BS TBS ”中森明菜デビュー40周年 女神の熱唱!喝采は今も” を見る

 俺は中森明菜ってそんなに好きではない。ノーチェックだったが上さんが録画していたのを見た。実によかった。デビューの時のあか抜けない女の子が1年であか抜け、ウェストはかなり絞られた。太かった腕も細くなったような気がする。この変貌ぶりがとっても興味深い。これも表現・芸の一種だ。当然と言えば当然だが1989年の近藤真彦宅での自殺未遂騒ぎには一切触れられていない。(番組では、その前年の1988年までの映像で終わり)ただし、それを知っている当方としてはそのことを意識して見ざるを得ない。近藤真彦と付き合って女らしくなったのは確実だろうが、いつごろから付き合って、いつごろ自殺未遂するほどこじれたのか?妄想しながら見る。

俺は芸能人を”アーティスト”と呼ぶのは嫌いだ。芸能人なんて一般人・堅気の人より一段卑しい人種だと差別する。アーティストなんて上等なもんじゃない。中森明菜は、この番組のナレーションで言うように”表現者”という言葉がふさわしい。1982年のデビューから1985年の”ミ・アモーレ”、翌1986年の”DESIRE”と2年連続のレコード大賞、1987年の”難破船”、”TANGO NOIR”、1988年の”TATOO”…1988年が絶頂期だろう。番組ではその絶頂期に向かってグングン上昇(変化・進化)していく中森明菜が実にうまく描かれている。二十歳そこそこだが歌はもちろん、ビジュアル、踊り…表現の「成熟」を感じる。言い方を変えればやりたい放題やってそれが受けた・当たった。近藤真彦との仲も絶頂期だったんじゃあないか?ただし、”難破船”は見方によっては失恋するかも、という不安を感じ始めていたようにも…番組の映像では、目に一杯涙が…

1984年(明菜19歳)の「飾りじゃないのよ涙は」がアイドル、少女から大人の女の表現者に変わる曲がり角だったような気がする。番組の映像では白いお面をかぶった十何人かの女のダンサーたちがおそろいの衣装を着て明菜の後ろで踊っている。思えばたくさんのバックダンサーたちが舞い踊るというのも昭和の遺物。懐かしい。

テレ東でも似たような企画はあるが、いかんせん、映像がないから、紅白歌合戦や有線大賞やら他局の映像を借りるか、DVDの映像を映すしかない。そこへいくとTBSにはレコード大賞、ザ・ベストテンという素晴らしい素材がある。特にザ・ベストテンの映像を見ているとTV全盛期の(あるいは1980年代日本がバブルに浮かれていた時の)雰囲気や浮かれぶりが伝わってきて懐かしい。あの頃はコンプライアンスもポリティカルコレクトネスもなく、TV番組を作る方も出演する方も楽しんでいた。もうああいう風に脳天気に野放図に楽しくやるってのは出来ないんだろうね。

作詞家、写真家、ディレクターなど明菜と仕事した男どもが異口同音に「すごかった」と言うのも面白い。他にほめ言葉はいくらでもありそうだがこれだけ口をそろえるんだから他に言いようがないということか?写真家によると作り笑いをしなかった由。いいね。

最後に、マツコやミッツといった”女装家”(どうしてオカマは差別用語なの?)が、なぜ明菜のファンなのか?についても分かったような気がする。やらせを嫌い、ぶりっ子でなく、お客さんにベスト・パフォーマンスを見せ、楽しませることに自分なりの強いこだわりがあるところ。それでもレコード大賞を取るとどうしても泣いてしまい歌えなくなって、それを悔しがるそぶり…いじらしい。それも芸になっている。女装家たちも「この女にはかなわない」と痛感する?


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