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3月, 2023の投稿を表示しています

ブラマヨ弾話室 #225 ②最近の若者と会社

 番組出演者(”文化人ズ”)によると、最近の若者・学生は人口問題、天候問題、食料問題、貧困問題・・・など様々な問題を解決したいと、そういう問題に取り組む会社に就職する者がいる、とか。俺が就活した1970年代も、公害や省エネなどが解決すべき問題として取り上げられていたが、それは就職先選択においてそれほど大きな要因ではなかったように思う。俺も入社してすぐわかったが、会社というところは入社前に聞かされるようなきれいごとでは回っていない(というか、きれいごとなんてまじめに語られるのを聞いたこともない)。古今を問わず学生・若者は会社の言う”きれいごと”に騙されやすい、と言うことか。俺たちの世代は騙されても「やっぱりそうか」とは思うがめったに失望したりはしなかった。適応する者が多かった。(過剰適応だったかもしれない)当時はまだ、会社の生み出す悪(マイナス)より善(プラス)の方が大きいと信じられていたからか?ただし俺も2000年前後、会社が終身雇用を捨てるのを見て「騙された!チクショー」と思ったが。。。(時すでに遅しで、転職もままならなかった) それでもまだ、今の日本の多くの会社の雇用は終身雇用を前提としたものから変わっていない。つまり、新入社員はその会社或いはその部署にカスタマイズされた社員・スペシャリストになるべく育成される。マニュアル化できるような「底の浅い」仕事は非正規社員或いは一般職社員にやらせればよいから総合職社員はマニュアル化できない仕事、例えば業務管理、人事管理、トラブル対策、企画や他部署・他社との調整・交渉など、いわゆる管理職の仕事をする。(入社後何年かは非正規社員がするような仕事を体験させられることも多いだろう)・・・ただし、「底の浅い」仕事のマニュアル化がうまく行っているとも思えない。 2000年以降、終身雇用を捨てた日本の会社は悪(マイナス)の方が善(プラス)より大きいかもしれないと疑われる存在になった。就職して失望・落胆した若者はだから、すぐ退職し、悪(マイナス)より善(プラス)の方が大きそうな会社に転職する、ということか?転職が増えることそのものは悪いとは言わない。問題は多くの会社、そして日本の雇用市場が転職を前提とした設計になっていないこと、そして多くの若者も「皆が就職するからとりあえず」就職することだ。転職される側(会社)にとっては社員に急...

続続:スマホの機種変更が夫婦二人で大体できたぞ!(au ショップに文句)

 スマホ機種変更に当たりUQスポットで¥4000(厳密には¥3000弱)の値引きをしてもらうために高いプランに入った。店員から「4月以降は元の安いプランに変更できるから3月末になったら近くのauショップに行って手続きを。」と聞いた。3月末も近くなったので近所のauショップに電話した。(番号は固定ではなく携帯電話の番号)というのも、前回auショップに行ったとき、「待たされるから予約しろ」と言われたから。 そうしたらまず、機械の声で「何の用か番号を押せ。コールセンターにつなぐ」と来た。この一撃でかなり頭に血が上った。俺は電話で機械の命令に従って番号を推すことほど嫌いなことはない。次に再び「契約や料金のことで聞きたいときは1番を・・・」と来た。もうすっかり頭にきて1番を押した。そして電話に出た男に「プラン変更したいからきょう午後、店に行きたい」と言ったら「ここは店舗ではなくコールセンターだ」と。「電話ではややこしいから店舗に行きたい」と俺。「プラン変更なら店舗に行かなくてもできる」とコールセンター男。正確に伝わるかどうか自信がないけど言われるままに俺の名前と、機種変更に当たり値引きしてもらうために高いプランに入った経緯と今のプラン名と元のプラン名を告げた。そしたらあっさりと「4日1日以降プラン変更になります」と。信じられないので男の名前を聞いて電話を切った。多分トラブルが多いのだろう、通話は録音される、と言っていた。 さてさて、本当に4月1日以降安いプランに切り替わるだろうか?また、家族割も変わらず維持されるのだろうか? 年寄りは店舗の電話番号が書いてあれば店舗の誰かが出るものと思う。それを機械が出て来て「ご用件を」「電話番号を」などと言うのがまず気に食わない。そして人間が出てきたと思ったら店舗の人間じゃあない。これで本当にプラン変更ができるのか?多分かなりの確実でトラブルが起こっているのだろう。そうでなければ録音なんかするものか。 そもそもはスマホ端末の値引きにプラン変更を絡ませることが気に食わない(1月間でも高いプランにさせればそのまま変更しない客が多いのか?)そして店舗に直接電話できないのももどかしい。加えて俺みたいに、電話に人間が出ないで機械に命令されるのが嫌いなへそ曲がりの客にとって、機械のご命令で番号を押させられるのも耐え難い。

ブラマヨ弾話室 #225で日本人の仕事に対する熱意の低下を心配していた

 従業員エンゲージメンント(仕事への愛着、情熱、満足度など)調査の結果、世界中で日本は129か国中128位だったそう。番組で出した棒グラフでは、士気・熱意のある従業員の割合が世界平均20%に対し米国/カナダ34%・・・西ヨーロッパ11%で日本は5%。塩村あやか参議院議員によればこの問題は国会でも取り上げられたが、結局「働き方改革」で、となってしまった・・・と不満そう。 和歌山大学の足立教授は年功序列がやる気をそぐ懸念があると。一方で和歌山では農家が流行っているとも。 塩村によれば日本では雇用の流動性が低いのが問題だと。将来が不安でも転職できないからモチベーションが下がる。 社会問題コメンテーターの林久美子によれば社員に愛着を持ってもらうには給料を上げるだけではダメで自己成長感、仕事と家庭の両立、評価されている感が大切と。 ブラマヨ吉田によれば笑ってくれる客がいればやる気が出ると。 東大卒芸人の藤本淳史の同級生は結構転職していて、やりたいことが見つかったらそっちに移れるという状況がモチベーション維持になると。 塩村は放送作家をやっていたが、動物愛護やら女性作家がやめていくなどの問題を解決するには政治家になるしかない、と思った由。叩かれてもやりがいがあるから政治家を続けられると。 ブラマヨ小杉によると転職を繰り返すうちにいい仕事に巡り合うこともある。 足立教授によれば、大学4年生は会社に就職するという選択肢しかなくてとりあえず就職して後悔する・・・それなら地方議員になれ、と言うが、議員になろうと言う学生はいない。会社に就職する方がハードルが低く、リスクが小さい。 お笑いコンビTHIS IS パンの吉田は、ほめてもらう機会があればいいと言うが、ブラマヨの二人からほめるのも一歩間違えるとハラスメントになると。 林、塩村から会社が社員を首にし、裁判で不当解雇とされれば復職でなく、会社が金を払って首にする制度(金銭解雇)が転職を増やす効果があると。また、正規雇用でも首にしやすくなるから非正規雇用が減って正規雇用が増えると。 以上、就職する側、辞める側の理屈で番組終了。翻って採用する側、辞められる側の意見を俺が: ①大学生は「みんなが就職するから自分も」と、とりあえず就職し後悔・失望して転職するものが多い、ということを前提とすれば、会社の外に、入社前に会社員としての専門...

文化庁なんかよりも・・・

 文化庁が京都に移転する由。それより、俺は天皇の居場所を東京から京都に戻すべきだと思う。明治政府が京都の人に遷都するとも断らずに「ちょっと東京に行ってくるわ」的に天皇を東京に連れて行ったまま、百年以上の長きにわたって戻していない。京都の人たちは(天皇も?)騙されたままだが、ここで天皇に京都にお戻りいただけば騙しが騙しでなくなる。京都の人たちも気が長そうだから「ようやく戻ってきよったか」と歓迎してくれないか? 江戸時代まで遡れ、とは言わないが、忘れぽくって流されやすい日本人の悪い癖を自覚し、明治以降の日本政府の嘘、騙し、その他の悪行について金で誤魔化さず、ちゃんと謝るなり元に戻すなりしたらどうか?

90年前のチャップリンを見る

 たまたまTVでチャップリンの「街の灯」(1931年)をやっていたので見た。多分何十年か前に見たはずだが、他に面白いTV番組もなさそうだから見たら、実に面白い。一番面白かったところは盲の恋人のために金を稼ごうとボクシングの試合をやる所。レフェリーを盾にして逃げ回ったり、ゴングがやたら鳴ってそのたびに試合が止まったり再開したり・・・鍛え上げられた身体能力と反射神経(いずれもコメディアンとしての)とアイデアで笑わせる。 笑いの質・仕掛けが単純で大きな声を出して笑える。そしてチャップリンは天才だなあ、と、つくづく感心する。こういう、腹を抱えて大笑いをした後、しみじみ感心する、というのは中々できない経験だ。芸の力、と言ってしまえばそれまでだが。 恋人(女)の方はチャップリンが稼いで貢いだお金で目の手術をし、目が見えるようになり、立派な花屋の主人になる。一方チャップリンの方はその金を盗んだという嫌疑で捕まって牢獄に。ラストシーンでは、牢獄から出てきたチャップリンがボロボロの格好で花屋に行って彼女と再会する。すぐ彼女と分かるチャップリン。彼女の方はチャップリンを見るのは初めて。一目ではそれと分からないが、手が触れあったとたんにかつての感触がよみがえってチャップリンと分かる。一緒に見ていた上さんと「分からないね。失恋する。」と予想していたがハッピーエンド。これも実にいい終わり方。なんといってもチャップリンの側から「俺だ」と名乗りを上げないところが素晴らしい。(このころのアメリカ人は粋だった) 白黒のサイレント映画で、これだけ面白い。白黒の傷だらけ映像でも、音無しでも、想像力で素晴らしい映画になる。CGやら高画質やら高音質などは想像力を殺すだけ。俺は想像力が刺激される方がいい。

官僚@小野田紀美

 小野田さんは国会議員が官僚にパワハラしてる、これじゃあ官僚になろうという人がいなくなる、と。俺は官僚はメディアにもハラスメントされている、と思う。問題意識は同じでパワハラされ、メディアに叩かれれば官僚(政治家も同様)になろう、という若い人がいなくなること。小野田さんも「官僚になる東大生が減っているのでは?」という懸念を抱いているらしい。別に東大生が優秀とは言わないが、東大生に象徴される優秀な若者が官僚になろうとしない、のはまずい。東大生には大馬鹿もいれば賢いのもいる、その賢いのを取るためには大馬鹿を含めて東大生を大量に採用する、というのも面白くないか? 誰か官僚になった人の絶対数との学歴の過去数十年間の変遷を整理してくれないか?見方を変えれば「名門」と呼ばれる大学の卒業生の就職先について数十年間の変遷を整理してもらってもよい。このデータで日本の将来が見えてくるような気がするのだが・・・ ここで気になるのが日本の雇用の流動性の低さ。アメリカのことしか分からないが、アメリカでは実業界の第一線のビジネスマンが大統領にスカウトされて官僚になって、大統領が代われば元の職業に戻る、なんてことが行われているように思う。(ゴールドマンサックスはちょっと露骨で、同社の出身者が同社に有利な政策を行ってきたように感じるが)この方式は官僚の生涯収入を保障するという効果がある。つまり悪名高い日本の「天下り」と似ているということ。官僚になろうという人材を確保しようと思えばやっぱり収入も大切。日本の雇用流動性が高まらないなら俺は「天下り」を復活してもよいと思う。官僚の収入あるいは会社の利益が少々不公平になっても有為な若者が官僚になるなら安いものではないか?アメリカだって、ゴールドマンのように、かなりの不公平が堂々と行われているように思う。

日本人の”議論”(民主主義って手間かかる)@小野田紀美

小野田紀美、話の通じない共産党議員との闘い【自衛隊強靭化への難癖】【2023年2月20日 衆議院予算委員会第二分科会】 上記動画が日本人の”議論”を象徴している。加えてとっても面白かったので紹介する。そもそもこの動画は「小野田紀美」を検索して探し出したもの。何故 小野田紀美か、と言えば公明党の不支持をものともせず、「おもしれえじゃねえか。受けて立つ。」と自民党から立候補して参議院議員に当選した彼女の心意気に感心して昨秋、応援することとし、応援ついでに自民党員にもなろうとしたから。昨年11月に自民党員になるべくネットで申し込み、合わせて登録料?¥4000を支払ったところ、2022年の受付は終わっていて2023年の新規党員登録になるが、2か月前後で党員証が届くはず、というメールが来たきり、党員証は来ないし、2023年は1月から始まるのか4月から始まるのかも分からず、「まあこんなもんだろうなあ」と半ばあきらめ、半ば呆れながらも、3月「どうなってるの?」と小野田紀美事務所にメールしたら翌日、「システムの関係上党員証は 5 月頃のお届けになります。お待たせして大変申し訳ございません。党員としての登録は完了しておりますので、ご安心くださいませ。」という回答が来たので「じゃあ、支持し続けよう」と思い直した次第。まだ、党員証がくるまでは自民党員の確信・自覚はもてないが… さて冒頭の動画だが、沖縄出身の共産党衆院議員が「沖縄の自衛隊を強化するみたいだけど、そんなことしたら敵から狙われる、危ない」という「戦争巻き込まれ嫌だ論」を振りかざし、つづけて自衛隊の強化や地下化の計画内容を問いただす。 共産党はどうして、いつから「自衛隊違憲論」を捨てたのか?「自衛隊なんて憲法違反だから廃止しろ」で話は尽きる。どうして「自衛隊がいると市民が巻き込まれる」という卑怯というか厭らしい、訳の分らぬ子供のようなことを言うのか?日本は戦争中に沖縄の人たちにひどいことをしたし、それについて日本政府としてちゃんと謝らないばかりか、戦後も沖縄を見捨てた上、沖縄より20年も前に独立した。アメリカ様のご意向だからやむを得ないとは言うものの、日本政府あるいは天皇が沖縄に対してしたことは「棄民」であり「だまし」であり「差別」だったことは間違いない。(そしてちゃんと謝っていないと言う意味では中国、韓国、北朝鮮他、かつて占領...

カレル・ヴァン・ウォルフレン著「日本/権力構造の謎」を読む

この本は1989年に英語版が出され、1994年日本語版が出た。著者は1941年生まれのオランダ人で1962年以降、特派員として日本に駐在。 著者の意見を俺流に要約すれば、日中戦争、日米戦争を遂行するために岸伸介に代表されるような「革新官僚」が政府主導の経済運営を編み出したが、敗戦後、占領軍が民主化から反共に変わり、戦犯として裁かれるはずの革新官僚が日本の政治経済を支配するようになった。彼らの支配システムを著者は<システム>と呼び、そのシステムを守り、動かす支配層を管理者(アドミニストレーター)と呼ぶ。<システム>は法的に根拠のある組織でもないし、日本の戦争責任がどこにあったのか分からないのと同様、誰がトップにいて総指揮をとっているのか、責任の所在はどこにあるのか分からない。戦前からの人脈のつながりで阿吽の呼吸で日本を動かしていく。彼らの多くが東大法学部卒でまた、彼らの手下となって管理者の役割を中心的に果たす官僚も東大法学部卒が多い。 <システム>によって法的根拠も責任も指揮命令もどうなっているのか分からないまま日本は動かされているが著者はこれを大いに憎む。そんな<システム>の支配から脱却するにはまず、「法による統治」が必要で、そうするためには、と本文末尾に以下のような「改善法」が記されている。 (前略)手始めに東大を廃校にする必要があろう。そのほかには、法体系及び政党制に基本的改革を起こさなければならない。多数の大学に法学部を設け、管理者の専断から身を守る手段を個々の日本人に可能にする弁護士を養成する必要があろう。最高裁事務総局から、国の司法制度及び法曹界入りを支配する力を取り上げ、法律家の数を人為的に制限するのを止めさせる必要があるだろう。学校及び報道機関は、会社などの組織に属することが重要だと強調しすぎるのを止める一方、国民一人一人の政治意識と政治に対する責任感の涵養に努めなければならないだろう。これらすべてが、人脈関係にかわって法的規制を確立し、<システム>の非公式性にかわって法によって保証された手続き過程を確立する推進力になるのだ。本質的な改善には、選挙区に政府助成金をいくら持って来られるかに依存する政党でなく、中産階級と工場労働者の利益を真に代表しようとする意志を持った政党が出てこなければならない。(後略) そして「日本語文庫新版への結び」では: (前略)...

景気が良いと(You'd be so nice to come home to)

 何十年ぶりかで90分のカセットテープに録音されたFrank Sinatraを聞く。何曲か聞く中にYou'd be so nice to come home to.という歌がある。この歌が録音されたのが1961年。この歌の題名を日本語に翻訳をしたのが大橋巨泉で、後世、大誤訳だった、と自分で認めていた由。つまり、「帰ってくれたらうれしいわ」と、男が帰って来るのを女が待つという風に翻訳した。(本人が誤訳と言い張っても訂正されずに、今でもその題名のまま残ってるが…)これが誤訳であるという話は俺も知っていたが、それではどういう風に考え、どういう風に訳すのが正しいのか?うろ覚えだったので改めてネットで当たってみると、最後のtoが鍵で、come home to you.のyouが省略されているんだそうだ。つまり、帰る(come homeする)のはあなたではなく、私で、直訳すれば「私が帰るべきところとしてあなたはniceだ」更にYou'dの'dはwouldだから、仮定法だ、現実ではないので「あなたのところに帰ることが出来たらいいのに…」といった感じになるのだそうだ。 なんてことをネットで眺めていると当然、YouTubeの「色んな人がYou'd be so nice to come hone to.をやってるよ」が目に入ってくる。誘われてこれも何十年ぶり、Helen Merrillの有名なClifford Brown(1954年録音)とのセッション、そしてこれまた名作の誉れ高い"Art Pepper meets the rhythm section"(1957年録音)というアルバムに収録されている"You'd be・・・”を聞く。加えてHelen Merrillと声質が近い青江三奈、それからJUJU、原信夫とシャープスアンドフラッツの伴奏で歌う高橋真梨子を聞く。日本人歌手の中で意外に良かったのは高橋真梨子だった。青江三奈、JuJuはくせ強すぎ、(あるいは思い入れ強すぎ) Sinatra,Merrill,Pepperの演奏はすべてメンバーもよく、有名な録音なのでどれがどうということもなく素晴らしい。感じたのは1950年代のアメリカって「粋」だったなあ、ということ。俺の意見では1956年がアメリカで行われたジャズ録音...

動かない絵を映すくらいなら・・・

 WBC準決勝はTBS、決勝はテレ朝が放映権を買い、放映権を買った局だけはふんだんに動画を映すことが出来るが、放映権を買ってない局は動かない絵を映す。動かない絵を映すくらいなら映さない方がいいと思う。だって「判断を誤って動く絵を映す権利を取りそこないました」と言っているようなものだから。未練がましいとも言える。動く絵を映す権利を買いそこなった局は潔くWBCのことに一切触れないか、簡単に「WBCで日本がアメリカに勝って優勝しました。」と述べるくらいでやめとけばよい。他局とは違う、という見識を示すいいチャンスなのだが…「俺はWBCなんか知らねえよ」というTV局があってよい。 それにしても今回のWBCは「大谷の大会」だった。栗山監督もそれを演出した。それに応えた大谷は確かにすごいが、それでも大谷個人を持ち上げすぎ。日本人にはこういう個人をひいきする演出は嫌い。結果的に買ったから表面化しなかったが、負けたら栗山批判、大谷非難が渦巻いたかも。その”賭け”に栗山、大谷は勝った。チームメイトはどう思っているのか?本音を聞きたいところ。それから、これで野球人気が挽回するのか??一時のバカ騒ぎで終わるのでないか? 閑話休題: 高市早苗氏の総務大臣時代の古傷を立憲民主党がほじくり返している。真偽のほどに、俺は興味はない。ただ、高市早苗の顔は見たくないので早くカタをつけて彼女の顔がTVに映らないように、ネットニュースにも出ないようにしてもらいたい。一時の福島瑞穂もそうだった。大臣か何かやると見たくない顔になる人(女が多い、というか、そうなった男は知らない)がいる。

WBC日本メキシコ戦観戦記

この試合、 2つの分岐点があったと思う。 ①7回表メキシコの攻撃で2盗がリプレー検証でアウトになったこと  これは俺の中ではセーフ(にすべき)。タッチされそうになった腕を動かしてタッチをかいくぐった。日本では見かけることのない、神業とも言うべき技。ただ、そのために足がベースから離れて源田にタッチされた。結果的に、三振ゲッツー。これがメキシコの勢いを削ぎ、日本を勢いづけた。ルールで言えば確かにアウトなんだろうけど、俺はこの局面で繰り出したこの神業はセーフにすべき、セーフにしてよい、と思う。いいプレー、気の利いたプレー、懸命なプレーにはルールにはこだわらない判定があってもよい、と思うのだが… ②9回の裏1,2塁のチャンスで村上に代打を出さなかったこと。(結果、村上はサヨナラ打)  不振の村上を代えなかった、バントもさせずに打たせたのは栗山監督の人間性あるいは哲学。村上を信じた結果ではないし、栗山監督のファインプレーでもない。栗山監督にはハナから村上を代えるという選択肢はなかった。目の前の試合に負けようが勝とうが村上との人間関係を優先し、代えるとかバントさせるという考えはなかった、と言うのが俺の憶測。代えるという選択肢があって代えなかったならファインプレーだし、村上を疑ったうえでそれでも信じたなら、よく信じた、と言える。まあ、そういう栗山さんを監督にした、ということがファインプレーとは言える。これで村上ー栗山の人間関係が保たれ、次の試合でも村上が活躍する可能性を残した。去年の日本シリーズでヤクルトの抑え、マクガフの交代のさせ方が高津監督との関係を悪くしたのではないか、という懸念があったのと対照的。(これが原因かどうかは分からないがマクガフは退団) それにしても日本の投手陣は素晴らしい。メキシコ以前の対戦相手も、メキシコも、3番手以降のピッチャーはかなり落ちる。それから日テレは馬鹿だなあ。野球を捨てて、日本での予選リーグで読売グループ内の東京ドームで試合したのに1戦も放送できなかった。

NHK Eテレ こころの時代~宗教・人生~ 無宗教からの扉(4)「他力をえらぶ」

 阿満利麿(あま としまろ)という「歎異抄・親鸞 研究家」がNHKの「無宗教な」二人のディレクターに向かって講義をする(教えを垂れる)番組。この回は今の日本人の問題点を指摘して面白かった。 阿満さんによれば、日本の「人は死んで先祖=神様となって子孫を守る。だから先祖に救われるべく祈れ」という自然宗教は破綻していると。この自然宗教は、ある地域に生まれた人が外に出ず、先祖から子孫まで、代々そこに住み続けることを前提としているが、実際には今、日本人は生まれた土地どころか日本国内に住み続けるかどうかも分からないし、逆に外国人を含む、よその土地で生まれた人がたくさん入ってくる。子孫が自分を大切に葬り神として祈るなんてことも期待できない*。 親鸞の「他力」とは自然のこと。自然とは「人間の計らいではなく、おのづからそうなる」ということ。あらゆることは、人間の計らい・意志・考えでどうこうすることはできない、と諦め、信じることが他力である。(かと言って、どうあがいてもすでに運命は決まっている、という宿命論でもない。ここがプロテスタントと似てる。)救われるために祈る、念仏するのも祈り・念仏という行為で救われようというのだから自力。念仏に見返りなどない。念仏は単に阿弥陀様を信じていることを表すだけ。いくら信心したって生きている間に救いなど感じられない。せいぜい現実を少し冷静に見ることが出来るかどうか程度。 輪廻は平等。生きとし生けるものは何千何万回と永遠に生まれ変わる。輪廻を繰り返すうち、親兄弟、人種、民族、国なんていう区別、人間か人間でないかという区別も一時的で意味のないものになる。輪廻するうち万物の間に違いがなくなって平等になる。平等だから霊力を持った他人に頼ったり、カリスマの言うことを聞くのではなく、自分の頭で考え、答えを求めて人に聞いて問答しなさい・・・ここのところが難しい。阿弥陀様は勝手に救ってくれるからそれを信じて自力で救われようとしなくてよい。救われようとして無駄なこと、ややこしいことをするのはせず、かと言って、救ってもらえるから何もしなくていいや、と慢心するのでもなく、宿命論的に何もせずに「おのづからなる」のを待つのでもなく、現実を冷静に見つめ、どうすれば苦しみがなくなるか自分の頭で考え、皆で問答し合いなさい、ということか。 *その通り。ということは、「先祖を神様...

「文七元結」を聞く

 寝ていたら、談志師匠の言っていた「業の肯定」が一番分かりやすい落語は「文七元結」だ、と思いついて、改めて志ん生と談志の「文七元結」を聞いた。 博打に身を持ち崩し家に金を入れない職人がいて、夫婦げんかが絶えない。娘が見るに見かねて吉原の遊郭に身を売ろうとしてある遊郭に行く。そこの女将がいい人で2年の内に返せばその間、娘に客を取らせないという約束で50両貸してくれる。50両借りた職人、帰り道で橋から身を投げて自殺しようとする奉公人に出くわす。奉公人の名前は文七と言って得意先に集金に行って50両受け取ったが、店に帰る途中、それを掏摸に取られて無くしたので死んでお詫びするのだ、と。職人は最初は「死んじゃあいけねえ、死んだって何もならねえ」などと言って自殺を止めようとするが文七の決意が固いと知ると「どうせ死ぬなら俺の見てないところで死んでくれ、俺の目の前で飛び込ませるわけにはいかねえ」と言って借りたばかりの50両を文七に投げつけて立ち去る。ところが文七が無くしたと思っていた50両は得意先に忘れてきたことが分かり、文七の店の旦那が職人に感謝して娘を身請けし、文七と結婚させる・・・というハッピーエンド。 この話の肝は自殺しようとする文七とそれを止めようとする職人のやり取り。(談志、志ん生とも同じ表現・せりふ回しだった)損得を忘れて借りたばかりの50両を文七に投げ与える職人の意地。「50両無くったって俺やかかあや娘は死にゃあしねえ。お前は死ぬと言うから」と、50両を文七にやる。固辞する文七に50両を上げるのでも渡すのでもなく乱暴に投げつけて職人は逃げるように立ち去る。 あえて善悪、正邪、損得を忘れ、意地で悪、邪、損を取る、話しても分かんねえ相手には面倒臭えから乱暴な言動をする・・・これが江戸っ子(日本男児?)で、これが「業」。この業をよしとするのが落語。一神教の信者にこれが理解できるか?一神教では善悪・正邪・損得は神様によって決められてしまっている。一神教でない日本人はその時の成り行きで善悪・正邪・損得にこだわらない選択ができる。神様がやれ、と言うことをし、やるな、と言うことをしない(やるな、と言われていないことは何をやってもよい)、というのが一神教教信者の自由。融通無碍に成り行きで善悪・正邪・損得を変える日本人。日本人は、既成事実に押し流され同調圧力と業のおかげで負ける...

安倍晋三 歴史修正主義者?

安倍晋三さんは  日本国憲法は占領軍が粗雑に作ったものを押し付けられた 東京裁判は戦勝国による敗戦国日本に対する断罪 慰安婦を強制連行した証拠はない 国のために殉じた人たちに対して国のリーダーが尊崇の念を表するのは当然だから靖国神社に参拝する といった首相になる前からの発言から、「日本は侵略戦争はしていない、南京虐殺はなかった、慰安婦はなかった」ということを主張する歴史修正主義者だ、というレッテルを貼られた。また同盟国のアメリカがやられたらアメリカを攻撃した国を攻撃する、という集団的自衛権を認める(戦争法案と呼ばれた)法律を作ったところで「日本が戦争に巻き込まれる」と批判された。どうも、このあたりが、安倍晋三さんとその「戦後レジームからの脱却」が嫌われた経緯・理由らしい。 2014年12月に行われたカレル・ヴァン・ウォルフレンと白井聡の対談を本にした「偽りの戦後日本」(角川刊)という本を読んだ。白井さんのことは知らなかったが、ウォルフレンさんは 「日本は占領されたままだ、目覚めて独立せよ」という考え、「自衛隊は違憲だから改憲して防衛専門の軍隊を持て」という意見の持ち主で「戦後レジームからの脱却」論者だと認識し、興味深くこの本を読むことにした。 同じ「戦後レジームからの脱却」論者でも、二人は徹底的に安倍晋三が嫌いで歴史修正主義だ、頭が悪い、何もわかっちゃいない、と非難する。これには 大いに違和感がある。俺はアメリカと同盟関係にあるべきかどうか、を除いて安倍晋三さん(以下”安倍さん”)の言うことには概ね賛成だ。もっとも、安倍さんはアメリカとの同盟も日本が核兵器を含む独自の戦力を持ったら見直す(言い方を変えれば日米同盟を見直すためには日本は独自の戦力を持つ必要がある)と考えていた節はある。白井さんによれば、安倍さんの原発再稼働論は核兵器保有論だそうだが、将来的にアメリカとの同盟を解消する(そのために核兵器を含む独自戦力を持つ)ことを狙っていたなら俺は安倍さんに全面的に賛成。 二人がいい気になって安倍非難をし、「日本人は何もわかっちゃいない」と、日本を憂うのには大きな違和感を持ったが、それでも、この本で面白かったところがあった。以下抜粋: ①2014年3月17日に行われた クリミア議会によるウクライナ からの独立、ロシア連邦への併合についての決定について 白井「日本...

ガーシーの前に除名になった国会議員(川上貫一)

戦前からの筋金入りの共産党員・川上貫一は投獄されても節を曲げず、戦後は日本がアメリカ様の「犬」となって独立させていただこうという時に、ソ連・中国との講和や米軍撤退を求めた。反動勢力という言葉を使うのは今となっては違和感があるが、当時は決まり文句だったから許すとすれば川上貫一の主張は正しくまともである。アメリカの犬になるのは独立ではなく、属国だ。正しくまともなことを言った議員を除名にするとは当時の日本はどうなっていたのか?それほど共産党が恐かったに違いなく政府は非常に神経質になっていた。(なんと川上貫一除名のニュースは報道もされなかったらしい)それに引き比べ、志位ちゃん率いる今の共産党はふがいないネ。自民党も共産党もぬるま湯につかった蛙になっちゃった。 日本共産党大阪府委員会のサイトより以下:   1949年以来、旧大阪2区から6回にわたって国会に送りだされ、日本共産党衆院議員団長を務めた川上貫一(1888―1968)。「白髪の青年」といわれ、変革の情熱にみちた演説が聴衆を魅了し、「私の川上はん」と、誰もがほおっておけない人柄が多くの人に語り伝えられています。  51年1月、衆院本会議で 「日本の独立、平和は、全面講和の締結と占領軍の即時かつ完全な撤退によって実現される」と主張し、 米日反動勢力の犯罪的なたくらみを糾弾しました。これが「国会の品位を汚した」と「懲罰委員会」が「陳謝」を求めますが、川上は敢然と拒否します。それを理由に、3月29日、賛成239、反対71で除名処分を下します。  反対討論には大阪4区選出の加藤充がたちました。「院内多数の暴力をもって、真の愛国者である川上君を除名することはできるかもしれない。しかし、全日本、全世界の平和と自由を熱望する10億の人々を除名にすることは断じてできません。裁かれる者は、このファッショ的陰謀を計画し、遂行した者自体であります」。社会党の猪俣浩三も「ファッショに対して民主政治の殿堂を守り抜きたい」と反対しました。  川上演説の内容は、一般新聞では報道されず、「赤旗」も発行停止されているもとで、「国会情勢」としてひそかに配布、販売されました。  川上は、53年の総選挙で国会に返り咲きます。それは大阪2区有権者が川上除名処分に突き付けた回答でした。 戦前、大阪府の幹部として      川上は岡山県に生まれます。子ども...

100年前のClarence Williamsを聞く

 今でもかろうじて残っているが、主に音楽を記録するレコード/アナログレコードというメディアがある。1980年代CDが普及して以来記録メディアとしてはほとんど絶滅しかかっている。(逆に言えば20世紀中に絶滅すると思いきや、何十年もしぶとく生き残っている)CDはポリカーボネートでできた円盤に凸凹を作ってその凸凹が0か1かのデジタル信号となる。レコードは、マイクに伝わった音が塩ビの円盤上の溝となってアナログ信号になる。 Wikipediaによればレコードは初期はプラスチックの円盤でなく、金属の円筒だった。これがシェラックというプラスチックの円盤に変わった。(SP盤)SP盤は音溝の幅が広く、片面の収録時間は直径10インチの盤で3分、12インチで5分だった。これが1950年代に塩ビ製の円盤に変わり、録音技術も進歩して音の溝が飛躍的に細くなって直径12インチで片面30分となった。(LPレコード)これが今でもレコードと呼ばれるメディアとして生き残っている。 俺の好きなジャズレコードLPも1950年代前半までに録音されたものはSP盤に録音されたのをLPに再録音したものが多い。SP盤は10インチが主流で上述の通り3分という時間の制約があった。従い、SP盤に録音された演奏はほとんど3分前後の演奏である。イギリス人(だけじゃないかも知れないが)はジャズ(だけじゃないかも知れないが)の演奏をプレーヤーごとに録音日の順(chronological)に並べてコンピレーションCDにするのが好きだ。ある意味、真のレコード(記録を残す)ということ。演奏に対する好き嫌い、優劣の評価をせずに淡々かつ網羅的に順番に並べて収録する。当然、そのCDにはdiscographical data…いつどこでどんなメンバーで演奏されたのかの情報…を記したパンフレットが付く。アメリカ人は自国の音楽であるジャズをこんなに丁寧に扱わない。特にdiscographical dataなんて重きを置かない。CDの収録時間は79分。SP盤に収録された演奏をCDに再録しようとすれば25曲入り、と言うことになる。たくさん録音を残したプレーヤーの全演奏をこの手のCDにしようと思えば何十枚というボリュームになることもありうる。SP盤に録音されたような古い演奏なら著作権は切れているから遠慮しないでCDに再録して売ることが出来る。 さ...

株は買い時?

 エミンユルマズというトルコ出身のエコノミストがいる。彼によると今年はアメリカの不景気が顕在化し、アメリカの投資に向かっていた金が日本に来るから日本の株は値上がりすると。俺はそれを信じている。とは言うものの、せいぜいNISA枠の120万円の範囲内で日本株を買う程度だが。 昨秋、株主優待まで入れて利回りが高い株を探索したところ、多くの地銀株が利回り5%を上回ることが分かった。東北銀行株を100株買ったところでNISA枠が一杯になったのでそれ以上の購入はせず、今年、三十三、第四北越、百十四といったところを買おうと思っていた。ところが、今年に入って地銀株が2割くらい急上昇。買い時を失った。それがユルマズさんのご託宣通り?日本時間の3月11、13日アメリカの銀行が潰れ、アメリカ株が急落、日本の地銀株も右に倣って1割くらい急落。ここらで手を打って地銀株を買うか?悩ましいところだが、昨秋レベルに落ちるまで待とうかと思う。一方で昨秋¥964で買った東北銀行株は2月27日、¥1063まで上げた後、¥970に。他の地銀株に比べると値上がり率小さい。ただし配当利回り5%強だからよしとする。 上さんの所に証券会社から日本郵政が手放すゆうちょ銀行株を買わないか、という勧誘があった。俺はネットで買った。¥1200の株価が急落するだろうと見て3月13日¥1155で指値して200株買ったが、翌14日に終値¥1131まで下げた。くやしいけれど配当利回り4.3%。やや物足りないが地銀よりは破綻しにくいだろう。まあまあか。上さんは証券会社の言うまま、ゆうちょ銀行株を¥1131で500株買って優待もつく。負けた。 アメリカの不景気はどこまで、いつまで続くのか?つまり、いつが底か?そのあと日本株が値上がりする前に買う、という筋書き。タイミングの見極めが難しい。

BS TBS ”中森明菜デビュー40周年 女神の熱唱!喝采は今も” を見る

 俺は中森明菜ってそんなに好きではない。ノーチェックだったが上さんが録画していたのを見た。実によかった。デビューの時のあか抜けない女の子が1年であか抜け、ウェストはかなり絞られた。太かった腕も細くなったような気がする。この変貌ぶりがとっても興味深い。これも表現・芸の一種だ。当然と言えば当然だが1989年の近藤真彦宅での自殺未遂騒ぎには一切触れられていない。(番組では、その前年の1988年までの映像で終わり)ただし、それを知っている当方としてはそのことを意識して見ざるを得ない。近藤真彦と付き合って女らしくなったのは確実だろうが、いつごろから付き合って、いつごろ自殺未遂するほどこじれたのか?妄想しながら見る。 俺は芸能人を”アーティスト”と呼ぶのは嫌いだ。芸能人なんて一般人・堅気の人より一段卑しい人種だと差別する。アーティストなんて上等なもんじゃない。中森明菜は、この番組のナレーションで言うように”表現者”という言葉がふさわしい。1982年のデビューから1985年の”ミ・アモーレ”、翌1986年の”DESIRE”と2年連続のレコード大賞、1987年の”難破船”、”TANGO NOIR”、1988年の”TATOO”…1988年が絶頂期だろう。番組ではその絶頂期に向かってグングン上昇(変化・進化)していく中森明菜が実にうまく描かれている。二十歳そこそこだが歌はもちろん、ビジュアル、踊り…表現の「成熟」を感じる。言い方を変えればやりたい放題やってそれが受けた・当たった。近藤真彦との仲も絶頂期だったんじゃあないか?ただし、”難破船”は見方によっては失恋するかも、という不安を感じ始めていたようにも…番組の映像では、目に一杯涙が… 1984年(明菜19歳)の「飾りじゃないのよ涙は」がアイドル、少女から大人の女の表現者に変わる曲がり角だったような気がする。番組の映像では白いお面をかぶった十何人かの女のダンサーたちがおそろいの衣装を着て明菜の後ろで踊っている。思えばたくさんのバックダンサーたちが舞い踊るというのも昭和の遺物。懐かしい。 テレ東でも似たような企画はあるが、いかんせん、映像がないから、紅白歌合戦や有線大賞やら他局の映像を借りるか、DVDの映像を映すしかない。そこへいくとTBSにはレコード大賞、ザ・ベストテンという素晴らしい素材がある。特にザ・ベストテンの映像を見てい...

新聞屋

 Y新聞を取るのをやめた後、Y新聞の販売店からの売り込みがしつこい。インターホンで上さんと販売店のおじさんとのやりとりを聞いていると、おじさんは「困っているんで助けてください。値引きしますから」とか「年末だけでも」とか意味不明なことを言う。上さんは「主人がもう読まないってい言ってますから」の一点張り。「旦那さんに会わせてくれ」とおじさん。俺は30年前にA新聞のおじさんとケンカした前科がある。それを覚えているのか、上さんは「会わない方がいい」と。俺はもし会ったら「困ってるから、という文句は気に食わない。今、助けたら、将来俺が困ったときアンタ助けてくれるか?もっと気の利いた口説き文句を編み出して出直してこい」とケンカ腰で言うつもりだった。 30年前のA新聞の時もそう思ったが新聞もご立派なことを書くけど、販売店のおじさんは汚い営業してる。あんなこと、俺には絶対できない。誇りのない営業。末端でこんなことがおこなわれていることを聖教新聞とか赤旗といった”非営利の”新聞の社説で取り上げないか?(もっとも取り上げても俺は聖教新聞や赤旗を読まないから分からないが) 30年前はまだ新聞(を配達して届けるの)はそれなりの存在意義があったが、もうオワコンンだ。そういう意味では新聞屋さんは冗談抜きで困っているとは思う。おじさんはそこんとこ分かった上で、あんな惨めな営業をしているのかな? ケンカすると、こっちの住まいは相手にバレているから何されるか分からない。今日は上さんが丁寧に断ってくれた。ありがたいネ。

続:スマホの機種変更が夫婦二人で大体できたぞ!(LINEに文句)

 新しく買った端末でLINE電話できるかどうか確認した。まず、上さんからかけてもらう。OK。次に俺からかける。初めてLINE電話をかけると「音声の録音をLINEに許可しますか?」とポップアップで聞いてくる。俺は録音されるのなんか嫌だから当然許可しなかった。すると呼び出さない。何回かけても上さんの端末はうんともすんとも言わぬ。どうすればいいのか分からない。何十分か「設定」のどこをいじくればいいのかさまよって、イライラした挙句、上さんのアドバイスに従いネットで「LINE電話が使えない」を検索すると、録音を許可しない=マイクとやらを使えない=通話できないと言うことになるのだそうだ。俺には「マイク」なるものとこちらからかけられないことがどう関係するのか理解不能だったがそんな詮索はどうでもいよい、マイクとやらを使えるように設定しなおして無事通話可能となった。以下文句と疑問。 ①LINE様、なぜポップアップで「録音を許可しないと通話できませんよ」と表記しないのか?もっと言えば、初めて電話をかけようとしたときにポップアップで聞いてくる、などという姑息なことをしないで、LINEを使い始めようとするユーザーに対して「LINE電話をかけたければ録音を許可しろ」とか「録音されることに同意しなければこちらからかけられませんよ」と断ってくれないか?俺のような頭が固い人間には理解不能。一方で「録音されたくないけど通話したい」人が圧倒的に多いと思われるが、そういうユーザーはなぜLINE電話を使えないのか?LINEて通信傍受、盗聴をしたい、(あるいはその手助けをする)ということ?まあ、黙って録音されるよりはまし、と言えないこともないが。何かあったら「あなた、録音に同意しましたよね」って言い張るのってユダヤかアングロサクソンの手口。 ②設定が端末の設定なのかLINEの設定なのか?俺も少し知恵がついたからLINE電話が出来るようにするには多分、設定を変えなくてはならないとは見当がついた。しかしどっちの設定をどういじくるのかわからずに何十分かさまよった。分からない時は自分の頭を使わず、ネットで検索して「サクサク」(これ古いかな?)答えを探せということ?これもまた、俺の流儀と合わない。問題が起きたら自分の頭で考える、これ当たり前だし、ネットやAIでは答えが見つからない問題、どれが正しいかわからない...

スマホの機種変更が夫婦二人で大体できたぞ!

 4年前に買ったUQモバイルスマホ(アンドロイド)のインターネットが外でつながらない。Auショップに行ったらSIMカードを取り換えても駄目、スマホ端末が壊れているのが原因という診断が下り、端末を買い替えることに。安ければ何でもよかったが、ネットで調べて今と同じAquosでAquos Wish\26000を買うことに。端末を買ってついでにデータ移行も頼むつもりでUQスポットに行ったら、まず店員は、Auショップで取り換えたSIMカードが正常かどうかをチェックした。端末は壊れてなくてSIMカードが壊れている可能性もあるからだと言う。これには面白く感じたし、大した時間がかかるわけでもなし、その慎重さに感心した。結果SIMカードは正常。一方Aquos Wishは「在庫切れ」とのこと。その代り似たような機能の富士通のarrows Weが同価格で買えると。一応、近くのBカメラ、Y電機を回ってAquos Wishを探すことに。一番近くにあったY電機で聞いたらやはり在庫なしと。俺はもうUQスポットに帰ってarrows Wishを買う気になっていたが、上さんがもう1軒、Bカメラに行こうと。BカメラでもAquos Wishはなかったが、arrows Weが¥22000だと。Bカメラ自身ではデータ移行はやらないと言われ、紹介されたデータ移行をやってくれる店(Bカメラの子会社?)に行き、いくらかかるのか聞いた。UQスポットで聞いていた値段より高そうだったので、Bカメラで端末だけ買ってデータ移行は自分でトライしてダメだったらUQスポットに端末を持ち込んででやってもらうことにした。 そこでBカメラに取って返したが、10分か20分前に¥22000のarrows Wishを紹介してくれた店員が接客で忙しい由。他の店員も空いておらず、UQの販売・契約ができる人がその日のうちに空くかどうか分からないと。早く買いたい俺は、Bカメラの他の店に電話し、arrows We  の在庫を聞いたら「お色は?」と。「今日中に買えれば何色でもいいよ」と俺。「在庫はありますが来店時間を決めてください。 」というやり取りがあって6時に予約。そのとき店員から「6時から余り遅れるとキャンセルになるかも」と脅かされる。 5時55分にBカメラについてようやく買わせていただけることに。「¥22000になるんだよね」と...

バンカーに入ったボールが見つからない・・・

 一昨日、学校の同窓会のゴルフコンペを茨城ゴルフ倶楽部でやった。なんでも同窓生の中にこのクラブの古株メンバーがおり、クラブ側と交渉として年に1,2回安くコンペを開催できるようにしてるんだそうだ。幹事が案内のメールに「名門茨城ゴルフ倶楽部で…」と書く。確かに名門かも知れないがメンバーさんに気を使って「名門」などと書く、その卑しさ、ゴマすりに嫌気がさす。加えて朝早く起きなくてはならず、また「名門」だから安いとはいえ、俺が普段行っているゴルフ場の倍くらいの値段だし、その卑しい心根の幹事にも会わなくてはならない。とは言うものの、同期から誘われて断り切れず、やむなく参加する。 さすが、名門ゴルフクラブ、キャディーバッグに靴が入っているかチェックし、入っていればキャディーバッグから靴を出して置く。俺のキャディーバッグを見たら「シューズなし」と書いた紙が貼りつけてあった。実は俺は息子が学生時代履いていたナイキとかアシックスの運動靴の布袋にゴルフシューズを入れ、キャディーバッグに入れていく。名門ゴルフクラブではそんな汚い袋に入っているものは「シューズ」とは認めないらしい。(確かにそんなものをわざわざキャディーバッグから取り出しておかれたら困る。) さて、俺の同期が1組前でプレーしていたが、バンカーの砂が非常(異常)に柔らかく、バンカーに入ったはずのボールが砂に埋まって見つからなくなった由。バンカーに入ったことはキャディーや同伴プレーヤーが見ていたので、バンカーに入ったとみなし、そんな砂の柔らかいバンカーから打つのは嫌なのでバンカーの外(後ろ)から2打罰で打ったと。 懇親パーティーでそれを聞いた俺は「100を切れば御の字のレベルの俺たちの懇親ゴルフではそれでいいけど、ルール的には正しくないと思う。ボールが見つからなければあくまでロストとして扱うべきだ」と主張し、結局ルール的にどうするのが正しいのかわからないまま帰宅した。居合わせた別の同期から「どういう処置がルール的に正しいのか調べて教えて」という宿題をもらったので早速ゴルフ仲間に質問したところ、俺と同様「ボールが見つからないからあくまでロストかまたはアンプレヤブル」とのこと。初めてJGAの公式ゴルフルールを参照したが、ロストあるいはアンプレヤブルの場合は「直前のストロークをした地点に戻って1打罰で打ち直せ」とある。これが正式...

スマホのインターネットがつながらなくなった

 スマホのインターネットが自宅(Wi-Fi環境下)ではつながるが、外でつながらなくなった。ネットで対処法を見てスマホの設定をいじくったり、再起動してみたりしたが、よくならない。近くのAuショップに行って直してもらおうとした。店の人も俺がやったように設定を確認し、再起動させるが、治らない。SIMカードを新しいものに取り換えてみようということに。京都弁の若い女性が担当してくれたが彼女によれば新しいSIMカードは今契約しているプランでなく、新しいプランでないと対応しない由。価格は差がないようなので新しいプランに切り替えることにしたが、彼女は、俺の契約しているUQ電気のサービスで家族の携帯料金が一人当たり580円安くなる割引を継続するには家族も新プランに切り替える必要があるかも知れないと言い出した。Auショップ入店後、ここまでで1時間。簡単に設定かなんかをいじってすぐ治ると思っていた俺はかなりイラっと来た。彼女に言うでもなく「これだからITとかスマホって嫌だよ。こっちは5年10年同じものを使い続けたいのに2,3年で勝手に新しいものに変えていく・・・。インターネットさえつながりゃあいいのに、何故プランまで変えなくちゃあならないんだ?」と独り言。これを聞きつけた彼女は「コロコロ短期間で変わるのは安いプランの問題点なんです。私たちもついていけないんですよ。お客さん、できれば1年に1回くらいはAuショップにきて新しいプランについて聞くようにしてくださいネ。」と。問題の家族の携帯料金の割引は、彼女がAu本部の専門家?に聞いてくれて家族が新プランに切り替えなくても580円割引は維持できることが判明。 さて、俺はSIMカードを取り換え、新プランにも切り替えたがやっぱりインターネットにはつながらなかった。購入後4年たってスマホが壊れているからだ、という結論に達した。結局2時間かけて、スマホのハードが壊れているからインターネットにつながらない、ということが分かった。スマホの買い替えとなるとその場で即決はできず、後日にした。 俺たち老夫婦としては2時間も若い人に付き合ってもらってよかったし、何より彼女の対応が心地よかった。価格が上がるかもしれないことを察知してくれ、自分で分からないことは知っている人に聞いて確認してくれた。手際が良かったとは言えないかも知れないが、誠意・親切は伝わってき...

ダイエットは30年来の趣味

1月の健康診断の結果があまりよくなかった。血圧、血糖、コレステロール全てダメ。コレステロールは薬を飲んでるのに上がっている。血圧・血糖は薬で押さえる一歩手前だ。医者から体重を減らせ、と言われてダイエットに励んだ。俺のダイエットは歴史が古い。30年前に体重が史上最高の78キロまで増え、血糖値が上がって医者から夫婦ともども呼ばれて68キロまで体重を減らせ、と言われ、指導を受けた。その後6か月で10キロ落として体重を68キロにした。1月で2キロ弱の減量は急激だった。「あいつは癌だ」と陰口を言われたとか。(俺でも知り合いが半年で10キロやせれば同じことを言うだろう) ダイエットの手法はシンプルで、①体重を毎朝飯前に測ってグラフに書く②1日1時間以上歩く③医者に教わった食物のカロリー数を目安に1600キロカロリー(だったか1800キロカロリーだったかうろ覚え)の食事制限・・・だ。食べ物はやたらに、きのこ、海藻、寒天が増えた。野菜とか果物は結構カロリーが多いものがあるので要注意。始めて1月もすると体重が減り出して励みになったし、歩くのもカロリーコントロールも慣れた。それまでは宴席で少しは酒を飲んだが、カロリー計算がいい加減になるので酒を飲むのをやめた。半年で10キロ痩せて以来、「ダイエットは簡単だ」となったが、半年で目標を達成してモチベーションを見失って以降、気を抜くと70キロオーバーとなるのでダイエットして体重を減らす、というサイクルを20年間繰り返した。60歳を超えるとダイエットが甘くなって72キロオーバーになることも増えた。1月の健康診断も体重72キロオーバーの状態でやったので、ある程度予想した通りの結果だった。(意外だったのは血圧。血圧は体重が増えても130以下を維持していたのだが) 今回のダイエット: もうカロリー計算はしない。食事制限は「空腹になるまで食わない」という手法。朝昼晩と規則正しい食事ではない。ミニ断食をして我慢できなくなれば食事する。食事は「腹八分目」。これで「胃が小さくなって」食事の量が減る。食事のタイミングが不規則になって上さんには迷惑をかけるが、これで20日間で1キロ~1.5キロの減量に成功。血圧も130台以下に下がりつつある。(血糖、コレステロールは数か月後の血液検査まで分からない)。歩くのは1日8000歩以上を目標。体重グラフはつけない。 たま...

Sドラッグで

 Sドラッグに行ったら「1階で火災が発生しました。落ち着いて退避してください。」というアナウンスが聞こえた。とてもうるさく、また訓練なのかマジなのか判断がつかなかいのでイラっとしたが、レジを見ると何もなかったように支払いをする客と対応する店員がいた。普段無愛想で嫌な感じの年取った女の薬剤師が俺と目が合うと「大丈夫ですよ。火事じゃありません」と小さな声で言ってくれたが、一方で、いつもは愛想がよく礼儀正しい店員たちは誰一人としてこの異常事態について客に一言も説明しようとせず、おかしな警報にとまどっているような、自分達も被害者みたいな顔をしていた。 Sドラッグさん、若い店員向けのマニュアルには「火災警報の異常が起こっておかしなアナウンスが行われたら、客に向かって『火事ではありませんから安心してください』と言いなさい」とでも書き加えた方がよい。 結局、「火災警報器が反応しましたが、”調査の結果、異常”がないことが判明しました」という放送が行われ、おかしなアナウンスも終わった。これがまた言葉足らずでおかしい(面白い)。この言い方では、調査は火災報知器に対して行われたようにも受け取ることが出来る。つまり、「火災報知機をチェックしたが異常がなかった」すなわち、「実際に火事があった」ということになる。面倒くさがらずに「火災報知器が異常だった」「火事はなかった」という2つのことを言うべきだろう。 こんなことに、いちいち目くじらを立てる俺が悪いのかネー???上さんは「察しろ」と言う。俺は「他人に察してもらうことを期待したコミュニケーションをやめろ」と言う。自分の言いたいことが察してもらえずに理解されないかも、という恐れ、この表現では言い過ぎではないか?あるいは言葉足らずではないか?という恐れを抱いてコミュニケーションすることが日本人を変える第一歩だと思うんだが…。もっとも、日本を変えるべきかどうかが分からない。

昨日をもって新聞を取るのをやめた

 山本夏彦さんによれば、新聞記者は「新聞に載せられる記事」を書く。 新聞社は売れる記事を掲載する。 つまり、新聞に真実や正義などは期待できないと。 (それが証拠に、たった何十年前には「鬼畜米英」「撃ちてし止まん」「天皇陛下万歳」なんて書いてた新聞が恥も外聞もなく「平和」だ「民主」だ、と書く。 )21世紀に入って本当にそれを実感し続けてきた。 それでも、これまた夏彦さんの言葉の通り、人間の行動に意味なんてなくて、人間はただ、それまでやってきたからなんとなく続けるもので新聞購読をやめられなかった。  理由は分からないが、ここ2,3年、結構思い切って古いものを捨てるようになった。 (身につけるものや道具などを使えなくなる前に捨てるようになった)夫婦で「新聞やめてもスーパーのチラシ以外には困らないネ」というやりとりがあり、とうとうやめた。 昨日から来ない。 昨日は朝、新聞受けをチェックして、新聞が来てないことを確認した。 就職して以来40数年間にわたって新聞を取り続けてきた。 考えてみれば休刊日を除いて年間350日くらい新聞が来続けていたわけだ。 通算すれば朝刊だけで1万5千回以上新聞を受け取ってきた。 悪天候を除き、新聞配達の不調で配達されなかったということは指折り数えるくらいだった。 日本人はまじめに新聞を配るなあ、と感慨深い。 夏彦流に言えば新聞配達もやめられないんでしょう。  21世紀に入ってから新聞(新聞に限らずTVのニュースやコメンテーターも同様)が嫌になったのはポリティカル・コレクトネス、LGBT満載だからだ。 これに最近はSDGsが加わった。 イーロンマスクやトランプも大嫌いらしい。 俺も大嫌い。 放送禁止用語、自粛用語は誰が何のために禁止し、自粛しているのか分からない。 昔から精神を病んでる人のことをキ〇〇〇と呼び、目の不自由な人のことをメ〇〇という。 何が悪いのか分からない。 自分が精神や目を病んでキ〇〇〇とかメ〇〇と呼ばれても悪い感情は湧かないと思う。 もっと言えばキ〇〇〇やメ〇〇になったらなるべく人前に出ないように、家に引きこもると思う。 だって世の中の仕組みは健常者用にできていて、それにスムーズに適応できないキ〇〇〇やメ○○は健常者の邪魔にならないように片隅で大人しくしていなければならないと思うから。  何十年...

真善美

 「しんぜんび」と入れたら「真善美」と変換された。つまり、真善美という言葉は完璧に忘れ去られたのではない、ということが確認されたわけだ。だが、真善美はほとんど死語だ。数十年前までは真善美という普遍的で永遠に続くもの(普遍的で永遠に続く”べき”もの)がある、と信じられていた。 善と美は20世紀に「科学」の挑戦を受けて大きく揺らいだ。真は21世紀、インターネットやAIの挑戦を受けて危なくなっている。 科学によって資本主義の矛盾は止揚され人間は幸福になると信じられてロシアや中国で「革命」(実態は資本主義未発達の国で起きた単なる政権争いだったようだが)が起きた。何十年かの内にその、理想を実現するはずの「善なる革命」は嘘・失敗だったことが判明した。新しいエネルギーとして原子力エネルギーが生まれたが、人間を幸福にするはずの善なる原子力は冷戦の結果、地球を何十回(何百回?)も破壊できるほどの大量の核兵器を生んだ。夢の新物質であったプラスティックも今や諸悪の根源だ。 昔ながらの”美”も、絵で言えばピカソやダリ、キリコ、マグリットといった抽象派やマルクス、フロイトの影響を受けたシュルレアリスムの画家の挑戦・攻撃を受けた。音楽で言えばストラビンスキーやシェーンベルクの無調が伝統的な「美しい音楽・和音・調性」に対して提示された。シュルレアリスムや無調は、それまでの絵や音楽が人間に幸せを感じさせたりリラックスさせる効果があったのに対し、人間を不安にし、落ち着かなくさせた。 20世紀と言う世紀は「善であり、幸福をもたらすはずの『ロゴス・科学』が不善をなし、不幸をもたらすこともあるのだ」ということが実証された世紀だった、とも言える。面白いのは共産革命、原子力にかかわった人たちにはユダヤ人が多かったことだ。だからユダヤ人は…とも言いたくもなるが、正確に言えば彼らの生み出した過激・過剰な力を持ったものが間違った使い方をされた、と言うべきだろう。 そして真。トランプやプーチンは今までのメディアはフェイクだ、と言う。そして自ら嘘やフェイクと思しき情報ををまき散らす。彼らの狙いは明確だ。彼らの怪しい情報に賛同する人間が数千人万単位でいるから民主主義社会では大きな力になる。大統領にだってなれる。賛同者が圧倒的多数に達さなくてもよい。彼らの言うことが明確に嘘だ、と断定されなければそれでよい。つまり、...

戦争とLGBT、SDGs

 ゼレンスキーは「男はウクライナに残って国を守れ」と言った。明らかな男女差別。身も心も100%女の人は「差別された~」と思うだろう。(あるは安心する?)それでは、「体は男だけど心は女」とか「体は女だけど心は男」なんて言う連中はどう思うのか?ゼレンスキーの発言にはそういう配慮のかけらもないし。また、そんな、明らかな差別発言をピー音も入れずにそのまま放送・拡散するメディアもいかがなものか?一方でプーチンの「ウクライナはナチだ」発言もピー音なしで聞くことが出来るが、差別・偏見あるいは間違いだろう。それでいいのか?精神的に病んでいる人のことを呼ぶ昔ながらの「キ〇〇〇」と言う言葉にはあんなに反応するのに。かつてソ連には女の兵隊がいた。ワグネルは女は雇わないのか?ウクライナ戦争ではウクライナ、ロシアを問わず、女の兵隊の姿を見ない。本当に女の兵隊はいないのか?それともメディアが操作しているのか?だとしたら何のための操作なのか?LGBTの観点から言えば、女やLGBTの兵隊が勇ましく戦っている姿を大げさに報道・拡散すべきだし、ロシアとウクライナの女の将軍や将校の人数比率を比較すべきではないか? ゼレンスキーは「ロシアが(CO2を発散する武器で)ウクライナを攻撃してきたから、ウクライナにも(CO2を無駄に発散する)武器をくれ」と堂々と言っている。ロシアに反撃したらCO2の発生は2倍になる。これを聞いてスウェーデンの何とかツーンベリとかいう少女はどう思うのか?爪の先に火を灯すようにして様々な温暖化対策をしているのに、戦争してCO2を大量に発生させる奴がいることに対して。 山本夏彦さんの「茶の間の正義」「平和な時の平和論」である。戦争に無縁な場所、時代にはご立派な正義論、平和論が語られるが、いざ、戦争になった途端に正義や平和が語られなくなる。最も正義や平和が語られなくてはならない時なのに。