西部邁 「列島人の愚行、錯誤そして自殺」
昭和期の自民党は、戦前・戦中の指導層が歴史のイナーシャを引きずっていたおかげで、国家としての自主独立の最低戦はかろうじて守り得ていた。しかし、平成期ともなると、いわゆる世代交代のせいで、自民党においてであれ民主党においてであれ、歴史の醸造物たる国家が、自主独立の最後の一片をも失うほどに、破壊されるままとなった。この過程を総称して「構造改革」という。「自由と民主」(平等)のあいだには大きな矛盾がある。端的に言うと、デモクラシー(民衆政治)における「多数決」という形での社会の秩序化が、少数派の自由を抑圧するわけだ。この矛盾を糊塗しようとして「友愛」の偽善が近代という時代の玄関に、「自由と平等」に並んで掲げられたことは周知の所である。そして、「自由・平等・友愛」という理想のトリアーデ(三幅対)に奉じて、「秩序・格差・競合」という現実のトリアーデを忘却する者たちをレフト(左翼)とよぶ。ついでに言っておくと、この現実のトリアーデに執着するのがライト(右翼)であり、理想と現実を平衡させて、「活力・公正・節度」に生きるのがコンサヴァティヴ(保守)である。
我が国の戦後は左翼化の一筋道でしかない。思えば、「冷戦構造」そのものが個人主義派の左翼たるアメリカと集団主義派の左翼たるソ連との確執にほかならなかった。したがって、親米派を保守と見立ててきた者たちは思想的病理にかかっていたと言ってよい。冷戦構造が崩壊したあと、「伝統の保守」がこの状況にあって具体的に何たるべきかを問わなければならなかったのに、安保闘争の重い脳しんとうを病み続けている我が列島人は、自由民主主義のほころびを社会民主主義で繕うべく躍起である。この修繕案が日本国憲法に偉大な社会正義として謳われてもいる。これは列島人たちには集団自殺の未来しか待っていないと予告して、よもや間違うはずがない。
《戦前・戦中の指導層とは、岸伸介に代表される世代の政治家だろう。岸の生まれたのが1898年、弟の佐藤栄作が生まれたのが1901年。福田赳夫が1905年生まれ。このあたりまでが西部さんの言う戦前・戦中の官僚経験者世代か?(戦前・戦中において政治家だった者は敗戦でパージされた)
俺は古今亭志ん生に代表される昭和時代に名人と言われた落語家の生年を調べたことがあるが、1882年生まれの雷門助六から1908年生まれの三升屋小勝といった落語家が並ぶ。西部さんの言う「戦中・戦後の指導者」と同じ世代だ。彼らの多くは1910年から1918年のシベリア出兵までの戦前日本の黄金時代学校に行き、落語家にはキャリアを始めた者もいる。
落語にせよ政治にせよ、戦後の黄金時代を支え、盛り上げたのは戦前日本の黄金時代を知るこの世代だった。
そして1910年から1918年のシベリア出兵までの戦前日本の黄金時代を支え、盛り上げたのは明治維新を身をもって経験した1850年代生まれ世代だった。(1922年、大隈重信、山縣有朋が死んで、明治維新経験者は死滅し、そこから日本はおかしくなった。)
岸伸介は1987年に死に、福田赳夫が死んだのが1995年。戦前・戦中の経験者が平成に入って死滅した。そこから日本は「自主独立の最後の一片をも失うほどに、破壊されるまま」となった。(西部さんは自主独立どころかアメリカに自ら操られ、媚を売る小泉政権を多分に意識してこう言ったのではないか?)
1918年のシベリア出兵から1945年の敗戦まで27年。1945年以降の日本を指導したのは1900年前後に生まれた世代。さて、平成に入って日本はいつ、”敗戦”を迎えたのか?そして”戦後”を支え、盛り上げるのはどの世代か?と考えると「そんな世代は存在しない」となる。今40歳前後の1980年代生まれの世代は期待できるか?この、俺たちの子供の世代が物心ついた後に、俺たち世代は黄金時代を経験させることができたか?彼らは生れてこの方、黄金時代なんて知らずに育ってきた。
西部さんが列島人たちには集団自殺の未来しか待っていないと予告せざるを得ないのは、これからの日本を支え、盛り上げるべき世代を育てられなかった、ということだろう。西部さんが自殺したのは2018年。もう6年になる。”集団自殺”とは勝てるわけのない戦争をする、という事か?いや、日本人はもはや戦争もできないだろう。》
閑話休題:
西部さんが「列島人」と言うのは何故で何を対象にしているのか?沖縄の人以外の日本人をさして「列島人」と呼ぶのではないか?戦中もそして戦後の独立時も沖縄を見捨てた、という事実を忘れるな、という意味だと思う。そして「劣等」(沖縄人より劣る)という意味も込めたのではないか?
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