ローマ教皇と天皇とハプスブルク家
ローマ教皇と天皇は似て非なるもの。
①正統性の担保と賦与の役割:
教皇は、西暦800年にカール大帝に王冠を授け、皇帝としての権威、正統性を与えた。以降、ヨーロッパ大陸の中心だった神聖ローマ帝国では皇帝が交代するたびにローマ教皇が戴冠した。これはナポレオンが1804年、ローマ・カトリック教会に担保された正統性に逆らい、自分で王冠をかぶるまで続いた。
日本では、858年即位した清和天皇が9歳と幼かったことを理由に、祖父の藤原良房が皇族以外(臣民)で初めて摂政(=天皇の代役)となった。以来、天皇は、藤原家、平氏、源氏・・・といった臣民に摂政、関白、征夷大将軍などの正統な政治権力者の地位を授けた。
ローマ教皇は政治を主導することはなかった。平安時代以降、天皇が、時の政権を嫌って自ら親政を試みていずれも短期間で失敗したように、教皇もまた、時々短期間、政治的なことをした。
②権威の源泉・地位継承:
教皇:聖書にイエスが使徒ペトロに天国の鍵を授けた、とあり、それが教皇に引き継がれたものとされる。教皇が死ぬか辞職すると次の教皇が選挙で選ばれる。
天皇:天皇は天照大御神の子孫であり、現人神だ、と神話(=古事記、日本書紀)にある・・・藤原氏が天皇を神に祭り上げるために神話を作らせたという説も。地位は子孫に引き継がれる。死ぬ前に禅譲することもある・・・禅譲して上皇となって権勢をふるうことも・・・院政。
③最大の違い:
教皇は自ら政治を行う存在とは考えられていない。政教分離が根付いており、政治を行うもの/支配者に正統性を与えるだけ、という位置づけ。
天皇は、もともと豪族の一人として政権を争っていた。7~8世紀、藤原氏の、娘を天皇の嫁にし外戚となるという戦略が奏功し、9世紀には藤原氏は神様・天皇に代わって政治的支配権を握り、一方で天皇は藤原氏が神と持ち上げてくれたおかげでNo.1だけど権限移譲している、という格好を維持した。11~12世紀、藤原家の力が衰えても、天皇家は新興の平家、源氏の間を瓢箪ナマズのように渡り歩く後白河院のような役者が登場、滅亡の危機を免れた。その後も天皇は、何回かの危機を乗り越え、政治的支配者にお墨付きを与える地位を保ち続けている。(後醍醐のように、自ら政治をしようという天皇や明治天皇のように支配者に祭り上げられるケースはあったが、碌な結果にはならなかった)
後白河院のような存在を見るにつけ、ナポレオンが現れ神聖ローマ帝国がなくなっても存続したハプスブルク家と天皇家は似てると思う。近親婚、政略結婚が好きなところも似てる。近親婚が過ぎて、おかしな子ができるところも。ハプスブルク家は「民主主義」に負けて1918年オーストリア帝国から追い出された。天皇家は1945年日本が占領軍に「民主化」されても生き残った。本当の、日本国民自身による「民主化」が行われると、どうなるのか?次期天皇の御代(みよ)、21世紀後半には天皇家にも変化が起きるような気もするが・・・日本では天皇が政治的な変革のきっかけになることもあった。占領軍は日本にとってナポレオンだった?
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