Reiを聞く リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 3月 18, 2024 Lonely dance club。イントロはまるでDjango Reinhardt。本人もジプシー音楽好きと言っている。ギターはReinhardt同様、エレキではなく、アコースティックギターの音を拾ってアンプに。YouTubeで様々聞くがLonely dance club以外はあまりいいと思えない。(基本ロック・・・長い間聞くのは辛い)ただし、ジプシーのギターがときどき頭を出す。オリジナリティーがあって面白いと思う。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
”関口宏の一番新しい近現代史”を見る 10月 05, 2025 最近、TV録画に飽きてほとんどチェックしていない。録画予約していたBS TBSの "関口宏の一番新しい近現代史"の録画がたまっている。 大正時代末と昭和の初めを振り返った番組を見る。 ①大正天皇について、この番組でも「影が薄い」といったことしか言わないが、大正生まれの俺の母親が「紙を丸めて筒にして覗いていた」などと精神薄弱だったと揶揄していた。天皇家は内々の血筋で結婚を繰り返してきたので、時々こういう欠陥が出て来る。TBS他のオールドメディアは、総務省に忖度して、大正天皇を「影が薄かった」程度にしか言わないのだろう。 ②100年前の1925年、普通選挙が始まり、ソ連の共産思想が広まるのを怖れた政府が引き換えに治安維持法を作ったことは知っていた。1925年頃、ラジオ放送が始まったのも知っていたが、俺の誕生日である3月22日に放送開始されたことまでは知らなかった。 ラジオは画期的なメディアで、国境を超えて虚実を交え一瞬にして伝える、文盲でも理解できる、情緒に訴える力がある…など、それまでの新聞などの紙メディアとは全く違う、と言われた…つまり、今のインターネットやSNSと全く同じだった。 無数の人に同時に伝わるという意味での「マスメディア」の誕生だ。発信する側も見ず知らずの無数の人に向かって発信し、受け取る側も、会ったことも話したこともなくて得体の知らない人が発信する虚実の判明しない発信を受け取る。巨大で効率的プロパガンダ・洗脳・扇動のツールの誕生だ。ラジオがTVになり、そしてインターネットになる・・・ 1920年代、人類はパンドラの箱を開けてひっくり返した。次いで核兵器、そしてAIが登場。あくなき「機心」のなせる業(わざ)だ…業(ごう)…どこまで行くのだろうか? ②1927年金融恐慌。印刷が間に合わなくて裏が白紙の紙幣を発行したが、これがちゃんと流通し、恐慌がおさまった。番組に出ている国際政治学者の岩間陽子が、「これは高橋是清の信用だ」と。加えて「日露戦争で海外から資金を調達したのも是清だ、すなわち是清様は日本を二度救った」、と。確かに考えてみれば、紙幣なんて裏が印刷してあろうがあるまいが、「信用」で流通しているただの紙切れだ…話を聞いていると、彼女はあまりリベラルじゃあない感じ。TBS好みじゃあない。関口宏好みなのか? ③中国人は国家より権謀術数... 続きを読む
長嶋追悼:広岡さん 6月 05, 2025 追悼 広岡達朗が語る、長嶋茂雄という「憎めない後輩」との記憶 「オレが頼みごとをすると、いつもあいつは嫌な顔をせず『いいですよ』と言う」 松永多佳倫という人が広岡に長嶋の思い出を語ってもらって記事にした。 俺は広岡と長嶋は不仲でその理由は①広岡はショートゴロを長嶋に取られて不快に思っていた②広岡がバッターの時、 サードランナーだった長嶋が ホームスチールをしたので不仲が決定的になった、と思っていた。それが広岡自身の言葉で否定された。 長嶋は5年目以降ショートの守備を邪魔するほど元気はなかったのだ。ホームスチールは真相はともかく、広岡は川上監督の指金と思っていた。広岡引退時の思い出話なんていかにも長嶋らしい。広岡さんはこんなことで嘘をついたり話を膨らますような人ではないと思われるから、実に面白い。 これも長嶋追悼記事の功徳だ。 以下、松永さん記事: 巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏が6月3日、都内の病院で肺炎のため死去した。89歳だった。「ミスタープロ野球」と呼ばれる存在は、功績とともに多大な影響力を持ち、プロ野球を大衆娯楽から国民的スポーツへと押し上げた、まさに偉人であった。そんな長嶋氏と三遊間を組んでいた広岡達朗氏が、在りし日の長嶋氏の思い出を語ってくれた。 【ホームスチール事件】 「長嶋は立教(大学)時代、監督の砂押(邦信)さんに鍛えられたこともあって、入団してから4年間はほんとにうまかった。まず、ボールに対して直線的に入って捕球する姿には、目を見張った。ところが 5年目以降は、初回の守備についてからショートのオレに近づきながら、『ヒロさん(広岡)、ヒロさん、今日動けませんのでよろしく』ってこっそり言ってくるんだ。ほんとに動きやしない。まいったね。動けない理由はタニマチだよ。毎日、タニマチに連れて行かれなきゃなぁ」 ダイナミックで華やかな長嶋と、堅実で静かな広岡。対照的なふたりだが、共通点といえば、どちらも東京六大学のスターだったことだ。長嶋より4歳上の広岡は、早稲田大で「貴公子」と呼ばれるほどの人気を誇っていた。 一見、水と油のように見えるが、人懐っこい長嶋が「ヒロさん、ヒロさん」と慕ってくるものだから、広岡もかわいがった。 そんなふたりの間に"亀裂"が入った事件があった。 広岡のプロ11年目に起きた「ホームスチール事件」だ。 ... 続きを読む
IQ188という記録で注目を浴びた太田三砂貴(おおた・みさき)さん 11月 04, 2025 現代ビジネスに、太田三砂貴さん(30)インタビュー記事: 彼はどうやって次にどこで何をやるのか決めるのだろうか?そのための情報収集 の仕方に興味がわく。いずれにしても、彼が気持ちいいと感じる環境で、やりたいことをやりたい放題やらせてあげたい。 work life balanceなんていう下司なものは忘れましょう。 (前略) 高校時代も、中学の頃と同じように、自分の興味に対して正直で、型にとらわれない生徒だった。授業中にふと抜け出しては、大学範囲の専門的な内容を独学で学んでいたという。その自由奔放な学び方は、時に教師を驚かせ、時に理解されなかったが、彼にとってはそれが最も自然な学習のかたちだった。 結局、高校は出席日数ぎりぎりで卒業することになる。その後、大学には進まず、プログラミングの専門学校へ進学した。しかし、四年間で学ぶ内容を一年でほぼ習得してしまい、次第に授業に意味を見いだせなくなって、最終的には退学することになった。 「独学でも学べる内容に、なぜお金を払う必要があるのか――そう感じたときには、もう続けることができなくなっていました。そこで学校を辞め、プログラミングの力を活かせる仕事を探し始めたのです。 当時の私はまだ若く、実力さえあれば評価してもらえると本気で信じていました。しかし現実はそう甘くはなく、学歴がないという理由で門前払いを受けることがほとんどでした。そうした経緯から、最終的にスマートフォンのトラブル対応を行うコールセンターで働くことになりました。 最初はあくまで一時的な仕事のつもりでしたが、次第に例のごとく熱中しはじめていきました。興味を引かれたのは、スマートフォンのエラーやバグの原因でした。同じ症状でも原因が一つとは限らず、毎回異なその非自明さが面白くて、気づけば自分で複数の機種を購入し、わざとバグを起こしては修復する――そんな実験を繰り返していました。 そうした姿勢が評価され、いつの間にか職場で“問題解決率が最も高いオペレーター”として認められるようになっていました。一年ほど働いて資金が貯まったところで、自分を試す意味も込めてアメリカへの渡航を決心しました。十分な資金があったわけではありませんが、観光ビザという最小限の条件でどこまでやれるか、自分自身を実験してみたかったのです」 しかし太田さんは続けて、こうも話す。 「しかしながら... 続きを読む
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