Auは釣った魚に・・・
朝日新聞デジタル 論壇時評 宇野重規・政治学者 言説空間の重苦しさ 時間かけ、違い受け止める「成熟」を から以下:
なぜこんなに議論がしにくいのだろう。もちろん、意見の違いはあっていい。異なるものの見方に接することは、むしろわたしたちの思考を豊かにしてくれる。それなのに、現在の社会を覆うのは言説空間をめぐる重苦しさだ。何かものを言えば、鋭く切りつけるような反応が返ってくる。傷つけられたくないなら、何も発信しない方がいい。黙ったままの方がいい。ただし、たとえ無言を貫いても、なんとも言えない圧迫感から自由になることはできない。それが今の時代の空気である。
興味深いことに、老舗の総合雑誌「世界」「正論」「中央公論」の編集長はいずれも女性であるという。政治的主張は多様だが、これまで男性中心であった論壇誌の自己変革の兆しなのであろう。とはいえ苦労も多いようだ。3誌の編集長堀由貴子・田北真樹子・五十嵐文の鼎談(ていだん)は、日本における言論の現状をよく映し出している(〈1〉)。雑誌のイメージを変えれば古い読者を失うかもしれない。一つ間違えば社会から叩(たた)かれる。それでも「異なる考え方に耳を傾け、さまざまな言論が共存する媒体」として、文字通り「雑誌」であろうとする女性編集長たちの姿勢は真摯(しんし)である。
国際政治・アメリカ政治の遠藤乾・渡辺将人・三牧聖子の鼎談「なぜトランプなのか」が、米国大統領選をめぐる難局を論じている(〈2〉)。中道の穏健派が縮小して左右の分断が深まり、政治の正当性を担保するはずの選挙もむしろ幻滅や不信を増幅させている。内政の対立が外交に跳ね返り、米国外交の揺らぎがさらに世界を不安定化させる。仮にバイデン政権が続いたとしても、国際秩序の安定化が実現するわけではない。「正しさ」という羅針盤が狂うなか、日本はいかに米国大統領選に向き合っていくか。言論の困難の背景にある政治的分断を分析する鼎談の基調は重い。
分断は大学にも及んでいる。イスラム組織ハマスによるイスラエル攻撃への「反ユダヤ主義的対応」をめぐり、ペンシルベニア大学のマギル学長とハーバード大学のゲイ学長が辞任した。2人とも女性であり、ゲイ学長はハーバード大学初の黒人学長であった。まさに米国の多様性、公正性、包摂性(Diversity, Equity, Inclusion〈DEI〉)を象徴する2人の辞任は大きな衝撃を与えた。後者については「剽窃(ひょうせつ)疑惑」も語られたが、メディア研究の林香里は辞任が二大政党のもたらした政治的分断の文脈で起きたことを重視する(〈3〉)。共和党の保守派は、DEIが学内の反ユダヤ主義の広がりの原因であると攻撃し、大学経営を支える高額寄付者の声もものを言った。日本の大学にとっても決して他人事ではない。
現在の言論の多くはネット空間で展開されるが、そのためのデジタルプラットフォームを提供しているのはGAFAMなどの巨大IT企業である。個人情報の保護、誹謗(ひぼう)中傷や偽情報対策の緊急性が高まるなか、巨大化・寡占化するプラットフォームをいかに規律づけるか。民間企業の設計するデザインが個人の自由や経済活動、民主主義を左右するだけに問題は深刻である。憲法学者の宍戸常寿(じょうじ)は、民間企業によるプラットフォームも、人権、法の支配、民主主義といった基本的価値によって統制されるべきであるとする「デジタル立憲主義」に注目する(〈4〉)。急速に展開するプラットフォームに縦割り規制は無力であり、むしろこれを「味方」にするための包括的な規律づけが不可欠であるとする。
テレビ界の状況も見逃すことができない。バラエティー番組などにおける「パワハラ」や「人の痛みを笑う」風潮は、今の時代の空気と深く結びついている。ジャーナリストの赤石晋一郎による「松本人志はなぜテレビを支配できたか」が、問題状況の一端を明らかにする(〈5〉)。特定のタレントや企業がなぜかくも大きな力を持つようになったのか。広告費の減少に苦しむテレビ界にとって、低コストで視聴率の取れるバラエティーへのニーズは高まるばかりである。吉本興業のタレント抜きに番組を作れない状況が今も変わらないとすれば、事態は本質的に変わっていない。
なぜ人は、自分と異なる意見を理解するのではなく、切り捨てるのか。示唆的なのが、評論家の與那覇潤の論考である(〈6〉)。縁を結ぶには時間がかかるが、「自分とは違うから敵」と認定して縁を切るなら一瞬である。ネット社会で「勝ち残りたい」という欲求の強い人ほど、時間のかからない選択に傾くと與那覇はいう。検索するだけで簡単にわかった気になる「総検索社会」において失われるのは、幅広い人間とつきあい、意見の食い違いをまとめていく人間の「成熟」である。検索の結果は「いまの自分の内面」を映し出すに過ぎず、発信するにあたって相手と「縁を切らない言葉」を選ぶべきという結論が実践的である。
古代ギリシャで、人に物事を適切に説明できることを、「ロゴス(言葉)を与える」と呼び、人間としての成熟の証しであるとした。哲学者の納富信留(のうとみのぶる)は、現代日本社会でロゴスを与える場面に出会わないこと、むしろ何の実質もない言葉を聞くことに慣れ過ぎてしまったと指摘する(〈7〉)。他者からの批判を受け止め、取り入れて自分が変わること、それが対話の本質であった。
他者を信じるからこそ自分を信じられる。そのための言葉を取り戻したい。
以下、俺の揚げ足取り:
なぜこんなに議論がしにくいのだろう・・・日本人には”議論”は向いてない。絶対神がいないから。自分の外に絶対神があれば、その神様が常に正しくて、たまには自分が間違えることもある、と議論に負けることを許容できる。(正しいのは神様であって相手が正しいわけではない)絶対神が不在の場合、相手が正しいか、自分が正しいか、の二元論になり、「命を懸けた」争いになってしまう。
意見の違いはあっていい。異なるものの見方に接することは、むしろわたしたちの思考を豊かにしてくれる・・・意見の食い違いは必ずある。それが大前提だ。それを大前提として(日本人が大好きな”みんな同じ”を排して)異なる見方があることを知り、そしてその異なる見方を発見出来たら面白がり感心し、自分とは異なる相手の見方を察し、その異なる見方をする相手に、誤解されないように自分の考えを伝え、また相手の言うことを誤解なく理解する・・・そうしようと努力することが人間の努めであり、それが上手く行けば無上の喜びだ。人生最大の喜び、と言ってもいい。
「正しさ」という羅針盤が狂う・・・狂うのではない。トランプにしろ、プーチンにしろ、SNSその他メディアを使って、効率よく故意に、何が正しか分からないように混乱を招いて”羅針盤”がグルグル回るようにしている。トランプは「民主党的な正しさ」が不公正・不平等・不自由をまき散らしていると言い、プーチンは「西側の正しさ」がロシアを騙し、不当に苦しめていると言う。アメリカやロシアでは約5割の国民が彼らの主張に乗って来る。羅針盤が狂っているのではない。アメリカやロシアや(そして日本その他も)国自身、国民自身が狂っている。
巨大化・寡占化するプラットフォームをいかに規律づけるか/特定のタレントや企業がなぜかくも大きな力を持つ・・・すべてを商品化し、金儲けのネタにしようという資本主義の下ではプラットフォームを規律づける(=規制する)のは不可能あるいは無意味。規制は反対されるし、規制されて不自由になればその規制を逃れる新しいものが発明される・・・アメリカ(アングロサクソンーユダヤ)はそうやって世界や国際世論を支配してきた。資本主義って、競争して「強いもん勝ち」だ。それが自由ってもんだ。だから共産主義に勝てた。資本主義って自由競争の結果、特定のタレントや企業が大きな力を持つようにできてるんだ。俺は資本主義はもはや修正や変革不可能だと思う。嫌なら棄てるしかないだろうがそれも難しい。
「総検索社会」・発信するにあたって相手と「縁を切らない言葉」を選ぶべきと・・・Auショップで上さんのスマホの機種変をした。全くうまくできてると感心した。UQーAuの乗り換えによって機種変を安くやる方法についてお兄さんにパーフェクトな説明をして貰い、見積を貰って家に帰り、それで契約することにして後日Auショップに出向く。そうするとお兄さんではなく、若い娘(以下「お嬢さん」)が出て来て契約手続きに。Auは「釣った魚には餌をくれないんだな」、と感心した話、以下:
①通話料は日割り・・・27日にUQをAuに乗り換えて、翌月1日に元のUQに乗り換えるんだが、お嬢さん面白いことを言う。つまり「27日までUQでAuは27日から・・・」と。
俺は思わずツッコむ。「普通日割りと言えばはUQが27日までならAuは28日からじゃあないの???」
お嬢さん「いえ、Auではそう決まってますから」
俺「そうなると27日はWるねえ。日割りじゃねえなあ…」
お嬢さんやっと俺の言いたいことに気づいたらしく「スマホの契約って”時間割り”がないんですよね。時間割りがあれば”27日の何時”で契約の切り替えが出来るんですけど…」と言う。その説明で俺は満足する。(最初っからそう言ってくれればもっと良かったんだけど…俺は27日が2重に金取られることに文句言ってるんじゃない。単に俺の「日割り」の定義と違う、と言ったのだ。)
②俺の誕生日・・・俺の名義で契約しているUQ電気のおかげで上さんの通話料が安くなる・・・俺のUQ電気の契約を確認したいと。
お嬢さん「旦那さんの生年月日を」
俺「西暦それとも年号?」
お嬢さん「いえ、月からで結構です」・・・おかしいだろう。”生年月日”と言えば年からだろう。そういう場合は「お生まれになった月と日を」とか「年は要らないので生年月日を」とか言え、馬鹿野郎、気が利かねえ女だな、と思う。俺の常識、気遣いが無視されたのが不快だ。
帰り道、上さんと以下。
俺「Auはすごいな。契約取るところまでは賢いお兄さんが出て来て、偏屈で頭の固いジジイバアアにも分かりやすく説明しておいて、いざ、契約するとなった途端、教養のないバカ女を出して来る。釣った魚には餌をくれない」
上「今日の女の子は不慣れなだけよ。経験積めばお兄さんみたいになるかも。大体腕組みして怖い顔した爺さんが目の前に座って、おかしなことを言うから話が通じにくいのよ」
俺「そうかな、俺は男女差を感じるね。俺の会社員経験では大体女は融通が利かない、”自分の考え・都合に合わせろ”というタイプが多かった。それはそれで融通が利きすぎる男ではまずい仕事をやってもらえばいいんだけど…」
アメリカで仕事したり、何回か合併を経験した俺は「日本語は通じない」「同じ言葉でも会社によって意味が違う」「様々な常識がある」と痛感した。つまり「自分のしゃっべている言葉は方言だ」と。(かえってアメリカの方が明確に言葉が違う分、準備できた。同じ日本語を話す相手の方がややこしい。)
言い方を変えれば「どう表現すれば効率よく、誤解なく伝わんだろう」と準備し、「こう言ったんではうまく伝わらないな」と予測して言葉や表現を変えたり逆に「この人がこう言うのはこう解釈すればいいんだ」と気づいたり、事前に「この人はこうかなあ」と予測したり、話しているうちに「ああ、こういうことだな」と推量したりした。そしてそれがうまく当たると無上の喜びを感じた。
逆に夜郎自大の世間知らず、「俺を中心に世界は回ってる」「俺の以外の考えは間違い」「俺の考えに従え」「俺の言うことが分からない馬鹿な奴は教えてやるから後で聞きに来い」という野郎は大嫌いだった。(この観点で俺が日本で一番嫌いなのは役人だ)
人間には思考のパターン、型、常識がある。これを押し付けられる(ないがしろにされる)のが大嫌いだし、他人にも押付けたり、ないがしろにしたくない。これが自由の中で一番大切だろう。Auの気が利かないお嬢さんはマニュアル通りあるいは自分の型の思考しかできなくてそれを「釣った魚」に押付けようとする。自分が相手する客の思考パターン・常識には様々ある、ということが分かってない。または分かっていても無視して押し付ける。マニュアル通りなのか、言葉遣いや態度は慇懃で丁寧だ。他人の思考パターンの自由を奪うという一番の不親切、無礼をニコニコ笑顔でやる・・・これほど嫌なものはない。ブッキラボーでいい、言葉使いは乱暴でいいし、愛想も悪くていいから客の常識や思考パターンを尊重し、その自由を侵さないようにできないか?
日本の教育がすべからく「笑顔で丁寧な言葉遣いで自分の考えを押し付けましょう」になってるのか?(そう言えば近年、政治家が「丁寧な説明」って白々しく言うねぇ)それとも「検索社会」のせいか?・・・答えを求めて検索し、自分の気に入った答えが見つかればそれでおしまい。気に入らない答えしか見つからない場合「何故?」と考えないし、気に入った答えについても「何故そういう答えなの?」と問わない。まるで自動販売機に金を入れてボタンを押すと自分の欲しいモノが出て来るのと同じ。「何故?」がない。「自分の気に入らないモノが出て来る」ことを楽しむことができない。気に入らなければ「ハイ、オシマイ、次。」で縁を切る。
人に物事を適切に説明できることを、「ロゴス(言葉)を与える」と呼び、人間としての成熟の証しであるとした。むしろ何の実質もない言葉を聞くことに慣れ過ぎてしまった・・・Auの説明の上手いお兄さんにはロゴスがあった。俺はロゴスとは「大元・本質」の意味だ、と思っている。お兄さんはAuの契約や偏屈ジジイの大元・本質が分かっているから偏屈ジジイにも契約を理解させることができる。そしてお嬢さんは成熟しておらず、実質のない笑顔と親切めかした言葉だけをふりまきジジイの気分を悪くする。
閑話休題:
①Auのお嬢さん、馬鹿にしたもんではない。新規端末に何とかというデータ移行の準備作業を施してくれたおかげでアプリ・データは一発で(待機時間は1時間弱!)で移動できた。
②アメリカ人のコミュニケーションは「子供のケンカ」だ。一方的に言いたいことを言ったらオシマイ。相手が反論してきても同じ主張を繰り返すだけ。当然多くの場合決着がつかないし、妥協も成立しないからそれ以上の話し合いは代理人(=弁護士)で、となる。これのおかげで弁護士は大儲け。離婚訴訟を経験した男が「もめ事が起これば弁護士が儲かるアメリカは狂ってる。」と言っていたのを何十年経った今でも思い出す。
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