マーク・ゲイン著「ニッポン日記」より⑦逆コース
1946年5月27日
言論の自由とは、経営者がその編成方針を決定することで、その新聞の編集方針に賛成しない男は、何か他の商売を探せばいいんだという議論は、アメリカ本国の読者たちには別に何の不思議もないことは、私も承知している。しかしこれは今日の日本を理解し、もしくは曲解するうえでは恐ろしい事なのである。これがアメリカでのやり方だという単純きわまる説明で、全く信じがたいことが日本で、また日本に対して行われているのである。今日の日本は、アメリカとは似ても似つかない。日本は排外主義の色々な機関や道具立てが依然として手をつけられずに、そのまま残っている未改革の侵略国家である。われわれは建設的な計画に乗り出す前に、まだまだ破壊しなければならない。われわれは真珠湾で沈没させられた何艘かの老朽戦艦の復讐をするために戦争をしたのではなく、日本が再び戦争を繰り返さないように、日本を作り変えるという、はるかに重大な目的のために戦争をしたんだということを、あまりにも多くのアメリカ人が忘れてしまっている。もっとも確かなことだが、我々の目的の一つは真に民主的な新聞を作る事でなければならない。アメリカン・デモクラシイの呪文をたくみに口真似するようなのではない新聞を。それは民衆の必要、要求、渇望を代表する新聞でなければならない。・・・時代遅れの政府に対する民衆の軽蔑、配給の改善や家族に少なくとも1日2回は十分な食事を与えうる賃金に対する要求、改革への渇望を・・・しかも、旧勢力とその家来どもがまだ新聞の支配に帰って来ている。このあいだ、私は日本の最大の新聞である朝日新聞の編集者に、戦犯として追放された同社の幹部たちはどうしているかを聞いてみた。「いや、階上にいますよ」と彼は答えた。「階上にいる?いったい何のことです?皆辞めたんでしょう?」「辞めさせる事なんてできませんよ。この新聞はあの人たちのものなんです。連中は依然として俸給を受け取り、自分達だけの会議室を階上にもっています」朝日新聞内部の反逆的な従業員たち・・・組合に組織された・・・が、これらの戦犯たちを実際の仕事面から追出した。が「自由な経営」「自由な言論」「アメリカでのやり方」というような概念によって、民間情報教育局を統括するダイク准将の言葉はこれらの連中をふたたび朝日の編集方針を独裁する地位に復帰せしめ、改革を提唱した記者たちに対しては勝手に気違いみたいな目つきをして、急進思想をふりまきながらどこへでも行くがよいと申渡すことができるようにしたのだ。(略)私が日本に到着したころは、ダイクの部下の若い将校たちや、日本の経済、労働ないしは行政を担当する将校たちと語り合うことは、一種爽快な感じを受けたものだった。彼らは、小作人に土地を与え、戦争犯罪者を政府から追放し、日本国民に人間の基本的自由を保証する尊敬すべきいくつかの指令を書き上げた。こういう理想家たちは一人ずつ姿を消していった。ある者は家族や生まれ故郷の匂いや音が恋しくなって帰った。失望から帰国したものもあった。無理矢理に追い返されるものすらあった。そしてその後釜には、より「信頼しうる」将校たちがすえられた。日本統治を文官の練達者の手に委ねようという議論は、今までもしきりに行われた。しかし米国で任用された文官はここへくれば、彼らをがっかりさせることには、佐官や将官の専制的支配の下におかれるのだ。「高級将校」たちが厳然と頑張るに及んで、改革の精神は死滅した。残されたのは華やかな修辞だけだった。日本人たちは、この変化に素早く気づいた。過日ある日本の出版業者は、その幹部を集めて、占領の初期には米軍は日本の政治・社会機構を完全に変革するつもりなのかと思ったが、今では「マッカーサー元帥は、共産主義との戦いに主力を尽くしていることがわかった」と語った。(略)ダイクの部下の二人の才気煥発な若い将校によって書き上げられた、あの壮大な農地改革指令は、いまだにさまよっている。(略)もう一つの主要な改革・・・財閥解体・・・は、難航を続けている。われわれは労働組合の組織を勧告する一連の指令を発した。そして、国民に政治的生活に関する直接かつ活発な関心を持つよう促した。そればかりでなく、実にもし日本国民がその旧秩序を覆滅するために力を用いることを欲すれならば、われわれはこれを傍観しようとまで言ったのだ。それなのに、労働組合が旧勢力の政府の退陣を要求するポスターをかざして街頭を行進すると、労働課は、組合は政治に関与すべきではないとの言明を発表してこれに干渉した。「米本国の組合のように、賃金と労働条件の問題だけにその活動を限定しろ!」しかしここは米国本国ではない。ここは革命さなかの国なのだ。そしてその革命そのものは、日本の封建的観念や体制を一掃するために、我々自身が意識的に奨励したものではなかったか。(略)「政治に強烈な関心を持つ一般人こそ、デモクラシイの最大の擁護者である」(略)ここには「来るべきロシアとの戦い」として知られる極めて不自然な強迫観念がある。(略)ロシアとの戦いが近いという想像によって、予定された改革を修正することが、のっぴきならないものとなってしまったようだ。われわれはもはや戦犯や独占業者や反動を追放しようとは望まない。追放は社会的緊張を産みだす。そしていかなる将軍も、その作戦基地における緊張状態は好まない。また、ソ連との戦争に心から協力しそうな人々や団体を追い払うことは、さらに望むところではない。(略)私たち新聞記者の大部分は、ここで目の当たりに見る色々なことを情けなく思っている。どんな観点から見ても、これは間違っている。将軍たちの予見が正しくて、われわれがロシアと戦わなければならなかったとしても。我々は間違った同盟者を選ぼうとしているのだ。敗戦によって目覚めた日本の社会勢力は、たとえデモクラシイの旗印に注意深く擬装されたものであっても、封建的な軍国主義的な超国家的な日本の再起を、静かに見守っているにはあまりに強力すぎる。旧勢力に味方するのは、ただ困難を招き寄せようとしているだけの話だ。しかも、もし戦争が起こらなかったら、われわれの誤りはさらに重大である。・・・なぜならば、われわれは、未改革の、実質的にはちっとも弱体化していない日本をそのまま保存しようとしているからだ。かくて、日本は15年後には再びアジアの癌になるだろう。
閑話休題:
著者は真珠湾攻撃はルーズベルトの罠だった、と言いたいようだ。
アメリカン・デモクラシイの呪文をたくみに口真似する・・・これは21世紀に入っても続いている。”デモクラシイ”の代わりに”大量生産大量消費””グローバリゼーション””新自由主義””株主資本主義””ポリティカルコレクトネス・コンプライアンス””ダイバーシティ””ジェンダーレス””SDGs””LGBT”・・・次から次へと流行る・・・金になる・・・やめられない。
米ソは直接的には戦わなかったが代理戦争はたくさんやった。日本はアジアの癌にはならなかったかもしれないが、迷惑をかけた国にちゃんと謝ることをしなかった(アメリカのおかげ?で謝罪させてもらえなかった)ので中国や韓国との間にはわだかまりが残る。同じ敗戦国のドイツはアメリカだけでなくソ連にも気を使わなければならなかったが、その苦労のおかげで、ちゃんと謝罪し、統合を果たし、今やEUの親分だ。
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