過労死をなくそう

 数年前、NHK女性職員が長時間残業をし続け、急死(突然死)したという事案。労基が両親の訴えを受け労災=過労死と認め、その後NHKが両親を呼んで再発防止の話し合いをする様子をNHK自身が放送していた。

違和感を感じたのは死んだ女性の父親。娘の死を「悲惨な死」と言う。実は両親は娘さんが亡くなった時、父親の仕事?の関係で海外にいた。「なぜ自分たちは娘が死ぬのを防げなかったのか?」「なぜ一緒にいられなかったのか?」と悔やんでいる発言はなかった。死んだ後日本に帰って来てあたかもNHKに殺されたみたいな言い方をして騒ぎ立てる。(口ではNHKが悪いなんて言う気はないとかなんとか言うが・・・)

動物は弱いものから死ぬ。自然の摂理だ。環境が厳しくなれば一定の率で動物は死ぬ。そして人間は動物の一種だ。長時間残業が続けば一定の率で弱かったり運が悪い人間は病気になり、死ぬ。どこが悲惨なのか?ただ単に自然の摂理だろう。問題は長時間残業を止められなかった事情・理由だ。

死んだ娘さんは長時間残業を自ら進んで喜んでしたのか?それとも「一人前」になろうと「辛いけど頑張ろう」と思っていたのか?それとも強要されて嫌々残業をしたのか?俺は強要されて嫌々残業をした、とは思えない。嫌だと言って逃げ出すくらいの自由はあったと思う。喜んでやったか「辛いけど頑張ろう」かは別にして自分で勝手に長時間残業し、たまたま死んだ・・・それを過労死だ、雇用側の責任だ、と言うのは間違っている。

そして番組は「働き方改革」に進む。事ここに至ってバカバカしくなる。現状の会社の組織・仕組みでは、いくら働き方改革したって無意味だろう。俺は会社というものはすでに終わっているのではないか?と思い始めている。

売れるタイミングを読んで、売れる商品を作り、市場で売る・・・運よく当たった会社(人)だけが富と名声と自己満足を得る・・・これが資本主義だろう。これと逆にいつ売れるか、そもそも買う人がいるかどうかも分からない物を精魂込めて作り、それに価値を認める人が現れたら売る、という製造販売の仕組みを何というのか?職人主義とでも?・・・この場合、値段は市場ではなく、売り手と買い手が相対し、これで買う/売るという指値で決まる。

もともと資本主義の資本家って、売れる商品を自分自身で作るんじゃなくて売れる商品を生み出す能力(のある人)を買う。戦後、まだ残っていた職人主義が資本主義に取って代わられるのを俺は体感した。会社自身が”資本家”になって、売れる商品を生み出す会社を買う。買われる会社は”商品”になる・・・金融資本主義・・・それがアメリカで始まり、21世紀には日本で自分の会社がそれに染まるのを目撃した。会社自身が商品となる・・・商品になった会社に身を売って働く人間は何だ?商品を作るための原材料か?

次は何が起こるのか?何が商品になるのか?まだ人間は売ったり買ったりすることを続けるのか?いや、これから売ったり買ったりするのはAIだろう。すると人間は何をするのか?市場で売買される商品を作ったり売買するのはロボットやAIに任せ、人間は商品にすべきでないもの、商品に出来ないものを作り・売買することだけを職人主義でやる、というわけにはいかないか?

市場で売ったり買ったりすることは”卑しい”。つまり、資本主義は卑しい。職人主義なら卑しくない。大量生産される”もの=ハード”を売り買いしている限りは卑しさは許せる範囲。会社や自分自身を商品にするとものすごく卑しい。一つの物を精魂込めて作ったものを高く売ろうとするのは卑しくない。心やソフトといったものの価値を計る道具・基準として一番ふさわしくないのは金だ。心やソフトといったものの価値を金と言う卑しいもので計ろうとするのはものすごく卑しい。

以下、斎藤幸平の発言を参考:

市場で売買されるのにふさわしくないもの:

例えば空に浮いている雲は商品か?雲や水や空気、人間の能力才能・・・は本来、富ではあるが商品ではない。自給自足で食料を自分で作って自分で食っていた時代は食料は商品ではなかった。富をどんどん商品としていくのが資本主義。使用価値には関係なく、いくらで売れるのか?という市場での価値だけで売買が行われる。商品の価値が人間を振り回し、支配するようになる。商品=欲望を満たすもの。

資本主義=無限の価値増殖の運動=資本家はいくら膨大な資産を獲得してもさらに資産をふやそうとして、労働者のコストをカットし続ける。労働者のコストカット=同じ賃金で長時間働かせるか 又は賃金を安くする。・・・資本家は血を求めることを止められぬ吸血鬼。

労働者も競争して自分を安売りしようとする。残業するなよ、休んでいいんだよと言われても、首になるんではないか?と不安になって休めない。労働者は奴隷ではないから自分の労働力を誰に売るか自由に選べる。自由はその裏に責任や自負や恐怖がある。資本家同様、労働者も賃上げされるともっと賃上げを求める。(時短も同様・・・どんどん労働時間を短くしようとするが時短は労働者の自由を大きくする。)労働者はまず雇用されようと自分を安売りし、一旦雇われたら今度は給料上げろ、時短しろ、と際限なく要求する。資本家同様卑しい。卑しいが、他人の血をチューチュー吸うような強欲な真似はしない。

労働者=資本家に雇われ働かされる人。個人事業主は労働者ではない。労働者はロボットやAIを自分の仕事を奪う競争相手と考える。資本家から見ればイノベーションとは労働者のコストを安くする手段に過ぎない。今まで10人でやっていた仕事が1人でできるようになる・・・9人が失業する・・・残った1人は9人の失業者のようにになりたくないと思う。大人しく、資本家の言う事を聞くようになる。

冒頭のNHK女子職員の死とは違って、この文脈で過労死する悲惨な労働者は少なくしたい。したいが、資本家も労働者も少しでも資産や報酬を確保し増やそうとする競争を止められない。この競争は自由な競争だ。でも疎外された自由だ。止める自由のない自由だ。過労死をなくすには、この無限に続くスパイラルを断ち切るするしかない。そうするには、斎藤幸吉の言う、①イノベーションは資本家にさせると労働者の雇用をや給料を削ることになるから、イノベーションは労働者がやる。②富を際限なく商品にするのをストップし、商品にしない富を決める。つまり、卑しい売買を限定する。商品にするものの製造はマルクス流に「能力に応じて労働を提供し、必要に応じて報酬が与えられる」ように出来れば過労死はなくなるか?

しかし、斎藤幸平の案を実現するのは難しい。例えば日本で始めたって他国がやらないと日本は競争力を落とす。マルクスの言う共産革命と同じく、世界中でやる必要があろう。

俺は斎藤幸平の言う事に100%賛同しない。だって実現するための第一歩が示されていないから(斎藤に言わせれば「ここまで分かったら、どこに向かってどう一歩を踏み出すかは自分で考えろ」と言う事かも知れないが)。

ただ、使用価値を無視して市場価値に振り回される卑しい所業・バカをやめさせたい。そしてかつての会社のような、自分自身で売れそうなものを生み出そうと試み、生み出す組織・仕組みを復活させたい。俺は過労死よりそっちに関心がある。


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