マーク・ゲイン著「ニッポン日記」より ②
1946年3月6日付けの日記(抜粋)を長々と引用する。この日記に嘘や間違いはないと思われ、以下のことが分かる。
①マッカーサーは天皇を戦犯として裁くつもりはなかった(占領政策に協力的な天皇を戦犯にすることは天皇に対する裏切りだと考えていた)
②憲法草案作りは2月上旬から始められ、2月29日には日本側に提示され、押付けられた
③アメリカ人が作った憲法を日本国民に強制することを「民主的」と呼ぶパラドックス。占領軍の誰もこのパラドックスを指摘しなかった。
④著者(アメリカ人記者)マーク・ゲインは「日本で地震が避けられないのと同じくらい再軍備も避けられないのは疑いようもないこと・・・にもかかわらず戦争放棄をうたった日本国憲法には欺瞞が内在する。そんな憲法は永続しない。」と考えた。
※上記③がアメリカ(アングロサクソン・ユダヤ)の他国支配/属国化の常とう手段で、法律や契約や条約で他国を縛り付け、支配しようとする。
上記④の欺瞞が日本の戦後政治の出発点。江藤淳さんが「ごっこ」と呼ぶ”戦後民主主義”の原点だ。著者はそんな欺瞞の憲法は永続しないと断じた・・・そろそろ廃止するなり、せいぜい部分的な改正をするなりしてもいいんだが・・・憲法が「日本の国民大衆の中から自然に発生」するなんてことはないのか?民主主義は「伝統にそぐわぬ全く非日本的なもの」ものか?なお、日本の再軍備は朝鮮戦争のため、アメリカ側の意向で始められた。(時の吉田首相は憲法を盾に再軍備に難色を示したと言われる)
以下、抜粋:
1月ほど前のある晩、マッカーサー司令部の民政局の首脳将校たちは、極秘のうちに日本の新しい憲法を起草するよう命ぜられた。第一ホテルの1室で開かれた非公式な会議で、新憲法の総括的な輪郭が描き出された。その翌朝、ホイットニー准将は部下を全部会議室に招集した。彼は、いとおごそかに言った。「紳士並びに淑女諸君、これはまさに歴史的な機会である。私は今、諸君に憲法制定会議の開会を宣する」マニラの弁護士出身のホイットニーは、(略)次のように言った。「現下日本におけるもっとも緊急の問題は憲法制定である。しかるに日本側によって準備された草案のすべては全く不満足なもので、総司令官は、今や自分が介入する必要があると感じられるにいたった。かくてわが民政局は、新憲法を起草すべき命を受けた。日本側のまったく意表を衝き、彼らが効果的な反抗を企てぬようにするため、極度の迅速と機密が要求される。(略)ここでホイットニーは、マッカーサー元帥が新憲法に期待する3原則を読み上げた。すなわち、
1 日本は戦争を永久に放棄し、軍備を廃し、再軍備しないことを誓うこと。
2 主権は国民に帰属せしめられ、天皇は国家の象徴と叙述されること。
3 貴族制度は廃止され、皇室財産は国家に帰属せしめられること。
(略)ある質問者はこういう質問をした。「第2点からみて、天皇は戦犯として裁判に附せられることはないと思うが?」民政局次長で、もと財務省顧問のケイディス大佐は、その推測に同意すると答えた。ケイディスの見解によると、占領に対する心底からの協力によって天皇は、すでに彼の過去の過ちのすべてを償ったと、マッカーサー元帥は考えているということだった。(略)初めは、この新憲法を10日間で書き上げたい意向だった。ホイットニーは2月22日ーすなわちジョージ・ワシントンの誕生日に、新憲法が日本政府によって発表されることができるように、との希望を表記したものである。
ホイットニーの「憲法制定会議」開催当日、1章もしくは数章を分担して書き上げる各班が編成された。そして各班の班長が運営委員会を組織し、全体の仕事を調整することに決められた。アメリカおよびヨーロッパ諸国の憲法の熱狂的な勉強が始まった。(略)ケイディス大佐と海軍のアルフレッド・R・フッセイ・ジュニア司令官が前文を書く仕事を受け持った。戦争と軍備を放棄する条項の規定は、もともとマッカーサー元帥自身によって書かれたとみなせる十分な根拠がある。この仕事は2週間ですっかり片付いた。2月29日ホイットニー准将は。新憲法を日本側につきつけた。(略)松本博士、吉田外相、それから現在終戦連絡事務局次長をしている白洲という、ひょうたんなまずのようにつかまえどころのない人物の3人がいた。幣原首相と書記官長楢橋渡も、同席していたと信じられている。(略)日本側は、何とか妥協の余地を見出そうと情報を釣り出しにかかった。彼らは、アメリカ側の草案は彼らが今までに考慮したあらゆるものをはるかに超え、また伝統にそぐわぬ全く非日本的なものだと論難した。ホイットニーはきっぱりと、マッカーサー元帥はこの程度以下の案は、いかなるものも全然考慮に入れないと断言した。(略)このアメリカ製日本憲法は、それ自身悪い憲法ではない。日本の役人どもの不誠実にもかかわらず、それは人民に主権を賦与し、人民の自由を保障し、政府の行為を抑制する道を規定している。悪いのは・・・根本的に悪いのは・・・この憲法が日本の国民大衆の中から自然に発生したものではないということだ。それは日本政府につかませた外国製憲法で、そのうえ高等学校の生徒でさえちょっと読んだだけで外国製だということに感づくのに、国産品だと称して国民に提供されたのだ。さらにこの憲法で何より悪いのは、マッカーサー元帥自身書いたという軍議放棄に関する規定である。なぜなら、日本の新聞か日本歴史ちょっとでも読んだことがある人なら、占領が終わりさえすれば、日本が何らかの口実をもうけて軍隊を再建することはとうてい疑い得ないからである。日本で地震が避けられないのと同様に、これは不可避なことなのだ。かくてまさにその本質上、新憲法は欺瞞を生むものである。欺瞞の内在する憲法は断じて永続し得るものではない。(略)国民の喉元に突き付けられ強制されたどんな憲法でも、民主的なものでありうるという考え方に内在する矛盾に思いを巡らしたものは、明らかに一人もいなかった。
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