全共闘・三島事件・連合赤軍事件
ちくま新書 筒井清忠著篇「昭和史講義」(戦後篇 下)より 西山伸
全共闘・三島事件・連合赤軍事件
全共闘の運動は突き詰めれば自己の内面に向かっていくものだった。当時雑誌により実施された東大生を対象としたアンケートで、全共闘支持者が闘争の主要目標としてあげたのは「現行大学制度の解体」「体制への拒否表明」「自己変革」「自己主体の確立」といった抽象性の高い項目で、「大学民主化」「機構の合理化」といった項目に対する彼らの評価は極端に低かった(「世界」1969年9月号)。全共闘運動は、大学の問題性は鋭く指摘し攻撃したものの、具体的な改革のプログラムは持っていなかった。というよりそもそも持つような運動ではなかったと言えよう。(略)
いずれにしろ、当時連合赤軍事件に最も衝撃を受けたのは、1960年代後半以来何らかの形で左翼運動や全共闘運動に加わってきた者たちであった。全共闘による「自己否定」の直接の延長線上に連合赤軍事件があった、と軽々には言えないが、当時の学生運動一般のなかに、運動から離脱したり、それに否定的な態度を示したりする者を激しく糾弾する面があったことは事実で、そのため彼らにとって連合赤軍事件は他人事ではないと受け止めざるを得なかった。この事件以降、全共闘運動によって盛り上がった若者たちの運動は沈滞していくことになる。
>>翼の会・ジョーカー議員、石丸伸二らは、今の政治はオワコンだ、と絶望し、攻撃はするものの、具体的な改革プログラムは持ってない。上述の全共闘と同じく、単なる自己否定の変形か?また、自分たちに否定的な態度を示すと激しく糾弾する点も全共闘と似ている。とすれば、何年か流行った後は、雲散霧消する運命だ。
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