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春風亭一之輔「柳田格之進」を聞く

 TBS落語研究会という番組で「柳田格之進」という噺を始めて聞いた。いわゆる人情噺。演じ方によっては詰まらない噺になると思われるが、演じた春風亭一之輔がよかった。この番組、あまり面白い出し物に当たらない。打率が悪い番組だが、こういうホームランを見せられるとやめられない。 あらすじ: 主人公の柳田格之進という武士、あまりに堅物・変物で出世できないどころか同僚上司に疎まれ藩から追い出されて浪人に。娘と貧乏長屋に二人暮らし。唯一の友達が碁会所で知り合った両替商の萬屋源兵衛。ある晩、萬屋に行って源兵衛と碁を打ったが、格之進が帰ったあと、50両という大金が紛失していることが発覚。皆で家中捜しても出てこない・・・萬屋の番頭は格之進を疑うがそんな番頭を主人・源兵衛は激しく叱責する。翌日番頭は源兵衛に黙って格之進の家に行き、50両紛失の件を告げ、慇懃無礼に金の所在を問いただし、格之進が「知らぬ」と言うと、お上に届けると言う。そう言われた格之進、身は潔白ながら、お上の調べを受け、疑われるのは家の恥・藩の恥と、次の日までに50両用立てると言って番頭を帰し、その晩自害しようとする。それを察した娘は父・格之進に外出を命じられるが、自害したら50両盗んだと認めるようなものだ、吉原に身を売って50両作るから自害を思いとどまるようにと格之進を説得する。翌日格之進は娘が身売りしてできた50両を番頭に渡す。何か月か経ってその年の萬屋の年末の大掃除のときに紛失した50両が出てくる。萬屋源兵衛と番頭は格之進に打ち首にされることを覚悟し、格之進を店に迎えることになる。源兵衛は、番頭に嘘の用事を言いつけ外出させて、来店した格之進に「格之進を疑ったのは自分だ、番頭に罪はない、首を討つのは自分だけにして欲しい」と偽りを言って訴える。番頭は番頭で主人の嘘を見抜いて外出せず、主人が偽りを言ってまで命と引き換えに自分を救おうとしてくれる情に触れて「主人・源兵衛が格之進と仲がいいのに嫉妬し、疑ったのは自分だ、自分の首だけ討って欲しい」と言う。このやり取りを目の当たりにして格之進は振り上げた刀を碁盤の上に振り下ろして二人を許す・・・ この状況ではお上は貧乏浪人の自分を疑う、そのことを家の恥として身の潔白を言い募りもせず、死のうとする堅物の武士の父親・・・その性格を知り抜いていてそんな父の命を救うため身を投げ出す娘...

神聖ローマ帝国とハプスブルク家

 神聖ローマ帝国:Wikipediaによれば 768年フランク王国国王に即位したカール(チャールズ)大帝はもともとフランス・ドイツ・オーストリアだけだった領土を広げ、ベルギー、オランダ、スイス、スロベニア、イタリア北部などを含む大帝国にした。カールは敬虔なカトリック教徒で、各地に教会や修道院を建て、住民をカトリックに改宗させた。800年、カールはクリスマス・ミサのためバチカンに出向き、クリスマスの日にローマ教皇レオ3世からローマ皇帝の帝冠を授けられた。これが神聖ローマ帝国の誕生で、カールは初代の皇帝となった。 当初、皇帝の座は世襲だったが、実質上、7人の選挙人による選挙で決まるようになった。 ローマ教皇の戴冠という”お墨付き”を得て神聖ローマ帝国皇帝になるのは、広い領土で強まる地方分権化の動きを押さえつけるために必要であったが、16世紀に宗教革命が起きてローマ教皇・カトリックの力・権威は落ち、18世紀にナポレオンが現れて1806年、神聖ローマ帝国は解散した。 ハプスブルク家は1440年のフリードリヒ3世から1806年帝国解散時の皇帝フランツ2世までほとんどの期間、神聖ローマ帝国皇帝を輩出し続けた。 神聖ローマ帝国最後の皇帝フランツ2世は、ローマ教皇のお墨付きなどという正統性もくそもなく、国民投票で皇帝になったナポレオンを見て、退位する2年前の1804年、勝手にオーストリア皇帝フランツ1世にもなっており、オーストリア帝国の皇帝として1814年、ナポレオン失脚後に行われた王政復古をめざすウィーン会議を主催する。ウィーン会議後、ナポレオンのような新勢力・革新派が出てくるのを防ぐため閉塞的な保守反動政治が行われた。しかし、多民族国家のオーストリアはハンガリー、チェコ、イタリア、ポーランドなど様々な民族が独立を求めるようになり、1867年、時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世はハンガリー人に国防、外交、財務以外の自治を認めてオーストリア・ハンガリー帝国とした。1914年、フランツ・ヨーゼフ皇帝の甥であり、皇位継承者のフランツ・フェルディナンド大公がボスニアの州都サラエボでセルビア人に殺され、オーストリアはセルビアに宣戦布告、第1次世界大戦が始まり、そのどさくさにチェコスロバキアやハンガリーは独立し、1916年に死んだフランツ・ヨーゼフを継いでオーストリア皇帝に即位したカール...

ローマ教皇と天皇とハプスブルク家

 ローマ教皇と天皇は似て 非なるもの。 ①正統性の担保と賦与の役割: 教皇は、西暦800年にカール大帝に王冠を授け、皇帝としての権威、正統性を与えた。以降、ヨーロッパ大陸の中心だった神聖ローマ帝国では皇帝が交代するたびにローマ教皇が戴冠した。これはナポレオンが1804年、ローマ・カトリック教会に担保された正統性に逆らい、自分で王冠をかぶるまで続いた。 日本では、858年即位した清和天皇が9歳と幼かったことを理由に、祖父の藤原良房が皇族以外(臣民)で初めて摂政(=天皇の代役)となった。以来、天皇は、藤原家、平氏、源氏・・・といった臣民に摂政、関白、征夷大将軍などの正統な政治権力者の地位を授けた。 ローマ教皇は政治を主導することはなかった。平安時代以降、天皇が、時の政権を嫌って自ら親政を試みていずれも短期間で失敗したように、教皇もまた、時々短期間、政治的なことをした。 ②権威の源泉・地位継承: 教皇:聖書にイエスが使徒ペトロに天国の鍵を授けた、とあり、それが教皇に引き継がれたものとされる。教皇が死ぬか辞職すると次の教皇が選挙で選ばれる。 天皇:天皇は天照大御神の子孫であり、現人神だ、と神話(=古事記、日本書紀)にある・・・藤原氏が天皇を神に祭り上げるために神話を作らせたという説も。地位は子孫に引き継がれる。死ぬ前に禅譲することもある・・・禅譲して上皇となって権勢をふるうことも・・・院政。 ③最大の違い: 教皇は自ら政治を行う存在とは考えられていない。政教分離が根付いており、政治を行うもの/支配者に正統性を与えるだけ、という位置づけ。 天皇は、もともと豪族の一人として政権を争っていた。7~8世紀、藤原氏の、娘を天皇の嫁にし外戚となるという戦略が奏功し、9世紀には藤原氏は神様・天皇に代わって政治的支配権を握り、一方で天皇は藤原氏が神と持ち上げてくれたおかげでNo.1だけど権限移譲している、という格好を維持した。11~12世紀、藤原家の力が衰えても、天皇家は新興の平家、源氏の間を瓢箪ナマズのように渡り歩く後白河院のような役者が登場、滅亡の危機を免れた。その後も天皇は、何回かの危機を乗り越え、政治的支配者にお墨付きを与える地位を保ち続けている。(後醍醐のように、自ら政治をしようという天皇や明治天皇のように支配者に祭り上げられるケースはあったが、碌な結果にはならなかった)...

韓国の悲劇②朝鮮戦争

 朝鮮戦争はWikipediaによれば1950年6月25日、ソ連のスターリンの同意と支援を得た北朝鮮の金日成が38度線を越えて攻め入って始まったとされる。俺はどちらが先に手を出したかにはあまり興味がない。というのは、以下の通り、日本が降伏した直後から朝鮮半島では米ソが実質的に交戦していたからだ。 日本が降伏した1945年8月15日、 呂運亨によって 朝鮮建国準備委員会が結成された。その前、同年8月9日にはソ連軍は朝鮮に上陸、翌9月アメリカ軍が上陸したが、ソ連軍の乱暴な侵略ぶりを見てアメリカのトルーマン大統領は38度線を境に北はソ連軍、南はアメリカ軍が占領することを提案し、スターリンも同意した。朝鮮建国準備委員会のメンバーに共産系の活動家が増え、アメリカ占領軍は朝鮮建国準備委員会を非合法と見るようになった。海外に逃げていた金日成や李承晩が相次いで帰国、左右入り乱れての大混乱となった。これに対し、マッカーサーもトルーマン大統領も真面目に取り合わなかった。アメリカ占領軍は対ソ戦準備のため韓国の解放・民主化を諦め、李承晩を大統領とし、手っ取り早く日本統治時代の仕組みや制度をそのまま使って戦おうとした。1948年8月南に大韓民国が、9月北に北朝鮮が誕生し、形の上では米ソの占領が終わった。この時、軍事力は北の方が圧倒的に上回っていたし、ソ連・中国共産党の協力も得ていたことから金日成はスターリンにたびたび南への侵略(統一)を申し出たがスターリンはアメリカの原爆を恐れ、OKしなかった。1949年8月ソ連でも原爆実験に成功し、スターリンは翌年北朝鮮の侵略をOKした。 以上の経緯を見ると、戦争原因は: ①大元は米ソ冷戦 ②米国の韓国に対する無関心・混乱の放置、読みの誤り・戦争回避努力不足 ③米国の無関心・読みの誤りに悪乗りした北朝鮮・ソ連・中国の先制攻撃  だろう。 うがった見方をすれば、ルーズベルトが日本を真珠湾奇襲に誘導したように、アメリカは金日成を戦争に誘導したようにも見える。あるいは、米国の国防にとって朝鮮半島は日本ほど重要ではないのに対し、ソ連にとっては重要だった、と言えるかもしれない。 閑話休題: 日本は軍国主義、天皇中心の全体主義ではあったが、一応それなりに政治経済教育の仕組みが出来上がっていたから、そのスタンス、方向を変えるだけでとりあえず対ソ戦には使えた。カギ...

韓国の悲劇①

 マーク・ゲイン著「ニッポン日記」の後半に「解放された」韓国の1946年当時の様子が描かれている。これを読むと、韓国人の反米反日の根源が分かる。韓国の反日は単に戦前の日本の占領に対する反発だけではない。せっかく日本から「解放」されたと思ったのに、すぐアメリカによってもとに戻されてしまった、という恨みつらみが根っこにある。韓国には「恨(ハン)」と言う言葉がある。Wikipediaに金大中の言葉として、以下。 韓国の文化は「恨」の文化です。私たちの民族は憂患と苦難の民族であり、「恨」は挫折を味わった民族の希望、「恨」は挫折を味わった民族の夢を実現するための準備なのだと思います。確かに私たちは、歴史のなかで「恨」とともに生きてきたことは事実です。…しかし、常に自分自身を慰め、励まし、その結果、未来に向かって生きていくことができた。私たちの民族は、畑の雑草のように、踏みつけられ、そして蘇る。 …韓国人は2000年間、文化的アイデンティティを捨てなかった。…韓国人は、大きな苦難に耐え、あらゆる方法で忍耐してきた。 挫折・忍耐を運命づけられているかのような韓国人・・・中国、日本、ロシア、アメリカ等々にしいたげられ、搾取されてきた歴史・・・日本人のように原爆落とされても「水に流して」アメリカに尻尾を振る訳にはいかない韓国人。アメリカに「解放」されるはずが、アメリカがソ連と敵対したために、解放されなかった。 そればかりか、解放しに来たはずのアメリカから「韓国はまだ日本(の一部)だ、韓国人は日本人だ」と思われていた。確かに韓国人は日本から独立しようと、国を挙げてずっと戦い続けたわけではないが、「まだ日本だ」と思われては浮かばれない。「恨の極み」と言ってよい。 「ニッポン日記」より 1946年11月6日、韓国で書かれた日記 以下抜粋: (韓国で初めて行われた”民主選挙”について)多くの地方では誰が投票資格があるかを決定する権利はその土地の村長に委ねられた。数百の村では選挙は村長と選ばれた家長たちとの懇談の形で行われた。(村長は家長たちに『これから選挙をやります。私に投票してくれますか?』と聞いた。)何百と言う事例では、村長や郡長は投票しそうな人の所へあらかじめ召使いを派遣して投票用紙に押す印形(ハンコ)を借りてこさせ、これを押した投票用紙に役人が勝手に候補者の名前を記入した。選...

島田珠代35周年記念公演を見る

 島田珠代はよしもと新喜劇に欠かせない人材だ。1970年生まれ1988年よしもとデビュー。 島田珠代35周年のよしもと新喜劇記念公演を見る。53歳とは思えない圧倒的な運動量。普段新喜劇に出ない藤井隆がゲスト出演。二人で歌って踊って・・・清水けんじがツッコむまで延々と。二人のパフォーマンスは単なるお笑いを超え、アートというか、シュールなダンスといった領域に。島田・藤井・清水の3人以外の出番は極端に少ない。辻本茂雄も島田の勢いに気おされたか、中々いじれない。 俺の好きな岡田直子も数秒出たし、セリフもあった。満足。いつになったら長ゼリフを言わせてもらえるようになるのか?主役ってガラじゃあないのは分かっているが・・・ よしもと新喜劇: ワンパターンと言えばワンパターン。けれど新しい試みも。少しずつ変えていく勇気と、各人のワンパターンの得意芸の絶妙な組み合わせ。これが長続きする秘訣だろう。

ユルマズさん 

トルコ人 エコノミスト エミン・ユルマズさんが好きだ。彼は数年来、「日本の経済は復活する、日本株は値上がりする」と言い続けて来た。これが正しいかどうかは別にして、日本を応援し、明るい未来を語ってくれるので好きだ。彼の主張は、ものすごく単純化して言うと、「米中の仲が悪いからアメリカは中国で作った安いものが入手できない⇒アメリカの物価は上がりインフレは続く⇒アメリカの金利は下がらない⇒アメリカ株に資金は回らない⇒日本(株)買いが起こる」だ。分かりやすいし、正しそうに聞こえる。以下、6月7日付けのプレジデント・オンラインから彼の記事。単にエコノミストとしてではなく、日本の強み・日本に対する愛、エールを感じる。 株価や個々のアメリカ企業の業績だけでなく、アメリカ社会全体がいま深刻な課題に直面し、難しい対応を迫られています。 アメリカは貧富の格差が大きい国です。しかも、コロナ禍で格差はさらに拡大しています。 AIの登場で無人化が進むと、低所得層の仕事が奪われ、失業率が上昇することになり ます。構造的に無人化のデメリットが現れやすいのです。 こうした中、フロリダ州知事のデサンティス氏が、不法移民に厳しい姿勢を見せています。 ただ、いまアメリカのサービス産業を支えているのは、低賃金で働くヒスパニック系などの移民たちです。彼らを追放すればアメリカは立ち行かなくなるでしょう。 本当に 重要な仕事をしている人ほど、低賃金で働いている。 アメリカはその矛盾と向き合う必要に迫られています。 さらにアメリカは高いインフレに苦しんでいます。富裕層にとって大した問題ではありませんが、低所得層にとってインフレは死活問題です。 格差の問題をどうにかしなければ、アメリカという国は立ち行かなくなると思います。 一方、日本は少子高齢化で人口が減少していますから、AIやロボットの普及で無人化が進んでも、社会が効率化するメリットのほうが大きくなります。 そもそも日本はアメリカに比べて貧富の格差が小さい国です。また企業が雇用を守り、少々コストが上がっても積極的に価格転嫁しないなど、ステークホルダー重視の姿勢が強い風土があります。それも「世界インフレ時代」にはプラスに働くでしょう。 そうしたことを考えると、日本株の見通しは明るく、世界の投資マネーはもっと日本に集中すると思います。 そもそも、バフェット氏が日本株を...

ダイバーシティーとジェンダーレス

 イギリスのインド人首相、ノルウェー王女と黒人シャーマンとの婚約…ヨーロッパでは黒い肌の男が目立っている。人種差別好きな俺は、トランプのような男でも大統領になれたのは、オバマが大統領になった反動、と思っている。ヨーロッパでもその反動が起きると思う。人種差別ってそんなに簡単じゃない。悪いから、ってやめられるわけじゃあない。 日本では肌の黒い人に対する差別はないのか?例えば俺は大坂なおみや八村塁を「日本人」と言うには違和感がある。また、韓国人や中国人の親を持つ日本国籍保有者が首相になるか?…こちらは俺は違和感はない。どうも俺は黒い肌に偏見?があるようだ。 ダイバーシティーとは、人には違いがある、ということを前提に、違ったものを違ったまま組みあわせることによってもっと長所短所補い合って強くなる、よくなる、という考え方だろう。人種で言えば黒と白と黄を組み合わせる・・・決して同じように扱うのではない。これが日本人にできるだろうか?日本人は「違い」が嫌いだ。徒競走で順位(優劣)をつけないなんて馬鹿なことを考える輩がいた。「走るのが苦手でびりになったら、大いに悔しがって他のことで頑張ったり、走る練習をして順位を上げる」と言う風に考えればよい。「みんな一緒」が日本を弱くしたのかも知れない。 さて、ジェンダーレスとは男女の性差をなくすことだそうだ。つまり、違いを無視して一緒くたにしろ、という考え方・・・俺には男女違って生まれて来るものを何故一緒くたにしようとするのか全く理解できない。上述のダイバーシティーの考え方のように、「違うことを前提に違ったまま組み合わせる」という考え方とは違う。興味深いのは、「男女には厳然たる違いがあって、例えばトイレや風呂は一緒じゃまずかろう、だけど、それは例外で、原則的には性差があってはならない」という軟弱・中途半端なジェンダーレスの考え方だ。俺はこの考え方に与する。男女にはトイレや風呂以外にも一緒じゃまずい点がある、と「一緒じゃまずい点」をどんどん増やしていけば現状と変わらない。 徒競走で男女が一緒に走るのは不平等か?平等か?俺は一緒に走らせて性差を実感させるのもいいと思う。男女は差があるから、違うから引き合うのだ。性差を否定してこの引き合う力を弱めると、少子化の原因となろう。

アルバイト賃金の差別と共産主義

 近くのスーパーに、その店で働くアルバイトの募集ポスターが貼ってある。大学生の時給が高校生の時給より100円高い。これは明らかな差別だ。屁理屈を言えば、大学生だろうが高校生だろうが、一人一人同じ土俵でその能力をテストし、その結果を評価してアルバイト賃に差をつけるのが筋だろう。 昔から応募してきた者を性別、年齢、学歴等で差別してきた名残であろう。俺は差別論者だから、単に大学生だからという理由で、馬鹿でのろまで不器用でも、お利口で素早くて器用な高校生より時給が高くても全然かまわない。昔からこういう慣行があったのは、多分、大学生の方が高校生よりたくさんお金が必要だ、という理由からではないか?これ、共産主義に近い。共産主義においては、給料は必要に応じて与えられるんじゃあなかったっけ? さて、アルバイト賃ではなく、映画や美術館、博物館などの料金も小中高大で差があったような気がする。(電車やバス料金も同様か?)今もそうであるとすると、これまた差別でないか?小さい大学生もいれば大きな小学生もいる。料金の方は支払い能力で差別しているのかな? 誰かこれらの賃金や料金の差別を憲法違反として訴訟を起こしてくれないか? 閑話休題: 会社の正社員の給料も学歴で差がある。アルバイトと違い、一応、テストして一定のレベル以上の者を選別しているという屁理屈が企業側にはあるかも知れない。俺は学歴による能力差より、同じ大卒でも大学の違いや大学で何をしてきたのかの違いによる差の方が大きいと思う。昔は企業は、採用するに当たってその人の潜在能力(採用時のテストなどというものでは計り知れない能力)を買ったのだ。10年、20年たって潜在能力がどのくらい開化するかによって給料の差が大分つく。(”大分”と言っても社長と同年齢の他の社員でせいぜい10倍か20倍だ。本格的な資本主義の国のように何十倍、何百倍などということはなかった)日本では、そういう一部の人が本格的な資本主義の国に比べれば安い給料でその他大勢を養っていた。これも共産主義に近い。

I love Lucyを見る

 30年前にアメリカで$14.98で買ったビデオ。I love Lucyは1950年代のアメリカの大ヒットTVショウ。日本でいえば、吉本新喜劇が全国で人気になったようなものか?見たのは、1952年~1953年にかけて放送された、Lucyが妊娠しそれを旦那に告げるドタバタと、男の子が無事産まれる日のドタバタの2本。 このシリーズは、日本でも「ルーシー・ショー」と言う名前で何十年か前に放送していて、大笑いした記憶があるが、今回見た2本はつまらない。(言葉が分からないということもあるが)・・・このルーシーの日本語吹き替えをやった声優が高橋和枝さんという人で、後にサザエさんの弟、カツオの声もやった。 初めて知ったことはルーシーの旦那の職業がラテン・バンドのリーダー兼歌手だったということ。「ムーニーさん」という男の名前はよく出て来たので覚えているが、(多分ルーシーの職場のボス)旦那のことはほとんど記憶にない・・・1950年代初頭はラテン音楽がアメリカで流行った。 ビデオの箱に書いてある解説を読むと、妊娠を示す英語”pregnant"という言葉は1950年代はTV業界では放送禁止用語(=taboo)だったと。この点は非常に興味が湧いて、ネットで調べたがその理由・放送禁止となった計経緯は分からない。確かにpregnantという単語は使われていない。”I'll be a father.”などと言い換えしている。 それから2本目が放送された1953年1月19日の翌日はアイゼンハワー大統領の就任式でTV放送されたが、視聴率は前日のルーシーの番組が上回ったようだ。 ところどころ笑い声が聞こえる。解説には「観客をスタジオに入れてライブで演じたものを撮影した」とあるが、俺は笑い声はアフレコだと思う。 閑話休題: 愛用していたマグカップは見つかった。結構早く見つかった。

映画 Young at heart

 ドリス・デイ、フランク・シナトラのYoung at heartという映画。1954年ワーナー。ビデオをアメリカで$14.98で購入して見ていなかったのを30年ぶりに見る。Young at heartは1953年シナトラのヒット曲。これを映画化?もしかすると映画撮影中にレコーディングして映画公開前にレコード発売? 順番がわからない。この映画、日本ではビデオもDVDも発売されていないようだ。 ドリス・デイは金持ち音楽家の娘役でピッタリの役どころ。1階に大きなリビングがあり、2階から幅2mくらいの階段でリビング中央に降りて来る、という典型的なアメリカの上流家庭の家に住んでいる。この家のつくり、俺の憧れだ。シナトラの頭髪が怪しい。すでに植毛してた?その上、貧相な顔・身体。(事実貧相なんだけど、それを強調・・・映画監督の悪意さえ感じる)まあ、売れないミュージシャンという役柄だからピッタリとも言えるが・・・。女のファッションについて・・・どうしてあんなに腹を絞り、胸をとんがらかしてたのか? シナトラの推定年齢38歳、ドリスデイの推定年齢32歳。日本でもアイドルが出演してヒット曲を歌うという映画が昔流行ったように思う。ただ、シナトラ、ドリス・デイともアイドルと言うには年取りすぎ。それでもシナトラ、ドリス・デイの歌はいい。 映画としては面白くない。お金持ちのお嬢さんのドリス・デイは結婚しようとしていたセレブ男を捨てて、その友人のシナトラ演じる売れないミュージシャン(クラブでピアノ弾きながら歌う)と駆け落ちするが、シナトラは「俺みたいな貧乏人は金持ち娘にはふさわしくない」と思い続ける。クリスマスで二人そろってドリス・デイの実家に帰ったら、ドリス・デイの元カレがいて、シナトラはこっそり元カレから金を貰ってプライドがズタズタになり、わざと無謀な運転をして自殺を図る。瀕死のシナトラは手術室に運ばれる・・・シナトラの生死不明のまま、何の脈略もなく急に場面変わってラストシーン・・・シナトラは生きていて二人の間にできた子供を囲んでハッピーって、よくわからないエンディング。これじゃあ確かに当たらない。でもシナトラとドリス・デイのファンには筋書き何てどうでもよくて彼らが出てればいい、というたぐいの映画だったのではないか? 閑話休題: 自殺を図り自動車事故で瀕死の重傷を負うシナトラ。病院から...

いいマグカップ

 マグカップを貰った。俺のマグカップの評価基準は2つ。 ①持ちやすい事、或いは 手指になじむ事  これは実際に持ってみないと分からない。厳密に言うと、実際にカップにコーヒーなり水なりを注いで持ってみないとわからない。”取っ手”の太さと曲がりの問題なのだが、感覚の問題なのでこれ以上何とも言えない。自分でカップを買う時は一応、手に取って実際に使うときと同じように”取っ手”に指を通してちょっと振ったりして判断する。それで100%確かではないが、この時点で「持ちにくいなあ」と思うものはダメだ。 ②色や絵柄  金色がうまく配色されていると買うことがある。”金持ちそうな”ヤツが好き。招き猫が好きだから猫柄もいい。色や柄がとっても気に入れば、(加えて安ければ、)気分次第で①の持ちやすさの基準は捨てて買ってしまうこともある。 ※今回貰ったカップを早速使ってみたが、①②の評価基準とも俺のカップコレクションの中で上位に入る。 さて、これを書くに当たり、30年前に買っていまだに使い続けているカップを使ってみようと思って探したが見つからない。このカップは特に上記①の点でNo.1だ。しかも何十年も割れないで使い続けてる。そのお気に入りのカップが、どこかに行ってしまった。俺も今まで様々なものを無くしてきたが、カップは初めてだ。(実は、会社でコーヒーを飲むのに使っていたカップを給茶室に置き忘れ、多分掃除の人に片づけられたのだろう、そのまま出てこなかったという経験はある。ただし、これは無くした、というより「片づけられた」というべきだろう。) カップは見当たらないが不思議なことにネガティブな感情は湧いてこない。むしろ、「とうとう俺はお気に入りのマグカップまでどこに置いたか分からなくなるようになった」と感慨深い。ものがものだけにそんな突拍子もないところには置きようがない、と思うが、心当たりを捜しても出てこない。こんなもの、家から持ち出す訳もない。井上陽水も言うように 🎵探す事を止めた時出てくる🎵 ことを期待してあまり熱心に探すのはやめておこう。まあ、いいカップを貰ったから要らなくなった、そろそろ新しいのに代える時だ、とも言えるが。 閑話休題; 会社の給茶室で無くしたカップはアメリカ時代の思い出の品だった。アメリカに行って日が浅かった頃、一緒に働いていたアメリカ人の若い女の子が休暇を取ってど...

マーク・ゲイン著「ニッポン日記」より⑦逆コース

 1946年5月27日  言論の自由とは、経営者がその編成方針を決定することで、その新聞の編集方針に賛成しない男は、何か他の商売を探せばいいんだという議論は、アメリカ本国の読者たちには別に何の不思議もないことは、私も承知している。しかしこれは今日の日本を理解し、もしくは曲解するうえでは恐ろしい事なのである。これがアメリカでのやり方だという単純きわまる説明で、全く信じがたいことが日本で、また日本に対して行われているのである。今日の日本は、アメリカとは似ても似つかない。日本は排外主義の色々な機関や道具立てが依然として手をつけられずに、そのまま残っている未改革の侵略国家である。われわれは建設的な計画に乗り出す前に、まだまだ破壊しなければならない。われわれは真珠湾で沈没させられた何艘かの老朽戦艦の復讐をするために戦争をしたのではなく、日本が再び戦争を繰り返さないように、日本を作り変えるという、はるかに重大な目的のために戦争をしたんだということを、あまりにも多くのアメリカ人が忘れてしまっている。もっとも確かなことだが、我々の目的の一つは真に民主的な新聞を作る事でなければならない。アメリカン・デモクラシイの呪文をたくみに口真似するようなのではない新聞を。それは民衆の必要、要求、渇望を代表する新聞でなければならない。・・・時代遅れの政府に対する民衆の軽蔑、配給の改善や家族に少なくとも1日2回は十分な食事を与えうる賃金に対する要求、改革への渇望を・・・しかも、旧勢力とその家来どもがまだ新聞の支配に帰って来ている。このあいだ、私は日本の最大の新聞である朝日新聞の編集者に、戦犯として追放された同社の幹部たちはどうしているかを聞いてみた。「いや、階上にいますよ」と彼は答えた。「階上にいる?いったい何のことです?皆辞めたんでしょう?」「辞めさせる事なんてできませんよ。この新聞はあの人たちのものなんです。連中は依然として俸給を受け取り、自分達だけの会議室を階上にもっています」朝日新聞内部の反逆的な従業員たち・・・組合に組織された・・・が、これらの戦犯たちを実際の仕事面から追出した。が「自由な経営」「自由な言論」「アメリカでのやり方」というような概念によって、民間情報教育局を統括するダイク准将の言葉はこれらの連中をふたたび朝日の編集方針を独裁する地位に復帰せしめ、改革を提唱した記者たち...

マーク・ゲイン著「ニッポン日記」より⑥米ソ情報戦

 1946年5月15日 今回の論争の焦点は、メーデーの大会後マッカーサー元帥及び対日理事会に対して提出された、日本人たちからの嘆願書だった。その嘆願書は、いくつかの不満を詳細に訴え、その矯正方を懇請したものだった。デレヴィヤンコ中将は、これに対し総司令部はいかなる措置を取ったかと質問した。アチソン対日理事会議長はこれに対して答えた「この嘆願書を翻訳した係は、この原文はまず外国語で書かれ、それから日本語に翻訳されたものだと信じている。・・・米合衆国は、その本国においても、日本においても、共産主義に味方するものではないが、そのいずれの国においても共産党が発展し組織することは自由である。個人的な見解だが、この文書は共産党の宣伝のまぎれもない特徴を含んでいると私は信じる」デレヴィヤンコは明らかにたじろいだ。彼は政治顧問と耳打ちしていたが、とうとうこう言った。「私は議長の発言を注意深く聞いていたが、議長の言われたことと、いまわれわれの審議すべき問題との間に、いかなる関連があるのか了解に苦しむ。」彼はこの嘆願書はメーデーに参加した人々によって提出されたもので、「それを共産党の宣伝だという口実で無視するのはデモクラチックじゃない」と主張した。(略)アチソンはデレヴィヤンコ中将をにらみつけ、中将は顔を真っ赤にした。これは大ニュースだった。日本の不安の背後にはソ連がいるという最初の公式の攻撃であり、日本人から出たものと信じられている文書が、実はソ連の一機関によって書き上げられ、それから日本語に訳されたものだと公然と攻撃されたのだった。 (略)この種の文書を翻訳する正規の担当機関は、東京には1か所しかなかった。ATISだけである。コクレンと私はさっそく騒々しいATISの事務所に飛んで行って、その幹部将校の一人に会った。彼は名前を公表しないと約束した上で、こう語った。「その文書を持ってきた連中はこう言った。『日本人から提出された文書なのだが、これがロシア語からの翻訳かも知れないという可能性があるかしら』われわれは慎重にそれを検討した。そしてこう答えた。『全然そんな形跡はない。日本の新憲法は明瞭な翻訳文書で、日本の高等学校の生徒だって、それが英語からの翻訳だということは分かる。しかし、この嘆願書はそうじゃない。立派な固有の日本語だ』と」 閑話休題: アメリカがトランプ時代、ファーウ...

マーク・ゲイン著「ニッポン日記」より⑤アイゼンハワーとマッカーサー

1946年5月11日  総司令部内には「アイク」に対する愛情はかけらにだにない。マッカーサーがとにかくヨーロッパの戦場を決して望まなかったのは、連合軍の数が多くて戦争遂行の仕事はずっと厄介だったからだ、というのが通説である。しかし、(マッカーサー)元帥の幕僚の語るところは「しかし、”おやじ”だったらアイゼンハワーのように英国に屈服しちまうようなことはなかったろう。アイゼンハワーはおしまいには英国の手先になってしまった・・・だから、英国人たちは彼が好きなんだ。」というのである。ここ東京の軍人たちの神経質な考え方によると、アイゼンハワーは今次大戦史上にマッカーサー元帥とその地位を争う人であるばかりでなく、次期大統領選挙の競争相手でもあるというのだ。 閑話休題: マッカーサーはアイク(アイゼンハワー)との競争に負ける。大統領候補にすらなれなかった。

マーク・ゲイン著「ニッポン日記」より④大川周明@東京裁判

1946年5月3日  大川周明、狂信の徒、冒険の雄であり、あくなき帝国主義的夢想家であった。彼は軍の機関、ある大会社の調査機関指導者として、満州及び中国に多年を過ごした。彼は彼の研究の成果を、政治構造変革の果敢かつ凶暴な陰謀と結合させた。彼の初期の陰謀の一つに、二人の共謀者とともに宮城に侵入し、宮廷の穏健論者どもを殺戮し、天皇に劇的な会見を求めて総理大臣就任の承諾を得る、という筋書きがあった。彼が今日に至るも知らないことは、その二人の共謀者の家の一人が、その瞬間に、大川と他のも一人の背部に短剣を突き刺して自分自身が総理大臣になるつもりだったということである。(略)大川は禁欲と奢侈を交互に繰り返した溌剌たる狂人で、その心酔者を泣声一つ立てさせずに喜んで死地につかせることができるほど、人を引き付ける力を持っていた。(略)国際軍事裁判の法廷で、突然、大川は前かがみになったと思うと、グルグル巻きにした訴状で東条の頭を鋭くピシャリ・・・とひっぱたいた。その音は法廷中響き渡った。被告席の真上の写真班席では、カメラマンたちが気違いのようにクランクを回し始めた。東条はゆっくりと、大川を振り返って、大川に笑いかけた。大佐と2,3名のMPがかけよって大急ぎで大川を廷外に連れ出し、休憩が宣せられた。(略 被告控室で)彼は私たちにゆっくりと、しかしハッキリした英語で話しかけた。 「東条は馬鹿だ。・・・あいつを殺さにゃならぬ。デモクラシーは賛成だ。・・・だがアメリカはデモクラシーじゃない。…自分はアメリカに行こうとは思わない。アメリカはデモクレイジイだからね。・・・私の言う事がお分かりだろう、デモ・クレイジーだ。」 閑話休題: アメリカが日本に押付けようとしたものは確かにデモクラシーではなかった。

マーク・ゲイン著「ニッポン日記」より③:石原莞爾インタビュー

1946年4月27日  彼(石原莞爾)はすぐさま鋭い確固とした口調で長々と答えた。自分の発した言葉の一つ一つに確信をもっている人の語り方だった。「私が現役にとどまっていたら、あなた方アメリカ人にもっと金を使わせたでしょう。戦線を縮小し、アメリカの補給路を延長させ、日華事変を解決すれば、もっとうまくやれたと思う。日本の指導者たちがミッドウェイの敗戦の意義を理解し、ソロモン群島の防衛陣を強化していたら、太平洋の広さが日本に味方したに違いない。山本五十六大将すら誤りをおかした。どこに根拠地を求めるべきかを知らなかったからだ。サイパン失陥を聞いた時私は敗戦を覚悟した。私は中国とは和平できたと思っている。われわれは東亜連盟に非常な確信を持っていた。その精神を中国民衆に浸透させることさえできたら、戦いを終ることは出来た。東亜連盟は終始非侵略主義だった。連盟は、中国が満州国を承認すれば、日本軍隊は中国から撤退しうると論じた。蒋介石は相互に結末をつける段取りとなっていたら、満州国を承認しただろう。私は終始中国本土から撤兵し、満州国をソ連との緩衝地帯にせよとの意見だった。もちろんわれわれはソ連と戦う意志は少しもなかったが。対中国対策に関しては東条と私のあいだにべつに意見の相違はなかった。そんなことはありえなかった。なぜなら、東条という男はおよそプランなどを立てうる男じゃないからだ。彼は細かい事務的なことは実によくできる。しかし中国政策などというような大問題に関しては全く無能だ。彼は臆病者で、私を逮捕するだけの勇気も持たなかった。東条のような男や、その一派が政権を握り得たという事実がすでに日本没落の一因でもあった。東条は右翼の一部を除いては誰からも支持されていなかった。東条を首相の地位につかせた連中は全然思想(イデオロギ-)を持たなかった。ただ政治の波の頂に便乗したにすぎなかった。不幸なことには、東亜連盟は貴国の命令で解散させられた。東条も連盟を弾圧しようと試みたが、連盟は朝鮮でも満州でもまた中国においてさえも、力強い勢力を維持し続けたのだった。マッカーサーが東亜連盟を解散した時、われわれは日本の軍国主義者とアメリカの軍国主義者とは何の違いもない事を知った。東亜連盟こそは共産主義思想と対等の条件で戦える唯一の組織だった。 (略)私の参謀本部時代、秩父宮が私の部下であらせられた。...

広末涼子を語る

 上さんが朝ドラ「らんまん」を見ながら、広末涼子が主人公の母親役で結構いい演技してたと言う。ストーリー的にはもう出番はないようだ。しかし朝ドラは結構回想シーンが多いので、回想シーンでは広末涼子は出せないなあ、と今から上さんは心配している。「今頃、広末涼子の出ない回想シーンに台本を書き換えてるさ」と俺。 それにしても・・・どうしてあんな(見た目の)男と不倫するのか?と上さん。 それを言うなら今の旦那と結婚した時「どうしてこんなんと」と思ったよ、と俺。 全くどういう趣味してんだ??? 閑話休題; 広末涼子の男の趣味は「面食い」の逆だ。「面食い」の反語を検索してみた。ど真ん中の反語はないようだ。性格重視、内面重視、B専・・・といったところか?広末涼子の趣味をぴったり言い表す言葉はない。外観と性格・内面を秤にかけて、ということをしてるようには思えない。”B専”が近いか?見た目が悪い男に引かれるという性格なのか?

豆苗炒め

 久しぶりに豆苗炒めを食べた。豆苗としいたけのニンニク炒め・・・うまかった。 ①しいたけをそぎ切りにする。(1,2cm幅) ②ニンニクをみじん切りにする。 ③豆苗を食べられる範囲で、なるべく下の部分で切る。 ④油をフライパンで温め②のニンニクを匂いが出るまで炒める。 ⑤しいたけと醤油を加え、しばらくかき混ぜないでしょうゆを焦がして焦がし焼きにする。 ⑥豆苗、ウェイパー(などの調味料)を加えて更に炒める。 ⑦豆苗が柔らかくなったら水を加え、更に炒め、豆苗がしんありしたら出来上がり。 豆苗は2パック買う。残った豆・根っこの部分は、阿佐ヶ谷姉妹よろしく、水を張った発泡スチロールのトレイにのせて1週間ほど置くと芽が伸びて再び食べられる。新しい豆苗に比べると柔らかくてよりおいしい。細くなるから1パックでは量的に不足感がある。

自転車の鍵

 週に1,2回ジムに筋トレしに行く。そのジムは片道、自転車で15分、歩けば30分以上かかる。筋トレしなければ歩こうと思う距離だが、筋トレやった後の帰り道を歩くのはきつい。(帰りは上りの道だし)そこで上さんの自転車を借りる。ジムが混むのが嫌なので朝一番で行く。(どうせ朝早く目覚めるし)家を出るのが上さんが起きる前になることもある。自転車の鍵は置き場所が決まっているが、ある朝自転車の鍵を探しても見つかないことがあり、聞いたら上さんのバッグに入ってたことがあった。それから、俺は筋トレに行く日の前の晩に自転車の鍵がちゃんと置き場所にあるかどうか確認することにしている。 昨晩は自転車の鍵がある事を確認したついでにその鍵をジムに持っていくバッグの中に入れた。上さんは夜遅くまで起きているが、昨夜は、俺が寝た後、その鍵の所在を確認しようとして、すでに俺が持ち去った後なので、確認できずに様々捜査したようだ。 今朝、ジムに行こうとしたら上さんが起きていて俺の顔を見るなり「昨日の夜探したけど、自転車の鍵がないよ」と言った。俺は「ごめんね。昨日は鍵をバッグの中に入れちゃった」と言った。「(自転車の鍵捜してくれて)ありがと」とも。このような時、「ごめんね」って謝るのもおかしな気もするが・・・いつもなら所在を確認したらそのまま置いておくのに、昨夜は「魔がさして」持ち去ってしまったので上さんに迷惑かけた。 オー・ヘンリーの小説(賢者の贈り物)で、貧しい夫婦が互いのクリスマスプレゼントを買う金がなく、夫は唯一の財産である先祖代々の金時計を売って妻のきれいな髪のために髪飾りを買い、片や、妻は髪を売って夫のために時計鎖を買った、という話がある。ちょっと似た”すれ違い”ではないか? ただし、俺は、翌朝上さんが使う予定のものがちゃんとあるかどうかなんて決して事前チェックしない。「勝手に使え」だ。上さんのこんなところ、結婚する前には知らなかった。そういう人と毎日一緒に暮らしていると思うと嬉しくてありがたい。俺は配偶者だろうが、子供だろうが幸せになって欲しい、尽くしたいとは思うが、それはあくまで”他人として”だ。配偶者はもちろん、血のつながった子供でも自分とは違う存在、つまり、俺がコントロールすべきでない存在(=他人)だ・・・そもそもコントロールしようと意図してその通りできるものでもない。上さんにとっ...

大リーグ解説の武田さん

 大リーグ解説の武田さんが好きだ。芸がある。ひねくれものだ。”曲”を感じる。 今期の大谷のピッチングがよくないのは「自分でサインを決めているから」だと。「キャッチャーは一人だけみんなと違う方向を見ている。その人の意見を聞かなければ駄目」と。 ファーストゴロを打たれ、ピッチャー大谷がベースカバーに走る。ゴロを取ったファーストの選手がトスしたボールを大谷が取るのだが取った瞬間、勢い余って大谷の足がベースを離れたように見える。武田さん「大谷は足が速すぎるからベースを”通り過ぎてしまう”。一生懸命走りすぎる」と。他の解説者だったら「足が速い」とか「一生懸命だ」とか「いいカバーだ」などと、ほめ言葉を連発しそうだが、”曲”がある。 相手ピッチャーが投げるとストライクと言われるコースに大谷が投げるとボールの判定。これが何回か続くと「大谷の球が速すぎるから審判には見えないのかな?」と かねてから大谷礼賛の風潮に違和感を覚えている。日本のマスコミの悪いところで、いいとなると持ち上げるだけ持ち上げといて、悪くなると一転叩き落とす。最近だと俺の好きな三浦瑠璃さん・・・リッチだ優雅だ、と持ち上げといて旦那が不祥事に巻き込まれた途端、成金だ、態度がでかい・・・大谷さんもそういう目に合うだろう。女で叩かれるかな???”モデル”はゴルファーの石川遼だ。よほど品行方正なのか、勝てなくなった後も、渋野との間が怪しいとかくらいで済んでいるが。勝負をしている人は必ず勝てなくなる。勝ってる間は持ち上げるだけ持ち上げといて・・・だ。そういう意味では藤井聡太も同様。

宵越しの天ぷら

 俺は天ぷらを多めに作り、余ったのを次の日に食べることが常だ。ネタは白エビ、竹輪、パプリカ、サツマイモ。次の日はぶっかけうどんか、ぶっかけそばにする。大根おろし、刻みネギ、茹でて氷水でしめたうどん/そばを丼に入れ、前の日の天ぷらをレンチンし、そばつゆをかけて食す。 特にうまいのがパプリカ天だ。容器に入れたまま(蓋をしたまま)レンチンすると柔らかくなり、みずみずしくなる。イモ天も、結構。 マツコ・デラックスが一晩おいたピザを温めて食うとうまい、と言ったそうだが天ぷらもうまい。

言われて気が付く寝小便???

 ひょんなことから「言われて気が付く寝小便」という言葉が頭に浮かんだが、どういう意味か、どういう由来でこのフレーズが出来上がったのか?知りたくて「言われて気が付く寝小便」で検索するが、寝小便(夜尿症)の直し方みたいな記事ばかり。microsoft edge、次いでyahoo、google・・・いずれも俺の知りたい答えは出てこない。 そもそもそんなフレーズはないのか?上さんに尋ねるが、「聞いたことがあるようなないような・・・」という反応。確かに意味が分からない。言われなくたって気が付くだろう、とも思う。子供の時、「あーあ、またやっちゃった。」と思ったことはあるが、気が付かなかったことはないように思う。逆に言えば、気づくのが当たり前のことに気がつかないほど間抜け、注意力散漫ということか?それとも排尿量がごく少量で本人は気づかないが、布団をたたもうとした母親に気付かれるとか・・・ フレーズのニュアンスとしては間抜け・注意力散漫という感じだが・・・ こういう風に、自分は当たり前の言葉と思っていても、実はそんな言い回し・フレーズはない、ということがたまにある。

ビデオデッキ買った②

 ついでドリス・デイの"April in Paris"。(1952年。Warner。これも30年以上前にアメリカで買ったんじゃないか。価格$10.99)ドリス・デイというと、どんなに蓮っ葉な役を演じても、根は副級長タイプの優等生というのが俺の固定観念。しかし歌声はセクシーで素晴らしい。得難い歌手だ。この映画撮影時、29歳か30歳。ちょっと太り気味。相手役はRay Bolgerという男だが、Astaireと比べるまでもない。顔に品がない。頭の形も鼻の形も悪い。ダンステクニックはあるようだけど、優雅でない。粋も感じられない。ラストシーンで"April in Paris"を歌うドリス・デイ。いい。 閑話休題: April in Parisという歌はジャズシンガーがたくさんカバーしたスタンダード。俺はSarah Vaughanの歌が好きだ。Clliford Brownが歌伴するやつ。改めて聞いたら、Paul Quinichetteがとても短いけどテナーサックスのソロを。これが実にいい。昔からそう思うんだけど、このSarahのApril in Paris、物悲しい秋を感じてしまう。 1950年代のアメリカ人はヨーロッパに憧れ、ヨーロッパに出かけて行って映画を作った。イタリア(ローマの休日)、フランス(パリのアメリカ人)・・・1980年代の日本人みたいにアメリカ人は1950年代、世界中に旅行に行ったんだろう。日本人も1980年代はカリフォルニアだ、ニューヨークだ、アメリカの歌たくさん作ったね。

ビデオデッキ買った

 90日間動作保証という、うたい文句につられ、中古(2008年製)の東芝・タイ製造のビデオデッキ一体型DVDプレイヤーを買った。価格は約16,000円。ダビンングが出来るとの触れ込みだったから当然ビデオからDVDにダビング、と思っていたらDVDからビデオテープへのダビングだけだった。 90日の間に見れるだけ見ないといけないが、見たいものより未開封・・・明らかに見てないもの・・・を優先的に見ることにする。 早速1953年MGMの”バンドワゴン”というFred AstaireとCyd Charisseの主演のミュージカル映画のビデオを見る。(30年以上前にアメリカで$14.96で買ったもの)AstaireはRKOで名コンビを組んでいたGinger RogersをMGMではCyd Charisseに変えた。(というか、RogersがAstaireの引き立て役じゃいやだ、といってコンビ解消を申し出た、というのが定説。)RogersとCharisseの比較というより、Rogersとコンビを組んでいた1930年代のAstaireはやっぱりよかったなあ、というのが第一印象。(この時Astaire53,54歳。ダンサーとしては盛りを過ぎたという感じか・・・ただし、Wikipediaによると、バンドワゴンはAstaireの代表作らしい)1950年代のAstaireの映画(あるいはMGMのミュージカル映画)はエンタテインメントに加え、芸術性・前衛性?を盛り込んだ。この映画も気の利いた会話と歌と踊りだけでいいものを、訳の分からない音楽や絵や彫刻が登場する・・・もしかすると、監督のビンセント・ミネリの好みか?バカバカしいといえばバカバカしいが座っていた三人の赤ん坊が立ち上がって踊るシーンはやっぱり面白い。 この映画の20年後にMGMは"That's entertainment"というミュージカル映画の名場面を集めた映画を作るが、"Tht's entertainment"という歌がこのバンドワゴンで歌われていたのは知らなかった。他に"Dancing in the dark","You and the night and the music""By myself"が歌われる。 閑...

自衛隊は軍隊ではないようだ

 自衛隊のヘリコプターが海に落ちた時、浜田防衛大臣は記者に囲まれて「乗組員の無事を祈る」とか言って涙を流していたが、俺は大いに違和感を感じた。軍人(武士)なら、命を捨てる覚悟で常時戦いに備えるのが仕事。自衛官は死ぬことが(前提の)仕事だ。それを数名が生死不明になったくらいでいちいち泣いていたんじゃあ軍隊の親分は務まらない。(乃木将軍は自分も息子も死ぬのが商売だから死んだからと言って泣いたり騒いたりするな、ときつく奥さんに言っていた由)こんな防衛大臣の姿を見たら同盟国のアメリカ人は「日本の自衛隊は情ねえ。一緒に戦えるのか?」と思っただろうし、ロシア・中国・北朝鮮の皆さんは「日本与しやすし」と喜んだであろう。・・・それよりもっとヤバイのはヘリコプターを見つけるのにとっても時間がかかり、なおかつ墜落原因がいまだに発表されない事。(中国に撃墜されたんじゃねえだろうな?)この体たらくでは実戦には使えねえ。 岐阜県で入隊前(試用期間中)の自衛隊員候補生が上官だか先輩を撃ち殺した。事件のあとの現場付近の映像を見たが、泣いて抱き合っている自衛隊員がいた。死ぬのが商売の自衛隊員がこんなことぐらいで泣いてちゃいけねえ。これを見た同盟国のアメリカ人は「日本の自衛隊は情ねえ。一緒に戦えるのか?」と再び思うだろうし、ロシア・中国・北朝鮮の皆さんは「日本与しやすし」と再び喜ぶだろう。加えてNHK(多分他のメディアも同じだろう)は「安全対策と再発防止が重要」などと脳天気なことを言う。建設現場や工場で死亡事故が起きたんだはない。安全対策もへったくれもない。実際に戦う現場で、味方が撃って来るなんて想定して戦争が出来るか?味方は撃ってこない、撃って来る敵からどうやって身を守るか?だけが問題だ。現場では味方に撃たれたら死ぬしかないだろう。防ぎようはない。撃って来る味方に対しては安全対策も再発防止もない。そんなことより、部下・上官・同僚から恨まれたり「殺してやる」と思われないコミュニケーションの仕方は重要だ。もっと大事なのはそういう風になった者には銃を持たせないようにするチェック・管理の体制・システムだ。そして更に気になるのは、自衛官になりたいという人の質・量の問題だ。体はまだ鍛えようがあるかも知れないが、自衛隊には心や頭の弱い奴しか入ってこないのではないか?それが一番気になる。安全対策も再発防止...

マーク・ゲイン著「ニッポン日記」より ②

 1946年3月6日付けの日記(抜粋)を長々と引用する。この日記に嘘や間違いはないと思われ、以下のことが分かる。 ①マッカーサーは天皇を戦犯として裁くつもりはなかった(占領政策に協力的な天皇を戦犯にすることは天皇に対する裏切りだと考えていた) ②憲法草案作りは2月上旬から始められ、2月29日には日本側に提示され、押付けられた ③アメリカ人が作った憲法を日本国民に強制することを「民主的」と呼ぶパラドックス。占領軍の誰もこのパラドックスを指摘しなかった。 ④著者(アメリカ人記者)マーク・ゲインは「日本で地震が避けられないのと同じくらい再軍備も避けられないのは疑いようもないこと・・・にもかかわらず戦争放棄をうたった日本国憲法には欺瞞が内在する。そんな憲法は永続しない。」と考えた。 ※上記③がアメリカ(アングロサクソン・ユダヤ)の他国支配/属国化の常とう手段で、法律や契約や条約で他国を縛り付け、支配しようとする。 上記④の欺瞞が日本の戦後政治の出発点。江藤淳さんが「ごっこ」と呼ぶ”戦後民主主義”の原点だ。著者はそんな欺瞞の憲法は永続しないと断じた・・・そろそろ廃止するなり、せいぜい部分的な改正をするなりしてもいいんだが・・・憲法が「日本の国民大衆の中から自然に発生」するなんてことはないのか?民主主義は「伝統にそぐわぬ全く非日本的なもの」ものか?なお、日本の再軍備は朝鮮戦争のため、アメリカ側の意向で始められた。(時の吉田首相は憲法を盾に再軍備に難色を示したと言われる) 以下、抜粋: 1月ほど前のある晩、マッカーサー司令部の民政局の首脳将校たちは、極秘のうちに日本の新しい憲法を起草するよう命ぜられた。第一ホテルの1室で開かれた非公式な会議で、新憲法の総括的な輪郭が描き出された。その翌朝、ホイットニー准将は部下を全部会議室に招集した。彼は、いとおごそかに言った。「紳士並びに淑女諸君、これはまさに歴史的な機会である。私は今、諸君に憲法制定会議の開会を宣する」マニラの弁護士出身のホイットニーは、(略)次のように言った。「現下日本におけるもっとも緊急の問題は憲法制定である。しかるに日本側によって準備された草案のすべては全く不満足なもので、総司令官は、今や自分が介入する必要があると感じられるにいたった。かくてわが民政局は、新憲法を起草すべき命を受けた。日本側のまったく意表を衝き、...

上さんから教えてもらう

一人で来店した老人が熱心に一心不乱に品定めをしている。上体をかがめ顔をなるべく品物に近づけて凝視する。インナーマッスルが衰えたせいか、はたまた骨盤の柔軟性がなくなったせいか、知らず知らずのうちに腰(ケツ)が後ろに出て通路にはみ出す。なかなか品定めは終わらない。俺は老人にふさがれた通路を歩くのを諦め、しばし待つ。隣の上さんに俺は言う「ああいう年寄になりたくないんだ。自分で気づかずに他人の邪魔をしている。しかも邪魔だ、迷惑だ、と当人に言ったところで当人ではどうしようもない。」 それを聞いた上さんは、俺はすでにそうだと言う。しかし、俺は別に年取って衰えたからそうなったのではなく、若い時から他人のことなど気にせず、迷惑かけても気づくことの少ない人間だったと。そうか、と俺は思う。俺は年取ったから他人に迷惑をかけるようになったわけではない。それでも69年も生き続けて来れた。それならそれで生きる意味や価値が認められているのだろう・・・自己肯定感てやつか?なんとなく笑ってしまう。 人間は自分の存在が周囲に与えるものがマイナスになったら存在すべきではない、と思う。”存在しない”とは必ずしも死を意味しない。周囲に迷惑をかかることを最小限にすべく、隠遁するとか、社会との関係を断つ、ということでもよい*。自分が衰えたり変わって周囲に迷惑をかけるようになることもあろう。また、周囲の環境が変わったのに自分は変わらず、周囲に迷惑をかけるようになる、ということもある。俺は金融資本主義、株主資本主義に染まっていく会社の変化に「ついて行けない」と思いながら会社を辞めることもしなかった。自分より若い社員を金融資本主義や株主資本主義から守ることが自分の仕事、と思い定めていた。 進化論では環境の変化に対応したものが生き残ると言う。人間は環境の変化をおかしいと思ったり、間違っている、と思うからややこしい。敢えて環境変化に逆らうことが自分の存在意義だ、と考えるへそ曲がりがいてもよい(いや、いなければならない)。同時に、環境変化に逆らうことは周囲に迷惑・不快感を与える恐れがある。時々存在意義と迷惑・不快感のどちらが大きいか、チェックする必要があるが、自分自身では難しい。俺の場合は上さんがチェッカーの役割を果たす。その意味でも俺が死ぬまで上さんに生きていてもらわなければならない。 *最近亡くなった上岡龍太郎さんは「...

人種ってどうやって決めるの?

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 アメリカ、ハーバード大学の入学試験で黒人やヒスパニックに”下駄をはかせる”(=成績が悪くても合格とする)措置が取られている。いわゆるアファーマティブアクションだ。アファーマティブアクションについては、俺にもアメリカで若干実体験がある。30年以上前の事だが、アメリカの俺の勤めていた会社のあった州(?)では法律で黒人のマネージャーの人数比率が定められており、やむなく「出来の悪い」黒人をマネージャーに採用した。数年後、やっぱり出来が悪いのでそれを理由に解雇したら、首になった黒人から「人種差別だ」と訴えられた、という事件だ。 ハーバード大学が「黒人やヒスパニックに下駄をはかせ、成績の良いアジア系が不合格になるのは差別だ」と訴えられ、近日中に最高裁の判断が下されるらしいが、保守派の多い今のアメリカ最高裁ではアファーマティブアクションは評判が悪いらしく、ハーバード大学側が負けるのではないか?とニュースは伝える。 俺に素朴な疑問が湧いた。「そもそもアメリカにおいて人種ってどうやって決めるの?」だ。30年前のアメリカでは会社の採用面接で宗教や人種や性別を聞くことは禁じられていた。それが差別の元凶であり差別を助長する、という考え方だ。今でもそれが続いていると思うから、ハーバードはどうやって受験者の人種情報を入手し、人種を識別するのか?という疑問だ。 本人に自己申告させてそれを信用するのか?写真を提出させ「見た目」で推測するのか?そもそも人種情報を入手しようとすることは違法のはずだが入試やアファーマティブアクションのためなら許されるのか? 早速Wikiってみる。「アメリカ合衆国の人種構成と使用言語」によれば、人種の識別は結局は自己申告による。オバマだって国勢調査の意図に反して、白人の血が交じっているのに「黒人」と自己申告したとしている。一方で、 少しでも黒人的特徴があれば黒人と見なされる、とも。黒人の血が混じっているのに見た目は全く白人で、白人を装っていたり自分は白人だと信じている人の苦悩を描いた映画もあった。 人種差別と言えばアメリカで最大の問題だが、どうやらその人がどの人種に属しているのか?の判断の大元は自己申告なのだ。自己申告に加え、見た目だ。全くアメリカ人らしくない。アングロサクソンやユダヤなら「エビデンス」って言うと思うんだけど・・・タブーがあって詮索しにくいんだろ...

マーク・ゲイン著「ニッポン日記」より

 アメリカの新聞記者、マーク・ゲインが敗戦直後の日本に駐在し、占領下の日本を描いた日記が「ニッポン日記」という名前で出版されている。その一節を引用する。日本の実情を知らないトルーマン大統領が日本民主化の第一歩として財閥を解体せよ、という理想論を掲げた。それに対してGHQの現場課長は「なにも分かっちゃいねえ」と反発する。結局、財閥は一旦は解体されるが、以下引用の通り、ソ連と相対するために復活した。財閥なしで日本はソ連と戦う即戦力にはならない、という判断だった。 1946年2月21日、GHQ産業金融課長のロック少佐と昼飯を食べた時、ロックが言った。「私は親日的に見えるかも知れないが、けっしてそうじゃない。私は今度の戦争に3年も従事した。今は、日本にその産業機構をそのまま保持させ、また生産もさせ、輸出もさせながら日本を転向させる、大きなチャンスである。目下われわれはわが政策の何たるかを解しないままにこの仕事を仕損じかけている。われわれは日本をわれわれの経済的な奴隷にしようとでもいうのか?日本を農業国たらしめようとでもいうのか?それともわれわれは日本に自立を許そうと言うのか?財閥を解体することなどは易々たる仕事である。が、古い財閥を叩き壊せば、きっと何か新しい形の財閥が出来上がる。なぜなら誰かが日本の経済機構を動かさなくっちゃいけないからだ。私は決して財閥を擁護しているんじゃない。彼らは日本の侵略の背後にあった。今日彼らは依然として日本政府を支配している。が、他に何か代案があるか?財閥を破壊してみたまえ。十年間は混乱を覚悟しなくちゃならないか、社会主義経済の実施のほかはない。財閥系の銀行を一掃してみたまえ、全金融機関は壊滅する。財閥を粉微塵にしてみたまえ、日本におけるわれわれの投資領域は壊滅する。東京の実業家たちが昔の日本を復興させることを望んでいることはご承知の通りだ。わが軍関係の人たちも、財閥をそっとしておけば、頭痛のの大部分が解消すると考えている。『殺した米兵一人に対し旋盤1台づつを支払え』と今日本人に言うのは馬鹿げきっている。やつらにやつらの古ぼけた旋盤をそのまま持たせておくほうが、 二、三年うちにアメリカのセールスマンがやってきてわれわれが本国で使っているのよりも新しい機械をやつらに売ってやる のよりはるかにいい。また中国人やフィリピン人に日本の新しい機械...

入管法”改正”について②

デイリースポーツのサイトによると:TBSサンモニで ジャーナリストの松原耕二氏は 「どこの国でも難民のふりをして申請する人はいる。ただ、欧米の考え方は、もし難民の方を帰してしまったらどうなってしまうんだろうと命の問題として考える。一方で日本は、難民じゃない人を日本社会に入れてしまったらどうしようと全く発想が逆。これは日本の人権意識の低さと言わざるをえない」と持論を述べた。 続けて「実務的に考えると、少子化でこれから外国人の力を借りないと社会が回らない。それがこんなに冷たい難民政策の国でどれだけ日本に来たいと思って下さるだろうと思っちゃう」と話した。 ピースボート共同代表の畠山澄子氏は 「日本に逃れてきた人を見殺しにするような、こんな法案を通してしまって、本当に申し訳ない」と謝罪した。「国を逃れてきて人たちも安心して生きる権利があって、それを奪うのではなく、守るのが難民条約に加盟している日本の責任」と意見を言葉にした。 と言った由。 松原氏の発想は「欧米と逆=遅れてる・低い」だ。おかしくないか?欧米は難民慣れしている。難民を次から次へと生み出す欧米は進んでいて高いのか?もっと言えば、「遅れている・低い」は「悪くて不幸」で「進んでいる・高い」は良くて幸せか?加えて日本人(中国人もそういう傾向がある)は、伝統的に「命より魂・プライド・公」という信心・考えがある。これは欧米と逆で遅れてるのか?確かに全体のために死ぬことを是認あるいは押し進める考え方だが、命をかけて守るべきものはないのか?戦後民主主義は欧米に遅れないこと、追いつくことを目指して来たがその結果が今の日本だ。 日本は、やって来る難民には冷たいが、難民としてでなく、労働者や指導者として入って来る外人は積極的に迎え入れて来た。(韓国の皆さんがクレームする日本での強制労働や研修名目の労働者受け入れ、明治時代のお雇い外国人など) 日本では条約や法律(建前)と実体(本音)は違っていて往々にして守られない・・・日本は法治国家ではない、”遅れた”国だ・・・

入管法”改正”について①

 東洋経済onlineにレジス・アルノーという(フランスの事情に詳しいらしい、フランス人みたいな名前の)人の記事が。最後に以下の記載が: 柳瀬氏*は、日本がなぜ難民や移民にこうも閉じてきたかという問いに対して、「欧米諸国は移民の力で経済や社会を発展させてきたが、日本は移民の力を必要とせずここまでやってきた」との考えを示した。が、人口が急激に減っている日本がそんなことを言っていられる立場にあるのだろうか。 残念ながら入管法改正のプロセスは、(日本が)民主主義の国際的基準からいかに後れているかを如実に示しただけだった・・・ *難民申請が却下された後の不服申立てを担当する難民審査参与員117人(弁護士、ジャーナリスト、裁判官、外交官、その他海外経験者)の1人。 さて、柳瀬氏の言う事に俺も賛成だ。日本人は”外人”とコミュニケートするのは苦手だ。日本人のコミュニケーションは互いに「察する」ことを大前提としている。ここを直さないと、外人とコミュニケートするのは難しい。移民が人口の何割も入って来るのは無理があるように思う。(ただし、無理やりそうしてしまえばそれなりに対応するのも悲しい日本人の性だが・・・) いずれにしても、「人口減少対策として移民受け入れすべき」という前提を置くのは尚早だ。大体、日本をよく知らない、また日本の将来に責任のない外人に日本の将来を云々されるのは片腹痛い。人口減少や移民受け入れをどうするのかを含む「日本の未来のあるべき姿」は日本人が自分で考えて決めるべきだ。日本人の中には「日本は軍隊を持たないで他国に攻められて滅んだっていいじゃあねえか」という考えもある。その伝で行けば「日本は移民を受け入れないで滅んだっていいじゃあねえか」という考えがあってもよいし、移民によらずに人口減少対策する、というアイデアがあってもよい。俺も日本は数千万人の人口で世界で”一流の下”くらいのポジションを保つ、というありようもいいか、と思う。 次にこれは多くの日本人も誤解している者が多いが、日本に民主主義がある、と考えるのは間違っている。「日本の未来のあるべき姿は日本人が自分で考えて決めるべきだ」と上述したが、実は、これが日本人は一番苦手なのだ。民主主義とは、その国のあるべき姿、あるいは(あるべき姿に到達する道筋)について、複数の考え・主張があり、それを選挙という手法で選択す...

加藤未唯事件に思う

 加藤未唯失格事件について思う事: ①加藤選手はメンタルが強い 混合ダブルスで優勝した後、”英語”でコメントしたこと。コメントの中身ではない。用意した原稿を”カタカナ英語”で堂々と読み上げていた・・・彼女のメンタルはものすごく強い。日本人離れしている、と言ってもいい。驚いた。(もしかすると俺の「日本人はシャイ」というイメージが違ってきているかも知れない)多分彼女の英語は短期間で上達し、原稿も見ずに英語らしい発音でしゃべるようになると思うが、万一、彼女が”カタカナ英語”で貫き通したとしたら、それはそれで彼女のメンタルの強さを示すことになろう。 ②一番の問題はボールガールにあり 緊張感をもって仕事をしていれば、彼女はボールを取るか、よけるかしただろう。ボールがぶつかっていなければ事件は起こらなかった。もしかするとボールを取ったりよけたりする運動神経がなかったか?素人のボランティアとは言え、金のかかったプロ選手の失格という事故を起こすかもしれないからボールガール・ボーイ(俺は意地でもボールパーソンなどと言う言葉は使わぬ)採用試験をして緊張を保てる精神力の持ち主かどうか、そしてある程度の早さのボールを取ったり、よけたりする能力があるかをテストすべき。相手選手のしつこいクレームに負けて失格にしたこともさることながら、不適切なボールガール採用も開催者の不手際か? 閑話休題: 加藤選手の失格をクレームした相手の選手たちが批判されているようだ。(日本だけでそう言われているのかも知れないが)勝つためにはルールさえ守れば何をしてもよい。というか、勝つためにルールの隅をつつく・・・日本人から言わせれば「バカ」だけど、それがグローバルスタンダードだと思う。(すくなくとも一神教徒にとってはルール=神だ。)だから、俺は日本人は戦争は苦手だと思う。たとえ勝つためでも日本人には「してはいけない事」があるように思う。

ビデオデッキ壊れてた

ビデオデッキが壊れていた。 電源ボタンを押しても電源ONにならない。一瞬赤いランプは点灯するのだがすぐ消える。それが、「うんともすんとも言わない」のではなく、無理矢理テープを入れたら入ったが、ブーンとか、ガシャとか言って黙ってしまう。そのままテープは出てこない。取説をみたら、「電源コードを抜いて5分待ってからもう1度やってみて」とあったのでその通りしたが、やはり同じ症状。 1994年秋に買ったので製造後30年くらいたってる。4年前会社を辞めた直後には動いたのだが・・・やむなしか。シャープ(日本)製だ。いい製品だたったと思う。 ビデオデッキを買うべくネットで調査。メルカリで2001年製の新品発見(18500円)。新品だが「初期保証」のみ。エスネットショップというショップで2008年製の中古、保証90日(15980円)と言うのを見つける。年式が古い新品より年式が新しくて保証がある方を取ろうと思う。もう2,3日よく考え、調査してから決めよう。 閑話休題: 入ったきり出てこないテープの出し方、という記事をネットで発見。「”テープ取り出し”ボタンを押しながら指を突っ込んでテープのケースを上げろ」とある。その通りあったらなんと、テープが出て来た。この調子でお機嫌を直して動くようになってくれないか。とにかく「ブーン」「ガシャ」と言ってやる気は見せているんだから。

VTRコレクション

 VTRコレクションがどこにいったか分からない。無駄だと思いつつ、上さんに所在を尋ねたら、知っていた。どうも17年前に引っ越して来た時に収納に困り、押し入れのデッドスペースに入れたらしい。早速引っ張り出す。ミュージカル、ジャズ、コメディー、ミッキーやベティやポパイのアニメ、VTRテープが出て来る出てくる。100本以上あったのではないか?俺の常だが、見てないものが10本以上ある。箱を見ているだけでワクワクして見たくなる。我ながら結構いいコレクションだ。(当たり前か)ついでに子供たちがTV番組を録画したものも整理することにする。録画された番組から類推するに、我が家では2003、4年頃までVTRを使っていて、それからDVDに切り替えたらしい。今はブルーレイだ。 押し入れもVTRテープを出したついでに整理する。出し入れすればホコリが気になるからホコリをきれいにする。時ならぬ大掃除。夫婦で結構な仕事になった。 さて、ビデオデッキは動くか?明日以降チェックしよう。死ぬまでに1回は見ないとネ。

2023年春の国家公務員総合職試験の合格者

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以下の日経記事を読んだ感想: 別に「東大生が優秀だ」と言うつもりはないが、役人の人気がますます下落していることは事実らしい。東大生に人気のある楽天もアクセンチュアも就職先として結構だが、日本全体をよくするため、優秀な人材は役人・政治家になるべきだ。何回も書いたが、1930年代に515事件、226事件が起こった。一連のテロを起こしたのは1920年代に陸海軍に入った青年将校だった。彼らのある意味純粋な昭和維新の野望は潰されたが軍の上層部はテロを「軍の言う事を聞かないと殺されるぞ」という脅しに利用し、日本を占領してしまった。 1920年代*は軍人は人気がなくなったというより馬鹿にされる職業で、軍人のなり手が不足し、なろうという若者の応募も減った。つまり、優秀な若者からそっぽを向かれた。今の国家公務員と全く同じだ。俺は、515や226事件は1920年代に優秀な若者が軍に入っていれば、起こらなかった、と考える。つまり、テロに頼らない日本の変革を考え、試みただろう、と思う。このまま役人人気が低迷し優秀な人材が入らないとテロとは言わないが、役人が将来に禍根を残すような悪いことをしでかす、ということが危惧される。 また、今の国会の様子が1920~30年代の国会と似ているのが気になる。国会議員の先生たちは国民のことをお考えになっているとは思えない。見るも無残なガキのケンカ、足の引っ張り合いを繰り返している。これに絶望して荒っぽい変革が企てられてもおかしくない。(NHK党、れいわ新選組などという訳の分らぬ下品な政党がそれなりに得票するのも既存の政党、特に立憲民主党の民主主義破壊行動**に対する絶望から来ているが、絶望は一歩間違えるとテロ是認になる) *1918年、ロシア革命をひっくり返そうと、各国がロシアに出兵したが、日本軍は1922年まで撤兵せず、結局無駄な戦費を使った上、国際的に警戒された。この戦果のないシベリア出兵は国内でも、海外派兵や戦争に対する警戒感、疑問を生んだ。1921年からはワシントン軍縮条約交渉が始まったが、これはそれまでの軍拡と真逆の動きで、軍人の採用は減り、軍人になろうとする若者も減った。親たちも軍人という職業を馬鹿にし、避けるようになった。(陸海軍とも採用が増加に転じたのは1930年代に入ってからだった。)加えて1920年までに明治維新の元勲がほとんど死に絶え、...

ネギ油を作ってみた(フードロス少な目)

ネギ油:  ネギ(白ネギの青い葉っぱの部分)&玉ねぎを粗く切ったもの、にんにく&しょうがを叩き潰したものをコメ油で20分くらい弱火で煮る。野菜が茶色くなったら出来上がり。網で漉して、冷えたら瓶に入れ冷蔵庫に保管(2週間はもつ由) さて、網に残った茶色になった野菜をどうすべきか?迷わず野菜炒めに加えて食べた。非常にうまかった。 野菜炒め: ピーマン、ニンジンの細切り、キャベツの硬い部分の千切り、ネギ油を作った残りの野菜とネギ油、ラードをフライパンで炒める。それからキャベツの柔らかい部分ともやしを加え、オイスターソースをたらして焦がして炒める。次いで醤油をたらして焦がして炒める。最後に胡椒、化学調味料を加えて出来上がり。俺の好みは醤油少な目。意外にうまかったのがネギ油を作った残りのしょうがだ。しょうがの香りがしてうまい。 ※近日中にネギ油を使って焼売を作る。それ用の豚ひき肉、豚ロースの厚切り、皮は準備した。

飛行機の中でたまたま聴いて気に入る曲②

 海外出張で何時間も飛行機に一人で閉じこもっていて、たまたま聴いていいと思った音楽 その② これは曲単位ではなく、Ella & Louis / Ella fitzgerald & Louis Armstrongというアルバム全曲を聞いたような気がする。中でも"They can't take that away from me"と”Cheek to Cheek”だ。歌伴がOscar Peterson 。1956年録音。誰かが「39歳でベテランの域に達し貫禄もついていたEllaがLouisの前ではかわいらしい少女のように歌う」と書いていたが、その通り。二人の歌もいいが、Petersonのピアノもいい。普段は饒舌なピアノを弾くPetersonもさすが、Louisの前では控えめで、それがよい。 実はこのアルバム、飛行機で聞く前、すでに持っていた。例によって1回聞いただけでお蔵入りしていたわけだが、このあと何回も聞くことになる。それにしても1956年という年は、ジャズの傑作がたくさん録音された年であった。 They can't take・・・について調べ始めたら、とっても親切なYannieという人のブログに行き当たった。この人のブログは至れり尽くせりでThey can't take・・・の歌詞(和訳)と、この歌が初めて歌われた"Shall we dance"という1937年のアメリカRKOのミュージカル映画の中の、どういうシーンで歌われたかまで教えてくれる。この映画はFred AstaireとGinger Rogersの名コンビのヒット作の一つだが、この歌が歌われたシーンは、わけあって偽装結婚した二人が さて、離婚しようという段になって本当に惚れてしまったAstaireが未練がましく「別れても好きな人」みたいなことを歌うのだ。するとRogersの方もジンと来る、というシーン。歌詞が気が利いていて大好き。   The way you wear your hat  貴女の帽子のかぶり方 The way you sip your tea 貴女のお茶の呑み方 The memory of all that そんな想い出の全てを No, no, they can't take that away fr...