丸山真男「軍国支配者の精神形態」より
1949年雑誌「潮流」5月号記載の「軍国支配者の精神形態」より以下抜粋:
抑圧委譲原理の行われている世界ではヒエラルヒーの最下位に位置する民衆の不満はもはや委譲すべき場所がないから必然に外に向けられる。非民主主義国の民衆が熱狂的な排外主義のとりこになりやすい所以であえる。日常の生活的な不満までが、あげて排外主義と戦争待望の気分のなかに注ぎ込まれる。かくして支配層は不満の逆流を防止するために自らそうした傾向を煽りながら、却って危機的段階において、そうした無責任の「世論」に屈従して政策決定の自主性を失ってしまうのである。日本において軍内部の「下剋上」的傾向、これと結びついた無法者の跋扈が軍的問題と満州問題という国際的な契機から激化していったことは偶然ではないのである。F.マイネッケはかつて、機械文明の生み出した大衆の登場と軍事技術の発達によって、本来政治の手段であるべき軍備機構がデモーニッシュな力として自己運動を開始するようになったこと、他方大衆の動向を政治家がコントロールできなくなったこと、を指摘し、19世紀後半から明晰な「国家の必要」が模糊とした「国民の必要」に取って代わられた旨を論じて、これを国家理性の「危機」と呼んだ。
ここでは彼は第一次世界大戦におけるドイツの例を念頭に置いているのであるが、果たして彼の断定は、そのように一般化できるだろうか。少なくも軍事機構のそうした政治をはなれての自己運動、ないしは国民の間の無責任な強硬論など、第一次世界大戦直前のドイツと今度の日本との間に見出される著しい類似性は、両帝国が国家および社会体制においてともに権威的=階層的な構成を持ち、しかもそこでの政治的指導者がそろって矮小だったという事実と切り離し得ないように思われるのである。
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一読後の俺の第一印象は「これはかつて暴走して戦争に飛び込んだ日独のことではなく、今のアメリカに当てはまるのでないか?」ということだ。
トランプの相手にしているのはアメリカの”民主主義”に絶望し、自分たちはヒエラルヒーの最下位(に落ちそうだ)と思っている白人労働者だ。最初はそんな支持者たちの世論を無責任に煽っていたトランプも段々世論をコントロールできなくなって「下剋上」になり、武装した支持者たちがが暴走し始める…
俺はアメリカは南北に分断する、と思っている。上述の、トランプ率いる非民主主義的、権威的、階層的な南部と民主主義を標榜する民主党的な北部に…アメリカが南北に分かれて揉めようが戦争しようがそれ自体は構わない。しかしそうなったら日本はどうすればいい?在日米軍はどうなるんだろうか?誰に守ってもらうのか?そんなことも頭の体操的に考えてみるのも一興だ。
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