「夏彦・七平の十八番づくし」
1983年3月「夏彦・七平の十八番づくし」掲載 山本七平ー山本夏彦対談
七平:日本は平和国家だっていうでしょ。平和国家ってのはね、夢中で戦争を研究する国なんです。健康であろうと思ったら、病気を研究するでしょう。病気になりたくなけりゃね。病児であることを一切忘れたからって病気にかからないわけじゃああるまいし、こうしたら病気になる、こうしたら病気にならない、こうしたら…あらゆるケースをあげて、それにならないように、あらゆる手を打つっていうのが当たり前でしょう。戦争論て日本にゼロなんです。こんなおかしい話ってのは、外国から見ると正気じゃない。戦争論なんてやると戦争になるなんていってね。これ、見ざる聞かざる言わざるで知らんぷりしてなきゃいかんということかな。だから、日本人にとっては戦争は、子供のお化けみたいなもんでね。「怖いから見ないよ。」っていって、向こう向いているわけなんです。
夏彦:自分のうちにピアノがあって、隣のうちにピアノがなければ、めでたく豊かになれるのに、隣のうちにすでにあって、そのまた隣のうちにもあって、遅ればせながらようやく自分も買ったって、そんなもの豊かじゃない。今頃クーラーいれた人はただただ怒ってなくちゃならない。そしてたいていの人は、まあどちらかといえば遅ればせでしょう。それじゃ、いち早く持った人は満足かっていうと、ほかの人が追いかけてきてみんな持ったんですから…。
七平:満足でない。
夏彦:そうなんですよ。つまりね、我々は差別しなければ幸せになれないっていう厄介なしろものなんでしょよ。
七平:平等社会ってのは差別社会なんだ。平等じゃなければ上に貴族がいる。俺は平民なんだ、平気でしょ、これ貴族は貴族でね貴族の義務を果たしてりゃあいいじゃないか。平民はそんな義務ないんだ。明治の人間てのにはある程度そういう意識があるんですよ。だからね、戦争はお武家のやることだ。おれたち町民がなんでそんなことをやるのだ・・・日清戦争の頃までは、ちゃんとその意識あるんですよ。お武家が行きゃあいいじゃないか。何で町民や百姓のおれたちが清国なんかの戦に行かにゃあならないんだ。
夏彦:人はどうしても差をつけたいんです。この料簡を素直に認めてくれるとね、世の中少しは丸く収まるんですけどねえ。ピアノなんか欲しいの、あれご先祖のうらみですよ。応接間があってじゅうたんがあって、ピアノがある暮らしにあこがれていたから、あんな要りもしないピアノを日本中が買ったんですよ。マイカーもそうですよ。破風造りもそうですよ。死んだご先祖が指図して買わせているんですよ。いくらご先祖と縁を切ったつもりでも、ご先祖は死なず、死ぬものか、ってくやしい。あのピアノには子供も迷惑しています。ようやく日本中に普及して売れなくなったのはめでたい限りで、あれは近く粗大ごみになるでしょう。以上委曲を尽くしていっても彼らは怒るんです。どうしてこんなことで怒るのかと思うくらい怒る。
七平:江戸時代ってのは非常に面白いシステムなんですよ。栄誉を持っているものは富持っちゃいけない。権力持ってる人間は徹底的に貧乏じゃなくっちゃいけない。金のある人は権力持っちゃいけないっていう変な三権分立があるんです。権力のある人は富持っちゃいけないんですよ。富持ってる人は権力持っちゃあいけないんです。富持ってるのは最下層なんだ。
夏彦:おさまる御代ってのはそういう時代なんですよ。
七平:だれも絶対権力持ってないから、ひっくり返しようがないんですよ。ところが、帝政ロシアはそうじゃなかった。貴族ってのは富も持つし、権力も持つし、栄誉も持つ。みんな持ってるんです。農奴は何にも持ってない。世の中ひっくり返しても、損しないんですよ。だから、簡単にひっくり返るんです。
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平等だから日本はおさまる。平等ってのは同じ階層・身分の人の差別に基づく嫉妬を伴う。日清戦争までは、貴族がいて、貴族には嫉妬もせず、戦争は貴族と一部の職業軍人のやるもので、平民は安心してた。日清戦争から後は、国民全体から徴兵した素人の兵隊が戦争させられた。貴族が残ったまま、戦争は全員参加となった。不平等になった。
不平等になれば持たざる者(たとえば戦争にも駆り出される平民)はひっくり返しても損しない世の中になった。貴族を残しながら近代戦は戦えないことになった。
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