ガーシーの前に除名になった国会議員(川上貫一)

戦前からの筋金入りの共産党員・川上貫一は投獄されても節を曲げず、戦後は日本がアメリカ様の「犬」となって独立させていただこうという時に、ソ連・中国との講和や米軍撤退を求めた。反動勢力という言葉を使うのは今となっては違和感があるが、当時は決まり文句だったから許すとすれば川上貫一の主張は正しくまともである。アメリカの犬になるのは独立ではなく、属国だ。正しくまともなことを言った議員を除名にするとは当時の日本はどうなっていたのか?それほど共産党が恐かったに違いなく政府は非常に神経質になっていた。(なんと川上貫一除名のニュースは報道もされなかったらしい)それに引き比べ、志位ちゃん率いる今の共産党はふがいないネ。自民党も共産党もぬるま湯につかった蛙になっちゃった。

日本共産党大阪府委員会のサイトより以下:

 1949年以来、旧大阪2区から6回にわたって国会に送りだされ、日本共産党衆院議員団長を務めた川上貫一(1888―1968)。「白髪の青年」といわれ、変革の情熱にみちた演説が聴衆を魅了し、「私の川上はん」と、誰もがほおっておけない人柄が多くの人に語り伝えられています。

 51年1月、衆院本会議で「日本の独立、平和は、全面講和の締結と占領軍の即時かつ完全な撤退によって実現される」と主張し、米日反動勢力の犯罪的なたくらみを糾弾しました。これが「国会の品位を汚した」と「懲罰委員会」が「陳謝」を求めますが、川上は敢然と拒否します。それを理由に、3月29日、賛成239、反対71で除名処分を下します。
 反対討論には大阪4区選出の加藤充がたちました。「院内多数の暴力をもって、真の愛国者である川上君を除名することはできるかもしれない。しかし、全日本、全世界の平和と自由を熱望する10億の人々を除名にすることは断じてできません。裁かれる者は、このファッショ的陰謀を計画し、遂行した者自体であります」。社会党の猪俣浩三も「ファッショに対して民主政治の殿堂を守り抜きたい」と反対しました。
 川上演説の内容は、一般新聞では報道されず、「赤旗」も発行停止されているもとで、「国会情勢」としてひそかに配布、販売されました。
 川上は、53年の総選挙で国会に返り咲きます。それは大阪2区有権者が川上除名処分に突き付けた回答でした。

戦前、大阪府の幹部として    

 川上は岡山県に生まれます。子ども時代は「ひとうて子」(人見知り)でした(『自伝前編 とおいむかし』)。岡山県庁の産業主事当時、のちに「大逆事件」で処刑された森近運平とも触れあっています。北海道庁をへて、大阪府庁へ。米騒動のあと、方面委員制度(民生委員の前)確立に尽力した小河滋次郎が、岡山時代の川上を評価して、府に引っ張ったといわれ、社会事業主事として日本初の本格的な小児保健所の開設をはじめ実績を積み上げます。
 川上は、その傍ら、『経済学のABC』『「資本論」 読本』などを著し、「川上学校」を主宰し、無産者診療所運動の理論的支柱の役割を果たすとともに、戦後の民医連運動に参加する多くの医師を育てます。人民戦線運動にも深くかかわります。日本共産党を募金でささえ、これが「治安維持法違反」だとして、2度投獄されます。しかし、節を曲げず、45年日本共産党に飛び込みます。


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