マーク・ゲイン著「ニッポン日記」より⑥米ソ情報戦
1946年5月15日
今回の論争の焦点は、メーデーの大会後マッカーサー元帥及び対日理事会に対して提出された、日本人たちからの嘆願書だった。その嘆願書は、いくつかの不満を詳細に訴え、その矯正方を懇請したものだった。デレヴィヤンコ中将は、これに対し総司令部はいかなる措置を取ったかと質問した。アチソン対日理事会議長はこれに対して答えた「この嘆願書を翻訳した係は、この原文はまず外国語で書かれ、それから日本語に翻訳されたものだと信じている。・・・米合衆国は、その本国においても、日本においても、共産主義に味方するものではないが、そのいずれの国においても共産党が発展し組織することは自由である。個人的な見解だが、この文書は共産党の宣伝のまぎれもない特徴を含んでいると私は信じる」デレヴィヤンコは明らかにたじろいだ。彼は政治顧問と耳打ちしていたが、とうとうこう言った。「私は議長の発言を注意深く聞いていたが、議長の言われたことと、いまわれわれの審議すべき問題との間に、いかなる関連があるのか了解に苦しむ。」彼はこの嘆願書はメーデーに参加した人々によって提出されたもので、「それを共産党の宣伝だという口実で無視するのはデモクラチックじゃない」と主張した。(略)アチソンはデレヴィヤンコ中将をにらみつけ、中将は顔を真っ赤にした。これは大ニュースだった。日本の不安の背後にはソ連がいるという最初の公式の攻撃であり、日本人から出たものと信じられている文書が、実はソ連の一機関によって書き上げられ、それから日本語に訳されたものだと公然と攻撃されたのだった。
(略)この種の文書を翻訳する正規の担当機関は、東京には1か所しかなかった。ATISだけである。コクレンと私はさっそく騒々しいATISの事務所に飛んで行って、その幹部将校の一人に会った。彼は名前を公表しないと約束した上で、こう語った。「その文書を持ってきた連中はこう言った。『日本人から提出された文書なのだが、これがロシア語からの翻訳かも知れないという可能性があるかしら』われわれは慎重にそれを検討した。そしてこう答えた。『全然そんな形跡はない。日本の新憲法は明瞭な翻訳文書で、日本の高等学校の生徒だって、それが英語からの翻訳だということは分かる。しかし、この嘆願書はそうじゃない。立派な固有の日本語だ』と」
閑話休題:
アメリカがトランプ時代、ファーウェイについて「中国が他国の情報を盗む道具になっている」と警戒し、締め出したことを思い出す。アメリカは自分は必ず他国の情報を盗み、監視し、操作する。そして同じことを必ず他国もする、と決めつける・・・誇大妄想のケースが多いのではないか?臆病とも言える。
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