宗教は争い・利己を防ぐ?
NHK、ETV こころの時代シリーズ「問われる宗教と"カルト"」 VOL.6を見る。統一教会問題に端を発し、「宗教のあるべき姿」「宗教がカルトにならないために」みたいなことを語り合う番組。
チラ見したら「宗教は利他でありうるか?」「宗教は争いを防げるか?」という話題に。こんなこと語るまでもない。キリスト教はイスラム教と十字軍以来1000年近く戦ってきた。一神教は自分の信じる神以外は「邪」「悪魔」なんだから心の狭い、争い好きな宗教だ。神様は悪魔を抹殺することを求める。(行き過ぎればアメリカのように、わざわざ敵を作って叩き潰すことを国是とする)そしてキリスト教徒は個人主義で、一人一人が神様と相対で契約する。利他であるはずがない。自分が救われるため、神様に好かれるために神様を利することはするが、「神様に好かれる競争」の競争相手である他人を利することはありえない。”みんな一緒”は、キリスト教に反する。
一神教はカルト以前に「オワコン」ではないか?
17世紀のデカルト「われ思うゆえにわれあり」から始まり、19世紀のダーウィン進化論やマルクス唯物論、20世紀のアインシュタイン相対性理論(タイムマシンは可能だ)、ジョンレノン”God is a concept by which we masure our pain"、21世紀のSDGsこれらは「神様に任せときゃあうまくいく」、「俺たちの人生・世界は神様任せ」、「自然や時は神様がコントロールしている(=人間がコントロールしようなんて思っちゃいけない)」といったキリスト教の教えを真っ向から否定している。無神論と言ってもよい。キリスト教徒たちがどうやってこれらの反キリスト教思想と折り合いをつけているのか?知りたいところだ。逆に言えば敬虔なキリスト教徒にとってSDGsなんて「ノアの箱舟」を全否定する邪悪な思想だ・・・ノアの箱舟は「人間はやりたい放題やっても神様が、いずれ「ご破算」にしてくれる」という神話だ。聖書にそう書いてある。本心ではそう信じている人が何億人もいるはずだ。
俺は神様なんて信じないが、もっと信じないのは人間の進歩とか人間の理性・知識だ。こうすれば地球を救えるとか、もっとよくなる、なんて全部嘘・流行・ファッションだったではないか。プラスティック、原子力・・・いずれITも・・・
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