韓国の悲劇②朝鮮戦争

 朝鮮戦争はWikipediaによれば1950年6月25日、ソ連のスターリンの同意と支援を得た北朝鮮の金日成が38度線を越えて攻め入って始まったとされる。俺はどちらが先に手を出したかにはあまり興味がない。というのは、以下の通り、日本が降伏した直後から朝鮮半島では米ソが実質的に交戦していたからだ。

日本が降伏した1945年8月15日、呂運亨によって朝鮮建国準備委員会が結成された。その前、同年8月9日にはソ連軍は朝鮮に上陸、翌9月アメリカ軍が上陸したが、ソ連軍の乱暴な侵略ぶりを見てアメリカのトルーマン大統領は38度線を境に北はソ連軍、南はアメリカ軍が占領することを提案し、スターリンも同意した。朝鮮建国準備委員会のメンバーに共産系の活動家が増え、アメリカ占領軍は朝鮮建国準備委員会を非合法と見るようになった。海外に逃げていた金日成や李承晩が相次いで帰国、左右入り乱れての大混乱となった。これに対し、マッカーサーもトルーマン大統領も真面目に取り合わなかった。アメリカ占領軍は対ソ戦準備のため韓国の解放・民主化を諦め、李承晩を大統領とし、手っ取り早く日本統治時代の仕組みや制度をそのまま使って戦おうとした。1948年8月南に大韓民国が、9月北に北朝鮮が誕生し、形の上では米ソの占領が終わった。この時、軍事力は北の方が圧倒的に上回っていたし、ソ連・中国共産党の協力も得ていたことから金日成はスターリンにたびたび南への侵略(統一)を申し出たがスターリンはアメリカの原爆を恐れ、OKしなかった。1949年8月ソ連でも原爆実験に成功し、スターリンは翌年北朝鮮の侵略をOKした。

以上の経緯を見ると、戦争原因は:

①大元は米ソ冷戦

②米国の韓国に対する無関心・混乱の放置、読みの誤り・戦争回避努力不足

③米国の無関心・読みの誤りに悪乗りした北朝鮮・ソ連・中国の先制攻撃  だろう。

うがった見方をすれば、ルーズベルトが日本を真珠湾奇襲に誘導したように、アメリカは金日成を戦争に誘導したようにも見える。あるいは、米国の国防にとって朝鮮半島は日本ほど重要ではないのに対し、ソ連にとっては重要だった、と言えるかもしれない。

閑話休題:

日本は軍国主義、天皇中心の全体主義ではあったが、一応それなりに政治経済教育の仕組みが出来上がっていたから、そのスタンス、方向を変えるだけでとりあえず対ソ戦には使えた。カギになったのは、日本人の「お上の言う事に従う」国民性とそれを前提とした教育の仕組みだ。マッカーサーは自分が天皇に成り代わって教育すれば、日本を容易に”民主化”できると考えたかも知れない。朝鮮半島は国としての仕組みが日本ほど整っていなかった。また、米ソ両軍が上陸して直接対峙した。

日本にソ連が上陸しなかったのはなぜか?ソ連から見てわずかだが朝鮮より遠かった?ソ連はハナから日本に上陸する気はなかった?米国にとって朝鮮半島より日本の方が国防上重要だった?一番大きな理由はソ連より先に日本に上陸したアメリカには原爆があり、ソ連にはまだなかったことではないか?朝鮮戦争の前もそうだったが、原爆開発前のソ連はアメリカに遠慮した。今は核兵器をちらつかせるロシアに各国が遠慮する。

どうして朝鮮半島は統一されないのか?ドイツはどうして統一できたか?恨(ハン)だけでは国際的な説得力を持たない(普遍性がない)からか?ヨーロッパではアジアよりアメリカの力が弱く、西ドイツはアメリカから自由だったからか?

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