公害・環境問題の展開

ちくま新書 筒井清忠著「昭和史講義」(戦後篇 下)より 小堀聡

 公害・環境問題の展開

1963年12月~64年10月に静岡県三島・沼津・清水の二市一町で展開され、勝利した、石油コンビナート阻止市民運動があった。広い土地、地下水、良港という三条件を兼ね備える一帯は重化学工業地帯に最適であり、1963年10月、富士石油、住友化学、東京電力の三社はコンビナート計画を整えた。政府や静岡県もこれを熱心に支援する。だが、住民による反対運動が広範に展開された結果、64年5月に三島市長が、9月に沼津市長が計画撤回を要求。三社は進出断念に追い込まれた。成功の理由は第一に、保守も含めた多様な階層がコンビナート進出反対の1点で共闘したことである。運動の参加者は漁業業者、主婦、自治会代表、医師会、労働者など広範囲であり、革新政党の活動家は裏方に徹した。第二に、学習を重視した運動が展開されたことである。市民運動は四日市の見学や実態調査を行ったほか、学習会を繰り返し実施した。これには理科系の高校教師や三島市の国立遺伝学研究所が大きな役割を果たした。学習によって培われた洞察が、企業・政府への反論や運動の持続を可能にした。(略)

飛鳥田横浜革新市長下で、東電は公害対策として液化天然ガスを火力発電燃料に世界で始めて本格導入した。これを考案したのは東京ガスである。東京ガスが東電に液化天然ガスの購入を持ち掛けたのは、東京ガスが進めていた、アラスカからの液化天然ガス輸入というプロジェクトの採算ラインを確保するためであった。

>>俺は静岡県人、三重県人、和歌山県人、茨城県人は「ゆるい」と思っている。厳しい自然環境にさらされないせいか、「揉め事嫌い」「みんな仲良く」「固いこと抜きで」という県民性。「石にかじりついてでも」なんて言わない。意志は弱く我も弱い。その静岡県人がお上と大企業に逆らって公害反対なんてよくできたものだ。全く知らなかった。天然ガス燃やして発電も、こんな経緯があったなんて。実に面白い。

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