カレル・ヴァン・ウォルフレン著「日本/権力構造の謎」を読む

この本は1989年に英語版が出され、1994年日本語版が出た。著者は1941年生まれのオランダ人で1962年以降、特派員として日本に駐在。

著者の意見を俺流に要約すれば、日中戦争、日米戦争を遂行するために岸伸介に代表されるような「革新官僚」が政府主導の経済運営を編み出したが、敗戦後、占領軍が民主化から反共に変わり、戦犯として裁かれるはずの革新官僚が日本の政治経済を支配するようになった。彼らの支配システムを著者は<システム>と呼び、そのシステムを守り、動かす支配層を管理者(アドミニストレーター)と呼ぶ。<システム>は法的に根拠のある組織でもないし、日本の戦争責任がどこにあったのか分からないのと同様、誰がトップにいて総指揮をとっているのか、責任の所在はどこにあるのか分からない。戦前からの人脈のつながりで阿吽の呼吸で日本を動かしていく。彼らの多くが東大法学部卒でまた、彼らの手下となって管理者の役割を中心的に果たす官僚も東大法学部卒が多い。

<システム>によって法的根拠も責任も指揮命令もどうなっているのか分からないまま日本は動かされているが著者はこれを大いに憎む。そんな<システム>の支配から脱却するにはまず、「法による統治」が必要で、そうするためには、と本文末尾に以下のような「改善法」が記されている。

(前略)手始めに東大を廃校にする必要があろう。そのほかには、法体系及び政党制に基本的改革を起こさなければならない。多数の大学に法学部を設け、管理者の専断から身を守る手段を個々の日本人に可能にする弁護士を養成する必要があろう。最高裁事務総局から、国の司法制度及び法曹界入りを支配する力を取り上げ、法律家の数を人為的に制限するのを止めさせる必要があるだろう。学校及び報道機関は、会社などの組織に属することが重要だと強調しすぎるのを止める一方、国民一人一人の政治意識と政治に対する責任感の涵養に努めなければならないだろう。これらすべてが、人脈関係にかわって法的規制を確立し、<システム>の非公式性にかわって法によって保証された手続き過程を確立する推進力になるのだ。本質的な改善には、選挙区に政府助成金をいくら持って来られるかに依存する政党でなく、中産階級と工場労働者の利益を真に代表しようとする意志を持った政党が出てこなければならない。(後略)

そして「日本語文庫新版への結び」では:

(前略)知恵ある日本の市民たちこそが、日本の運命を決められるのである。1993年の政治的混乱*は、力を合わせての努力を通して大きな変革をもたらしうる、久しく訪れることのなかったいい機会を生み出したと言える。

日本人には、明治初期、「大正デモクラシー」の時代、敗戦直後の時代から、現在にかかわるメッセージを読み取り、もう一度その意味と目的について語り合うことが、死活にかかわる重要性をもつ。(中略)考えることの強さを知る市民こそが市民社会を強化し、市民社会を政治的に意義あるものにさせるのだ。メディアに手軽に登場できる手段を持つ著述家やジャーナリストが、責任の所在が不透明な日本の官僚権力のどこが望ましくないか、活発な政治議論をすれば、事態を大きく変えることも可能である。(中絡)

必要な政治議論を始めるための第一歩は明らかだ。権力者への問いかけである。官僚や経済団体の経済官僚たち、それにいくつかの政治家グループに対して、彼らが今何をしているのか、彼らが考える日本の向かう先、そしてその根拠を問いただすのだ。(後略)

*日本新党・細川護熙による1955年以来38年ぶりの自民党からの政権交代。著者によれば<システム>は1955年体制と共に完成し、本格的に稼働し始めた。従って1955年体制を崩すことと<システム>を壊すことは同義。


この本に影響されてか、2000年頃日本には「法科大学院」ブームが起こった。俺の部下だった男も法律で飯を食うことを目指して退職した。(その後どうなったかは知らない)著者の一番望んでいた1955年体制の崩壊と二大政党による政権交代の夢は2009年に民主党が政権を取った時、実現するかに思われたが、失敗に終わり、著者が「歴史修正主義者」と呼ぶ安倍晋三によってますます悪くなったらしい。俺はたまたま裁判員候補に選ばれ、事前に裁判員裁判の意義や裁判員の心得だかを聞かされた記憶がある。裁判員裁判って定着したのか?弁護士その他法律を飯の種にする人は増えたのか?改めて俺の日本人論を申せば、日本人には世界を支配する唯一の原理(ロゴス、神と言ってもよい)のフィクションを信じない。唯一普遍の原理=法も信じない。日本人を法律で縛ろう、動かそう、というのは間違い。神様が「やるな」と言っていなければ何をしてもよい、(逆に神様がやれ、と言っていることだけやる)という自由にもなじまない。その時その場の「空気」を感じ、感じたままにふるまう”自由”を好む。つまり長期的な見方、戦略などというものはない。日本人の責任とは「悪い結果となったら頭を下げる」こと。(ただし、頭を下げるのがとっても嫌で頭を下げるくらいなら死を選ぶ人もいるのではないが)議論を「話し合って影響し合う(時には相手の意見を聞いて自分の意見が変わる)」と定義すれば、日本人に議論はできない。互いに自分の後ろについている支持者・部下の手前、彼らの意見をテープレコーダーのように繰り返すだけ。日本人が「考える」とは、支持者や部下の考えや過去を振り返ったり、相手とうまくやる/相手をやるこめる方法について頭を働かす事。ロゴス、大元、本質などに思いをはせることはない。

”メディアに手軽に登場できる手段を持つ著述家やジャーナリストが、責任の所在が不透明な日本の官僚権力のどこが望ましくないか”について、TVで毎朝毎晩活発におしゃべりするが、「政治議論」にはならない。メディアに出続けるためには”受け””映え”が大切で議論なんて関係ない。

この本が出版された後、アメリカはソ連の代わりに日本を「倒すべき敵」と定め、攻撃した。一方、著者の忌み嫌う革新官僚たちも1990年前後には死ぬか、力を失った。日本人自身が日本に見切りをつけ、メディアの影響で官僚・政治家のやり手がいなくなって東大法学部卒の人たちも<システム>を見捨てて外資系企業に行くか海外に出てしまっているのではないか?アメリカの攻撃と、かつて<システム>を支えていた”優秀な”人材がいなくなった結果、1990年以降の30年間、日本はずっと落ち込みっぱなしだ。ネット、SNSのおかげで議論はアメリカでも成り立ちにくくなっていて敵か味方かの分断や陰謀論が盛ん。いわんや日本においておや。

日本人は憲法ですら、ないがしろにする。俺は法律などという浅薄なものに縛られない<システム>の復活を望む。システム管理者に望むのは「中産階級と工場労働者の利益」なんていうケツの穴の狭い考えでなく、「日本のため」という気持ち・気概と知恵・才能。これらは、かつてのシステム管理者が持っていたはずの物。有為な若者は日本を見捨ててしまったか?もう手遅れか?

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