マーク・ゲイン著「ニッポン日記」より③:石原莞爾インタビュー

1946年4月27日

 彼(石原莞爾)はすぐさま鋭い確固とした口調で長々と答えた。自分の発した言葉の一つ一つに確信をもっている人の語り方だった。「私が現役にとどまっていたら、あなた方アメリカ人にもっと金を使わせたでしょう。戦線を縮小し、アメリカの補給路を延長させ、日華事変を解決すれば、もっとうまくやれたと思う。日本の指導者たちがミッドウェイの敗戦の意義を理解し、ソロモン群島の防衛陣を強化していたら、太平洋の広さが日本に味方したに違いない。山本五十六大将すら誤りをおかした。どこに根拠地を求めるべきかを知らなかったからだ。サイパン失陥を聞いた時私は敗戦を覚悟した。私は中国とは和平できたと思っている。われわれは東亜連盟に非常な確信を持っていた。その精神を中国民衆に浸透させることさえできたら、戦いを終ることは出来た。東亜連盟は終始非侵略主義だった。連盟は、中国が満州国を承認すれば、日本軍隊は中国から撤退しうると論じた。蒋介石は相互に結末をつける段取りとなっていたら、満州国を承認しただろう。私は終始中国本土から撤兵し、満州国をソ連との緩衝地帯にせよとの意見だった。もちろんわれわれはソ連と戦う意志は少しもなかったが。対中国対策に関しては東条と私のあいだにべつに意見の相違はなかった。そんなことはありえなかった。なぜなら、東条という男はおよそプランなどを立てうる男じゃないからだ。彼は細かい事務的なことは実によくできる。しかし中国政策などというような大問題に関しては全く無能だ。彼は臆病者で、私を逮捕するだけの勇気も持たなかった。東条のような男や、その一派が政権を握り得たという事実がすでに日本没落の一因でもあった。東条は右翼の一部を除いては誰からも支持されていなかった。東条を首相の地位につかせた連中は全然思想(イデオロギ-)を持たなかった。ただ政治の波の頂に便乗したにすぎなかった。不幸なことには、東亜連盟は貴国の命令で解散させられた。東条も連盟を弾圧しようと試みたが、連盟は朝鮮でも満州でもまた中国においてさえも、力強い勢力を維持し続けたのだった。マッカーサーが東亜連盟を解散した時、われわれは日本の軍国主義者とアメリカの軍国主義者とは何の違いもない事を知った。東亜連盟こそは共産主義思想と対等の条件で戦える唯一の組織だった。

(略)私の参謀本部時代、秩父宮が私の部下であらせられた。殿下がご病気になられさえしなかったら、大東亜戦争は起こりはしなかったろう。1940年まで殿下は参謀本部におられた。殿下こそは陛下と国民を結び付け、戦争を避けることが出来た唯一人の方であった。殿下は日華事変開始に反対され、後には、東亜連盟の理念に基づいてこれを処理しようとなされた。不幸なことに、事変勃発時、殿下は欧州におられ、何もなさることができなかった。近衛公の回顧録をお読みになったのなら、1941年の9月から12月にかけて行われた会議のことをご記憶でしょう。当時の会談で、日華事変を引き起こした陸軍の一派は、より大規模な戦争に訴える事なしには事変の解決はできない、という考え方を使嗾した。この一派はおどろくべく堕落した卑怯者だった。私も勇敢な男じゃないが、秩父の宮殿下のご支持さえあったら、私は戦争を回避させることができたと思う。(略)軍隊では私は兵隊にすこぶる人気があった。今でさえ私の下にいた人たちがどこに行っても訪ねて来てくれる。が、上官にはいつでも嫌われた。きっと上官たちは、正しい人間や正しいことが嫌いだったに違いない。1928年、私は満州の関東軍参謀長を命ぜられた。中国との紛争が絶えなかったので、当時誰もその職を望むものはなかった。中国側は関東軍に対しても、居留民に対しても、また日本の権益に対してもはなはだ不公正だとわれわれはみんな感じていた。私は満州着任の日から早晩何か事件が起きると考えていた。」石原は事変の起きることを待っていたどころではなく、その計画に参画したことを私は知っている。後に日本の、そしてアジアの非運を招来するようになった人々は・・・東条とその一派、それから東条の敵さえも・・・いま私たちの前にいる塑像のような男から彼らの霊感を得たのだ。彼らの大部分は今や戦犯として裁きを受けようとしている。が、石原は、東条との決別という幸運な出来事のおかげで、処刑を免れるであろう。・・・そしておそらくいつの日は権力に立ち戻るであろう。

(略)中国と日本との問題は解決されなければならないとあくまで主張したため、私は参謀本部から追い出された。事実、私は1937年の南京占領にさえ反対した。私の最後の任務は京都師団長としての2年間で、1941年の3月に予備役に編入された。東条は私と面と向かうだけの勇気がなかったので、陛下から予備役編入の命が下された。(略)最後に彼は言った。「日本の敗因は民主主義でなかったことだ。特高警察と憲兵隊のおかげで、国民はいつもおびえていた。しかしこれらの警察力が今除去されたということが、ただちに日本の民主化を意味するものではない。が、秘密警察が破壊された以上、マッカーサーは日本人自身の手で追放を行わせるべきだ。総司令部のやり方を見ると、どうも信用できない人たちの情報に頼っているというのが現状だ。新聞関係のあなたがたなどが、総司令部が真実を知り得るようになるように大いに助力されることを私はお勧めする。」

閑話休題:

日本の民主化は日本人自身の手で・・・アメリカは日本人の手では行わせなかった。民主化よりソ連との戦いに勝つために日本を利用することに切り替えた

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