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7月, 2023の投稿を表示しています

マイクロソフトエッジ、偉い・やめてくれ

 ウェブブラウザは普通マイクロソフトエッジを使う。多分パソコンを買った時そうなっていたからか?マイクロソフトのメール(outlook)は、以前使っていたが、やけにセキュリティがうるさく、使い勝手が悪かったのでGmailを使っているが、エッジに致命的な問題はない。 エッジは悪くないが、賢すぎ、押しつけがましい。先日ビッグモーターの除草剤事件が話題になって、「除草剤って草だけでなく、木も枯らすの?」という疑問が湧いて「除草剤」を検索。調べた結果、木か草かは関係なく、除草剤は葉っぱから吸収されて植物を枯らす効果があるらしいと分かったが、それ以降、エッジの画面に除草剤の広告が頻繁に現れる。「やめてくれ」と、PCに向かって言う。ただし、どのブラウザも一緒だろうと思って浮気はしない。 閑話休題: 他のプリンターも同様なのか知らないが、エプソンのプリンターを買ってそれを使うためのアプリをインストールしたら、毎週のようにそのアプリの更新をしろ、と言ってくる。それも突然、他のアプリ使用中であろうが、ネット検索中であろうが、無神経に割り込んでくる。これを無視し続け、数週間ぶりに印刷しようとするとできない。それまで更新していないのを更新しないと印刷できない。「馬鹿野郎」とPCに向かって叫ぶ。どうして何年間か我慢して新しくしない、ということができないのか?固定電話だってレコードプレイヤーだって、カセット/ビデオ デッキだって新機種に買い替えなければ何年間も使い方なんて変える必要なかった。 「何年間も機能が変わらず、従って使い方も変わらない」のと「何週間かに1回どこかの機能が変わり、それを更新しないと使えない」 どちらが便利か?せめて売る側の「便利」を押し付けるのでなく、客に、客の好きな「便利」を選ばせてくれないか? 広告が現れないようにするためのアプリってのがある。(そのアプリの広告が時々現れる)いかにもユダヤ、アングロサクソンの考え付きそうな商法。なんでも商品にする。ふざけんじゃねえ!

”ひきこもり”

 上さんが8時前に目覚ましをかけてNHKの朝ドラ「らんまん」を見る。勢い、引き続き「あさイチ」を見ることが多い。今日のテーマは”ひきこもり”。 まず、TVに向かって叫んだのは”ひきこもり”の調査結果だ。調査の対象が64歳以下になっている。「65歳以上は人間じゃあねえのか!?」と声を荒げる*1。次いで”ひきこもり”の定義を見て少し納得。65歳で会社を定退したあとは、ほとんどの人(男)がひきこもりの定義に当てはまってしまうから意味ないのだ。定義によると「外出する先がコンビニ(スーパー)だけ」「外出する理由が趣味の用事だけ」の人はひきこもりだそうだ。俺(たち夫婦)も確かに当てはまる。 逆に言えば「会社(働きに)に行く」「用もないのに外出する」ことが出来ない人はひきこもりだ*2。会社を辞めた後は、特に年寄なら、ほとんどひきこもりに該当だろう。俺は会社を辞める前から「用もないのに外出する」こと稀だった。 この定義に現代社会の抱えている問題があるような気がする。つまり、現代人は用もないのに(=無目的に)行動することができない、ということだ。何かしようとすると必ず「目的は?」「何故?」「タイパいいか?」などと自問自答せざるを得ない。これが、ひきこもりの原因だ。ひきこもりにならないためには、禅の修行でも積んで、何も考えずに座禅(行動)できるようになることが必要だ。(「何もしないという事」をする…)逆に言えば現代は、目的や理由や効率やスピードを無視して、訳もなく、のんびりと生きることはできないということで、「もっといい加減でいいやん」と”いい加減”になれない人はひきこもりになる、ということだ。逆の逆を言えば、目的・理由・タイパ…で頭や心を一杯にして、それでも、ひきこもりにならないで生き続けることは幸せか?正しいか?ということだ。単に鈍感なだけではないか?あるいは、ひきこもりにはならなくても他の心の病気や燃え尽き症候群になるのではないか? 上さんは「65歳以上はみんなひきこもりなんだから気にすることはないんだ」と言う。俺は「65歳以上は人間じゃないから何をしてもいいんだ」と言う。まあ似たようなことだ。 *1 このような、年齢による差別と受け取られかねない調査結果を画面に出す場合は「衛生管理の行き届いた部屋で」「不快感を与えるかも知れませんが作品のオリジナリティーを」的な馬鹿な言...

新しくできた八百屋で

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最近、近所に八百屋兼総菜屋がオープンした。夕方6時半ころ行くと何かしら値引きしている。今日は手のひらより大きな巨大白桃が2個で780円を500円に。他所だったら1つで500円以上する。サイズを示す証拠写真を最後に。早速食べた所、少々硬く、2,3日置けばとてもおいしくなると思われる。これで2個500円はメチャ安い。 さて、先日、この店の夕方の安売りで面白いことを経験。 「この棚にあるもの2個100円」と書いた紙が棚に貼ってあった。見るとロメインレタス、グリーンリーフ、普通のレタス、そして紫キャベツが並んでいる。あるおばさんが「この紫キャベツ安いわね」と言って一つ取り上げる。これを聞いたうちの上さんも2つ残った紫キャベツから1つを買うべく、もう一人のおばさんと争うように選び始めた。家では紫キャベツなど食ったことがなく、俺はロメインレタスとグリーンリーフを100円で買おうと思っていたが、上さんは「この紫キャベツ安いわね」の一言でスイッチが入ったらしい。結局3個あった紫キャベツはすぐ売り切れた。この紫キャベツとグリーンリーフを100円で買った。 最初に紫キャベツを取ったおばさんは「ちょっと硬いけどね」と不気味なことを言い残した。家に帰って実物をじっくり眺めてみる。とにかく分厚く硬い葉っぱがみっちり重なっている。どうやって料理してどうやって食うんだ?ネットに当たる。それから3回料理(試作)した。①一枚一枚剥いて包丁で千切りにし、塩で揉んで20分くらい放置し柔らかくして絞ってワインビネガー、酢、砂糖、オリーブオイル1:1:1:2で混ぜたマリネ液につける。②千切りにしてベーコンと炒める。③(紫キャベツが小さくなったので)大型ピーラーで薄く細かく削り取り、あとは①と同じ要領でマリネ。 ①~③の中では③が一番おいしい。①では紫キャベツが太くて硬い。②は味はいいんだが、紫色が熱で茶色く変色し、食べたい色ではない。③はかなりうまい。フレンチレストランで出てきそうな感じも。①~③の料理をしたあとで、まだ1/4か1/3残っている。残りは全部マリネで食うか?マリネはウィンナソーセージとパンにはさんでマスタードをつけて食うと行ける。(ホットドッグ) 閑話休題: 風水の関係か、ある店が閉店するとその跡にできた店も大体数年後に閉店する。実はこの八百屋のある場所は、八百屋が出来ては何年間かで閉店すると...

三高・小倉監督が引退してよかったこと

 日大三高ファンだ。正確に言うと前監督の小倉さんのファンだ。西東京大会準決勝第一試合の日大三高対明大中野八王子をMXTVで見る。結果は三高のコールド勝ちだったが、1回の三高の守備で内野のミスが出て投手が浮足立って4点取られる。その後、相手の100キロ前後の球しか投げられない?1年生ピッチャーを打ち崩し、次いで出て来た3年生ピッチャーも打ち崩す。 小倉監督時代には、内野があんなお粗末なエラーはしなかったよなあ、なんて思う。それから相手ピッチャーがゆるいボールしか投げてこないからか、高目の球を強引に引っ張る。これも小倉監督時代には見られなかった。大体センター中心に向けてミートする、という打法だった。ただし、この強引打法でホームランを2,3本打ったのだから文句は言えない。しかし、打たれた1年生ピッチャー、次から次へと出て来るすごい体をした三高のバッターたちを見てビビったんじゃあないか? さて、この試合が終わった後、チャンネルをそのままにしていたら、第二試合が始まった。なんと、小倉さんの解説。ゲームそっちのけで小倉さんの声に耳を傾ける。こんなに長時間小倉さんのお話を聞く機会はなかったので、引退していいこともあったな、と思った。 小倉さん、言う事はブレない。「ピッチャーは自分のピッチングを、バッターは自分のバッティングを」他には、「日ごろの鍛錬と体のケア」それから「狙い球を徹底しろ」「守備でいいプレーをすると打撃もよくなる」「後につなぐという気持ちだけ」・・・期待と言うか予想してた通りのコメント連発。三高が出る決勝戦の解説はしないのかな? 閑話休題: 第二試合は日大鶴ケ丘が勝ち、あさっての西東京大会決勝は日大の兄弟対決。親会社の林真理子学長もお喜びでしょう。 小倉さんが「鶴が丘さん」と言うのもおかしかった。 明日は東東京大会の準決勝。何故か西東京大会の準決勝より1時間開始時間が早い。何故だ?上さんによると西東京の高校の方が田舎にあるので神宮球場から遠いからじゃあないかって???

会社(資本主義)の行く末

 俺は 2019 年まで会社勤めをした。会社は、 2000 年以降「従来の延長線にはない変革」を目指してうまく行かずに挫折し、挙句の果てに 2010 年頃から金融資本主義に傾いて会社を売り買いし、「変革」を実行できそうな経営者を外部から呼んだ。これを目の当たりにし、俺は「おかしい」「こんなんじゃ社員は幸せになれない」と直感しながら「変革」に対する代替案も考え付かず、金融資本主義で組織や社員がおかしくなったり傷ついたりするのを防いだり手当することに手一杯になり、燃え尽きて終わった。この当時、金融資本主義に傾く経営者を見て「正しいとは思わないけど、違法じゃないしなあ」とか「ついていけねえ。早く会社辞めてえ」と言うのが口癖だった。 2023 年現在、俺のいた会社で「変革」がうまく行っているようには見えない。あまり後悔はしていないが、悔しいというか、もうちょっと、どうにかできなかったのか?という思いは強い。 今にして改めて、金融資本主義は会社を商品にして売り買いするけど、会社というものは商品にしてはいけないんだよな、などと思う。金融資本主義って、タイパ重視で利益を求める株主に阿(おもね)って手間暇かけて自社で売れるかどうかも分からない商品を生み出そうとすることをあきらめ、売れる商品を生み出している / 生み出しそうな会社を手っ取り早く買う。会社が自分を商品として時短で売り買いするんだから、社員が自分の人生を商品とし、タイパ重視で自分を高く買ってくれる会社を探しては就職・転職するのも当然だ、と気づく。事ここに至ると会社(経営者)は自社(自分)で価値を生み出すことをやめて自社(自分)を市場で高く売ることだけを考え、社員も自分で価値を生み出したり、価値を発揮するのでなく、単に労働市場で自分を高く売ることだけを考えるようになる・・・ そんなことを考えながら、商品、資本主義、価値・・・といったキーワードでネット検索するとマルクスの資本論を読み解こうという動画が YouTube にたくさん投稿されていることに気づく。へえ、面白い現象だな、と思う。パワポを使って「 30 分で分かる資本論」的に解説する動画がある。「難解だ」「分かりにくいけど頑張って」などと励ましながら動画が進む。資本論は、さすがにタイパにはなじまないかな?などと思ったり、翻訳が悪いんだから原文に当たっ...

ビッグモーター保険金問題、どうしてガバナンスと言う言葉が出てこない?

 利益相反は金を払う側ともらう側の間の壁に穴があって取引(の価格や条件など)が恣意的にコントロールされること。いわゆる透明性がないということだ。 一方でガバナンスとは、透明性確保なり不正防止の仕組みのことである。結果ではない。仕組みが整備されていることをガバナンスが効いている、と言う。 俺は利益相反がガバナンス上の最大の問題で、また一番わかりやすく、これをなくすことがガバナンスのイロハのイだと思っている。 保険屋が保険金を支払い、保険料をもらうビッグモーターに社員を出向させていたということは、出向していた保険屋社員が不正に関わっていようがいまいが、また、不正の事実を知っていようがいまいが利益相反である。(上述の例であれば、出向社員が「穴」であって、「穴」をあけたこと、「穴」をふさがないことを”ガバナンスが効いていない”という) 最近、ガバナンスという言葉がおかしく使われていると思っていたが、今度は一番わかりやすいガバナンスの問題をガバナンスと言わない。 不祥事が起こるとガバナンスという言葉を持ち出すが、それを防ぐ仕組み・努力をガバナンスと言わない。

過労死をなくそう

 数年前、NHK女性職員が長時間残業をし続け、急死(突然死)したという事案。労基が両親の訴えを受け労災=過労死と認め、その後NHKが両親を呼んで再発防止の話し合いをする様子をNHK自身が放送していた。 違和感を感じたのは死んだ女性の父親。娘の死を「悲惨な死」と言う。実は両親は娘さんが亡くなった時、父親の仕事?の関係で海外にいた。「なぜ自分たちは娘が死ぬのを防げなかったのか?」「なぜ一緒にいられなかったのか?」と悔やんでいる発言はなかった。死んだ後日本に帰って来てあたかもNHKに殺されたみたいな言い方をして騒ぎ立てる。(口ではNHKが悪いなんて言う気はないとかなんとか言うが・・・) 動物は弱いものから死ぬ。自然の摂理だ。環境が厳しくなれば一定の率で動物は死ぬ。そして人間は動物の一種だ。長時間残業が続けば一定の率で弱かったり運が悪い人間は病気になり、死ぬ。どこが悲惨なのか?ただ単に自然の摂理だろう。問題は長時間残業を止められなかった事情・理由だ。 死んだ娘さんは長時間残業を自ら進んで喜んでしたのか?それとも「一人前」になろうと「辛いけど頑張ろう」と思っていたのか?それとも強要されて嫌々残業をしたのか?俺は強要されて嫌々残業をした、とは思えない。嫌だと言って逃げ出すくらいの自由はあったと思う。喜んでやったか「辛いけど頑張ろう」かは別にして自分で勝手に長時間残業し、たまたま死んだ・・・それを過労死だ、雇用側の責任だ、と言うのは間違っている。 そして番組は「働き方改革」に進む。事ここに至ってバカバカしくなる。現状の会社の組織・仕組みでは、いくら働き方改革したって無意味だろう。俺は会社というものはすでに終わっているのではないか?と思い始めている。 売れるタイミングを読んで、売れる商品を作り、市場で売る・・・運よく当たった会社(人)だけが富と名声と自己満足を得る・・・これが資本主義だろう。これと逆にいつ売れるか、そもそも買う人がいるかどうかも分からない物を精魂込めて作り、それに価値を認める人が現れたら売る、という製造販売の仕組みを何というのか?職人主義とでも?・・・この場合、値段は市場ではなく、売り手と買い手が相対し、これで買う/売るという指値で決まる。 もともと資本主義の資本家って、売れる商品を自分自身で作るんじゃなくて売れる商品を生み出す能力(のある人)を買う。戦後、...

ビッグモーター賢い(下請法万歳)!?

 ビッグモーターの悪事が露見し、連日ニュースで取り上げられている。ビッグモーターの悪事の一環で下請け業者いじめ・押付け販売にも話が及ぶ。3000円で洗車を請け負え、と言われ、断ると取引停止になった、と言う。思い出した。そうなんだ、言う事を聞かない下請けは、切ってしまえば下請法違反にならないんだ。下手に値引き交渉で妥協して取引を続けると下請法違反になる。無茶な値引きを迫って下請け業者が拒否したら取引をやめて他の業者に切り替えれば下請法に違反しない。 ビッグモーターはそれを知っていて下請け業者に無茶を言って言う事聞かなきゃ切っていたんだ。 さて、下請け業者に値引きを強要するが取引を続けるのと、下請け業者に無茶を言って言う事聞かなければ下請け業者を切る・・・どっちが下請け業者にとって辛い? 下請法万歳!

アルトバイエルン(ズッキーニ)の喰い方

 ズッキーニが2本で98円と安かったので買った。家に帰ったら冷蔵庫にズッキーニが1本入っていたのに気づいた。さて、3本のズッキーニをどう消費するか?1本は焼いてマリネにした。まだ2本ある。ネットでズッキーニのレシピを調べたらおいしそうな候補レシピが2つ。①薄切りにしてシーチキンと和えてサラダに②5ミリくらいにスライスし、上にベーコンとチーズをのせてオーブンで焼く ②にすることとしたが、安売りしていたアルトバイエルンを買ったのが大量に冷凍庫に入っているのを思い出し、ベーコンの代わりにした。アルトバイエルンを長さ方向に3枚に薄切りし、グラタン皿の上に乗せたズッキーニのスライスの上にかけ、シュレッドチーズもかけてオーブンで焼く。 うまかった。特にアルトバイエルンが喰えた。うちではアルトバイエルンは油っぽいから食わない。もっぱらシャウエセンだ。それが大量に買うととても安くなるので買ってしまったが、やはりうまくない。ピザに乗せたり、ラタトゥーユ、ミネストローネに入れたり・・・それでも残って冷凍庫行き。 この料理法だとアルトバイエルンの油が出て皿の底にたまるのかもしれない。 ズッキーニを消費するつもりで探したレシピがアルトバイエルンの消費にも役立った。

阪急電車 片道15分の奇跡 を見てウルウル

 NHK BSプレミアムで「阪急電車 片道15分の奇跡」を見る。久しぶりに映画を見てウルウルした。一番ウルウルきたのは、いじめられっ子の女子小学生が主役の中谷美紀から「格好いいよ」って褒められて泣きそうになって我慢して「私が陰になって、あそこにいる(いじめっ)子たちからは見えないから」と言われてハンカチを渡されて我慢できずに涙を流すところ。小学生をやってる子役の女の子の演技に思わずこちらも涙を流しそうに・・・この芦田愛菜より演技うまそうな名子役の名前を調べたが分からずじまい。 この映画、脚本:岡田惠和、(中谷と共演のW主役の)戸田恵梨香、(芦田愛菜のおばちゃん役の)宮本信子、高校生役の有村架純、有村架純の恋人役の玉山鉄二、女子大生役の谷村美月・・・とNHKの朝ドラ出演者・関係者だらけ。 芦田愛菜の年齢やまだガラケーだったこと、TVは液晶だったことなどから2010年前後の撮影だろうと推測したが2011年4月、つまり東日本大震災直後に公開されていた。 話はいじめられたり、ふてくされたり、ストレスで胃が痛くなったり、DVを受けたりする女たちが、阪急電車の車中または駅のホームで優しい他人の「大きなお世話」で癒されたり立ち直ったりする話。出来過ぎだし、うまい話すぎるけど、それを陳腐と思う前にウルウルが先に来る。 閑話休題: DVを受け、相武紗季演じる友達のおかげで男と別れさせてもらった戸田恵梨香演じるふてくされてるけど、本当は優しくて親切だけどそれを素直に出せない女が(俺の実の)娘によく似ている。

よしもと新喜劇 アキと清水けんじの新境地

 よしもと新喜劇「嵐を呼ぶスパッツ男!ヒーローになる時、それは今!」を見る。アキのボケと清水けんじの当意即妙のツッコミ。何分間か、新喜劇の舞台が二人だけの漫才になる。アキのボケは斬新だ。黄色のスーツ着て意味不明のセリフと動きの借金取り。借金を返さなければ「恐ろしいことあるよ~」と脅すのが好き過ぎて借金を返して欲しくない借金取り。幼稚園児でも着れるほど小さくなる衣装。伸びるスパッツも大好き。大概のことは許す「いいよ~」の決め台詞。(もちろん借金を払えないと頭を下げられれば「いいよ~」だ。ただし島田珠代から結婚を迫られた時だけはよくない。)先回りしてアキ得意のボケを封じようとする清水けんじ。ボケを邪魔されて「大阪文化の否定じゃあ!」と言い返すアキ。意味不明の「リモコン貸して」。清水の予想外のツッコミ。それを乗り越えて切り返すアキ。アキのおかしな日本語に細かくツッコム清水。のしのぎを削り合ってる感じ。どこからアドリブか?スリルを感じる。 痩せて幽霊のような、今にも死にそうな、やなぎ浩二80歳?もうまい使い方。Mr.オクレ同様、「元気ないヨタヨタ キャラ」が笑える。誰でも持ち場やセリフが与えられ、笑えるキャラにでき上げがってしまう。そのダイバーシティーぶりにほのぼのとさせられる。

パプリカのマリネ

 TVで赤パプリカのマリネを食べていた。久しぶりに食いたくなった。この料理、初めて食べたのは20年以上前。確かイタリアからスイスに行く飛行機で機内食で。今は知らないが当時は国際線なら1時間のフライトでも機内食が出た。真夏だったような気がする。パプリカの加熱調理したヤツをバルサミコ酢とオリーブオイルに漬け、冷た~くした一皿。 歩いて30分くらいの所に野菜や果物を安く売る(ただし、大量に買う必要があることが多い)店がある。その店を目指して行く途中、スーパーで大きな赤パプリカを1個98円で売っていたので2個購入。コロナ禍、パプリカは2倍くらいの値段になっていたが最近ようやく値段が旧に復してきた。次いで目的の店に行く。ここ数か月間高かったかぼちゃが1/2で128円。それから黄色のズッキーニ2個98円。かぼちゃとズッキーニはパプリカと一緒にマリネにする。ニラ3束98円。ニラはマリネには全く関係ないが史上最安値なので購入。(馬鹿みたいに安く売られてる物は”記念”に買うことにしている) 夕飯はニラのチヂミと野菜のマリネ。ニラは夫婦二人ではとても3束も食い切れないので翌日レバニラにすることにする。ニラは3センチくらいに切って水を張った密封容器で冷蔵庫に入れとくと10日間もつとか。大葉も同様のやり方で保存期間を伸ばすことができる。 パプリカは焼いて冷やしてバルサミコ酢とオリーブオイルに漬け、冷蔵庫で冷やす。焼く道具は、楕円形で底にナミナミ(凸凹)が付いたフライパン*。韓国製。どうして手に入ったか覚えていないが、もっぱら野菜を焼くのに使っている。凸の部分にオリーブオイルを塗り、パプリカ丸ごと、かぼちゃやズッキーニのスライスを次々に焼く。パプリカは全体に焦げ目が付き、柔らかくなって自重でくにゃっと扁平になるまで焼く。これを冷まして薄皮を剥く。かぼちゃ、ズッキーニ、すべてバルサミコ酢+オリーブオイルで食す。 パプリカは大きくて肉が厚くないとうまくない。今回買ったのは肉が厚く、ジューシー。かぼちゃはいまだに見ただけでは良否の判定ができない。丸ごと一つは買わずに、1/2、1/4に切ったものを買う。切り口を見てよさそうなのを買いたい。断面の色が黄色というよりオレンジ色に近いような濃い色のがよさそうだ。今日のかぼちゃは焼いて食うには良かった・・・半分以上余ったので煮物にすることになるだろう...

ゴロワ/ゴロワーズ(Gauloises)

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 東京・表参道でやっていたレストランを閉め富良野へ移住し、ル・ゴロワというフレンチレストランをやっている大塚健一・敬子夫婦を紹介するTV番組を見た。近くに野菜を取りに行ってそれで料理を作る・・・料理人の醍醐味だろう。ゴロワから、ゴロワーズというフランス煙草のことを思い出した。早速Wikiって写真をコピー。実に懐かしい。30~40年前よく吸った。 まず独特の香り。Wikiによれば、黒煙草という発酵させた葉がこの独特の香りを生むんだそう。悪く言えば田舎臭い。よく言えば大地の香り。それも、島国でなく、大陸の大地。フランスの百姓の匂いか。この香りが好きだった。フィルターもなく、両切りでニコチン・タールが一杯みたいな感じ。体に良くないものほどおいしいんだ。 そしてパッケージ。ハードパッケージでなく、ソフトなブルーの紙。二重になっていて中は銀紙。古臭くて好きだった。好きすぎて吸い終わった後、捨てずに、ブルーの箱も銀紙も開いて伸ばして保管してある。

和歌山のパンダ楓浜

 朝のNHKで和歌山のパンダが交通安全大使とかいうものになったというニュース。パンダの名前が楓浜。フーヒンと読む。耳の悪い俺は、画面を見ていなかったこともあり、隣国に押し入って戦争を仕掛け、極悪とか気違いと言われて毎日ニュースで読み上げられる某国大統領の名前と聞き違えた。あわてて画面を見て、のんびりした映像とのギャップに違和感を感じた。 極悪/気違い大統領の名前と聞き違えないようにフーヒンのフでなくヒを強く発音するなど、聞き違えを防ぐ手立てはないものか?どうしても極悪/気違い大統領と同じイントネーションで発音するなら「今からフラッシュがたくさん映ります」とか「これからたくさんの死体が映ります」とか、「衛生管理の行き届いた別室で調理されたものです」的なテロップを流す必要はないのか?「某国大統領の名前に聞き違える言葉が流れます」「不快感・違和感を与える名前を読み上げますが、ニュースの正確性を優先して」・・・?馬鹿か?! 閑話休題: 吉がい、基地外・・・「きちがい」が一発で変換できない。素晴らしきポリティカルコレクトネス!検閲や表現の不自由だ。ポリティカルコレクトネス優先?これをマイクロソフトだかAIだかがコントロールしているのか?せめて誰がどういう基準でコントロールしているのか公表して欲しい。

7月9日OAブラマヨ弾話室 高学歴芸人・藤本

 番組のテーマは日本のアニメーターの海外流出。低賃金でこき使われている日本の腕の良いアニメーターが、何倍もの給料を提示され、「先生」扱いしてくれる中国辺りに行ってしまっているという心配事。2000年頃から、製造業で起こったこと。結局いい解決法・対処法は語られなかった。ブラマヨの二人のボケも冴えがなかった。高学歴芸人の藤本が「いずれアニメーターの仕事はAIに置き換わる」と言っていた。確かにそう思う。アニメに限らず「職人芸」はAIに置き換わるのか?そうなるとますます日本人の強みが発揮しにくくなるのではないか?給料なんて無視して一生懸命職人芸を身につけようとする日本人・・・それが弱みに。どの分野で何をするのが一番日本人向きか???分からない。暗澹たる気分。 番組の終わりにほっこりする話としてこれまた藤本が紹介した話。スーパーのお客さんの声の投書が悪口、クレームばかりで、それに対する店側の謝罪が書かれた紙がズラッと貼られているのを見て嫌悪感を覚えたある主婦が悪口、クレームでなく、「店員のここが良かった」、「この商品のここがよかった」・・・とほめ言葉ばかり投書したら、賛同者が現れて悪口、批判よりほめ言葉が多くなった、という話を紹介。その通り。役人や政治家も同様にほめてあげて「俺も役人・政治家になろう」という若者を増やさないと・・・そういう若者に、どの分野で何をするのが日本人向けか、考えてもらおう。

非人道的な兵器???

 米国弾がクラスター弾という「非人道的な」兵器をウクライナに供与するらしい。日本のメディアは批判的だ。米露を除く多くの国がクラスター弾の使用を禁止する条約に入っていて各国が批判している由。人道的な戦争ならやっていい、という事らしいが、これが俺には理解できない。人間は頭に来たらケンカし暴力に訴える。その時人道なんて考えるわけがない。戦争も全く同じだ。今までの歴史は「勝ったもん勝ち」だ。原爆とか日本の一般人を狙った無差別空爆をやった米国が偉そうに日本を占領した。その上、日本に民主主義や平和憲法を授与してくれた。クラスター弾より原爆の方が圧倒的に非人道的だろう。クラスター弾は多数の不発弾が残るから非人道的だと言われるらしいが、米空軍による日本への空爆は不発弾など問題にならないくらい、即座にたくさんの人を殺した。原爆を持っていてクラスター弾の使用に反対する国(例えばイギリス)は矛盾を感じないのか? 非人道的だろうが、なんだろうが、勝てば良い。歴史はそれを証明している。人道的に戦争して負けたら、ただの悪者で勝った国に断罪されるだけだ。アングロサクソンやユダヤやロシアや中国の指導者はそれをよくわかっている。 日本人は「勝つためなら何をやってよい」から一番遠い人種だろう。武士道などと言って「きれいに勝つ」とか「美しければ勝負に負けてもよい」「武士の情け」みたいなことを言ったり考えたりする。だから、日本人は戦争は向いていない。一騎打ちならまだしも、国民を総動員した国対国の総力戦には向いてない。

全米女子オープンの畑岡を見る

 日本人女子ゴルファーの中では畑岡奈紗が一番好きだ。数年前、渋野日向子が”たまたま”全英を取ってもてはやされたのは、本人の責任ではないけれど、良く思わなかった。渋野のゴルフは天衣無縫というか、恐れ知らず、運任せという感じだ。全英を取ったのは、かなり運を使った感じがした。それに対し、畑岡は、真摯に”ゴルフ道”を追求しているという感じだ。少しでも良いショットをしよう、1センチでもホールに近づけるためにできることはなんでもやってやろう、という貪欲・真剣・ひた向きを感じる。畑岡の場合、それが自然と言うか、素直に彼女の持っている本性が現れていると感じさせる。愛想は悪い。見た目もよくない。求道者って感じ。けれど勝負弱くてなかなか勝てない。二人は好対照で、畑岡はあまりメディアに取り上げられない。渋野は愛想が良い分、勝てなくてもメディアが取り上げる。(ついでに誰が嫌いか、というと、古江彩佳だ。見た目が厭だ。派手な色の口紅が「裾の汚れた感じ」だ。場末のスナックのママという感じ。更についでに言えば見た目が好きなのは原英梨花。原英梨花も勝負弱い。劣勢になると、ぽっきり折れる感じ。) さて、渋野に関しては、「高く舞い上がった分、深く落ちるのでは?」と思っていた。果たしてその通りになったが、本人もそう覚悟していたのではないか?勝てなくなってから苦しみ、もがいている。今年の全米女子オープンも予選落ちだ。いずれ一皮むけて上がって来ると、期待しているし、たとえ上がってこなくてもいい経験をし、真面目にゴルフに取り組み、いいゴルフ人生を送っているんじゃないかと思う。 何故か全米女子オープンをBS松竹東急で生中継している。三日目終わって我が畑岡がトップだったからめったにTVでゴルフなんて見ない俺だが朝から生で見た。印象深かったのは解説の服部さん。最終組で畑岡と一緒に回っているCorpuzが畑岡よりずっと長いパットをする時、「畑岡さんをヒヤッとさせるようなパットをしたい」と言った。服部さんは勝負師だ。畑岡の応援ではなく、勝負師の本領を発揮して、勝負に勝つために何をしなければならないのか、を語った。服部さんの言葉を聞いたわけではなかろうが、Corpuzがいいパットをした(入らなかったが)。それから勝負運がCorpuzに傾いた。調べると彼女はハワイ生まれ。オバマの高校?の後輩。顔つき体つきが日本人に似...

宗教は争い・利己を防ぐ?

 NHK、ETV こころの時代シリーズ「問われる宗教と"カルト"」 VOL.6を見る。統一教会問題に端を発し、「宗教のあるべき姿」「宗教がカルトにならないために」みたいなことを語り合う番組。 チラ見したら「宗教は利他でありうるか?」「宗教は争いを防げるか?」という話題に。こんなこと語るまでもない。キリスト教はイスラム教と十字軍以来1000年近く戦ってきた。一神教は自分の信じる神以外は「邪」「悪魔」なんだから心の狭い、争い好きな宗教だ。神様は悪魔を抹殺することを求める。(行き過ぎればアメリカのように、わざわざ敵を作って叩き潰すことを国是とする)そしてキリスト教徒は個人主義で、一人一人が神様と相対で契約する。利他であるはずがない。自分が救われるため、神様に好かれるために神様を利することはするが、「神様に好かれる競争」の競争相手である他人を利することはありえない。”みんな一緒”は、キリスト教に反する。 一神教はカルト以前に「オワコン」ではないか? 17世紀のデカルト「われ思うゆえにわれあり」から始まり、19世紀のダーウィン進化論やマルクス唯物論、20世紀のアインシュタイン相対性理論(タイムマシンは可能だ)、ジョンレノン”God is a concept by which we masure our pain"、21世紀のSDGsこれらは「神様に任せときゃあうまくいく」、「俺たちの人生・世界は神様任せ」、「自然や時は神様がコントロールしている(=人間がコントロールしようなんて思っちゃいけない)」といったキリスト教の教えを真っ向から否定している。無神論と言ってもよい。キリスト教徒たちがどうやってこれらの反キリスト教思想と折り合いをつけているのか?知りたいところだ。逆に言えば敬虔なキリスト教徒にとってSDGsなんて「ノアの箱舟」を全否定する邪悪な思想だ・・・ノアの箱舟は「人間はやりたい放題やっても神様が、いずれ「ご破算」にしてくれる」という神話だ。聖書にそう書いてある。本心ではそう信じている人が何億人もいるはずだ。 俺は神様なんて信じないが、もっと信じないのは人間の進歩とか人間の理性・知識だ。こうすれば地球を救えるとか、もっとよくなる、なんて全部嘘・流行・ファッションだったではないか。プラスティック、原子力・・・いずれITも・・・

トロフィーライフ?

 7月9日OAのMXTV「東京ホンマもん教室」でMC藤井聡さんが、「日本人は自己家畜化している、コスパ至上主義が進んでいる」と・・・「日本人は自分の頭で考えず、自ら進んでアメリカの家畜(=属国)でいようとしている」。”我が意を得たり”だ。世の中、俺のような変わり者がもう少し増えればいいが・・・? その文脈で「トロフィーライフ」という言葉が使われていた。「成功していることを誇示するために生きる」といった意味合いだ。今のところWikipediaには記載なし。ただし、「トロフィーワイフ」という言葉はWikipediaに載っていて「 男性が社会的・経済的に成功した後に選んだ己のステータスシンボル にするため結婚した女性。」という意味合いだそうだ。ワイフとライフ、藤井さんの地口か? 見栄で上さんを選ぶことをトロフィーワイフと言い、見栄を人生の目的とし、見栄を自己目的化して生きることをトロフィーライフと言うらしい。上さん選びならまだしも、成功を誇示すること・見栄をはるために生きる・・・「それも人生さ」「それもありだ」と価値観の多様性を認めればいいのだろうか?俺は多様性という以前に面倒になる。「違法性がなければいいじゃあねぇか」で済ませて来た。株主資本主義も会社(経営者)の見栄の自己目的化であり、株主にとっていい家畜になろうという”主義”だ。株主様が喜べば何でもやる。従業員や他のステークホルダーではなく、株主様のご評価だけを気にする。おかしいと思うし、害が多いだろうとも思うが「違法じゃないし、面倒だから文句言うのをやめとこう」で済ませた。 会社や経営者がトロフィーライフなんだから、社員がトロフィーライフなのは無理もない。社員は見栄で会社(ブランド)を選ぶ。 番組で大岡昇平「俘虜記」を紹介していた。さっそく読むことにする。 なお、番組冒頭、 6月16日に発売された表現者クライテリオンの最新号(7月号) 『進化する〝コスパ〟至上主義~タイパ管理された家畜たち~』 を紹介。これが番組の目的。

岩澤正和 羨ましい

 ピザ職人、岩澤正和さんがイタリア・パルマで行われたピザの世界大会に挑戦する様子をTVで見た。日本産の食材にこだわる。小麦粉、チーズは北海道の農家を選んで通って何年もかけて開発。(トマトはどうしたか不明)「身の回りにある食える食材を食わないで食料危機っておかしいだろう」と、身の回りにふんだんにあって食べられていない食材、ヨモギを使ったピザを開発してパルマの世界大会に出ることに。ヨモギを食って育った合鴨をトッピングする。 師匠はサルバトーレ・クオモ。俺はピザレストラン・サルバトーレをやっているワイズテーブルの株主だから株主優待券をもらってはサルバトールに食いに行く。(この優待目当てに株を購入。配当金はゼロだが優待券で浮く食事代を株の購入価格で割ると利回り10%強) 岩澤さん、ヨモギと合鴨のピザをクオモさんに試食をしてもらう。(クオモさんが大分県・日田に住んでいる、という事も知らなかったし、日本語がうまいということも知らなかった)。クオモ師匠からオリーブオイルに日田産の唐辛子とニンニクを漬けこんだ”ラー油”(とクオモさんは言っていた)をもらってピザにかけることにする。 さて、世界大会当日。岩澤さん以外の職人は焼いた後にイクラだ、マグロだ、生の食材をトッピングするのが多いが、俺は本筋ではないと思う。それから大会はサステナビビティーだ、地産地消だとイタリア人にしては結構小賢しいというか、うるさい。イタリア人らしく「うまきゃあいいだろう」ではない。イタリア人も大変だねえ・・・ 結局、岩澤さん、発表になった3位までには入賞できず。 岩澤さんの何が羨ましいか、って、理想のピザを求めて試行錯誤できるところ。岩澤さんの年は多分50歳前後だろう。俺がいたような古くて大きくてご立派な会社では自分の思いやアイデアだけでは試行錯誤なんてできない。特に50歳を超えたあたりでは、組織・部署のトップとなり、とっても不自由になり、お行儀よくしなくてはならなくなった。会社が嫌なら辞める、という自由さえなかった。(若者が辞めていくから、トップが辞めるなんてことは憚られたし、急に辞められると補充に苦労することも知っていた。) 今でも忸怩たる思いがするのは、成果主義、ポリティカルコレクトネス、コンプライアンス・・・その他の業務改善や組織の改革がことごとく失敗し、会社は自分で開発や改革することを諦め、...

「絶対にいけない」で止まっていないか 暴力を冷静に議論する技法を 河野有理・法政大教授に聞く

  こうの・ゆうり 1979年生まれ。法政大学教授(日本政治思想史)。偏見かも知れないが、1980年前後に生まれた日本人には”まとも”が多い??? さて、朝日新聞デジタル記載の表題の記事。気に入った個所は: 穏やかでない事柄を語ること自体を物騒なこととして忌避することは、この日本社会では昔からあったのではないでしょうか。  その昔、福沢諭吉は「competition」を「競争」と訳そうとして、幕府の 上役から「争」という字が穏やかではない と止められたという体験を自伝「福翁自伝」に書いています。  もちろん、こうした態度が日本に特殊なことというわけではないでしょう。人間誰しも死とか暴力は見たくないはずです。そんな物騒なことをわざわざ聞かせないでよというのは、人間の情としては自然なことだと思います。  しかし、 物騒なことについて語ること は、そのことを肯定し、容認することとは違うはずです。それどころか、そうした物騒なものについてこそ、オープンに語ることが必要な場合もある。暴力のような根絶不可能で、そのコストやリスクを冷静に計算しなくてはいけないものについては特にその必要は大きいはずです。  にもかかわらず、それを語ることをそもそも忌避する雰囲気がないでしょうか。悪いことについて語ることが、そうした悪いことを容認し、助長する社会の雰囲気を形成してしまうといった懸念が強すぎるような気がします。  戦争も残念ながら地球上からなくなることはないでしょう。「戦争はよくない」と唱えれば戦争がなくなるわけでもありません。それなのに、いかなる種類の戦争にも反対をとりあえず表明しておくことが良心的なのだという考え方はいまだに根強い。さりとて、自分たちの死も論理的に当然に受忍するという、 突き詰めた絶対平和主義 というわけでもない。例えばウクライナでの戦争について、 安全地帯 の日本から「即時停戦」を唱える人も同じ思考コードに陥っているように思います。 1960年代以降、非現実的な理想を唱え続ける3分の1の野党と、対立を先鋭化させることを避け、粛々と現実を処理する3分の2の与党自民党が、 共犯関係 にあって互いの合意に基づくコンセンサスデモクラシーを維持した。政権交代も起きない「デモクラシーの過小」のようにも思えますが、非常に安定していて、学生運動などでの暴力はあるものの、政治...

斎藤隆介「職人衆昔ばなし」②年季奉公契約

確か田丸恵三郎という畳職人が本書で言っていたと記憶するが、  子どもを年季奉公に出す親または親代わりに身元保証する人が年季奉公をさせてくれる側に出す「職業見習身元保証書」の記載: 「年季契約を以って差し出し候については貴殿ご家風は申すに及ばず、お指図堅く相守らせ可申候(もうすべくそうろう)」・・・年季奉公に出すに当たり奉公人には、そちら(年季奉公をさせてくれる側)の家風に従わせるのは言うに及ばず、指図を堅く守らせます。 「一つ、年季中貴殿の承認なく本人が見儘に出奔し候か、又は当方の都合上、御暇請候節には、最初よりその当時までの食費を倍賞金として弁金可致候(いたすべくそうろう)」・・・(5年とか10年の)年季が明けるまでに、そちらの承認なく奉公人が自己都合や身勝手でやめる場合、それまでの食費を賠償します。 明治時代は(多分戦前は)年季奉公とは奉公する側がお願いして”小僧”から一人前の職人に鍛え上げてもらうシステムだったのだ。 本書のあとがきにあった「労働基準法だのミンシュシュギだの言ってたんじゃ仕事が半チクになっちまわア」をもじって言えば「コンプライアンスだのハラスメントだの言ってた日にゃあ、仕事が半チクになっちまわア」・・・俺はかなり真面目にそう思っている。

斎藤隆介「職人衆昔ばなし」①

敬愛する山本夏彦さんが「室内」という雑誌を創刊、編集、発行しそれに自らコラムを書いていたということは知っていた。(そのコラムを1冊にまとめたのが「日常茶飯事」という本で、この本から夏彦さんは一般的に知られるようになった) しかし、うかつ・不覚にもその「室内」誌に斎藤隆介という児童文学者が昭和34年から41年にかけて木工や大工などの職人たちに話を聞いて文字起こししたインタビュー記事を連載していたことは全く知らなかった。 その連載を本にしたのが「職人昔ばなし」である。この本では、夏彦さんの代わりに職人たちに「昔は良かったなあ、でももう戻れない」と嘆かせる。職人たちの平均生年は1890年(明治23年)頃か?志ん生がちょうど1890年生まれ。戦争に行くには年を取りすぎていて生き残った職人たち。戦争が終わり、日本が高度成長期に入ったころ、この連載も始まった。昭和30年代、志ん生は名人としてひと花咲かせるが、職人たちは半ば引退し「昔は良かったなあ、でももう戻れない」と嘆く。残念ながら、職人たちの仕事の需要が激減し、また職人たちを支えてきた材料や道具を作る職人がいなくなっていた。 改めて老職人たちの話を読むにつけ、日本人の”モノづくり”が、流行りそうなものを売ったり、たくさん作ったり、安く作ったりする競争に向いていない、ということを実感する。(戦争ではアメリカに”勝てる戦闘機”作りで負け、最近では中国に大量生産で負けた)。 これからは大量にエネルギーを使うような”モノづくり”は流行らない。幸い?日本の人口は減る一方だ。無理矢理移民など受け入れて外国人を増やしたり原発の再開をするより、少なくなった日本人だけで、エネルギーや資源はあまり使わずその分手間暇を惜しまない日本人のこだわり・職人気質・きれい好き・無駄のなさ・仕上げのよさ・見た目のよさ・・・を好む世界中の客を相手にして生きて行く、なんてできないか?コストを無視してそういうモノを作り、コストを無視して買ってくれる数少ない人たちだけを客として生きて行く・・・なんてダメか?高く売れてコストが回収できるのならその分手間暇かけることができる=その分たくさんの日本人を食わせることができる。 大工道具商の土田一郎氏を除き、この本に登場する職人の数26名。平均生年1894年。平均修行開始年齢15.4歳。いくつかの共通するところ、特徴は: ①道...

ウクライナにおける「ネオナチ問題」 Wikipedia

  ウクライナにおける「ネオナチ問題」 (ウクライナにおける「ネオナチもんだい」)は、極右民族主義の「 ネオナチ 」の テロ組織 ・ 政治組織 による ウクライナ の政権や行政、司法への関与、また「ネオナチが正規軍に組み込まれている世界で唯一の国」として NATO や EU より批判を受けていた問題が、 2022年ロシアのウクライナ侵攻 後より「存在しない」としたウクライナ政府( ゼレンスキー政権 )による プロパガンダ 、また報道機関による ホワイトウォッシング に関する項目である [1] [2] [3] 。 行き過ぎた民族主義による極右過激思想を意味する「ネオナチ」は、第二次世界大戦における ナチス・ドイツ のイデオロギーであるナチズムの復権を目的とする原義的な「ネオナチ」とは違い、 ユダヤ人 か否かも関係なく人種を問わず欧米に多岐に存在し、これら政治組織、軍事組織、テロ組織等は、 アメリカ合衆国国務省 、 連邦捜査局 (FBI)、 国連人権高等弁務官事務所 (OHCHR)、 日本公安調査庁 等が警告している [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] 。 以上Wikipediaから引用: つまり、「ネオナチ」と言う言葉が2重の意味を持っていて、プーチンも世界のメディアもそれを使い分けている。プーチンが「ウクライナはネオナチだ」という時、彼は「ロシア人をウクライナから追い出そうとするウクライナ純血主義」という意味を自覚して使っているが、原義的な”ヨーロッパ共通の敵であり、ロシアが戦って打ち破ったヒトラー・ナチを復活させようとするネオナチ”を連想させる印象操作によって、ロシア国民の ウクライナに対する恐怖や憎悪を掻き立てようとしている・・・その意味では半分は事実、半分は事実に基づいたプロパガンダでもある*。朝日・産経以外読売、毎日、日経といった新聞も、「『ウクライナ政府はネオナチ』というのは陰謀論でロシアのプロパガンダ」という時、「ネオナチ」の意味は”原義的なネオナチ”である。一方でウクライナ政府は 「ロシア人をウクライナから追い出そうとするウクライナ純血主義」の人たちの存在・協力によって成り立っているし、ロシアとの戦争もその意味でのネオナチなしには戦えない。 かねてから、ユダヤ人であるセレンスキー大統領が何故...

永井龍男はタイパが悪い

 永井龍男の短編小説「青梅雨(あおつゆ)」を強く推す小林秀雄の文章に接し、「青梅雨」を読む・・・事業に失敗した老夫婦と奥さんの姉、義理の娘の4人で心中する話。心中を決行する前、4人がそれぞれの時間を過ごし、死体の処理費用を工面し、風呂に入って身を清め、おもむろに死出の旅路に・・・印象深かった2つの文章: ①「いいえさ、あの翡翠を買ってもらった時分が、あたしの運の頂上だったんだと思ってね」 ②「・・・降っていますか?」「ぬかのようなやつがね。」 ①について:最近、俺自身も「あのころが俺の人生の絶頂期だったなあ」と思ったことがあった。1990年の息子の幼稚園のお遊戯会のビデオを見た時、つくづくそう思った。まだ日本も会社はおかしくなってなかった。景気の上がり下がりはあったが、人減らしや会社を売ったり買ったりはまだだった。バブルの余韻で日本全体に余裕があった・・・「今まで通りやってれば何とかなる」・・・。失望・絶望・閉塞感はなかった。ビデオに映った息子同様、無邪気に楽しかった。 ②について:日本語ならではの主語の省略。雨と言わなくても、相手は「雨の事」と察してくれる・・・いちいち主語まで言う事を面倒・野暮とする。これ、英語ではなんて言うかな?と考える。Is it raining?か。あるいは、Itを略して単にrainig?だけか?ここで面白いのは、日本語では「雨が降る」と名詞+動詞だが、英語のrainという動詞には「雨」と「降る」の二つが含まれる。つまり、rainと言えば雨の事、と相手にはっきり伝わり、察してもらう必要はなくなってしまう。加えて、It・・・。時とか天気を表すのに、英語でItが使われる。時とか天気はGodがコントロールしている、ということか???Godの意志によらないで雨は降らず、風も吹かないということか? 永井龍男さんの短編小説は言葉を切り詰めるだけ切り詰め、削りに削る。ものすごく時間や手間をかけているのではないか?読み飛ばすと書いてあることの意味が分からなくなり、通らなくなる。そこで読み直すことになる。それも本の読み方だ。永井さんの文章にはそうさせる力がある。 つまり書く方も読むほうもタイパが悪い。それが日本人のDNA,性分ではないか?

西瓜を食す

 今年初めて西瓜を食した。大ぶりに切ってスプーンで掬って・・・という食い方もあるが、小ぶりに切り分けて手でつまんで食った。厚い皮をつけたままつまみ上げて身の部分だけ食うという食し方は西瓜独特ではないか?西瓜に近い果物でメロンがあるが、メロンは皮つきのまま4等分とか6等分してスプーンで食うという食し方が一般的だろう。 加えて西瓜のタネ。メロンやパパイヤのように細かいタネが中心部に集中しているわけではなく、また、桃やマンゴーやアボカドのように大きいタネが真ん中に一つ、というのでもない。キウイやドラゴンフルーツのタネは取り除くには細かすぎて、気にはなるが無視して実とともに食べちまう。西瓜の場合、細かいけれど無視して食っちまうには大きいヤツが均等?に分散している。(ただし、俺はあえてタネを取り除いたり口から吐き出すことはしない。タネも実も差別しないで口に入れる。その結果、口からこぼれ出たタネは手で取って皿の上に。) 青臭いというのか、独特の匂いも好きだ。実だけを食って残した厚い皮は皿の上に。そして続けて次の片に。(さて、「片」は変だ。ピースと言うべきか、スライスと言うべきか?切り身?)残った皮を皿に戻し、返す刀で新しい”ヤツ”を取り上げて立て続けに3個4個と食す。夏が来た!と思う。 同じ伝で、こたつにでも入ってみかんの皮を剥いて食す、というのも冬の醍醐味というべきか?最近夏でもみかんを売ってるが、夏の喰いもんじゃあねえ。ちなみに、俺は白い筋もあまり取り除かないし、(黄色の外皮ではない)薄皮も食べてしまう。