景気が良いと(You'd be so nice to come home to)
何十年ぶりかで90分のカセットテープに録音されたFrank Sinatraを聞く。何曲か聞く中にYou'd be so nice to come home to.という歌がある。この歌が録音されたのが1961年。この歌の題名を日本語に翻訳をしたのが大橋巨泉で、後世、大誤訳だった、と自分で認めていた由。つまり、「帰ってくれたらうれしいわ」と、男が帰って来るのを女が待つという風に翻訳した。(本人が誤訳と言い張っても訂正されずに、今でもその題名のまま残ってるが…)これが誤訳であるという話は俺も知っていたが、それではどういう風に考え、どういう風に訳すのが正しいのか?うろ覚えだったので改めてネットで当たってみると、最後のtoが鍵で、come home to you.のyouが省略されているんだそうだ。つまり、帰る(come homeする)のはあなたではなく、私で、直訳すれば「私が帰るべきところとしてあなたはniceだ」更にYou'dの'dはwouldだから、仮定法だ、現実ではないので「あなたのところに帰ることが出来たらいいのに…」といった感じになるのだそうだ。
なんてことをネットで眺めていると当然、YouTubeの「色んな人がYou'd be so nice to come hone to.をやってるよ」が目に入ってくる。誘われてこれも何十年ぶり、Helen Merrillの有名なClifford Brown(1954年録音)とのセッション、そしてこれまた名作の誉れ高い"Art Pepper meets the rhythm section"(1957年録音)というアルバムに収録されている"You'd be・・・”を聞く。加えてHelen Merrillと声質が近い青江三奈、それからJUJU、原信夫とシャープスアンドフラッツの伴奏で歌う高橋真梨子を聞く。日本人歌手の中で意外に良かったのは高橋真梨子だった。青江三奈、JuJuはくせ強すぎ、(あるいは思い入れ強すぎ)
Sinatra,Merrill,Pepperの演奏はすべてメンバーもよく、有名な録音なのでどれがどうということもなく素晴らしい。感じたのは1950年代のアメリカって「粋」だったなあ、ということ。俺の意見では1956年がアメリカで行われたジャズ録音の最後のピーク。それ以前に1928年、1940年と2回ピークがあった。これら3回のピークに共通しているのはアメリカが好景気だったということ。「恒産無くして恒心なし」というが、その通り。やはり人間、食うことに困らないようになれば余裕が出て粋な音楽でも・・・ってなもんでしょう。(食うのに事欠けば音楽どころじゃあなくなる)なぜこれらの年、アメリカの景気が良かったか、というと、1928年は第1次世界大戦のあとの好景気に続いて油田が見つかって・・・1940年は世界恐慌のあと、ようやく立ち直ったら第2次世界大戦が始まって・・・1956年は朝鮮戦争のあとの好景気から車、家電、住宅の消費に火が付いて・・・アメリカって国は戦場にならずに他国の戦争で勝組になって潤ってきたことが分かる・・・ただし、1960年代ベトナム戦争で景気は良かったけれど心は傷つき余裕なくジャズもビートルズにやられ、1970年代は不景気で駄目。それ以降、「粋なジャズ」は消え去ってしまったのではないか?
さて、アメリカ人に「粋」がわかるとは思えないが、俺のジャズ好きは「粋」を感じるからだ、と思う。「いきの構造」を書いた九鬼周造さんによれば確か「交わらない縞模様」が粋だと。求め合っても結ばれない男女のような。九鬼さんはお金持ちのボンボンで1888年に生まれ、1921年から1929年までヨーロッパに留学していたとか。(「いきの構造」の出版は1930年)日本は第1次世界大戦後はしばらく好景気だったが、1922年ごろから景気が悪くなり始める。ちょうど景気の良い上り坂の時期の日本にいて、悪くなってからの日本は知らない。俺の意見では1905年の日露戦争勝利から1918年の第1次世界大戦頃の日本が一番景気もよく、人の心も浮き立っていた。そういう日本で青春を満喫した九鬼さんは「いき」なんぞを語る余裕があった。こんなボンボンを育て、「いきの構造」なんて本を出版させる、ということ自体が「いき」だ。
アメリカで「交じわらないもの」と言えば人種。Sinatraはイタリア系でWASPの上流社会・支配階級には行けず、芸能界に入った。Merrill(白人)を伴奏したClifford Brownは黒人。Pepperと共演したThe Rythm Sectionと呼ばれていたピアノ、ベース、ドラムスはいずれも当時人気絶頂だったMiles Davis Qintetのリズムセクション。Pepperは麻薬漬けの白人。リズムセクションは黒人。ジャズはアメリカにおいてWASP以外の白人(ユダヤ、イタリアが多い)もしくはWSAPにあるまじきWASP(例えば黒人に憧れたり、麻薬漬けやアルコール漬けといった)や黒人といった人たちの演ずる「交わらない縞模様」だったのかも。
閑話休題:
日本が好景気に湧いた1970年代~1980年代、日本に「いき」はあったか?コンプライアンスだ、ダイバーシティーだ、ポリティカルコレクトネスだなどと無粋なことを言っていなかったから、まだましだったかなあ。70年代は戦後も終わって昔の古いものが新しいものに置き換わる境目だったか?日本人もまだ謙虚だったし、俺には感じることが出来なかったけれど「いき」も残ってたんだろう。80年代は古いものがなくなって日本中が「悪乗り」してたかな?「いき」じゃあなかった。
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