入管法”改正”について①

 東洋経済onlineにレジス・アルノーという(フランスの事情に詳しいらしい、フランス人みたいな名前の)人の記事が。最後に以下の記載が:

柳瀬氏*は、日本がなぜ難民や移民にこうも閉じてきたかという問いに対して、「欧米諸国は移民の力で経済や社会を発展させてきたが、日本は移民の力を必要とせずここまでやってきた」との考えを示した。が、人口が急激に減っている日本がそんなことを言っていられる立場にあるのだろうか。

残念ながら入管法改正のプロセスは、(日本が)民主主義の国際的基準からいかに後れているかを如実に示しただけだった・・・

*難民申請が却下された後の不服申立てを担当する難民審査参与員117人(弁護士、ジャーナリスト、裁判官、外交官、その他海外経験者)の1人。

さて、柳瀬氏の言う事に俺も賛成だ。日本人は”外人”とコミュニケートするのは苦手だ。日本人のコミュニケーションは互いに「察する」ことを大前提としている。ここを直さないと、外人とコミュニケートするのは難しい。移民が人口の何割も入って来るのは無理があるように思う。(ただし、無理やりそうしてしまえばそれなりに対応するのも悲しい日本人の性だが・・・)

いずれにしても、「人口減少対策として移民受け入れすべき」という前提を置くのは尚早だ。大体、日本をよく知らない、また日本の将来に責任のない外人に日本の将来を云々されるのは片腹痛い。人口減少や移民受け入れをどうするのかを含む「日本の未来のあるべき姿」は日本人が自分で考えて決めるべきだ。日本人の中には「日本は軍隊を持たないで他国に攻められて滅んだっていいじゃあねえか」という考えもある。その伝で行けば「日本は移民を受け入れないで滅んだっていいじゃあねえか」という考えがあってもよいし、移民によらずに人口減少対策する、というアイデアがあってもよい。俺も日本は数千万人の人口で世界で”一流の下”くらいのポジションを保つ、というありようもいいか、と思う。

次にこれは多くの日本人も誤解している者が多いが、日本に民主主義がある、と考えるのは間違っている。「日本の未来のあるべき姿は日本人が自分で考えて決めるべきだ」と上述したが、実は、これが日本人は一番苦手なのだ。民主主義とは、その国のあるべき姿、あるいは(あるべき姿に到達する道筋)について、複数の考え・主張があり、それを選挙という手法で選択することだ。移民より重要な国防についてすら、「日本は軍隊を持たないで他国に攻められて滅んだっていいじゃあねえか」なのか、「平和憲法を”改正”して核兵器も辞さずと覚悟して軍拡すべき」なのか70年以上決められないでいる。それどころか、それについて議論さえ行われていない。

閑話休題:

どうして役人は変更を「改正」と呼ぶのか?この法律の変更が”改正”が”改悪”かどうか俺は知らないし、興味もない。俺のいた会社も含め、官僚的な組織は変える事=改正と言いたがる。役人のやることは間違いがない(無誤謬だ)と言う事か?違和感を感じる。「人間は必ず間違えるから、間違えたらすぐ変える」の方がいいだろう。原発安全神話もここから出た。

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