もし敗戦で天皇制が廃止されていたら…独歴史家から日本への「異言」朝日新聞デジタル

ドイツ誌の東京特派員も長く務めた歴史家のヴィーラント・ワーグナーさんへのインタビュー記事。ドイツ人による日本人論だ:

  ――ドイツで昨年、「天皇の遺産 世界で最も神秘的な王家と日本の将来をめぐる葛藤」を刊行しました。天皇を切り口に日本社会を見ようという動機はどこから生じたのでしょう?

 「独誌の東京特派員を1990年以降、通算20年近く務め、日本の民主主義と天皇との関係に強い問題意識を抱きました。戦後日本が混乱を乗り越え、驚くほど団結、調和、安定した社会を築けたのはなぜなのか。それは統一と継続性の象徴たる天皇制があったからですが、対立と討議を前提とする西洋型の民主社会とは異質のものです」

 「歴史家の朝河貫一(48年没)は、国民が将来、自立すれば天皇制は不要になると予言しました。それなら、国民が真に民主的主体になる時、天皇制はどうなるのか。天皇は今後も国民の統合の象徴であり続けられるのか。そんな問いに改めて向き合いたいと思いました」

 ――天皇は戦後民主主義にどのような役割を果たしてきたのでしょう。

 「ドイツでは第1次大戦の敗戦で皇帝が退位し、ワイマール共和国時代に民主主義がかなり進展していたため、第2次大戦後にそれを生かすことができました。このことは、49年に制定された基本法が政治家や学者によって起草されたことからもわかります」

 「一方、日本では、政府の憲法問題調査委員会(松本委員会)は、明治憲法を民主主義の名に値するかたちで改正することを望みませんでした。そのためGHQ(連合国軍総司令部)は自ら憲法草案を作り、圧力によって日本に民主主義を『押しつけ』ます。この裏には、マッカーサーと日本側のディール(取引)がありました。米軍は占領政策を円滑に進めるために天皇の権威を利用し、日本は天皇制を温存するために民主主義と平和主義を受け入れます。しかし、朝鮮戦争勃発で米国は日本に民主制を根付かせる熱意を失い、岸信介ら保守的な旧勢力と結託しました。いわゆる『逆コース』です。ここに、戦後民主主義のねじれと問題の原点があります」

 「もし敗戦後に天皇制が廃止されていたら……。推測するしかないですが、一つ確かなことは、日本国民は責任ある市民、主権者としての責任をもっと早く自覚せざるを得なかっただろうということです」

 ――天皇が民主主義をもたらした一方、民主主義を根付かせることへの障害にもなってきたということですか?

 「それは、平成時代の天皇にも当てはまります。明仁上皇は、政治家以上に民主主義を真摯(しんし)に考え、天皇制と民主制の接続を自覚的に試みてきました。大災害があれば避難所でひざをつき被災者を励まし、原発事故で人心が大きく動揺した際にはいち早くビデオメッセージを発する。戦争責任の問題にも可能な限り向き合い、先の大戦にまつわる『慰霊の旅』で国内外を回る。左派リベラルからも人気や評価が高いゆえんです。安倍政権下では、民主主義の空洞化や権威主義化への防壁の機能すら果たした面があります。しかしこれは本来、民主的に選ばれた政治リーダーが果たすべき役割です」

 「国民が精神的支えやリーダーシップを求めた時、結局出てくるのはいつも天皇でした。でも明仁上皇のようなリベラルな人ではなく、正反対の思想や人間性を持った人物だったら? 天皇は政治利用される危険と隣り合わせ。個人の人格や資質に頼るあり方は望ましくありません」

多様な社会を反映した存在になるべきだ

 ――国事行為以外の公務を極力絞るべきだということですか?

 「いいえ。国難と言えるような事態や国民が大きな困難を抱えた際、皇室が精神的な慰めを提供することはあってもよいし、そうあるべきです。欧州の王室やドイツの大統領のように」

 「ただ、特に令和以降、皇室は現代日本で国民に希望を与え得る『象徴』には、まだなり得ていません。それは、現代社会の問題や多様性に対応できていないからです」

 「欧州の多くの王室は多様化する社会を反映しています。デンマークのメアリー王妃はオーストラリア出身。ノルウェーのマッタ・ルイーセ王女は離婚後に霊媒師の米国人と結婚し、メッテ=マリット王太子妃が未婚で産んだ息子は薬物の問題を抱えていると報道されています。オランダのベアトリックス前女王の夫クラウス氏はうつ病でした」

 「王室も一般社会と同じように家庭問題に悩み、変化する社会に相対している。だからこそ国民の状況を理解し、希望を与えることができる。日本社会も1人親家庭や貧困、引きこもりといった困難に直面する人が大勢います。皇室もそうした問題に積極的に向き合い、新たな時代の統合の象徴になるべきです」

 「適切な言い方か分かりませんが、今はある意味でチャンスです。適応障害に苦しんだ雅子皇后だからこそ、社会的弱者や少数派に送れるメッセージや、果たせる役割があるはずです」

 ――天皇に超越的権威を望む保守派は、「人間」としての弱みや情報を出せば権威が落ちると考えるでしょう。

 「神格化は、民主主義とは正反対のベクトルです。天皇制が民主主義と対立するなら、もはや存在意義はないでしょう。両者を共存させるには、天皇や皇族の人権も保障し、皇室の中にいながらにして人として尊厳を保ち、もちろん結婚も自由にできることが不可欠です。小室眞子さんへのバッシングは、明らかに度を越していました。彼女が米国に事実上逃げざるを得なかったのは、日本社会の敗北と言えます。女性・女系天皇を認めないことが民主的価値に沿うのかも、答えはおのずから明らかです」

政治もメディアも本質的議論から逃げている

 ――皇位継承問題は各党が検討を進め、衆参両院議長が先ごろ中間報告を出しましたが、政府の有識者会議が21年に皇族確保策として示した、①女性皇族が結婚後も皇室にとどまる②旧宮家の男系男子が養子縁組で皇族復帰する――の2案のうち特に②について意見の隔たりが大きく、国会の合意形成に至っていません。

 「次世代唯一の皇位継承者である悠仁(ひさひと)親王に男子が生まれる、いや結婚相手が現れるかすら全く分からないのに、日本の政治は問題を先送りし続け、事実上、何の手も打っていない。小泉内閣時代の05年には女性・女系を認めるべきだとの有識者会議の提言があったのに、いつの間にか立ち消えになっています。小泉純一郎首相(当時)は皇室典範改正案を提出すると施政方針演説で表明したのに、一転して断念しました。でも奇妙なことに、その経緯を記す公文書は存在しないと政府は言っている。男子・男系を維持するなら、そう国民に明確に説明すべきですが、それも避けています」

 「主要メディアも、天皇制をどうすべきかという本質的議論に踏み込もうとしない。右派がこだわる旧宮家男子の皇族復帰の案にしても、実際に該当者が何人いるのか、どんな生活を送っているのか、本人たちはどう考えているのか……それを伝える記事を見たことがありません。皇室報道と言えば、悠仁親王は東大に入学するのかといったイエロージャーナリズムばかり。主権者として天皇制の今後を決めるべき国民の議論の材料になるような報道は、ほぼ見られない。皇室存続の危機とも言えるのに、極めて異様です」

 「天皇制をめぐる議論の欠落は、そのまま日本の政治状況を反映していると言えます。少子高齢化には有効な対策を打てず、生産年齢人口が減り続けているのに移民問題を正面から論じない。本質的議論を先送りし続けるうちに、問題は手遅れになっていきます」

 ――特に天皇制を論じることへのタブー意識は根強く残っているように思えます。他方で、天皇や皇族の人権を保障するために共和制に移行すべきだとする論者もいます。民族派の一部には、天皇は政治権力から離れ京都に戻り、祭祀(さいし)の頂点や国民の守り神たる存在に回帰すべきだとの主張もあります。いずれも「尊皇」の観点からの論ですが。

 「幕末まで権力が極小化していた時代が長かったのは事実ですが、我々が認識し現代につながっているのは、明治以降の近代天皇制の歴史です。首都東京に住む天皇が国民にとって重要な存在で、特に平成時代、民間出身の皇后と共に建設的な役割を果たしたことは否定できません。外国人の私が存廃について『こうすべきだ』と言う資格はないですが、現に象徴天皇制を国民の7割以上が支持しているのなら、いかに皇室を民主的社会のために今後も活用していくか議論していくのが、現実的でしょう」

 「ただ、外国ルーツの国民が増え、高齢化で人々が孤立化し、経済の失速で分断も進む将来の日本は、従来のように調和的な社会ではなくなります。天照大神の子孫という大和民族の神話では、多様化する社会の統合原理にはなり得ない。女性・女系天皇を認めるのか男系男子を貫くのかという重大な問題も、国民のコンセンサスと納得を得られず、かえって対立の元になるのなら、皇室が存在する意味はありません」

 「天皇制を今後も存続させるのか、それならどんな役割を果たしてもらうのか。それは主権者である国民がタブーなく議論して決めていくしかない。日本社会が真に民主主義を体得する日は訪れるのか――。それこそが天皇制の存廃以上に、重要なことです」(聞き手・石川智也)

>> 歴史家の朝河貫一(48年没)は、国民が将来、自立すれば天皇制は不要になると予言しました。

日本国民は責任ある市民、主権者としての責任をもっと早く自覚せざるを得なかった

その通り。日本人は自立できないから天皇なしでは”根無し草”になってしまう。だから戦争に負けても天皇制は有効だった。一方で、敗戦責任を天皇が取らなかったばかりに、日本国民は「責任ってとらなくていいんだ」という腑抜けになった。(あるいは米国の「日本人から腑を抜く工作」で天皇の責任を問わなかったのかも…)

適応障害に苦しんだ雅子皇后だからこそ、社会的弱者や少数派に送れるメッセージや、果たせる役割があるはず

天皇制をめぐる議論の欠落は、そのまま日本の政治状況を反映していると言えます。

卓見だ。多様性だ。適応障害だったことを逆手に取るか・・・雅子様はともかく、宮内庁は適応障害があったことをほじくり返すことを敢えてやるか?

議論ができない日本人。日本の多くの問題はここにあるが、議論できないから日本人なんだ、という言い方もできる。

コメント

このブログの人気の投稿

ママーのガーリックトマト(ソース)で茄子入りミートソースを作るとうまい

松重豊さんが号泣した投稿「ロックじゃねえ!」投稿者の先生への思い(朝日新聞デジタル)

長嶋追悼:広岡さん