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3月, 2024の投稿を表示しています

I've got you under my skinを聞き較べる

Frank Sinatraが1956年のCapitol盤で歌ったこの歌、 use your mentality wake up to reality という変わった歌詞と under my skinのunder( ʌ́nd ə r) の ə r の、 日本人には難しい「あ」と「う」が混ざったような発音が頭のどこかに残っていて思い出すことがある。 Wikiってみると、この歌は1936年Cole Porterの作詞作曲。Wki記載の紹介に従ってCab Calloway,Judy Garland,Bing Crosby,Peggy Lee(アルバム”Black Coffee”に収録),Dinah Washington(アルバム”With Clifford Brown”に収録),Ella Fitgerald,Helen Merrill,Mel Torme,Julie London(With the Bud Shank Quintet)・・・そしてFour seasonsのカバーを聞く。それからTony Bennett&Lady Gaga、日本人のmayumi・・・次々にYouTubeで聞く。 Peggy LeeとDinah Washingtonのカバー(歌)は有名なアルバムに入っていて俺もそのアルバムをもっているのだが、全く認識していなかった。 Peggyの歌のあとのJmmy Rowlesのピアノ、Julie Londonの歌のあとのJoe Passのギターが良かった。Helen Merrillもいい。EllaやTormeも彼等らしい歌声。Four seasonsってポップスグループ(1966年録音)。Fifth DemensionのUp,up and awayを思い出させるアレンジ。 歌としてFrank Sinatraと同じくらい良い、と思ったのはTony Bennett&Lady Gaga。これも多分DVD持ってるが二人で仲良く歌ってる動画を見ながら聞くと最高。二人とも歌がうまい。1926年生まれのTonyは録音の時、90歳くらいだったはずだが、衰えを感じさせない。(Tonyの発声、歌い方は元々、年取ってもそれを感じさせないモノだ)Tonyは好々爺、Gagaはそのお爺ちゃんが大好きな孫、みたいな感じがする。或いはGagaのTonyに対するリスペクト。 mayumiさんは...

吉本新喜劇 主人に隠れてすんのかい?せんのかい!? に腹を抱える

 祇園花月presents吉本新喜劇#35 「主人に隠れてすんのかい?せんのかい!?」の岡田直子、浅香あき恵は絶好調だった。 岡田直子は定番の「ミニオンでしょ?」に「ミニオンじゃありません!!」と言いながらミニオンの動きをする。面白い。腹を抱える。後ろからどつかれると両手を上げるリアクション。これもいい。何言ってるのか分からないことを早口でまくし立てるのもよし。 浅香あき恵は岡田直子の同級生で28歳という設定で同窓会に現れる。40歳サバ読んで。ピンクの派手な服着て。これだけで俺の笑いのスイッチが入る。「不細工やなあ」と突っ込まっると客席に近づいてお決まりのおっさん風に「Oh, my God!」。大きな鼻に「スズメバチに刺されて」と突っ込まれるのも新鮮でよかった。これにも腹を抱える。 マンネリなんだけれど、松浦真也のギターも、安尾新乃助の「○○です(か)?」も笑える。 閑話休題: 松本人志、内村光良、浅香あき恵・・・どうして年取ると鼻が大きくなるの????上さんによれば手術で小さくできるとか。

ロイホの秘密

 NHK Eテレ アクティブ10 公民「なんのために働くの?」を見る。 働く側の話かと思ったら、一番印象に残ったのはロイホの経営改革・働き方改革だった。 ロイホとわが家の付き合いは1980年代からだから40年くらいになる。1990年代前半までは子供がまだ小さかったからよくロイホに行った。ファミレスという名前の通り、じっとしていないであちこち動き回る子供を連れて行っても許された。そして味も決して悪くなかった。(コスパがよかった)逆に言えば、子供が中高生になるとファミレスってのは行かなくなる。そんなこんなで2000年以降ロイホにもご無沙汰だった。 今でも印象深くはっきりと覚えているが、2006年に久しぶりで、上さんと二人でロイホに行った。昼飯時間を少し過ぎたタイミングだったと思うが、入店すると客が出て行ったまま、食器類が片づけられないでテーブルの上に「放置」されていた。この番組を見て分かったのだが、それは従業員がさぼったのではなく、従業員の疲弊の叫びだったのだ。そんなことを知らない俺たち夫婦は「2度とロイホには行かない」と思った。理由の如何はともかく、「ロイホは客を客扱いせず、放置する」と感じたからだ。 17年後の2023年、上述の店とは違う店に行った。何故か理由は分からない。30年前を思い出して懐かしかったのか?それとも何かを感じたんだろうか?ハンバーグが実にうまかった。俺の作るハンバーグよりひき肉が締まって固まっていて旨い。「俺にはこれは作れない」「これなら金を払う価値がある」と思った。感心したのはエスプエッソが旨かったことだ。260円のフリードリンクで何杯でも飲める。(そうは言っても、せいぜい2杯までだが)・・・俺はレストランを評価する時はメインよりスープ、コーヒー、サラダ、パンといった「添え物」で評価する。 以下、”IT mediaビジネス” より抜粋: もともと、ロイヤルホストが働き方改革に着手したのは「原点回帰」という戦略を打ち出したためだ。 「店員によるおもてなし」や「コックがひと手間かけた料理」 という強みを打ち出し、ブランド価値を向上させる狙いがあった。  そこで、店舗の改装、全席禁煙化、品質の高い素材の利用といった施策を次々と打ち出した。さらに、従業員がしっかり接客や調理ができるようになるためには、働き方改革も必要だということになった。  店...

Auは釣った魚に・・・

  朝日新聞デジタル 論壇時評 宇野重規・政治学者  言説空間の重苦しさ 時間かけ、違い受け止める「成熟」を から以下 :   なぜこんなに議論がしにくいのだろう。 もちろん、 意見の違いはあっていい。異なるものの見方に接することは、むしろわたしたちの思考を豊かにしてくれる 。それなのに、現在の社会を覆うのは言説空間をめぐる重苦しさだ。何かものを言えば、鋭く切りつけるような反応が返ってくる。傷つけられたくないなら、何も発信しない方がいい。黙ったままの方がいい。ただし、たとえ無言を貫いても、なんとも言えない圧迫感から自由になることはできない。それが今の時代の空気である。 興味深いことに、老舗の総合雑誌「世界」「正論」「中央公論」の編集長はいずれも女性であるという。政治的主張は多様だが、これまで男性中心であった論壇誌の自己変革の兆しなのであろう。とはいえ苦労も多いようだ。3誌の編集長堀由貴子・田北真樹子・五十嵐文の鼎談(ていだん)は、日本における言論の現状をよく映し出している(〈1〉)。雑誌のイメージを変えれば古い読者を失うかもしれない。一つ間違えば社会から叩(たた)かれる。それでも「異なる考え方に耳を傾け、さまざまな言論が共存する媒体」として、文字通り「雑誌」であろうとする女性編集長たちの姿勢は真摯(しんし)である。 国際政治・アメリカ政治の遠藤乾・渡辺将人・三牧聖子の鼎談「なぜトランプなのか」が、米国大統領選をめぐる難局を論じている(〈2〉)。中道の穏健派が縮小して左右の分断が深まり、政治の正当性を担保するはずの選挙もむしろ幻滅や不信を増幅させている。内政の対立が外交に跳ね返り、米国外交の揺らぎがさらに世界を不安定化させる。仮にバイデン政権が続いたとしても、国際秩序の安定化が実現するわけではない。 「正しさ」という羅針盤が狂う なか、日本はいかに米国大統領選に向き合っていくか。言論の困難の背景にある政治的分断を分析する鼎談の基調は重い。  分断は大学にも及んでいる。イスラム組織ハマスによるイスラエル攻撃への「反ユダヤ主義的対応」をめぐり、ペンシルベニア大学のマギル学長とハーバード大学のゲイ学長が辞任した。2人とも女性であり、ゲイ学長はハーバード大学初の黒人学長であった。まさに米国の多様性、公正性、包摂性(Diversity, Equity, Inclusio...

権利落ち日に株を買う

3月決算の会社が多い日本の株は3月末に権利確定、翌日権利落ちになる銘柄が多い。権利確定を待って株を売る者がいる、つまり権利落ち日に株価が下がる銘柄があるから、こちらはこれを狙う。今年の権利落ち日は3月28日。高配当株15銘柄くらいを、直近株価△10%&配当利回り5%を目処に指値した。 結果、28日に以下2件成約。 アールビバン100株を@1100円(予想配当利回り:5.45%) アイティメディア100株を@1830円(予想配当利回り:6.23%) その後、アールビバンは1076円に、アイティメディアは1784円に下がって28日の取引終わり。 指値すると、上述の通り指値した価格で成約した後、もっと値下がりすることが多い。なんとなく損した感じ。よく考えてみれば俺は底値の絶対値を当てるために指値してるわけじゃあない。然るべき配当利回りを目指し、値下がりを予想して指値してるわけで、少々予想より値下がりしたっていいじゃあねえか、と思い直すが、やっぱり「もっと安く指値すれよかった・・・」と。 15銘柄くらい指値発注して成約するのは上記の通りせいぜい2銘柄。こんな株高じゃあ、株なんて買うべきではないんだから打率1割強でよし、とする。(3月末から4月にかけてまだ他にも値下がりする銘柄があるかも知れない。そうなれば成約する銘柄も増えるかも)

床屋にて

 家の向かいの安い(980円)の床屋に行く。「どうしますか?」と聞かれ、「刈り上げていいからなるべく思い切って短く」と答える・・・次に床屋に来るのをなるべく先にしたいから…すると「丸坊主じゃあないですよね?」と来た。「坊主の一歩手前で」と返して作業開始。 少ししたら中年の男が入って来て「昨日切ってもらったんだけど、あげて見たら右と左のバランスがものすごく悪くて・・・」と言う。「直してもらえますか?お金は払わなくていい?」とも。俺には彼の言ってることが理解できない。「あげて見る???」「右と左?」 俺の係とは別の人が「すみません、すみません」と言いながら出て来て、俺の隣で「右と左のバランスを取る」作業が始まった。一体どういうことになってて、どうやり直すのか見たいが、眼鏡をはずしてるからよく見えない。「こんなもんでいいですか?」「そうねえ、そんなもんで」などと話し合ってる。 結局、俺のカットは20分くらいで終わったが、俺の隣の「左右バランス取り作業」は俺のカットのちょっと前に終わった。(作業時間15分くらい)男が「お金は?」と聞く。「とんでもない、こちらこそ失礼しました」というやり取り。男は「ありがとう」と出て行った。 閑話休題: この床屋、10年間以上980円だ。最近の値上げブームにも関わらず一向に値上げしない。床屋職人(理容師?)の給料いくらなの?と心配になる。 床屋にクレームに来る男ってのも珍しいのではないか?「右と左のバランス」も分からないが、翌日床屋にクレームしに来るのも信じられない。俺も家に帰ってきてから”出来栄え”をチェックはする。確かに出来不出来はあるが、クレームつけようと思ったことはない。俺は職人の言葉遣い、態度、受け応えに頭にくることはある。しかし、出来栄え・技術にクレームすることはない。気に入らなければ多分2度と行かない。

二階元幹事長(日刊スポーツ)

日刊スポーツに以下:   自民党の二階俊博元幹事長(85=衆院和歌山3区)は25日、東京・永田町の自民党本部で会見し、次期衆院選に立候補しない意向を表明した。(略) 不出馬の背景は不記載か、それとも85歳という年齢の問題かと問われると、林氏が「不記載だ」と答えた後、二階氏は質問した記者をにらみつけるように「(出馬に)年齢の制限があるか。おまえも、その年が来るんだよ」と、すごんだ。 その後、「ばかやろう」と捨てぜりふのようにつぶやいた。 《さて、二階さんは見た目が衰えてしまったから・・・要するに老醜・・・引退した方がいいと思う。確かに「年齢か?」と聞くのは年齢による差別臭いから記者たるもの、そう言ってはいけないだろう。二階さんとしては意地でも「年だ」、「衰えた」と認めたくないということか?記者に対して「意地の悪い野郎だ」と思ったか?それで「ばかやろう」発言になったか?》

Ted Brown "Free wheeling"を聞く

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1956年、Vanguard。カセットテープにダビングしたジャズアルバムを順番に聴いていたら、このアルバムに。録音日時、メンバーなど確認のためにネットで調べたら、思い出した、ものすごくシュールなジャケットだった。Ted Brownと思しき男(猫?)がテナーサックスを携えてしゃがんでいる。 TowerRecordのレビューが面白い。リーダーのTed Brownのことはほとんど書いてなくて、まず、共演のArt Pepperがいい、それからWarne Marshもいい、たまたまレコーディングスタジオで聞いていたLee KonitzによればMarshがレコーディングスタジオでやった演奏の中では一番いいと言ったと。聞けば実にその通り。結局、Ted Brownは被り物をしてアルバムジャケットになっただけ。そのそもジャケットにART PEPPER AND TED BROWN Featuring Warne Marshって書いてある。 などと綴っていると、"Crazy she calls me"が始まる。Art Pepperと思しきサックスのリラックスした素晴らしいソロ。 Art Ppper1925年生まれで麻薬中毒になって1982年歿、片やTed Brown1927年生まれでまだ存命。Pepper先輩にソロを譲ったBrownは長生き。まあ、長生きすりゃあいいってもんじゃあないが。

Chet Baker "Playboys","The touch of your lips"を聞く

Playboys:1956年、Pacific Jazz。  Art Pepperとの共演。Chet Baker,Art Pepperとも絶頂期。二人とも麻薬漬けだが、好調。奇をてらわずに、単純に淡々と二人でユニゾンでテーマを吹いたら次は何コーラスかそれぞれソロ、という陳腐な展開。それでも、と言うか、それだから、二人の絶頂期のパフォーマンスが堪能できる。 The touch of your lips:1979年 SteepleChase。 1929年生まれのChetは50歳。トランペットも歌も素晴らしい。But not for meの歌声はなよなよして正しく「オカマソング」の集大成・真骨頂。ギターのDoug Raney、ベースのNiels Henning Pedersenも素晴らしい。不思議なことにこれが3人きりの(トリオの)演奏だ、と思えない。もっと大勢でやってるような・・・  

エミン・ユルマズさん素晴らしい!

 トルコ生まれで東大を卒業後、野村證券に入り、その後エコノミスト(俺に言わせれば株、金、為替などの相場の予想師)になったエミン・ユルマズさんの講演。上さんが応募してくれ、当たったので聞きに行った。ユルマズさんは、2,3年前に「米中とも景気が悪くなってその金が日本に回って来るから日本の株は上がる」と予想して見事に当てた人。今回の講演も、感動的と言ってもいいくらい素晴らしかったので以下。( 黄色でハイライトした部分 は俺のコメント・推測)何が感動的かと言って、「当たるも八卦当たらぬも八卦、俺はこういう根拠でこう考える」と外連味のないところ。 ユルマズ哲学・大原則 1.ストーリー投資( ”惚れた”投資 )  株を買う前に「この会社はこういう所が素晴らしいから業績も上がって株価も上がる」と信じて(惚れて)株を買うべきだ。従って ①少々株価が下がっても、その惚れた点が維持強化されているなら株を売るべきでない(むしろ株価が下がったら買い足すチャンス) ②少々株価が上がっても、その惚れた点が維持強化されないなら株を売るべきだ。 2. PBR(Price Book-value Ratio:株価を純資産倍で割った値)が1を割ってる会社が多い日本は異常だ・・・例えば悪意の投資家がPBR0.5の会社の株を買い占めて、直後にその会社の資産を売り払ったら株を買い占めるのに使った資金の倍で売れる=資産価値100の会社を50の資金で買えるということ) 「これはおかしい( ガラパゴス状態だ )」と気づいて改善しようという力が日本の株式市場に働いているから、PBR1以上を目指して日本御株価は上がる。 一方で自社の株・資産を安く買いたたかれるのを真剣に心配する会社は他人に株を買い占められる前に自社株を時価より何割か高い価格で買い占め、MBOして株を非上場化する・・・大正製薬、ベネッセ・・・ 3. PER(Price Earnings Ratio=会社の利益を株価で割った値)が70近くになったら株価バブルを疑え。1989年のバブルの時はPER70だった。2024年3月中旬現在PERは16なのでバブルではない。(ただし、後述のようにAIだけはバブルだ)今のところ株価が上がってもPERがあまり上がらない・・・株価の上昇と同じくらい会社の利益が増えている。 4.過去を振り返ると日本の株価サイクルは「4...

Auショップで

5年前に買った上さんのスマホの動きがものすごく遅くなった。買い替えることにしてヤマダ、ビッグカメラ 、コジマ、ノジマなど当たった結果、Auショップで、今入ってるUQからAuに乗り換えると端末代がほぼゼロになるという契約をすることに。ただし、ノートンの個人情報漏洩まで守ってくれるとかいうご立派なセキュリティソフトを入れなければならず、これが2か月間(=約1500円?)契約解除できないとかいう条件だ。通話料もAu契約期間中は高いが、3月27日にAuを契約し、4月になったら即UQに乗り換える計画だ。(こうすれば高いAu通話料金は数日間だけで済む・・・これをやるとブラックリストに載って、二度と同様の事が出来なくなるとか????) 俺は1年前に機種変し、UQのまま乗り換えずに、同じUQの高いプランを2か月?契約し、再び元の安いプランに戻すという手段で端末代を何割か割り引いた。この1年前に、俺が買った端末と今回上さんが買う端末は同じ機種だ。データ移行は1年前に何とかできた俺の担当だ。(うまくいかなければ、Auショップに相談すれば5150円でやってくれると) 1年前に俺が買ったときは端末は富士通(の子会社?)製だったが、中国系の会社に身売りした。そんなこともあってか、端末代ほぼゼロキャンペーンの対象になるのか?あと一つ端末代ほぼゼロキャンペーンの対象はギャラクシーだった・・・上さんはこのギャラクシー高級機種(2年間無料)にしようか悩んで、やめた・・・日本の携帯会社は日本以外の国のブランドを差別してるのか?それともたまたまこの2機種が人気がなくて余っているのか? 閑話休題: 上さんが感心して言うには「今日のAuの人(若い男)はとっても良かった。分かりやすく説明してくれた。あまり硬くもなく柔らかすぎるでもなく・・・」俺も同感。去年の俺の機種変の時もそうだったが、スマホを売ってる人は皆同じように年寄りにも理解できるような説明ができる。上述のように、携帯の会社・業界では訳の分からぬ値引き慣習が横行してるが、そのややこしい商習慣についても、分かるように教えてくれる・・・俺のUQ電気の契約で上さんの通話料が割引されるが、これが乗り換え後も続けらるのか、については本部?に電話して確認してた…その確認の仕方も間違いのない様に、慎重に言葉を選んで質問し、それに対する答えを自分の言葉で「こういうこと...

【ビジュアル解説】自民党 派閥のなぜ メリットとデメリット

 朝日新聞デジタルに「自民党 派閥のなぜ 解説 メリットとデメリット」と題する記事。内容はよく分からない。(正確に言うとパワポ風の書き方で、俺に理解しよう、理解したい、と思わせる書き方になってない・・・つまり”ビジュアル解説”なのだ)問題は内容でなく、『メリットとデメリット』という言葉遣いだ。 メリット・デメリットはビジネス上の損得、例えば商品購入や投資の検討に際して損と得を天秤にかけるニュアンスだ。ただし、英語のMeritは美徳とか価値というニュアンスなのだそうだ。つまり、メリットデメリットは和製英語で英語の本来の意味とは違う。 和製ビジネス用語であるメリットデメリットを政治に用いた所に違和感を感じるのだ。 一方で、自民党議員に「政治家」と呼ぶに値する者なんていない、あいつらは烏合の衆で勝ち馬に乗ること、ババを引かない事に夢中になってる、損得しか考えないバカ者だという皮肉を込めてメリット・デメリットという言葉を用いるなら了とする。 ※どうも最近メリットデメリットを和製の意味でなく本来のMerit/Demeritの意味で使う傾向があるように思う。つまり、本来損得でなく、価値観や美学に基づく判断(例えば就職・転職とか結婚・離婚など)の基準として、このメリット・デメリットという和製英語が使われる傾向があって、それに違和感を感じている。 もっとも、上述の自民党の議員先生と同じく、就職・転職とか結婚・離婚は損得でするもんだ、ということなら納得だ。俺の感覚では就職やら結婚は一生を左右する一大事だ。損得以上の判断基準がある。Z世代の皆さんにとっては、そうでなく、「ダメだったらすぐ乗り換えればいい」程度のことなのか?

象徴天皇制、根源から問い直す議論を 主権者への原武史さんの訴え

 朝日新聞デジタルに以下: 日本国と国民統合の象徴とされる 天皇の代替わり から、間もなく5年。皇族が減り、皇位継承問題が再び議論となるなか、近代天皇制を研究してきた政治学者の原武史さんは「象徴」の意味を問い直すよう訴えてきた。メディアでの発言も多いが、当人いわく、その内容はおおかた無難に編集されてしまうという。ならば、自粛も禁忌(タブー)もなしで論じてもらおう。 (聞き手・石川智也) (前略)「 代替わりとは、生身の人間が交代する ということです。先代のまねをしたところで、受け手の捉え方は変わります。明治、大正、昭和の天皇も、大正のように失敗した例もありますが、前代のスタイルを事実上否定し、新たな流儀を築こうとしました。明仁上皇も、良くも悪くもカリスマ性を備え戦争責任の問題を帯び続けた昭和天皇のイメージを払拭(ふっしょく)するため、保守派から『何もひざまずく必要はない。被災者と同じ目線である必要もない』と批判されながら『平成流』を貫きました」 (略) いわば上皇夫妻は、象徴天皇制のハードルを上げてしまった。その水準から言えば、 徳仁天皇 と 雅子皇后 はクリアできていないでしょう。しかし今のところ、国民から天皇と皇后への批判や苦言はほとんど出ていない。これは意外でした (略)  「どう存続させるか、ではなく、そこまでして 象徴天皇制を維持する必要性があるのか 議論すべき段階です。 血の純粋性をよりどころにした制度は、多様化する社会の統合や包摂を担うメカニズムにはなり得ず、逆に排除の論理になりかねません」  「むしろ右派が逆説的に存廃の話をしているのに、 左派リベラルは存続が前提の議論ばかり しています。平成流を過度に理想化し、上皇を戦後民主主義の擁護者かのように仰いでいるのも主に左派です。改憲派に対する防波堤的機能を期待する声すらあります。しかし、その時々の政治の否定勢力が天皇とつながろうとするのは、2・26事件を起こした青年将校が抱いた理想に近い。筋違いも甚だしい」 (略) 「天皇の地位は主権者である国民の総意に基づく、と憲法に明記されているとおり、そのあり方は私たちが論じて決めていくものです。にもかかわらず、メディアはそのための自由な言論の場になっていない。第一、 あの特別な敬称や敬語 は何ですか。47年に報道各社が宮内府(当時)と、普通のことばの範囲...

70回目の誕生日

 誕生日が来て70歳になった。俺より12日早く生まれた友人がいて、確か彼の誕生日の翌日にゴルフをやって、「70歳になったって特にめでたくなんかないよね?」と聞いたら、「そうだけれど、よく70年間も生き延びたなあ、という感慨はある」という答えだった。確かにそうだ。それを「めでたい」というのかな?この歳になると、年を取る=死に近づくという風にも言える。 人の命は儚い。明日死ぬかもしれないのに、めでたいもくそもないもんだ、と思う一方で、儚いからこそ、死なないで70年も生きた、というのはやっぱりめでたいと言うべきか。 自殺する気もないけれど、じゃあ一体何をするの?何を残すの? The answer is blowin' in the wind.だ。

ライ麦畑でつかまえて

 作者のサリンジャーは、この作品で「 インチキ(phony)」という言葉を多用したとか。phonyという言葉をネットで当たったら、 playing a phony roleという表現があることを知った・・・忖度したり、期待に応えようとしたり、流行っているから、みんながそうするから、その役割を演じる、という意味。江藤淳さんの言う「ごっこ」だ。 この作品の中ではぶっきら棒、不愛想なバーテンダーが有名人、セレブにはおべっかを使うのを見て主人公が「phony」と言う。 トレンドにうまく乗って受けるたり稼いだりするのもphonyだ。主人公が目に映るものをことごとく「phony」とぶった切るんじゃあ、反社会的、とも言える。 芸人が売れっ子になることを目指すか、それとも自分のやりたいことをせずに売れようとするのはphonyだとするのか、その葛藤。 1951年に出版されたこの本は、アメリカでは史上最多の発禁処分を受けた由。汚い言葉満載だった、ということもあったのだろうが、サリンジャーがユダヤ人だったこともあって、マルクス同様の反社会的危険思想と見られたのかも。

ラタトゥーユのようなミネストローネのような

改装したスーパーで しらず干しが安かったので買った(ただし大量だ)。何にしようか上さんに聞いて、しらずとアスパラの千切りのパスタにする。 合わせる野菜スープが欲しいのでベーコン、玉ねぎの千切りを炒め、にんじんとじゃがいもの薄切り、しめじを加える。ふと思いついてウインナソーセージを加えて炒める。これに缶詰めトマト、水少々、コンソメスープの素、塩コショウを入れて煮立たせたら保温鍋で数時間放置。俺の中ではこれは水分の少ないミネストローネだ。(パプリカとかピーマンをいれるとラタトゥーユだ) パスタ:しらすをたっぷりのオリーブ油でフライパンで炒める。(ネットに載ってたレシピだと”揚げ焼き”にするんだそうだ。しらす消費のためレシピの3倍くらいを炒める)これをフライパンから出して改めてみじん切りのにんにく、一味唐辛子をオリーブオイルで炒め、アンチョビペースト、千切りのアスパラ投入。これに炒めておいたしらすと茹でたスパゲッティーを加えてさらに炒める。(ここでスパゲッティの茹で汁を入れ、「乳化」させる・・・俺にはどうなったら乳化なのかよくわからぬ・・・)味を見て塩少々。 一番うまかったのは、スープに入れたウインナソーセージ(シャウエッセン)だった。 ネットに出ていたレシピの3倍でもしらすは少ない感じがした。それでもしらすは全然減っていない。冷凍する。しらすは「タモリのピーマン」に入れて食うか、大根おろしと一緒に食おう。

大リーグ開幕戦観戦記

 大谷ーダルビッシュが対決するパドレス対ドジャースの韓国で行われた開幕戦をNHKで見る。 まず、印象深かったのがキムハソンというパドレスの韓国人ショートの強肩。大体、ショートというポジションを取るということが素晴らしい。日本人ではまだいないのではないか?この試合で当たり損ねのショートゴロを拾って、上半身(腕)だけで一塁に矢のような送球で間一髪アウトに。送球のスピード、というより、球の軌道がずっと地面と水平で途中で落ちない。日本人で腕だけであんなに速いボールを投げるのを見たことがない。日本人は足を使う。(その分、投げるタイミングが遅くなる)これは教育のせいか?それとも日本人には体格的、筋肉的に腕だけで速い球を投げることは出来ないのか? 次に印象深かったのは、8回表に出た、大谷の、チーム5点目を入れたレフト前のタイムリーヒット。オープン戦や練習でも盛んに見せていた内角の球を無理やりレフトに持っていく打法。内角のボールと思しき球をレフト前に持って行った。 ダルビッシュの投球は、「バッターを牛耳る」という言葉がピッタリ。「術」であり、「芸」だ。バッターの裏を突く、タイミングを外す、そのことに徹している。年齢と共に速い球を投げられなくなったのもそうする原因か?何より相手との駆け引き・読み合いを楽しむ風情なのが素晴らしい。それを見せるだけで金の取れる投手。プロだ。大谷の天真爛漫な明るさ、前向きさより俺はこちらを取る。大谷はプロではなく「神」に近い。人間離れしている。 8回表、ドジャースが4点入れて逆転してそのまま勝った。その逆転劇の最大の原因はパドレスのピッチャーの出来の悪さだったが、決定的なミスは。取れたはずのファーストゴロがなんとファーストミットが壊れて、パックリ口を開け、すり抜けたこと。初めてみた。記録はヒットかエラーか?信じられないようなミス(事故?)だ。これで流れは決定的にドジャース側に行った。これがなくてピッチャーの不出来だけだったら1,2点の失点で済んだかも。そうなっていれば試合の行方は分からなかったろうが、4点失点した。 閑話休題: 解説の井口さん、アナウンサーが「○○ですかねえ?」と振ったら、それを受けて何かコメントしないと、アナウンサーが気の毒。振られても沈黙を守る。上さんによると、声を出さずに頷いているだけだと。

天気予報レビュー

 天気予報が外れることがある。確か「さっき(あるいは昨日)予報はこうなっていた」というあいまいな?記憶を元に「外れた」と判断している。というのも、ネットの天気予報には「昨日、こういう予報をしましたよ」という記録が残っていないからだ。この過去の「私はこう予報をしてました」という記録をせめて2日前まで遡って見られるようにならないか? 天気予報に限らず、およそ予報・予測の類は、「こういう予報・予測をしてました」ということを隠して?いることが多い。そして、昨日やった今日どうなるかの予測のことは忘れ去られ、明日の予測に重点が置かれる。予測なんだから、昨日やった予測がどうだったか、なんて詮索は無意味かも知れないが、どの予報が一番当たっているのか?を知り、外れる予報は見ないということになれば、役に立つし、面白い。また、予報する人(会社、サイト)間の競争が発生して、ユーザーにとってはありがたいことになる。 WN(Weather News)は「一番当たる」と自称しているが、嘘かホントか分からない。 俺は外れても構わないから、常に一定のルール、法則、考え方に従って予測すればそれでいいと思う。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」でいい。当たろうが外れようが「いつもの通り、こうやって予測しました。」とブレないことが大切だ。当たる、当たらぬを気にするあまり、予測に仕方を変えるのは嫌いだ。

女性自身、何とかならないか?

  親の七光り!?【演技がイマイチな二世俳優ランキング】3位松田龍平、2位岡田結実を抑えた圧倒的1位は? 親を超えた!?【演技がうまい二世俳優ランキング】3位杏、2位長澤まさみを抑えた圧倒的1位は? と2本の記事が女性自身WEBに載っている。「イマイチの1位」は Kōki,「 うまいの1位」は安藤サクラだ。 さて、俺が問題にするのは内容ではない。「二世俳優」というからには、親が俳優だ、という事だ。岡田結実の親は俳優ではない。お笑い芸人だ。(Wikiって知ったが、母親もお笑い芸人だった)百歩譲って岡田結実は許そう。親が気まぐれだか成り行きで俳優のまねごとをやったかも知れない。 Kōki, も親父は俳優として演技していたから許そう。ただし、彼女を「俳優」とするのはどうか?Wikiると「ファッションモデル、作曲家、俳優」とあるから、一応セーフか。 どうしてもおかしいのは、長澤まさみだ。父親はサッカーの監督、母親は詳細不明だがモデルだったという噂。両親とも俳優ではない。 去年のシーズン勝てなかったことを「未勝利」というのも間違いだが、この「二世」も間違っている。嫌らしいのは、記事を発信する側が「こう書いた方が売れる」とでも考えて故意に誤用していると推測されることだ。 言葉は誤用され、そのまま定着することがある。それを否定はしない。ただし、その誤用は「善意」とでも言うべき間違い・勘違いが原因だ。この記事を書いた者のような悪意・故意はない。 言葉の専門家として誤用、誤解を避けるべき者が、意図的に誤用・誤解をする。その浅ましさ、垂れ流す害毒に嫌気がさす。

YOSHIKI

 X JapanのリーダーだったYOSHIKIのドキュメンタリーを見る。彼はいい体をしているから信用できる、と思っていた。(俺は特に顎の発達してないヤツと足の細いヤツは信用しない)楽器演奏には筋力がいることは間違いない。ドラムスを一生懸命叩きすぎて肩を壊してから筋トレを始めたらしい。黒人は筋力と言う意味でも音楽やるのにアドバンテージがあると思う。そこに行くと日本人なんて一番不利だ。 ものすごくまともでストイックな人だ。俺より何十倍も上等な人だ。 いつも秘書?みたいなきれいなスタイルのよい女がついていて身の回りの世話をする。一人じゃなくて複数いる。YOSHIKIは女性スキャンダルを聞かないが、女に興味があるのか?これは大きな疑問だ。 子供の時大好きだった父親が自殺して以来、人間(俺)なんて生きる価値はあるか?と問いながら、死なないで少しでも他人の役に立てば、と。ここがとってもよい。俺なんかすぐ、生きてたって意味ねえんだから、どうでも・・・となるが、YOSHIKIは踏みとどまって何とか前向きになろうとする。この、下というか、後ろに向こうとする自分を前向きに持っていくところが上等な人間だ。逆に、上や前を向きっぱなしで下や後ろなんて見たことない、っていう薄っぺらいヤツを俺は一番馬鹿にする。 Wikiってないからはっきり分からないが、50歳を超えてると思う。いつか引退する日が来るんだろうか?年取って衰えたYOSHIKIは見たくない。彼も見せたくないのではないか?彼は衰えた、と思ったら父親と同じく自殺するかもしれない。

Reiを聞く

 Lonely dance club。イントロはまるでDjango Reinhardt。本人もジプシー音楽好きと言っている。ギターはReinhardt同様、エレキではなく、アコースティックギターの音を拾ってアンプに。 YouTubeで様々聞くがLonely dance club以外はあまりいいと思えない。(基本ロック・・・長い間聞くのは辛い)ただし、ジプシーのギターがときどき頭を出す。オリジナリティーがあって面白いと思う。

人気セクシー女優の霜月るな・・・(日刊スポーツ)

 マイクロソフトエッジをウェブブラウザにしているが、最近、画面の半分以上の面積で広告が散りばめられるようになった。この広告を避けながら見るのが辛いというか、イライラする。YahooやGoogleの方がこの点いいように思う。(広告が邪魔で以下に取り上げる記事が何月何日付けのものか確認しそこなった) さて、そのエッジで日刊スポーツの記事を読む。すると松本人志に味方し、文春の記事はでたらめだ、と言っている霜月るなのことが出ている。内容はどうでもいいが、記事が「人気セクシー女優の・・・」で始まる。いつ、彼女は人気者になったのか?人気女優の定義を知りたい。結局そういう表現をした(盛った)方が売れそうだ、という日刊スポーツの判断だろう。 もしかすると、「判断」でなく業界の常識で、売れない女優でも記事にするときには「有名」とつける、というお約束になっているのか?学者は「天才」とか。政治家なら「大物」? こういう紋切り型は大嫌いだ。これも、年寄と見れば優しくしているつもりで「お・な・ま・え・は~」とゆっくり聞くのと同根のいやらしさだ。ハラスメントと言って訴えてもいい。本人の霜月さんはどう思うんだろうか?気分は悪くないか?賢そうな人だから「人気なんてねえぞ、馬鹿にしやがって」と頭に来てるかも知れないネ。霜月さん、今度は返す刀で日刊スポーツもディスったらどうか?

吉本新喜劇を見ると

 吉本新喜劇を見るとたびたびうどん屋が舞台になる。当然、うどんを食いたくなる。肉屋で670グラム、260円の生うどんを買う。夕方スーパーでイモ天が2割引きだったのでこれを購入、イモ天うどんにする。 さて、出汁を作るべく昆布の在庫をチェック。最近昆布出汁を作ってない。いつ買ったか分からないが大量にある。これじゃあ「死ぬまでに使い切れない」と思って昆布を通常の3倍ぐらい使う。小さく割って煮る。本当は沸騰させてはいけないのだが、うっかり目を離して沸騰させてしまった。これを放置。かつお節はかつお節削り器を買ったが、かつお節が悪いのか削り器が悪いのか薄く削れないで粉になる。削るのをやめ小さく砕いて電動ミキサーで粉にする。その間に昆布を煮た鍋が冷えるから昆布を取り出し、粉カツオを入れて5分加熱その後市販の削り節を一握り加えて更に5分。贅沢な出汁ができた。調味料を加えるのがもったいないくらいうまい出汁だがみりん、酒、塩を入れて煮立たせたらしょうゆをひとたれ。 うどんを茹で、冷水で洗って出汁の鍋に入れ加熱。片やイモ天をトースターでリベイク。うどんとイモ天がが温まったら出来上がり。 調味料をあまり入れてないから味が薄い。でもうまい。もったいないから出汁全部飲み干す。 閑話休題: 肉屋のうどん、確か240円だったのを20円値上げしただけ。他の食品は2,3割値上がりした。もちろん、量も減ってない。浮世離れしていて素晴らしい。

It happened one night(或る夜の出来事)を見る

 1934年コロンビアピクチャーズ、フランク・キャプラ監督、クラーク・ゲーブル、クローデット・コルバート主演。「フランクキャプラ」、「或る夜の出来事」「コロンビアピクチャーズ」をWikiると: この映画は1930年代に流行ったスクリューボールコメディー及びロードムービーの元祖。 スクリューボールコメディー: 常識にとらわれない登場人物、テンポのよい洒落た会話、つぎつぎに事件が起きる波乱にとんだ物語などを主な特徴とする …ストーリーのオチがどうなるかスクリューボールのように見当がつかない…。 ロードムービー: 旅の途中で起こる様々な出来事が、映画の物語となっている。旅をしているため、場面の現場が移り変わっていくのが特徴である。 VTRで見る。(1月に一回くらいVTRデッキを動かしてデッキの調子を見る)。テープの箱に1986 RCA/Columbia Picturesとある。アメリカに出入りしていた時期に買ったものらしい。コロンビアピクチャーズは1989年にはソニーに買われたが、その前にはRCAに身売りしていたことが分かる。しかし、RCAとコロンビアといえばレコードではライバルだったはずだ。1980年代のアメリカは「何でもあり」で、実体経済は駄目なアメリカ資本主義では会社そのものが売り物になっていた。 コロンビアピクチャーズ:1982年にコカ・コーラに7億ドル弱で身売りした…多分その後、RCAに売られ、それから 1989年48億ドルでソニーに買われた… 1980年代のM&Aの激しさ。RCAがいくらで買ったかは知らないが、ソニーの買値48億ドルはバカ高かった、と思う。(アメリカ資本が買っていれば、高くてもせいぜい15億ドル程度だろう) フランク・キャプラ:1897年生まれのイタリア移民。1920年代、「ちびっこギャング」のギャグライターになり、1928年コロンビアに雇われて監督をはじめ、 この「或る夜の出来事」で1934年のアカデミー賞の作品賞、監督賞、 主演男優賞 、 主演女優賞 、 脚本賞 と主要部門を制覇、のちにこの記録は『 カッコーの巣の上で 』が現れるまで唯一の事例だった。この映画のヒットでそれまで弱小だったコロンビアが大きくなるきっかけとなった。 さて、この映画について: ”テンポのよい洒落た会話”はほとんど聞き取れない。あらすじは、大金持ちの...

古いパイシートで

 3年前?に買った冷凍パイシートをなんとかしろ、と上さんに言われる。見ると賞味期限が切れて1年以上経っている。 パイシートと言えば、アップルパイ/タルトタタンか、アーモンドクリーミパイだ。リンゴの季節じゃあないからアーモンドクリームパイを作る。 バターを室温に戻し、泡立て、砂糖を入れさらに泡立て、卵を加え、更に泡立てる。これにアーモンドプードルと小麦粉を混ぜてクリームの出来上がり。 パイシートを型に広げ、フォークで穴あけて、クリームを載せ、その上にアーモンドスライスをかけてトースターで焼く。焦げ色がついたらアルミ箔をかぶせて焼き続ける。焼き時間トータル20分ぐらい。 レモンケーキにせよ、フロランタンにせよ、このアーモンドクリームパイにしろ、バター、砂糖、卵を泡立てて粉を混ぜて焼く、のは一緒。 簡単でうまい。 りんごの季節になったら、タルトタタンを作ろう。リンゴは紅玉。俺が子供の時にはリンゴと言うと国光と紅玉しかなかった。断然紅玉が好きだった。それからスターキングなんて洒落たリンゴが出て来て。しかし、紅玉って袋に5つも6個も入ったのを買って全部まともだったことがない。必ず一つは痛んでる。

山本太郎も成田悠輔も嫌いだったが…

日刊スポーツデジタル版に”岸田首相、成田悠輔氏の老害発言を「極めて不適切」と答弁”: 過去に高齢者の人権を軽視するような発言をしたことが問題視されている経済学者の成田悠輔氏(39)が、農水省や財務省の広報活動に起用されていたことが分かった。れいわ新選組代表の山本太郎参院議員が15日の参院予算委員会で指摘し、岸田文雄首相の認識をただした。 成田氏はかつて「 高齢者は老害化する前に集団自決すればいい 」などと発言したとして、SNSなどで批判を受けている。こうした声を踏まえ、キリンビールは、3月から成田氏を起用した缶酎ハイ「氷結無糖」の広告を、削除した。  山本氏はこの経緯に触れた上で「民間ではない、政府がこのような考えを持つ者をありがたがって仕事を与えている。政府と仕事をしているという実績をつくっていることが問題だ」とした上で、昨年末に農水省が成田氏を広報番組に起用し、ネット番組が配信されたと指摘。「農業従事者の7割は65歳以上の高齢者。この7割の方を切り捨てたとしたら日本の農業は終わりです。農水省の人選大丈夫ですか?」と述べた。  また、財務省の広報誌「ファイナンス」の昨年7月号の記事に成田氏が登場し、主計局や主税局の課長と対談したとも述べ「(起用は)彼が発言する前ではない。『高齢者は集団自決』の発言後だ」とし、「起用は適切ではなかったと認めてほしい」と、岸田首相に対応を求めた。  岸田首相は「これらの発言をこの方がされたかどうか、農水省などが起用した経緯を承知していない」としながらも「先ほどの発言は不適切だと強く感じる」と述べ、発言内容を今後確認すると応じた。  山本氏は、成田氏の発言について「謝罪や撤回はない。場所や場面で言い訳を変えたりする ポジショントーク の芸人と考えれば、制作側の判断で使う分にはいいかもしれないが、いっときもで政府や省庁の顔に使うのは、さすがにまずいのではないか」と追及。「起用が不適切と認めないなら、農水省や財務省が成田氏のような人減らしを前に進めようとしているという、勘違いを与えかねない。起用は不適切だったと確実に認めてもらわないといけない事案だ」と訴えた。 《俺は山本太郎も成田悠輔も嫌いだったが、上述のことで見直して好きになるかも知れない。 山本太郎: 単なる反自民。何をしようという訳ではなく、「日本をよくしよう」でもなく、自民...

鳥海不二夫教授は偉いと思う

SmartFLASH に以下: 朝日新聞「マルハラ」記事に東大教授「誤解を招く!」メディアの姿勢理解しつつも「私が考える見出し案」   メール やメッセージなどの文末が句点(。)で終わっていると、威圧されたように感じるという「マル ハラスメント (マルハラ)」が、若者を中心に広がっている。     大阪大学の三浦麻子教授(社会心理学)と東京大学の鳥海不二夫教授(計算社会科学) は、2024年3月上旬、18~29歳の男女各150人と、30~60歳の男女各250人にオンラインでアンケートを実施した。 「マルハラがさまざまな メディア で話題になっていましたが、若者がどの程度『マルハラ』を感じているのかがわからず、本当に存在するのか疑問に思ったため、調査をおこないました」(鳥海教授)  この結果を、「朝日新聞デジタル」が3月8日《 「。で終わる文章は威圧的」 若い女性の4割「マルハラある」と回答 》と題して報じた。    内容は《メッセージ アプリ で上司とやりとりしている場面を想定し、文末が句点だった場合と感嘆符だった場合で、受ける印象に違いがあるかを聞いた》として、《18~29歳の若い女性では、句点は感嘆符より「威圧的」「冷淡」「怖い」といった ネガティブ な印象を感じる人が6~7割いた。逆に、感嘆符のほうがネガティブだと思う人は1割にとどまった。若い男性でも、半分ほどが句点をネガティブに感じていた》との調査結果を報じたものだった。  これに鳥海教授は《我々の調査を取り上げてもらって、ありがたい限りなのですが》と前置きしたうえで《若干以上のタイトル詐欺を感じています》とSNSに投稿。《若い女性の4割が「マルハラがある」と答えたわけではない》 《「句読点に威圧感を感じることがある,たまにある」と若い女性の4割が回答していますが,男女合わせた18~29歳の7割は「威圧感を感じることがない,ほとんどない」と答えています》 と、調査結果の説明を補足した。    鳥海教授に、今回の発信の真意を聞いた。 「『。』で終わる文章に威圧感を覚えることを『マルハラ』と呼ぶ、と定義すれば、4割の若い女性が『たまにある、よくある』と答えているは真になります。ただ、ハラスメントというのはかなり強い表現ですので、句読点に威圧感を覚える以上の意味が『マルハラ』には含まれ...

今年初のたけのこ

 八百屋にタケノコが出回るようになった。直径3cm×長さ10cmくらいの小さいのを安く売っていたので購入。直ちに圧力鍋で茹でる(煮る)。ぬかも鷹の爪もないので米と一味唐辛子で代用。15分圧力鍋で煮て、一晩放置。皮をむき、5mmぐらいの厚さに切って試食。アクが強く「えぐい」感じが。アク抜きのため水につけて数時間放置。これをそばつゆの素で煮る。 食すと春の香りを感じる。えぐみも味わいだ。あまり味つけしないで香りとえぐみを食すのが醍醐味だろう。 4月に入れば白エビ、5月はそら豆。グリンピース飯。これらを食すのは生きるのと同じだ。

日米安全保障条約(1960年版)

以下に安保の条文を3つ。 第5条はアメリカで何かあっても日本はなにもしないことから、片務(軍のない日本をアメリカが守るだけ)と言われる。 第6条は米軍は日本で好き勝手にふるまってよい、ということ。 知らなかったのは第10条に片一方が通告すれば1年後に”解約”できることが規定されていること。日本から止める、と通告したらその後1年間、アメリカからどんな仕打ちを受けるんだろうか?トランプなら喜ぶかな???  第5条 各締結国は、 日本国の施政の下 にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。 前記の武力攻撃及びその結果として執ったすべての措置は、国際連合憲章51条の規定に従って直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事国が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執ったときは、終止しなければならない。 第6条 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が 日本国において施設および区域を使用 することを許される。 前記の施設及び区域の使用並びに 日本国における合衆国軍隊の地位 は、1952年2月28日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第3条に基づく行政協定(改正を含む)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。 第10条 この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本国政府及びアメリカ合衆国政府が認める時まで効力を有する。 もっとも、この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締結国も、他方の締結国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような 通告が行われた後1年間で終了する。 1960年1月19日 ※ちなみに国連憲章第51条: 第51条 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、 安全保障理事会 が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に...

水木楊「自明ではない」

 日米安保ができて以来、日本の首都はワシントンになった、と言ってもよい。国運を賭け、体中の毛がそそり立つような孤独な緊張感に包まれながら、重大な決断を下すという瞬間を、日本のリーダーたちは迎えることがなくなった。戦後、そのような緊張感の中に立った人物は、サンフランシスコ条約に調印し、日米安保の単独講和に踏み切った吉田茂だけであろう。それ以降のリーダーたちは、日米安保の大枠の中で、ちまちまとした決定を下していたに過ぎない。いや、1941年の、開戦を決断した御前会議ですら、「これは全て自らの判断と責任による」と考えた人間は、どれほどいたのだろう。心のどこかで、「ここまで来てしまったからには仕方がない」と諦めていたのではないか。開戦を軍の暴走とか、欧米の締め付けとかのせいにしていたのではないか。 《俺も会社のちまちまとした決定を行うについて、全く同様の態度だった。バカなことをする、と思っても起こって会議室を出て行くことも、会社を辞めることもなかった。「自分ごと」ではなく、「他人が自分の意志とは関係なく決める」感覚。社長があらかじめ決めたことを会議にかけて追認するだけ…》

岩見隆夫「日米戦争と安保改定」

ジャーナリスト・岩見隆夫が岸伸介にアメリカとの戦争を始めた時の気持ち・考えについて聞いた: 岸は何のてらいもなくこう言ってのけた。「勝つということよりも、日本がともかく生きて行く最低限のものを戦争によって確保しきゃいかん。日本に対して油の供給が押さえられている。日本が立っていくだけの体制を作らなければということだった。戦争で勝つというんならアメリカまで」攻めていくことになるが、そんなことは誰も考えなかった。日本は最低限必要なものを確保するために必要な戦闘行為、戦争そして自分たちに有利な時期において講和をすべきだ、こういう考えだった。  《これが開戦当時の岸の本心、あるいは政府関係者の総意だったかどうかは分からない。もしかすると戦争に負けてその後なんとか日本が経済的には持ち直した、という結果を踏まえての回想かも知れない。でもこういう考えだったような気がする。勝ち負けでなく、日本の独立・誇りを維持するための戦争だった…当事者としてはそう言いたい…》

いしい・てるみ(朝日新聞デジタル)

異色の経歴を持つお笑い芸人。いしい・てるみの記事以下。   東大に入って大学院に進み、外資系コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社しました。絵に描いたようなエリートコースと言われます。  でも、1年4カ月で辞めました。つねに成果を求められるプレッシャーに、心身が悲鳴をあげたのです。「一度の人生、本当にやりたかったことに挑戦しよう」と、お笑い芸人に転身し、今に至ります。  マッキンゼーでは、色々な形の評価を受けました。理想的な成長速度の通りか、それより速いか遅いかといった査定を受ける定期評価だけでなく、プロジェクトごとの評価や、毎日の仕事ぶりをフィードバックされる形の評価もありました。  評価自体がおかしいとか理不尽だとか思ったことはありませんでした。低評価を受けた時も、思うように仕事ができていないということは、自分が誰よりもよく分かっていました。それを正直に示されているだけなので、納得はできます。  苦手だったのは、仕事がうまくいかない間も、いつも評価にさらされているというプレッシャー。萎縮してパフォーマンスが落ち、さらに萎縮して……と、負のスパイラルに陥る。生き生きと仕事ができていない自分の姿が嫌でした。  「ハイパフォーマー」と呼ばれる優秀な先輩に聞いたことがあります。「なんで、そんなに仕事ができるんですか?」と。 「ここ(マッキンゼー)だけじゃないと思ってるから、オレ」 という一言が忘れられません。世界は広い、ここの評価だけを気に病むな、と言っているようでした。  評価には属人的な要素、上司との相性、仕事の巡り合わせもあります。「そんなもんだ」という割り切りや、今いる場所を俯瞰(ふかん)することができるかどうか。  お笑いの世界も、お客さんによるシビアな評価にさらされます。駆け出しのころ、芸人の養成所でお客さんを入れたライブがありました。アンケートの中に1枚、私のネタについて「無理」と書いてあるものがありました。当時、自分のやりたいことを全然形にできていなかったので仕方ありません。しかし、チームに迷惑をかけるわけでもなく、次に挽回(ばんかい)すればいいと思えるので、まだ気が楽です。  すべることにもいちいち落ち込まなくなりました。ウケなかった芸人の口から「今日のお客さんはダメだね。何しに来たんだよ」という愚痴を聞くこともあります。そ...

ボケハラ

 先日の眼医者の受付の「お・な・ま・え・は~」はハラスメントだ、と気づいた。日本でハラスメントが流行り出したころ、「相手が不快に感じればハラスメント」という定義を聞かされて、俺は「もう女や若い者と喋るのはやめよう」と思った。いくら注意して喋っても、も必ず相手に不快な思いをさせる、という”自信”があった。こんなバカバカしい話はないが、ハラスメントは駄目、と言われるからそうすることにした。 確か、女に対して親しみを込めたつもりで「〇ちゃん」と呼びかけるのもセクハラだ。ならば、老人に親切なつもりで「お・な・ま・え・は~」だって多分ハラスメントだろう。これを暫定的に「ボケハラ」と呼ぶ。 俺たちはおじさんの時はハラスメントする加害者側だった。これがじじいになり、認知症患者扱いされて不快な思いをするようになって、とうとうハラスメントの被害者になって訴えることもできる立場になった。なんか少し嬉しい。

ホワイトアスパラガスが今までで一番うまく茹でられた

 アスパラが安い。ホワイトアスパラなんてかなり安くなり、グリーンアスパラと大きな差がない値段で売っていたので買う。 さて、今まで何回かホワイトアスパラに挑戦して皮が硬いのに悩まされて来た。今回は思い切って皮を厚めに削り取り、茹で時間も3倍くらいにする。 これでかなり食えるようになったが、まだまだ皮が口に触る。 また安く売っていたらもっと工夫してもっと食べやすくしよう。(天ぷらもいいか?)

西部邁 「列島人の愚行、錯誤そして自殺」

 昭和期の自民党は、 戦前・戦中の指導層 が歴史のイナーシャを引きずっていたおかげで、国家としての自主独立の最低戦はかろうじて守り得ていた。しかし、平成期ともなると、いわゆる世代交代のせいで、自民党においてであれ民主党においてであれ、歴史の醸造物たる国家が、自主独立の最後の一片をも失うほどに、破壊されるままとなった。この過程を総称して「構造改革」という。「自由と民主」(平等)のあいだには大きな矛盾がある。端的に言うと、デモクラシー(民衆政治)における「多数決」という形での社会の秩序化が、少数派の自由を抑圧するわけだ。この矛盾を糊塗しようとして「友愛」の偽善が近代という時代の玄関に、「自由と平等」に並んで掲げられたことは周知の所である。そして、「自由・平等・友愛」という理想のトリアーデ(三幅対)に奉じて、「秩序・格差・競合」という現実のトリアーデを忘却する者たちをレフト(左翼)とよぶ。ついでに言っておくと、この現実のトリアーデに執着するのがライト(右翼)であり、理想と現実を平衡させて、「活力・公正・節度」に生きるのがコンサヴァティヴ(保守)である。 我が国の戦後は左翼化の一筋道でしかない。思えば、「冷戦構造」そのものが個人主義派の左翼たるアメリカと集団主義派の左翼たるソ連との確執にほかならなかった。したがって、親米派を保守と見立ててきた者たちは思想的病理にかかっていたと言ってよい。冷戦構造が崩壊したあと、「伝統の保守」がこの状況にあって具体的に何たるべきかを問わなければならなかったのに、安保闘争の重い脳しんとうを病み続けている我が列島人は、自由民主主義のほころびを社会民主主義で繕うべく躍起である。この修繕案が日本国憲法に偉大な社会正義として謳われてもいる。これは 列島人たちには集団自殺の未来しか待っていないと予告 して、よもや間違うはずがない。 《戦前・戦中の指導層とは、 岸伸介に代表される世代の政治家だろう。岸の生まれたのが1898年、弟の佐藤栄作が生まれたのが1901年。 福田赳夫が1905年生まれ。 このあたりまでが西部さんの言う戦前・戦中の官僚経験者世代か?(戦前・戦中において政治家だった者は敗戦でパージされた) 俺は古今亭志ん生に代表される昭和時代に名人と言われた落語家の生年を調べたことがあるが、1882年生まれの雷門助六から1908年生まれの三升屋...

篠田正浩「身捨つるほどの祖国はありや」

 マッチ擦るつかの間海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや 寺山修司が東北の田舎から忽然とすっかり死語となっていたはずの「祖国」を引っ提げて現れ、全身で私は反応した。 60年安保の直後の1961年1月17日、任期を終えたアイゼンハワー大統領が議会での告別演説で、第二次世界大戦後のアメリカには国防の名のもとに軍需産業が興り、巨大な軍事費の支出がもたらした軍産複合体がアメリカの民主主義を脅かしていると発言した。軍産複合体はアメリカが経験したことのない権力になりつつあると。この異形の権力をかかえたアメリカは、腐敗したフィリピンのマルコスやベトナムのゴ・ディン・ジェムら独裁政権を反共ということで援助した前歴がある。そして大量殺りく兵器を保持しているという虚報をかざしてのイラク戦争である。 《アメリカから見れば日本の政治家は独裁せず「民主主義」と言い張るけれど、腐敗の具合はマルコスやゴ・ディン・ジェム並みだろう。》

陳破空「等辺に成り得ない日米中の三角関係

 歴史的な往来を根拠として、中国が現在「チベットは古来より中国の一部である」と公言しているように、今後歴史が進んで、中国が「日本は古来より中国の一部である」と宣言する日が或いは来るかもしれない。 中国や韓国などのアジア諸国にとって、アメリカは彼らを日本軍国主義の手中から救ってくれただけでなく、日本の脅威から免れることを確実に保障してくれた。もちろん、これらすべてを「アメリカのアジアにおける利益の確保」と理解することもできる。それはつまり、安全なアジアは、アメリカの安全を保障する外的要素のひとつなのである。 日本の政治家たちは、かつて中国を侵略したことを謝罪したが、その彼らでさえ、中国共産党の勃興とそれによって中国に災いした結果が、日本の中国侵略に起因した(共産党は日本軍を利用して国民党と決戦し、対岸の火事を傍観して火中の栗を拾い、武力を拡大し、地盤を奪取して、ひそかに勢力を強めた)とは考えたこともないだろう。換言すれば、 日本人は敗走したが、中国を傷つけ損なう害悪ー中国共産党を残したのである。これこそが、日本が最も深く謝罪すべきことなのだ。 《陳さんは天安門事件で捕まってアメリカに亡命した中国人。多数派ではないが実にユニークな見方。こういうジョーク好き。》

平川克美「主権譲渡としての憲法九条と日米安保」

(略) 戦後60年間、日本は一度も戦火を交えず、結果として戦闘の犠牲者も出していない。政治は結果と効果で判断すべきというのであれば、私は、この事実をもっと重く見てもいいのではないかと思う。これを国益と言わずして、何を国益と言えばよいのか。 「過去はそうかも知れないが、将来はどうなんだ」と問われるであろう。現行の憲法は理想論であり。、もはや現実と乖離しているという議論がある。 私は、この前提には全く異論がない。その通りだ。確かに日本国憲法には国柄としての理想的な姿が明記されており、それを世界に向けて宣言したという形になっている。理想を掲げたのである。そこで、問いたいのだが、憲法が現実と乖離しているから現実に合わせて憲法を改正すべきであるという理路の根拠は何か。もし、現実の世界情勢に憲法を合わせるのなら、憲法はもはや法としての威信を失うだろう。憲法はそもそも、政治家の行動に根拠を与えるという目的で制定されているわけではない。政治家が変転する現実の中で、臆断に流されて危険な橋を渡るのを防ぐための足かせとして制定されているものである。当の政治家が、これを現実に会わぬと言って批判するのはそもそも、盗人が刑法が自分の活動に差し障るというに等しい。現実に法を合わせるのではなく、「法」に現実を合わせるというのが、法制定の根拠であり、その限りでは、「法」をないがしろにする社会の中では「法」はいつでも「理想論」なのである。 理念的には確かに憲法と日米安保は相反する理念の表象だと言えるかもしれないが、政治的には憲法九条がなければ日米安保条約は存在していなかったし、日米安保条約がなければ憲法は早々に改定されていたかもしれない。憲法と日米安保条約は面立ちこそ異なっているが、その出自は同じ一つの母体であり、戦勝国アメリカによる極東の戦後統治の一環として施行されたワンセットの政策なのである。もし、 憲法と日米安保条約が日本軍国主義を無力化するというひとつの目的を達成するためのワンセットのもの であるとするなら、左翼も右翼もこの二つの事案の一方を擁護し一方を否定するという対照的なねじれを当初より抱え込んでいたのである。アメリカサイドから見れば、憲法は日本軍国主義を無害化するために必要なものであり、同時に日米安保条約もまた日本が軍事的に肥大化することを抑制するためには必要なものであったといえる。日本...

たむけん頑張れ!

  たむらはXで文春記者側のDM内から抜き出した一文「個人情報にはご配慮頂けたらと思います」を引用し「間違った情報で人の人生を無茶苦茶にしてる方の言葉とは思えませんが、配慮させて頂きます」と切り出した。 《この返し=ツッコミは芸だ。事の真相はどうでもよいが、このツッコミは痛快。》 《「ギャラももらえないのに、どうして取材なんか受けるか!?」もすごくいい》 《事実を言う、それを聞いた人が不快になる、この場合、事実を言って人を不快にすることはハラスメントではないのか?セクハラ、パワハラは聞いた相手が不快・不安になりさえすれば言われたことが事実か真実かなどとは無関係に成り立つのではないか?報道・表現の自由とそれによるハラスメント、どっちが勝つのか???》

李鍾元(インタビュー)「朝鮮半島からみた日米安保」

2010年藤原書店刊「日米安保」とは何か 収録  「ダブル・コンテインメント(封じ込め)」が戦後アメリカの戦略でした。つまり日米安保は、「共産主義の封じ込め」だけではなく、「日本の封じ込め」でもあり、NATOは、「ドイツの封じ込め」でもあった。そして例えば、中国の周恩来も、キッシンジャーに「アメリカが日本を抑えてください」と露骨に言っている。これは恐らく現実の一面を表している。要するにアメリカは、日本に対しては「中国、ソ連の封じ込め」として、中国やソ連に対しては、「日本封じ込め」として日米安保を売り込んだわけです。そして金日成が、南北の平和共存体制下での米軍の韓国駐留を容認した理由も、歴史をさかのぼるとよく分かります。    1950年1月、つまり6月に朝鮮戦争が勃発する直前に、アメリカと韓国は「米韓軍事協定」を締結する。これは、国家統一を目的とした李承晩の「北進」を抑止する意味合いもあった。1953年の朝鮮戦争の停戦後、「米韓相互防衛条約」が締結されますが、「作戦統制権」については、米軍と韓国軍の共同行使とされる。要するに、 そもそも米韓の安全保障関係は、「北朝鮮に対する封じ込め」とともに、「韓国に対する封じこめ」という面も持っていた。つまり、これもアメリカの「ダブル・コンテインメント」戦略です。 逆に言えば、韓国なり日本が、この状況をいかに自覚し、これとは異なるシステムをいかに構築していくかが、今後の課題となる。そして過渡期において、逆説的なことですが、日米安保や米韓安保にも、「有用性」があると言える。例えば、ヨーロッパにおいてドイツが再軍備しても、これが脅威とならないのは、NATOという枠組みに組み込まれているからです。さらに言えば、このようにより大きな枠組みに組み込まれていたからこそ、ドイツ統一も周辺諸国の理解を得られた。統制する枠組みが何もなければそうはいかなかったはずです。アジアにおける日米安保も、同じような役割を担っている。他に統制する枠組みがない以上、中国ですら、日米安保に頼っている所がある。 冷戦体制と日米安保体制の下で、植民地清算の問題、戦後処理の問題、片面講和の問題、何れにおいても日本は、直接対峙せずに済んで来たわけです。ソ連に対しても、朝鮮半島の南北に対しても、中国に対しても、何れにおいても、アメリカがバッファのよ...

Clark Terry "Gingerbread men"を聞く

1966年録音、Maistream。Bob Brookmeyerのトロンボーンがいい。トロンボーンという楽器らしくのんびり。 もちろん主役のTerryのトランペットもいい。Terryがブルースを歌うのも結構。そしてやっぱりHank Jonesのピアノ。Terryが歌うブルースの伴奏もいい。ブルースピアノだ。どうしてこの人のピアノはいいんだろう。すこし遠慮気味で。いい音で。脇役に徹する。しかしピアノソロになればそれなりの存在感。縦横無尽。このアルバムではそれなりの”尺”があたえられてるから存分に彼のピアノが楽しめる。 「口数の少ないOscar Peterson」だ。

近くのスーパーが改装した

 一月前ぐらいから近くのスーパーが改装工事で閉まっていた。それがようやく再開店した。入口近くはほとんど改装した感じなし。冷蔵ケース、冷凍庫の位置も変わっていない。確かに少しずつ商品の置き場は変わっているが、「こんなんでわざわざ1月もかけて工事するなよ」という感じ。そして最後にレジに行ったら、レジが全てセルフレジに変わっていた。このために1月閉めていたんだ。 何年か前に、レジ係その他現金を扱う店員に現金を誤魔化す(つまり盗む)不心得者が多いという話は聞いていた。ここ数年で多くのスーパーでは一部のレジがセルフに変わり、またセルフでなくても現金を店員に渡すことはなくなった。しかし、全てのレジをセルフにするとは・・・。帰り道で「セルフレジって万引き多いだろうね」「そのつもりがなくったってバーコードスキャンしたつもりで商品を持ち返っちゃう人もいるだろうね」などと言い合う。そんな損害よりレジ係の人件費とレジ係の盗みの方が大きいという事なんだろう。

Lullaby of birlandを聞き比べる

 Lullaby of birlandを聞きたくなった。一番目に聞いたのはSarah Vaughan。次いでChris Conner。次いでElla Fitzgerald。この三人の有名大物歌手の中ではChris Connerがよかった。Sarahのは聞き飽きたか。Ellaのは重い感じ。もっと軽く、小粋に歌って欲しい。このあたりになると聞くこちらの体調や心持によっていい悪いが変わる。コーヒーも同じ。飲むこちら側のコンディションによって美味しかったり不味かったり。 YouTubeでこれらを聞くのだが、放っておくとMayumi Okabeという日本人歌手のがかかる。これは駄目。Groove感ゼロ、というか日本人らしい律儀なリズム、発音でマイナス。しからば、と日本人歌手を聞いてみると尾崎亜美のがよかった。BS11でOAしたもの。BS11もいいことする。一世を風靡?した阿川泰子。まあまあ。JUJU。イマイチ。演歌風になっちゃってる。 歌なしのピアノ物ではErroll Garner。This is Garner、This is bihind the beatというパフォーマンス。我が中村八大。ちょっと硬い感じ。若い時の(全盛期の)演奏ではない。映像からすると1980年代か?久しぶりで緊張したのかも。べースとドラムスがいい。特にドラムスのブラシがいい。 歌詞の意味は分からぬ。「あなたとベッドに入って、キスでもしてもらえれば安心して眠れるわ」みたいな歌か?どう聞いても女の歌だ。この歌ではっきりしていることはBirdlandというニューヨークのジャズクラブのオーナーがGeorge Shearingに作曲を頼み、できた歌だ、ということ。

昨日に続けてパソコンとスマホ調査

 修理に出した上さんのパソコンは多分無償修理できないから買うことになるだろうと想定して近くのNジマを冷やかしてパソコンを調査。メモリー16GBを勧められる。一番安いのはデル。10万くらい。ダイナブック他日本ブランドは12,3万といったところ。店員に「カタログちょうだい」と言ったら「最近は紙に印刷したカタログってないんですよ~。皆さんネットで…」と。色々探してくれてちょっと古いカタログをもらう。そうなんだ、パソコンて他の家電みたいにカタログないんだ。 上さんはパソコン要らないかな~とも言う。一番必要なのはネットを見るとき、スマホより大きな画面で見ることができるということと、あとはエクセルで家計簿つけるくらい?それから年賀状。 次にAuショップに予約なしで飛び込んで「UQのスマホをそろそろ機種変したいんだけど、AuからUQに乗り換えたら安くなるって聞いたので教えて」と端末が安くなる方法を紹介してもらう。二つ紹介された。 その1:俺の今使ってるのと同じ機種(Arrows)なら端末1円…まともに買えば1,2万円 其の2:もっと上級機種だが型落ちのギャラクシーなら端末47円(ただし2年後に使用をやめ、端末を返すという条件。2年後も使い続けたければ4万円弱かかる)…まともに買えば5万円前後 上さん、妹がギャラクシーを使っているとかでギャラクシーにしたい模様。 月末にAuに入って翌月初にUQに乗り換えればOKと。(2日以上Auに入っていればOK。電話代は日割り計算)。安くしてくれるからいいけど、全く理解不能…端末メーカーから見れば、型落ちの不良在庫を処分できるからそれでいいのか?

幕引きしたい自民、下村氏を止められず キーパーソンが政倫審出席へ

朝日新聞デジタルに 下村博文元文部科学相の衆院政治倫理審査会への出席が固まったという記事。(以下抜粋) 還流の扱いをめぐる安倍派の幹部会合に参加し、事情を知りうる下村氏が、確執のある元派閥会長の 森喜朗元首相 の関与など新事実を語り出せば、幕引きは遠のく不安が党側にはあった。  党は下村氏の出席意向を無視し続けたが、世論の逆風を気にしてか、下村氏はその後も意向表明を重ね、野党は「自民による『下村隠し』」(立憲民主党・泉健太代表)と批判。自民の若手議員による「ダンス懇親会」の問題などで、支持率の下落基調が続く中、党側も下村氏を止められなかった。 (森岡航平、小木雄太) 上記に対し、 藤田直央という編集委員が自画自賛コメント: そもそも下村氏が一政治家として記者会見すれば済む話です。なのにそれをめぐるさや当てをわざわざ国会の場で繰り広げる下村氏と自民党。いかにこの政党と所属議員が自身をなお公なるものと思い込むことで公なるものを貶めるようになってしまったか、つまり自民党の政権担当能力が衰退してしまったかを、この記事は活写しています。 《下村さんが出るところに出て、森元首相に引導を渡してくれないかなあ、と思っている俺にとっては期待するところがある。まあ、森さんについて何も言わないことを条件に出席することになったんだろうが…》 《藤田氏のコメントはいただけない。「 公なるものを貶めるようになってしまったか、つまり自民党の政権担当能力が衰退してしまったか」なんてことは改めて”活写”していただかなくても何十年も前から充分分かっている。問題は、自民党に代わる政党が出ようとしては潰されるという歴史的事実及びその背景・理由だ。この記事では民主党の、政権担当するつもりのない万年野党的無責任な姿勢は ”活写”されてないが、その点を取り上げ「なぜ自民党以外は政権担当できないのか?、政権をとってもすぐ潰れるのか?」を考察すべきではないか?俺には、日本の政治がこの体たらくであることを望む国や人達がいるとしか思えないのだが…米中ともに日本の政治・国防・外交は今のままが好都合ではないか? 》 閑話休題: 和歌山で起こったダンス懇親会について2つの疑問: ①まず知りたいのは誰が参加したのか?だ。マイクロソフトエッジで「ダンス懇親会参加者」と検索しても参加者の一覧は出て来ない…パリでの観光を研修とか言っ...

久しぶりに渋谷に行った②

 パソコン修理の件でLABI渋谷に行ったついでに上さんのスマホの機種変についても調査する。(購入以来4年経ってかなり動きが鈍くなった。)そしたら、Xiaomiという中国のスマホなら電話屋変えなくても機種変だけで1円で買えるというキャンペーンをやっている由。慌てて買おうとしたが、娘の意見を聞いてから、と思いとどまり、1日取り置きしてもらって、カタログを貰って帰って来た。カタログを見るうちにOSがMIUIというXiaomi開発のものであることに気づく。最初は「安ければXiaomiでもいいんじゃない?」という態度だった娘が中国製のMIUIと聞いたとたんに買うのをやめろ、と。俺も個人情報を抜かれるんじゃないか?などと得も言われぬ不安を感じていたので買うのをやめることに。 上さんはXiaomiを紹介してくれた陳さんという中国人女性が気に入り、キャンセルを電話で伝えたいと。俺はどうせ明日一杯こちらからコンタクトしなければ自動的にキャンセルになるんだから電話するなんてやめとけ、と。(俺は中国製のOSが不安というか嫌だから買うのをやめる、とは陳さんにはもちろん言えないし、そんな気持ちを抱えながら電話するのも嫌だ) しかし、スマホ端末機種変のついでに電話屋も変えると端末をただみたいにする、という商法も全く理解不能。

久しぶりに渋谷に行った①

 上さんのダイナブックのパソコンが「ゴミ箱が壊れています」という表示をしたままウンともスンとも言わない。操作不能となる。強制終了しようが電源を切ろうが、電源ONにすれば同じ表示。ネットで対処法を調べるが理解できない。 やむなくパソコンを買った渋谷のLABIヤマダに持ち込む。たまたま5年前に買ったとき、5年保証を付けてあった。(ソフト、OSの問題なら有償修理だが。) OSはWindows10。もう5年使ったし、来年にはOSの保証が切れるので今、パソコンを買い替えてもいいのだが、一応無償修理かどうか確認してからにしようと。 LABI渋谷に行ってパソコンの電源入れて「ゴミ箱が壊れています」という表示を見せて症状を説明し、無償修理になるかどうか聞く。定員の後ろの壁にメーカー別の「診断・修理価格の目安」なる紙が貼ってある。それによると、ダイナブックは修理が無償になるのかの診断(判断)を無償でやってくれるが、富士通など診断だけで何千円も取るメーカーがある。現物をダイナブックに送って診断結果を電話連絡してもらうことにした。 閑話休題: ダイナブックと聞いたヤマダの店員は「ああシャープの」と言う。俺は違和感を感ずる。シャープがホンハイに身売りした後に東芝がダイナブックをシャープに売った。つまり、俺の中では、ダイナブックはホンハイに身売りした(シャープに身売りした)、という感覚だ。つまり、シャープなんてもうない、ホンハイだ、という感覚。 MicrosoftがOSなりソフトを作り、人に売りつけておいて、何年か後には保証しない、と言い出して新しいOS・ソフトを売りつける、という商法には違和感以上のものを感じる。ユダヤ商法?少なくとも俺はOSやソフトなんて10年くらいは変えないで欲しいし、OS・ソフトの買い替えは無償にして欲しい。保守的・反動的な俺にはそれがいい。便利にならなくていいし、早くならなくてよい。少なくともそんなにあせって便利にしたする必要はない。 渋谷は相変わらず外人が多い。ラーメン屋に入ったらフランス語と思しき言葉を話す外人が3,4人入って来た。