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1月, 2024の投稿を表示しています

この歳にして尊敬できる人を見つけた(串田孫一)② <子育てのヒント>

「考える遊び」 より子育てに関するものを引く:  俺のコメント 「羞愧(しゅうき)の笑い」より抜粋 幼児は走り回っていて転ぶと泣き叫ぶ。突然に起こったこの出来事のための驚きと、打った膝や掌に徐々に感じられてきた疼痛と、それから他に何が考えられるだろう。近くに親がいるかいないかはほとんど関係がない。起こしてくれて泥を払い、慰めてくれる言葉を要求しているのだ、と言うのは考え過ぎである。 子供が成長してくると、転んだくらいでは泣かなくなる。それは幾度かの転倒の経験によって、泣くほどのことではないと分かり、転んだくらいでいちいち泣くものではないという大人の意見がなるほど無理な注文ではない、と理解されたからだ。だが、もうひとつは他人を意識し始めたことである。特に同年輩の子供が自分の転倒という明らかな失敗を見ている時、その目が、泣くだろう、痛がって顔をゆがめるだろうと、意地の悪い期待をしているのが感じられると、この期待を裏切ってやることが先決問題になる。 それはこともなげに装う事が出来れば、それに越したことはない。子供の中にはこうした理想主義のひな形がいろいろある。たとえひな形であろうとも、理想主義は常に可能か  不可能かの区別の向こう側にあるから、万事がそれに似た仕組みの中にいる子供にとっては有効である。 自分の身に振りかかった大小の出来事、事件にこともなげに当たるというのは、大人の理想でもある。その内容も大して変わってはいない。子供も理想を手に入れ難いことが分かると模倣する。模倣を理想への入り口だとするのは心得違いである。子供は転んで痛くとも我慢する。少しくらい血を流しても平静を装う。もちろん、それは沢山の他人の目のためである。 「美しい身の熟し(こなし)」より抜粋 モンテーニュの「随想録」の中には「子供の教育について」という題の章がある。ギュルソン伯夫人ディアーヌ・ドゥ・フォアに献げたものであるが、人間の学問のうちで一番難しくまた大事なのは、子供の教育であると強調している。ここでnouritureとinstitutionという二つの言葉が書かれいる。古い意味でinstitutionは(子供の)教育であり、nouritureはやはり古い時代には「躾」の意味で使われていた。そして興味があるのは、モンテーニュがそのことを説明するのに農作物を例に挙げていて、農作...

不正発覚の連続=内部通報(告発)の流行

 ビックモーター、自民党、ダイハツ、豊田自動織機・・・不正?の発覚のきっかけはみんな内部通報(告発)だろう。松本人志の文春砲も被害者?からのタレコミだ。 俺は内部通報(告発)って、日本人向きではないと思う。内部通報って告げ口の言い換えだ。小学生の時、先生から「告げ口はいけません」なんて言われたような記憶もある。 同様に、司法取引も日本人には向いていないと思う。司法取引は自分を守るために他人を(特に目上の者を)貶め、売る、ということだ。日本人たる者、「他人を売るなんてこたぁしねえ」「我が身を犠牲にしても上の者を守る」という見栄は張れないのか?不正よりも、こういう見栄・日本人の美風を失うことの方が日本人にとってはマイナスが大きいように思う。(他の国の人にとってはありがたいことだろう) 不正はいけない。しかし、不正そのものをあげつらうのは間違っている。不正そのものが悪いのではなく、不正に起因して起こる品質その他のトラブルが問題なのだ。強いて言えば、守れない基準、規則を設定することが問題だ。そういった、不正がもたらす負の結果を無視してとにかく規則や基準を守っていないことを告げ口する風潮は間違っている。この情けない告げ口を奨励するような風潮は嘆かわしい。 この問題は根が深い。役人がちゃんと守ることができる法律を作ることから始めないといけないが、そんなことは日本の役人に可能か? 日本の役人は、守れるかどうかにはあまり気を使わず、国民にプラスになればよい、といった大雑把な狙いで、解釈の幅の広い(=素人が読んでも何をしてはいけないのか、何をすべきなのかが分からない)法律を作り、裁量・運用してきたように思う。ただし、政治家・役人ともレベルが落ちて国民全体より、特定の層、組織にプラスになるような法律が増えたのかもしれない。 素人が一読して何をすればよいのか/何をしてはいけないのか?が分かる法律が出来るようになれば、日本は変わり始めた、と言えるだろう。ただし、それではよその国と同列か負けるだけだが・・・ 俺の知っている日本人は規則とか基準を真剣に守ろうとしない。少なくとも俺の上の世代はもちろん、20年くらい下の世代まで会社に入る時、会社の規則や自分自身の雇用契約をチェックするような輩はいなかった。基準とか規則とか契約とは別に作法や言動を教えてくれる先輩の指導や躾があった。書かれた...

今夜はローストビーフだ

 ふとローストビーフが喰いたくなって上さんに頼む。俺が食事を作るようになった後もなぜか、ローストビーフと魚の「サク」を切って刺し身にするのは上さんにやってもらう。 付け合わせはじゃがいも料理。ローストビーフにはマッシュポテトなど、じゃがいも料理が合う。今日は俺のオリジナルのじゃがいもの千切りとトマト炒めにする。じゃがいもを3、4mmの千切りにし、サラダ油でいため、食べられるくらい柔らかくなったら塩コショウにスープの素(中華でも洋風でも可)を加え、混ぜ合わせたらトマトのくし切りにしたものを加え、軽く和えたら完成。じゃがいもを炒める途中で醤油をたらしてもよい。生のトマトが苦手な俺が加熱して少しでもトマトを食いやすくしようという料理だ。似た料理を中国で一回食べたのを真似してるのかも知れない。 スープはかぼちゃのポタージュ。玉ねぎの薄切りをバターで炒め、かぼちゃの薄切り(皮と種を取り除いたもの)を加えてかぼちゃに油が回ったら、牛乳、スープの素を加えて煮る。かぼちゃが柔らかくなったら、ミキサーにかけてポタージュスープに。仕上げは塩コショウ。 ローストビーフは薄切りにしてスライスオニオンとグリーンレタスと一緒にポン酢で食すのが一番うまいと思う。

上さんが大腸の内視鏡検査を受けた

 一昨日、上さんが内視鏡検査を受けた。ポリープが一つ見つかってそれを除去したが問題なし、という事だった。俺も医者の検査結果説明の時に立ち会った(ので女子サッカーの皇后杯の延長が見られなかった)。 今日になって夫婦で会話。 上「やっぱり内視鏡検査受けてよかたわ。ポリープ取ってもらったし」 俺「本当はポリープなんてなかったんじゃないか?ありもしないポリープを取って、売り上げを増やし、安心させる、医者の常とう手段じゃあねえのか?」 上(俺が数年前に同じ医者で2回受けた内視鏡検査の領収書などもチェックしながら)「ポリープ除去は1個1000円だわ。内視鏡検査1回で先生には4万円くらい入るんだ。」 俺「おい、おい、さっき『ポリープ取ってもらってよかった』って言ってたのになんだ、その言い草は!」(笑)。・・・いい上さんだ。 ※俺の時は1回受けたら「念のために来年も」と言われて2年連続で受けた。上さんは今年1階限りでパスだ。「念のため来年」も常とう手段かと思っていたが、そうではないらしい。

この歳にして尊敬できる人を見つけた(串田孫一)①

 久しぶりに尊敬できる先人を見つけた。とても嬉しい。と同時に、何故今まで出会わなかったのか悔しい。 その先人の名は串田孫一。1915年生まれ、2005年歿。 「考える遊び」(1992年、筑摩書房刊)を読んでの感想だ。 まんざら知らない名前でもなかったのに、何故か彼の著作は読んだことがなかった。へそ曲がりの俺と似たような切り口で物事を切り取り、考える人だ。ただし、育ちがいいのか、人間が謙虚なのか、俺よりずっとおだやかでお行儀のよい語り口だ。「上品なへそ曲がり」とでも言うべきか。「自分の頭で考える人」であった。この本を読んでいると、励まされるし、頭や心に滋養が染み渡る感じがする。もっと若い時に知りたかった人だ。山口瞳との対談で面白そうな人だ、と思って彼の本を読んでみようと思った。こういう「芋づる式」が本を読む醍醐味であり、大げさに言えば人生の楽しみだ。 1926年生まれの山口瞳、1929年生まれの色川武大などは1941年の開戦時10代で、「国に騙された・踊らされた」みたいな意識があるように思う。それに対し、串田孫一の世代は開戦時大人であったから「どうしてあの無謀な戦争を止められなかったか?」という後悔と言うか、贖罪意識があるような感じだ。だから謙虚な印象を受けるのか。 この本は30作の随筆からなる。本のタイトル「考える遊び」にも気を惹かれるが、以下に羅列する各随筆のタイトルも思わず読みたくなるものが多い。深いと言うか、含蓄があるというか、なぜか、profoundという言葉も浮かんでくる。 ・飛び損ねた天狗 ・自分を欺く門 ・一本の螺子 ・奇跡を欲しがる祈り ・己惚(うぬぼれ)鏡 ・言葉に換えた素振り ・新奇な思考の試み ・芽生えない噂の種 ・逢う魔が時 ・神への賄賂 ・恋忘れ貝 ・彼が私になる時 ・可憐な守護神 ・手先の知恵 ・外面如菩薩 ・転把(ハンドル)の遊び ・悲哀の沈黙 ・隠れる者の咳払い ・乳白色の膽(きも) ・羞愧(しゅうき)の笑い ・美しい身の熟(こな)し ・精神的宦官 ・鶩(ぼく=あひる)に類す ・無言の行 ・楽屋裏 ・花壇と井戸端の歌 ・裏返しの字 ・食卓を囲む談笑 ・夢合早占 ・着地の難しさ 閑話休題: 昨日、たまたまゴルフをご一緒した田中さん。初対面だったことを差し引いても、とてもマナーがよく、礼儀正しかった。会社員風だ。プレーも確実。飛距...

Hal McKusick ”East Coast Jazz Series No.8"を聞く

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 メンバー:Hal McKusickアルトサックス、Barry Galbraithギター、Milt Hintonベース、Ossie Johnsonドラムス。もともとBarry,Milt,OssieはThe Rhythm Sectionと呼ばれたグループで仲間だった。(The Rhythm SectionはピアノのHank Jonesを加えたカルテットだったが)言い方を変えれば、The Rhythm SectionのHank JonesをHalに換えたカルテットがこのアルバムで演奏している、ということになる。1955年、Bethlehemレーベル Halは、1956年までこの3人とアルバム数枚の録音を残している。よっぽどピアノレスにこだわったのだろう。それともBarryが好きだったのか? このアルバムでもBarryがリーダーのHalと同じだけFeatureされ、Halのソロの後はかならずBarryのギターソロだ。アルバムジャケットでの扱いもむしろBarryの方が大きい感じ。 俺に似たようなことを書く奴がいるようで11年前に、Amazonにこのアルバムに関する以下のレビューが: 珍しくパーカーライクではないアルト奏者である。クール派の人ではないようだが、やはりリーコニッツに分類されるスタイルか。アートペッパーに似ているという指摘も、本盤を聴いていただければ、納得されるであろう。 決してスケールの大きい人ではない。むしろ、無駄のないコンパクトにまとまった、知的でクールなアルトであり、捨て難い魅力を覚える。 本盤はマニーアルバム編曲による(全曲ではない)ちょっと室内楽的な響きも感じられるジャズに仕上がっており、マクシックのアルトを聴くには最上の環境といえるだろう。 ソロに、伴奏に、女房役のガルブレイズのギターとも息はピッタリ。 これは秘かな愛聴盤だ。 かって幻の名盤といわれたレコード。 それが今、千円前後で買えてしまうとは!いやはや、、、、、 閑話休題: Bethlehemというレコード会社も渋いレコードをたくさん出している。ギター好きの俺としてはギタリストが一番活躍するレーベルだったという印象がある。改めて、Wikipediaに掲載されているアルバムリストを眺めてみると。都会的、洗練、という言葉が合うアルバムが並ぶ。そんなに大物がいるわけではないし、時代の最先端を...

女子サッカー面白い!(皇后杯観戦記)

 NHKで皇后杯サッカー決勝戦(浦和対神戸)を見る。 前半、浦和の前からのプレスが効いて、神戸は全くサッカーができない。浦和が1点先制。神戸・日本代表、田中が全く仕事できない。前半の浦和の攻撃的なサッカーは素晴らしかった。勢いがあった。 キーになったのは、後半の神戸の高瀬投入だ。田中へのマークが甘くなって、田中が段々フリーにプレーできるように。そして、これで止められたら試合終了という「ラストプレー」で田中がPKを獲得、それを高瀬が決める。監督も高瀬もものすごく気持ちよかっただろう。 延長戦で点が入らず、結局PK戦で神戸の勝ち。 解説の永里亜紗乃も良かった。ハーフタイムでTVに映ってるときもいい顔していい振る舞いだった。 必ず人気が出るようになると思う。ボッチャ同様、応援する。 閑話休題: 皇后杯の優勝賞金1000万円。天皇杯の優勝賞金1億5000万円。誰か女性蔑視だ、と訴えてくれないか? それから、「三菱重工浦和」というチーム名には違和感。ここにも男女の差が。 2011年、日本女子が勝ったワールドカップなんて、日本チームに限らず、基礎体力が不足する選手がいた。シュートは弱く、その弱いシュートでも、ゴールの端に飛べばキーパーが止められずに決まるというシーンが見られた。今は女子サッカー選手の基礎体力、体幹、筋力など素晴らしく向上した。

100年前と似てないか?

  『 私たちは、学校や職場で「仕事や労働はつらいけれど我慢して一生懸命働けばその先にいいことはある」と洗脳されてきている ので、いまこの瞬間の幸福を味わう感受性がおかしくなっているのです。』などと言う山口周が理解できない。そしてもっと理解できないのは彼の言うことがそれなりに評価され、会社も経営し、北九州市のアドバイザーとして迎え入れられるということだ。 日本の歴史を振り返ると: 1900年代初めにに日本社会党が認められ、無政府主義や共産主義も紹介され、それを過激に主張した幸徳秋水が1911年大逆事件で死刑にされ、一時後退した社会主義運動が、1917年に起きたロシア革命で再び勢いづき、労働運動にも参加した無政府主義者大杉栄が1923年関東大震災のどさくさで甘粕憲兵大尉に殺された。 天皇制については1910年に社会主義者による明治天皇暗殺計画が発覚、1912年には美濃部達吉の「天皇機関説」が発表され、これに対する反動で天皇は神であり絶対君主だという考え方が出て来る。 同時に薩長出身者(軍人)による藩閥政治に対する批判も高まり、1918年初の「平民宰相」である原敬首相が誕生し(1921年暗殺)、普通選挙への要求が高まって1925年に普通選挙が始まった(同時に治安維持法も施行)。1922年には元勲と呼ばれ、明治維新をリアルタイムで知る 山県(1838年生まれ) 大隈(1855年生まれ)が死んだ。 1918年にはシベリア出兵で米が大量に買われ、米の価格が急騰して米騒動が起こり、また1927年には昭和金融恐慌、1929年10月のアメリカの株価急落の影響で1930年には昭和恐慌が起こった。昭和金融恐慌は第1次世界大戦で絶好調となり発生したバブルがその後の不況によって崩壊し、1923年の関東大震災に対する補償が焦げ付いて不良債権になったことが原因とされる。 1919年新婦人協会ができ、女性の参政権他の権利や自由をおおっぴらに求め始めた。 1924(大正13)年,「大阪朝日」「大阪毎日」の両紙はともに100 万部を突破し, 1 925年にはラジオ放送が始まる。新聞は反政府の世論を盛り上げ、政府から弾圧された。(その後、軍の言うことを聞いて大政翼賛に励み、国民を戦争に駆り立てた)ラジオ局は1926年 「社団法人日本放送協会」として統合された。これは実質的には政府機関的な性格を...

1月25日付け朝日新聞デジタル記載の 「責任を取る」とは何か 高齢者に伴走、「いろ葉」が貫くケアの信念

「コロナ禍と出会い直す 磯野真穂の人類学ノート」(第31回)   ※鹿児島で介護施設「いろ葉」を運営する中迎聡子(なかむかえ さとこ)に関する記述。 暮らしを感染対策で塗り潰さない介護を頑強に続けたいろ葉であるが、なぜかれらはそのようなケアを続けることができたのか。それを知るためいろ葉の原点にさかのぼろう。ここからは中迎へのインタビューに加え、彼女の2冊の著書『介護戦隊 いろ葉レンジャー参上-若者が始めた愛と闘いの宅老所』(雲母書房)、『最強のケアチームをつくる―いろ葉の介護は365日が宝探し』(円窓社)を参照する。  1999年、ちょっとした好奇心で応募をした新設老人ホームの職員に合格した中迎は、研修で入った初めての介護施設に絶句する。 すり替わっていた仕事の目的  朝、お年寄りたちは放送で一律に起こされ、食事、おむつ交換、入浴とモノのように処理されていた。のみ込みを確認したら次のひとさじが口から流し込まれ、食事を楽しむ暇などもちろんない。廊下では、タオルをかけた裸の老人たちが列を作ってお風呂の順番待ちをしている。鍵のかけられた部屋もあり、中ではお年寄りがぐるぐると歩き回っていた。  他方、何十人もの食事・入浴・排泄(はいせつ)介助を流れるようにこなしていくスタッフたちは、スケジュール通りに全ての作業を終わらせることに満足感を覚えているようだった。仕事の目的が介護から「決められた業務を滞りなく終わらせること」にすり替わっていたのである。中迎は研修で受けた打撃を次のように描く。  2週間の実習の中で、私は光を見つけることができませんでした。自分の思ったことさえ誰にも話せませんでした。衝撃を受けた自分がおかしいのか?それとも他の人が施設というものの中にのみ込まれ、感覚がマヒしてしまっているのか?頭がおかしくなりそうでした。私は私自身が人間であり続けるために介護のプロになってはならないと思ったのです。この気持ちを忘れた時は、感じなくなった時は、この仕事は辞めよう、この仕事をしてはいけない、そう自分に誓いました。  しかし誓いを立てたはいいものの、それを実践しようとすればするほど、彼女は職場の中で孤立した。泣かずに帰った日はない、毎日が戦いに行く思いだったと、かの日を振り返る。  他方、中迎を慕うお年寄りたちは「顔色が悪いよ」「休みなさい」と気遣って声をかけてくる...

五明樓玉の輔「子別れ」を聞く

枕で「かくばかり、偽り多き世の中に このかわいさは 誠なりけり」と言う歌?が紹介される。ひねりのない、実につまらない歌だ。だけど素直に孫の顔が思い浮かぶ。  ご隠居の葬式に行ったきり吉原に居続け三日間帰ってこない大工の熊さん。「敷居が鴨井」なので酒を引っかけて家に帰る。お上さんはご立腹。その時の熊さんの言い訳・・・「隠居の遺言で骨まで焼かなけりゃいけないんだけど、年寄の骨だから油っ気がなって燃えにくい。それを焼いていたら3日かかった」・・・無茶苦茶。不条理。面白い。 夫婦げんかになって熊さん、上さんを息子ともども叩き出す。 色々あったが3年後、元々腕の良い熊さん、すっかり反省して立派な大工に。ある日息子にばったり出会い、翌日鰻を食わすと約束する。 息子の額に傷があるのでわけを聞くと、オッカサンが世話になっているお得意の息子に殴られたんだ、と。それで文句を言えない理不尽。我慢しろ、という熊さん。 熊さんは息子に「今日会ったこと、明日鰻屋に行くことはオッカサンには秘密だぞ」と『男と男の約束』をさせるが、息子は家に帰った後、熊さんからもらった50銭玉を見つけられて誰にもらったか言わなかったが、オッカサンに「げんのう」で叩かれそうになり「男と男の約束」を破り、白状する。 翌日鰻屋に上さんもついて来て、熊さんから詫びを入れ、よりを戻すことに。 上さんと3年ぶりに再会してモジモジし、テレ隠しで訳の分からないことを言う熊さん。生意気な息子。   いい人情噺だ。 落語なら、このジェンダーとハラスメント満載で許容的な感じのする話ができるのはなぜか?逆に言えば、ジェンダー、ハラスメント満載の話やドラマを自粛するのはなぜか?だから俺は落語が好きなのか? 「理不尽、不条理、無茶苦茶を乗り越えるところにしか成長はない」と思うのは間違いか? しかし、「子はかすがい」を地で行く話なのに、どうして「子別れ」なのか?

本日の食事・メニュー

 朝飯兼昼食: パンがあるのでトーストにしようと思う。俺が何を食うのか決めるのは大概「これが残っているから期限前に食おう」だ。 高そうでおいしそうなベーコンをもらったのでトーストにあうベーコン料理は何か?考えたが。そのベーコンに付いている冊子に「ちょっと加熱して生でも」とあるので、野菜スープに入れて短時間加熱することにする その野菜スープだが、もう何十年も食い続けているものだ。玉ねぎの薄切り、じゃがいもを1~1,5cmに切ったヤツを煮る。いい加減柔らかくなったらコンソメの素と中華鶏スープの素を加える。トマトも余り気味なのでトマトも入れる。これにベーコンを加えて仕上げは塩コショウ。(※トマトが余ってなければにんじんでもよい。赤いものを入れたい) サラダはシーザーズサラダ。あまったロメインレタスを消費する。これも10年来食い続けているレシピ。ボールにプレーンヨーグルトとマヨネーズ、(あればタルタルソースも少々)、アンチョビペースト、おろしにんにく、マスタード、塩、りんご酢を入れて混ぜたらドレッシングの出来上がり。好みの大きさに切ったトマト、ロメインレタスを和えたらパルメザンチーズの薄切りを載せて食す。 何故かオムレツを食いたくなったのでスクランブルエッグを気持ち寄せて固めたものにケチャップをかける。 夕飯: モツの白味噌煮込みにするつもり。モツ、臭い消し用しょうが・ネギを圧力なべで5分。豆腐・こんにゃくを一口大に切ったもの、大根、ニンジンのいちょう切りを加えて更に3,4分。これに白味噌を加えて圧をかけずに5分煮て出来上がり。白ネギの小口切りと七味が薬味。この料理、宵越しの豆腐がうまい。こんにゃくは余るから、余ったのは取っておいて、こんにゃくおでんに。こんにゃくを1cmくらいに切って耐熱容器の水を張ったのにつけてレンチン。八丁味噌(赤味噌)に砂糖と水を加え、レンチンしてこね回してタレにする。 モツの白味噌煮込みの他には鶏ももの照り焼きにでもしよう。 閑話休題: シーザーズサラダは、35年前初めてアメリカで食った。当時、アメリカではもったいつけてドレッシングを客のテーブル近くで混ぜて作ったりした。バカバカしい見世物だ、と思ったが味は気に入った。それ以来、折に触れ食ったが、30年前にシンガポールで食ったシーザーズサラダが絶品だった。一番気に入ったのは、パルメザンチーズ...

山口瞳 対談集④(田村隆一、矢野誠一) +解説

  黄色ハイライト部に関する ※俺のコメント 1975年田村隆一との対談 山口:僕の頃、2千円あれば長屋が建てられ、その家賃で一生食って行かれた。それより前の時代に20万円使い果たした金子光晴さんはいい気分だったと思う。(笑)そういう人でないと、本当に貧乏生活を楽しむなんてことにならない。だから、田村さんは金持ちだったんだろうと思う。(笑)奥野信太郎さんだってつまらないテレビ番組に出たって、どことなくおっとりした品があるのね。あれもやっぱり使い果たした人の顔だと思うんだ。田村さんも怠けものだか何だか知らないけれど、貧乏に平気で耐えられるというのは、少なくとも育ちがいいんだと思うんだな。その点、僕は駄目だね。もうビクビクしちゃって、まず妻子のことを考えたりなんかしちゃう。いつかあなたがアメリカに行くとき、ぼくはお会いしたんですが、あなたはペラペラのズボンをはいて、麦わら帽子をかぶっていた。もちろん夏でしたが、それを言うと、まあ冗談でしょうが、「着るものはこれだけしかないんだ」なんて平気でいた。あのときは本当に凄いと思いましたね。普通の人にはできないですよ。それでいて、全然物に驚かないような顔をしていた。 田村:花柳界の面白いところは金だけで成り立ってるんだね。義理とか人情とか言ってるけど、それは表向きで、本当は金の切れ目が縁の切れ目という一種の合理主義が徹底してるのよ。それがかえって爽やかな気持ちを与える。大塚なんて、昭和の初めころまでは一つの盲点になっていて、新橋や柳橋では遊べない客が来るわけです。そのころの文士の収入など知れていたから、菊池寛や西城八十は来るし、中でも傑作なのは宮様連中だね。それがものすごいアル中で、外で馬丁が馬連れて待っているんだ(笑)。僕が物心ついてからだけど、当時のスターはみんなお正月になると場末の映画館に挨拶回りするわけです。そして、家あたりで男優や女優がみんな昼食を食べるんです。家は料理屋で、宴会場もありましたから、そのほかに新国劇とか、前進座とか広沢虎造一門とかが正月にやって来て、忘年会とか新年会もやる。それが面白かったね。異色なのは、麻布三連隊というのだった。親父がそこにいて、上等兵までいって除隊したんだけど、そのとき、「お前の家は料理屋か。じゃあ麻布三連隊の野中中隊だけでやろう」というわけで、新年会などを家でやっていた。中隊...

山口瞳 対談集① (團伊玖磨、高橋義孝)

 山口瞳も一時期よく読んだ。一番面白かったのは「世相講談」だった。1920年代生まれ共通の「軍隊に入れられて、日本という国に騙されて・・・」という斜に構えた姿勢。加えて「俺みたいな半端者も生きていていいのかい?」みたいな感じ。その”申し訳なさ”みたいなのが好きだ。 山口瞳対談集(4) 論創社 より抜粋: 黄色ハイライト部に関する ※俺のコメント 1972年、團伊玖磨との対談: 山口:胃液はどうして胃を消化しないか。フグの毒はフグにとって毒でないのか・・・ 團:オリンピックを改革して、 人間という動物はどこまで跳べるものなのか、科学的、医学的な実験をしてやるだけにすればいいんです 。国の派遣選手なんてやめちゃって。犬みたいに金メダルをぶらさげて喜んだって、何て言うことないでしょう。 ※ドーピングやり放題で、「死んでもいいからもっと速く、もっと高く・・・」というオリンピック・・・俺も全く同意見。 ミュンヘンのテロの後始末について、ドイツ人に聞いてみたんですよ。あんなことして、犯人を撃てば人質の死ぬのは分かってるじゃないか。どうしてそんなことをするんだって。そうしたら、だって、同じじゃないか。つまりイスラエルもアラブもヨーロッパ人じゃないという意識なのね。 山口:日本も原子爆弾を落とされた国だって言うことだね。 團:日本はだから落としたので、ドイツに対してだったら落としてないですよ。金じゃあ世界はままならぬってこと。ぼくなんかも、お前がヨーロッパ人だったらねェってよく言われるもの。ヨーロッパ人でないものは、好奇心の対象にしかならないんだ。 山口:僕は思うんだ。何も暴力をふるわなくたって、みんなが黒装束で黙って歩いたって、たいへんな講義になる。銀座通りに座り込むなんて、田舎者のすることですよ。まず、九州、北海道、青森から出て来たやつには、銀座を占領したっていう快感があるんですね。地下道に火炎瓶投げたでしょう。きみらの仲間もやられちゃうじゃないか。そういう配慮とか神経が全くないのね。どうせ投げるなら銀座の高級地下バーにでも投げたら面白いと思うんですけどね。こんなバカな世の中ないよ。ぼかァ、歯がゆくってしようがないんだ。連合赤軍の連中が捕まるきっかけになったのは、軽井沢のおばさんが、くさいやつらが来たって通報したからなんでしょう。少年探偵団以下だよ。お金、持っているんだ...

山口瞳 対談集③ (串田孫一、大原麗子)

黄色ハイライト部に関する ※俺のコメント   1973年 櫛田孫一との対談: 山口:このごろ、まっすぐこう進んで寄り切っちゃうというようなお相撲さんは少なくなりましたね。 串田:そうですね。柏戸以来あんまりああいうのは・・・ 山口:そうですね。一直線にパーッと行って・・・・ 串田:止められたらもうだめだっていう。 山口:勝ったのにケガしたりなんかしましてね。 串田:そう(笑) 山口: 柏戸がお好き でしたか。 ※俺も柏戸好きだった。大鵬に組み止められて負けることが多かったんだが、時たま”電車道”で一気に押し出す・・・しかも蓄膿で、TVに映ると大概口を開けていた。相撲っぷりもこの姿も好きだった。 串田:そうですね。ああいうのがわりと好きでしたね。ルールを無視するような相撲っぷりってのはいいな。(笑)アゴ上げちゃいけないっていうのに、最後までとにかくアゴ上げてやってきたっていうのもいいじゃあないですか(笑) 山口:あのね、高橋義孝先生にね、お相撲が好きになられたころ、よくお相撲さんが先生のうちへ来たんですよね。こちらはどうもそういうことおもしろくないわけですよね。出入りの者としては。むこうへ金取られるんじゃないかって。こっちはお金もらう訳じゃないんですけどね。先生貧乏するのはそのせいじゃないかと思いまして。どうして相撲なんか贔屓になさるんですかと言ったら、だってね、おまえーおまえとはいわないけど、銀座の通りを小象を連れて歩いたと思って見ろって。こんな愉快なことはないって。(笑) 串田:創文社の大洞君なんんてのはね、電話をかけて来てね、ぼくが出るでしょう。「おいッ、おれ何でかけたんだっけね」なんて聞いたりする。(笑)「そんなぉと知りませんよ」なんて言われて「もうちょっとしたらかけますか」なんていうので電話を切る(笑) 串田:(海外に行きたくないという話から)ええ。オドオドするんじゃないかな。だれもいなければね、二人だけならいいんです。しゃべる前にみんなどいてくれればね、こんないいことはないと思うんだけども。(笑) とくに日本人なんかがそばに いたりなんかしたら。 ※俺も米国で全く同じだった。日本人がいると、「あまりぶざまな英語はしゃべれない」と緊張した。 山口:そんなお殿様みたいに、いちいちお人払いしてたんじゃ大変だ。(笑) 串田:(ボーイが葡萄酒を注ぐ)これをち...

山口瞳 対談集② (丸谷才一、諸井薫)

   1983年、丸谷才一との対談 黄色ハイライト部に関する ※俺のコメント 山口:例えば新幹線の食堂でも、一品でいいからうまいもの、コーヒーだっていいんです。「新幹線のコーヒーは割にうまい。そのかわり500円だ」と、どうしてこうならないかと思うんだけどなあ。・・・だけど新幹線の食堂は、内田百閒先生に言わせるとね、「君、文句言っちゃあいけない。新幹線のカレーライスは、あれ自体時速200キロで走ってるんだ。だからあれは高くてもしようがない。まずくてもしようがない」(笑) 「アラビアノロレンス」のピーター・オトゥールは、新宿より池袋や渋谷のキャバレーが好きだというんです。キャバレーに行くと、ジンを一本明けちゃうくらい長時間いる。そのくらい好きだというんですけど。 丸山:いっそそこまでいくと分かる気もする。つまり気持ちが楽になるんだと思う。グレアム・グリーンというイギリスの小説家は、30代のころ、いつも南米に行きたいと言っていたそうですよ。「俺は南米に行きたい。あそこは総理大臣が、人前でも平然としてワイロを受け取る。紳士が昼日中、堂々と淫売屋に言って遊ぶ。道徳律と言うものに縛られていない感じ、それがとってもうらやましい。」と。 山口;僕もそう思うな。うらやましいな。 丸谷:でも、我々日本人はうらやむ必要はないんですよ。総理大臣が堂々とワイロを受け取る国に住んでいるんですから。(笑) 山口:それから僕は、江戸時代に生きてみたかったな。「 みんなでちょっと験(げん)なおしに吉原へ繰り込もうじゃないか 」ということがさ、わりにスラッと言える世の中に住みたかったなあと。 ※全く同感。「験なおし」・・・粋だ。21世紀の日本で言ったらなんだろう?思いつかない。 たとえばここに初対面の人がいれば、「丸谷さん、こちら酒田なんですよ」なんて、そういう商会の仕方をするじゃあないですか。そうすると、とても嫌がる人がいるんですよね。 丸谷:それは僕も嫌です。というのは出身なんて偶然的なものに過ぎないから。つまりね、もっと別の一般的なことでー例えば「この人は小説がとっても好きなんですよ」と。何も僕の書いた小説でなくていいんですよ。一般に「小説を読むのが好きな人なんです」とか言って紹介されるのは好きですね。 山口:だって、どこそこの出身というのは一般的でないとも言えないでしょう。そ...

新幹線停電事故に思う

 新幹線の架線が垂れて、そこに新幹線が来て停電になったという”1次災害”は、目視検査のミス(=判断ミス)だ、と片付けられそうだ。俺が気になるのはその復旧に当たった工事作業者が電気を切らないまま作業しようとして感電したことだ。一言で言って「当たり前のことが当たり前にできない」で起こった事故のように思われる。百歩譲って通電したまま工事するとしても、当然、危険作業であると意識してそれなりの特別な予防措置をするはずだ。 俺が気になるのは山口周に代表されるような「辛い仕事なんかやめちまえ」という考えが蔓延していないか?ということだ。鉄道の保全点検作業なんて辛い仕事だろう。辛かったらやめちまえ、という考え方では点検や保全工事は誰がやるのか?辛い訓練を受けないで「当たり前のことが当たり前に」できるか?当たり前のことを当たり前にできるようになるには、つまらなくて辛い基礎訓練を繰り返すしかないのではないか?スポーツのトレーニングと全く同じだ。 山口周流の考え方は工事や製造の現場では全く浸透していないことを祈る。

老夫婦の会話

TVに出て来るタレント、俳優の名前の7,8割は分からない。7,8割のうち、1/3は知らなくて2/3は思い出せない。知らない人については俺は、「この人誰?有名人?」と上さんに聞く。思い出せない人については「名前何て言ったっけ?」と聞く。知らない人の大半は朝ドラに出演していたことが多い。主人公の夫だったり、妹だったり・・・  今日も今日とて、TVコマーシャルに出てる「豊悦」の名前が浮かんでこない。上さんに聞いたら「豊悦」だ、と教えてくれた。「すごいな、よく覚えてるね!」と俺。 その上さんが、「ト・ヨ・エ・ツって何だったっけ?」と聞く。さて、これがまた分からない。分からずじまいのまま、上さんがネットで調べて「豊川悦司」だ、と言う。 こんなやり取りが夫婦の会話の5割を占める。

経済成長が終わった「高原社会」 山口周さんが考える幸福な生き方(朝日新聞デジタル)

朝日新聞デジタル、山口周という人にインタビューした記事を引く。山口周なる人を知らないのでWikiると: 山口 周 (やまぐち しゅう、 1970年 [1]  - )は、 日本 の著作家・経営コンサルタントである。株式会社ライプニッツ代表。 北九州市 アドバイザー [2] 。 東京都 生まれ [1] 。 慶應義塾高等学校 ・ 慶應義塾大学 文学部 哲学科 美学美術史学専攻 を卒業後 [3] 、 慶應義塾大学大学院文学研究科 美学美術史学専攻 修士課程 を修了した [1] 。 電通 、 ブーズ・アレン・ハミルトン 、 ボストン・コンサルティング・グループ 、 [4] A.T.カーニー に勤務した [5] [6] 。2011年以降より2019年1月現在まで、コーンフェリーのシニアパートナー。また2018年5月以降2019年1月現在まで、 一橋大学大学院経営管理研究科 非常勤講師を務めた [7] 。 多摩美術大学 クリエイティブリーダーシッププログラム講師 [8] 。 以下、朝日新聞デジタル記載記事:  (前略) 米国ギャラップ社が22年に行った調査では、「仕事に熱意のある従業員」の割合は、世界平均で23%ですが、日本は5%。145カ国の中の最低レベルでした。こうした調査では日本のスコアは低めによく出ますが、それにしても、かけがえのない人生を9割以上の人が浪費しているといえるのではないでしょうか。幸福をはかる物差しでマイナスになっている。幸福感受性が摩耗してしまっているのだと思います。  ――「幸福感受性」ですか。   私たちは、学校や職場で「仕事や労働はつらいけれど我慢して一生懸命働けばその先にいいことはある」と洗脳されてきている ので、いまこの瞬間の幸福を味わう感受性がおかしくなっているのです。  私は、「インストゥルメンタル」(手段と目的が別)と「コンサマトリー」(手段と目的が同じ)という二つの言葉で対比しています。高原社会では、未来のためにいまを手段化するインストゥルメンタルなものから、手段や方法それ自体が楽しく、現在の充実につながるコンサマトリーなものへと、経済活動も変化してくると考えています。 何もしないことに耐えられない日本人  ――具体的には個人としてどんな心構えをすればいいのでしょうか。  小さなことですが、本当にやりたいことを見つけ、取...

共産党にやっぱり期待しようか

1月16日付け朝日新聞デジタルより引く:    共産党は16日、党員の直接投票で委員長を選ぶ「党首公選」の導入を主張し、除名処分とされた元党職員の松竹伸幸氏が再審査を請求したことについて、静岡県熱海市で開催中の党大会で却下することを決めた。松竹氏の主張が「処分の理由を覆すものではない」と判断したという。  松竹氏は昨年1月の会見で党の閉鎖性を指摘したうえで、在任が20年以上にわたる志位和夫委員長を念頭に党首公選を主張。共産は翌月、党決定に反する意見を勝手に発表し、党規約に違反したとして除名を決めた。松竹氏はこれを不服として、11月に再審査を請求していた。 (小林圭) この記事に対し、佐藤優さんが以下コメント: 日本共産党の新委員長に就任した田村智子氏は、18日の結語演説で<元党員の除名処分をめぐって「除名処分を行ったこと自体が問題だ」とする意見が出されたことについて、元党員が綱領と規約にどのような攻撃を行ったかを検証することも、公表している党の主張、見解の何が問題なのかも何一つ具体的に指摘していないなど、発言者の姿勢に根本的な問題があることを厳しく指摘。「わが党は 多数者革命 に責任をもつ党として、綱領と組織原則への攻撃を断固として打ち破り、党の統一と団結を固めあい、これからも 民主集中制 の組織原則に基づいて強く大きな党をつくり、歴史をひらく、この決意をここに表明する」>(前掲「しんぶん赤旗」)と述べました。  この発言からも明らかなように田村氏は、レーニン・スターリン流の「鉄の規律」=民主集中制の信奉者です。日本共産党の組織原則は、一貫していて、党内の問題を党外に持ち出して議論するだけで処分対象になるという独自の文化を持っています。また、田村氏が「多数者革命に責任をもつ」として、革命を目標としていることを明確にした点も興味深いです。  それでは、その革命の内容はどのようなものなのでしょうか。党大会の決議では、マルクス/エンゲルス『共産党宣言』が引用されこう記されています。 <――人間の自由で全面的な発展……未来社会における「自由」は、「利潤第一主義」からの自由にとどまるものではない。労働時間の抜本的短縮によって、「人間の自由で全面的な発展」が可能となる。ここに未来社会の最大の特質があり、真の自由の輝きがある。マルクス、エンゲルスが、若い...

「最後は金目(かねめ)でしょ」

 東日本大震災の後、石原伸晃が原発事故の後始末を巡り 「最後は金目(かねめ)でしょ」、と本当のことを言ったら大問題にされ、それ以降、彼の政治家としての運が衰えて行ったという印象がある。 人間、働いたら結局は「金目」でその働き具合を評価される。俺が今、仕事もせずに”悠々自適”な生活を安穏に送っているのは、現役時代の貯蓄と年金のおかげだ。貯蓄+年金は「自分の働きに対する評価・報酬・ご褒美」と考えることができるが、「働く」を「生きるために必要なモノ、コトに関わる」と定義すると、『はて、俺の”働き”ってこんな大きな金目に価するだろうか?』と素直に思う。俺は現役時代、 生きるために必要なモノ、コトに関わったことなんてほとんどない。小学生時代”掃除するふり”が上手かったが、その延長で「働くふり」が上手かっただけだ。それで過分なご褒美をもらった感じ。 一方でエッセンシャルワーカーと呼ばれる人、介護従事者、工事作業者、農業漁業従事者などなどの働きに対する評価は低すぎる。そう思うならそういう人たちにお前が受け取った「過大な金目」を分配しろ、という事になるが、問題が。金目全部を他人に上げちゃうと、自分が生きることができない。今から働いて食い扶持を稼げ、という考えもあるが、あと何年で死ぬのか(あと何年生きなければならないのか)見当がつかないから、死ぬまでの収支バランスの取りようがない。特に働けなくなってから何年生きなければならないのか?が問題だ。働けなくなったら即死ぬ、という考え方もあると思うが、今のところ、これを合法的かつ他人に迷惑かけないで実行することは難しい。 根源的には、働きや、生きるのに必要なモノ、コトを金目で評価するからこんなおかしなことになるのだ。百歩譲って金目で評価するにしても、定量的・客観的な評価基準、評価ツールがないことが問題だ。ここで俺の考えは限界だ。 資本主義って、生きるのに必要なモノ、コトに関わってカネを得て、そのカネを自分が生きるのに必要なモノ、コトに使う、ということだ。そして資本主義の矛盾とは、この仕組みが段々上滑りになって、生きるのに必要かどうかが無視されて、いくらカネが得られるか、いくらカネが必要かということだけにフォーカスされるようになるということだ。最近の転職ブーム?は、それを通り越してカネではなく、「カネがたくさん得ることが出来そうな仕事、...

税金を払っている?

TV番組のコメンテイターが 税金の使い道とか何とか言うが、さて、国民のどのくらいが、税金に興味があるか?そもそも「税金を払っている」と思ってるんだろうか?俺は税金を払ってるなんて思ったことはなかった。だって、保険料なんかと同じく、天引きだから。国民に税金を払っていると強く思わせ、、税金の使い道に強い関心を持たせるには「天引き」では駄目だ。国民全員に確定申告をさせればよい。そして税務署員を何倍かに増やし、申告者と税務署員が侃々諤々、長時間にわたって交渉してから、納税額を決定すべきだ。 そうすれば納税者一人一人が、どうやって税金が取られるのかその仕組みを理解するようになる。そうすれば、もしかすると税金の使い道にも興味が湧こう。 税金天引制って、日本だけじゃあないのか?この仕組みは誰が作ったのか?アメリカが日本をダメにしようとしてこういう仕組みを作ったんじゃあないか?税務署職員が何倍かに増えるが、国民が税金に興味をもつんだから、安いもんじゃあないか?

石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人

 以下、「石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人」(早瀬利之、2013年、双葉新書)より、石原莞爾が東京裁判の証人としてアメリカの検事、記者などに語ったとされる発言を引く: 対中国政策に関しては、東條と私との間に別に意見の相違はなかった。なぜなら、東條という男は。およそプラン(作戦)など立てる男ではなかったからだ。彼は細かい事務的なことはよくできる。しかし中国政策というような大問題に関しては全く無能だった。彼は臆病者で私を逮捕するだけの勇気もなかった。東條のような男やその一派が政権を握り得たという事実が、すでに日本没落の一因でもあった。 東京裁判を見るに、日本の戦犯は東條を初めとして、いずれも権力主義者で、権力に媚び、時の勢力の大きい方について甘い夢を見ている者ばかりだ。莫大な経費をかけ、世界のお歴々が集って国際裁判に付するだけの値打ちのある者は一人もいない。みんな犬のような者ばかりではないか (東京裁判において、日清戦争まで遡って戦犯を処罰すべきだ、と言うなら)ペリーこそ戦争犯罪人だ。ペリーを呼んで来い。鎖国政策を取っていた日本にペリーが黒船に乗ってやって来て、門戸を開けろと迫り、列国との交わりを強要した。それで日本も門戸を開放して外国と交際をしてみた。すると、列強はみんな侵略主義の恐ろしい国だと知ったのだ。それから日本は自衛のために、貴国(アメリカ)らを大先生として泥棒の侵略主義を習い、覚えた。いわば日本はアメリカの弟子だ。教わったことを日本がやったら、今度は戦犯だという。だからペリーを呼んで来い。彼をあの世から呼んできて、戦犯としてはどうかね。 ルーズベルトが死んだ直後だから5月頃アメリカ軍が飛行機から落としたビラに「もし、日本国民が銃後において軍と共に戦争に協力するならば、老人、子供、婦女子を問わず、全部爆撃する。だから平和を念願して反戦態勢の機運を作れ」と、トルーマン大統領名で書かれている。これは何だ。国際法では、非戦闘員は爆撃するな、と規定があるにもかかわらず、非戦闘員を何十万人も殺したではないか。国際法違反である。このビラがそうだ。立派な証拠である。東京では家はもちろん、犬ころまでB29で、軍需工場でないところまで非戦闘員を爆撃したではないか。広島と長崎には原爆を落とした、これはいったいどうしたことだね。世界の道義に訴えて世論を喚起すべき性質...

(天声人語)派閥は本当に無くなるか

1月20日付け朝日新聞デジタルの天声人語を引く:    派閥は解消する。派閥事務所は本年末までに閉鎖する――。自民党はそう明確に宣言した。いまから30年前の1994年のことである。前年の野党転落を受け、人気回復を狙った窮余の策だった。さて、その言は守られたか。わざわざここに、記すまでもないだろう▼きのう岸田首相らが、派閥の解散を明言した。歴史は繰り返されるのか。ちなみに、70年代の福田政権でも派閥は解散している。リクルート事件の際には派閥解消の「決意」が示された▼2度目は悲劇、3度目は喜劇と言われるが、4度、5度となると何だろう。過去の本紙を見ると、永田町には「派閥解消と禁煙くらい、たやすく実行できるものはない」との言葉があったそうだ。「どちらも何度でもできる」という笑い話である▼そもそも派閥は金集めの術(すべ)に使われたに過ぎない。悪いのは、堂々と人様に言えないお金をもらい、コソコソと使っていた自民党の議員たちだ。まるで目くらましのように派閥解散を打ち上げ、問題の本質をずらそうとしていないか▼安倍派の幹部7人の立件はないというが、それでホッとしてもらっては困る。いま首相ら党幹部たちが果たすべき責務は、裏金の全容を自ら明らかにすること、さらには、抜け穴だらけの法律を抜本的に改めることである▼古人いわく、君子は諸(これ)を己(おのれ)に求め、小人は諸を人に求む。会計責任者だけに咎(とが)を背負わせ、自己の責任に頬かむりをするような輩には、政治家の看板を早々に下ろしていただきたい。 ※何を言いたいのか?理解に苦しむ。 派閥を解消すると嘘をつき続ける自民党をただ揶揄したいだけなのか? それとも派閥は悪いものでなくすのが当たり前だから、わざわざ派閥の是非や存在意義や問題について書くなんてしないのか? 俺は派閥は悪くないし、解散すべきだとも思わない。日本人には絶対正しい唯一の基準(=神様)がない。つまり自分の外に頼りになるものがない。言ってみれば自分自身が神様だ。それでは自信がないから他人の意見を聞いたり、みんなはどんな意見なのか知りたがり。似たもので群れたがる。俺は唯一神*あっての民主主義だと思っているから、日本で無理矢理民主主義の真似事をしようとすれば、群れて派閥を作るのが当然だ、と思う。派閥を解消しろ、と言ううなら民主主義も捨てよ。いや、民主主義に限らず、何かし...