいこと」をする、という抵抗感はないのか? 最近の若者で理解できないことは多い: ・まじめに政治をしようとしてるようには思えない石丸は何故人気があるのか?(俺には彼はYouTubeの再生回数を増やして金儲けするため、市長パフォーマンスをやり、都知事立候補パファーマンスをやってるとしか思えない…少なくとも市民や都民のことを考えてるとは思えない)その点、ジョーカー議員(河合悠祐)や、つばさの党と同じだ。違うのは絶望の表現の仕方だけだ。 ・スキルとは何か?成長とは何か?サッカーでも、料理でも、営業でも、経理でも「その道を」を何故究めようとしないのか?フラフラと転職することを「スキルアップ」とか「成長」と呼ぶのか?「華麗な」転職を重ねる石丸に若者は憧れるのか? 通底しているのは日本への絶望だ。あるいは民主主義とか資本主義、会社への絶望だ。だから他人のこと・公のこと、会社のことなど考えずに自分のことだけ考えればよい、それが格好いい、ということか?かつて日本の会社では「その道」を究めることで一生飯が食えたが、それももう無理だから「その道」は会社外のスポーツ、料理、芸能など限られた世界で奇特な変わり者の若者によってだけ追及されるようになったのか? 敗戦後、日本では会社というものは政府の代わりに会社員の: ・老後を含む死ぬまでの生活保障(退職金、年金、健康保険) ・徴税(給料からの天引きとし、個人個人で申告しない) ・雇用保障(新卒の一斉雇用~生涯雇用)による社会秩序維...

生姜1/4かけ・・・

 料理番組で液もの食材・粉もの食材は300ccとか大さじ1杯などとものすごく厳密だ。 かねてから、俺は「もっといい加減でいい」と思っている。指定された量を厳密に測ればOKではなく、少な目に入れて味見して…が料理の醍醐味だし、目見当(めけんとう)でいい加減に味つけしてうまい、というのもまた醍醐味だ。(麺のゆで時間しかり、レンチンの時間しかり…俺は短めにして具合を見る)そもそも同じ材料でも鮮度や種類によってベストな味つけや加熱は違う。 一方今日、NHKを見ていて気づいたのだが、生姜のすりおろしは「1/4かけ」と言う。何故○○グラムとか、すりおろしたもの小さじ○○杯などと表示しないのか? 俺が問題だと思うのは液もの・粉ものの量は不必要に厳密な表記をし、片一方で、しょうが、にんにくなどは「〇〇かけ」という、人によって何倍と違う恐れのある、非常にいい加減な表記をすることだ。にんにくなら1個全体でなく、一片を「一かけ」と言うだろうな、と思われる(それでも大きいニンニクの一片は小さいニンニクの一片の何倍かの重量になる)そこへ行くと生姜は大変だ。買ったままの塊を「一かけ」と考える人もいよう。あるいは、その塊をどのくらいにカットしたものを「一かけ」と言うのか?

ちくま新書 筒井清忠編 昭和史講義【戦後篇】(上)は読むべき本だ

 ちくま新書 筒井清忠編 昭和史講義【戦後篇】(上)を読んだ。実に面白く、「ためになる」ものだった。日本の歴史教育は、日本が「間違った戦争」をして負けるところで終わる。日米その他の関係先あるいは権力者に忖度して、日本の戦後について真実と言うか詳細を教えない。 ①シベリア抑留~領土問題を棚上げした1956年の日ソ共同宣言に至る経緯・裏話②東京裁判は天皇の免責を勝ち取るべく東条英機をいけにえにし、彼一人に責任を押し付ける演出がなされ、東条もそれを自分に残された責務として喜んで演技した③共産党の盛衰④日米安保と改憲・再軍備論⑤講和と戦後賠償問題⑥韓中との領土・賠償交渉…と今でも未解決のまま残っている問題の芽がどのように生成されたのか、「目からうろこ」の連続だ。 一番の問題は、俺を含む戦後教育を受けた者が「自分たちが知るべきことを教えられていない」ということを知らないことだ。 このシリーズで ・昭和史講義【戦後篇】(下) ・昭和史講義【軍人篇】 ・昭和史講義3・・・リーダーを通して見る戦争への道 なども俺は未読だが必読書だろう。 以下に「昭和史講義【戦後篇】(上)」から要約・抜粋: ⓪吉田茂は、天皇を残した民主主義、平和憲法制定を目指していたマッカーサーに忖度し、天皇ーマッカーサー会談をアレンジし、また、憲法について自分のアイデアを発表しなかった(占領軍の言う事を聞こうとした)。天皇を神聖とした東久邇、天皇退位を考えた近衛、明治憲法にこだわった幣原…他の首相候補では天皇・マッカーサーの考えを実現できない…そこでグダグダ言わずに占領軍の言う事を聞く吉田が残った。吉田は天皇・マッカーサーとの阿吽の呼吸があったから、経済・通商に偏った政策を強行できた。逆に言えば、マッカーサーが去ったあとは政治をコントロールする力が衰えた。なお、吉田は再軍備に反対ではなく、大東亜戦争を遂行した軍部の復活を嫌ったようだ。 ①シベリア抑留~領土問題を棚上げした1956年の日ソ共同宣言に至る経緯・裏話 1945年8月9日ソ連が満州に侵攻したのは、ヤルタ会談で、英米が、そうすれば千島列島や樺太をソ連にくれると密約したからだ。敗戦国から賠償金を取れないだろう、と分かっていたスターリンは、満州や北朝鮮にあった日本の資産・財産や”労働力”(=日本人)を奪った。ソ連はドイツ・日本との戦いで25百万人を失っ...

ボッチャは楽し

 パリ・パラリンピック…なんといってもボッチャだ。 遠藤裕美銅メダルおめでとう。 距離感、方向性が相まって絶妙なところにボールを止める。スリルを感じる。快感も。相手の邪魔もする。他の競技いはない、独特の面白さ。 しかし、どのくらい鍛錬するんだろう? 次は杉村のパフォーマンスを見たいね。

百条委によるハラスメント

 兵庫県知事がハラスメントしたかどで百条委に攻め立てられている。百条委とは何を目的として何をするものなのか勉強する気にもならないが、TVに映される映像を見ると、どうも「お前はハラスメントした」という前提で弁護人もいない被告?を「しただろう」と攻め立てるものらしい。 「俺はしてない」と言う知事に向かってある委員が「あなたはハラスメントした、と認めないんですか?」詰め寄る。言われた知事は「それを決めるのがお前の仕事だろう。馬鹿野郎」と言い返したいのを我慢して「それを決めるのは私じゃない」などと言う。 この委員の発言はハラスメントだと思う。 そもそも20年前に俺は会社で「ハラスメントとは被害者がそう思ったらハラスメントだ」と聞かされた。この定義を敷衍すれば「あなたはハラスメントした」と摘発する事は摘発された方が傷ついたり不快を覚えれば摘発した側のハラスメントになるというだ、という事だ。 弁護人もなく、複数の委員に攻め立てられる事自体がハラスメントだ、とも言える。 何か言われれば「不快を感じた」と言い張ればハラスメント成立だ。ハラスメント合戦。 閑話休題: 上述のハラスメントの定義を会社で聞かされたとき、すでに「会社は終わったかな?」と感じていた俺は「これでもう会社で俺は目下の者や女の子とは口をきけないな」と絶望した。

ママーのガーリックトマト(ソース)で茄子入りミートソースを作るとうまい

 茄子を買い過ぎた。上さんに聞いたら茄子の入ったミートソースが喰いたいと言う。 (以下、分量は二人前) まずニンニクの薄切りひとかけをフライパンに入れ、オリーブオイルでいためる。 ニンニクを取り出して茄子を1cmに輪切りにしたものを両面焼く。(茄子は大きければ2本、中型なら3本で二人前) 茄子を焼いたフライパンにトマト半分のみじん切りとあいびき肉100gを加えて炒めたらパウチに入った、ママーのガーリックトマト(ソース)2人前を加え、煮立てる。 これを茹で上げたスパゲッティーにかけ、いためたニンニクを乗せて食す。 ※このソースは湯煎するようにパウチに入っているが、加熱しないままフライパンに絞りだし、パウチに少量の水を入れてかき回してフライパンに絞り出す。 閑話休題: CGCというスーパーマーケットの元締めがある。東京だと三和とかトップなどが加盟している。このCGCがイタリアから輸入しているアントニオ・デ・ニーロというスパゲッティがうまい。「アルデンテ長持ち」という謳い文句だが、確かにいつまでもコシがある。値段を覚えていないが俺が買ったんだから安いと思う。 ミートソースは自分で作るよりママーその他のパウチに入ったヤツの方が断然うまい。

日テレ24時間TV以外にもやめた方がいいのは

 TBSサンデーモーニングで、小学生の夏休みの宿題の工作みたいのを作って、なにやら語るコーナーもやめた方がいい。(今日何年かぶりで見て、「関口宏亡き後もまだやってんのか~?」と思った。) この夏休みの宿題みたいのとか24時間TVに比べるとIKKOさんの「ドンダケ~」及びそこから派生した「背負い投げ~」「エアトリ~」、「ダイキチ~」などは何故賞味期限が長いのか???芸の力か? 閑話休題: IKKOをWikiってみると、カラオケの十八番として 「どうにもとまらない」(山本リンダ) 「愛の讃歌」(越路吹雪) 「お富さん」(春日八郎) などが並ぶ。俺の好みと似てる。 なお、「カラオケの十八番」って、「カラオケと言えばこれ」という意味で1曲(多くて2曲)だろう。10曲も20曲もあるのは十八番ではないと思うのだが。。。