マーク・ゲイン著「ニッポン日記」より④大川周明@東京裁判
1946年5月3日
大川周明、狂信の徒、冒険の雄であり、あくなき帝国主義的夢想家であった。彼は軍の機関、ある大会社の調査機関指導者として、満州及び中国に多年を過ごした。彼は彼の研究の成果を、政治構造変革の果敢かつ凶暴な陰謀と結合させた。彼の初期の陰謀の一つに、二人の共謀者とともに宮城に侵入し、宮廷の穏健論者どもを殺戮し、天皇に劇的な会見を求めて総理大臣就任の承諾を得る、という筋書きがあった。彼が今日に至るも知らないことは、その二人の共謀者の家の一人が、その瞬間に、大川と他のも一人の背部に短剣を突き刺して自分自身が総理大臣になるつもりだったということである。(略)大川は禁欲と奢侈を交互に繰り返した溌剌たる狂人で、その心酔者を泣声一つ立てさせずに喜んで死地につかせることができるほど、人を引き付ける力を持っていた。(略)国際軍事裁判の法廷で、突然、大川は前かがみになったと思うと、グルグル巻きにした訴状で東条の頭を鋭くピシャリ・・・とひっぱたいた。その音は法廷中響き渡った。被告席の真上の写真班席では、カメラマンたちが気違いのようにクランクを回し始めた。東条はゆっくりと、大川を振り返って、大川に笑いかけた。大佐と2,3名のMPがかけよって大急ぎで大川を廷外に連れ出し、休憩が宣せられた。(略 被告控室で)彼は私たちにゆっくりと、しかしハッキリした英語で話しかけた。
「東条は馬鹿だ。・・・あいつを殺さにゃならぬ。デモクラシーは賛成だ。・・・だがアメリカはデモクラシーじゃない。…自分はアメリカに行こうとは思わない。アメリカはデモクレイジイだからね。・・・私の言う事がお分かりだろう、デモ・クレイジーだ。」
閑話休題:
アメリカが日本に押付けようとしたものは確かにデモクラシーではなかった。
コメント
コメントを投稿