ノーベル平和賞が日本被団協に与えられる
朝日新聞デジタルに以下:
「ノーモア・ヒバクシャ」の訴えを国内外で続けてきた被爆者たち。ノーベル委員会は、授賞理由で「たゆまぬ努力を続けてきた。次第に、核兵器の使用は道徳的に容認できないという強力な国際規範が形成されていった」と言及した。日本被団協事務局次長の和田征子さん(80)は会見で「核兵器を使わせないようにしたのは私たちは被爆者の証言、被爆者の運動だと思っている。だから核による抑止力ではなく、私たちがやってきたことこそが、運動こそが抑止力だと思っている」と話した。
>>屁理屈だろう。被団協の目的とするところは、第一に核廃絶だ。核使用の抑止ではない。被団協ができた1956年以降、核を持つ国は増えた。核兵器の数も増えたことだろう。活動の本来の目的は一切実現されていない。
閑話休題:
一方で、何故、ロシアにしろ、イスラエルにしろ、「何故核を使わないの?」という疑問が湧くが、その答えは分からない。本当に、道徳的な規範が抑止力になっているのか?俺にはとてもそうは信じられないが、そう信じるところがWOKEISMなのだろう。
COPILOTに「ロシアやイスラエルが核を使わない理由」を聞くと:
ロシアやイスラエルが核兵器を使用しない理由は複雑で、多岐にわたります。まず、核兵器の使用は国際的な非難を招き、外交的な孤立を招く可能性が高いです。さらに、核兵器の使用は大規模な破壊と人命の損失をもたらし、その影響は長期にわたって続くため、倫理的にも非常に問題があります
また、核兵器の使用は報復を招く可能性があり、結果として全面的な核戦争に発展するリスクがあります。これにより、両国ともに自国の安全を確保するために核兵器の使用を控える傾向があります
>>これも理解不能。つまり、ロシアやイスラエルは、国際的な非難・孤立を招かない、と判断すれば核を使うのか?一回使ってみたら、「アメリカは原爆で戦争を早く終わらせた」みたいなご都合主義の解説が出てきて、意外に非難も孤立もしなくてすむかもしれないじゃあないか?
そもそも、核兵器でなければ残忍な方法で殺人してもいいのか?国際法だか何だか知らないが、「戦争してもこれはやったらだめよ」ってのが分からない。むしろ、「一旦戦争すると決めたんなら、核だろうが、なんだろうが、使って徹底的におやりなさい。」ではないのか?「通常兵器なら戦争やってもOK」は理解不能。This is Wokeismだ。
ポリコレが無用な自粛、ストレスをもたらすように、「核の自粛」が結果的に戦争を長引かせ、被害を大きくしている面はないのか?
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