李鍾元(インタビュー)「朝鮮半島からみた日米安保」

2010年藤原書店刊「日米安保」とは何か 収録 

「ダブル・コンテインメント(封じ込め)」が戦後アメリカの戦略でした。つまり日米安保は、「共産主義の封じ込め」だけではなく、「日本の封じ込め」でもあり、NATOは、「ドイツの封じ込め」でもあった。そして例えば、中国の周恩来も、キッシンジャーに「アメリカが日本を抑えてください」と露骨に言っている。これは恐らく現実の一面を表している。要するにアメリカは、日本に対しては「中国、ソ連の封じ込め」として、中国やソ連に対しては、「日本封じ込め」として日米安保を売り込んだわけです。そして金日成が、南北の平和共存体制下での米軍の韓国駐留を容認した理由も、歴史をさかのぼるとよく分かります。   1950年1月、つまり6月に朝鮮戦争が勃発する直前に、アメリカと韓国は「米韓軍事協定」を締結する。これは、国家統一を目的とした李承晩の「北進」を抑止する意味合いもあった。1953年の朝鮮戦争の停戦後、「米韓相互防衛条約」が締結されますが、「作戦統制権」については、米軍と韓国軍の共同行使とされる。要するに、そもそも米韓の安全保障関係は、「北朝鮮に対する封じ込め」とともに、「韓国に対する封じこめ」という面も持っていた。つまり、これもアメリカの「ダブル・コンテインメント」戦略です。

逆に言えば、韓国なり日本が、この状況をいかに自覚し、これとは異なるシステムをいかに構築していくかが、今後の課題となる。そして過渡期において、逆説的なことですが、日米安保や米韓安保にも、「有用性」があると言える。例えば、ヨーロッパにおいてドイツが再軍備しても、これが脅威とならないのは、NATOという枠組みに組み込まれているからです。さらに言えば、このようにより大きな枠組みに組み込まれていたからこそ、ドイツ統一も周辺諸国の理解を得られた。統制する枠組みが何もなければそうはいかなかったはずです。アジアにおける日米安保も、同じような役割を担っている。他に統制する枠組みがない以上、中国ですら、日米安保に頼っている所がある。

冷戦体制と日米安保体制の下で、植民地清算の問題、戦後処理の問題、片面講和の問題、何れにおいても日本は、直接対峙せずに済んで来たわけです。ソ連に対しても、朝鮮半島の南北に対しても、中国に対しても、何れにおいても、アメリカがバッファのように介在し、それぞれの「関係再構築」という難題に単独で直面せずに済んだ。例えば戦後のフランスを見ればわかるように、植民地の喪失にしても、本来、大変な葛藤を伴うもので、簡単なことではない。ところが、日本の場合は、アメリカが介在することで、あっという間に、何の葛藤もなく植民地から切り離される。植民地の離脱過程のあり方を議論した記憶もなければ、そもそもそれを議論する必要すらなかった。それまで「皇国臣民」だったのが、ある日、突然の法令変更で、日本臣民ではなくなるという在日韓国・中国人の問題にしても、本来、簡単に済む問題ではないはずなのに、一見、簡単に片付いたように見えてしまった。これはサンフランシスコ講和のもう一つの問題です。

《韓国人の日本に対する冷静な見方を教えてもらった。俺は、ドイツは日本と違って米国の介在なしに真摯に謝って国際的に信用され、軍隊も持てたしEUの中心にもなれた、と思っていたが、そうでもなかったらしい。つまり、NATOの枠組みによって「暴走しない」と思われたのだ。当然、アジアにもNATOのようなEUのような枠組みが欲しくなるが、アジアにはヨーロッパのような成熟した国家群がない。枠組みを作るのは難しかった。でも…これからは…中国が覇権を求めなければ…》

《しかし、戦後の日本は苦労知らずの温室育ちのボンボンだ。謝らなくても、アメリカが「許してやってくれよ~」と根回ししてくれた。確かに日本はたくさんの国を植民地にしてたから、一斉に「独立する」と言い出し、言いたい放題やりたい放題始められたら大変だったろう。アメリカ様のおかげで敗戦処理に苦労せず、金で済ませ、信頼されないまま経済大国になってしまった》




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