アルバイト賃金の差別と共産主義

 近くのスーパーに、その店で働くアルバイトの募集ポスターが貼ってある。大学生の時給が高校生の時給より100円高い。これは明らかな差別だ。屁理屈を言えば、大学生だろうが高校生だろうが、一人一人同じ土俵でその能力をテストし、その結果を評価してアルバイト賃に差をつけるのが筋だろう。

昔から応募してきた者を性別、年齢、学歴等で差別してきた名残であろう。俺は差別論者だから、単に大学生だからという理由で、馬鹿でのろまで不器用でも、お利口で素早くて器用な高校生より時給が高くても全然かまわない。昔からこういう慣行があったのは、多分、大学生の方が高校生よりたくさんお金が必要だ、という理由からではないか?これ、共産主義に近い。共産主義においては、給料は必要に応じて与えられるんじゃあなかったっけ?

さて、アルバイト賃ではなく、映画や美術館、博物館などの料金も小中高大で差があったような気がする。(電車やバス料金も同様か?)今もそうであるとすると、これまた差別でないか?小さい大学生もいれば大きな小学生もいる。料金の方は支払い能力で差別しているのかな?

誰かこれらの賃金や料金の差別を憲法違反として訴訟を起こしてくれないか?

閑話休題:

会社の正社員の給料も学歴で差がある。アルバイトと違い、一応、テストして一定のレベル以上の者を選別しているという屁理屈が企業側にはあるかも知れない。俺は学歴による能力差より、同じ大卒でも大学の違いや大学で何をしてきたのかの違いによる差の方が大きいと思う。昔は企業は、採用するに当たってその人の潜在能力(採用時のテストなどというものでは計り知れない能力)を買ったのだ。10年、20年たって潜在能力がどのくらい開化するかによって給料の差が大分つく。(”大分”と言っても社長と同年齢の他の社員でせいぜい10倍か20倍だ。本格的な資本主義の国のように何十倍、何百倍などということはなかった)日本では、そういう一部の人が本格的な資本主義の国に比べれば安い給料でその他大勢を養っていた。これも共産主義に近い。

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