会社(資本主義)の行く末
俺は2019年まで会社勤めをした。会社は、2000年以降「従来の延長線にはない変革」を目指してうまく行かずに挫折し、挙句の果てに2010年頃から金融資本主義に傾いて会社を売り買いし、「変革」を実行できそうな経営者を外部から呼んだ。これを目の当たりにし、俺は「おかしい」「こんなんじゃ社員は幸せになれない」と直感しながら「変革」に対する代替案も考え付かず、金融資本主義で組織や社員がおかしくなったり傷ついたりするのを防いだり手当することに手一杯になり、燃え尽きて終わった。この当時、金融資本主義に傾く経営者を見て「正しいとは思わないけど、違法じゃないしなあ」とか「ついていけねえ。早く会社辞めてえ」と言うのが口癖だった。
2023年現在、俺のいた会社で「変革」がうまく行っているようには見えない。あまり後悔はしていないが、悔しいというか、もうちょっと、どうにかできなかったのか?という思いは強い。
今にして改めて、金融資本主義は会社を商品にして売り買いするけど、会社というものは商品にしてはいけないんだよな、などと思う。金融資本主義って、タイパ重視で利益を求める株主に阿(おもね)って手間暇かけて自社で売れるかどうかも分からない商品を生み出そうとすることをあきらめ、売れる商品を生み出している/生み出しそうな会社を手っ取り早く買う。会社が自分を商品として時短で売り買いするんだから、社員が自分の人生を商品とし、タイパ重視で自分を高く買ってくれる会社を探しては就職・転職するのも当然だ、と気づく。事ここに至ると会社(経営者)は自社(自分)で価値を生み出すことをやめて自社(自分)を市場で高く売ることだけを考え、社員も自分で価値を生み出したり、価値を発揮するのでなく、単に労働市場で自分を高く売ることだけを考えるようになる・・・
そんなことを考えながら、商品、資本主義、価値・・・といったキーワードでネット検索するとマルクスの資本論を読み解こうという動画がYouTubeにたくさん投稿されていることに気づく。へえ、面白い現象だな、と思う。パワポを使って「30分で分かる資本論」的に解説する動画がある。「難解だ」「分かりにくいけど頑張って」などと励ましながら動画が進む。資本論は、さすがにタイパにはなじまないかな?などと思ったり、翻訳が悪いんだから原文に当たった方が良いのかな?などと思いながら、ふと「人新世の資本論」を書いた斎藤幸吉を思い出した。
斎藤幸平出演のNHK ETVの「100分de名著」の録画を見返す。資本論とは直接関係ないが、斎藤が「ブルシットジョブ」を持ち出す。ブルシットジョブとは、広告業、コンサル、投資銀行・・・高く売れるが富を増やす(=豊かにする)には意味のない仕事のことだそうだ。俺が会社で長年やっていた管理職の仕事も正しくブルシットジョブだった。ブルシットと分かっていながらやめられないことが疎外だと。そもそも俺の会社が富を増やすことに貢献していたのか疑わしかった。俺は会社で燃え尽きたのではなく、疎外を感じ、もがいて仕事を続け、疲れ切ったのかも。
斎藤はマルクスと違って「こうすれば疎外・矛盾から解放される」「人を不幸にする資本主義は革命が起こって止揚される」なんて勇ましいことは言わない。(多分ソ連の共産主義の失敗や中国の共産主義の変質を意識してのことだろう)そこで最近流行のSDGsとか過労死に乗っかって、
まず「富」を
①
自然界にある資源や空気や水、人間の知識・技能・コミュニケーション能力、文化といった、商品にすべきでないもの・・・②を生み出すものと言ってもよい・・・
②
人間の生活に(衣食住に)必要なもの=商品にしてよいもの
の2つに分け、①は共有し使用や消費を制限し、また、市場価値を増やそうとするのではなく、富を増やすために使われるようにしろ、と言う。②については、マルクスの言葉「能力に応じて与え、必要に応じて受け取れ」を引用する。つまり、商品を作るには各人が持っているそれぞれ違う様々な能力を提供して作り、報酬は各人の必要に応じてもらえ、と。*1
時代に応じて①と②の境目は変化する。例えば食料は自給自足されていれば(市場に出なければ)商品ではない。会社は金融(株主)資本主義が登場するまでは商品ではなく、社員他のステークホルダーに共有されていた。
労働も時代・宗教などによって見方が変わる。カトリックにおいては卑しい人が嫌々働いて提供するのが労働。その結果生み出されるものが商品。裏を返せば卑しくない人が働いたり、卑しい人が喜んで働いた結果できたものは商品ではない。インターネットをただで使うことですら、個人情報を資本家に提供する労働。好きでやることは卑しくはないが資本家のための労働になり得る。
資本主義はあらゆる富をどんどん商品化して止まず、人間は資本主義に振り回され、支配されるという考えは、資本主義登場の2000年前に荘子が言った「機械あれば機事あり、機事あれば機心あり」の焼き直しだ。
閑話休題:
俺も学生時代、「資本論」に挑戦した。理解できず、資本論入門みたいな、解説書を何冊か読んだ。その結果、俺が資本論やマルクスに関して分かったことは①マルクスは資本主義が進歩し、革命が起こり、進歩の最終形態として共産主義になる、と予言したが、共産革命が起こったのは資本主義なんて未発達のロシアや中国や北朝鮮だったこと②マルクスは「宗教はアヘンだ」と言ったが、ソ連や中国や北朝鮮では共産主義が宗教になっているということ③ソ連、中国、北朝鮮などは労働者の独裁ではない。スターリン、毛沢東、金日成といった個人の独裁だ・・・そんな悪態をつき、言いがかりをつけてイデオロギーとしての共産主義は間違っていると断じた。しかし、マルクス主義(弁証法)の哲学・考え方は正しいと思った。資本主義を資本主義として成り立たせるものが資本主義を滅ぼす、量の変化が質の変化になる・・・他にもあったかも知れぬが忘れた。
コメント
コメントを投稿