”ひきこもり”
上さんが8時前に目覚ましをかけてNHKの朝ドラ「らんまん」を見る。勢い、引き続き「あさイチ」を見ることが多い。今日のテーマは”ひきこもり”。
まず、TVに向かって叫んだのは”ひきこもり”の調査結果だ。調査の対象が64歳以下になっている。「65歳以上は人間じゃあねえのか!?」と声を荒げる*1。次いで”ひきこもり”の定義を見て少し納得。65歳で会社を定退したあとは、ほとんどの人(男)がひきこもりの定義に当てはまってしまうから意味ないのだ。定義によると「外出する先がコンビニ(スーパー)だけ」「外出する理由が趣味の用事だけ」の人はひきこもりだそうだ。俺(たち夫婦)も確かに当てはまる。
逆に言えば「会社(働きに)に行く」「用もないのに外出する」ことが出来ない人はひきこもりだ*2。会社を辞めた後は、特に年寄なら、ほとんどひきこもりに該当だろう。俺は会社を辞める前から「用もないのに外出する」こと稀だった。
この定義に現代社会の抱えている問題があるような気がする。つまり、現代人は用もないのに(=無目的に)行動することができない、ということだ。何かしようとすると必ず「目的は?」「何故?」「タイパいいか?」などと自問自答せざるを得ない。これが、ひきこもりの原因だ。ひきこもりにならないためには、禅の修行でも積んで、何も考えずに座禅(行動)できるようになることが必要だ。(「何もしないという事」をする…)逆に言えば現代は、目的や理由や効率やスピードを無視して、訳もなく、のんびりと生きることはできないということで、「もっといい加減でいいやん」と”いい加減”になれない人はひきこもりになる、ということだ。逆の逆を言えば、目的・理由・タイパ…で頭や心を一杯にして、それでも、ひきこもりにならないで生き続けることは幸せか?正しいか?ということだ。単に鈍感なだけではないか?あるいは、ひきこもりにはならなくても他の心の病気や燃え尽き症候群になるのではないか?
上さんは「65歳以上はみんなひきこもりなんだから気にすることはないんだ」と言う。俺は「65歳以上は人間じゃないから何をしてもいいんだ」と言う。まあ似たようなことだ。
*1 このような、年齢による差別と受け取られかねない調査結果を画面に出す場合は「衛生管理の行き届いた部屋で」「不快感を与えるかも知れませんが作品のオリジナリティーを」的な馬鹿な言い訳コメントを画面に出すべき。
*2 「飲食のため外出する」とか「旅行に出る」のは微妙だ。飲食や旅行が趣味かどうかによる。スーパーやコンビニ以外にデパートその他に買い物に行くことも、買い物が趣味だったり、趣味のための買い物(例えばレコード蒐集・読書が趣味でレコード・本を買いに出かける)であることは多いだろう。散歩だって趣味だろう。
閑話休題:
あさイチに寄せられたFAX、紙に印刷されたメールを鈴木アナが読み上げる。読み上げたあと、その紙を乱暴に放り投げる。少なくとも丁寧に積み重ねることはしない。俺は全く気にならないというか、むしろ、面倒臭がりの鈴木アナの真骨頂と好感するが。。。
上さんは自身のひきこもり的生活は意味がある、と。「何かあったたときに自分が手助けするために」「余裕を持った生活をしている」んだそうだ。相変わらず面白いことを言う。
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