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おでん

 安い大根を買う。おでんにする。 おでんの種は大根、じゃがいも、こんにゃく、ゆで卵、はんぺんで必要十分。あと、タコがもいいが、色が出るから他の種と別に仕込んだりして、手間がかかる。他には厚揚げくらいか? 上さんはもともと鍋物が「ずっと同じ味のものを食べ続けなくちゃあならない」という理由で好きでない。俺が上述の種を買って「おでんにする」と宣言した後、たまたま練り物のおでん種セットが半額で売っていたのでそれを種にすると。 大根とじゃがいもを保温鍋で下茹でする。 出汁はあご焼きの粉末に塩を加え、醤油少々。 忘れちゃいけないのは辛子だ。粉末のを水で溶く。 今回は大根をいくら煮ても硬かった。再度保温鍋に放り込んで明朝試すことにする。

新生姜!

Hint-Potより: こばやし なつみ という人の記事 新ショウガと呼ばれているものは、実は年中出回っているショウガと同じもの。収穫したてのものを新ショウガと呼び、収穫後に貯蔵されていたものをショウガもしくは根ショウガなどと呼び分けているのです。 ショウガは、春の終わりに種ショウガを植えつけ、根づくと青い茎と葉を伸ばして成長します。そして、葉の一部が黄味がかってくる9月から本格的に収穫をします。一般的に、夏に出回るものはハウス栽培されたものが多く、露地栽培のショウガは秋が収穫シーズンです。 >> そもそも新生姜と普通の生姜は別種と思っていた。 今日、スーパーで新生姜が売られていた。新生姜は春から夏が旬だと思っていたので季節外れのものだと思ったが、安いから買った。(300gで300円)さっそくガリにした。食べるのは来春以降だ。手を切らないよう慎重にスライサーでスライスして、熱湯をぶっかけて塩して熱いうちに素手で絞って熱いうちに甘酢につける。手は切らずに済んだ。毎度のことだが手のひらは軽いやけどに。後になって何となく手のひらの中央が痛いのも醍醐味だ。(プロのすし職人はやけどしないんだそう。)

衆院選挙結果

テレ朝・  「羽鳥慎一モーニングショー」で 田崎氏は今回の選挙結果を聞かれ「これは大変な事態になるんで」と切り出し「発足当初から少数与党政権でスタートになる。過半数に対し自公は18議席足りなくて、首相指名選挙は乗り切れても、予算案、法案はどこかの協力を得られなければ全部否決される。相当厳しい政権運営になる」と指摘。自民党は過半数を割ったものの、立憲民主党よりは議席は多いため、混乱などが生じる可能性を指摘していた。 と語った由。 政権運営なんて俺には全く興味ない。俺が興味あるのはメディアを含めた55年体制の延長線上の日本の政治のプラットフォームが変わる予兆が見られるかかどうかだ。テレ朝も田崎さんも、55年体制の延長線のプラットフォームが維持されないと飯の食い上げになるから政権運営くらいしか語れない。 山本夏彦さんによれば、「賄賂に文句を言う奴は自分が貰えないからだ」と言う。今回立民に投票したのは裏金をもらえなくて羨ましかったヤツだ。そういう国民の人気を争う民主主義って・・・ さて、NHKの「 衆議院選挙2024特設サイト」が俺の知りたいことを即座に教えてくれるのでこれで調べながら以下: 自公(与党)合計で215議席・・・そんなに悪くない。追加公認を含めて20議席を増やせば過半数だ。 どこも数字を出さないが、当選者数を立候補者数で割った「当選率」を計算してみる。      立候補者数  当選者数  当選率  当選者に占める比例当選者率 自民    342    191  56%   31% 公明     50     24  48%   83% 立民    237   148  62%    30% 維新    164    38  23%     39% 共産    236     8   3%   88% 国民     42    28  67%   61% れいわ    35     9  26%  100% 社民     17     1   6%    0% 参政     95     3   3%  100% みんな     6     0   0%    0% 保守     30     3  10%  100% 安死      2     0   0%    0% 諸派      7     0   0%    0%...

久しぶりに指を切った

 本日の夕飯は鶏南蛮そば。まず鶏モモ肉を一口大に切って皮目からフライパンで焼くのだが、肉の入ったポリ袋を切って鶏モモを取り出そうと、包丁で袋を切ろうとして包丁が滑って左手の人差し指を切った。ハサミで切るか、包丁で切るならまな板の上に載せればいいものを空中で包丁で袋を切ろうとした。 上さんに手当てしてもらう。幸い出血がすぐ止まり痛みもなかったので指サックして料理を続ける。 鶏モモを焼いたフライパンから鶏モモを取り出し、2,3cmに切った白ねぎを焼く。これに鶏モモを戻し入れ、めんつゆを加えて温めてつゆ完成。そばを茹でて水でさらし、冷たいそばを温かいつゆで喰う。うまい。焼いた白ねぎと鶏の組合せって誰が発明したんだろうか!? 料理でケガしたのは今年初めてではないか?人間、何か月に一回かはどうしてもこういうアクシデントに見舞われる。

ジョーカー議員 ホームページ をチェック

ジョーカー議員のホームページも読む。   政権与党を許すな とあるが、俺は与党だけが悪いんじゃなくて与野党、メディア全部が一体となって55年体制の延長戦をしてる、と思う。日本の政治、経済のプラットフォーム・パラダイムそのものをひっくり返さないとだめだろう。 地方議員は地元の支援を受けてたまたま当選しただけのことで、能力的には、学歴も低く、仕事もできない、民間企業だと通用しないような能力の人が多いです。もうそんな議員を支持するのはやめてください。 と言うが、学歴による差別は俺は好かない。様々な学歴・能力の人が集まって仕事するから面白いんじゃあないのか?「高学歴者ばかり集めたって、せいぜいまじめに仕事するのは2割くらい」だろう。肝心なのは地方議員をあこがれの職業にすることだろう。そうなれば自然と有為な人が競って議員になろうとするだろう。 敵基地攻撃能力を持つこと、防衛費をより上げることなどで真の独立国家として自衛できる体制を整える必要があると考えています とあるが、それだけでは足りない。自衛隊員があこがれの職業となり、多くの有意の若者が自衛隊員を目指すようにしなければ・・・(逆に言えば募集しても定員割れの現状では自衛隊員の質がどんどん落ちていることを危惧する) 外国人は日本人よりも生活保護支給を受ける割合が多いが、そもそも外国人への生活保護支給制度は法律上の明確な根拠がありません。生活保護法第1条により、外国人は法の適用対象となりません。憲法第25条を受けた生活保護法第1条では、「全ての国民に対し、…その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする」と定めており ・・・と指摘。日本国民でない日本国居住者に生活保護するのは違法だ、と言う指摘は素晴らしいと思う。ジョーカーの「日本人よ、法律を守れ(法律を守れない日本人には法治とか民主なんて無理だ!)」という気持ちは俺と全く同様だ。 天皇の皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承 べきであり、これを守ることに 賛成 です。 として、その理由を この例を見ない何千年も受け継いできた天然記念物のような染色体Yが失われることになるのです。 とするのには違和感。男系以前に、万世一系の天皇家はフィクションだ。それでも長く続く家系を重んじる日本人独特の”万世一系”は十分天然記念物的、世界遺産的だ。男系で確実...

ジョーカー議員衆院選

Xを見ると、 都知事選と違って大真面目に演説してる。化粧もしないで。思わず「がんばれ」と言いたくなるかわいらしさ。 「外国人問題解決」をうたって日本保守党*から衆院選に立候補した。彼が「左翼団体しばき隊」と呼ぶ、外国人差別反対を主張をする人たちと口論する動画が数多く登場。外国人を怖がったり嫌がったりしてる人が一定数いることは事実で、そういう人が応援する。一方「しばき隊」の皆さんは外国人を怖がったり嫌がったりするのはいわれのない差別だ、と言う。画面を見る限りではどちらが正しいのか分からない。ジョーカーは相手を論破できない。口下手だ。そこがまたいい。 しばき隊の面々は一体、どういう人なのか?中国共産党あたりから金をもらって日本の治安を悪くしようという活動をしてるのか?どこかの政党・団体に属しているのか?全くのボランティアとは思えない。歩いて演説するジョーカーにからんで難癖をつける。氏素性を知りたい、と強く思う。ジョーカーは立候補してるから一応氏素性を明らかにしているが、こいつらは何者なのだろうか?非常に気持ちが悪い。 こいつらみたいな難癖に対抗すべく、翼の党が対立候補に質問・議論と称して質問をして追いかけたんだろう。 *日本保守党って3つある。有名なのは百田保守党だが、石濱保守党、山下保守党もある。ジョーカーが立候補したのは石濱保守党だ。 閑話休題: 都知事選の時の政見放送をYouTubeで見返すと町田は神奈川県に八王子は山梨県にとか、港区と足立区は名前を取り換えろとか、思わず笑っちゃうことを言っていた。

検察を守らなければ・・・

上司からレイプされた女性検事が涙ながらに語った心境(関西テレビより):  女性として、妻として、母としての私の尊厳、そして検事として尊厳を踏みにじられ、身も心もボロボロにされ、それでもすぐに被害申告できなかったのは、被告人から『公にすれば死ぬ』、検察が機能しなくなる、検察職員に迷惑がかかると脅され、口止めをされ、たくさんの職員に迷惑をかけられない検察を守らなければな(らな)いと思ったからです。 >>まず、訴え出た被害者の女性検事の勇気に敬意を表する。 上述の上司のセリフは 、よく警察のドラマでも使われる「組織を守るため・・・云々」だ。警察とか検察といった「悪をくじく」ことを職責とする組織にはありがちなことなのか?自分たちの組織が一時的にせよ働かないとその間、悪がはびこる・・・と考えるのか。もし警察官や検事がそう思い込むのだとすれば、洗脳が行われている、もしくは、そう強く思い込む者が警察官や検事になっている、という事か?被害者の女性検事の年齢は30代~40代と推定されるが、そんな若い人でも自分の組織を守らねばならない、という強迫観念を持っていたのか??? 日本において変革・革命が起きたのはトップが自己(の組織を)否定したとき、と考える俺は、「組織とは寿命が来て腐ると、トップが自己否定して朽ち果てて変革が起こる」と考える。上述の口止めした検事、口止めされた部下は短期的には、また、狭い意味では正しかったのかもしれない。しかし、トップが部下をレイプしておいて卑怯な口止めをするような組織は充分に腐っており、朽ち果てるべきものだ、と思う。 今の日本の問題は、検察に限らず、全ての組織が充分腐っているのに、朽ち果てないことだ。つまり、トップが自己否定せず、組織を守ろうとすることだ。自己否定はある意味、無責任に投げ出すということだ。過去の歴史では、徳川慶喜や昭和天皇が自己否定した瞬間、日本人はそれまで「徳川様」と言い、「天皇陛下万歳」と言っていたのを手のひらを返して「賊軍」と呼び、「マッカーサー万歳」と叫んだ。(情けない国民、節操のない国民と言えばその通りだ)そしてその後10年間やそこらは日本人は「頭を切り替えて」過去の否定、変革を行う。 さて、検事の組織にかぎらず、政治も官僚も会社も組織という組織が充分腐った日本で、そろそろ「トップの自己否定」があってもおかしくないのだが、...

”父の妻” ≠ ”母”

 父親は再婚で、先妻との間に子はなく彼女は亡くなった。そののち俺たちの母親と再婚、俺たち兄弟が生まれた。この亡くなった先妻は親父やおふくろ(実の母親)と一緒の墓に葬られている。このことは知っていた。 さて、父の先妻、父親、母親の三柱(三人分)の遺骨を新しく買い求めた納骨堂に改葬することになったが、改葬許可が必要となる。「改葬許可申請書」を書くのだが、一柱一枚必要とのことなので3枚書く。改葬される人の名前と続柄以外、埋葬場所やら死人の本籍地やら申請者の名前住所やらほとんど同じことを3回書く。俺は同じことを繰り返す単純作業は大の苦手で、段々疲れてきて2枚目3枚目ともなると時々間違える。 さて、上述の「父親の先妻」と俺の続柄はどう書くのか?ネットで「父の前妻 続柄」などと検索するが、分からない。仕方がないから以前電話で改葬手続きについて聞いた住民課・戸籍班の女性(おばさん、だと思う)に再び電話して聞く。「父親の先妻との続柄はどう言うのでしょうか?」と聞くと「あなたから見れば『父の妻』、その方から見れば『夫の子』です」と即答。この冷たく事務的な答え方に「さすが、プロ」と感心した。思わず、「父の妻だからって、母親とは限らないんですねえ」なんて言おうとしたがそんな軽口を許さない言い方であった。

政見放送で嘘をつく

政権を取ることはもちろん、議員数を増やすこともあきらめ、その代わり、 昔からの主張を変えようとしない社民党に注目している。嫌いじゃあない。かつて党首(当時”社会党”と言った)の村山富市さんが「自衛隊違憲」と言っていたのに30年前に首相になった途端、「自衛隊合憲」と言い放った前科がある。それが万年野党だった社会党のメッキをはがし、党勢の凋落に拍車をかけた。 俺の見るところ、福島瑞穂はこの反省に立って「決してブレてはいけない」と決めたのではないか?その後、社民党は民主党政権で与党になり、瑞穂は大臣になったが、普天間飛行場 移設先について 「 最低でも県外移設」と言っていた 鳩山首相がアメリカに言われて考えを変えたの に抗議して大臣をやめた。俺は、この「政権・地位よりブレない事を大切にする」という頑なさが気に入っている。 その後も党勢はどんどん・ますます衰えたが、ごく一部の支持者に支えられてまだ社民党をやっている瑞穂の頑固な保守性はいいいと思う。また、こんな社民党でも支持する変わり者・物好きがいる、というのも日本の政治の多様性を感じさせ。なんとなくうれしい。 なお、瑞穂は大臣やってる間にお肌が汚くなって急激に顔から生気が失われたことを覚えている。この点、高市早苗と似ている。大臣をやるということは大きなストレスになるのだろうと思う。(その点、小泉進次郎などは大臣の仕事をストレスなく嬉々として楽しむように思われる) さて、NHKで政見放送を見た。瑞穂のお顔はずいぶん見やすくなった。候補者を何人出したのか知らないが、社民党が政権を取れないのは確実だ。にもかかわらず「3年間、社民党は消費税ゼロにします!」と断言する。これは明確な嘘だ。政権を取れない社民党に消費税を変えることができるはずがない。NHK(に限らず、放送メディア)はこんな明確でわかりやすいウソを放送していいのか?明確な嘘に対してはせめて、トランプが「移民はペットを喰ってる」と言ったら即座に「そんな事実は確認されてません」と否定的なコメントを出したABCのキャスターみたいに、言うだけは言わせても直後に「そんなことは不可能です」と指摘するくらいのコントロールはできないものか? 上さんによれば、共産党は「消費税を5%にします」と言ってるらしい。これも同様のウソだ。 俺は闇バイトなるものに手を染める者がいる(なんと年寄まで!)...

春風亭一之輔「柳田格之進」を聞く

 浪人の柳田格之進。碁会所である商家の主(あるじ)と知り合い、商家を訪れては碁を囲む仲になる。格之進が訪問して主と碁をやった夜、50両が紛失、商家の番頭は格之進に疑いをかける。主は格之進をかばって番頭に「馬鹿なことを言うんじゃない」と激怒し、「あの人はそんなことをする人ではない。なくなった50両は俺の小遣いにしたことにしてくれ」と言う。 主の格之進に対する友情・信頼を嫉妬し僻んだ番頭は、一人で格之進を訪問し、「紛失した50両は大金。奉行所に届け出る」と脅す。奉行所に届けられて家名に傷がつくのを恐れた格之進、切腹するつもりで番頭に翌日50両取りに来るように言い渡す。話を聞いていた娘が吉原に身を売って得た50両を翌日番頭に渡し、「もし50両が他所から出たら番頭と主の首を取る」、という約束をする。 その年の大掃除の時、商家の主が置き忘れていた50両が出て来る。一方、格之進は職を得て裕福になり、娘を請け出していた。格之進に巡り合った番頭が正直に50両見つかったと告げ、翌日格之進は商家を訪ねる。番頭から話を聞いた主は番頭に用事を言いつけ外出するようにさせ、訪れてきた格之進に、「50両取りに行かせたのは自分のはからいである、番頭に罪はないから首を取るなら自分の首だけにしてくれ」と頼む。隠れて話を聞いていた番頭が飛び出してきて、「あなたをかばう主を裏切り、嫉妬に駆られて50両取りに行った。主の命は助けて欲しい」、と頼む。主従の情に心を動かされた格之進はふたりの首の代わりに碁盤を真っ二つに切る・・・。 ①嫉妬にかられ格之進を追求し脅す番頭の卑しさ ②娘の自己犠牲 ③ばったり出会った格之進に正直に告白する番頭の正直 ④かばい合う主従とハッピーエンド 出来過ぎた予定調和的ストーリーなのだが、聞くものを心地よくする人情噺だ。 閑話休題: 主人公の意地のために必要となった金を工面すべく、孝行娘が自ら吉原の身を売るというのは文七元結と同じ。そしてその対価が50両というのも同じ。商家で50両が行方不明になるのも同じ。

クリーンな政治を・・・

 自民党の候補者が宣伝カーで「クリーンな政治を心掛けてきました」だと。「馬鹿野郎、『心掛けてきた』ってクリーンじゃなかった、ってことだろう」と突っ込むが、笑えていいと思う。俺たち夫婦は裏金なんてどうでもよい。政治家は少々金に汚くても国民のためにいい仕事をしてくれればいい。裏金が脱税と言うなら3倍のペナルティを付けて納税して、「ハイ終わり!」にしてほしい。 そういう国民が多いのでないか?つまり裏金はけしからん、だから立憲民主党に任せよう、なんていう人は多くないのではないか?裏金もアベノマスクの発注も、たしかにスキャンダルだし、突っつきどころ満載で面白いが、いくら突っついても日本の政治はよくならない。既存の与野党とメディアのループの中で「けしからん」とか「すみません」とかやってても何も変わらない。 暇に任せて政見放送を見るが、立憲民主党の野田さん、「裏金と世襲はいけません」じゃああんまり票は取れないぜ。共産党の党首のおばさん(名前忘れた)の「裏金を暴いたのは『新聞 アカハタです』」じゃあ今までの支持者以外はソッポを向く。 裏金も世襲もそれ自体は悪くはない。何がどう悪いのか明確にしてほしい。(といっても悪いってことは立証できない) そこへ行くと、参政党はよい。政見放送の時に流す映像も新しい感じだ。裏金のことなんて一切言わない。今回の投票は小選挙区は自民党、比例区は参政党としよう。

Bud Shankっていいなあ!

 Bud Shank Quartet with Bob Cooper-Jazz at Cal Tech(1956年、Pacific Jazz)を聞く。ピアのClaude Williamsonはあまりいいと思えない。(ライブ録音だからピアノの音がちゃんと拾えなかった?逆にChuck Floresのドラムの音が大きすぎてダサい。) Bud Shankは素晴らしい。Art Pepperと比べてどこがどう違うんだろう?と考えたりするがうまく言葉にならない。Pepperの方が茶目っ気というか、洒落がきついかな?Shankはヤクをやってなかったから?それにいしても絶好調。モソモソとした音。 Bob CooperのLester Young風の演奏は感心しない。ただし、How long has this been going on?からTea for twoになだれ込むソロはいい。 Shankの曲紹介の声が聞こえるのもライブらしくっていい。結構間抜けな声だけど。 面白かったのは、The nearness of you。Shankはフルート、Cooperはオーボエ。曲調ともあって二人のハーモニー、コンビネーションがよい。 しかし、こんな演奏を生できけたなんて、Cal Techの学生はラッキーだった、

カメルーン真希とミートボール向井って・・・

 今年1月放送のNHK BS the Covers 薬師丸ひろ子を見る。「潮騒のメモリー」の歌伴のグループが気になった。Vla(ビオラ)がカメルーン真希さん、Vc(チェロ)はミートボール向井さんだ。この二人の名前、どう見たってカルメン・マキとチョコボール向井のパクリだ。こういうセンス大好きだ。しかし、「元祖」のカルメン・マキさんとチョコボール向井さんの了承は得ているんだろうか?法的には勝手にこんなことしてもお構いなしなのか? カメルーン真希さんは、ジェイジーブラット サウンドオブトキョーというサイトによれば: 東京芸大卒のバイオリン弾きだ。(写真も出ていてきれいな人)悪い癖で年齢を知りたいと思うが、不明。 ミートボールさんについては、情報なし。 このネーミング、「芸大まで出て歌伴かよ」という自虐の意味か?それとも単に面白いからそうしてるのか???

enshittification

AERA  2024年10月21日号に以下:   英国在住の作家・コラムニスト、ブレイディみかこさんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、生活者の視点から切り込みます。 *  *  *  発足したばかりの石破内閣の支持率が早くも低迷しているそうだ。7月に選挙で大勝した英国のスターマー政権の支持率も大幅に下がっている。もはやハネムーン・ピリオドなどというものは存在しない。新首相の支持率が落ちるスピードは、どんどん速まっている。ニュー・ステイツマン誌によれば、現在、西側諸国には人気のある首相や大統領はほとんど存在せず、アイルランドやオランダといった少数の例外を除けば、純支持率はみなマイナスの数字である。 英国で「チェンジ」を連呼して政権についた首相が、有権者を失望させ嫌われる様子を見ていると、思い出す言葉がある。SF作家のコリイ・ドクトロウが提唱した「enshittification(エンシティフィケーション)」だ。en~(~にする)+shit(クソ)を核とするこの言葉は「メタクソ化」とも訳され、テック業界関連の英語記事でよく目にする。オンラインのプラットフォームは、最初はユーザーにとっての価値を考えて作られるが、ユーザーの囲い込みに成功するとスポンサーなど企業顧客にとっての価値を優先するようになり、最終的には株主の利益を上げるために運営されるようになって、サービスが改悪されてどんどん使いにくいものになっていくという意味だ。FacebookやTwitterやアマゾンなど、巨大化したプラットフォームはすべてこの過程を辿ることから逃れられなかったという。  政治の劣化もそれに似てやしないだろうか。ユーザー(人々)にとっての価値や使いやすさが最優先のはずなのに、関連企業やメディアや政治家たちにとっての価値を優先させ、その利害を調整することが政治と呼ばれるようになった。結果、人々にとってはメタクソ化が進み、誰が政権を取ろうと同じような状況になるのではないか。  メタクソ化の解決策の一つは、 エンドツーエンド(通信を行う利用者間)原理を強化して、アルゴリズムや広告が間にごちゃごちゃ入ってこないようにすること だという。政治に置き換えれば、「人々のために政治を行う」になるだろうか。理想論かもしれないが、メタクソ化が進めばやがて死に至るそうだ。なん...

West Coast Jazzの黄金期

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 Wikipediaによると、ロサンジェルスの Hermosa BeachにLighthouseというクラブがあった。 1948年オーナーが代わり、ポリネシアンスタイルのクラブだったLighthouseはジャズクラブになった。翌1949年、Howard Rumseyというベーシストがこのクラブに居つき、Lghthouse AllーStarsと呼ばれるジャズバンドを始めた。何回かメンバーは入れ替わったが、1950年代のWest Coast Jazzを代表するバンドだったし、また、Art Pepper,Shorty Rogers,Chet Baker,Bob Cooper,Jimmy Giuffre,Shelly Manne,Hampton Hawes,Bud Shank,Claude Williamson,Bill Holman,Stu Williamson,Stan Levey,Frank Rosolino,Bob Eneveldsen,・・・といった一流ミュジシャンが在籍し、バンドとしてもすぐれたレコードを残したし、また、メンバーが独立して何人かでグループを作って素晴らしい演奏を残した。これら一連のレコーディングを担当したのがContemporary Recordsだった。 ただし、Howard Rumsey自身はソロを取るわけでもなし、いるかいないか分からないベーシストだった。 Lghthouse All-Starsのレコードの中から、内容でなく、ジャケットの秀逸さで選べばLight House at Lagunaが一番だろう。1955年録音。こういうジャケットが流行ったし、俺も好きだ。 そして、Lghthouse All-Starsでよくソロを取っていたBob Cooperの面白ジャケットアルバム。(アルバムタイトル:Coop!)これは1990年頃まで日本では発売にならなかった。俺はアメリカ発売のオリジナル盤を持っていた。これを見た俺は、迷わずジャケ買いし、壁に飾った。(唇をOの字にした女の後ろの胡散臭い顔した男がBob Cooperだ)今、改めて聞いたが、やっぱり演奏はパッとしない。Bob Cooperはサイドマンとしてなら結構いい演奏を残しているが、リーダーアルバムとなるとからっきしダメだ。そういうミュージシャンているね。こちらは、1958年リリー...

久しぶりに無政府主義という言葉を・・・

我が三浦瑠璃さんが、自衛隊を差別する (頭が数十年前のままの)市民団体を攻撃したが、そこで「無政府主義者じゃああるまいし」と言う言い方をした。 無政府主義(アナキズム)をWiki ると、: アナキズム ( 英 :  anarchism 、 仏 :  anarchisme 、 露 :  анархизм 、 アナーキズム とも)は、 国家 や 宗教 など一切の政治的 権威 と 権力 を否定し、 自由 な諸個人の合意のもとに個人の自由が重視される 社会 を運営していくことを理想とする思想 確かに1970年代1980年代の日本の左翼ってアナキズムだった。日本もアメリカも否定してたけど面白いことに、ソ連や中国は大好きだった。彼らの自由は、不自由を忍びながら働く人々の上に乗っかった「ごっこ」であった。野党も自民党に国の運営を任せて自分たちはただ自民党の悪口を言うだけであった。 米軍や自衛隊に守ってもらっておいて、反米を言い、自衛隊差別をする。瑠璃さんの「無政府主義者」にこめた意味は「不自由な思いをして働く人たちのおかげで自由とかなんとかほざいてる甘えん坊」だろう。 どんな嘘でもバカな言いがかりでも大声で叫べば邪魔だ。気に障る。情報戦だ。日本人は嘘やバカなことを大きな声で言うのは不得意だ。羞恥心が先に立つ。 瑠璃さんは、羞恥心を保ちつつ、冷静にこの情報戦に挑んでいる。 しかし、こんなことを言い続ける「市民団体」ってどこから資金が出てるんだろうか?共産党、社会党??いやいや、さすがに今ごろこんなのにカネは出さないか?外国人が資金提供してる、と考えると辻褄は合う。

スペアリブ

 料理番組で「スペアリブの甘酢餡」を見る。うまそうだ。 スペアリブは好きだ。安く売ってるのを買って来て保温鍋で骨から剥がれるくらいまで煮るとうまい。この煮たのをそのまま黒酢をつけて喰うか、酢豚にするかはたまた回鍋肉にするか。 スペアリブの甘酢餡を作ろうか、とマイクロソフトエッジで「スペアリブの甘酢餡」と検索。意外だったのは、紹介されているレシピの数が豚のスペアリブより鶏のスペアリブの方が多かったことだ。俺の知る限り、スペアリブと言えば豚だ。確かに最近、鳥の手羽付近の肉をスペアリブと称してスーパーで売っているのは見かけるが俺に言わせれば「ん?なにこれ」という感じだった。しかし、この検索結果からすれば、今やスペアリブと言えば鶏のことらしい。

久しぶりにニンニクねぎチャーハンを食す

 新米が高くなったので、安い古米?を買ったが、あまりうまくない。上さんによればパサつくんだそうだ。俺は「米音痴」で、カリフォルニア米だろうが、豪州米だろうが、おいしくいただく。(さすがに、最近”ジャスミン米”などと呼ばれる、タイ米は独特の匂い・臭み・パサパサ具合が苦手だ) その、おいしくないご飯が残ったのを冷凍してある。たまたまスーパーでチャーシューを買ったのが余っていたので、久しぶりにチャーハンを作ろうと思いつく。 まず、にんにくとねぎ(白いところより青いところがいいように思う)をみじん切り。 中華鍋に油を熱し、卵を炒める。炒めると言っても卵投入後、数十秒放っておいて周りがチリチリしてきたら天地をひっくり返す感じ。生っぽさが残っていてもよい。これを鍋から取り出しておく。 冷凍ご飯をチンして少し冷たいくらいになるまで加熱する。卵を出した鍋にご飯と刻んだチャーシューを入れて炒める。しょうゆ、オイスターソース、うま味調味料を入れてはしでかき回しつつ数十秒間炒めて、最後にみじん切りしたニンニク、ねぎを投入。これまた数十秒。 俺は鍋を「煽らない」。へたくそだから、鍋からこぼす・・・それがもったいない。はしで掻きまわすだけだ。

三浦瑠璃さん、そろそろ本格復帰?

旦那のスキャンダル、離婚でダメ女扱いだった瑠璃様が段々復帰して来た。  東スポに以下: 国際政治学者の三浦瑠麗氏が15日「X」(旧ツイッター)を更新。自衛隊コンサートに中学生が参加したことについて市民団体が猛抗議した問題に言及した。 広島県廿日市市で9月に開かれた「自衛隊ふれあいコンサート」に市内の中学校の吹奏楽部が参加。これに対し複数の市民団体が「 無防備な中学生を実力組織に取り込む」 機会になっていると指摘し抗議した。コンサートは広島県の海田市駐屯地に所属する陸上自衛隊第13音楽隊と廿日市の中学校の吹奏楽部がコラボ。平成30年から始まり、今回で5回目となる。 この問題に三浦氏は「各国では軍のマーチバンドに子どもが触れ合ったり集団で鑑賞するなんて当たり前のことで、こうした抗議は自衛官に対する身分差別、職業差別もいいところです」と市民団体の抗議を疑問視。(略) 各国との信頼醸成や文民統制のためのさまざまな交流は当然に必要なことで、それこそが『市民社会』が目指すべき形です。無政府主義者なら別ですが、軍を持ちながら身分差別をして社会から遠ざけることは、シビリアンコントロールへの逆行であり、民主国家の根幹を揺るがす態度にほかなりません」と持論を展開している。 >>おいおい、「 無防備な中学生を実力組織に取り込む」 って4,50年前元気だった学生運動や組合の皆さんの言いぐさだ。瑠璃さんは、そこを馬鹿にせず、冷静に自衛官を差別するな、という。だけど、何十年前の左翼思想の持ち主は自衛隊違憲論だから、「軍を持ちながら」なんて言われると、「日本は軍隊をもってはならない」と反論するだろう。 閑話休題: 瑠璃さん、自衛隊は合憲だと思っているのか?俺は 4,50年の共産党・社会党がそうだったように自衛隊違憲論だ。ただし、独力で実力を発揮できるような実践経験も訓練も不足しているから、無防備な中学生を取り込むようなことはできない。そんなだらしない自衛隊でもやはり違憲だと思う。 瑠璃さんはシビリアンコントロールが民主国家の根幹、というが、俺は民主主義の根幹は憲法を愚直に守ることだと思う。

パワハラ防止、落語界も急務 弟子が師匠を提訴、一部認める判決確定

 朝日新聞デジタルに以下: >>Workeism、ここに極まれり、だ。これをきっかけにお笑い界ではパワハラセクハラ騒ぎが盛り上がるだろう。俺はいつもと同様「俺が現役時代の時のことじゃなくてよかった」と思い、日本でもそろそろトランプやイーロンマスクみたいに反Workeismをでかい声で訴える人が出てこないか???と願うだけだ。 >>パワーハラスメントを受けたとして、ある若手落語家が、師匠に損害賠償を求める訴訟を起こした。裁判所は一部の行為をパワハラと認め、9月に判決が確定した。落語界では「師匠に理不尽なことをされても我慢するのが当然」という風潮があったが、2人が所属する落語協会(落協)は再発防止のためのコンプライアンス研修などに乗り出している。  ■続いた「我慢」の風潮、移籍にも壁/講習会、相談窓口設置 協会は対応乗り出す  2022年10月。「三遊亭天歌」を名乗っていた吉原馬雀(ばじゃく)さん(42)は、師匠(当時)の三遊亭円歌さん(65)を相手取り、300万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。  馬雀さんは、10~22年に▽楽屋に不在だったとして頭を平手打ちされた▽着物が洗われていないとして暴力を振るわれた▽「視界に入るな」と激高された――などのパワハラを受けたと訴えた。  円歌さん側は、頭をたたいたり怒鳴ったりしたことはおおむね認めたものの、円歌さんが怒った理由や2人の関係性などを考えれば、賠償金の支払いを命じられるほどの不法行為とまではいえないなどと主張した。  今年1月の判決は、平手打ちといった暴力や暴言など、馬雀さんが訴えた内容の一部を、「社会的に許容される範囲を逸脱」しているなどとして、パワハラにあたると認定。円歌さんに80万円の支払いを命じた。落語界の師弟関係について「師匠の優越的立場を背景とする歴然たる上下関係」が存在しパワハラが生じる可能性をはらんでいるといえる、と指摘した。ほかの行為については具体的証拠がないなどとして違法性を認めなかった。  円歌さんは東京高裁に控訴。馬雀さんは付帯控訴し、6月に控訴審が始まった。だが9月1日付で円歌さんが控訴を取り下げ、裁判が終結した。弁護士は取材に「(円歌さんは)訴訟は弟子が起こしたもので、自分が原因となっていることに違いなく、これ以上裁判が長引き世間や落語協会に迷惑をかけたくないと考えた」と答え...

YOUは何画?

 上さんによれば、昨日占い師が出てくるTV番組があって、YOUから名前を改名すべきかどうか聞かれ、「五画だから改名する必要はない」と言った由。 アルファベットに「画」があるんだろうか?そう言われれば、なんとなくYは3画、O,Uはそれぞれ1画で合計五画のような気も。

小熊英二さん寄稿 有権者の想像力と意志が決める「よき統治」

朝日新聞デジタルに以下:   日本は65歳以上の労働参加率もOECD諸国のなかでは高い方だが、その4分の3は非正規雇用だ。つまり非正規雇用の地位が低いことが、女性の地位や高齢者の境遇、さらには人間の尊厳に関わる問題を引き起こしている。 >>小熊氏によれば、女性にしろ、高齢者にしろ、非正規(=低賃金)雇用が多いからダメなんだそう。そして低賃金=尊厳がなくるのだそう。<<  なぜそういう問題が生じたか。正規雇用が減ったからではない。実は統計上の正規雇用の数は1980年代とあまり違わない。大きく減ったのは自営業で働く人(自営業主と家族従業者)で、それと入れ替わるように非正規雇用が増えている  これは日本における「一人前と認められること」のあり方に関わる。なぜなら高度成長期以前の日本における「一人前」は、正社員になること以上に、自営開業することを意味していたからだ。 「善くある」の実感が困難な社会  20世紀半ばまでの日本では、公務員か大企業事務職でなければ、安定雇用や年功賃金は望みにくかった。他の多くの人は農家で働くか、親方の下で働きながら職人や商人として修業し、自分の店や工場を開業することを望んだ。  日本で雇用労働者の総数が自営業で働く人を超えたのは1959年である。それ以前は農業や商工業の自営業で働く人が過半を占めていた。また雇用労働者にも、自営開業までの修業期間か、兼業農家の家計補助だと考えている人が多く、賃金が低くても大きな問題としない傾向があった。日本の非正規労働者や中小企業労働者の低賃金はその時代の遺産である。  だが自営開業は80年代以降には衰退した。昔の製造業は中古旋盤一つでの開業も多かったが、21世紀にはIC制御の製造機械が必要になり、開業費用は億単位となった。90年代初頭までの地方圏には兼業農家が経営する零細工場が多く存在したが、アジア圏とのコスト競争に敗れ消えていった。そうして地域全体で回るお金が減ると商業自営業も減少し、地域の社会関係も薄れていく。80年代初頭までは農林自営業主の減少を非農林自営業主の増加が相殺していたが、以後は減少の一途だ。  代わって増えたのは非正規雇用だ。正規雇用は減っていないが、これは昔も今も全就業者(自営業部門含む)の半数強にすぎない。残り約45%は自営業と非正規で、そのなかで自営業が減少し非正規が増...

秋刀魚を喰った

 3匹400円の秋刀魚を300円で売っていたので思わず購入。貧弱な体つきなのはやむを得ない。 何年ぶりだろう。ここ数年間秋刀魚が高価になり、貧弱なヤツでも1匹100円をはるかに超えた値段。秋刀魚なんていう下魚は100円以上で買うもんじゃない、と信じている。今回はほとんど100円だから買った。 焼いて喰う。大根おろしと醤油。「まあ秋刀魚かな?」という食感と匂い。サイズも鰯を一回り大きくした感じ。「目黒の秋刀魚」でお屋敷に帰った殿さまが喰った「秋刀魚もどき」に近いか?一番物足りないのは油だ。焼かれてギトギトした油まみれになったヤツに大根と醤油をかけて・・・が醍醐味だ。この下品さが秋刀魚の命。下魚たる本領だ。 もう秋刀魚を喰うことはないかも。それとも一匹何百円も出して喰ってみるか?

Alternative Take

 ジャズレコードを聴く者にとってAlternative Takeとはおなじみのことだ。 どうだろう、俺が覚えてる限りでは、同じアルバムに1つの曲について2つや3つのTakeが収録されてるなんてことはそう珍しいことではない。 1年前に放送になったNHK SONGSを見てたら「いきものががり」はベストと思われるTakeを探し求めて何回もTakeを重ねるんだそうだ。 俺は「レコード」って、原意は「記録」なので、その時、そのスタジオに集まった人たちが行ったパフォーマンスを幾通りも録音して、それをジャズレコードのように、そのまま全部並べて提示し、聞いてもらう、というのもありだ、と思う。 記録好きなキリスト教徒は、レコードにはしっかり記録する。確かに別Takeの演奏を聴き比べても大差ない。だから勝手にディレクターが1つのTakeに絞ってレコードにはそれだけ載せてもらっても構わないのだが、一方で、その場で行われたパフォーマンスを全て記録として残す、というのもありかな、とも思う。ファンなら大差なくても全部のTakeを有難く味わうのもいい。

小野田紀美、太った?

小野田紀美の Facebookを見る。「高市新党」の予兆を感知するためだ。それっぽい投稿はなかったが、小野田さんが地元の運動会に「来賓」で行って、借物競争で走る姿が。トラック1周ほとんど走らされて、息が上がって、妹さんから突っ込まれてた。ちょっと太ったんじゃないかなあ???病気に関係あるのかな?油断するとどんどん太る年だぞ!

青木理、出てこいや!

  2020年8月31日朝日新聞デジタルに、以下: 政治が家業、危機が暴いた「三代目」の虚勢 青木理さん かつての三木武夫や田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘の「三角大福中」は、自らの力で権力をつかみました。次の安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一の「安竹宮」も、中二階の感じはあっても「これがしたい」という志を持っていた。それ以降の政界は世襲が当たり前の風景になり、緊張感もダイナミズムも志も失われた。安倍首相はそんな時代を象徴する政治家だったのかもしれません。 >>安倍以前の政治家と安倍の比較はさておこう。問題は、①世襲議員のどこが悪いのか?の解説がなく、②世襲議員(の悪さを)なくすにはどうすればいいのか?の提案がない事だ。つまり、日本の政治をよくするにはどうするの?を多分考えていないことだ。絶望しているのかもしれない。日本をよくしようというアイデアをメディアで語らない。(あるいは、日本を良くしようなんて提言をメディアは求めていない。) TBSの「サンモニ」は嫌いだから見ない。10年?くらい前から関口・張本の老醜も目に付いたし、コメンテーターのWokismも鼻につくようになった。劣等民族発言事件以降、青木がいつどうやって復帰するのか?だけを知りたくて見るが、俺の知る限り、膳場姐さんも、青木理について語らない。 テレ朝、TBSは青木他のコメンテーターを融通し合う。Wokeで気の利いたコメンテーターが少ないんだろう。テレ朝、TBSの致命的な共通点は政府・官僚・自民党を非難するだけで、「日本(の政治)をよくするにはこうしよう」、がないことだ。これが自民党や官僚が許す限度なんだ。下手に「日本の政治を良くするには・・・」なんて語ってもらっては困るんだ。まだ55年体制(与野党安泰体制)が続いているのだ。バカな自民党をもっとバカな野党が支える、という構図だ。 メディアに登場するのを自粛しなければならないなら、一層の事、マスメディアに出るのをやめて、SNSで「日本をよくするには」「世襲議員をなくすには」を語ってほしい。SNSで十分飯は食っていける。

ノーベル平和賞が日本被団協に与えられる

朝日新聞デジタルに以下:  「ノーモア・ヒバクシャ」の訴えを国内外で続けてきた被爆者たち。ノーベル委員会は、授賞理由で「たゆまぬ努力を続けてきた。次第に、核兵器の使用は道徳的に容認できないという強力な国際規範が形成されていった」と言及した。日本被団協事務局次長の和田征子さん(80)は会見で「核兵器を使わせないようにしたのは私たちは被爆者の証言、被爆者の運動だと思っている。だから核による抑止力ではなく、私たちがやってきたことこそが、運動こそが抑止力だと思っている」と話した。 >>屁理屈だろう。被団協の目的とするところは、第一に核廃絶だ。核使用の抑止ではない。被団協ができた1956年以降、核を持つ国は増えた。核兵器の数も増えたことだろう。活動の本来の目的は一切実現されていない。 閑話休題: 一方で、何故、ロシアにしろ、イスラエルにしろ、「何故核を使わないの?」という疑問が湧くが、その答えは分からない。本当に、道徳的な規範が抑止力になっているのか?俺にはとてもそうは信じられないが、そう信じるところがWOKEISMなのだろう。 COPILOTに「ロシアやイスラエルが核を使わない理由」を聞くと: ロシアやイスラエルが核兵器を使用しない理由は複雑で、多岐にわたります。まず、核兵器の使用は国際的な非難を招き、外交的な孤立を招く可能性が高いです。さらに、核兵器の使用は大規模な破壊と人命の損失をもたらし、その影響は長期にわたって続くため、倫理的にも非常に問題があります また、核兵器の使用は報復を招く可能性があり、結果として全面的な核戦争に発展するリスクがあります。これにより、両国ともに自国の安全を確保するために核兵器の使用を控える傾向があります >>これも理解不能。つまり、ロシアやイスラエルは、国際的な非難・孤立を招かない、と判断すれば核を使うのか?一回使ってみたら、「アメリカは原爆で戦争を早く終わらせた」みたいなご都合主義の解説が出てきて、意外に非難も孤立もしなくてすむかもしれないじゃあないか? そもそも、核兵器でなければ残忍な方法で殺人してもいいのか?国際法だか何だか知らないが、「戦争してもこれはやったらだめよ」ってのが分からない。むしろ、「一旦戦争すると決めたんなら、核だろうが、なんだろうが、使って徹底的におやりなさい。」ではないのか?「通常兵器なら戦争やってもOK」は...

俺が夢見なくなったのは?

 1980年代のバブル・慢心・驕りの反動で、1990年代の日本の会社員は茫然、失望、そして自虐に陥った。しかし、やりようによっては、復活できるかも・・・と一縷の望みも持っていた。2000年以降、終身雇用という”日本教・会社派”の教えが怪しくなった。一方同時に中国に追いつかれ、追い抜かれつつある、という感覚があった。 グローバリゼーションと言われる、安い調達先を求めて世界中を渡り歩く、という流行の中で俺は2001年から2009年頃にかけて中国に頻繁に出入りしたが、繊維・アパレルは2000年代に、重化学工業は2010年頃抜かれたと感じた。ちなみに最後に中国に行ったのは2018年だと思うが、「物的豊かさ」は2010年代後半に中国に抜かれたというのが俺の実感だ。 「中国に抜かれた」という感覚は1990年代の日本の会社員の茫然、失望、自虐を「絶望」に変えた。言い換えれば、中国に抜かれたその競争の土俵以外の土俵を見つけようとして見つけられなかった。 それとともに、夢を見なくなった。つまり、2010年~2015年の間に俺は夢を見なくった。年齢で言うと56歳~61歳の間に俺は夢を見なくなった。30年も40年もいた「会社」というものの復活をあきらめ、絶望した。 夢とは自分の出世と言うか、今でいうキャリアがどこまで行くか、という可能性に対する妄想でもある。こっちのほうの夢も50歳代後半に、現実を受け入れざるを得なくなった。 「まだ可能性がある」と思っているうちは夢がある。数ある可能性に一つ一つ蓋をするたびに夢がなくなっていく。年を取るってのは結構難しくって、どのタイミングで、「もうダメだから『蓋しよう』」と判断するのかが難しいし、個人差が大きい。俺は会社を辞めた瞬間にほとんど蓋してしまった。それが老人そしてリタイアした者の特権だ、と思っていた。「もう十分宮仕えしたから勘弁してくれ」だ。しかし、それは、夢のない老後を選んだ、という事だ。夢を持たずに生きるのは辛い。辛くなったら新しい可能性を見つけるか、一旦蓋した可能性の蓋を開けるか・・・ 閑話休題: 上海にある現地子会社の董事を何年間かやった。董事会は上海ガニの季節にやる、そして、上海から1時間くらい車を飛ばして行く「和風」なゴルフ場でゴルフする、というのがお定まりだった。 縁起物とはいえ、大してうまくもない一匹何千円もする上海ガ...

「文明の分岐点」迎えた世界、解決の鍵は 東大准教授・斎藤幸平さん

9月24日 朝日新聞デジタルより: (前略)  斎藤さんは、いまの世界を「文明の分岐点だ」と指摘する。  まず挙げるのが、「ダブルスタンダード(二重基準)」によって、民主主義や人権などの西洋的な思想が揺らいでいることだ。  ドイツが、ロシアに対してはウクライナ侵攻を非難し、ウクライナを支援する一方、パレスチナ自治区ガザに無差別攻撃しているイスラエルを非難せずに支持するような動きのことだ。 こうした姿勢が、欧州が重視してきた 持続可能性や多様性といった普遍的な理念に対しても、「結局、自分たちの利害や関心に沿う形で利用してきたのではないか」 という疑念を様々な形で生み出しているという。  地球規模の問題に対して世界が一致して取り組む基盤も失われつつあるとも考えている。  ドイツやフランスでは、極右政党の台頭が目立ち、分断が進む。インフレや移民など絶え間なく訪れる危機は、激しさを増す気候変動への対策にも水を差す。  世界の気温上昇を1.5度未満に抑える目標は風前のともしびだ。気候変動対策を求めて声を上げた若者たちには失望感も広がる。 多くの社会変革運動が壁にぶち当たっている。過激なことをやり続ければだんだん人は離れていくし、かといってあまりにメジャー路線に行けば変革にはつながらない。  世界が求心力を失い、ポリクライシスが進み、普遍的な理念は存在意義を問われている。根本的な解決策を得るための新たな思想を紡ぐことは可能なのか。  斎藤さんは「ヨーロッパ思想を研究してきた身としては結構難しい」としながら、「基本的には 脱成長 しかないと思っている」と言う。  今年8月から独ハンブルクにある民間研究所で、資本主義を超えた先にある未来を探る研究プロジェクトのリーダーを務めている。欧米の研究者とともに、脱成長をどう政策につなげていくか、脱成長社会への転換をどう考えるべきか、などについて研究を進めているという。  脱成長は日本ではほとんど受け入れられていないが、海外ではその思想的な重要性がだいぶ認められるようになったという。「 西洋中心の資本主義の考え方を正当化するための理念として機能してきた民主主義や経済成長を根本的に批判 しなければいけないというメッセージが、リアリティーを持つようになってきた」 >>ダブルスタンダードって、マルクスの言う、「矛盾」だろう。 欧...

ノーベル平和賞って、WOKISM?

  「平和賞」はノルウェー・ノーベル委員会が決めるのだそうだが、今年のノーベル平和賞が日本被団協に与えられる、と聞いて俺は「イグノーベル賞か?」と叫んだ。 今までもイグ・ノーベル級が多い。 国際連盟を創設:ウッドロー・ウィルソン・・・国際連盟は発足したが、アメリカを参加させることもできなかった。 国際連合憲章起草:コーデル・ハル・・・日本に真珠湾攻撃をけしかけたアメリカ側の交渉窓口 ベトナム戦争終結交渉:ヘンリー・キッシンジャー・・・アメリカにとってメリットのないベトナム戦争をやめようとしたのは事実だろうが、同時にソ連を孤立させようと中国に近づいた。何のことはない、今度は中国がソ連に代わって「大国」になり、アメリカと敵対。もっとも、アメリカはソ連の次は日本、日本の後は中国と「敵」を作っては揉める、ということを繰り返してきた。(ソ連と日本は叩き潰せたが、さて、中国は一筋縄ではいかないぞ) 非核三原則の提唱:佐藤栄作・・・これは本当にイグノーベルだ。アメリカは自由に核を持ち込んでいた。佐藤さんの遺族は、返上したんだろうか?「ノーベル真っ赤な嘘賞」なら価値はある。佐藤さんも「俺、この賞は辞退すべきか?」って悩んだんじゃないか?それとも、恥なんてものはかなぐり捨てないと、偉大な政治家にはなれないものか? 以上の例だけを見ると、ノーベル平和賞とは他の「理系」の賞と違い、その結果が何をもたらすのかはっきりしないうちに拙速に上げている。 特に好きなのは国際連盟、国際連合と言った戦争直後に蔓延した厭戦気分に乗っかった、こぎれいな国際協力の作りものだ。それから平和とか核兵器反対のすばらしい理想論・・・被団協も正しくそれ。被団協の皆さんは、歴代の受賞者をじっくり眺めて、それでも「うれしい」とお喜びか?原爆投下の遠因となった日米戦争をしかけたハルと同じ賞をもらえた、とお喜びか?佐藤栄作と並んだ、と言ってお喜びか?? 「アメリカに核持ち込みを自由にさせていた、大嘘つきの佐藤栄作が貰った賞なんてもらえるか!」くらい言う奴はいないのか?

ネギの端を袋の外に出したまま・・・

 八百屋をはしごするとする。時に、ネギを買って、その頭が袋の外に飛び出したまま別の店に入ることもある。このことを気にするかどうか?”昭和人”なら気にする。 他の野菜なら何とか誤魔化すことができるが、ネギばっかりは、隠しようがない

映画・陽のあたる教室(1995年)を見た

 話は1965年から始まる。主人公はバンドでは食えないのでJFK高校というの高校の音楽教師になる。 最初はプロの音楽家になれなかった、とい劣等感・挫折感もあって音楽教師に前向きに取り組めない。生徒もまじめに授業を受けない。教師らしいことを始めたのは学校のオーケストラでクラリネットをやってる女の子。うまく吹けない。居残り特訓をやるが、うまくできない。あきらめて、楽譜なんか見ないで目をつぶって吹いたらうまく吹けるように。(彼女は30年後に州知事になる) 次にドラムスをリズムに乗って叩けない男の子。この子にも居残り練習。うまく叩けるようになるが、卒業後、ベトナム戦争で死んでしまう。この子の葬式に、頭はいいが、授業中にヤクをやってラリてる問題児を連れて行く。死んだ子は「お前のように賢くなかったけど、努力をしてドラムスを叩けるようになった」と言う。 主人公は1965年当時、ジャズ界のカリスマだったJohn Coltraneを尊敬していた。男の子ができて、Coltraneと名付ける。その後、彼は耳が聞こえない、ということが判明する。父親と息子の仲はうまくいかない。父親は耳が聞こえない息子に絶望し、「音楽なんて分からない」と決めつける。手話もあまりうまくならない。それに反発する息子。 ベトナム反戦デモ、ジョン・レノン。ジョン・レノンは1980年に射殺される。ジョン・レノンが殺された日、息子に「お前にジョン・レノンなんて分からない」と言うが、息子は「教えてくれれば俺にも分かる。生徒ばっかり教えて俺には何も教えてくれない」と。(息子はこれを手話で訴え、奥さんの通訳で知るのだが) それから息子にも音楽を教えるように。 1990年代に入って新自由主義の波が高校にも及ぶ。経費削減のために音楽を含むいくつかの教科が廃止となり、この音楽教師も60歳で首になる。首を告げる校長に「芸術を教えなくなればまともな人間はできない」と捨て台詞。この音楽教師のサヨナラパーティーが行われ、州知事も出てきてオーケストラでクラリネットを吹く。頭はいいが、授業中にヤクをやってラリてた問題児も顔を出す。 ここで映画は終わり。 ベトナム戦争、反戦運動、ジョン・レノン射殺、新自由主義によるリストラ・・・アメリカの1965年から30年間の歴史が描かれる。退職後、主人公がどいう人生を歩んだのかについては一切描かれない...

きょうの料理「有元葉子の”おいしさ”をつくる下ごしらえ」

 NHKきょうの料理「有元葉子の”おいしさ”をつくる下ごしらえ」を見る。 下茹でしたじゃがいもを油で揚げてフライドポテトを作るのだが、 ①フライにしているうちにじゃがいもが軽くなる ②フライしているうちに音が変わる 有元先生は、要は、「五感で料理しろ」、とおっしゃる。 『何度で何分揚げる』のではない。 次いでキャベツのサラダの下ごしらえ・・・キャベツをちぎって水につけて、(かたいところは薄切りにして)30分ぐらいたったら、キャベツを握って「キュッキュッ」と言うまでつけろ、と。最初に握ったときの音に比べると、音が高くなる由。 「何度の水に何分つけろ」ではない。 有元葉子さんをWiki ると、VANヂャケットの企画をやって、三人子供を産んだら編集者から料理家に。1942年生まれ。上品で押しつけがましくなく、とても80過ぎには見えない。尊敬すべき料理の先生だ。おそらく、料理に限らず、生き方にも見習うべきところが多い人なのだろうと思う。1回、ジェンダーについてお話を聞いてみたい。

山田邦子!ジェンダー万歳

東スポに以下:   お笑いタレントの山田邦子が5日、「ドっとコネクト」(関西テレビ放送)に生出演し、出直し選挙に臨む前兵庫県知事・斎藤元彦氏について言及した。 斎藤氏の失職に伴う知事選挙は31日に告示、11月17日に投開票の日程で行われることになった。 早朝の駅前で有権者に向け「おはようございます」などと声をかけ、頭を深く下げるVTRを見た山田は「だんだん、 私なんか女だから か分かんないけど、かわいそうになってきちゃって。街頭の斎藤さん、頭下げて。『頑張ってくださいね』って声だけをみんなが拾って報道してんの?」と番組スタッフに確認し、続けて「そうでもないんでしょ。人気はあるんですよ」とコメントした。 それを受けて元宮崎県知事の東国原英夫氏は「30分くらいしか立たないよ、この人は。邦ちゃんが言ってるように主婦層は『かわいそうだね』って、そんな世論形成をしてるわけですよ。(テレビ局は)加担してるわけですよ」と指摘。 90度で頭を下げるVTRを見ながら山田は「見て、この頭の下げ具合!」とし、東国原氏は「このアングルで撮らせるか普通!」と舌戦を繰り広げていた。 >>山田邦子は偉いね。おっしゃる通り。男だから、女だから・・・それでいい。なぜ、この自然な感情がいけないのか、不公平なのか、分からない。男と女は違う、と言うのが何故こんなに難しいのか??? ちなみに俺は女じゃないが、斎藤元(彦)知事をみんなで引きずりおろすメディアも議会も大嫌いだから、元(彦)知事を応援する。

2023年8月放送のNHKスペシャル「いのち眠る海」を見る

 グアム島沖に沈んだ日本兵の遺骨収集の話。 日本政府は長年、海に沈んだ遺骨の収拾には消極的だった。近年ようやく国として遺骨収集を始め、遺骨の調査の様子をNHKも撮影。遺骨の映像を見た、戦死した兵士の弟が、兄かもしれない遺骨を見て、「うれしい」「悲しい」と言う。 日本教だ。兄かもしれない骨が見つかって「うれしい」…ちゃんと弔って成仏させてあげられるからうれしい。一方で死んだ姿を見ることになるから「悲しい」。 日本人にとって「死」とは「あの世に行く」こと。 それはご先祖さまという神様になる第一歩だから喜ぶべきこと。 しかし、もちろん、もう話すことも触る事もできなくなるのだから悲しいこと。

N党・斉藤健一郎が首相指名選挙で高市早苗に投票した

日刊スポーツに以下:   首相指名選挙が行われた1日の参院本会議で、自民党総裁の座を石破茂総裁(67)と争った高市早苗前経済安保相(63)と茂木敏充前幹事長(68)に1票ずつが投じられた。 尾辻秀久参院議長が参院(計242票)の投票結果を読み上げた際、石破氏に143票、立憲民主党の野田佳彦代表に45票、日本維新の会の馬場伸幸代表に21票、国民民主党の玉木雄一郎代表に12票、共産党の田村智子委員長に11票が投じられた。 これに続いて、国民民主党の伊藤孝恵参院議員、参院会派「沖縄の風」の伊波洋一参院議員、参政党の神谷宗幣参院議員の名前が読み上げられた後、高市氏と茂木氏も含めて、それぞれに1票が投じられたことが報告された。 会派「NHKから国民を守る党」の 斉藤健一郎 氏が高市氏に、浜田聡氏が茂木氏にそれそれ1票を投じた。 衆参両院の首相指名選挙ともに石破氏が首相に指名され、石破氏は正式に第102代内閣総理大臣に選出された。 >>斉藤健一郎に興味を持ち、調べたら、ホリエモンの運転手だったことが判明。その縁か、裏金問題について、N党・立花孝史がホリエモンに政治敷金規制法と税法とを絡めて解説する動画もある。なにより驚いたのは、ホリエモンが政経塾をやっていることだ。 税法上、「政治資金」なら無税。政治団体や派閥など受け取るのが個人でなければ「政治資金」と見なされ、パーティー券も無税。ただし、個人のために使われれば所得となって課税される。 無税の政治資金の透明化を図るのが政治資金規正法で、派閥からもらった金の出入りを帳簿に載せないのは明らかに政治資金規正法違反。 立花さんの解説では税法上、裏金を所得とし、納税すべきを脱税した、とは立証しがたい。国税も金額が何億、何千万なら動くが、何百万なら動かない。。。と極々理解しやすい解説。 俺は派閥が政治家一人一人にいくら配ったとか、政治家一人一人が何にいくら使ったのかなんて透明化する必要はないと思う。それより政党・派閥が誰からいくらもらっているか?だ。カネの使い道をいちいち詮索するのは野暮だ。それより誰からいくらもらってその見返りとしてどんな政策をしているのか?を詮索したい。 民主主義の聖地、アメリカでは、公然と賄賂がまかり通っている。献金の多いトランプはイーロンマスクに高いポジションを与えると堂々と事前に約束している。日本じゃあそ...

もし敗戦で天皇制が廃止されていたら…独歴史家から日本への「異言」朝日新聞デジタル

ドイツ誌の東京特派員も長く務めた歴史家のヴィーラント・ワーグナーさんへのインタビュー記事。ドイツ人による日本人論だ:    ――ドイツで昨年、「天皇の遺産 世界で最も神秘的な王家と日本の将来をめぐる葛藤」を刊行しました。天皇を切り口に日本社会を見ようという動機はどこから生じたのでしょう?  「独誌の東京特派員を1990年以降、通算20年近く務め、日本の民主主義と天皇との関係に強い問題意識を抱きました。戦後日本が混乱を乗り越え、驚くほど団結、調和、安定した社会を築けたのはなぜなのか。それは統一と継続性の象徴たる天皇制があったからですが、対立と討議を前提とする西洋型の民主社会とは異質のものです」  「 歴史家の朝河貫一(48年没)は、国民が将来、自立すれば天皇制は不要になると予言しました。 それなら、国民が真に民主的主体になる時、天皇制はどうなるのか。天皇は今後も国民の統合の象徴であり続けられるのか。そんな問いに改めて向き合いたいと思いました」  ――天皇は戦後民主主義にどのような役割を果たしてきたのでしょう。  「ドイツでは第1次大戦の敗戦で皇帝が退位し、ワイマール共和国時代に民主主義がかなり進展していたため、第2次大戦後にそれを生かすことができました。このことは、49年に制定された基本法が政治家や学者によって起草されたことからもわかります」  「一方、日本では、政府の憲法問題調査委員会(松本委員会)は、明治憲法を民主主義の名に値するかたちで改正することを望みませんでした。そのためGHQ(連合国軍総司令部)は自ら憲法草案を作り、圧力によって日本に民主主義を『押しつけ』ます。この裏には、マッカーサーと日本側のディール(取引)がありました。米軍は占領政策を円滑に進めるために天皇の権威を利用し、日本は天皇制を温存するために民主主義と平和主義を受け入れます。しかし、朝鮮戦争勃発で米国は日本に民主制を根付かせる熱意を失い、岸信介ら保守的な旧勢力と結託しました。いわゆる『逆コース』です。ここに、戦後民主主義のねじれと問題の原点があります」  「もし敗戦後に天皇制が廃止されていたら……。推測するしかないですが、一つ確かなことは、 日本国民は責任ある市民、主権者としての責任をもっと早く自覚せざるを得なかった だろうということです」  ――天皇が民主主義をもたらした一方、民主主...

国鉄 日本の左翼・組合の盛衰(参考文献:牧久、「昭和解体」2017年講談社)

以下に日本の左翼を支えていた国鉄の組合、そしてそれに乗っかった総評・社会党、それらを粉砕して国鉄を改革しようとした自民党政治家の闘いの歴史を記す。組合側にもまた改革側にもそれぞれ国鉄の内部に協力者がいた。組合・左翼政党・メディア・自民党が作る55年体制と言われる政治舞台が、1980年代の新自由主義の潮流や田中角栄の政治生命の終わり、ソ連の崩壊によって音を立てて崩れ落ちた。俺も当時東京にいてこれを傍らで見ていたはずだが、当時、本当に何が起こっているのかは全く分からなかった。日本でこれだけの大改革を実現させたのは珍しい。天地人に恵まれ、これを狙って実行した中曽根首相は大したものだ。しかし中曽根さんも、55年体制が崩壊し、社会党というライバルを失った自民党が、1990年代以降、自壊・分裂を始めることは予想していなかったろう。 1948年 国鉄・専売職員の争議(スト)権及び団体交渉権剥奪  1952年 同上 団体交渉権のみ回復 スト権補完のため公労委発足、ストでない順法闘争が始まる 1955年 共産党暴力革命放棄→暴力革命を目指す新左翼誕生 1960年 革新政党と新左翼による反米・安保反対闘争盛り上がる 1964年 国鉄単年度赤字転落 鉄建公団設立*1 1967年 国鉄職員47万人に対し5万人の合理化計画提案(例えば機関車2人乗務→1人乗務*2)が出され、動労・国労とも反対・抵抗して闘争・・・マル生闘争・・・メディアのバックアップもあって組合側の勝利 闘争に勝った国労・富塚三夫「マル生闘争の反動と言えばそれまでだが、一部の職場では、当局も組合の中央指導部も、コントロールしがたい状況が生まれたのです。コントロールできなかった組合の指導にも問題があった。ここで組合がコントロールをかけておけば、その後、国鉄の分割・民営化の際、一部マスコミで餌食とされた職場の規律の乱れを防げただろうと悔やまれます。戦いは勝った時ほど、己の弱点をみつけ、その克服を図ることが、次の戦いのために大切なのであって、マル生闘争の勝利とは、当局に不当労働行為をやめさせ、職場における組合活動の権利を回復した一時の勝利でした。本当の勝負はこのあとに待っていたのです。*3 1968年 世界的に学生運動(新左翼)ピーク 美濃部都知事誕生       ”現場協議”開始→1982年廃止 1971年 マル生運動闘争...

「夏彦・七平の十八番づくし」

  1983年3月「夏彦・七平の十八番づくし」掲載 山本七平ー山本夏彦対談 七平:日本は平和国家だっていうでしょ。平和国家ってのはね、夢中で戦争を研究する国なんです。健康であろうと思ったら、病気を研究するでしょう。病気になりたくなけりゃね。病児であることを一切忘れたからって病気にかからないわけじゃああるまいし、こうしたら病気になる、こうしたら病気にならない、こうしたら…あらゆるケースをあげて、それにならないように、あらゆる手を打つっていうのが当たり前でしょう。戦争論て日本にゼロなんです。こんなおかしい話ってのは、外国から見ると正気じゃない。戦争論なんてやると戦争になるなんていってね。これ、見ざる聞かざる言わざるで知らんぷりしてなきゃいかんということかな。だから、日本人にとっては戦争は、子供のお化けみたいなもんでね。「怖いから見ないよ。」っていって、向こう向いているわけなんです。 夏彦:自分のうちにピアノがあって、隣のうちにピアノがなければ、めでたく豊かになれるのに、隣のうちにすでにあって、そのまた隣のうちにもあって、遅ればせながらようやく自分も買ったって、そんなもの豊かじゃない。今頃クーラーいれた人はただただ怒ってなくちゃならない。そしてたいていの人は、まあどちらかといえば遅ればせでしょう。それじゃ、いち早く持った人は満足かっていうと、ほかの人が追いかけてきてみんな持ったんですから…。 七平:満足でない。 夏彦:そうなんですよ。つまりね、 我々は差別しなければ幸せになれない っていう厄介なしろものなんでしょよ。 七平: 平等社会ってのは差別社会 なんだ。平等じゃなければ上に貴族がいる。俺は平民なんだ、平気でしょ、これ貴族は貴族でね貴族の義務を果たしてりゃあいいじゃないか。平民はそんな義務ないんだ。明治の人間てのにはある程度そういう意識があるんですよ。だからね、戦争はお武家のやることだ。おれたち町民がなんでそんなことをやるのだ・・・ 日清戦争の頃までは 、ちゃんとその意識あるんですよ。お武家が行きゃあいいじゃないか。何で町民や百姓のおれたちが清国なんかの戦に行かにゃあならないんだ。 夏彦:人はどうしても差をつけたいんです。この料簡を素直に認めてくれるとね、世の中少しは丸く収まるんですけどねえ。ピアノなんか欲しいの、あれご先祖のうらみですよ。応接間があってじゅう...

天皇陛下の経済学

 1982年11月「諸君」掲載 山本七平ーベンーアミ・シロニー対談 シロニー:日本はダイナミック過ぎた時代にも、たとえば戦国時代にも分裂しなかった。これは面白いです。枠組みがいつもあったんです。 山本:考えてみると、たしかにみんな自分の官僚を持ち、裁判権を持ち、行政権を持ち、交戦権も持っている。彼らから見ると、あれは独立国なんです。ところが、誰も自分たちは独立国だという意識を持っていない。いずれ日本と言うのは国家統一されるべきものだという意識を持っていたんです。 シロニー:父親がいるから、何でも出来るわけです。たとえばサーカスを例にとると、サーカスの曲芸師は、防衛ネットがあるから高いところでジャンプすることができます。天皇制とか、天皇の存在は日本人に取って、そういう防衛ネットの役割を果たしたと思いますね。日本人の特徴は、変わるという事だと思います。それが平気です。日本は毎年毎年どんどん変わってもあまり恐れない。他の国民はそれを恐れます。しかし日本人は平気です。例えば五重塔と比べると、もしそこの真ん中に柱があれば、地震があっても崩壊しない。どんなに揺れても平気です。天皇の存在は、日本人のためにそういう五重塔の柱のようなものだったと思います。 山本:そうですね。どこかで日本人は、どう変わったって自分が崩壊するはずがないと思っているんですね。何故そう思っているかを分析しようとはしませんけど。 >>日本人は「保守的で変わらない」と言われ、また、「日本人は安心してどんな変化も受け入れる」とも言われる。保守的とは、自分の頭で考えて進歩あるいは発展という仕方で変わることはしない、ということ。しかし、外圧あるいはお上から「明日からこう変わるぞ」と言われれば大胆に新しいやり方に取り組む、ということ。天皇に象徴される、日本人あるいは日本国というものが五重塔の心柱のように日本人の中心にあるから、国のことなど自分の頭で考えようとしない。でも「永久に不滅」と信じている。

リアリズムなき日本人

 1976年9月「文藝春秋」掲載 山本七平ー司馬遼太郎対談 山本:私の部隊長は、昭和の初めに、一兵卒から下士官候補生になり、下士官をやって、曹長のときに少尉候補者の試験を受けてパス、 それから陸士に短期留学して砲兵学校へ行き、少尉に任官して少佐になったという人物。 昭和の陸軍史を一兵卒から少佐まで地で言った人ですよ。 こういう人が受けた試験は大変な競争だったようです。 そのかわり、軍隊の裏も表も知り尽くしていた。 この人は当時(昭和17年)、いまの下士官はダメだとハッキリ言いましたね。 われわれが昭和の初めに下士官になったときは大変だった。 農村に帰っても食えない。 だから死に物狂いで勉強したと。 その部隊長は山梨の人で、自ら貧農の出身と称しておられましたけれども、とにかく軍隊にのこらなきゃ食えないんだ。 だから必死で勉強したっていうんですね。 司馬:そうでしょうね。 九州あたりでも、兵隊さんに行って、上等兵で帰ってくるのは村の名誉なんですけれども、これは平和な時代ですが、次男坊あたりは下士候の試験受けて准尉になる、あれは退職金が・・・ 山本:出るんです。 司馬:タバコ屋を開くぐらい、もしくは何反かの田圃が買えるぐらいはくれるんですね。 山本:ええ。 自分の夢というのは、准尉になったら退職金もらって帰って、少し田畑を買って、恩給で最低の米代を手に入れて、女房は畑を少し耕して、自分は青年学校の先生か役場の書記か、体操の教師になり、朝夕ニワトリの世話をする、というつもりだったというんです。 これが多いんです。 ですから、単に軍国主義とはいえないんですね。 こういう人たちを。 あの時代には軍曹を13年やったなんていう人がいましたね。 上がつかえてどうしようもないから、動けない。 中隊には、曹長の定員が一名ですからね。 そういう軍縮時代を経た後で、われわれのような幹部候補生が、どんどん追いついてくる、ですから、連中に非常に強い欲求不満がありました。 彼らはきびしい選別を受けてきた自負があるから、いまの下士官はダメだ。 司馬:リアリズムは、一つの運命というものがあって、それはどういう形をしているか。 どういう動き方をするかという非常におっかなびっくりで相手に迫っていって、像をつくる。 対象に対する 謙虚で相対的な態度がリアリズムの基礎ですね。 それを失うというのは、結...