検察を守らなければ・・・

上司からレイプされた女性検事が涙ながらに語った心境(関西テレビより): 

女性として、妻として、母としての私の尊厳、そして検事として尊厳を踏みにじられ、身も心もボロボロにされ、それでもすぐに被害申告できなかったのは、被告人から『公にすれば死ぬ』、検察が機能しなくなる、検察職員に迷惑がかかると脅され、口止めをされ、たくさんの職員に迷惑をかけられない検察を守らなければな(らな)いと思ったからです。

>>まず、訴え出た被害者の女性検事の勇気に敬意を表する。

上述の上司のセリフは、よく警察のドラマでも使われる「組織を守るため・・・云々」だ。警察とか検察といった「悪をくじく」ことを職責とする組織にはありがちなことなのか?自分たちの組織が一時的にせよ働かないとその間、悪がはびこる・・・と考えるのか。もし警察官や検事がそう思い込むのだとすれば、洗脳が行われている、もしくは、そう強く思い込む者が警察官や検事になっている、という事か?被害者の女性検事の年齢は30代~40代と推定されるが、そんな若い人でも自分の組織を守らねばならない、という強迫観念を持っていたのか???

日本において変革・革命が起きたのはトップが自己(の組織を)否定したとき、と考える俺は、「組織とは寿命が来て腐ると、トップが自己否定して朽ち果てて変革が起こる」と考える。上述の口止めした検事、口止めされた部下は短期的には、また、狭い意味では正しかったのかもしれない。しかし、トップが部下をレイプしておいて卑怯な口止めをするような組織は充分に腐っており、朽ち果てるべきものだ、と思う。

今の日本の問題は、検察に限らず、全ての組織が充分腐っているのに、朽ち果てないことだ。つまり、トップが自己否定せず、組織を守ろうとすることだ。自己否定はある意味、無責任に投げ出すということだ。過去の歴史では、徳川慶喜や昭和天皇が自己否定した瞬間、日本人はそれまで「徳川様」と言い、「天皇陛下万歳」と言っていたのを手のひらを返して「賊軍」と呼び、「マッカーサー万歳」と叫んだ。(情けない国民、節操のない国民と言えばその通りだ)そしてその後10年間やそこらは日本人は「頭を切り替えて」過去の否定、変革を行う。

さて、検事の組織にかぎらず、政治も官僚も会社も組織という組織が充分腐った日本で、そろそろ「トップの自己否定」があってもおかしくないのだが、(2000年以降ずっとそう思い続けてきたのだが・・・)さて、今の日本で「トップ」とは誰(何)か?一時はトヨタ自動車だと思っていた。トヨタは日本の会社のトップであり、そのトヨタが中国の自動車会社に身売りするななどということになったら、かなりの自己否定だと思っていた。

閑話休題:

上述のような組織を守ろうという「まじめな」組織人もいれば石丸伸二のように任期途中で市政(市という組織及び市民)を放り出す無責任で自己中な者もいる。好き嫌いで言えば明確に「まじめな組織人」の方が好きだ。まじめな組織人はトップが出てきて自己否定するまで目が覚めないが、目覚めたら再びまじめに変革=過去の否定に動き出す。

1932年、政争に明け暮れ、足の引っ張り合いに終始する政党政治に絶望した若くてまじめな海軍将校が5・15事件を起こし、政党政治は終り、次第に軍人が総理大臣を勤めるようになる。そのあと、負けるとわかっている対米戦を始め、昭和天皇が自己否定(降伏の聖断)をするまでに13年かかっている。

明治維新の前にもテロが頻発した。外圧によるテロであるペリー来航以来が1853年、以降1858年の安政の大獄、1860年の桜田門外の変といった江戸幕府側と反体制側のテロ合戦があって1867年、大政奉還が行われる。

トップが自己否定した後、トップに仕え、支えていた者が次の時代も支える。江戸時代の武士が明治時代の官僚となり、海外から復員してきた兵士が戦後を支える。本件に登場した被害者女性検事もまた、トップが自己否定したのちの検察組織を支えるはずだ。

2020年コロナが発生し、用もないの会社に行ったり何も決めない会議という名の顔合わせ会をしたりする習慣が見直され、会社は「毎日顔を出しとけば一生面倒見てくれる神様」ではなくなった。若い会社員はまじめな組織人であることをやめ、自分のキャリアのために会社を踏み台にするようになった。これも既存の組織・体制に対するテロと言えるのかもしれない。まじめな組織人を前提とした組織運営が通用しなくなってトップは自己否定する???

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