戦争とLGBT、SDGs
ゼレンスキーは「男はウクライナに残って国を守れ」と言った。明らかな男女差別。身も心も100%女の人は「差別された~」と思うだろう。(あるは安心する?)それでは、「体は男だけど心は女」とか「体は女だけど心は男」なんて言う連中はどう思うのか?ゼレンスキーの発言にはそういう配慮のかけらもないし。また、そんな、明らかな差別発言をピー音も入れずにそのまま放送・拡散するメディアもいかがなものか?一方でプーチンの「ウクライナはナチだ」発言もピー音なしで聞くことが出来るが、差別・偏見あるいは間違いだろう。それでいいのか?精神的に病んでいる人のことを呼ぶ昔ながらの「キ〇〇〇」と言う言葉にはあんなに反応するのに。かつてソ連には女の兵隊がいた。ワグネルは女は雇わないのか?ウクライナ戦争ではウクライナ、ロシアを問わず、女の兵隊の姿を見ない。本当に女の兵隊はいないのか?それともメディアが操作しているのか?だとしたら何のための操作なのか?LGBTの観点から言えば、女やLGBTの兵隊が勇ましく戦っている姿を大げさに報道・拡散すべきだし、ロシアとウクライナの女の将軍や将校の人数比率を比較すべきではないか?
ゼレンスキーは「ロシアが(CO2を発散する武器で)ウクライナを攻撃してきたから、ウクライナにも(CO2を無駄に発散する)武器をくれ」と堂々と言っている。ロシアに反撃したらCO2の発生は2倍になる。これを聞いてスウェーデンの何とかツーンベリとかいう少女はどう思うのか?爪の先に火を灯すようにして様々な温暖化対策をしているのに、戦争してCO2を大量に発生させる奴がいることに対して。
山本夏彦さんの「茶の間の正義」「平和な時の平和論」である。戦争に無縁な場所、時代にはご立派な正義論、平和論が語られるが、いざ、戦争になった途端に正義や平和が語られなくなる。最も正義や平和が語られなくてはならない時なのに。
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