歴史認識問題

 ちくま新書 筒井清忠編「昭和史講義」(戦後篇 下)より 奈良岡聴智

歴史認識問題

戦後日本人の間では、平和憲法を守り、不戦を誓うことをもって、過去の戦争の問題は解決済みと見なす向きが強かった。歴史学会や論壇では、日本の起こした戦争を「侵略戦争」であったとする見方が多数派であったが、少数派の戦争肯定論も並存しており、戦争をどう総括するかについての国民的合意は形成されなかった。アジア諸国に対する経済協力は、事実上の賠償としての意味を持ったが、日本がどのような責任を、だれに対して、どのように償うのかという本質的な議論は十分になされず、政府の見解を表明する機会もなかった。

また、戦後処理の方針を決定する過程から、戦争被害者が排除されていた。

>>俺の世代は先の戦争、とりわけ日本人が朝鮮や中国や東南アジアで何をしでかしたのか、詳しくは教わっていない。教える側もあえて教えなかった。敗戦を語りたくなかったというのもあったろうし、そもそも侵略戦争だったのかどうか、国民的なコンセンサスを得られず、従い、迷惑をかけた国々に対する謝罪や賠償が曖昧に行われたということもあったのだろう。

俺は勝手に先の戦争を「みんながそう言うから引っ込みがつかずに勝てもしない戦争を始め、止めることができずズルズル引きずるどころか、負けそうになったら『お国のために死ぬ』という、本来個人の美徳であるべきものを国民全員に強制した無粋なもの」と考えた。そしてその無粋の根源は日本人の「赤信号みんなで渡れば怖くない」に行きつく、と考えた。

朝鮮における創氏改名も「朝鮮人も日本人と同じがいい」という無邪気な思い込みによる無粋なものだった。八紘一宇という日本軍の植民地政策はみな同根のもので、相手がどんなに嫌なのか、想像しようともせず、「日本人(みんな)と同じになれ」と強制した無粋なものだった。(だから、日本人はかつての植民地から恨まれ、嫌われるのか?これに対し、イギリスやスペインやポルトガルのかつての植民地は言葉もそのまま残ったし、愛着もあるように感じる)

そんな日本人が「多様性」「違っていてよい」なんて気持ち悪いことを言う。俺は、本来は白ワインは魚に合う、赤ワインは肉に合う、と使い分けるべきところを、日本人の「多様性」は、白ワインと赤ワインを混ぜて「同じ」にして飲む、と思っている。


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